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周囲は、一面が炎に包まれていた。
「ティア、ティアッ! 聞こえたら返事して!」
炎が生み出す大気の乱流は、音を完全に遮断する。人の声など徹る筈も無い。
それでも、叫び続ける。
通信は滅茶苦茶、上官はおろかパートナーの姿さえ見つからない。
カートリッジは無く、武器の全ては砕け散り、前後左右さえも曖昧で。
自分が何故ここにいるのか。何をする為にここにいるのか。ここはどこなのか。何があってこうなったのか。
そんな事すらも思い出せない程に、意識が沸騰していく。

―――揺らめく炎の隙間から、白い影が見えた気がした。

何の躊躇いもなく、炎の壁に飛び込んだ。
熱が肌を焼き、髪を焦げ付かせた。白かった鉢巻は煤に黒く汚れ、端は既に黒焦げになっている。
それでも、誰かの手を掴んだ。目に映るのは、橙色の髪の色。
「ティア!」

抱き寄せようとして、ふと違和感を感じた。
軽い。
減量してたのかな? などと場違いな考えを持ち、

腰から下と左肩の先が無い、ティアナ・ランスターの屍を見た。

悲鳴を挙げようとして、足首を掴む腕に気付く。
腕が着ているのは、カーキ色のツナギ。
それは、あの遺跡発掘現場で見たものと同じ―――

心臓を撃ち抜かれた青年が、こちらに怨嗟の眼差しを向けていた。
頭蓋を潰された発掘員達が、怒りに拳を震わせていた。
声無き声の輪唱が響く。

『何故間に合わなかった?』
『何の為に魔導師になった?』
『何をするべきか分かっていたのか?』

罅割れた鐘のような、死者達の声。
炎の合間から、それを統べるように立つ影が見えた。
深海のように蒼い外套。
悪魔のように歪んだ両腕。
刃物のようにくすんだ金髪。

魂までも焼き尽くさんと燃え盛る、鬼火の翠眼がこちらを見据え―――

―――そこで目が醒めた。
「ッは、あ……夢、か」
寝間着が汗塗れで、雑巾のように絞れそうだ。
痛いほどに握り込んだ拳の中からも汗が溢れている。
窓の外はまだ暗い。枕元の時計を見る。
午前四時四四分。嫌なものを見てしまった、と思う。
ティアナは―――起きていない。ベッドの上で静かな寝息を立てている。そのことに僅かに安堵し、しかし、

……何であんな夢、見たんだろう……

分かり切っている。昨日の任務だ。
死者五名―――襲撃の第一波、通報とほぼ同時に死亡していたとは聞いた。
だから気に病む必要は無い、自分をそう励ました髭面の男は、しかし額に青筋を浮かべ瞳に怒りを湛えていた。

そして、あの男。
機械兵器の相手、あるいは模擬戦しかしたことのない自分にとっては、全く未知の相手だった。
膂力、速度、技術。その全てが自分の上を行っていた。しかし、それは大した差ではない。
殺意。
倒す為ではなく殺す為に放たれる攻撃は、外見は同じでもその圧力は桁が違う。背筋を駆け上る、氷で冷やした針のような寒気。
戦闘の昂揚が無ければ、初撃の時点で戦意を挫かれていた。膠着から自ら攻撃を選択したのは、その緊張で戦意が磨耗し切れば勝ち目が無いと悟ったからだ。
隙を突かれることを恐れてカートリッジの再装填もせず、ただ最速のみを望んだ正拳突き。
やれと言われて出来るかどうか分からない、最高の一撃だったと今も確信している。
だがそれもあっけなく捌かれ、危うく死に掛けた。否、シグナム副隊長が一瞬でも遅ければ確実に死んでいた。

そして、あの両腕。
ほんの少しだけ、それ体験した。
いや、体験したというよりはまったく理解を超えていた。
特殊な魔法だとか戦闘機人だとか、そんなチャチなものじゃ、断じてない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わった。

……でも、

そんな力で、あの人は遺跡の人達を護り抜いたという。
破壊にしか使えない力でも、人を助けることはできる。
あの空港火災の日、夜空の下で気付いていた筈なのに、

何故か、胸を打たれた。

―――陽は未だに昇らない。
醒めた眠気が帰ってくるのを妨げる為に、ゆっくりとベッドから降りた。

……外行って、ランニングでもしよう……

冷えた空気の中を走れば、煮えた頭も冷めるだろう。


耳を衝くアラーム/枕元に置いた目覚し時計―――上部を叩いてアラームを停止。
午前四時三十分/カーテンを開く/まだ外は薄暗い。電灯を点ける/腕時計型の端末を操作―――行動予定の表示。
戦力査定試験―――十三時より/陸戦用空間シミュレータにて/支給した制服を着用との事。
クローゼットを開く。破れた部分に接ぎが充てられた青いコート/新品の軍服/ジャージ/その他生活用品etc。
再生の完了した左腕を軽く振る/僅かな違和感。
屑篭に放り込まれたアルミ缶が二つ/珈琲/紅茶―――シグナム二等空尉との会話/予定/『七時半に食堂で』。

三時間―――試験に備えて、身体を動かしておくのも悪くない。

ジャージの掛かったハンガーに手を掛けた。


とりあえず、隊舎の周りをランニングしよう。
そう考え、朝靄の中へと走り出した。服装はいつも通りだ。一通りの準備体操を終え、待機状態のキャリバーにカウントを指示。
「マッハキャリバー、計測お願い。周回ごとのタイムも記録しておいて」
『O.K.……Ready?』
スリー、ツー、ワン、と数えられ、
『GO!』
駆け出した。速度は半分以下に抑え、持久走に適した姿勢とテンションを作り出す。
冷えた朝霧が顔に当たる、その感触さえ心地よい。
ペースを維持したまましばらく走っていると、道の前方に人影が見えた。
青色のジャージを着た長身の影。規則的な足音は自分より僅かに早い程度。
だが、カーブの外側を走る男は、内側を走る自分と同等以上の速度を持っている。体格が生む歩幅の広さがその源だ。

何故か、対抗心が湧いた。

ゆっくりと回転数を上げていく。蹴り足のエッジングは強く、自らの鼓動と同期するように加速。
足音が重く早く変化する。応じ、影も振り返らぬまま加速した。
重心は僅かに前方へ。崩れる体勢さえ利した加速を行いつつも、何かに固執するように外側を走り続ける。
ハンデだ、インコースは譲ってやる―――そう言いたげに。


朝六時、何事もなく起床した。窓から差し込む陽の光が眩しい。
寝坊した、と思って大いに慌て、今日は訓練が無かったことを思い出す。アップが要らないなら一時間程度の余裕はできる。
昨日の出動の後始末に隊長達が駆り出されているらしく、教導を行える状態にないとのこと。デスクワークと自主トレーニングのみが指示されていた。
にしても、妙だ。
いつもは私が起きる前にスバルがセクハラまがいの行動をしでかすのに―――

「って、スバル?」

奴は朝は早いタイプだ。寝坊することもまず無い―――現在進行形で悩みのタネだが。
朝っぱらからあのテンションについていくのは低血圧には辛いのだ。冷たく振り払うのも気まずいし。
眼を擦りながら起き上がると、枕元に置かれた紙片に視線が行った。

   『起きる頃には帰ると思う スバル』

千切られたメモに残ったボールペンの筆跡は、紛れも無くスバルのもの。
「何してるんだか……」
まったく、と呟きながらベッドから降りた。


『……新記録ですね、マスター』
マッハキャリバーの声が、心なしか冷たい。
「……ありがと」
自分の声は、溜息が出そうなぐらい弱々しかった。
マラソンじみた疾走は、頭を冷やすどころか心臓を爆発寸前に追い込んだ。
その上、追っていた影には肉薄すら出来ず、いつの間にか消えていた。
……幽霊とかじゃないよね……?
陸戦魔導師と足を競って―――それも腹立たしいことにハンデ付きで―――勝つなど、生半可な鍛え方で出来ることではない。
しかも、疲労によるペースの乱れや足運びのミスさえ、一つとして無かった。一切の減速を無しに、加速のみで延々と走り続ける―――人間業ではない。

芝生にごろりと寝転がり、土と草の冷たさで背筋を冷やす。
視界に映るのは、青い空、白い雲―――あれ?
「……マッハキャリバー。今、何時?」


「……それで、六時半にようやく部屋に帰ってきた、と……
 訓練が無かったからよかったけど、普段やったら叩きのめされるわよ?」
「うん……」
「でも不思議ね、アンタに持久走で圧勝するなんて……顔は見てない?」
「結構背は高くて肩幅も広かったから、男の人だとは思う。
 六課のジャージ着てたから……あ、事務の人?」
「それは無いでしょ……まあ、後で隊長達の誰かに聞いてみるのがいいわね」

二人の歩みは、ようやく食堂に差し掛かる。
出入り口に程近いテーブルに、見慣れた顔ぶれが並んでいた。
「おはようございます。ヴィータ副隊長にシグナムさん、エリオ、キャロと……?」
「おはようございますー……ってええ!?」
否、正確に言うなら、見慣れない顔も一人混じっていた。

金髪翠眼の男が、マグカップに入ったコンソメスープを啜っている。


「アレックスさんはこれからどうするんですか?」
「十三時から戦力査定試験だ。管理局に入るのは決まったが詳しい進路はその結果が出てから、だな」
「そうですか……試験、頑張ってください」
「エリオ、励ますのはいいが心配する必要は無いぞ。こいつは強い……私でも互角かどうか」
「でもよ、すげえなあオマエ。左腕落とされたままシグナムと闘ってたんだろ?」
「左腕っ!? ……エリオ君、それって戦える傷なの?」
「無理だよキャロ……痛いと思うし」
「痛い以前に出血で死ぬでしょうに……どんな手を使ったんですか?」
「……まともな傷では死なん、そういう身体なのでな」
「そうですか……こらスバル、人のチキンソテーを取るなっ!」
「えー? ティア減量中でしょー?」
「だから炭水化物摂ってないでしょうが……アンタはアレックスさんに聞くことないの?」
「え、えーと……」
「一手ご指南承りたく候―――というのなら私が先約だぞスバル」
「んなこと言い出すのはなのはかシグナムぐらいしか……いや、エリオはどうなんだよ」
「僕ですか? 正直そこまでバトルマニアには……」
「……おまえも、私をそう呼ぶのだな……」
「ああっ! シグナムさんの髪が真っ白にっ!?」
「エリオ……」
「エリオ……?」
「エリオ君……」
「スバルさんにティアナさん、キャロもどうしてそんな責めるような眼で!?」
「エリオお前……」
「ヴィータ副隊長までっ!
 女の人は怖い……アレックスさんは僕の味方ですよね!?」
「……」
「どうして眼を瞑って腕を組んで首を横に振りますか―――!?」


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最終更新:2007年08月16日 09:56