「大丈夫?」
追い詰められていた自分達を助けてくれた――そうして自分が追い詰められた――少女に駆け寄って
声をかけながら、エステル・ブライトは内心首を傾げていた。
面識の無い女の子だった。高町なのはという名前も今は知るべくも無い。
見た目十歳にも満たないだろう年齢。白い着衣も馴染みの無い、一風変わったデザインのもの。
聞くには何百年と封印されてきたはずのこの場所である。
今回の事件の関係者には到底思えないが、だからといってずっと昔からこの場所にいたという道理はありえない。
他にも、先程放った見たことも無い攻撃も気に掛かる。
導力魔法(オーバルアーツ)に似てはいるが、戦術オーブメントは見当たらない。違うのだろうか。
それら、幾つも湧いてくる疑問を意識の片隅まで追いやって、少女の顔を覗き込むと、

ぺたん。

「ちょ、ちょっと!?」
その途端にその場にへたり込んだ相手の様子に、エステルは思い切り泡を喰った。
自分も膝を落としてもう一度改めて様子を窺って、その憔悴した面に気が付く。
目端に浮かんだ涙と、小さく震えている細い肩。心の中に押し込めていたものが一気に噴出したのだろう。
もっとも―――今は気を抜かれるにはまだ早い状況なのだが。
「エステル!」
馴染み深い声に強く呼ばれて、はっと顔を上げる。
数歩前に立っているのは、黒い双剣を手にした黒髪の少年。ヨシュア・ブライト。エステルとは同い年の“おとうと”。
そして、ヨシュアが半身に立ちながら目線で指し示す先には、
彼に叩き落された腕の先を引き戻す機械獣―――《環の守護者》の姿があった。
じゃキん、と一々耳に響く音を立てて、切り離されていた爪が接ぎ合わされる。
掴んではめこむのではなく、だからといってワイヤーの類で引き戻すわけでなく。
自前で空中に浮かび上がって動くという出鱈目ぶりではあったが―――まぁ割と今更。
―――機動端末として胴体部分と別個で行動・戦闘まで行ったことを思い返せば、驚くことでもない。
「―――来る!」
警告の声があがるのと同時にトロイメライの頭部装甲がスライドし、現れた四連装の砲門が火を噴いた。
立て続けに吐き出された砲弾が放物線を描き、三人の立つ位置めがけて殺到する。
咄嗟にエステルは少女の身体を抱き寄せると、その場から大きく跳び退った。
地面に触れた砲弾が爆裂し、巻き起こった爆風が髪をなぶる。
着地。素早く自分とは別方向に跳んだヨシュアを目の隅で確認し、抱えた少女を床に降ろすと、
「走るわよ!」
さらにその手をとってその場から駆け出した。
なおも撃ち込まれる砲撃。胸部からのミサイル攻撃まで加えたそれが、追い縋る様に二人の走るすぐ後ろで爆発していく。
出せる限りの全力、掛け値なしの全力疾走に息は瞬く間に上がっていた。
後ろ手に手を繋いだ少女は時折足をもつれさせかけながらも必死で引き摺られないようについてきている。
あまり運動の類は得意ではないのか、加えて年齢による体格差も考えれば無理からぬところであったが、
それを気遣って足を緩める余裕はあいにくと無い。
止めろ止まれと訴える足を無理矢理走らせながら、どうにか状況を窺う。
不意の介入で束の間の休息こそ得たものの、もとより限界寸前の体力は底を付くには遠くなかった。
戦術オーブメントを見れば先程の爪の一撃を止めるのに使ったアースガード
――岩壁を巡らせ、敵の攻撃を一度だけ無力化するアーツ――で完全にエネルギーを切らしている。
もとよりこの走りっぱなしの状況では、他の行動は取ろうにも取れないところがあったが。
(マズ……)
連戦に次ぐ連戦を経てきたことを思えば、それも止むを得ない状況と言えたが、
こうなる前にどうにか対処出来なかったことをエステルは呪った。
この場に居合わせるほかの仲間達も状況は大差無いはずだ。アレと真っ向から打ち合うのは間違いなく手に余るし、
アーツにしてもあの装甲に有効打となる水準のものを放つには一度導力を補充するのは避けられず、
加えてアーツの駆動にそれなりの時間を要することになる。そしてそれを許すほどこの敵は甘い相手ではないのだ。
あとは――――。

ぎゃいん―――――――ばぁん!!

「え…?」
「あ」
視界の片隅で僅かに捉えた一閃がそんな思索を不意に打ち切った。
研ぎ澄まされた金の月輪が宙を舞い、トロイメライの頭部で炸裂する。
「……させんっ!!」
体を傾がせた機械獣を鋭く見据え決然とそう言い放ったのは、エステルにとって思いもよらない人物だった。
年の頃は三十半ばの手前ほどか。黒い軍服を纏い、手には朱塗りの鞘に納めた一振りの太刀を持った青年である。
「た、大佐!?」
ヨシュアも同感なのだろう。彼もまた、呆気にとられた声を上げていた。
さもあらん。アラン・リシャール大佐。彼が行おうとしていたことを食い止めにきた自分たちを、何故助けるのか。
「ここは私が引き受ける。…君達はここから逃げたまえ!」
「で、でも!」
「君達は最早限界だろう。私のほうはもう動けるようになった。――時間を稼ぐくらいのことは出来る!」
早口にそう言い捨て、巨体目掛けて踏み込んでいく。
対するトロイメライも度重なる闖入に苛立ったのか、リシャールに対して正面に向きあっていた。

ごうっ―――ばきゃっ!!

繰り出される剛腕。空をうねらせ、大岩をも打ち砕く一撃は、しかし標的を捉えず空しく床を穿っただけだった。
その影から躍り出る黒い軍服。鋼爪の軌道を正確に見切ったリシャールが、その身を深く沈めさらに加速することで、
放たれた一撃を掠らせもせずに掻い潜ってのけたのである。
結果、双方の間合いは半ば眼前にまで詰まっていた。
「はぁっ!!」
跳躍。そして鞘走る銀光。
見目鮮やかに煌くそれが白い装甲に吸い込まれ、さらにトロイメライの体躯を揺るがせる。

しゃ、がいんっ!

先制の、そして渾身の一太刀。しかしそれを放ってなお、剣戟は緩まない。
閃く白刃が立て続けに放たれ、そのどれもが狙い過たず軌跡を刻む。
これが人相手であったなら、受けた者は瞬く間に視界を覆うほどの血煙を上げて、そして絶命したに違いない。
対して、懐に入られ、それを振り払おうと荒れ狂う腕は何れも空を斬っていた。
円を描くような体捌きから放たれた剣閃で、脇を過ぎ去った爪の横っ面を引っ叩き、
或いは跳んでかわした勢いのまま腕上を駆け抜け肉迫し、その顔面に迅雷の如き太刀行きを走らせる。
「…す、凄い」
その様を見るエステルの声には、紛れも無い感嘆の念が込められていた。
実際、武芸に覚えがある者が見れば、大半はその太刀捌きにも足運びにも魅入られるに違いない。
覚えが無い者であろうとも、人一人が自身を遥かに上回る異形の巨体を圧倒するかといった様には心を躍らせるだろう。
「でも…」
だが、幾太刀斬撃を浴びたところで、トロイメライの巨躯は小揺るぎこそすれ動じない。
対する青年の動きには、時を経るにつれて僅かずつではあるものの、鈍り、揺らぎが見え始めていた。
彼もまた、つい先ほどまでの自分たちと状況は変わらないということだ。
圧倒的な攻撃力や耐久力、持久力の差。それを前にして出来ることは言葉通り『時間稼ぎ』でしかなく、いずれ追い込まれ屠られる。
言うなれば、いずれ落ちるのが確定した綱渡りも同然である。その当人がそれを理解していないわけが無く、
「何をしている!早く――――」
それでいてなお、「行け」と告げる声を、染み入る様に澄んだ音が遮った。

しゃあああぁぁぁん。

「え」
「な…」
床に灯る桜火。幾重もの円と二つの正方形、それに見たことの無い奇妙な文様が描く魔法陣。ぎょっとして、その場から数歩退く。
その中心に立つのはすぐ傍らの白い服の少女。その面差しに浮かぶのは、大きな恐れと、それを上回る強い意志だった。
掲げる両手。灯る蛍火。それは術者の魔力に呼応して、みるみるうちに膨れ上がる。先の一撃の比ではない。抱えきれない、という表現ですら足りない。
少女の半身を覆い隠すほどにまでに成長した光球は、破裂間際の風船を思わせるように張り詰めていた。
理解出来ないものであっても、それが解き放たれればどれほどの力を持つのか、漠然となら想像するのは難くない。

だが―――。
果たしてそれが起死回生の一手と成りうるのか、それは術者たる少女―――なのはにとっても分からなかった。
なのはの十八番にして、手持ちの魔法の中では二番目に位置する威力の魔法ではある。
だが、相手はシューターの直撃を何事も無く耐えた化け物である。一撃で倒せる保証など出来るものではない。
そして、倒せなければ逆に倒される―――死ぬのは自分のほうである。
それは嫌だ、と思う。ここから逃げ出してしまいたくなる。しかし、それは全力で心の奥底に押し込めた。
かつて聞いた父の言葉。『助けを求めている人が居て、自分にその力があるのなら助けなくちゃいけない』。
自分もまたそのようにあろうと思うそれに、恥じることが無いように。
かつての失敗。助けられるはずの人を助けられなくて、後悔をすることが無いように。
決意で心を強く固め、術式を進めていく。球に架かる環状魔法陣。同様のものをその前にも重ねていく。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
集束に告ぐ集束。一点突破による貫通を狙わなくては、あの装甲は貫けない。

「おおおぉおぉぉぉぉぉっ!!」
が、ぎぃ―――――キン。

黒服の男の一刀。閃光もかくや、といわんばかりの居合いが傀儡兵の顎――といっても口は無いが――を強烈にかち上げる。
宙に舞う銀。耐え切れずに刀身が折れ飛ぶのは、どれほどの衝撃だったのか。白い巨体もまたその上体を大きく仰け反らしていた。
(―――今!!)
あちらもまた自分を脅威と認識していたのか、いつの間にやら正面に向き直っていた。その上で胴体ががら空き――――絶対の、好機。

「ディバイイイイイイィィイィン……バス、タ――――――――――――――――ッッッ!!!!」

弾ける光球。輝きが堰を切って迸る。
祝聖の砲火。本来大きく荒れ狂うはずのそれは真っ直ぐに宙に線を引き、
――――寸分の迷いも無く《環の守護者》を捉え、その腹の砲門をブチ貫いた。


沈黙。
誰もが固唾を呑み、或いは呆然と魅入られていた。
どてっ腹に見事に開いた風穴。動きを止めたトロイメライに。

ぼん。

静寂を破ったのは、そんな破裂音。

ぼん、ぱん、ぼ、どどどどん。

開いた風穴の周りに散る火花が誘爆しているのか、ところどころからささやかな爆発音を響かせ、煙を上げる。
自壊するのは遠くあるまい。内側からの爆発のためか、それまで鉄壁の守りを誇った装甲も、ところどころ歪みを見せ始めていた。
―――――だが、それでいてなお。白い龍機は動くのだ。
ギン、と音を立てて灯る双眼。突きつけるように伸ばされたのは、左の青い爪。
自分に向けられたそれに言い知れぬ予感を覚え、なのははそこから離れようと―――して、出来なかった。
(っ!!―――バインド!?)
視覚に映るものは何も無いのに、縫い付けられたようにその場から動けない。歩いては勿論、飛行魔法類による機動さえも不可能だった。
床を踏んでいた足が宙を蹴る。目に見えない何かに縛られたまま、ふわりと身体が浮かんでいた。
数メートルの高さへと持ち上げられ止まってしまえば、手足を振り回したところでどれも虚しく空気を掻くばかり。
真っ直ぐに指した腕が下がり、腰溜めに構えられる。それになのはが感じたのは今日一番の恐怖と戦慄だった。
尻を引っ叩かれた馬のように、出来る限りのスピードで防御陣を展開する。残っている魔力を片っ端から注ぎ込んだ、最高強度のラウンドシールド。
かの千の雷槍を受けてさえ罅も歪みも生まないであろう光の盾を、しかし解き放たれた死の一撃は粉々に打ち砕く。
「――――――――!」
拮抗は僅かな間。魔力の守りを破って、桁外れの熱力が襲い掛かる。
上がった悲鳴さえ、殺到する衝撃と灼熱に呑まれて消えた。意識が途切れなかったのは幸運だっただろう。
緩やかな放物線を描いて落下。生身で落ちれば馬鹿にならない距離と高さ。
地面に叩きつけられる紙一重で立て直し地面に叩きつけられずに済んだのは、奇跡と言えたかもしれなかった。
全身を経験したことのない痛みが埋め尽くす。制服はその大半が一瞬で焼け落ちており、全身に火傷を負っていた。
短時間ながら、シールドでかなりの威力を減衰させてなおこれである。守りが無かったら子供一人、四肢くらいなら消し炭になったかもしれない。
痛覚以外の感覚全てが遠い。熱ささえ感じない。思考は纏まり無く、繋ぎ止めた意識もところどころ切れては繋がるのを繰り返す。
音が光が遠ざかる。視界は暗く閉ざされ、聞こえる音も言葉として伝わらなくなっていく、絶望と諦念に染まる世界のなかで、


「やれやれ…。諦めなければ必ずや勝機は見える―――。そう教えたことを忘れたか?」


その言葉は、何故かはっきりと耳に届いた。
心の闇が瞬く間に晴れていく。聞いたことも無い声なのに、何故か安堵せずには居られない。
どんな窮地でも、誰であっても絶対に安心出来る、大海のように大きく全てを包み込むような存在感。自分の父にだって無いそれがその声には在った。
傍らを何かが駆け抜けて行く。流れる風。霞んだ目で見たのは、断ち切られて宙を舞う、傀儡兵の赤い腕。
その光景にもう大丈夫だということを理解して、なのはは掴んでいた意識を手放したのだった。

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最終更新:2007年08月24日 20:09