新たに機動六課本部となったアースラが、大空を飛行していた。
雲間を漂う優雅なその姿とは裏腹に、中では乗組員一同が慌ただしく動いていた。聖闘士たちがミッドチルダに来てから、四日目の正午、ついに敵が動き出したのだ。
アースラブリッジに一同が集結する。
「待ちくたびれたぜ」
聖衣を身につけた星矢が、両の拳を打ち鳴らす。さっきまでアースラで空の旅を満喫していたが、今は真剣そのものだ。
ついでに、昨日の内に六課を出ていかなくてよかったと胸を撫で下ろしていた。
「まったくタイミングがいいような、悪いような」
はやては、シグナムの隣に浮遊しているアギトを見た。こちらの命令を遵守することを条件に、アギトは一時的に釈放された。
これまでの捜査情報とアギトから得られた情報を総合し、ようやくスカリエッティのアジトの場所が判明した。午前中は、どのようにしてアジトに攻め込むかの計画立案に費やしていたが、無駄になってしまったようだ。
ブリッジ中央の大画面に投影された地図に、アジトの場所と敵の位置情報が光点で示される。
ゾディアック・ナンバーズ十名が、それぞれ時空管理局の施設へと襲撃をかけていた。今のところ、ウーノとドゥーエの姿は確認されていない。どうやらスカリエッティは時空管理局の地上の戦力を削ぎ落としてから、ヴィヴィオを奪いに来るつもりらしい。
襲撃された施設の局員たちは徹底的に抗戦を避け、市民の避難誘導に尽力していた。
「やっぱり、ばらけて来たな」
はやてが言った。被害を抑えるには、こちらも分散して対処するしかない。
魔法と機械とコスモの力を兼ね備えたゾディアック・ナンバーズは、総合性能ではこちらを上回る。堅実な戦力の集中ではなく、効率的な同時攻撃で来たのは、スカリエッティの絶対的な自信の表れだろう。
「八神部隊長。襲撃されている施設から、通信が入りました。おそらく敵からです」
はやてが頷くと、シャーリーが通信をつなぐ。
『やっほー、聞こえてる?』
大画面が切り替わり、セインの顔が映し出される。
『そこに氷河って聖闘士がいるよね?』
氷河が一歩前に出て、セインを画面越しに睨みつける。
『ねえ、アクエリアスの聖衣って、あんたの師匠の物なんでしょ? あれ? 師匠の師匠だっけ? ……まあ、どっちでもいいや。私と勝負しようよ。この聖衣を賭けてさ』
「望むところだ」
「じゃあ、待ってるよ」
セインからの通信が切れる。
名指しで挑戦してくるあたり、確実に罠だろう。だが、どんな罠が待ち受けていようと関係ない。氷河は自らの手でアクエリアスの黄金聖衣を取り戻すと決めていた。
氷河の心情は皆理解しているので、誰も止めようとはしない。
はやては一同を前に、声を張り上げた。
「作戦目標は、スカリエッティとゾディアック・ナンバーズの捕縛。それぞれの敵を倒した者からアジトへと向かって欲しい。最優先目標はジェイル・スカリエッティ」
六課フォワード陣が、一斉にバリアジャケットを装着する。魔導師たちには、一時間の戦闘時間制限がある。おそらく魔導師たちの生涯でも、もっとも長く過酷な一時間になるだろう。
これまで、できるだけの準備をし、対策を立ててきた。それは敵も同じだろう。どちらの力と知恵と覚悟が勝るか、試される時が来たのだ。
はやては傍らにいるロッサと副官のグリフィスを振り返る。
「それじゃあ、後のことはよろしくな」
「ああ、後のことは任せてくれ」
ロッサが“後のこと”の部分をことさら強調する。ロッサはもしもの場合には、ヴィヴィオを連れて逃げる役割を担っていた。
はやては六課隊長陣と共に、ハッチへと向かう。
「シャマルさん、お願いします」
氷河に頼まれ、シャマルがアースラの転送ポートを起動させる。ヘリでは敵に撃墜される恐れがある為、聖闘士とスバルたち四名は転送ポートで送り込む手はずになっていた。
「それじゃあ、作戦開始と行こうか」
はやての合図で、聖闘士たちが転送ポートの中へ、アースラのハッチから六課隊長たちが空へと出撃していく。それぞれの戦場へと向かって。
オットーは、放棄された基地を上空から無感動に眺めていた。
敵はほとんど戦わず、あっさり撤退した。無駄な戦闘を避けられるに越したことはないが、やや拍子抜けだ。
基地の周囲には草原が広がっており、遮られることのない風が、アリエスの聖衣をまとったオットーに吹きつけている。
「見つけたぜ、オットーとやら」
投げかけられた声に振り向くと、ペガサス星矢が転送用の魔法陣の中から現れる。
「まずはアリエスの黄金聖衣を返してもらうぜ!」
オットーは問答無用で左腕をかざした。
「スターダストレボリューション」
星屑の光が幾百、幾千もの弾丸となって、星矢に降り注ぐ。
「これがムウの技か!」
「そう言えば、この技を見せるのは初めてだったね」
驚く星矢に、オットーが淡々と告げる。
「だが、この程度なら。ペガサス流星拳!」
スターダストレボリューションを、流星拳が打ち落としていく。星屑の光は数こそ多いが、狙いは甘い。一度見た後なら、余裕で防げる……はずだった。
「がっ!」
星矢が草の上にうつ伏せに倒れる。スターダストレボリューションとは別に、背後から光線が襲いかかったのだ。
「今のは?」
「僕のISレイストームだ」
オットーの右手から、無数の誘導光線が撃たれたのだ。前回の六課襲撃時には、これが猛威を振るった。
「聖闘士に同じ技は通じないらしいね。でも、二つ同時に撃たれた技は避けられない」
オットーは左手にコスモを、右手にISの光を宿した。使用するエネルギーが違うから、こういう芸当ができる。
「この技からは誰も逃れられない。スターダスト・レイストーム」
星屑と光線が嵐となって、星矢に襲いかかった。
タウラスの聖衣をまとったトーレは、高層ビル群の間に無言で浮いていた。
オットーが戦闘開始したとの連絡を受けた。そろそろここにも敵が現れるだろう。
突如、雲を切り裂き、黄金の光が降ってくる。
トーレは頭上から落ちてくる刃を、両腕に持った魔力刃インパルスブレードで受け止める。刃がぶつかり合い激しく火花を散らす。
真・ソニックフォームのフェイトが二振りの剣、ライオットザンバーを構えていた。
「あなたを待っていました」
運命の巡り合わせに、トーレは感謝した。
「ここであなたを倒すことで、前回の雪辱を果たさせてもらいます!」
「それはこっちの台詞だ!」
安全装置を外すことで、フェイトは体の軋むような負荷と引き換えに、トーレに匹敵する速度を得ていた。ビル群を光速で抜けながら、フェイトとトーレが互いに斬撃を繰り出しあう。
フェイトはトーレから決して離れず、踊るように両手の剣を振るう。得物の長さはこちらが上だ。剣技だけならばフェイトに分がある。
奇襲から一気に斬り合いに持ち込み、両腕を組む暇を与えない。グレートホーンを使わせない作戦だった。
星矢が草原に倒れる。これでもう十回目だ。
星矢は、星屑と光線の嵐をどうにかしようとあがき続けているが、ただいたずらに傷を増やしているだけだった。防御も回避も迎撃も意味はなく、この開けた草原では遮蔽物に身を隠すこともできない。
オットーのいる高さまで数十メートル。たったそれだけの距離が、星矢とオットーを絶望的に隔てていた。
オットーはいつでも技を撃てるよう、両腕を掲げている。黄金の闘士が操る星屑の海と、そこを流れる光線の川。幻想的で美しい光景だった。
武骨な星矢も、もしかしたら見とれていたかもしれない。物理的な破壊力を伴って襲い掛かってこなければ。
「……わからないな」
オットーがぽつりと言った。
「何がだ?」
「どうして君が、僕を相手に選んだかだ」
ウーノから、他のナンバーズも交戦を開始したと連絡があった。しかし、星矢はオットーに対して「見つけた」と言った。彼は最初からオットーを相手に見定めていたのだ。
オットーが空戦可能で射撃主体なのは、六課襲撃時に判明していたことだ。聖闘士をぶつけるにしても、ネビュラチェーンで遠距離攻撃可能なアンドロメダならともかく、完全近接型の星矢では、勝負にならないことはわかりきっていたはずだ。
「どうしてお前を相手に選んだかは、この勝負が終わったら教えてやるぜ」
星矢は立ち上って、口元の血を拭う。その目はまだ勝利を諦めていなかった。
「無駄だよ。奇跡でも起こらない限り、君に勝ち目はない」
数多の星屑によって相手の動きを制限し、複数の誘導光線で狙い撃つ。この合わせ技を回避するのは不可能だ。
「奇跡か……それなら、何度も起こしてきたさ」
でなければ、最下級の青銅聖闘士が、十二宮を突破などできるはずがない。
「そして、これからも何度だって起こしてみせる、アテナの為に! 俺のコスモよ、究極まで高まれ!」
星矢が跳躍した。
「スターダスト・レイストーム」
星屑の光の中を、星矢は両腕で頭部を守りながら一直線に突っ込んでくる。ただの無謀な特攻のようだが、案外理に適っていると、オットーは分析した。
広範囲に誘導弾をばらまくスターダスト・レイストームの被弾を最小限に抑えるには、その軌道が最善だ。星矢は多少のダメージを覚悟でオットーの懐に飛び込み、渾身の一撃を放つつもりなのだ。
発想は悪くないし、そんな作戦を躊躇いなく実行する度胸も評価できる。しかし、星矢の速度も作戦も、奇跡には程遠く迎撃は容易だ。
「さよなら、ペガサス」
空中では星矢は軌道変更できない。オットーに操られた全ての星屑と光線が星矢に殺到する。
これだけの攻撃が命中しては、さすがのペガサスも無事ではすまない。オットーは勝利の高揚もなく、淡々と光が収まるのを待った。
その時、羽ばたきの音が、オットーの耳を打った。
「なっ!」
これまで泰然としていたオットーが、初めて驚愕の表情を浮かべる。
星屑の光を越えて、星矢が飛翔していた。その背には、白く輝く翼。
「ペガサスの翼!?」
星矢のコスモに、聖衣が応えたのだ。翼が羽ばたき、オットーへと急降下をかける。
「まだだ、クリスタルウォール!」
オットーの前に透明な壁が発生する。あらゆる攻撃を反射するアリエスの技だ。
「これで終わりだ、オットー! ペガサス彗星拳!」
無数の流星拳が一つとなった彗星が、クリスタルウォールと激突する。
一瞬、クリスタルウォールは耐えたかに見えた。しかし、次の瞬間、澄んだ音を立てて、クリスタルウォールが砕け散る。
ペガサス彗星拳が、オットーに炸裂した。
フェイトとトーレは、激しく剣戟の音を響かせながら戦い続けていた。
「なるほど、グレートホーンを使わせない作戦ですか」
フェイトの意図を呼んだトーレが嘲りの笑みを浮かべる。
「ですが、甘い!」
トーレの力のこもった斬撃が、フェイトの体をわずかに押し戻す。それだけで充分だった。インパルスブレードを持ったトーレの両腕が組まれる。
「見せてあげましょう。私が新たに編み出した技を」
フェイトはすぐさまその場から飛び退く。
「グレートホーン・インパルス!」
武器によって強化された衝撃波が放たれ、フェイトの背後にあった高層ビルを半ばからへし折る。
フェイトの背筋を戦慄が駆け抜ける。腕を組んだ瞬間に回避機動を取ったからどうにかなったが、グレートホーンより威力が数段上がっている。防御は不可能だ。
「もはや、あなたに勝ち目はない!」
トーレは腕組みをしたまま勝ち誇る。光速機動を実現できる魔導師など、六課ではせいぜいフェイトくらいだろう。ここでフェイトを倒し制空権を支配すれば、ナンバーズの勝利はより確実なものとなる。
フェイトは距離を取りながら、思案を巡らせる。
トーレの腕組みを解く術は、フェイトにはない。一応、射撃、砲撃系の魔法も速度向上の改造を施してあるが、黄金聖衣の防御力を抜ける威力の魔法となると、チャージ中に距離を詰められて終わりだろう。
ならば、残された手段はたった一つ。グレートホーンよりも速く敵を貫くだけ。
フェイトは二つの剣を一つに合わせたライオットザンバー・カラミティを水平に持つ。それはエリオの突撃時の構えと瓜二つだった。
刹那、フェイトは感慨深い思いに浸る。教えているつもりが、いつの間にかこちらも教えられている。人と人との関係は決して一方通行ではないのだ。
フェイトは静かに息を吐き、緊張に強張っていた筋肉をほぐす。次の攻撃に一切の遅滞は許されない。精神を研ぎ澄まし、己を一振りの剣と化す。
フェイトの魔力が黄金の光を放つ。リミットブレイク、真・ソニックフォーム。限界を超えた、さらにその先に行く。
「はああああああああああああっ!」
光の尾を引きながら、フェイトが突き進む。
「グレートホーン・インパルス!」
インパルスブレードが、フェイトの両の脇腹を切り裂き、ライオットザンバー・カラミティがトーレの腹部に突き刺さる。黄金聖衣に傷はつかないが、魔力ダメージは着実に浸透している。
トーレの刃は、フェイトの脇腹の皮を一枚切り裂いただけだった。フェイトは痛みに構わず、カラミティを握る手にさらなる力を込める。
「馬鹿な! グレートホーンの発生速度を超えた!?」
「やっぱり気づいてなかったんだね」
フェイトが鋭い眼差しが、トーレを射抜く。
グレートホーンは居合いと同じ。しっかりと両腕を組むことで、黄金聖闘士でも一、二を争う技の発生速度を誇る。
しかし、インパルスブレードを握ることで腕組みが浅くなり、トーレ自身も気がつかない程の、わずかな遅延を発生させていたのだ。
もしトーレが普通にグレートホーンを使っていたならば、よくて相打ちだっただろう。いや、防御力の差から、フェイトは一太刀浴びせただけで、無様に地に伏していた。
グレートホーンは完成された技。アレンジなど必要なかったのだ。
黄金の光がもつれ合うようにして、大地に激突する。その様はまさに雷光だった。
オットーから分離した黄金聖衣が、牡羊のオブジェとなって鎮座している。
オットーは草原に寝そべりながら、ぼんやりとそれを眺めていた。聖衣に取りつけられた機械は彗星拳の衝撃で粉々に粉砕された。もうオットーがあの聖衣を着ることはできない。
常人ならば死んでいてもおかしくない一撃だった。しかし、そこは戦闘機人。動けはしないが、どうにか一命を取り留めていた。
「……なるほど。ペガサスの翼に、クリスタルウォールの弱点。これが君が僕を相手に選んだ理由か」
彗星拳はクリスタルウォールの一点を狙っていた。そこは六課襲撃時、ヴォルテールの業火によってあぶり出された、もっとも脆い場所だった。聖闘士に同じ技は通用しないのだ。
「クリスタルウォールの弱点はあってるんだが……」
ペガサス聖衣の翼が展開したことに、一番驚いていたのは星矢だった。元々ペガサスの聖衣に翼があるのは知っていたが、まさか展開できるとは思わなかった。役目を終えた翼は収納され、もう展開することはできない。
「? じゃあ、君が僕を選んだ理由は……」
「女相手じゃ戦いにくいからな。ナンバーズに男がいてくれて助かったぜ」
星矢はストラーダ型通信機を取り出し、オットーの捕縛とアリエス聖衣の回収をアースラに頼むと、そのまま走り去っていく。
オットーの性別は不明であり、男というのは星矢の思い込みだ。
「僕は……」
オットーの最後の呟きは風に紛れて、誰の耳にも届かない。星矢に呆れたのか、あるいは、本当の性別を言ったのかもしれない。
もうもうと土煙と上げながら、トーレは陥没した路面にめり込むように倒れていた。
「……まさか、そんな」
トーレが呻き声を上げる。技をアレンジし新たに弱点を発生させるなど、本末転倒もいいところだ。どうしてそんな初歩的なミスを犯したのか。
「あなたは何を焦っていたの?」
脇腹の傷を押さえながら、フェイトが静かに問いかける。トーレの斬撃からは、わずかだが焦りが感じられた。
「焦り? ……なるほどな」
トーレは自分の中でくすぶっていた感情の正体に、ようやく思い至る。
トーレのISライドインパルスは、高速機動を可能にする。かつては強力な能力だったライドインパルスだが、コスモの台頭によって無用の長物と化した。
ISでは物理法則の壁を越えられない。コスモとライドインパルスを併用しても、光速を超えることはできなかったのだ。
他の姉妹たちがISとコスモを高いレベルで併用しているのに対し、トーレだけがタウラスの技に頼るしかなかった。
「私の矜持が邪魔をしたか」
トーレはナンバーズの実戦リーダーだ。他の姉妹たちの模範となれないことが怖かった。前回、フェイトを仕留めきれなかったことが、その恐怖にさらに拍車をかけた。だから、必要もないアレンジ技など開発し、精神の安息を得ようとした。
「あなたを逮捕します」
フェイトは慎重な足取りで、トーレに近づく。
「しかし、私にも意地がある!」
トーレの手からを光弾が発射される。
光弾はフェイトの足元に着弾し、土砂を巻き上げ視界を塞ぐ。
その隙に、トーレは空へと逃げのびる。失神寸前のダメージを負いながら、意地だけで飛んでいた。
「待て!」
フェイトは追いかけようとしたが、膝から突然力が抜ける。バルディッシュを杖代わりにして、どうにか転倒を免れた。
フェイトは手で口元を押さえる。口から溢れた鮮血がフェイトの手を赤く染める。
フェイトの脇腹の皮を一枚切り裂いただけの腕の振り。不発だったはずのグレートホーンから発生した衝撃波が、フェイトの内臓を傷つけていた。
「これが……グレートホーン!」
いかに真・ソニックフォームの防御力が薄くても、たったあれだけの腕の振りで、威力を発揮するタウラスの技に、フェイトは戦慄する。
かつて星矢たちと戦った時、タウラスの黄金聖闘士アルデバランは本気ではなかったという。本気のタウラスに正面から挑んで勝てる者など存在するのかと、フェイトは思った。
激痛とめまいにフェイトがよろめく。今すぐ倒れて気を失ってしまいたいが、戦いはまだ終わっていない。フェイトは痛む体を引きずって、トーレを追いかけた。
最終更新:2013年04月14日 23:04