「にゃはは……、心配かけちゃったかな」
「なのは……」
管理局本部にある病室の一つに、フェイト・テスタロッサはいた。
ベッド際の丸椅子に座り、ベッド上で上体を上げる少女を見つめていた。
少女の身体の至る所には包帯が巻かれており、布団の端から覗く四肢にはギブスが装着されている。
普段の活発な彼女からはかけ離れた姿に、フェイトは感情が込み上げてくるのを感じていた。
フェイトの瞳が、揺れる。
痛々しい親友の姿に、自己への不甲斐なさが溜まる。
「そんな顔しないで、フェイトちゃん。私は全然平気だから」
包帯が曲かれた頭部を揺らして、少女・高町なのははフェイトへと笑顔を向けた。
優しい、気遣うような笑顔であった。
でも違う、とフェイトはその笑顔を見て感じた。
何処となく漂うぎこちなさが、心中のやせ我慢をフェイトへと伝えていた。
「ごめんね。フェイトちゃんがあんなに頑張ってくれたのに……私が台無しにしちゃった」
「そんな事どうでも良いよ。なのはが無事で良かった」
フェイトが撃墜した二人の守護騎士は、謎の発光現象の隙に逃亡していた。
恐らくはあのアンノウンが手引きしたのだろう。
なのはを易々と撃墜したアンノウン。
アンノウンとヴァッシュとの邂逅。
そして、あの謎の発光現象に―――月へと穿たれた穴。
管理局の映像記録も白色の極光に阻まれ、途中から役目を果たしていない。
あの時、あの場で何が起きたのか、その全貌を知っているのは高町なのはだけだった。
「傷の具合はどう?」
「当分は安静だって。でも、手足の傷以外はそんなに酷くないって言ってたよ」
なのはの負傷は、受傷の経緯からは考えられない程に軽度なものであった。
程度としては全身に軽度の打撲。
四肢の貫通傷は相応の重傷ではあるが、管理局本部の医療魔法技術があれば、そう時間は掛からずに完治できる。
管理局は、アンノウンの攻撃がおそらく元から殺害を主としない攻撃だったのではと予測していた。
後の観測で判明した事だが、なのはを撃墜した高エネルギー攻撃は、まるで計ったのかのように直撃の寸前で急速な威力の低下を見せている。
あれだけのエネルギーだったのだ。本来ならば吹き飛ばされる余地すらなく、エネルギーに全身を焼かれていた筈だ。
おそらくは、殺害でなく撃墜を目的とした攻撃。
撃墜を優先させた意図についても、管理局は予測を立てていた。
なのはは、『あの時』、あの場にいた。
いや、正確に言うのならば、あの場に連れられたと言った方が良いか。
謎の発光現象を起こした一因とされるアンノウンの手によって、わざわざ連れられたのだ。
恐らく高町なのはに見せたかったのだろう。
ヴァッシュが月をも穿つ脅威の存在だという事を、その身体に宿る脅威を、高町なのはに見せ付けたかった。
まるで、なのはとヴァッシュの関係を知っていたかのような行動である。
「レイジングハートのお蔭だよ。墜落の瞬間に防御魔法を発動させてくれたみたいで」
「そう、良かった……」
なのははフェイトの心配を払拭させるかのように、笑顔を見せている。
傷だらけの身体で、満面の笑顔を浮かべるなのは。
笑顔の裏に隠した、本心。
フェイトは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「……なのは、大丈夫?」
その感覚に押されるように、フェイトは言葉を吐き出していた。
卑怯な質問だと、フェイトは口にして直ぐに思う。
こんな質問をして、なのはが本心を語る訳がない。
心配を掛けないようにと、より強固な仮面を張り付けるだけだ。
フェイトの言葉に、なのはが表情を変える。
だが、それも一瞬だけ。
直ぐさまそれまで以上の笑顔を浮かべて、フェイトを見詰める。
満面の、それでいて儚さの宿る笑みであった。
少なくともフェイトには、そう見えた。
「大丈夫だよ、フェイトちゃん」
名前を呼んで、なのはが答える。
なのはは、あの時から後、とある名前をめっきり口にしなくなった。
前までは毎日のように口にしていた名前。
その名前を、なのはは口にしない。
話題に出す事すら避けているように見える。
やはりあの時、なのはは見たのだ。
月をも撃ち抜く彼の姿を、なのはは白色の世界の中で見た。
その結果が今の状態である。
「私は、大丈夫だから」
儚げな笑顔で、言葉を紡ぐ。
あの時、あの場所で何があったのか、なのはが何を見たのか、なのは以外の誰も知らない。
ヴァッシュが根源となったエネルギーが地上から月を穿った……そんな客観的な視点しか、フェイトは知らない。
だから、歯痒さを感じる。
友達の力になれない自分達が、歯痒い。
「なのは……」
満面の笑顔を見せるなのはへ、フェイトは思わず詰め寄っていた。
言葉を投げ、詰め寄り、そして強く強く抱き締める。
傷だらけの身体を包み込むように、フェイトはなのはを両腕で抱く。
少しでも力になりたい。
でも、言葉では足りない。
だから、身体が動いていた。
「……フェイトちゃん」
肌を通して伝わる温もりに、なのはもフェイトの想いを感じ取る。
フェイトは何も語らない。
なのはも何も語らない。
無言が二人を包み込み、だがそれでも想いは伝達される。
温もりが、言葉よりも深いことろで二人を繋げていた。
静寂が、続く。
緩やかに流れる時が、感じ合う温もりが、頑なに閉ざされた心を溶かしていく。
「……何で、だろう……」
静寂の病室にて最初に口を開いたのは、高町なのはであった。
顔を俯かせ、喉を震わせ、声を紡ぐ。
「……何でだろう、怖くてたまらないんだ……思い出すと、震えが、止まらない……」
言葉の通りに、なのはが震え出す。
小さな身体を小刻みに震わせて、フェイトにしがみつく。
恐怖に負けないように、恐怖に折れないように、なのはは親友の温もりを求めていた。
「あの人が変わってないのは分かってる……でも、駄目なんだ……『あの光景』を思い出すと…………怖くて、たまらない………」
フェイトも、より一層の力強さをもってなのはを抱く。
親友を救いたくて、少しでも力になるのならと、フェイトは細い両腕に力を込める。
「……嫌だよ…………何も変わってないのに……あの人はあの人なのに………駄目なの………怖くて……怖くて…………押し潰されそう…………」
声には、嗚咽が混じっていた。
今まで通りに一緒に居たいという想いと、理性を越えて想起される恐怖とが、せめぎ合う。
葛藤が、なのはを苦悩へと誘っていた。
そのジレンマは、たかが九歳の女の子には余りに大きな重圧であった。
「もう笑い合えないのかな………もう喋り合えないのかな………もう…………一緒に過ごせないのかな………」
嗚咽で途切れ途切れとなる声に、フェイトはより一層の力でなのはを抱き締める。
その肩に顔を沈め、なのはは感情を吐き出した。
「う、わああああああああああああああああああああ………」
遂には、大声を上げて、涙を流す。
溜め込んでいた感情を、声で、涙で、吐き出す。
一人で抱えようと思っていた痛み。
一人で抱えようと思っていた恐怖。
なのはは打ち明ける。
親友であり、戦友であるフェイトへと全てを打ち明ける。
「……なのは……」
フェイトは、ただひたすらに親友を抱き締めた。
一人分だった泣き声が、いつの間にか二人分へとなり、狭い病室に響き合う。
肩を寄せ合い、抱き合いながら涙を流す、二人の少女。
涙で濡れた部屋にて、二人は縋るように抱き合っていた。
◇
「……フェイトか」
そして、十数分後程の時間が経過した後に、フェイトは扉の前へと立っていた。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードが幽閉されている部屋の、その扉。
顔をつき合わせど、実際に言葉を交わす事はできない。
モニターを通しての面会に、ヴァッシュはそれでも笑顔を見せていた。
弱々しく、儚げな笑顔。
まるで少し前に見た、高町なのはの笑顔のようであった。
心を押し殺して無理矢理に笑顔を造っている、そんな印象の微笑みだ。
「僕に何か用かい?」
見てる方が辛くなる笑みに、フェイトは意を決して言葉を紡ぐ。
なのはを見て、ヴァッシュを見て、決断した想い。
それは、二人の親友としての決断であった。
「ヴァッシュ、あまり自分を責めないで」
真っ直ぐと向けられた瞳が、ヴァッシュを見据える。
フェイトの瞳に、フェイトの言葉に、モニター越しのヴァッシュが表情を変えた。
「なのはなら、大丈夫だから」
流れ出る声は澱みなく広がっていく。
ヴァッシュは目を見開き、フェイトの声を聞いていた。
「今まで通りに笑い合って、今まで通りに喋り合って……何も変わらないよ。なのはは、あんな事でヴァッシュを嫌いになんかならないよ」
声に暗い影は欠片もなく、フェイトはヴァッシュを見据える。
ごまかしのない言葉で、ただ自身の内の信頼に任せてヴァッシュへと伝えていく。
「だってなのはは、本当に強い子だから」
フェイトの言葉は、親友に対する絶大な信頼から紡がれたものであった。
あの時なのはが見た光景は如何なるものだったのか、やっぱりフェイトには分からない。
でも、その苦悩を知った。
その苦悩の大きさも知った。
フェイトは高町なのはによって救われた。
全てを否定された自分を、ただひたすらに想い続けてくれた人。
なのはが居たから、フェイトは道を踏み出す事ができた。
アリシアの代りとしてではなく、フェイト・テスタロッサ自身として、人生を踏み出せた。
絶望しか残っていなかった自分に、光り輝く希望を与えてくれた人。
フェイトにとっての高町なのはは、そんな存在であった。
だから、思う。
なのはなら立ち直れると、フェイトは思う。
そして、もう一つ。
なのはが立ち直れるまで、ヴァッシュが立ち直れるまで、今度は自分が支える番だと。
今まで支えられた分まで、自分が二人を支えようと、フェイトは決意する。
「フェイト……」
「あの時、何があったか知らないよ。でも、私はなのはの強さを知ってる。だから、信じて。なのはを、信じてあげて」
そう言うフェイトは、とても優しげな微笑みを浮かべていた。
それは、高町なのはのお蔭で手に入れる事ができた微笑み。
空っぽなものではない、心の詰まった微笑みであった。
「―――駄目だよ」
だが、フェイトの微笑みに対する返答は、あまりに空虚なものであった。
フェイトと同様の微笑みではある。でも、それは力の無いまるで空っぽな微笑み。
ああ、と実際に目の当たりにする事でフェイトは感じた。
何て寂しげな微笑みをするんだろう、と。
「なのはを信じてる。フェイトを、クロノを、リンディを、皆を信じてるさ。―――でも、駄目なんだ」
ヴァッシュの微笑みに、フェイトは瞬時に理解する。
自分の言葉は、結局何の役にも立たなかった。
ヴァッシュは変わらぬ微笑みで、全てを自身の内へと仕舞い込む。
なのはのように感情を表に出す事すら、してくれない。
「俺は、俺を、信じられない。皆を信じられても、自分を信じる事ができない。『何か』を宿した自分を、なのはを傷付けたかもしれない自分を、信じられない」
ヴァッシュの答えにフェイトは改めて思い知った。
彼の心の内に眠る、黒色の虚(ウロ)。
軽薄な表面の裏側にある、何者をも立ち寄らせない虚無。
その片鱗を垣間見てしまった。
「ヴァッシュ!」
「……なのはに伝えといてくれ。すまなかったって」
それきりヴァッシュは通信を途絶させた。
モニターが黒色に染まり、何も映さなくなる。
「そんな事ない! ヴァッシュは皆に力をくれた、皆を助けてくれた! だから……だから、そんな哀しい事を言わないでよ!」
扉に向けて声を飛ばす。
当然ながら返答はない。
無機質な扉がただ無言でそびえるだけである。
ある一定の所から内側へと踏み込ませない、ヴァッシュの心。
堅牢な殻に防備された心は、おそらく何者をも拒絶する。
何時ぞやの自分をも上回るだろう心の殻。
ただ辛い。
あの微笑みを、誰をも受け入れない心を、見ていられない。
彼は一人で苦悩し、一人で解決しようとするのだろう。
誰も頼ってくれない。
自分も、なのはさえも、彼は頼ろうとしない。
全ての痛みを一人で抱えて、苦悩するのだ。
それはとても悲しいことだと、フェイトは知っていた。
似ている。
全てを抱え込もうとするその行動は、自分やなのはととても似ていた。
ただその度合は、意志の強固さは比べ物にならない。
彼は完遂するのだろう。
本当に全てを抱え込んで、一人で解決しようとする。
言葉にすれば楽になる想いを、涙にすれば楽になる想いを、決して打ち明けようとしない。
それが彼の生き方なのだ。
周囲も、自分自身も、救われない。
彼の心の内に眠る、黒色の虚。
それを埋めてあげて欲しい。
力なく頭を垂れたフェイトに、答えを返す者はいなかった。
◇
「ここのデータの数値が出てないぞ、エイミィ」
「え、ごめんごめん。……あー、確かにちょっと抜けてるね」
「しっかりしてくれ。今は余裕がないんだ」
海鳴市の一角に聳えるとあるマンションの、その一室。
闇の書事件・臨時本部として管理局に借用されている部屋は、僅かに殺気立った様相を見せていた。
その雰囲気の大元は、最年少執務官として場を仕切るクロノ・ハラオウンにあった。
どうにもクロノの機嫌が悪い。
無表情を装ってはいるものの、その言葉の端々には棘があった。
「……それにしても厄介な事態になったねえ」
現在、臨時本部に身を置く人物は六人。
指揮官たるリンディ・ハラオウンにその副官たるクロノ・ハラオウン。
オペレーター、事務、情報の総括を一手に引き受けるエイミィに、無限書庫にて『闇の書』についての調査を依頼されていたユーノ。
そして、ユーノのサポート役として動いていたリーゼ姉妹とアルフである。
何時もの明るい口調から数段トーンを落として呟いたのは、リーゼアリアであった。
ソファーに腰掛けながら、頭の所で手を組んで天井を見上げる。
その表情からは僅かばかりの疲労が見て取れた。
「地上から月をも撃ち抜くガンマンとはね……作り話にしてもやりすぎだって」
アリアの隣に座るロッテが言葉を返しながら、何もない空間に指を走らせた。
すると、指の動きに反応するかのようにディスプレイが出現し、お求めの映像が再生される。
「こうして見ると桁違いって感じだね。単純なエネルギー量だけでも、異常の一言。洒落にもなんないわね」
「月にクレーター作るくらいだからね……エネルギー量だけ見てもSSSランク以上は確実ね」
その映像に、何時しか臨時本部に身を置く誰もが視線を送っていた。
謎の発光現象に、天を昇る光線。
そして、月を震撼させる暗き穴。
現実のものとは到底思えない光景が、画面の中で流れていく。
「ヴァッシュか……そりゃ普通の人間とは何か違うとは思ってたけどさあ」
床に寝転んで映像を見詰めながら、アルフが言葉を零した。
やるせなさと幾分かの恐怖感とが混合された表情である。
「精密検査の結果も数値が異常なんだよね……。普通の人じゃまず有り得ない数値だって」
続くエイミィの顔にも恐怖感があった。
いや、程度の差や表出しているかの差はあるが、誰もが恐怖感は抱いている。
隣で和気藹々と会話をしていた相手が、実は月をも撃ち抜く脅威の存在だったのだ。
恐れるな、という方が無理のある話だ。
予感はあった。
最初の守護騎士との交戦後に、負傷したヴァッシュが管理局へと担ぎ込まれてきたその時。
治療の為に服を脱がし、そして場にいた誰もが息を呑んだというヴァッシュの肉体。
身体中に刻まれた傷の数々。
まるで人間のものとは思えない程に傷付いた身体。
思えばあの時から示されていたのではないか、男の異常さは。
エイミィの言葉に、僅かな沈黙が場を覆う。
「……問題はそこじゃない。月を穿つ砲撃も脅威だが、単純な破壊力ならアルカンシェルの方が上だ。人間じゃないとはいっても、人外の種なんて次元世界には幾らでも存在する」
静寂を破ったのはクロノであった。
リーゼ姉妹の手元にある映像記録と同様のものを巨大スクリーンに映しながら、クロノは続ける。
「問題は、それだけの『力』が意志をもった個人が有しているという事だ」
言葉には、寸分の迷いもなかった。
映像を見詰める瞳にも迷いはない。
ヴァッシュが危険人物だと、クロノは迷いなく断定した。
五人の視線を集めながら手元のキーを叩いて、目的のデータを引き出す。
壁一面のモニターにもう一つ画面が浮かんだ。
「このデータを見てくれ。これは、ヴァッシュが光を放ち始めた直後に観測されたデータだ」
その画面を指差しながら、クロノが後方へと振り返る。
五人の視線が画面の方へと向き、データの内容を見定めていく。
見ると同時に五人それぞれがデータの意味を理解し、そして表情を驚愕に染めた。
「この反応って……まさか……」
「そう、そのまさかだ。これは―――次元断層の反応さ。規模は極小規模で、発生した時間もコンマ数秒にも満たないものだけどね」
その事実に、五人が愕然とする。
次元断層。
それは次元災害の中でも最上位に位置する危険災害。
下手すれば一つの次元世界そのものを消滅させかねない、超ド級の厄ネタである。
その厄ネタが極小規模なものとはいえあの瞬間に発生していた。
目に見えぬ所で発生していた大災害に五人は驚きを隠せ得ない。
「……ヴァッシュさんの砲撃が次元断層を発生させたって事?」
「そんな事、ありえないって! ロストロギア級の出力がなくちゃあそんなの無理無理」
「次元震ならまだしもね。次元断層ってのはそれこそ桁違いだよ。あのジュエルシードだって、複数集めたようやく引き起こした位だよ」
エイミィが、アリアが、ロッテが、それぞれに言葉を飛ばす。
誰もがその考えを否定する。
次元断層を発生させる砲撃など、その砲撃を独力で発生させるなど、それこそロストロギア級の力もって始めて行える所業だ。
かつて管理局を騒がせたロストロギア『ジュエルシード』ですら、単独の暴走では中規模の次元震を起こすので限界であった。
それでも、危険度としては相当なものだ。
次元断層をも引き起こす砲撃など、想像するだけで空恐ろしい。
「惜しいが、違う。半分正解で半分外れだ」
だが、クロノの推測はその更に上をいく。
クロノが再度指を動かし、画面を操作する。
次元断層の反応が感知されたグラフと、超高エネルギー量が発生したグラフとがピックアップされ、画面に映った。
クロノの操作により、半透明となったグラフ同士が重なり合う。
重なり合うグラフに、今度こそ五人の傾聴者が言葉を無くす。
「次元断層は攻撃によるものじゃない。謎の高エネルギーが発生する直前に、つまり砲撃が放たれる直前に、次元断層は発生してるんだ」
言葉のなくなった臨時本部にて、最年少執務官の言葉が訥々と連ねられる。
その表情に感情はなく、仮面の如く冷徹な色のみが映っていた。
もはや誰も言葉を挟もうとしない。
独壇場となった場をクロノが仕切る。
「アンノウンの攻撃についても調べてみた。こちらもヴァッシュの砲撃と同様だ。ほんの刹那の時間だが、攻撃の直前で次元断層が発生してる。念入りに調査しなければ判別できないレベルの次元断層だけどね」
淀みなく動く五指に従い、モニターの画像が切り替わり、必要な情報を並べていく。
複数の魔導師で形成された結界魔法を、アンノウンが切断する瞬間。
宙を舞うクロノへと、アンノウンが斬撃を飛ばす瞬間。
白刃に四肢を縫い付けられたなのはへと、アンノウンが高エネルギーを放つ瞬間。
それぞれの画像と並んで、その瞬間の数値データとが映し出される。
規模の違いはあれど、データが意味する事は同様であった。
斬撃やエネルギーが発生する直前で、次元断層が発生している。
「おそらくこの二人は次元断層を任意に発動できるんだろう。そして、次元断層で発生したエネルギーを攻撃に転化させて、解き放つ。それがこの異常な破壊力の正体だ」
言葉を失った五人を前に、クロノは締め括る。
任意で次元断層を発動させ、月すら穿つエネルギーを発生させたヴァッシュにアンノウン。
脅威という言葉すら生温く感じる事実に、臨時本部が沈黙に包まれた。
昨日まで普通に喋り合っていた人間の、想像を絶する正体。
あの笑顔の内に隠れていた脅威。
思わず戦慄を感じる。
背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
人間の域を越えた、ともすればロストロギアにすら匹敵する圧倒的な存在であった。
彼等は何者なのかと、考えずにはいられない。
次元漂流者として世界に来訪した男は、世界を滅亡させうる『力』を秘めていた。
『闇の書』に加えて現れた、『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』と『アンノウン』という大きな問題。
一つのロストロギアを巡る事件は、更なる要因を含んで混沌の様相を見せ始めていた。
「これで話は終わりだが……言いたい事があるならハッキリと言ったらどうだ?」
沈黙の中、クロノはある人物へと語り掛けた。
この場に於いて沈黙を通す二人の人物の、片割れ。
終始一貫して、不満げな表情を浮かべていた少年がいた。
ユーノ・スクライア。
緑色の瞳でクロノを見詰めながら、彼は促しに従って口を開く。
「ヴァッシュが持つ『力』の危険性は分かったよ。でも、それでも彼の意向を無視して拘束するのはやり過ぎなんじゃないか」
ユーノの言いたい事も理解できる。
何時も明るく飄々と振る舞い、容易く周囲と溶け込んでしまう不思議な男。
高町なのはと愉しげに笑い合う姿は、誰もが心に温もりを感じていた。
ヴァッシュが優しい人物だという事は、彼と触れ合った誰もが知っている。
ヴァッシュは管理局に尽力してくれていた。
守護騎士との戦闘にも進んで参加し、驚異的な立ち回りで他を圧倒した。
アンノウンとの戦闘でも、彼が矢面に立つ事で被害を減らせたとも言える。
優しさと強さを兼ね備え、他人の為に命を賭けられる男であった。
その人柄は、誰もが認めていた。
「重要なのは彼が時空世界に於いて危険かどうかだ。危険と分かった以上、管理局が彼を放免しておくにはいかない」
「でも、ヴァッシュは決して悪い方向にこの力は振るわない。それはクロノだって分かっているだろ?」
「だが、実際に『力』は振るわれたぞ? あの砲撃が市街地に向けられていたらどうなっていたか、想像できない訳じゃないだろ」
ヴァッシュの人間性を問うユーノに、その危険性を問うクロノ。
どちらの言い分が正当かは誰もが、恐らくは反論を飛ばすユーノ自身も、理解していた。
しかし、反論を止めない、止められない理由がユーノにもある。
「でも……なら、なのはの気持ちはどうなるんだ? なのはがヴァッシュを守る為に何をしたか、クロノだって知ってるだろ」
なのはがヴァッシュを庇う為に取った行動。
次元漂流者たるヴァッシュの存在を管理局に知らせず、自宅にて匿った。
なのははヴァッシュに関する何かを知っていて、それで彼を庇おうと行動したのだろう。
なのはとの付き合いが最も長いユーノには分かる。
その想いの強さが、分かる。
だからこそ、クロノの言い分が正当だと理解して尚、反論する。
「分かっているさ。分かっていて、この判断をしたんだ。判断を覆すつもりはない」
食い下がるユーノへと、クロノは冷淡な視線を送るだけであった。
ユーノとクロノの視線がぶつかり合う。
間に座るエイミィがオロオロと顔を左右に振り、荒んでいく事態に不安げな表情を浮かべていた。
「落ち着いて、ユーノさん」
ヒートアップする場に、落ち着き払った声を落としたのはリンディ・ハラオウンであった。
これまで沈黙を続けてきた指揮官が、満を持して声を上げる。
その声は騒然となった場を通り抜け、全員の視線を集める。
「ヴァッシュさんの保護に関してはもう揺るがない事です。彼の人柄は誰だって知ってるわ。なのはさんとの関係もね。でも、やっぱりそれとこれとは話は別よ」
リンディの言葉には凛とした強さがあった。
決して揺るがぬ強さ。
指揮官としての決意が、言葉の端々にまで染み渡っている。
「……それとクロノの気持ちにも気付いて上げてちょうだい。クロノだって今回の処置に想う事がない訳ではないわ。それを押し殺して、決断したのよ。執務官としてね」
リンディの言葉に、冷淡を貫き通してきたクロノの表情が歪む。
痛みを堪えるかのような表情に、ユーノも感情の行き場をなくしてしまう。
ユーノだってクロノの気持ちに気付いていない訳がない。
ただクロノのように割り切れる程、ユーノは大人になりきれてはいない。
だから思わず、クロノへと感情をぶつけてしまったのだ。
クロノの表情を見て、その行動が卑怯なものだったと改めて認識する。
ユーノも身体から力を抜き、側にあったソファへお座り込む。
「……ごめん、八つ当たりだった」
「……気にするな。普通はそうなるさ」
俯き謝罪するユーノに、クロノも僅かに口元から力を抜き答えた。
場を覆う空気は、やはり重い。
「……ん?」
その空気を払拭する一報が飛び込んできたのは、直後の事だった。
点滅するモニターが、情報の報告をエイミィへと知らせる。
偵察と警戒に向かわせている魔導師部隊からの報告だろうかと、エイミィは手元を操作し、情報の内容を画面へと映す。
映し出された情報は、誰もが予想し得ぬ驚愕の情報であった。
『―――闇の書の主・八神はやてについて』
謎の情報は、その一文から始まっていた。
闇の書の主についての全てが記された、謎の一報。
送り主も、どこから送信されたものなのかも、分からない。
ただ、全てが淡々と綴られていた。
闇の書の主たる八神はやてに関する全てが―――その所在地すらも。
それはフィナーレの序章たる最後の一手。
全てが、踊らされる。
男の手中にて、全てが踊らされる。
最後の一手が、時空を統べる者達へと打ち込まれた。
情報の到来に、『仮面の男達』は思う。
始まってしまった、と。
結局、抗う事のできなかった恐怖。
おそらくこの一手で、終焉が始まる。
本来の目的も果たせず、主たるお父様の願いも叶えられず、全てが終わる。
あの男に掌握されたまま、終わりへと突き進む。
情けない。
罪悪感が沸き立つ。
もはや本当にただの裏切り者となってしまった自分達。
管理局も主をも裏切って、恐怖心に動かされるだけの操り人形。
まるで道化であった。
でも、それでも尚、恐怖心は絶大なものであった。
『仮面の男達』は周囲を見渡す。
管理局の人員であっても、あの男は止められない。
せめて少しでも犠牲者が少なくなるように望むばかりであった。
『仮面の男達』は絶望の淵で孤独に包まれながら、恐怖心に震えていた。
最終更新:2011年06月12日 20:47