時空管理局地上本部から遠く離れた森の中に、騎士ゼスト、ルーテシア、アギトが潜んでいた。
ロングコートを着た大柄な男、ゼストは目を凝らし、地上本部で繰り広げられる戦闘を観察する。わずか数名の戦闘機人が、局の魔導師たちを蹂躙して回っている。数日前には考えられなかった光景だ。
「スカリエッティめ、いつの間にあれだけの力を得た?」
ゼストは眉間のしわを険しくする。一応、協力関係にあるが、ゼストはスカリエッティを毛嫌いしていた。
「ルーテシアは何か聞いていないか?」
紫色の髪をした寡黙な少女ルーテシアは、無言で首を横に振る。
「ちっ。あたしらを無視するなんて、偉くなったもんだぜ」
ルーテシアの頭上に乗った手の平サイズの少女、ユニゾンデバイスのアギトが、忌々しげに吐き捨てた。悪魔のような翼と尻尾を生やして、露出度の高い恰好をしている。
これまでのスカリエッティなら、大がかりな作戦の時は必ずゼストたちに協力を求めてきた。
こちらからスカリエッティに連絡を取ろうとしたが、作戦行動中だからかつながらない。
「俺たちは必要ないということか。まあいい。好都合だ」
「旦那、行くのか?」
「ああ」
ゼストはかつて一度に死に、スカリエッティの手によって蘇った人造魔導師だ。彼の目的は、かつての友レジアスに会い、己の死の真相を知ること。
レジアスは地上本部にいるはずだ。この好機を逃す手はない。
「ルーテシアはここで待っていろ」
「……私も手伝おうか?」
「いや、アギトもいるし大丈夫だ。行ってくる」
「おうよ。旦那は私が守ってやるよ」
歩き出そうとしたゼストのコートの裾を、咄嗟にルーテシアは握りしめていた。
「どうした?」
ルーテシアらしからぬ行動に、ゼストは軽く目を見張る。ルーテシアもそれは同じだったようで、自分の手を不思議そうに見つめ、裾を離した。
「……何でもない」
「そうか。では。大人しく待っているんだぞ」
ルーテシアを安心させようと、ゼストは武骨な顔に笑みを浮かべる。
出発するゼストの背を、ルーテシアは不安げに見送る。
ここで別れたら一生会えなくなる。そんな不吉な予感を、ルーテシアは必死に押し殺していた。
エリオたちからデバイスを受け取ったなのはたちは、別れて行動を開始した。
シグナムは本部内に侵入した敵の迎撃へ。はやては、判明している限りの戦闘機人の情報を現場に伝えている。
そして、なのははスターズ分隊の応援へと向かい、ナンバーズと戦う星矢たちと出会った。
なのはは戦闘態勢を維持したまま、ゆっくりと高度を下げ、星矢を地面に下ろす。
ナンバーズの動きを、なのはは目で捉えられなかった。先程のエクセリオンバスターは、星矢への執拗な攻撃を阻止できればと撃っただけで、敵の必殺技を相殺できたのは完全に偶然だ。
なのはは星矢と瞬を窺う。正体は知れないが、彼らは味方のようだ。協力してこの場を切り抜けるしかない。
「君たち、私が攻撃するまでの時間稼ぎ、お願いできる?」
「任せておけ。もうあんな無様な真似はさらさないぜ」
星矢が親指を立てた。どうやら協力関係成立のようだ。
なのはが魔力チャージを始めると同時に、チンクが動いた。
「ピラニアンローズ!」
「ローリングディフェンス!」
瞬の鎖が回転し黒バラを防ぐ。
ウェンディとノーヴェが星矢に迫る。
「はあぁあああああっ!」
星矢の両腕がペガサス星座十三の軌跡をなぞる。
「ペガサス流星拳!!」
毎秒百発以上の音速拳を繰り出す星矢の必殺技。しかし、星矢のコスモの高まりに応じて、その速度はライトニングプラズマに匹敵するものになっていた。
「くっ!」
流星拳を、ウェンディとノーヴェが両腕を交差させてブロックする。
「二人とも、どいて!」
なのはが叫び、杖型デバイス、レイジングハートを構えた。星矢と瞬がその場から飛び退く。
「スターライトブレイカー!!」
なのはの切り札、集束砲撃が大地を焼き尽くす。
「すげぇな」
すぐそばを通過する桜色の光の奔流に、星矢は舌を巻いた。あまりの火力に大気まで震えていた。
やがて光の奔流が過ぎ去ると、射線からわずか外側で、黄金の鎧が白煙を上げているのが見えた。
「てめえら、もう容赦しねぇぞ」
ノーヴェがよろめきながら立ち上り、怒りを露わにする。
「直撃は、しなかったみたいだね」
なのはが悔しげに言った。それなりのダメージを与えたが、戦闘不能には程遠い。
なのはたちは第二ラウンドに備えた。
その頃、ライトニング分隊隊長フェイトは、エリオとキャロをつれて機動六課へと急行していた。フェイトの金色の髪と白いマントが夜風にはためく。
数分前に、機動六課が敵に襲撃されているという連絡があった。それ以来、六課との通信が途絶している。
(ヴィヴィオ、みんな、お願い、無事でいて)
先日、後見人になったばかりの赤と緑の瞳の少女と、隊のみんなの無事をフェイトは祈る。
「すいません。私たちが隔壁の突破に手間取ったばかりに」
白銀の飛竜フリードリヒに跨るキャロが、申し訳なさそうに言った。キャロの後ろに座るエリオも同じ顔をしていた。
「二人のせいじゃないよ。とにかく急ごう」
フェイトはさらにスピードを上げ、海上を飛ぶ。
「止まって!」
フェイトが叫び、急停止する。目の前を魔力弾が通過して行った。
弾の来た方向に目をやると、二人の女が空に浮いていた。
「あなたを先に通すわけにはいきません」
牡牛座(タウラス)の聖衣を身につけた大柄な女性、ナンバーズ、トーレと、全身に武器を装備し、両腕に盾をつけた天秤座(ライブラ)聖衣のセッテが、フェイトたちの行く手を阻む。
フェイトはナンバーズたちに敵意を向ける。
黄金の闘士たちの強さは、ヴィータから聞き及んでいる。もっとも、フェイトたちは、その後ヴィータが撃墜された事実を知らないが。
「エリオとキャロは先に行って。こいつらは私が引き受ける」
「でも」
キャロが食い下がろうとするが、エリオが肩をつかんで制止する。
「僕たちがいても、フェイトさんの邪魔にしかならない」
エリオの空戦能力は限定的であり、キャロのフリードも巨体ゆえに小回りが利かない。高速機動を得意とするフェイトと連携を取ることは難しい。
「……わかりました」
キャロが手綱を操り飛竜フリードを前進させる。
エリオとキャロが離脱していくのを、トーレたちは黙って見送る。目標はフェイト一人らしい。
「セッテ、初陣のお前には悪いが、ここは譲ってくれ」
「わかりました」
トーレが腕組みをしたままフェイトと正面から向かい合う。その兜から生える黄金の牛の角は片側が半ばから折れていた。
(様子見をしている余裕はない!)
フェイトの能力限定はすでに解除されている。リミットブレイク、真・ソニックフォームを発動させる。バリアジャケットがレオタード状のものに、デバイスのバルディッシュが二振りの剣に変化する。
速度と攻撃力が格段に上昇するが、防御力が極端に落ちる諸刃の剣だ。
フェイトは電光石火で間合いを詰め、大上段からバルディッシュを振りかぶる。その時、トーレがにやりと笑った。
「グレートホーン!」
トーレが腕組みから、居合いのように両腕を突き出す。同時に、フェイトのバルディッシュが閃光を発した。
野牛の突進の如き衝撃波が、フェイトを海面に叩きつける。トーレの腕組みは自信の表れではなく、攻防一体の構えなのだ。
目くらましのせいで、グレートホーンの狙いがわずかにずれたようだが、真・ソニックフォームの防御力では、かすめただけでも撃墜は免れない。
「無駄なあがきを」
トーレが閃光でくらんだ目を何度か瞬きさせると、すぐに視力は回復した。
フェイトが沈んだ海面は、しばらく波打っていたが、やがて静かになる。
トーレとセッテは、それきりフェイトに興味を失ったように、その場から飛び去っていった。
「フェイトさん?」
フリードに座ったまま、エリオは不安げに背後を振り返る。だが、フェイトの姿は闇にまぎれてもう見えない。嫌な予感が胸中にわだかまるが、今は六課へ急ぐことにする。
前方の空が赤く染まっている。六課隊舎が炎に包まれているのだ。
立ち昇る黒煙の中で悠然とたたずむのは、牡羊座(アリエス)の聖衣をまとった中性的な顔立ちのナンバーズ、オットーと、山羊座(カプリコーン)の聖衣をまとったディードだった。
オットーたちの足元には、蒼い狼ザフィーラと緑の衣を着たシャマルが倒れている。
ディードは一人の少女を脇に抱え連れ去ろうとしていた。なのはとフェイトをママと慕う少女、ヴィヴィオだ。
それを見た途端、エリオの顔から血の気が引いていく。
エリオは死んだ息子の代わりに違法に生み出されたクローンだった。保護の名目の元、親元から無理やり引き離された過去と、今のヴィヴィオの姿が重なる。
「うわぁあああああああーっ!」
エリオの槍型デバイス、ストラーダがフォルムツヴァイに変化する。魔力をロケットのように噴射し、エリオはディードめがけて一直線に突撃する。
ディードはエリオの突撃を軽くいなすと、無防備な首筋に肘を打ち下ろす。一撃で意識を刈り取られ、エリオが突進の勢いのまま地面を派手に転がる。
ディードはキャロに視線を投げると、ヴィヴィオを炎の届かない安全な場所に寝かせた。
「エリオ君!」
フリードがブラストレイを放つ。フリードの炎は、オットーの眼前で透明な壁に遮られる。
「クリスタルウォール」
透明な壁が、ブラストレイをそのままフリードに撃ち返してくる。アリエスの技、クリスタルウォールはあらゆる攻撃を反射する。
ブラストレイの炎が、キャロとフリードの視界を塞ぐ。その隙に、ディードがフリードの懐に飛び込んだ。
「エクスカリバー」
ディードの手刀が、フリードの胸を深く切り裂く。
血しぶきを舞わせながら、フリードが大地に墜落する。投げ出されたキャロは、痛みを堪えながら顔を上げた。
「抵抗をやめてください。我々の目的は施設の破壊と、聖王の器の確保のみ。無駄な流血は望むところではありません」
淡々とディードが言った。
聖王の器がヴィヴィオを指していることは、疑いようがない。
「……させない」
キャロの足元に巨大な魔法陣が出現する。
「ヴォルテール!」
魔法陣から、天まで届くような大きさの黒竜が召喚される。
「これは……!」
意表を突かれたオットーとディードが、ヴォルテールの巨大な尾でなぎ払われ、建物の外壁に叩きつけられる。
「くっ!」
ヴォルテールが咆哮し、ギオ・エルガを放つ。
オットーがクリスタルウォールを展開する。だが、ヴォルテールの業火を反射しきれず、表面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。砕けるのは時間の問題だ。オットーの顔に焦りがにじむ。
「廬山百龍覇!」
百の龍の牙が、真横からヴォルテールを襲い、片膝をつかせた。
「お前たち、無事か?」
トーレと技を放ったセッテが、オットーたちの隣に降り立つ。オットーがこくりと頷く。
キャロがショックを受けたように口元を両手で覆った。
「そんな……じゃあ、フェイトさんは?」
信じたくはないが、ここにトーレたちが来たということは、フェイトが倒されたということだ。戦えるのは、もうキャロしか残されていない。
(ううん。フェイトさんはきっと生きてる! ヴィヴィオとエリオ君は私が守らないと!)
弱気になる己を必死に奮い立たせる。キャロの戦意に反応し、ヴォルテールが巨大な足で、トーレたちを踏みつぶそうとする。
「さすがにこのでかぶつは厄介だな」
トーレがヴォルテールを苦々しく見上げる。
「これを使ってみましょう」
セッテのライブラ聖衣から、武器が射出される。
トーレガスピアを、ディードがソードを、オットーがトンファーを、セッテがトリプルロッドを装備する。
「「はぁああああああーっ!」」
星をも砕くと称される黄金の武器が、一斉にヴォルテールに炸裂する。
「ヴォルテール!」
悲痛な咆哮と共に、満身創痍となった巨体が轟音を立てて大地に沈む。
「戻って!」
これ以上の戦闘は命に関わる。キャロが慌ててヴォルテールを送還する。
「竜を失った竜召喚士とは哀れですね」
キャロの戦意がまだ潰えていないことを感じ取ったのだろう。ディードが手刀を構えていた。
フリードにあれほどの深手を負わせた一撃だ。キャロに防ぐ術はない。
「エクスカリバー」
聖剣の名を冠した手刀が、無情にも振り下ろされた。
ビルの屋上に、二人の女が待機していた。ここからだと地上本部がはるかかなたに霞んで見える。
蟹座(キャンサー)の聖衣をまとい、大きな丸眼鏡をかけたナンバーズ、クアットロ。
兜の両脇に善と悪の仮面を張りつけた双子座(ジェミニ)の聖衣と、巨大な大砲イノーメスカノンを装備したディエチ。
『準備できたよ』
「了解」
内部に潜入しているセインから連絡が来る。
地上本部は、中央の超高層タワーと、その周囲のやや低い数本のタワーによって構成され、そのすべてが強固な魔力障壁によって守られている。
ディエチはイノーメスカノンの照準を、低いタワーの一つに合わせる。そのタワーだけは内部の隔壁が下りておらず、中にいた者は残らず退避していた。
「IS発動へヴィバレル」
ディエチのISとコスモが融合し、砲弾を形成する。星々を砕くと称される力が、イノーメスカノンの中で脈動する。
「ギャラクシアンエクスプロージョン」
発射された砲弾が、目標のタワーをバリアごと粉々に砕く。崩れ落ちるタワーの残骸と舞い上がる土煙が、ここからでもはっきりと観測できた。
「着弾を確認。これで任務完了だよね?」
「ええ、そうよ。まったく暇でいけませんわ」
クアットロが、あくびしながらコンソールをいじる。一応、本部のシステムにクラッキングをかけているが、そんなものが必要ないくらいナンバーズは圧倒的だった。
「それより、クアットロ。移動しなくていいの?」
ディエチたちの居場所は、今の一撃で知られたはずだ。このままでは敵がやってきてしまう。
「いいのよ。少しは私も楽しませてもらわないと」
折しも、雲間から十名ほどの魔術師が接近してくるのが見えた。本部の救援に向かっていた連中が、こちらに気がつき進路を変えたのだろう。
クアットロが獲物を前にした毒蛇のように笑い、魔導師たちに人差し指を突きつけた。
危険を察知した魔導師たちがバリアを展開する。
「積尸気冥界波」
歌うようなクアットロの声がしたかと思うと、突然魔導師たちがもがき苦しみ出した。白い靄の様なものが、魔導師たちから飛び出し、暗い空間へと吸い込まれていく。
相手の魂を直接冥界へと送り込むキャンサーの必殺技だ。この技の前では、バリアは意味をなさない。
「ちょっと、クアットロ!」
ディエチがクアットロの腕を押さえる。
「ドクターの命令では、できる限り人命を奪うなって……」
クアットロに冷たい眼差しを向けられ、ディエチの言葉は徐々に尻すぼみになっていく。
「わかってないのね、ディエチちゃん。ドクターの命令は、価値がある命を奪うなってこと。あんな虫けら、生きてたって何の価値もないでしょう?」
きりもみしながら墜落していく魔導師たちの死体が、最高の娯楽だと言わんばかりにクアットロは笑っていた。虫の命の価値など、せいぜい死に様で楽しむくらいしかない。
「……クアットロ?」
狂ったように高笑いを続ける姉を、ディエチは怯えたように見つめていた。
ディードの手刀が振り下ろされた瞬間、キャロは覚悟を決めて目を瞑った。
しかし、痛みはいつまでたってもやってこない。
「その程度か」
聞き慣れない声に顔を上げると、長い黒髪が風になびいていた。
キャロを助けてくれたのは、龍の意匠が施された濃緑の鎧をまとった少年だった、隣には冷気に覆われた白鳥の鎧をまとった金髪の少年がいる。
ドラゴン紫龍とキグナス氷河。星矢の仲間の青銅聖闘士たちだ。
紫龍の左腕の盾が、ディードの手刀を防いでいた。
「その程度で聖剣を騙るとは笑止千万!」
紫龍が怒気と共にディードを弾き飛ばす。
「ほう、聖闘士が紛れ込んだか」
トーレが言った。
「だが、たった二名で勝ち目があるかな?」
「それはどうかな」
海側から人影が歩いてくる。
「フェイトさん!」
キャロの顔が喜びに輝く。炎に照らし出されたその姿は、まさしくフェイトだった。
「私はまだ墜ちていない」
トーレが驚愕に目を見開く。グレートホーンは確実に命中したはずだ。あの装甲で無事なはずがない。
グレートホーンが炸裂する直前、フェイトの第六感が警告を発した。トーレの態度が、まるで敵が罠にかかるのを待っているかのようだったからだ。
咄嗟にバルディッシュが閃光による目くらましを行い、その隙に真・ソニックフォームを解除、バリアを展開しどうにか撃墜を免れた。
フェイトとキャロが紫龍たちと並び、戦闘態勢を取る。
「数では互角。これで勝負の行方はわからなくなったな」
フェイトははったりをかます。
撃墜されなかっただけで、グレートホーンによるダメージは深刻だ。バルディッシュを構えていることさえ辛い。痙攣しそうになる両腕を意志の力で抑えつけ、相手が退いてくれるか、増援が来るまでの時間を稼ぐ。
『そこまでです』
落ち着いた声音と共に、映像が空中に投影される。映し出されたのは、乙女座(バルゴ)の聖衣を着たナンバーズ長姉たるウーノ。
『各自、撤退を開始してください』
フェイトの祈りが通じたのか、ウーノの指示に従い、トーレたちが撤退していく。
紫龍たちが追いかけようと一歩踏み出すが、思いとどまる。深追いは危険の上、飛行する相手の追跡は難しいと言わざるを得ない。
「フェイトさん、大丈夫ですか?」
「平気だよ、キャロ」
キャロの気遣いに、フェイトが虚勢を張る。
「それより、みんなを助けないと……」
炎が六課隊舎を飲み込もうとしている。だが、突入できる体力はフェイトには残っていない。
「俺に任せろ」
氷河が白鳥の羽ばたきを思わせる構えを取った。氷の結晶が氷河の周囲を漂う。
「ダイヤモンドダスト!」
氷河が拳から凍気を放つ。氷河が連続でダイヤモンドダストを放つと、火災が瞬く間に収まっていく。
「行くぞ、紫龍」
「ああ」
鎮火した建物の入り口は、がれきによって塞がれていた。
「廬山昇龍覇!」
廬山の大瀑布をも逆流させる紫龍の右アッパーががれきを粉砕する。
氷河と紫龍が建物内へと入っていく。二人の精力的な人命救助により、機動六課の死者数は奇跡的にゼロになった。
ナンバーズが撤退し地上本部の隔壁が解放されると、レジアス・ゲイズ中将は直ちに自屋に戻った。
窓の外では、大画面に表示されたスカリエッティが、犯行声明を行っていた。
不遇な技術者たちの恨みの一撃だの、自らが生み出した戦闘機人の自慢などを滔々と語るスカリエッティを、レジアスは忌々しげに睨みつける。
「ええい、何故、連絡が取れん!」
通信機をいじりながら、大声で怒鳴る。
「すでに回線を変えられているようです」
部下の女性が言った。オーリスや他の部下たちは被害の確認に奔走している。現在付き従っているのは、地味な容貌のこの女一人だけだ。
スカリエッティとレジアスは裏でつながっている。しかし、それはあくまで地上の平和を守るために、レジアスがスカリエッティを利用しているだけで、その逆など決してあってはならない。
レジアスはビヤ樽の様な体を揺すりながらイライラと歩き回り、部屋の隅に置いてあった大きな四角い布の包みに、足を引っ掛けた。
「なんだ、これは!?」
「新しく届いた機材です。お邪魔でしたら、すぐに片付けますが?」
「そんな些事は後にしろ! それより……」
「久しぶりだな、レジアス」
扉を開けて、ゼストが入ってくる。
レジアスは、かつての友が蘇ったことを知らない。あれだけ猛り狂っていた心がすっと冷え、文字通り幽霊を見たかのように顔を青ざめさせる。
「ゼスト、何故、お前が?」
「お前に聞きたいことがあって来た」
ゼストは大股でレジアスに近づいていく。アギトには邪魔が入らないよう廊下で見張ってもらっている。
ゼストは壁際に立つ部下の女を一瞥した。できれば一対一が良かったが、さすがにそこまで望むのは贅沢なようだ。見たところ、戦闘能力は低そうなので、害はないだろう。
レジアスは恐怖に震えながら後退する。
「お前は……」
ゼストが問いを口にしようとした瞬間、レジアスの胸を突き破り、鋭い刃物が飛び出した。
「レジアス!」
部下の地味な容貌が一変していた。
蠱惑的な顔立ちに、右手には鋼の長爪ピアッシングネイルを装備し、青いボディスーツに身を包んでいる。
ナンバーズ、ドゥーエ。ISライアーズ・マスクによって、他者になりますことができる。
「あなたの存在は、今後のドクターに取ってお邪魔ですので」
ドゥーエが微笑み、ピアッシングネイルをさらに深く抉りこむ。鮮血がレジアスの制服を赤く染め上げる。
レジアスは言葉を紡ごうと、口を開く。しかし、一音も発することもなく事切れた。
「貴様!」
ゼストはフルドライブを発動し、渾身の力で槍を斬り下ろす。槍と斬り結んだピアッシングネイルが金属音を響かせて砕け散る。だが、ドゥーエは余裕の表情を崩さない。
「刃向うのですか? どうやら、苦痛の果ての死がお望みのようですね」
ドゥーエは部屋の隅に置かれていた荷物の布をはぎ取る、精緻な文様が施された四角い箱が開き、中から黄金のサソリのオブジェが姿を現す。
オブジェが分解しドゥーエに鎧となって装着される。蠍座(スコーピオン)の黄金聖衣だ。
ドゥーエは砕けたピアッシングネイルを脱ぎ捨てる。露出した右人差し指の爪が、長く鋭く伸びていた。色は血を染み込ませたような紅。
「スカーレットニードル!」
サソリの毒針が、真紅の衝撃となってゼストを貫いた。
レジアスの部屋に入ったアギトとシグナムは、あまりの惨状に言葉を失った。部屋が一面血の海と化している。
「スカーレットニードル・アンタレス」
ドゥーエは静かに呟き、ゼストの心臓から真紅の爪を引き抜いた。聖衣も顔も返り血で真っ赤に染まっている。
ゼストの体には十五個の穴が開き、致死量をはるかに超える血が溢れだしていた。部屋の血はほとんどゼストのものだ。
「旦那!」
ゼストの元へ行こうとするアギトを、シグナムが制止した。迂闊に近づけば、アギトの命も即座に摘み取られる。
「賢明ですね。それでは、失礼します」
「……待てよ」
奇妙に感情の抜け落ちたアギトの声に、ドゥーエは足を止めた。
「一つだけ教えろ。旦那は、旦那はそこの親父と話し合えたのか?」
「いいえ。その前に殺してしまいました」
「そっか」
アギトは顔を上げ、憎悪に燃える瞳でドゥーエを睨みつけた。
「なら、お前は私が殺す。どんな手を使ってもだ!」
ドゥーエはアギトを一瞥すると、窓ガラスを破り外へと身を躍らせる。とてもではないが、シグナムが追跡できる速度ではない。
「間に合わなかったか」
ゼストとレジアスの死体を見て、シグナムが悔しげに顔を歪める。
ささやかな願いを踏みにじられ、どれだけ無念だったのだろう。ゼストの死に顔は、怒りと絶望と後悔が複雑に混ざり合い、とても安からと言えるようなものではない。
室内はむせかるような血臭と、アギトの嘆きの声に満たされていた。
最終更新:2012年12月29日 23:31