夜、ワグナリアの駐車場になのは陣営とフェイト陣営が集結する。どちらもジュエルシードの反応に導かれて来たのだ。
「発動してるね」
フェイトが明かりの消えたワグナリアを見上げる。
「ふはは、ふははははははっ、うっ! げほっ! ごほっ!」
高笑いが夜空に響き渡る。むせたらしく、笑いが途中で咳に変わる。
ワグナリアの屋根に人影が仁王立ちしていた。
白いマントに同色の学校の制服をきて、長い黒髪をなびかせている。
「魔法山田、山田推参!」
ジュエルシードを胸に張りつけた山田がふんぞり返る。
「あれ、葵ちゃんだよね?」
「ああ、間違いない」
ぽぷらの問いに、佐藤が答える。おそらく買い物に出かけた時にでも拾ったのだろう。比較的小鳥遊の状態に近いようだが、しっかりジュエルシードに取り込まれている。所詮は山田だ。
「余計な手間を増やしやがって。ま、山田なら大したことないだろう。なのは、とっとと封印してくれ」
「了解」
レイジングハートから、桜色の光線が発射される。
山田は動かず、勝ち誇った笑みを浮かべている。命中の瞬間、光線が拡散し、山田の横を素通りする。
「えっ?」
光線はさらに空中で乱反射し無数の光に分裂して、なのはたちに返ってくる。
「ぽぷらちゃん、私の後ろに隠れて!」
『Protection』
なのはがバリアを展開し、ぽぷらと佐藤をかばう。
「ふはは! 割りまくりクイーン山田を甘く見ましたね」
目を凝らすと、山田の周囲に小さな皿の破片が大量に舞っていた。
「山田は割れた皿の加護を受けています。どんな光線も反射しますよ」
「小鳥遊。あいつはどうして自分の能力を、べらべらと自慢げにばらしてるんだい?」
「気にしないで下さい、アルフさん。ああいう奴なんです」
「今度はこちらの番です。小鳥遊さん、佐藤さん、日頃の恨み思い知って下さい」
山田が仰々しく両手を構える。半端に意識が残っているのが、ますます腹立たしい。
「奥義、納豆バインド!」
「うわっ!」
魔法陣から納豆が飛び出し、糸が全員をがんじがらめにからめ捕る。納豆をこよなく愛する山田だからこそ使える魔法だ。
納豆は無尽蔵に湧いてくる。ワグナリアの駐車場が納豆の海と化し、小鳥遊たちが飲み込まれていく。眼下の光景を見下ろし、山田が己の力に酔いしれる。
「この力があれば、世界は山田の物。山田オブザワールド!」
喜びながら、屋根の上でクルクル回る。
踊る山田の後頭部を、誰かががっしりとつかんだ。恐る恐る振り向くと、小鳥遊が憤怒の形相で立っていた。
山田の顔から血の気が引いて行く。
もちろん納豆の糸に人間を拘束するような力はない。全員ネバネバになりながら、納豆の海から這い出し、山田を取り囲んでいた。
割れた皿の加護は人間には無害のようで、触っても皮膚が切れるということはなかった。
「この距離なら、反射は出来ないよね」
「山田さん。ごめんね」
「葵ちゃん。さすがに私も怒ったよ」
フェイトが、なのはが、ぽぷらが、零距離で三つの武器を突きつける。
「どれ、あたしも一発殴らせてもらおうかね」
「結界を張りました。これで店に被害は出ません」
アルフが指をパキパキと鳴らし、ユーノが静かに告げる。
小鳥遊同様、全員怒り心頭だった。
「た、」
おそらく山田は助けを求めようとしたのだろう。しかし、全力のスパークスマッシャーが、ディバインバスターが、ぽぷらビームが山田に炸裂し、夜空を明るく染めた。
じゃんけんの結果、山田のジュエルシードは、なのはが回収した。
フェイトが小鳥遊家に滞在するようになってから三日目の朝。
ワグナリア開店前に、スタッフが事務室に集合する。山田は昨日の戦闘の疲れが出たのか、屋根裏で寝込んでいる。ジュエルシードに取り込まれている間の記憶は、きれいさっぱり抜け落ちていた。
「えー、次は」
業務連絡を杏子が淡々と読み上げる。しかし、全員そわそわとしてどこか落ち着きがない。業務連絡の半分は耳を素通りしていた。
杏子は構わず連絡を続ける。
「最後に、今日からここで働くことになる新人を紹介する」
杏子の隣で、制服に身を包んだ金髪の女の子が微笑んで一礼する。
「フェイト・テスタロッサです。よろしくお願いします」
「…………ねえ、恭ちゃん。いいのかな?」
「いつものことだ」
厨房の制服を着た恭也が諦念を滲ませた。フロアスタッフが余ってきたので、恭也は今日からキッチン担当だ。料理ができないわけではないし、刃物の扱いは慣れているので、どうにかなるだろう。
銃刀法違反に労働基準法違反など、ワグナリアの法律無視は今に始まったことではない。細かいことをいちいち気にしていたらやっていけない。
ぽぷらとなのはは目を丸くしている。昨日やけに小鳥遊がここではお互いの事情を詮索しないよう念を押していたが、こういうことだったのか。
「テスタロッサは小鳥遊の知り合いだそうだ。小鳥遊しっかり面倒見てやれ」
「はい」
小鳥遊の生活は、週七日のバイトに家事に勉強、さらにジュエルシード集めと忙しい。多忙な小鳥遊を見かねて、フェイトが手伝いを申し出てくれたのだ。
伊波がぽぷらに話しかけた。
「嬉しそうだね、種島さん」
「えっ? そうかな? でも、(ちっちゃい)仲間が増えるのって嬉しくない?」
「そっか、そうだよね。(胸の小さい)仲間が増えるのは嬉しいよね」
伊波の胸も、ぽぷらの身長も、なのはとフェイトとほとんど変わらない。小学生と比べるしかない我が身に一抹のむなしさを覚えるが、もはや相手が何歳だろうと構っていられなかった。
それに将来的にも自分たちの仲間になってくれる可能性はある。
「すぐに手酷い裏切り者になるけどな」
十年後の二人の姿を予知している佐藤が小声で呟く。二人とも背も伸びるし、胸も成長する。スタイルは杏子に匹敵するかもしれない。
「よ、よろしくね。フェイトちゃん」
「う、うん。よろしく」
なのはとフェイトがぎこちなく挨拶を交わす。
まだ戸惑いの方が大きいが、フェイトと一緒に働けることを、なのはは喜んでいた。これをきっかけに和解できるのなら、最良の結末だろう。
(変人年増の巣窟だったワグナリアが、一気に楽園に。神様、ありがとう!)
そして、ちっちゃいものたちが戯れる光景に、小鳥遊は歓喜の涙を流していた。
なのはとフェイトが空いた席の片付けをしていると、キッチンの方がやけに騒がしくなる。戻ると、ぽぷらの髪形がヤシの木になっていた。どうやら佐藤がやったらしく、ぽぷらが文句を言っていた。
その時、すぐ近くでジュエルシードの反応を感知した。
フェイトが結界を展開する。ユーノのものに比べると範囲が狭いが、戦うには充分な広さだ。
『Set up』
なのは、フェイト、ぽぷら、小鳥遊、佐藤が変身する。
「行くよ、佐藤さん!」
「おう」
ぽぷらと佐藤が息ぴったりで戦闘態勢を取る。
「あれ? さっきまで喧嘩してたんじゃ?」
仲裁に入るべきか否か、なのはは迷っていたのだ。
「それよりジュエルシードが先だよ。ね、佐藤さん」
ぽぷらも佐藤もすでに喧嘩していたことを忘れているようだ。今後、この二人の喧嘩に仲裁の必要はないと、なのはは判断した。
店の外へ飛び出した五人を、強い日差しが出迎える。
結界の中、人通りの絶えた道に、たたずむ影があった。
オレンジっぽい茶髪にスレンダーな体型。ジュエルシードを発動させたのは伊波だった。外にゴミ拾いに出かけて拾ったらしい。
肩の大きく開いた服に、たれた犬の耳と尻尾。かつて梢に無理やり着せられたコスプレ衣装そっくりの姿に変身している。ヘアピンには燦然と輝くジュエルシード。
小鳥遊が恐怖に凍りつく。
「佐藤さん、あれはやばいです!」
小鳥遊が警告した時には、佐藤はすでにワグナリアの奥へと退避していた。
「一人だけずる――」
言葉の途中で、小鳥遊の姿がかき消える。次の瞬間には、道の向こうの建物の外壁に叩きつけられていた。
さっきまで小鳥遊がいた場所には、拳を突き出しコンクリートの地面を踏み抜いた伊波が立っていた。
「速い!」
スピードと動体視力には自信があったフェイトが驚愕する。油断があったとはいえ、全く反応できなかった。
伊波は技術はともかく腕力だけなら、人類でもトップクラスに位置する。それがジュエルシードで強化され、手のつけられない狂犬と化していた。
(なのは、フェイト、ぽぷら)
「佐藤さん?」
店の中から、佐藤が念話で助言を送る。
(奴の名は撲殺少女まひる。ジュエルシードの力で暴走し、視界に入った男に問答無用で襲い掛かる。行動はいつものあいつと変わらんが、威力は桁違いだ)
今の伊波を結界の外に逃がしてしまったら、平和な町が一転して地獄絵図に変わってしまう。どうにかしてここで倒さないといけない。
(女のお前たちなら殴られる心配はない。後はお前たちに任せた)
今の伊波に殴られたら、佐藤は一撃でひき肉になってしまう。さすがに戦場には出られない。
この場にユーノがいなくてよかったとなのは思った。
佐藤が話している間、伊波は壁に埋まった小鳥遊をサンドバックのように殴り続けていた。
「宗太さん!」
『Scythe Form』
バルディッシュが鎌へと姿を変え、伊波に振り下ろされる。
伊波の裏拳が、バルディッシュをフェイトごと吹っ飛ばす。
「ディバインバスター!」
なのはの砲撃を、伊波は無造作に殴り飛ばした。砲撃の軌道が捻じ曲げられ、青空へと吸い込まれていく。
「魔法を殴った!?」
なのはが素っ頓狂な声を上げる。
伊波の拳が建物を倒壊させ、小鳥遊ががれきの下敷きになる。
感情のない瞳で、伊波が次の獲物を探す。
やがて伊波の目がフェイトで止まった。
「えっ?」
正確には、伊波はバルディッシュを見つめていた。どうやら男性認定されたらしい。
『……Help me』
バルディッシュが珍しく気弱な声を出す。
電光石火の踏み込みで、伊波がフェイトの懐に入る。
「フェイトちゃん!」
なのはが伊波にバインドをかける。伊波の動きがわずかに鈍るが、光の輪があっさり引きちぎられる。
フェイトがバリアを張るが、伊波の右フックが易々と砕く。続けて放たれた左フックをバルディッシュで受け止めるが、あまりの怪力にフェイトごと壁にめり込む。
「ごめんね、伊波ちゃん。必殺ぽぷらビーム!」
「全力全開ディバインバスター!」
ぽぷらとなのはの全力の光線が、伊波に迫る。
「はあっ!」
気合いの声を上げ、伊波の回し蹴りが二つの光線を打ち落とす。
「これでも駄目なの!?」
伊波の拳がバルディッシュの宝玉を狙う。あの腕力では、バルディッシュごとフェイトが粉々になってしまう。
「ちょっと待ったー!」
血塗れになりながら、小鳥遊ががれきを押しのけ立ち上る。
「男ならこっちにいますよ!」
「男……いやああああああ!」
伊波が再び小鳥遊に襲いかかる。
「正気に戻って、伊波さん!」
「伊波ちゃん、今殴ってるの、かたなし君だよ!」
嵐のような連撃にさらされながら小鳥遊が、ぽぷらが叫ぶ。
必死の叫びが届いたのか、伊波ががくんと急停止する。朦朧とした顔で、小鳥遊を見つめる。
「……た、小鳥遊君?」
「よかった。意識を取り戻したんですね」
小鳥遊が安堵する。
「……私、どうしちゃったの?」
伊波が小鳥遊に尋ねる。しかし、互いの息がかかりそうなくらい顔が近い。意識した途端、伊波が赤くなり、頭から湯気が立ち上る。
「い、いやあああああああああ!」
「熱っ! 熱いです、伊波さん!」
伊波の体温が急激に上昇し、背中に日輪が出現した。錯乱した様子で、伊波は赤熱した右手の平を顔の前にかざす。
「私のこの手が真っ赤に燃える! 男を倒せと轟き叫ぶ!」
「やばい。この流れは……」
「爆熱、まひるフィンガァァー!」
「やっぱりぃぃぃー!」
伊波が右手で小鳥遊をつかみ天高く持ち上げる。
「ヒートエンドォッ!!」
小鳥遊が大爆発を起こす。
「宗太さん!」
「かたなし君!」
黒こげになった小鳥遊が無残に大地に倒れ伏す。
再び狂犬と化した伊波は、バルディッシュに次の照準を合わせる。
「なのは。大威力砲撃じゃ打ち落とされる。手数で攻めよう」
「わかったよ、フェイトちゃん」
三人の魔法少女が武器を構える。
「ディバインシューター!」
「フォトンランサー!」
「必殺じゃないぽぷらビーム!」
桜色の光球が、黄金の槍が、純白の閃光が、連続で撃ち出される。
伊波はマシンガンのようなジャブでそれらを迎撃する。伊波の拳は肉眼で捉えられないほど速い。どうにか足止めできているが、このままでは封印ができない。
「二人とも、時間稼ぎお願い」
伊波の足止めをなのはたちに任せ、フェイトは後ろに下がる。
フェイトの魔力が高まり、背後にいくつものフォトンスフィアが発生する。フェイトの最強の攻撃魔法フォトンランサー・ファランクスシフトだ。切り札はできるだけ温存したかったが、この状況で伊波を倒し、小鳥遊を助けるにはこれしかない。
「ファランクス、撃ち砕けー!」
三十八基のフォトンスフィアから、一斉にフォトンランサーが高速で連射される。伊波が必死に拳を繰り出すが、迎撃できる限界をはるかに超えていた。雪崩のようなフォトンランサーの群れに、伊波の両拳が跳ねあがり、防御ががら空きになる。
フェイトの手に魔力が集中し、長大な黄金の槍を形成する。
「スパークエンド」
投擲した槍が伊波の胸に突き刺さり、巨大な爆発を巻き起こす。余波で結界がきしみ、空がひび割れる。
「ちょっとやり過ぎじゃないかな!?」
「いや、これくらいやらないと撲殺少女まひるは倒せない」
突風にあおられながら、いつの間にかぽぷらの隣に佐藤が浮いていた。
爆発が収まると、陥没した地面の底に、封印されたジュエルシードと元の姿に戻った伊波が倒れていた。
ぽぷらが伊波に、フェイトが小鳥遊に駆け寄って抱き起こす。小鳥遊も爆発でかなり派手に吹き飛ばされていた。
伊波は気絶しているだけで、外傷はない。小鳥遊はところどころ焦げて打撲だらけだが、思ったより傷は浅い。これならいつも伊波に受けている被害と同程度だ。
「いたたたた」
頭を振りながら小鳥遊が起き上がる。ジュエルシードで強化されていたとはいえ、頑丈なものだ。とりあえず心配はなさそうだと、フェイトは安心する。
「よかった。二人とも無事みたいだね」
「ええ、どうにか」
背後からなのはが話しかける。無事と言うには語弊がある気がするが、小鳥遊本人が肯定しているのだからそうなのだろう。
「はい、フェイトちゃん」
明るい顔で、なのはがジュエルシードを差し出す。今回は、封印したフェイトの物だ。
「でも……」
「フェイトちゃんがいなかったら、私もぽぷらちゃんも伊波さんを止められなかった。だから、受け取って」
「うん」
「ところで、さっきの戦闘中、フェイトちゃん、私のこと初めて名前で呼んでくれたね」
「そ、そうだったかな?」
「うん。それでちょっとお願いがあるんだけど……。フェイトちゃんにも譲れない願いがあるのはわかってる。いつか戦う運命だってことも。でも、それでいいから、ここに……ワグナリアにいる間だけでいいから、友達になれないかな?」
一見、平和ボケした少女の能天気な提案に思える。だが、笑顔の奥から驚くほど悲壮な決意がフェイトに伝わってくる。
ほんのわずかでも運命を変えられる可能性に賭けたい。変えられなくとも、少しでもわかり合いたい。なのははそう考えていた。
(この子は、どうしてここまで?)
フェイトは自問する。いや、それ以前に、どうして自分は彼女の決意が理解できるのか。
なのはの目を正面から見つめ返す。優しい家族に囲まれて幸せに暮らしているはずなのに、瞳の奥に孤独の影が垣間見える。
なのはが小さい頃、父親が仕事で重傷を負い、生死の境をさまよったことがある。母も兄も姉も、父の看病と翠屋の経営で手一杯で、なのはは一人ぼっちの寂しい日々を過ごした。
なのはの過去をフェイトは知らない。しかし、目の前の少女が、少し自分と似ていることだけは感じ取れた。だからこそ、なのはも友達になりたいと言ってくれたのだろう。
「わかった。ワグナリアにいる間だけ。それでいいよね、なのは」
気がつくと、フェイトはそう返事をしていた。
「うん!」
少しだけ泣きそうな、しかし、満面の笑顔でなのはは頷いた。
伊波の意識がゆっくりと覚醒する。
「目が覚めましたか? 伊波さん」
「あれ? 小鳥遊君?」
伊波は上半身を起こした。ワグナリアの休憩室で、伊波は椅子の上に寝かされていた。小鳥遊に目をやり、ギョッとする。小鳥遊はところどころ焦げていた。
「どうしたの!?」
山田同様、伊波に暴走している間の記憶はないようだった。
「色々ありまして。それより伊波さんです。どこか痛いところはありませんか?」
「うん。平気だけど」
「よかった。あ、でも無理はしないで、少し休んでて下さい。仕事なら俺たちでやっておきますから」
「ありがとう」
礼を言いながら伊波は再び横になる。どういうわけかやけに疲れている。目を閉じると、伊波はすぐに寝息を立て始めた。
和やかに話す二人を、壁にもたれたフェイトが少し複雑そうに眺めていた。
伊波が極度の男性恐怖症だと、フェイトはすでに知らされている。しかし、あれだけ酷い目に遭わされながら、どうして小鳥遊は伊波に優しく接するのか。
「フェイトちゃん、こっち、こっち」
なのはに呼ばれ、フェイトはフロアへと戻る。
「あの二人、仲がいいね」
二人並んでお皿を吹きながら、フェイトがなのはに話しかけた。
「お姉ちゃんから聞いたんだけど、伊波さん、小鳥遊さんのことが好きなんだって。小鳥遊さんには内緒だよ」
ワグナリアでは公然の秘密だ。知らないのは小鳥遊本人ぐらいだろう。
フェイトの手から、お皿が滑り落ちる。地面に落ちたお皿は乾いた音を立てて砕け散った。
「お皿を割りましたね!」
いつの間にか仕事に復帰した山田が、ほうきとちりとりを持って現れる。
「ごめんなさい」
「そういう時は、先輩に任せなさい」
破片に直接触らないよう、ほうきとちりとりで片づけていく。割りまくりクイーンを自称するだけあって手慣れている。
「では、後は先輩が捨ててきてあげます。破損報告書に書いておいてください」
「待て、山田」
ゴミ箱に向かおうとする山田を、フロアに戻ってきた小鳥遊がひき止める。小鳥遊はちりとりを山田から奪うと中を覗き込んだ。
「やっぱりな。出てくるタイミングが早すぎると思ったんだ」
ちりとりの中には二枚分のお皿の破片が入っていた。どうやらフェイトが割ったのを幸いと、利用する魂胆だったようだ。自分の割った分を隠蔽するか、あるいは破損報告書の数字を書き換えるつもりだったか。
「フェイトちゃん怪我はない?」
「はい」
山田が全力で逃亡を企てているが、小鳥遊はしっかりつかんで離さない。
「よかった。これからは気をつけてね」
「誰か、誰か山田を助けて下さーい!」
小鳥遊が顔に笑みを張りつけたまま、山田を奥へと引きずって行く。やがて小鳥遊の説教と怒声がかすかに響いてきた。
「ふえー。小鳥遊さんって怒るとあんなに怖いんだ」
なのはが少し首を縮める。
至近距離でやられたらかなりの迫力があるだろう。小鳥遊の説教に山田の泣き声が混じり始めていた。
時刻は夜の十時、小鳥遊家では、梢とアルフの酒盛りが行われていた。
いつもなら、夜にジュエルシードを探すのだが、伊波の一件で疲れたので今日は休みだ。探索が休みとあって、アルフはいつもより深酒をしている。
赤ら顔で楽しげに談笑しているが、小鳥遊が横を通り過ぎようとすると、アルフが横目で助けを求めてきた。
「?」
小鳥遊は梢たちの会話に耳を傾ける。
「でね、☓☓☓が、○○○で――」
梢がノリノリで猥談をしていた。小鳥遊は思わず膝が砕けそうになる。どうやらアルフが赤い顔をしているのは、酒のせいだけはないらしい。
関わり合いたくはなかったが、このまま放置するとなずなやフェイトにまで飛び火しかねない。
「二人とも飲み過ぎですよ」
小鳥遊が救援がてら苦言を呈する。乱立するから酒瓶を片づけようとし、梢が食べている物の正体に気がつく。
「って、梢姉さん、何食ってんだ!?」
「おつまみ」
梢はろれつの回らない様子で、茶色いスナック菓子の様な物を食べている。
「それ、ドッグフードだぞ」
「知ってる。初めて食べたけど、結構おいしいね」
指摘しても構わず食べ続けている。
「宗太さん、お風呂空きました」
フェイトがパジャマ姿で部屋に入ってくる。
「ほら、梢姉さんも明日早いんだろ。とっとと風呂入って寝ろよ」
「ぶー。これから盛り上がるところなのに」
梢を風呂場へと追っ払う。明日は新しい彼氏とデートの予定だ。明日いっぱい持てばいい方だろうと、小鳥遊は考えている。
「助かったよ、小鳥遊」
アルフが額の汗を拭いながら安堵する。梢とはウマが合うが、さすがに猥談だけは勘弁して欲しかった。
「宗太さん、お休みなさい」
「お休み」
フェイトと一緒にアルフも寝室に戻っていった。
ベッドに入るなり、フェイトはため息をついた。
「フェイト、疲れてるのかい?」
最近は食事もしっかり取るようになったので、健康に問題はないはずだが。
「ううん。そうじゃないの。ただ、早く大きくならないかなって」
フェイトはアルフと自分の身長を比べて、またため息をついた。
「どうして?」
これまでフェイトがこんなことを言ったことはない。何か心境の変化があったのだろうか。
「ワグナリアの伊波さんって知ってる?」
「ああ、お店で何度か梢ちゃんと一緒に話したことがあるよ」
「あの人、宗太さんのことが好きなんだって」
「へ、へえ、そうなんだ」
実はアルフは梢から聞いてすでに知っている。
梢は小鳥遊と伊波をくっつけようと企んでいるのだ。利害が一致しているので、アルフは応援している。
「たぶん、宗太さんも伊波さんを好きなんだと思う」
「そうなのかい!?」
「でなきゃ、あんなに殴られてるのに気遣ったりしないよ」
フェイトは枕を抱きしめる。
男性恐怖症を治す一環として、小鳥遊は伊波と一緒に帰宅している。今日はフェイトも加わって三人だ。マジックハンド越しだが、手をつないで歩く二人の姿は、フェイトには恋人同士のように見えた。
例え虐げられても、フェイトが母の為にジュエルシードを探すように、小鳥遊もどれだけ殴られても、伊波の男性恐怖症を治そうと頑張っている。
その奥底にあるものは、形は違っても愛と呼ぶべきものだ。
「宗太さん、年上好みだったんだ」
しかし、フェイトの結論は少しずれていた。
本人は否定するだろうが、小鳥遊と姉三人は仲良しだし、アルフとも飾らずに接している。伊波は小鳥遊より一つ年上だ。
可愛がられる代わりに、本音で接してもらえない。蚊帳の外に置かれているような気分にフェイトはなるのだ。
「私、大きくなりたい」
フェイトが毅然と言った。
小鳥遊の好みを誤解しているような気がするが、アルフに強く否定する根拠があるわけではない。張り切る主人を、アルフは生温かい目で見守るしかなかった。
バルディッシュの中でジュエルシードが、一瞬怪しげに輝いた。
最終更新:2012年09月06日 22:58