夏休みに入る直前、高町恭也、美由希、なのはの三兄妹は、自宅の居間で父親の士朗に頼みごとをされていた。
「北海道に行けだって?」
 大学一年生の黒髪の青年、恭也は困惑する。夏休みは恋人の月村忍とデートの予定がすでに入っていたのだ。
「急な話で悪いんだが、実は昔の知り合いがファミレスの店長をやっていてな。今度の夏休みに人手が足りなさそうなんで貸してくれと……」
 心底申し訳なさそうに、士朗は顔の前で両手を合わせる。
「翠屋はいいの?」
 三つ編みに眼鏡をかけた高校二年生の女の子、美由紀が首を傾げる。高町家は商店街で喫茶店を経営している。忙しいのはこちらも同じはずだが。
「ああ。家の心配はしなくていい。バイトの子たちもいるから、どうにかなるだろう。向こうも別にフルにシフトが入ってるわけじゃないから、お前たちはついでに北海道旅行を楽しんできなさい」
「私も行っていいの? ユーノ君は?」
 小学三年生の栗色の髪をツインテールにした少女、なのはが顔を期待に輝かせる。
「ああ、もちろんいいぞ」
「やったね、ユーノ君」
 なのはが足元にいるフェレットに声をかける。
「でも、子どもたちだけで旅行なんて」
 母親の桃子が苦言を呈する。
「恭也と美由希はもう大人だし、なのはだってしっかりしてるから平気だよ」
「父さん……もしかして母さんと二人っきりになりたかっただけじゃ?」
「そ、そんなことはないぞ」
 士朗が慌てふためきながら弁解する。どうやら図星のようだ。
(よかったね、ユーノ君)
(うん。残りのジュエルシードが北海道にあるってわかって、困ってたからね。まさに渡りに船だよ)
 なのはが他の人に聞かれないよう念話をユーノに送る。フェレットの姿をしてるが、ユーノの正体は魔法世界の住人だ。
 なのははユーノとともに、危険な魔法のアイテム、ジュエルシードを人知れず封印している魔法少女なのだ。現在、なのはが持っているジュエルシードは三個。後十八個集めなければいけない。
 こうして、高町兄妹は北海道へと旅立っていった。

 北海道に着くなり、高町兄妹は目的の店へと向かった。
 北海道某所、ファミレス、ワグナリア。
「店長の白藤杏子だ。よろしくな」
 事務机に座った二十代後半の女性が告げる。髪を肩口で切りそろえたクールな雰囲気の女性だ。
「よろしくお願いします」
 三兄妹が元気よく挨拶する。恭也は白いシャツに蝶ネクタイと黒いズボン、美由希となのはは白いシャツに黒いリボンとミニスカートをはき、エプロンをつけている。これがこの店のフロアの制服だ。
 なのはは別に手伝わなくてもよかったのだが、本人の強い希望で、社会見学の名目で許可された。
 ちなみに動物は入店禁止なため、ユーノは外で待機している。
 夏休みに入り、バイトやパートたちがこぞって旅行や遊びに出かけてしまったのが、ワグナリアの人手不足の原因だった。
「ところで、宿泊先も白藤店長が用意してくれるという話でしたが、それなら別のバイトを雇った方が安上がりだったのでは?」
 恭也が質問した。宿泊費にバイト代もちゃんと払う約束になっている。
「それなら、大丈夫だ。ほれ」
 杏子は恭也に宿泊先の地図と鍵を渡す。
「ここのマネージャー音尾は、行方不明の妻を捜して旅に出ていてな。当分家に帰る予定はないから、好きに使っていいそうだ」
「………………」
 つまりこのファミレスは責任者不在ということか。赤の他人を自分の家に泊めるというのも不用心な話だが、マネージャーは長い旅暮らしの為、貴重品はすべて持ち歩いているらしい。
「杏子さんはお父さんとどうやって知り合ったんですか?」
 続いて、なのはが質問した。住んでいる場所も年齢も違う士朗と杏子の接点が、どうしてもわからない。
「ん? 私が高校生の頃、戦ったことがあるんだ」
「お父さんと?」
 父親の士朗は、現在は引退しているが、小太刀二刀御神流の達人でかなりの実力者だ。恭也と美由希も幼少より習っているが、まだ父親の域には達していない。
「じゃあ、杏子さんも強いんですね」
「さあな。だが、お前の親父は強かったぞ。後にも先にも、私の釘バットを真っ二つにしたのは、あの男一人だ」
「釘バット?」
 なのはには聞き慣れない単語だった。てっきり杏子も剣術を学んでいると思ったのだが。
「知らないのか? バットに……」
「白藤店長、それ以上の説明はいりません。なのはも気にしないでいいからな」
 恭也が引きつった顔で、なのはを杏子から遠ざける。どうやら杏子は昔ヤンキーだったようだ。
「それと、最初に言っとくが、仕事に関して私は一切助言しないので、そのつもりで」
「それは見て覚えろと?」
 随分厳しいファミレスだと、恭也と美由希は驚く。
「いや……あんまり仕事しないから知らないんだ、私」
「……恭ちゃん。この店、大丈夫かな?」
「さあ」
 恭也も美由希もいきなり不安を感じていた。
「なので、仕事に関しては、こいつに訊いてくれ」
 杏子に呼ばれ、ボリュームたっぷりの髪をポニーテールにした元気な女の子が事務室に入ってくる。どう見ても小学生くらいだ。
「私、種島ぽぷら。よろしくね」
「よろしくね、ぽぷらちゃん」
 近い年齢の子がいると知って、なのはが喜んでぽぷらの手を取る。
 どうして小学生が働いているのか不思議に思ったが、尋ねる前に杏子とぽぷらが話を先に進めてしまう。
「では、種島。他のメンバーの紹介をしてやってくれ」
「はーい」
 恭也たちはぽぷらに連れられて、仕事場へと向かった。

 フロアからは客席が一望できる。お昼時を過ぎて暇な時間帯らしく、客席には人がまばらにしかいない。その中を一人の制服の女性が動き回っていた。
 長い髪に優しげな笑顔の美人だった。女性はてきぱきと慣れた様子で仕事を片づけていく。
 その姿を見て、恭也たちは冷や汗を流す。
「ねえ、恭ちゃん。あれ、刀だよね?」
「ああ、間違いない」
 女性の腰には日本刀が吊り下げられていた。それが歩くたびに、がしゃがしゃと音を立てている。
 客たちの反応は二種類だった。まったく刀を気にしていない者と、不安そうに刀から目を離せない者。一人の勇気ある若者が質問しようとしたが、女性の笑顔に結局何も言えなくなってしまう。
「あれがフロアチーフの轟八千代さん」
「……あの人がチーフなんだ」
 仕事を終えた八千代が恭也たちの方にやってくる。
「あら、あなたたちが新人さんね。杏子さんから話は聞いてるわ。これからよろしくね」
「よろしくお願いします」
 三人並んで頭を下げる。すると、否応なく刀が目に入る。
「あの……どうしてチーフは帯刀しているんですか?」
「実家が刃物店なのよ」
 答えになっていないと思ったが、口には出さなかった。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
 興味津々な様子で、美由希が刀を指差す。美由希は刀剣マニアだった。
「お、おい、美由希」
「ええ、いいわよ」
 恭也が止めようとするが、八千代は気にせず刀を美由紀に渡す。
 美由希は刀身に息や唾がかからないようハンカチを口にくわえる。本当は懐紙でやるのだが、ないので代用している。慎重な手つきで、刀を鞘から抜く。摸造刀ではなく、ちゃんと刃のついた真剣だった。
 美由希はうっとりとした様子で刀身を眺める。実戦を想定した質実剛健な造りで、観賞用の刀にはない迫力がある。
 美由希の顔が少し引きつった。この刀、明かに使用した形跡がある。それも一度や二度ではない。刀を鞘にしまい八千代に返す。
「あの、八千代さん。八千代さんも剣術を習ってるんですよね?」
「いいえ」
「じゃあ……」
 いつ使ったのか訊こうとするが、八千代は邪気のない満面の笑みを浮かべている。
「いえ、何でもありません」
 先ほどの客と同様、結局美由希も何も言えなかった。
 そして、恭也は、
「……あれがありなら、家でも試してみるか? 常に帯刀しているだけでも修行になるし」
 新たな修行法を真剣に模索中だった。
「八千代、ラーメンできたぞ」
「はーい」
 真っ白なコックの服を着た金髪の男がキッチンから顔を出す。長身で顔もいいが、どうにもヤンキーっぽい。かすかに香る煙草の匂いからヘビースモーカーであることも窺える。
「この人がキッチン担当の佐藤潤さん」
「よろしく」
 佐藤は不愛想に挨拶する。こちらに興味がないのか、それきり厨房に戻ってしまう。
「ちょっと怖い感じの人だね」
 美由希が言うと、ぽぷらは首を振った。
「そんなことないよ。そりゃ、ちょっと意地悪だけど、佐藤さん優しいよ」
 ぽぷらは背も低いし力もないので、仕事の大半を佐藤に手伝ってもらっている。仕事を頼む時、佐藤は嫌な顔一つしない。
「……そうなんだ」
 美由希はコップが置かれている棚を見上げた。確かにぽぷらの背では、踏み台くらい持ってこないと届かないだろう。
「ぽぷらちゃんは、どうして小学生なのにバイトしてるの? お手伝い?」
「小学生じゃないよ! 私、高校二年生だよ!」
「嘘、私と同い年!?」
 衝撃の告白に美由希が驚く。
 身長は、なのはより少し高いくらい。なのはと同い年と言われた方がよほど信じられる。しかし、よく見ると身長とは不釣り合いに、胸がやけに膨らんでいる。
 美由希は自分の胸と比べてみて、
「ごふっ!」
 取り返しのつかないダメージを受けた。
「おい、どうした?」
「お姉ちゃん、しっかりして」
「大丈夫ですか?」
 倒れかける美由希を、恭也、なのは、ぽぷらの三人が支える。その時、美由希の腕がぽぷらの胸に当たった。腕に返ってくる柔らかい感触。それがとどめだった。
(……あ、本物だ)
 美由希の意識は、深い闇の底へと沈んで行った。

 休憩室の椅子を並べて簡易ベッドを作り、そこに美由希を寝かせた。
 恭也は杏子に向かって頭を下げる。
「すいません、白藤店長。いきなりご迷惑をおかけして」
「まあ、今日は制服合わせと顔見せだけのつもりだったから問題ないが、高町姉は何か持病でも?」
「いえ、健康そのもののはずなんですが……長旅で疲れたのかな」
 恭也としても首を傾げるしかない。
「ん……」
 そこで美由希が目を覚ました。
「大丈夫か?」
「高町姉。体調悪いなら、無理しなくていいぞ」
「大丈夫です。ご心配おかけしました」
 美由希は頭を振って立ち上る。あの身長の相手に負けたのはショックだったが、もう気持ちの整理はついた。それにスタイルならば、杏子の方が圧倒的だ。
「私、お水貰ってきます」
 なのはが厨房へと走っていく。
「うおおおおおおおおお!」
 その後すぐ、謎の雄たけびが響いてきた。
「なのは!?」
 恭也は血相を変えて、なのはを追いかける。
「あはははははは! か-わーいーいー!」
 眼鏡をかけた男が、左脇にユーノを抱えて、右手でなのはの頭を撫でまわしていた。
 至福の表情を浮かべて撫でまわしてくる男に、なのははどう対処しようか困っていた。
 男が変態であると恭也は即断定する。
「妹から離れろ!」
 変態を取り押さえようと腕を伸ばす。しかし、変態は逆に恭也の腕をつかみ返し、関節を極めようとしてくる。どうやら変態は、護身術を習っているようだった。しかもかなりの熟練者だ。
 恭也は必死に腕を振り払い、距離を取った。
 御神流は、小太刀だけでなくあらゆる状況を想定した鍛錬を行っている。格闘技も下手なプロより強い自信があるが、相手は素手に特化した達人だ。負けはしないが、少々手こずるかもしれない。
「いきなり何するんですか!」
「黙れ、変態!」
 変態の抗議に、恭也は怒鳴り返す。
「やめなさい!」
 甲高い声が二人を仲裁する。ぽぷらが息を切らせて、二人の間に割って入る。少し遅れて美由希もやってくる。
「もう駄目だよ、かたなし君。いくらちっちゃい子がいるからって、いきなり撫でまわしたりしたら」
「すいません。あまりの感激に、つい我を忘れて……」
 ぽぷらにたしなめられ、変態が素直に謝る。
「高町さんも駄目だよ。同じバイト仲間に暴力振るったら」
「バイト仲間? こいつが?」
「初めまして。小鳥遊(たかなし)宗太、高校一年生です」
 変態が礼儀正しく一礼する。
「“しょうちょうゆう”とか、“ことりあそび”だとか言われますが、タカナシです!」
 珍しい名字に苦労しているのか、やたら力説してくる。
「高町恭也だ」
「高町美由希です。名字だと兄と被るので、気軽に名前で呼んで下さい」
 先ほどのやり取りを見ていない美由希が、笑顔で小鳥遊に挨拶する。
「……年増か」
 二人を見て、小鳥遊が吐き捨てるように呟く。
 美由希のこめかみに青筋が浮かんだ。
「八千代さーん。もう一度刀貸してもらっていいですかー?」
「落ち着け、美由希!」
「離して、恭ちゃん! 女には殺らなきゃいけない時があるの!」
 いくら小鳥遊が強くても、刀を持った美由希なら一刀両断できる。恭也が美由紀を押さえている間に、小鳥遊は更衣室へと行ってしまう。
「ごめんなさい。かたなし君は重度のミニコンなんです」
 ぽぷらが申し訳なさそうに謝る。ちなみにぽぷらはどうしてもタカナシと発音できず、かたなしと呼んでしまう。
「ミニコン?」
 恭也も美由希もロリコンしか知らない。
「病的にちっちゃいものが大好きで、十二歳以上の人を年増扱いするんです」
「それはロリコンと違うのか?」
「いえ、ちっちゃいものが純粋に好きなだけで、恋愛感情とかは特にないみたいで……」
 子供や小動物だけでなく、虫や微生物まで小鳥遊はこよなく愛する。
「ふーん。世の中にはいろんな人がいるんだね」
 ユーノを取り戻したなのはが感心したように頷く。
「白藤店長」
「どうした、高町兄妹」
 恭也に呼ばれ、杏子が歩いてくる。
「すいません。今日はもう帰っていいですか? 他のメンバーはまた後日と言うことで」
「? ああ、別に構わんぞ。どれ、高町姉の具合も悪そうだし、私が車で送って行ってやろう」
「ありがとうございます」
 口で礼を言いながらも、恭也の顔は引きつっていた。こんな変態の巣窟に、なのはを一秒たりとも置いておきたくなかった。

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最終更新:2012年08月12日 21:55