阻むもの全てを閃光で撃ち貫いた。
砲撃魔法―――ディバインバスターを以って瓦礫を軒並み吹き飛ばす。もうもうと立ち込める噴煙には逡巡の一欠片も見ることなく、その中に身を躍らせた。
最高速度。瞬きひとつほどの時間も無く視界は晴れて、望んだひとを視界に捉えた。
崩壊寸前の大地。そこらじゅうで地割れが起こり、黒い深淵が覗いている。
そしてその一角で独りくずおれる、黒衣の少女。表情は窺えないが、それでも呆然と眼下を見下ろしていることはなんとなく分かった。
状況は推し測るまでも無い。苦いものが心中に湧き上がるのを覚えながらも、それを抑えこむように努める。
時間が無いのだ。
「フェイトちゃん!!」
呼びかける。
「飛んで!こっちに!」
手を伸ばす。
見上げ返してきた表情は触れれば壊れそうなくらいに儚げだった。だが――それも束の間。
もう一度だけ下を見て、また見上げられた顔には確かにひとつの意思を浮かべて。
手が伸びる。
片や素手の、片や黒い手袋に包まれた二つのてのひらがゆっくりとその距離を詰めていき。
―――刹那、世界が歪んだ。
最後に目にしたのは、明るい闇。
暗転した視界と、自分を取り囲む黄金の円環。
そして、彼方に映る、手を取り合い彼方へ去っていく自分達の姿。
それが示す意味など塵一つほどにも理解出来ぬまま、勢いを増す環の輝きに呑まれて。
高町なのはは、意識を失った。
Magical Girl Lyrical Nanoha Cross The Legend of Heroes “Sora No Kiseki”
意識を失ったのが不意の事態であったなら、それが取り戻されるのもまた唐突なものなのか。
倒れ伏していた身体を起こし、霞の掛かったような頭で周囲を見渡して、
とりあえず分かったのは自分が居るのが見たことのない場所だということだった。
屋内、ではある。かなり天井が高いのか、上を見上げても目に映るのは真っ黒な闇だけ。
床と左右の壁は青を基調にしていて、いくつかお情け程度に設置された照明と、模様のように走る光が辺りを薄く照らしている。
調度品の類は……皆無。
『時の庭園』。意識を失う直前まで居たあの場所でないことは明白だった。
次元震の只中で崩壊の一途を辿っていたあの場所とはあまりに違いすぎる。
風景の共通点などカケラも有りはしないし、あまりに整然としている
――長く人の手が入っていないのか、床には薄く埃さえ積もっているではないか――からだ。
(床に…埃?)
ふとその単語が意識に留まる。自分はその床に倒れてたのではなかったか?しかもうつ伏せで。
その状況が意味するところに思い至り、視線を周囲から自分、顔よりも下に移して、そのあまりに予想通りの状況に……。
(わわっ!?)
絶句。
着衣の前面が存分に埃まみれになっていた。慌てて掌ではたき落とそうとして、それもふと止まる。
着慣れ見慣れた白い服。丸二年とさらに一ヶ月あまりの付き合いでいまさら見紛う訳もない、私立聖祥附属の制服である。
意識の途切れる前まで身に纏っていた筈の、バリアジャケットではなく。そして―――。
「…レイジングハート?」
呼び掛けは無為に、闇に溶ける。改めてあたりを見渡しても、求めたものは目に映らず。
バリアジャケットと同じくして手にしていたはずの愛杖の姿もまた、ありはしなかった。
「―――!ユーノくん!?クロノくん!?エイミィさん!?」
立ち上る不安と悪寒を振り払うように、声を上げる、念話で通信を図る。
共に決戦に挑み、或いは後方からの支援に臨んでくれた仲間たち。
呼び掛ける。何度も。声を絶やさないように。
しかし――――その誰からも応えは無い。一度声を出すのを止めれば辺りは瞬く間に静まり返り、鼓膜に、脳裏には何も届かない。
「フェイト……ちゃん」
何より、あの時には目の前にいたはずの相手の姿さえも無いことが、その事実を否応無しにまるで暴力のように見せ付ける。
「……………そんな…」
肩が落ちる。口をついたのは、呆けた様に力の無い声。
かたかたと歯が鳴る。心の臓を握り締められたような悪寒がして、自分で自分の身体をきつく抱きしめる。
ひとり。重圧のように圧し掛かる、その事実に。
喉元から、或いは瞼のうちから溢れ出そうとするものを、必至になって押さえ込んだ。
泣いてはいけないと、こんなところで泣いたらきっと何もかも諦めてしまうと、そう思ったから。
固く目を閉じて、口を閉ざして、それでも少しだけ涙が、嗚咽が漏れた。
押さえつけた心の中は嵐の海のように荒れて、決壊寸前なのが目に見えるよう。抑えきることなど到底叶わな―――。
きぃん―――。
小さな音が鼓膜を打った。
――ご、ぉん――――キン――。
距離が遠いのか、静まり返ったこの場所でなければ気がつかない、そんな微かな音。
重いものが落ちるような、或いは鈴を鳴らすような、幾種類かの金属音が、確かに届く。
(誰かが…いる?)
耳を澄ますうちに、心はいつの間にか平静を取り戻していた。
立ち上がって、駆け出す。今いる場所――――真っ直ぐに伸びた通路を、その音のしたほうへ。
があん!!―――がっ、ギィン!―――。
走ること暫し。音源の場所に近づいているのだろう、届く音は耳を澄ますまでもなくはっきりと聞こえるようになっていた。
一際大きな重低音は最早轟音と言えるほどになっている。
通路が終わる。駆け抜けた先は大きな広間。その只中にいるもの、音の主たちを目にして―――――目を見張り、言葉を失った。
それは異形。機械の獣。大雑把に言ってしまえば、『庭園』で戦った傀儡兵たちと似たような存在だった。
人の何倍にも及ぶ体躯を満遍なく白い鋼が覆う。
蜥蜴か竜を模したようなフォルムは曲線が多用されており、その様は流麗とさえ言えるだろう。
だが無論、だからといってこれが何のために造り出されたものなのか、見誤る者などいないだろう。
踏みしめる脚は二対四本。さらに人馬の如く上半身にも赤と青、鍵爪のような二本の腕を併せ持つ。
その狂爪の、美しくも禍禍しい輝きを前に疑う余地などありはしない。
これは破壊するモノ。敵となる全てを焼き払い、打ち砕き、それによって遣わしたものの守護を成す。故に――――。
『《環の守護者》トロイメライ』
それがこの機械の獣に冠せられた名前であった。
鈍い音を立てて傀儡兵もどきの右腕が掲げられる。先端に在るのは鮮やかに赤い、鋼の爪。
それが振り下ろされるだろう先にはあるものにすぐに気がつかなかったのは、白い巨体にばかり目を奪われたからだろう。
複数の人影である。
倒れ伏した者。膝を屈している者。或いは己の足で立ち、手にした武具を構える者。
何れも苦悶の表情や、疲弊した様を見せている。
状況は――推測するまでもなく明白だ。傀儡兵と戦っていて、そして追い詰められている。
そこにこうして、自分は居合わせたのか。
決断は一刹那も無く下された。細かい状況までは分からない。それどころか自分の置かれた状況だって定かではない。
――それでも、きっと自分がするべきことは決まっている。
眼前にてのひらをかざす。出来うる限りの速さで脳裏に術式を構築し、魔力を集中する。
中空に顕れる淡い輝き。瞬く間に膨れ上がり桜色の光球となる。
「ディバインシューター…」
愛用の射撃魔法。
普段ならば当たり前に組み込む誘導制御及び多弾射撃の機能をカット、一射の強化に魔力を集約。
拳大から一抱えほどに大型化した光球を、
「シュ――――――――トっっ!!」
言霊を引鉄に解き放つ。
宙を翔け、流星の尾を引いて迫る光。目指すのは天を掴まんとするが如き、鋼の腕。
サイズを考えれば最早『弾丸』ではなく『砲弾』であろうか。
実際、注ぎ込んだ魔力量は下手な砲撃魔法なら容易く凌駕するほどのものである。
直撃した暁にはその装甲を喰い破り、跡形も無く吹き飛ばすに違いない。
その自信があった。彼女の実力を心得た者ならば、差はあれどそれと遠からぬ予測を立てただろう。
――――それは、知らぬがゆえのあまりに甘い予測。
光弾が炸裂。衝撃が振り下ろされる直前の凶爪を大きく撃ち弾き、巻き起こった煙が覆い隠す。
在らぬ方向に傾いだ腕のままぴたりと硬直する傀儡兵。その様子は、傍目にはいささか間抜けにも見えたかもしれない。
奇襲の一撃は目論見どおり、傀儡兵の動きを止めることに成功した。
だが、腕を包んでいた魔力煙が晴れて、その下からなお変わらぬ様の赤い爪が現れたとき、
そんな考えは瞬く間に塗り変わった。
(―――うそ…)
数瞬の間。それで不意打ちの衝撃から立ち直ったのか、傀儡兵が四足を鳴らせてこちらへ向き直る。
深手どころか目に見える損傷すらないその状態が信じられなかった。
ディバインシューター。多弾攻撃と誘導制御によって敵の行動を制することが本分である射撃魔法とはいえ、
自身の並外れた(としばしば言われる)魔力量を以って放たれる一撃は決して低い威力ではない。
『庭園』で交戦した傀儡兵――自分を大きく上回る力量の魔導師が造り出したそれ――のうち、
小型なものならば一撃で確実に撃墜出来る威力の魔法。まして先の一撃は数発分の魔力を一纏めに束ねたものだ。
その直撃を受けて、全くの無傷。命中手前で魔力防御を展開した様子もない。
それはつまり、純然たる装甲強度のみで容易く弾き返したということ。
戦慄と共に理解する。格が違う。ただ一度の攻撃で分かってしまうほど、圧倒的に。
もっとも。知れば当然ではあったろう。
《環の守護者》。この世界の根源『七耀』を司る女神の至宝がひとつ、その守り手。
力の一端のうちのさらに一端と言えど、神域の御業が造り上げた白き竜機。
―――――それを前にして、只人の成す事が軽々しく及ぶ道理など有りはしない。
がごり。
またしても響く重い音。上体をもたげる傀儡兵。反り返った竜首の影から覗くのは、
「……………っ!!」
腹部砲門。その事実を理解した瞬間、術式を展開。はたして放たれたのは散弾のような無数の光だった。
無数に迫る焦熱。それが身に届く一刹那前に展開した魔法が発動される。眼前に波立つ光の幕。プロテクション。
間断無く撃ち込まれ、満遍なく防壁を叩く衝撃は圧力と言うに等しい。
阻まれてなお届く熱気が肌を炙り、輝きが視界を半ば以上に真っ白に染め上げる。
そして、注ぎ込んだ魔力が瞬く間に削ぎ落とされる感覚。
肌が粟立ち、肝が冷える。背が凍る。
守りが間に合わなければどうなっていたのか。或いは、維持できなくなったとすればどうなるのか。
明白だ。防御を通してもはっきりと伝わる焦熱。それが非殺傷性なわけがない。
直接触れれば肌を裂き、肉を灼き穿つだろう。ましてそれが無数に撃ちかれられるのだ。
黒焦げの蜂の巣が一つ出来上がるに違いない。
―――――恐い。
その様を想像して、思う。目の前に迫った死をもたらすモノが、突きつけられる『終わり』が、この上なく恐ろしい。
今まで――この一ヶ月あたりを振り返ってみれば危険な状況に立ち会ったことは一度ならずあった。
だが、そのどれと比べても今の状況は別格だ。
はじめてジュエルシードの暴走体に遭遇し、魔法に触れたときは、状況を理解する間も無く行動を強いられた。
黒衣の魔導師との戦いは『本気の勝負』でありながらも、決して命の取り合いではなかった。
幾度と無くこなした封印作業の時も『時の庭園』での最終決戦の時も、
その手の愛杖の、或いは仲間たちの力を借りて切り抜けてきた――――切り抜けられた。
それゆえに。全てが真逆の、加えて実質初めてといえる命懸けの極限状況。
それは、たとえ如何に人並外れた魔導の才を持とうと、たとえ人の世の闇を駆けた武の家に連なる生まれであろうと、
自らが足を踏み入れたばかりの少女にはいささか荷が勝ちすぎるものであった。
そも常識の範疇で考えるならば、たかだか九歳の子供に切り抜けろということがもとより無理な話だろう。
光の暴雨が止む。遠退く衝撃と熱。しかし、気を抜くことは未だ許されない。
第二撃。大弓を射るように深々と引き絞られた鋼腕。――機体腕部のリーチからすれば届く距離ではないはずだが、構えを取るからには実際は届くのだろう。
自分の身長を上回るサイズ。おそらくはトン単位の質量。繰り出される一撃は鉄槌という表現すら生温いそれに違いない。
先の攻撃で疲弊したバリアで―――否、逸らし、いなすのが旨であるバリア魔法では例え万全の状態でも防げまい。
バリアを解除し、シールドを展開しても間に合わない。
バリアを維持したまま機動魔法での離脱を図ろうにも、現状では複数の魔法の同時起動は手に余る。
すなわち、結論は“詰み”。打開する手立ては、今の自分には無く、必死は必至であった。
恐怖が体を縛る。竦み、身じろぎひとつ叶わないほどに。
そんななかで出来ることは諦め、死ぬという結末を受け入れるか、
(――――嫌だ!)
或いは、例え無為に終るとしても足掻くか。
バリアの維持と強化に魔力を集中し、展開範囲を自分の体格をギリギリ覆いきらない程度まで縮小。
展開基点を敵攻撃の中心点から、数センチ逸れるはずの位置に設定し、基点の“周囲”を重点的に強度を高める。
座標の推測は目視。真っ向で受けて砕かれるか、範囲の端を抉り貫かれるか、
それとも上手く最高強度部分で受けとめて逸らしきるか。
逸らしきれるかも疑わしい、伸るか反るかの大博打。それに挑むべく目前の一撃を目を閉じず逸らさず見据える。
恐怖と緊張が何十倍にも引き伸ばした時間。実際は一秒にも満たない僅かなそれを経て、
ガアアアアァァアァン!!!
解き放たれた一撃は――――甲高い音を立てて、眼前に現れた何かに弾かれた。
何か―――ぼろぼろと崩れ落ちるのは、幾重にも折り重なった岩の壁。その先で、
カ、キン!
黒い剣閃がふたつ振るわれ、弾かれて宙空に浮いた鋼の爪を叩き落す。
「大丈夫?」
呆気にとられてそれを見ているところに、声が振る。いつの間にか傍らに歩み寄る人影がそこにあった。
真っ先に目を引いたのは強い意志を輝きに湛えた瞳だった。ツインテールにした栗色の髪。
右手に携えるのは身の丈ほどもある長い棒。左手には薄く光を灯す、懐中時計のようなからくり。
自分の姉と同じくらいの歳の女のひと。
いざないは金の輝き。招かれたのは蒼空のかなた。異郷の地、拓かれし時代。
そこで交差する幾多の運命のもとに、かくして星と太陽、二人の少女邂逅は果たされた。
最終更新:2007年08月16日 09:18