森の訓練場で、星矢と紫龍が組み手を行っていた。氷河と瞬、六課メンバーたちはそれを遠巻きに眺めている。
隊長たちによる話し合いの結果、聖闘士の修行は安全上の問題から、やらないことが決定した。
聖闘士の修行は、個人の肉体強化と近接格闘戦に特化している。一方、これまでなのはがフォワード部隊に課した訓練は、魔法、体術、戦術、個人戦に集団戦、など多岐に渡る。
万能型が一芸特化型に、その分野で勝てるわけがなかったのだ。
とりあえず、お互いのことをよく知ろうという結論になり、最初に星矢と紫龍が組み手を披露してくれることになった。
「紫龍、お前とやり合うのはギャラクシアンウォーズ以来だな。今度も勝たせてもらうぜ!」
「ふっ。それはどうかな」
軽口をたたきながらも、二人の拳と蹴りが激しく入り乱れる。
「これ、後でスローモーションで見た方がいいね」
「そうだな。細かいところが、ちょくちょく見えねぇしな」
なのはとヴィータが観戦しながら、冷静に意見交換をする。ただ、星矢も紫龍もまったく本気ではない。速度もせいぜいマッハ二か、三くらい。試合でもないので、このくらいが安全に戦えるぎりぎりなのだろう。
「やや紫龍さんの方が劣勢でしょうか?」
「そうでもないよ」
エリオの意見を、フェイトがやんわりと否定する。
スピードを活かして攻める星矢を、紫龍は冷静にドラゴンの盾で防ぎ、反撃している。手数では星矢に劣っていても、その分、紫龍の一撃は正確で重い。
だが、怪我をしないよう言い含めてあるので、全身全霊の力を込める紫龍の廬山昇龍覇は事実上封印されている。奥義が使えず、紫龍は少しやりづらそうだ。
「ペガサス流星拳!」
一方の星矢は、紫龍が盾で防いでくれるので、思う存分必殺技を使っていた。
戦いは徐々に熱を帯びて行き、二人が加速していく。
やがて、紫龍の拳の下をくぐり抜け、星矢が背後に回り込んだ。
「しまった!」
「これで決まりだ。ペガサスローリングクラッシュ!」
星矢が紫龍を羽交い絞めにして、回転しながら跳び上がる。そして、そのまま頭を下に落下……
「スト―――――――ップ!!」
なのはが展開したホールディングネットが、落下途中の星矢と紫龍を受け止めた。
「なんだよ。邪魔しないでくれよ、なのはさん」
組み手に水を指されて星矢は不機嫌そうだが、なのははそれどころではない。
「星矢君、今の技、何!?」
「俺の必殺技だけど?」
「どうして、あんな危ない技使うの!」
「別に心配いらないよ。これまで何回も使ってきたんだし」
「もっと安全な技を考えなさい!」
なのはの剣幕に、星矢は首をすくめる。
ペガサスローリングクラッシュは、相手の頭を地面に叩きつける荒技だ。しかし、その際に、離脱が少しでも遅れれば、技をかけた本人の頭も一緒に砕く危険がある。少なくとも模擬戦で使う技ではない。
元々相打ち覚悟で使った技なのだが、そんな技を平然と使う星矢が、なのはには信じられなかった。
「あんな風に怒るなのはさん、珍しいね」
「まあ、なのは隊長の教育方針と真逆の戦い方だからね。あんな無茶な技、いきなり見せられたら、取り乱すのも無理ないんじゃない?」
スバルとティアナが、怒っているなのはからなるべく距離を取りながら言った。
一足先にティアナは映像データを分析してみたが、聖闘士の戦い方は、とにかく危なかった。
背後に回り込む時に、紫龍の拳が星矢の頭上すれすれを通過している。もし、星矢がかがむのが少しでも遅れていれば、紫龍の拳はカウンターで星矢の顔面を直撃していただろう。どうやっても怪我は免れない。
修行方法も含めて、聖闘士に安全という概念はなさそうだ。あるいは、これまで格上の相手と戦い過ぎて、捨て身の戦法が癖になっているのか。
そんな戦いを繰り返して、よく無事でいられるものだと、ティアナは妙な関心をしてしまう。
「でも、星矢君もよく大人しく聞いてるね」
星矢は、なのはの部下ではない。負けん気の強そうな外見からして、口論になるのではないかと心配していたのだが。
「ああ、それはね」
スバルの声が耳に入ったのか、瞬が答えてくれた。こうして間近で見ても、瞬の顔立ちは綺麗な女の子のようだった。本物の女として、スバルは若干劣等感を感じた。
「星矢の師匠は、魔鈴さんって言う女の聖闘士だったんだ。多分、年上の女の人に怒られると、修行時代を思い出しちゃうんじゃないかな」
「聖闘士って、女の人でもなれるんですか?」
「本来男がなる者だから、数は少ないけどね」
瞬の修行仲間にも、カメレオン星座のジュネと言う女聖闘士がいる。ただし、女性が聖闘士になる場合、女であることを捨てて常に仮面をかぶる必要がある。
「でも、こっちは強い女の人が多いんだね。ビックリしたよ」
瞬に言われて、スバルとティアナは微妙な顔をした。ミッドチルダでは、優秀な魔導師に、年齢も性別も関係ない。当たり前のことに感想を持たれても、どう反応していいかわからなかった。
なのはの説教が一段落したのを見計らない、ヴィータがハンマー型デバイス、グラーフアイゼンを肩に担いで立ち上がった。
「どれ、そろそろ行くか。おい、氷河か瞬、どっちか相手をしてくれ」
「ヴィータ副隊長がやるんですか? それなら私が行きます」
スバルが名乗り出た。
「そうか。じゃあ相手は……瞬、頼めるか?」
氷河は我関せずといった様子だったので、ヴィータは瞬に頼んだ。
「わかりました、ヴィータさん」
瞬はわずかにためらう素振りを見せたが、大人しく従う。
どうも星矢のせいで、ヴィータは聖闘士たちに最年長だと誤解されたようだ。若い隊長を、経験豊富な副官が補佐していると言ったところか。子供扱いされるのも腹立たしいが、これはこれで面白くない。
バリアジャケットを装着したスバルが、開けた場所で瞬と向かい合う。
聖闘士たちに魔導師の実力を知ってもらう為にも、スバルの責任は重大だった。
一方の瞬は生来戦いを嫌う。模擬戦とはいえ戦うことに、ためらいを覚えているようだった。
「瞬君、思いっきり行くよ!」
ちゃんと戦ってくれなければ、訓練にならない。瞬を奮起させようと、スバルは闘志を漲らせる。
なのはが開始の合図をしようと左手を上げた時だった。風を切り、何かがスバルの頬を掠めていった。
「えっ?」
反射的に首を傾けていなかったら、眉間を直撃していた。瞬の腕は動いていないのに、右手のネビュラチェーン――攻撃を司るスクエアチェーン――が勝手に動きだし、スバルを狙ったのだ。
「……瞬君?」
スバルの喉から固い声が出る。
「スト―――――――ップ!」
なのはが叫び、フープバインドが瞬を拘束する。
「駄目だ、なのはさん!」
瞬の警告と同時に、スクエアチェーンがなのはに矛先を向ける。
「危ない、なのは!」
フェイトがバルディッシュで、鎖を弾く。
「てめえ、どういうつもりだ!」
瞬を取り押さえようと、ヴィータがアイゼンを構えて走る。ティアナたちも不測の事態に、一斉にデバイスを起動する。
「僕に近づかないで!」
防御を司るサークルチェーンが瞬の足元に螺旋を描いて展開する。ヴィータが範囲内に踏み込むなり、鎖が波打ちアイゼンと火花を散らして激突する。
「ちょっと待った!」
星矢と紫龍が、ヴィータの前に立ち塞がる。氷河も、なのはとフェイトを止めていた。
「頼むから、敵意を収めてくれ」
星矢に懇願され、ヴィータたちは半信半疑ながら言われたとおりにする。それだけでネビュラチェーンは地面にパタリと落ち、瞬の腕へと戻っていく。
「ごめんなさい。僕のネビュラチェーンは、敵意に反応して自動で迎撃するんだ」
アンドロメダの防御本能は聖衣で一番と言われている。
「でも、驚いたな。ネビュラチェーンが、ここまで過剰な反応を示すなんて……」
魔法には非殺傷設定があり、スバルたちは常に実戦さながらの真剣さで模擬戦を行っている。瞬の予想を上回るスバルの闘志を、ネビュラチェーンは本物の敵と、しかも相当な脅威と認識したようだ。
「なのは、瞬の野郎は模擬戦に参加させないようにしよう」
ヴィータが努めて冷静に言った。
「そうだね」
なのはは疲れ切った顔で首肯する。
「こんなんで、聖闘士と連携なんてできるのかな」
たった二回模擬戦をやっただけなのに、なのはの心労は頂点に達しようとしていた。
聖闘士と六課フォワード陣が合同で訓練している頃、はやては一人車を飛ばして、地空管理局地上本部に向かっていた。
はやてとて、一日や二日でコスモを会得できるなど考えていない。ただ聖闘士たちを引き止めるのと、聖闘士について知ることができればと提案しただけだ。
その結果、訓練場でどんなことが起きたか、はやては知らない。
『主はやて』
シグナムから通信が入った。
『今、アギトの取り調べを行っていたのですが、取引を持ちかけられまして』
アギトは重要参考人として、時空管理局に拘留されている。スカリエッティのアジトを知る最大の手がかりだ。
「どんな?」
『情報が欲しければ、スカリエッティ逮捕に自分も協力させろと言うのです』
はやては人差し指を唇に当てて考え込む。
アギトの狙いは、ゼストを殺した犯人に対する復讐だろう。
時空管理局では、どんな犯罪者だろうと法の裁きに委ねる。抵抗が激しい場合などは仕方ないが、さすがに私刑を認めるわけにもいかない。
「しばらく保留にしといて。どうせ今のままじゃ対抗策もあらへんし」
『わかりました』
シグナムからの通信が切れる。
スカリエッティのアジトの場所が判明しても、今のままでは攻め込めない。敵が次の行動を起こす前に、こちらの準備が間に合えばいいのだが。
地上本部に到着する。そこは惨澹たる有様だった。システムの復旧も、がれきの撤去もまだ終わっていない。崩れ落ちた塔が、時空管理局の敗北を印象付けていた。
潜入していたドゥーエによって、レジアスも最高評議会の三名も殺されてしまった。現在、伝説の三提督の元で組織の立て直しが計られているが、まだまだ混乱している。
指定された部屋へと向かいながら、はやてはまるで胃に鉛を流し込まれたような気分になった。どう転んでも、愉快な話にはならないだろう。せめて徹底的に最悪な予想をして、その時に備える。
覚悟を決めて部屋に入ると、中では意外な人物が待っていた。
「やあ、はやて」
明るい緑の長髪に、白いスーツを着こなした伊達男がソファに座っている。
「アコース査察官?」
「ロッサでいいよ。他に誰もいないしね」
ヴェロッサ・アコース。聖王教会の騎士カリムの義弟で、やり手の査察官だ。はやてとの付き合いは長く、妹の様に思ってくれている。
テーブルの上には、ロッサの手作りケーキと紅茶の入ったポットが置かれていた。はやてが向かいのソファに腰掛けると、アコースは紅茶とケーキを差し出す。
「そう言えば、今朝方スカリエッティから連絡が来たよ。ナンバーズ改め、ゾディアック・ナンバーズだそうだ」
「相変わらず自己顕示欲の強い男やな」
新しい名前をわざわざ教えてくるスカリエッティに、はやてはうんざりとした表情を浮かべた。
はやては生クリームがたっぷり乗ったケーキを一口食べた。甘い風味が口の中に広がり、嫌な気分を少しだけ和らげてくれる。
しばらくカチャカチャと食器を鳴らす音だけが狭い室内に響く。はやてがケーキを食べ終わると、アコースが口を開いた。
別におやつを食べに来たわけではないので、本題はこれからだ。
「さてと……多分、君のことだから予想はしてるだろうけど……」
いつもは愛想のいいアコースの歯切れが悪い。はやてがケーキが食べ終わるまで待ってくれたのも、気遣いだけではなく、切りだしづらい内容だからだろう。
「機動六課は、本日付でスカリエッティ及び、ゾディアック・ナンバーズの捕縛任務を担当してもらうことになった。僕はアドバイザーとして、君の補佐に就く」
アコースは一旦間を置いて、深刻な様子で言葉を続けた。
「この任務が与えられたのは、機動六課だけだ。ガジェットならいいが、ナンバーズ逮捕に他の部隊の協力は得られない」
「そっか」
濃い目に入れられた紅茶で喉を潤し、はやてはあっさりと言った。
「アースラの方はどないなった?」
はやては新しい六課本部として、廃艦寸前のアースラを使用したいと申請していた。
「過酷な任務の代わりと言ってはなんだが、六課にはかなりの権限が与えられた。申請すれば、大抵の設備、機材は優先的に使わせてもらえる。その気になれば、新型艦でも徴用できるけど?」
「艦隊戦をやるわけじゃなし、アースラでええよ」
はやては遠慮しているわけではない。廃艦寸前のアースラならすぐに乗り込めるが、他の艦では手続きに時間がかかる。
はやては退院したロングアーチスタッフにメールを送り、アースラの機動準備をするよう連絡する。
「後、それからこれを」
「これは……」
ロッサが転送してきたデータを見て、はやては目を丸くした。
「三提督からのプレゼントだ。君も噂くらいは知ってるだろう。魔法文明の黎明期、数多の魔導師を再起不能に追い込んだ禁じられた魔法だ。特別に使用が許可されたよ」
正直、これでもまだゾディアック・ナンバーズには届かないし、使用には大きすぎるリスクを伴う。だが、攻略の足がかりにはなるだろう。
「この決定は、一足先に六課後見人たちに伝えられた。聖王教会はこれに異議を唱え、正式に抗議文を作成中。本日夕刻までには時空管理局に届けられるはずだ」
他の六課後見人たち――フェイトの義理の家族であるリンディとクロノ――も上申書を作成中。クロノに至っては、部隊を引きつれて六課に合流するとまで言っている。
「いやー。愛されとるな。私ら」
「茶化さないでほしいな。僕らは真剣なんだ」
普段は飄々としているロッサだが、さすがに余裕がないようだ。おそらく、後見人たちに先に決定内容を伝えたのも、ロッサの独断だろう。与えられた命令をどうにかして覆そうと、手を尽くしてくれている。
「はやては怒ってないのか? こんな理不尽な命令を与えられて」
当事者であるはやてが任務をあっさり受けいれていることに、ロッサはひっかかりを覚えていた。
「それはしゃあないな。私が上でも、それしか思いつかへん」
不満がないと言えば嘘になるが、ゾディアック・ナンバーズと交戦してどうにか撃墜を免れたのは、なのはとフェイトくらいだ。
ゾディアック・ナンバーズに数で対処しても、いたずらに犠牲者を増やすだけ。ならば、少数精鋭で挑むしかない。聖闘士たちが六課に預けられたのも、それを見越してのことだろう。
よしんば、六課と聖闘士たちが敗北したとしても、敵の数を少しでも減らし、得られた戦闘データから対抗策を構築できる。後は万全の態勢を整えた時空管理局の精鋭たちを送り込み制圧すればいい。
捨て駒にされる方はたまったものではないが、これが一番確実な作戦だ。はやてとしては、むしろこんな作戦の責任を取らされる伝説の三提督の方に同情してしまう。
ロッサはアドバイザーという形ではやての補佐に就くが、実際はナンバーズのデータを時空管理局に持ち帰るのが任務なのだろう。
「それより、よくロッサがアドバイザーに就くのを許可したな?」
こういう任務なら、普通、六課のメンバーに思いれのない人物をつける。
「この任務は命がけ……というより、命をどぶに捨てるようなものだからね。ちょっと強行に立候補すれば、誰も反対しなかったよ」
その時の様子を思い出したのか、ロッサがようやく苦笑を浮かべた。
おまけにロッサのレアスキル、無限の猟犬は複数の戦場の情報を収集するに適している。まさに渡りに船だったのだろう。
「大丈夫。私らは負けへんよ」
ロッサを励まそうと、はやては茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。
「勝ってしまっても問題なんだ」
はやての励ましは逆効果だったらしく、ロッサはますます深刻になってしまう。
「君たちの勝利の先には、限りなく黒に近い、灰色の未来しか待っていない」
ゾディアック・ナンバーズは時空管理局を転覆させかねない戦力だ。もし勝利してしまえば、六課はそれ以上の戦力を保持していることになる。
機動六課が通常の部隊だったら、まだ道があった。部隊を解散後、隊員を別々の部署に配置し、メンバー同士が互いの抑止力となるよう仕向ければいい。
だが、預言阻止の為に、反則ギリギリで集められた六課のメンバーは、ほとんどが縁故採用だ。隊長たち三名が無二の親友であることを知らない者はおらず、隊員間の信頼も厚い。もし、誰か一人でも時空管理局に叛意を持てば、全員が呼応すると考えてしまう。
そんな危険な因子を飼いならせる組織はない。軟禁状態で閉じ込められるか、死ぬまで危険な戦場に送り込まれ続けるだろう。
室内を沈黙が満たす。どちらもかける言葉が見つからなかった。
「…………はやて」
はやてが退出しようかと考えた時、沈黙を破りロッサが口を開いた。ここまで真剣なロッサは、はやても知らない。
「これは、査察官ではなく友人としての意見だ」
ロッサは深呼吸し、一息に言った。
「逃げよう」
「へっ?」
ロッサの言葉に、はやては面食らった。
「スカリエッティは狂った科学者だが、無差別に人を殺すような真似はしない」
地上本部襲撃の際の声明にも、命を愛しており、無駄な流血は望まない旨の発言があった。どこまで信用できるかわからないが、行動から一面の真実はあるだろう。
「もし、これで時空管理局が敗北するようなことがあっても、スカリエッティの天下になるだけだ。勝ち目のない戦で、無駄に命を散らす必要はない」
はやては冗談で返そうかと思ったが、雰囲気がそれを許さなかった。ため息をついて、こちらも真面目に返事をする。
「私らの故郷にこういう言葉がある。“一夜の無政府主義より、数百年に渡る圧政の方がまし”ってな」
社会を維持するうえで、それほど法と秩序は必要不可欠だ。
「まあ、スカリエッティが支配者として君臨してくれるなら、最悪よりはましやね」
しかし、きっとそうはならないだろう。スカリエッティは自己顕示欲の塊だが、その本質は科学者だ。あくまでも自分の研究にしか興味がない。
スカリエッティがもし時空管理局を打倒したら、力と権力を望む者に武器を提供し、得られた資金で望むままに研究を行うだろう。
「時空管理局は、次元世界に存在し続けないといけないんや」
数多ある次元世界の中には、時空管理局の後釜を狙う者たちが腐るほどいる。それら野心家たちを、時空管理局はこれまでどうにか抑えてきた。
もし時空管理局が敗北、もしくは致命的なダメージを受ければ、野心家たちは一斉に蜂起し、次元世界を股に賭けた大戦争が勃発するだろう。
おそらく天文学的な数の死者と、たくさんの世界が滅ぶ。その中には、はやての故郷も含まれるかもしれない。それだけは絶対に避けねばならない。
「大体逃げるって、そんな無責任なこと言ったら、カリムが泣くよ?」
「僕は元々不真面目な査察官だからね。友の命と、組織のどちらかを取れと言われれば、友人を取る。義姉さんもきっとそれを喜んでくれる」
ロッサははやてにそっと手を伸ばす。
「もし君たちが逃げるなら、僕が手を貸そう。僕の持てる力を全て駆使して、君たちを次元世界の彼方まで逃がしてみせる」
言葉に込められた思いは、あまりにも切実で真剣だった。
ロッサの指がはやての頬に届く瞬間、はやてはわずかに身を引いた。それだけで、ロッサの指ははやてに届かなくなる。
それが答えだった。
ロッサは残念そうに目を伏せ、口調をいつものものに戻した。
「離隊したい者がいたら、言ってくれ。隊長クラスは無理だと思うが、なるべく善処しよう」
「ありがとうな」
スターズやライトニングの新人たちが承諾するとは思えないのだが、選択肢だけは与えておきたかった。たとえ、ただの自己満足であったとしても。
はやてが退出するのを、ロッサはやるせない思いで見送った。
六課隊舎に帰りがてら、病院に寄る。
門のところで、白い包帯を腕や額に巻いたシャマルとザフィーラが待っていた。
「お待たせ」
助手席にシャマルが、後部座席にザフィーラが座る。
怪我が完治するまで静養していて欲しかったが、現状ではそうもいかない。本人たちの強い希望もあって、早速仕事に復帰してもらうことになった。
はやてはアクセルを踏み込み、車を発進させる。
「はやてちゃん、何かあった?」
シャマルが尋ねた。いつもと様子が違うことを、早々に見抜いたようだ。
任務の内容が堪えたのは確かだが、意外だったのはロッサの最後の言葉だった。込められた思いが友情だろうと、妹に向けられたものであろうと、あれだけ真剣に思われたら、心が揺れるというものだ。
これまでの人生の中で、はやてが異性から告白されたことは何度もある。中には、付き合ってもいいかなと思える異性もいた。
しかし、はやては贖罪の道を歩くと決めている。茨の道に、他人を巻き込むことはできない。
かつて一人ぼっちだったはやてに、守護騎士という家族ができた。なのはとフェイトというかけがえのない友もできた。機動六課という信頼できる仲間たちもできて、これ以上望むのは贅沢だと思ってしまうのだ。
はやてはどう答えようか逡巡し、
「なあ、シャマル、ザフィーラ。私のことは気にせんと、幸せになってええんよ?」
思わず本音が漏れてしまった。
贖罪の道を、守護騎士たちは共に歩いてくれる。だが、かつて何も知らなかったはやてを救おうと、守護騎士たちが罪を犯したのだ。夜天の書の主として、今度ははやてがその罪を背負ってもいいと考えていた。
以前から、守護騎士たちがもっと自分勝手だったらいいのにと思う時があった。はやてのことなんか気にせず、自分の幸せを追求して欲しい。それこそ、守護騎士たちが恋人でも作って幸せになる姿を見られるなら、それだけでははやての人生は報われる。
これまでずっとつらい思いをしてきた守護騎士たちに、それくらいの褒美はあっていいはずだ。
「はやてちゃん」
シャマルの声は、冬の妖精の吐息のように冷たかった。
(……久々にやってもうた)
本気で怒っているシャマルに、はやては怯える。
「私ね、幸せを分かち合うって、結構簡単にできると思うんだ」
てっきり、シャマルのお説教が始まるかと思いきや、淡々とそんなことを言いだした。
親しい人が幸せそうにしていれば、自然とこちらも幸せな気分になれるものだ。
「でもね、苦しみを分かち合い、共に乗り越えていくことは、本当の家族にしかできない」
一緒に不幸の泥沼に沈むのではなく、共にもがき、這い出すことができるなら、それはどんなに素敵なことだろうか。
はやては勘違いに気がついた。シャマルは本気で怒っているのではなく、本気で悲しんでいたのだ。
「私は、みんなを家族だと思ってる。だから、悩みがあるなら、相談に乗る。弱音でも愚痴でも、いくらでも言ってくれていい。でもね、その言葉だけは言わないで。家族の一人に罪を押し付けて、平気でいられるように、私たちが見える?」
はやてがバックミラーを覗くと、ザフィーラがシャマルに賛同するように、目を寂しげに細めていた。
こういう時に、ザフィーラが狼の姿をしているのは、反則だとはやては思った。これでは懐いているペットを、勝手な理由で捨てようとしている飼い主のようではないか。
「一緒に乗り越えて行こう、はやてちゃん」
シャマルの優しさに、はやては鼻の奥がツンとなるのを感じた。
「……ごめんな」
「……主、謝らないでください」
ザフィーラが言った。
「せやな。ここはありがとう、言うところやったな」
はやては、涙がこぼれないように。ほんの少しだけ上を向いた。
こんなに素晴らしい家族を与えてくれた神様に、心から感謝したいと思った。
最終更新:2013年02月26日 23:17