―――星にひとつの伝説が穿たれた。
人々は見た。
地上から伸びる白色の極光。
世界が怯えるように震え、音を立てていた。
それはまるで世界の終焉が始まったかのよう。
常識という枠から外れた天災。
人智を越えた現象。
その現実とは思えぬ光景に、人々はただ寄り添う。
そうしてなければ圧し潰されてしまいそうな『跡』であった。
悠久の時を惑星に寄り添い見守っていた衛星。
夜天にて惑星を見降ろしていた雄大の星。
そこに刻まれた、暗い穴。
穿たれた星は毎夜として人々に語り掛けるだろう。
全ては夢ではないと、全てはあったことなのだと。
その時、何があったかを知るのはたった一人の少女だけ。
何も知らぬ人々は、ただ息を呑み、空を見上げるだけであった。
◇
八神はやては暗闇の中で目を覚ました。
何か音が聞こえた気がしたのだ。
床を踏みしめる音か、はやては細く目を開き、霞がかった意識を暗闇へと向ける。
まどろみでぼやける視界の中には、人影があった。
暗い部屋の中で枕元に立ち尽くす者。
薄ぼんやりとしたものでありながら、それでもはやてにはその者が誰なのか分かった。
「……シグナム?」
間違える訳がない。分からない訳がない。
彼女の大切な大切な家族。
鮮やかな桃色の髪、凛々しさと優しさが入り混じった顔立ち。
鮮明となっていく意識が烈火の将の姿を浮き彫りにさせていく。
「帰ってきてたんか……どうしたん、こんな遅くに……」
主の問い掛けに、シグナムは無言であった。
結局、昨夜は夕方に何処かへ出かけたきり、待てども待てども帰宅する事はなかった。
何時の間にか眠ってしまったはやてであるが、あえて言及をしようとは思わない。
無事に何事もなく帰ってきてくれた。それだけではやては満足であった。
ただ微笑みを携えて口を閉ざし、はやてを見詰めるシグナム。
その表情は、その瞳は、まるで母親のように温かなもの。
シグナムは黙ってはやての頭に手を伸ばし、優しく撫でた。
「なんや、いきなりー」
くすぐったいような、むずがゆいような、ふわふわとした感覚。
嫌な感じは少しもなく、心中に温かな何かが湧き出るのが分かる。
ずっとずっとこうしていたい。素直にはやてはそう感じた。
「あったかいなあ、シグナムは」
頭で動く温かな感覚に身を任ていると、眠気がさざ波のようにゆったりと迫ってきた。
意識は再びぼんやりとしたものとなり、暗い中に沈んでいく。
温かな気持ちのまま、温かな眠りの中へと落ちていく。
「ずっと一緒やよ。私たちはずっとずっと……ずーっと一緒や……」
まどろみの中で零れた言葉は、八神はやての偽りならざる本心であった。
ようやく出会えた『家族』。
その温かな生活を、ずっとずっと続けていきたい。
そう、ずっとずっと。これからもずっと、永遠に……。
「……申し訳ありません」
眠りへと落ちる瞬間、最後に聞こえてきた声は優しげで、だが何処か悲しくも聞こえるものであった。
それきりはやての意識は再び床に付き、そうして場に残されたのは烈火が騎士が一人。
シグナムはそれから数分はやての頭を撫で続けた。
「別れは、すんだか」
心地よい沈黙。
それを打ち破ったのはナイブズであった。
はやての傍らに立つシグナムを、無表情に見詰める。
「……ああ」
答えたシグナムは沈痛な面持ちで立ち上がった。
申し訳なくて仕方がないのだ。
主の願いも聞き入れられず、その盟約すら破らざるを得なくなった事に。
それでも前に進まなくてはいけない現状。
自分に力があれば、自分に冷徹な心があれば……悔恨は留まる事を知らずに次から次へと浮かび上がってくる。
「すまないな。わがままを聞いてもらって」
「かまわん。おそらくは、これが最後になるだろうからな」
「……そうだな」
再びの視線をシグナムは寝息をたてる主へと向けた。
守りたい、守られなばならぬ主。
もう決意したことであった。もう覚悟したことであった。
だが、烈火の将の強靭な決意と覚悟をもってしても、それは尋常ならざる悔いを生み出す。
もう一度あの幸せな時間を、と願わずにはいられない。
深すぎる親愛の念は、身を切り裂かれんばかりの痛みとなって心に渦巻く。
それでもシグナムは主から視線を外した。
万感の想いを断ち切り、ただ主の平穏を願って、主へ背中を向ける。
これから待ち受ける戦いは過酷なものなのであろう。
肉体的にも、おそらくは精神的にも。
シグナムは既にナイブズから話を聞いていた。
これから自分たちが行う外道の術を、主の約束からも守護騎士との誓いからもは余りに掛け離れた手段を。
だが、もうこれしかないのだ。
主が無事な日々を過ごすには、これしか残っていない。
「行くか」
「ああ」
二人の人外が言葉を交え、寝室から足を踏み出す。
寝室を出た先にあるのは、『家族』と一緒の安寧の時を過ごした空間。
瞳を閉ざせば、今にも瞼の裏へと浮かぶ。
戦いしか知らぬ騎士達を『家族』として扱い、人としての感情を与えてくれた場。
自然と浮かべられるようになっていた笑顔は、もはや忘れる事はないだろう。
無人のリビングを眺めながら、過去に想いを馳せる。
そんな自分に対して嘲りを感じながら、シグナムは表情を変えた。
これより突入する修羅の道。
これより自身が行う事を知れば、心優しき主であろうと軽蔑し、侮蔑し、嫌悪する筈だ。
二度と笑いかけてくれる事も、『家族』と呼んでくれる事もないだろう。
もう自分が心底からの笑顔を浮かべることなど許されない。
(……それでも構わんさ)
全ては覚悟の上だ。
やり遂げる。やり遂げなければならない。
罪は全て将たる自分が背負おう。
「主はやて。あなたはどうか幸せの内で……」
決意と共に、烈火の騎士は言葉を残す。
彼女は気付いていない。
後方にて佇む男の、その表情が愉悦に歪んでいる事を。
全てが男の掌の上で転がされているという事を。
知らず、悲壮な覚悟で場を後にする。
二人が出て行った八神家に遺されるは痛いほどの静寂。
全てが動き出した状況で、闇の書が主たる八神はやては未だ何も知らずに眠り続ける。
◇
―――ヴァッシュ君がバイトを休んだ。
それは時折ある事であったし、今更どうこう言う事でもないのかもしれない。
彼のお陰で大分助かっている事は事実であるし、殆ど無償で働いてもらっているのだ。
多少のサボりくらいは目を瞑ろうとも思う。
だが、今日に限っては話が違った。
昨夜、桜台を中心として発生した謎の現象。
消えてしまった桜台と、空の彼方にある衛星に刻まれた『跡』。
理解の範疇を越えていた。常識の範疇を越えていた。
全ては、まるで夢の中のような非現実的な光景であった。
しかしながら、いくら現実逃避をしようと視線を少し上げるだけで、それは実際としてそこにある。
日本は、いや世界はバケツをひっくり返したかのように騒ぎ立てた。
空を飛ぶメディアのヘリコプターは一機や二機ではとても聞かない。
リモコンを押すと、プツリという音とともにテレビが付く。
テレビは、どのチャンネンルでも、昨晩から緊急特番で今回の事象をずっと取り上げていた。
テレビの中のリポーターは興奮したような口調で、こう告げていた。
『ここが巨大隕石が落下したとされる海鳴市桜台です―――』
冗談だろうと思ってしまう。
下らなすぎて、苦笑すら浮かばない。
あれは、そんなものではない。
隕石などといった言葉で片付けられる現象ではない。
誰もが誰も見たのだ。
地上から伸びる白色の極光を。世界を呑み込む白色の極光を。
数十万キロと彼方に在る衛星を穿つ極光を。
見た。
誰もが。
それこそ老人から子どもまで。
世界が終わるやもしれぬ光景を見たのだ。
それを人間の知識の内に在る言葉で説明しようという事が、烏滸がましくすら思えてしまう。
うんざりとした気分でテレビを消し、カウンター奥の椅子へと座る。
昨日今日ではどうせ客も来やしないだろうと思いきや、ちらほらと常連の姿が見える。
この状況でも喫茶店に足を運んだり、会社へ出勤し、あくせく働く者いるのだから人間は分からないものだ。
いや、あえて日常へ身を浸からせる事で、現実から目を背けようとしているのか。
かくいう自分もその口だ。
何時も通りに起床し、何時も通りに仕込みを行い、何時も通りに店を開けた。
染み付いた習慣とは恐ろしいもので、殆ど呆然の中でありながら普段と変わらぬ動きができた。
見回すと、来店した客たちは心ここにあらずといった様子でボンヤリと座っている。
いかに日常に逃げ込もうと、全ては現実として重く圧し掛かるのだ。
誤魔化し切れぬ現実がそこにある。
「あなた……」
不意に声が掛かる。
顔を上げると、そこには心配そうな表情で俯く桃子がいた。
愛する妻。
彼女は横に椅子を並べて座り、身体を寄せてきた。
「なのはとヴァッシュさんは大丈夫なのかしら」
重い口調で紡がれる。
そう、本当の心配の種はそこにあった。
昨日より姿を見せない愛娘と、一人の居候。
「なのはは大丈夫さ。フェイトちゃんやリンディさんも付いてくれてるんだ」
愛娘については連絡は付いていた。
友達のフェイトちゃんの家に数泊するとメールが来た。
昨日の今日なのだ。直ぐに帰ってこいというメールを送ったが、珍しくも反抗的な返信が来た。
フェイトちゃんの保護者であるリンディの話によると、帰りたくないと駄々を捏ねているとのことだ。
フェイトちゃんも昨日の大災害で怖がってしまい、なのはと共にいることを望んでいるらしい。
短い付き合いではあるが、リンディさんは信頼のできる女性だと思う。
電話にてなのはの無事な声も聞いた。
ならば、仕方ないかとも思う。
あの年頃にもなると、家族といることよりも親友といることを心強いと感じるものなのだろう。
そうすることで少しでもあの大災害の恐怖を忘れられるというのなら、それで良い。
「でも、ヴァッシュさんは……」
「……そう深く心配することもないさ。彼の事だ。今にもひょっこりと顔を出すだろうさ」
もう一人の男―――ヴァッシュ君には連絡すらつかないでいた。
部屋に姿はなく、持たせた携帯電話も通じない。
知り合いに聞いてまわるも、ヴァッシュの姿を見たものはいない。
もしや、と考えてしまうのを止められない。
だが、その一方で彼がそう簡単に、とも考えてしまう。
とある世界で『人間台風』と呼ばれていた賞金首。
銃が支配する世界で賞金首という餌を首にぶらさげられ、身体に数多の傷を負いながらも生き延びてきた男。
そんな男が、そう簡単に消えてしまうものか……そう信じたい。
「彼なら大丈夫さ。きっと……」
妻の肩を抱き、優しく告げる。
返事は頷くだけに終わった。
自分の言葉は、強がりにしか聞こえなかっただろう。
それでも、そう言わないと二度と帰ってこない気がしてしまうのだ。
あの短くも騒がしく、賑やかだった日々が、もう二度と―――。
「……きっと帰ってくるさ」
自身に言い聞かせるよう、呟く。
一変してしまった日常が、ゆっくりとゆっくりと過ぎていく。
◇
ヴァッシュが姿を消したらしい。
世界を揺らがす極光から一晩が明けたその日。
私―――アリサ・バニングスの元へ、その電話は掛かってきた。
相手は高町士郎さん。なのはのお父さんだ。
士郎さんは焦った口調でヴァッシュの姿を見なかったかと、聞いてきた。
昨日ヴァッシュとは出会わなかった事を伝え、何かあったのかと聞き返した。
何でもないとは言っていたが、それが嘘だと直ぐに分かった。
何かがあったのだ。昨晩の間に、ヴァッシュの身に何かが。
学校へ登校するとなのはやフェイトも休みだった。
メールをすると返信は直ぐに来た。
二人で学校をサボって遊びに出掛けているとのことだ。
それが嘘だという事は直ぐに分かった。
何かがあったのだ。昨晩の間に、二人の身に何かが。
ヴァッシュとなのはとフェイト……三人が何かを隠している事、三人が何かに悩んでいる事は、とっくのとうに気付いていた。
それでも三人は言ってくれた。
今は語れないが、何時かは絶対に打ち明ける、と。
私たちは友達なのだから、と。
その言葉を信じている。
心の底から。強く強く。
だが、それでも、三人を心配することは止められない。
―――友達だから。
天に伸びる光。
唐突に姿を見せなくなった三人。
昨晩の出来事は、もしかしたら三人が抱えているという秘密に何か関係することなのかもしれない。
三人が何をしているのかは分からない。
だが、昨日の出来事には嫌な予感を感じてしまう。
夕暮れを切り裂いて現れた白色の光。
天を貫き、月を撃ちぬいた光。
それはまるで漫画の中のような信じられぬ出来事で、まるで何かが終わってしまったかのようであった。
あの日を境として世界は変わってしまったように、私たちの日常も変わってしまったのではないか。
そんな気がしてならない。
近づく聖夜。
本当ならば友人たちと何をして過ごすかを楽しく考えている時期の筈なのに、今は心配だけが胸に渦巻く。
(あんたに渡したいものがあったのに……)
聖夜の日に彼に渡すプレゼントはもう決まっていた。
街中で見かけ、何となく彼には似合うだろうと思った品だ。
だが、肝心のヴァッシュは消えてしまった。
あの男と再び会う日は来るのだろうか。
不安だけが、募っていく。
◇
「何や……今日もシグナムとナイブズは帰ってこないんか?」
八神はやてがその問い掛けを口にしたのは、シグナムが八神家を後にして十数時間が経過した同場所であった。
日が昇り、そして再び日が落ちて。
はやては夕食の場を『家族』と囲んでいた。
だが、団欒の場には余りに欠員が多すぎた。
シグナムとナイブズ、そして鉄槌の騎士・ヴィータもその姿を消していた。
場にいるのは、はやてを除けばシャマルとザフィーラのみ。
ザフィーラは獣形態であり、テーブルにはシャマルとはやてしか付いていない。
はやての対面に座るシャマルは、はやての言葉に場に身をぎくりと強張らせた。
「ご、ごめんなさい。夕食には間に合わせるよう連絡はしたんですけど……」
「ああ、そんな謝らんといてや。怒ってる訳ではないんよ。別に連絡は付くんやろ? なら、ええって。ヴィータも一緒なんか?」
「いえ、ヴィータちゃんはまた別に遊んでるって連絡がありました。ゲートボール仲間のおばあちゃんの所にいるみたいです」
「そうなんか。ご近所付き合いはええことやー」
そう笑顔で言いながらも、はやてに思うところがない訳ではなかった。
最近は『家族』全員で共に団欒を囲むことも少なくなっていた。
寂しい、という気持ちがあることは否定できない。
だが、守護騎士達が人間らしい生活送れるようになってきたというのなら、喜ばしい事である。
『家族』なら、主であるなら、手放しで喜んであげねばいけないことなのに……。
「クリスマスは皆で揃えるとええなー……」
それはポツリと口から零れてしまった言葉。
想いが、無意識の内に出てしまった。
はっと思いシャマルを見るはやて。
また嫌味に聞こえてしまったかと心配したはやてであるが、シャマルの反応は予想とは違っていた。
視界の中のシャマルは今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
「ど、どうしたんや、シャマル!」
慌てるはやてに、シャマルも自分の表情に気付いたのか、笑顔を見せる。
だが、それは余りに痛々しい笑顔だ。
悲しい表情を隠そうと無理に笑みを浮かべているのであろうが、それが逆に痛々しく見えた。
何でそんなに悲しそうな表情を浮かべているのか、はやてには分からない。
「ご、ごめんな、シャマル。そんな意地悪しようとして言った訳やないんや」
「……違うんです、はやてちゃん」
自分の物言いが悪かったのかと考えて、謝罪を告げるはやてであったが、シャマルは首を横に振った。
「絶対に……絶対に迎えましょうね。皆で過ごすクリスマスを」
そして、シャマルは告げた。
痛々しくも優しげな微笑のまま、頬に一筋の涙を伝わせて。
そんなシャマルにはやては口を閉ざして思考してしまう。
―――何時からだろう。
彼女達が自分に隠し事をしていると感じるようになったのは。
彼女達は優しく、家族のように接してくれ、ただ笑顔の裏では酷く疲れていた。
隠そうとしてくれている。心配を掛けないようにとしてくれている。
分かっている。
分かっているが、それでも悲しかった。
もっと頼ってくれても良い。
もっと信じてくれても良い。
私は、闇の書の主。
皆の主であり―――そして、家族なのだから。
辛いときは、傷ついたときは、辛いときは、もっと頼ってくれて良いのだ。
「シャマル、ザフィーラ、それにシグナムも、ヴィータも、ナイブズも……お願いだから無理だけはせんといてな」
「心配しないで下さい、はやてちゃん。何があってもあなただけは守り抜きますから」
言葉にシャマル達が視線を外す。
視線を合わせずに呟かれた声は、震えていた。
やはり、おかしい。
そう思ったはやてが再び口を開こうとしたその時であった。
ドクンと、音がした。
違う。
音がしたような気がしただけだ。
音は内側から聞こえたもので、はやてにしか聞こえていない。
瞬間、はやては感じた。
身体が傾げるその感覚を―――、
◇
ヴィータはとあるビルの屋上に坐していた。
場は、八神家から一キロと離れていない所。
探査魔法に意識を集中させながら、視線も夜の空へと這わせる。
魔法は八神家を中心として探索範囲を設定したものであった。
(……くそ、どーしてこんなことになるんだよ)
ヴィータは疲労を押し隠しながら、警戒心を研ぎ澄ましていた。
コチラの事情全てを知るヴァッシュ・ザ・スタンピードの裏切り。
唐突の呼び出しの先に待ち構えていたのは管理局の魔導師が二人。
ヴァッシュの姿は何処にもなかった。おそらくは影で自分達が逮捕される瞬間でも眺めていたのだろう。
ナイブズも乱入しての戦闘の結末がどうなったのか、ヴィータは知らなかった。
全てを見届けるよりも先に管理局の魔導師に敗北し、気を失ってしまったからだ。
あの金髪魔導師が速度を武器としている事は知っていたし、油断をしたつもりもなかった。
だが、あの魔導師は完璧なタイミングで切り札をきり、自分を昏倒せしめた。
忸怩たる思いが胸を締め付ける。
目を覚ました後、どれほど後悔したのかは分からない。
ただヴィータに分かるのは二つ。
全てが終わった後で自分は目を覚ましたという事実。
そして、シグナムとナイブズが姿を消してしまったという、もう一つの事実。
空を見上げると、そこには地上からでも確認できる程の巨大なクレータが刻まれた月。
自分達が戦闘をしていた桜台は、その山合いの半分ほどを残して、『消滅』していた。
何が起きたのかは、シャマルから聞かされた。
夕暮れの世界を襲った震動と、桜台登山道から空へと伸びた白色の極光。
極光は闇に包まれようとしていた世界すらも照らし尽くして、まるで昼間のような明るさを作り出したという。
そして、月に刻まれたクレーター。
だが、その地形すらも変形させた天変地異を前に、世間の反応は驚く程に静かなものであったという。
桜台の消滅や震動、発光現象でさえも、原因は巨大隕石の落下によるものだと発表されたらしい。
各国の衛星にも隕石落下に伴うデータは残されていたらしい。
ワイドショーや夕方のニュース番組を大いに騒がせているが、それ以上の事態には発展していない。
おそらくは、管理局が世界規模の情報統制を図ったのだろう。
ただあの光を実際に見た者はそんな発表を信じる訳がない。
地上から伸びた光。
天空の惑星すらも揺らがし、地表はまるで怯えるように震えていた。
とても隕石によるものとは思えない。
見た者は誰もが思っただろう―――世界の終末が始まったのか、と。
シャマルは言った。
あの場で何があったのか、シャマルには分からない。
だが、あの場にいた『何者』かがあの現象を発生させたのだろう、と。
それは守護騎士達や管理局の魔導師ではない。
どれほどの魔力を有そうと、どれほどの能力を有した魔導師であろうと、あれほどの破壊現象を引き起こす事はできない。
それこそ管理局の大型戦艦クラスが有する最大火力に匹敵するほどの事象だ。
個人がどうこう出来るスケールの話ではない。
ならば、誰があの現象を発生させたのか。
シャマルは続けて言った。
おそらくは、ナイブズか―――ヴァッシュ・ザ・スタンピード。
ナイブズが有する力『エンジェルアーム』。
前触れもなく、収束砲撃魔法並みの威力を発動させることのできる『力』。
ナイブズはかつて語った。
自身のものをも凌駕する『エンジェルアーム』を、ヴァッシュは有していると。
その『力』の発動した結果が、先の現象だったのではないかと、シャマルは予想していた。
確かに言われてみればそう考えるのが妥当だ。
そして実際に見てしまえばナイブズの言葉が決して嘘ではなかったと理解できる。
あの常識はずれのナイブズの力すらも超越した、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの『力』。
脅威という言葉すら生温い。
絶対的で、隔絶された『力』の差がそこには存在した。
「……くそぉ……」
希望など、もはやどこにも存在しなかった。
次元を統べる管理局と月をも穿つガンマン。
どう対抗すれば良いのか、その切っ掛けすら思い付くことができない。
家の周囲にはシャマルとザフィーラが強固な結界魔法をしいている。
探査魔法も行っているし、周囲の警戒も全力で行っている。
だが、それも無駄な抵抗でしかないと、心の何処かでは理解していた。
それでも、例え敗北が確約されているとしても、やらねばならないのだ。
はやてを、自分達を家族と呼んでくれた心優しき主を守る為に、引くことはできない。
ヴィータが決意に手中の鉄槌を強く握りしめたその時であった。
「ヴィータちゃん、大変!」
主の周辺を警護している筈の湖の騎士から通信があったのは。
その慌てた様子に、ついにその時が来たのかと身構えるヴィータであったが、話はどうも違った。
「はやてちゃんの容態が!」
管理局の襲撃ではない。
だが、それは決して良い情報ではなかった。
寸前までの諦念を忘れて、空へと飛びだすヴィータ。
一分と掛からず自宅へと到着したヴィータは、そこで見た。
苦悶の表情を浮かべて胸を抑えるはやて。
症状が進行している―――。
それは主に残された猶予が限られてきたという証だ。
「はやて!」
「はやてちゃん!」
主の元に駆け寄る守護騎士の面々。
同時に―――八神家を中心として、『それ』は発生した。
(結界魔法―――!)
違和感を真っ先に感じ取ったのは、湖の騎士。
流転する状況に己のデバイスを立ち上げようと魔力を集中させる。
ザフィーラも対応し戦闘態勢を取ろうとしていた。
残るヴィータは、倒れるはやてに意識をとられ反応が完全に遅れる。
しかし、守護騎士の反応の度合など、殆ど意味のないようなものだ。
最善の反応を見せたシャマルとザフィーラも、反応の遅れたヴィータも、誰もが平等に―――爆風にのまれた。
例えば、はやてが倒れるというアクシデントがなければ、話は違ったのかもしれない。
守護騎士達の警戒は万全であったし、不意打ちを食らうことなどは有り得なかっただろう。
ただ、主の一大事に意識を取られた守護騎士たちに、それを防ぐ術はなかった。
「―――時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。警告なしの攻撃で悪いが、この場は制圧させてもらった」
立つ者のいないそこで、管理局の尖兵が勝ち鬨をあげた。
加速する歯車は、遂に事態を最終の時へと到達させる。
始まるのは悲劇か、喜劇か。
人外の種の掌で踊る者達。
全ては終わりへと収束していく―――、
最終更新:2013年05月23日 23:32