世の中には魔導書と言うものが有る。
 大抵のものは出鱈目な内容だったり、相当な検閲が為されていたりで大した力が無い。一般人が読んだところで、さして実害が無いのが現実だ。
 しかし、極稀にどうしようもない程の力を持った魔導書が世に出る事がある。
 そんな高位の魔導書は時として、自身で主を選ぶことが有るのだ。
 例えば、ティアナ・ランスター。彼女もそれに選ばれた人間の一人だった。



 第四話 いんすたんとまぎうす



「落ち着いた?」

 スバルからの問いかけに対するティアナの返答は、ただ首を縦に振るだけだった。
 膝を三角に折り曲げ、両手でマグカップを抱えるティアナは、まるで幼子のように思えた。
 スバルはティアナの隣に腰掛け、同じように両手でマグカップを包む様に持って佇んでいるだけ。それだけだ。
 問いかけの声も無く、二人の間を沈黙が支配する。
 どれ程沈黙が続いただろうか? まるでその静けさに耐えかねたかのようにティアナが口を開く。

「ねぇ、どうして何も訊かないの?」

 その言葉にスバルは少し困ったような、迷っているような曖昧な表情を浮かべて言った。

「だって、何も言いたくないって顔してたよ? ……それに多分だけれど、あたしが聞いても理解出来ないだろうし」

 むしろスバルは理解したくなかったのかも知れない。理解すればそこで終わってしまうような何かを感じ取った、と言えばいいだろうか?
 思い出すのは錯乱したティアナの姿。
 涙、洟、泡を垂れ流し、聞いたことも無い言語で叫ぶ様は余りにも異様で異常で異質だった。
 まるでティアナがその瞬間に別の――それこそ、異界の存在になった。と言われても納得してしまえる程の――世界の住人になってしまったと思ったくらいだ。
 もしくは親友とも呼べる人物が、外見をそのままに何か別の存在に取って代わられたのではないか?
 スバル・ナカジマが知っているティアナ・ランスターは既に存在しないのではないか?
 そんな有り得ない疑問すら、当時の彼女の心の中には渦巻いていた。
「そう……時にスバル、アンタ今ものすっっっごく失礼な事考えてなかった?」
「え゛?」
「その顔、図星ね」

 ティアナはスバルの背後を一瞬で取り、拳を握り締め人差し指第二間接をスバルのこめかみへと押し当て全力でぐりぐり。所謂ウメボシである。

「ちょ、ティア! あいだだだだだだだ! ギブ、ギブ!」

 こめかみを襲う痛みに耐えながらスバルは思う。
 ああ、よかった。いつものティアだ、と。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 魔導書が引き起こした怪異から数日が過ぎた日の事。
 ブリーフィングルームには、昨日からホテルの警備に向かっているシグナム、ヴィータを除くフォワード陣が集まっていた。
 どうやら、八神部隊長から任務の説明のようだ。

「今日の任務はホテル・アグスタの警備。骨董美術品や取引許可の出ているロストロギアのオークションが行われるんやけど、そのロストロギアをレリックと誤認したガジェットが襲撃してくる可能性がある。そこでわたしら、機動六課の出番って言うことや」

 そう言うとはやてはフェイトへと目配せをする。
 説明頼む、の合図だ。

「ここからは私が説明するね」

 そういってフェイトが端末を操作すると、ある男のデータが出てきた。
 ジェイル・スカリエッティだ。
「この男、広域指名手配犯ジェイル・スカリエッティが一連のガジェットドローンを使ったレリックの強奪犯、と言う線で捜査を進めている。こっちは主に私がやるけど、皆も覚えておいて」

 はい、と元気のいい新人四人の声を聞いてからフェイトは更に続ける。

「……実はこのジェイル・スカリエッティ以外にも、レリックを狙ってる組織があるという情報があったんだ。情報部が調べた結果、非常に信憑性が高いことがわかった。
 そこで本局は複数の捜査班を編成。捜査に乗り出したんだけど……実動部隊で還って来れたのは、たった一人だった。その唯一生還した捜査員も数時間後に死亡。死因不明。
 彼が亡くなる前に呟いていた『アンチクロス』と言う言葉が、その組織の名称じゃないかって本局では言われてる」
 ティアナもその話は聞いたことがある。あくまでも噂話の範囲で、だが。
 何でも捜査に出た部隊は、その日のうちに連絡が取れなくなり誰も還ってこないと言う、実にありふれた怪談のような噂話だ。
 しかし、その噂話が事実だったなど考えもしなかった。
 本局が派遣したと言うことは即ち、エリート部隊を差し向けたと言うことなのだ。捜査班にはAAランクやニアSランクも含まれていただろう。そんなエリート部隊が捜査に出たその日の内に壊滅、などと言
うのは余りにも荒唐無稽が過ぎた。
 だが、今のフェイトの言葉にあった通りそれは事実だ。
 その事が新人四人に、重く重く圧し掛かっていた。


 ※~~・~~◎~~・~~※


「どうして、どうしてティアを外すんですかっ!?」
「スバル、落ち着いて」

 ライトニング隊の面々とはやてが出て行った直後、スバルが怒声を上げながらなのはに詰め寄っていた。
 何故か? 発表された出撃メンバーから――シャマル、ザフィーラ守護騎士の名前があるにも拘らず――ティアナの名前が消えていたからだ。
 むしろ外されて当然と言える。既にティアナの魔力は六課に入った当初の三十分の一以下にまで減少。バリアジャケットを展開しつつ、魔法を使える程の魔力は今の彼女には無かったのだ。
 ティアナが頑張っているのはなのはも理解しているし、その努力も認めている。また、ガジェット以
外の脅威がある現状、一人でも戦力が欲しいのも事実。
 だが今の彼女の状態では、到底実戦に耐えられない。その判断は実に妥当なものであった。

「スバル、落ち着いて聞いて。ティアナにはもう、実戦に耐えられるほどの魔力は無いの」


 謎の魔力減少について、なのはから説明を受けたスバルは力なく項垂れる。
 何故、それほど重大な事をティアナは話してくれなかった? もしかすれば魔力が無くなる可能性だ
ってあるのに、何故相談してくれなかった? 何故、何故、何故?
 スバルの頭の中に何故と言う言葉と疑問が浮かんでは消え、ぐるぐると渦を巻く。
 そして渦を巻いた感情の矛先はティアナへと向き、ついには爆発する。

「ねぇティア……どうして、どうして話してくれなかったの!?
 そんなにあたしが信用できない!? そんなに頼りない?
 そんなに、そんなに……あたしが信用できないの!?
 ねぇ答えてよ、答えてよティア!」

 スバルはティアナに掴み掛かり、呪詛のように言葉を連ねる。
 縋り付くように掴み掛かる様は、まるで許しを請う咎人にも見えた。

「ごめんね、スバル」

 ごめんね、ごめんね、謝罪の言葉を繰り返しながら、縋り付くスバルをゆっくりと引き剥がす。

「でも、こればっかりは私だけの問題だから、スバルには関係の無いことだから……ごめん」

 拒絶の言葉がスバルの深いところに突き刺さる。
 ティアナからしてみれば拒絶ではなく、自分を壊したアレに関わらせないためだったのだが、全く言葉が足りていない。更に言えばこの時は配慮も足りていなかった。或いはスバルならそれだけの言葉で解ってくれると、ある意味妄信に近い感情を持っていた所為かも知れない。

「ティアの、ティアのバカーッ!」

 罵倒の言葉を置き土産に、スバルは凄まじいスピードでブリーフィングルームから出て行った。

「ちょ、スバル!? 待っ……」

 ティアナはスバルを呼び止めようとしたがやめた。
 これで良いのだ。誤解してくれたのであれば、その方が都合が良い。ティアナはそう考える。
 己と関わることが少なくなれば、必然的にあの魔導書と関わることも少なくなる。魔導書と関わることが少なくなれば、怪異と関わることも少なくなるのだ。
 スバルの未来を考えるならば、これが最善だとティアナは思った。それは余りにも身勝手ではあるが、彼女なりの優しさでもあった。

「ティアナ、誤解されたままでいいの? 誤解をとくなら早い方がいいよ、絶対」
「良いんです、これで。……では失礼します」

 何も表情を浮かべぬまま、ティアナはブリーフィングルームから出て行く。
 なのはは再び声を掛けようとしたが、何故か出来ない。
 何故ならティアナの背中には、何もかもを拒絶する『何か』があったからだった。




「はぁ~っ」

 場所は自室。机に突っ伏しながらティアナは激しい自己嫌悪に陥っていた。
 もう少し遣り様はあっただろう、もう少し優しい言葉をかける事ぐらい出来ただろう。時間を置けば置くほどに、そんな考えが頭の中を埋め尽くしてゆく。
 その上、直接の上司にあの態度。あれは無いだろう。
 溜息を吐きながら何の気なしに引き出しを開けてみれば、其処にはおもちゃの拳銃、燃える五芒星が浮き彫りにされた金属板、そしてネクロノミコン。
 魔導書から目を逸らしつつ、他の二つを手に取る。彼女はずっとそれを眺めていた。

 気が付けば、間も無くヘリの出発時刻だ。せめて見送りくらいはしておきたい。
 再び手元の玩具と金属板を見る。
 お守りくらいにはなるか、彼女は金属板を持ってヘリポートに向かった。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 ヘリにスバルが乗り込もうとしている。制服はタイトスカートであるにも拘らず蟹股気味に歩き、少々肩もいかり気味。どうやらまだ怒りが収まりきらないようだ。

「スバル!」

 その声にスバルが振り向くと、目の前に何かが迫っていた。それは直径十二センチ程度の緑色をした円形金属板だった。
 顔に当たる寸前で掴み取り、声の主に罵声を浴びせる。

「ちょっとティア、危ないじゃない!」
「そうでもしないと、誰かさんが受け取ってくれなさそうだったのよ」

 その言葉に先程掴んだ物を見る。燃える五芒の星が刻まれた金属板、それはティアナの兄、ティーダ・ランスターの遺品だった。

「これって……」

 言葉が続かない。ティアナにとって大切なもの、数少ないティーダとの絆。

「お守り、あとで絶対返しなさいよ!」

 それだけ言ってティアナは踵を返す。背中を向けたまま手を振る彼女の背中から、拒絶は感じなかった。
 スバルは両手でお守りを握り返事をする。

「うん! 絶対、絶対返すね!」

 その表情に先程までの怒りは無く、割と晴れやかだったそうな。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 ――ホテルアグスタ。一般人には余り縁の無いホテルである。一泊の料金も高ければ、お料理の値段もそれ相応。つまりはよくある高級ホテルである。にも拘らず何故か立地条件は悪い。謎である。
 続々と車がやってきては人を降ろしてゆく。その中に一際、人目を惹く人物が一人。
 漆黒の髪、大きく胸元の開いたシックな黒いドレス。見る人が見れば、黒いドレスは自己主張の少ない銀糸により、上品に装飾されている事がわかるだろう。
 その身に纏う闇の中で、浮かび上がるのは透き通るような白い肌。そして、鮮血よりも尚紅い瞳が印象的な女性、ナイアだ。
 誰もが彼女に目を奪われていた。性別はおろか、生物、無生物すら問わない。神が己の欲望の趣くままに人を形作ればこうなるだろう、と言う見本のような女性だった。
 無論なのは達三人も例外ではなく、女性が会場に入るまで揃って見惚れていた。

「そんなにじっと見つめられたら、流石の僕も照れちゃうな」

 巫山戯たような、からかうような女の声がなのは達の背後から響く。
 三人がぎょっとして一斉に振り向く。其処に居たのは先ほど目の前を通り過ぎ、会場に入った筈の女性。

「おやおや、どうしたんだい? 鳩が豆鉄砲食らったような顔しちゃって」

 口元に手を当て、女はくすくすと上品に笑う。

「あ、あ、い、いえ、何でもありません」

 はやてがどもりながら答えると、やっとなのはとフェイトの硬直が解けた。

「そう、ならいいんだ。じゃあ警備頑張ってね。機動六課の隊長さん方」

 女性の声には聞く者の心を蕩けさせる淫靡さと、嘲りが多分に含まれていたが三人が気付く事は無かった。

「なのはちゃん、フェイトちゃん。今の人知り合い? 私らの事、知ってるみたいな口振りやったけど」

 はやては二人に問いかけるが、返ってくる答えは否定の言葉。二人とも知らない。もちろんはやても知らない。

「あの人、何モンや……」

 はやての疑問に答えられる人物は、この『世界』にはまだ居なかった。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 オークション開始の時刻に合わせるかのように、ガジェットが出現した。
 その通信を受けた機動六課課員たちが飛び出してゆく。
 副隊長二名、及びザフィーラは最外郭部にて迎撃。
 尚、指揮官はシャマル。サポートとしてリィンフォースIIがつく。
 ロングアーチからの情報に拠れば、ガジェットドローン以外の敵影は現状確認されてはいない。
 油断は出来ないけどこれなら何とかなりそう、シャマルはそう考えていた。
 しかし、神ならぬ身である彼女に未来を知れ、と言うのは酷な話しである。『神』以外に、未来は解らぬものなのだから……。


 防衛ライン最外郭部。そこにはガジェットドローンの残骸が山と積み上げられていた。
 この山を作り上げた張本人、シグナムとヴィータは高速で飛び回り次々に撃墜スコアを伸ばしていく。ガジェットどもを一刀の下に斬り捨て、或いは鉄槌の一振りで叩き潰す様はまさに痛快だった。
 その痛快劇には、ホテル内にいる『観客』の彼女も少し楽しげだった。
 しかし、それだけでは終わることは無い。彼女は監督にして脚本家にして演出家、そして自らを舞台装置の一部とすることもある。今回はまさにそれだった。
「さて、このままずっと見ていたい気もするけど、少しくらいはピンチを演出しないと。
 ピンチに陥らない主人公たちと言うのは、少々面白みに掛けるからね」
 女はそう一人ごちると、おもむろに腕時計の針を止める。
 すると、ホテルとその付近のあらゆるものが静止した。誰一人として、Sランクオーバーの魔導師すら例外では無い。
 否、人だけではない。音も電子もニュートリノも光子も重力子も時間も、あらゆる物が例外なく静止。
 例外はあった。ホテルの全てを静止させた張本人、ナイアだけが動いていた。
 あらゆる存在が静止した空間内において動いていると言うことは、何よりも異常。そして異質。

「さてさて、巫女はどう出るかな? 彼女たちはどう出るかな?嗚呼……楽しみだなぁ。本当に楽しみだなぁ。あはは、ははははははははははははははは!」

 音が響かない筈の空間に、女の哄笑が何時までも何時までも響いていた。


 ※~~・~~◎~~・~~※


「こいつら、後から後からわんさかと!」

 もう数えるのも馬鹿馬鹿しいほどのガジェットを残骸にしてきた。そんな数を相手にしていれば愚痴もこぼれる。ヴィータはうんざりしながらガジェットを叩き潰していく。
 そんな数が頼りのガジェットとて有限である。その数は既に三体にまで減っていた。
 シャマルから送られてきた情報によれば、今ヴィータとシグナムが相手にしているので最後のようだ。
 んじゃ、ラストといくか! 気合を入れて最後のガジェットドローンを叩き潰した時だった。
 凄まじい速度で飛んで来たのは短刀。投擲用に特化した小柄。
 咄嗟にシールドで防御をするが、バリア突破系魔法でも掛けられていたのか、危うく食い破られそうになった。
 それが飛んできた方向に目を向けると、そこには着流し姿の男が立っていた。左手はあごを撫で、右手は懐に入れている。

「ほう、防いだか」

 感心したような、しかし平坦な男の声。

「随分なご挨拶だな『指揮官へ。こちらスターズ2、時代錯誤な侍野郎に攻撃を受けた。指示を』」
 念話で指揮官であるシャマルに報告し、そして指示を待つ。
『スターズ2、任意に迎撃を』
『了解』
 サムライは先程のまま佇んでいる。動く気配は今のところ無い。
 だが男が魔法の使い手、しかも相当な手練であることに間違いは無い。でなければ、ああも容易く彼女のシールドを食い破ることなど出来ないだろう。

「手前ぇ、何者だ?」

 ヴィータにとってその問い掛けは、ただ形式的なものに過ぎない。
 しかし、サムライは僅かな瞑目の後に答えた。

「……逆十字が徒、ティトゥス」

 ――逆十字、つまりアンチクロス。それはヴィータも聞いたことのある名だった。ホテルの警備に就く前日にシグナムと共にフェイトから聞いていた名だ。
 自然とグラーフアイゼンを握る手に力が入る。

 唐突に眼下のサムライから放たれる圧力が増す。両掌から刀を喚び出し構えを取る。戦闘態勢に入ったのだ。
 そして、大気が爆ぜた。
 神速を超える踏み込み。それは地に足を着かせる事無く、大気を踏み締め、圧縮し、爆発させ、推進力へと変換しているのだ。

「んなぁっ!?」

 これはヴィータにとっても想定外だった。飛ぶでもなく、跳ぶでもなく、足場を作るでもなく、空気しかない空中を走る奴には、今までお目にかかったことが無かったのだ。
 だが彼女とて歴戦の戦士。想定外でこそあったものの、ティトゥスが繰り出す神速の斬撃に反応、見事回避しきった。
 そして何よりも恐ろしい事に気付く。このサムライはデバイスを使っていない。あの刀がデバイスかと思ったが何の変哲も無い鋼鉄だ。その上魔法陣の展開も無い。
 ヴィータの頬を一筋の汗が伝う。
 強い。眼前の時代錯誤なサムライは強い。
 ならば、現状で出来る最大の一撃を以って叩き潰すしかない。

「グラーフアイゼン!」『Gigantform』

 ハンマーヘッドが大型化、同時に最大の速度で突撃。ティトゥスに対し振り下ろす。
 刀で受け止めようとしたようだが、ギガントフォルムの質量と速度は、そんな鋼程度では受け止めることは愚か、受け流すことすら出来ない!
 爆煙があがった。

 土煙の向こうに何かが居る。特徴的なざんばら頭、時代錯誤な着流し、そして鋭い眼光。ティトゥスだ。
 まず、ハンマーヘッド側面を叩き僅かに軌道を逸らす。そして刃の上を滑らせることで、受け流す事も出来ない筈の一撃を受け流した。二本の刀を犠牲にすることで。
 まずい! そう思った時には閃光がゆるやかな弧を描き、ヴィータの首に迫っていた。
 刃は毀れ、筋も伸びている。最早斬れる状態ではないが、それでもヴィータの首を刎ねるくらいは出来るだろう。
 だが、それは甲高い金属音と共に別の刃に受け止められた。レヴァンティン、シグナムだ。



 シグナムがそれを目撃したのは、単なる偶然だった。
 ガジェットドローンを殲滅し、ホテル防衛に戻ろうとした途中でそれを見たのだ。グラーフアイゼンによる一撃を外し、多大な隙を晒すヴィータを。
 敵であるサムライの刀が振るわれるより速く、シグナムは飛行。
 間一髪、サムライの剣閃を防ぐことが出来たのだ。もう一度やれ、といわれても出来るものではない、それほど凄まじい速度だった。



 シグナムの参戦によって、形勢は逆転した。
 ヴィータ、シグナムによる同時二方向からの攻撃は、ティトゥスの技量を以ってしても反撃することは出来なかった。あらゆる攻撃を受け流し、受け止める。
 まるで時間を稼いでるようなティトゥスに、ヴィータは疑問を感じた。
 ならばと、ティトゥス程の技量があれば必ず回避でき、そして必ず反撃可能なやたらと狙いの甘い攻撃を繰り出す。
 サムライはそれを弾き、逸らした。刀にダメージを負って。
 その一撃でヴィータは確信した。こいつは陽動だ、と。

「シグナム、こいつは無視だ! 本命は別に居る!」

 思念通話ですらないその言葉に、シグナムははっとする。気付いたのだ。目の前のサムライの目的に。

「してやられたかっ」
『シャマル、はやてに連絡! 別働隊がいる! ……シャマル? シャマル!?』

 シャマルに思念通話が通じない。ならばと、はやてへの通話を試みるが、そちらも繋がる気配が無い。
 ジャミングが掛けられてる形跡も無い。しかし現に通じない。

「その顔、気付いたか。だが、今暫く時間を稼がせてもらおう。それが契約故」

 ティトゥスの両手に新たな刀が出現する。
 それが第二ラウンド開始の合図だった。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 ヴィータ、シグナムとティトゥスが交戦した時刻、スバルたち三人はシャマルから指示されたポイントに到着していた。
 だが、其処には何も無かった。
 ガジェットドローンの姿すらない。ただ、地面に黒い影が落ちているのみ。
 辺りを見渡してみるが、影を作り出すものが何も無い。異常だ。
 その影を見た瞬間から、スバルの中にある何かが警鐘を鳴らす。そして、それは実に正しかった。

「エリオ、キャロ、下がって!」

 スバルが言うや否や、黒い影の水面が波打つ。
 溢れ出てきたのはガジェットドローンI型。その数五体。影からはそれ以上出てくることは無いようだが、影は消える事無く其処に佇んでいる。

「二人とも、援護お願い! あと、影に気をつけてね!」
「はいっ!」

 二人の返事は実に威勢のいいものだった。その言葉を聞いたスバルは全速力でガジェットに突っ込んでゆく。
 影が動く気配は無い。ならば今は目の前の脅威を一つ一つ片付けるだけだ。
 I型だけであれば、自分だけで何とでもなる。スバルはそう思っていた。だがそれは過ちだった。
 ナックルダスター発動。ウィングロードを全速力で走り、ガジェットドローンへリボルバーナックルを思い切り叩きつける。
 スバルの拳が装甲を破り、内部機構を引きちぎる。

『GYAアあ亜ア■ア吾アAhaaaaaぁぁァ■!!』

 ――いつもと手応えが違った。そして響く筈のない、ガジェットドローンの悲鳴。目の前の物体から発せられる強制的な思念通話。有り得ない、有ってはならない事態だった。
 ガジェットドローンが血を流していたのだ。
 引き抜いたリボルバーナックルの回転部分に付着しているのは、明らかに人の血液と神経、そして内臓。
 装甲が破れた箇所からとめどなく内臓、神経、脳が溢れ出している。
 三人の思考が停止した。

 ぱちぱちぱちぱち。突然響く場違いな拍手。

「スバルちゃん、童貞卒業ね。おめでと☆」

 影の中心に、緑色の奇怪な仮面を被った道化師が拍手をしながら立っていた。
 道化師は更に続ける。絶頂に達したかのように、全身を震わせながら。腐臭を撒き散らして。

「どう、さっきまで『生きてた』お仲間を手にかけちゃった気分は? サイッコーでしょお☆ アタシだったらそれだけでイッちゃえるわよぉ!」

 ぽとり、流すものが何もなくなったガジェットドローン内部から最後に出てきたのは、血と肉の破片に塗れた認識票。
 ドラグノフ・ソゲキスキー三等空尉。それが中に押し込められていた人物だった。

「アタシたちアンチクロスの周りをコソコソ嗅ぎ回ってたのよ。ほんと、大した力も無い癖にねぇ」


 彼ら、捜査班実動部隊の末路は酸鼻を極めた。
 ある者は一瞬で細切れにされ、ある者は拳に叩き潰され、ある者は風に切り刻まれ、ある者は肉槍で刺し貫かれ、ある者は音波で血液を沸騰させられ、ある者は高熱の光に蒸発させられた。
 この時点で全滅したわけではない。まだ十人、生き残っていたのだ。生き残りのうち、一人だけはメッセンジャーボーイとして利用された。時間が来れば、体を内側から食らい尽くす蛆を組み込まれて。
 だが死ねた者は――とりわけ死体が残らなかったものは――ある意味幸せだっただろう。何故ならば、生き残った者は生きたまま脳髄、内臓を取り出され、ガジェットドローン内部に押し込められたからだ。
 しかも、死なぬように魔術を掛けられながら。精神も狂わぬように保護されながら……。
 つまりはティベリウスの言う通り、本当に『彼ら』は生きているのだ。人の姿を失い、人としての記憶も奪われ、痛覚以外の感覚を奪われて……。
 苦痛を受ける、そのためだけに『彼ら』は生かされている。目の前の魔術師によって。


「ほんと、オ☆ バ☆ カ☆ さ☆ ん☆ よねぇ!」
「うう゛っ」

 キャロが嘔吐と共に気絶したのを皮切りに、吐き気が伝播してゆく。エリオ、直接手を下したスバルも例外ではなく、その場に蹲り吐いた。
 スバルは顔を涙と洟と吐瀉物で汚しながらも、怨敵たる道化師睨み付ける。

「あらあら、そぉーんなに気に食わなかったの? 残念ねぇ。アタシの誠心誠意を込めたお持て成しだったの―――」
 その言葉にエリオの怒りが頂点に達した。

「この外道めぇっ!」『Speerangriff!』

 涙も洟も拭わず、道化師の言葉が終わらぬ内にソニックムーブで接近。ストラーダを忌まわしい男に対し突き刺す。
 しかし道化師を傷つけることは出来なかった。なぜならば――

『イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ……』

 ガジェットドローンが道化師の盾となったからだ。
 寸前で気付いたエリオがストラーダを無理矢理減速させ、逸らしたのが幸いした。刃は装甲を浅く裂く程度で済んでいた。
 それでもガジェットは痛がっていた。
 エリオは見た。切り裂かれた装甲の断面。そこに神経が通っているのを。

「さっすがアタシよねぇ! きーっちりアタシを護ってくれるわぁん! ほんっと素敵よぉ!」

 ティベリウスの周囲を護るガジェットドローン。『彼ら』はスバルたちを攻撃するでもなく、ただ飛び回るだけ。
 スバルが道化師にリボルバーシュートを打ち込もうとすれば、射線上にガジェットが割り込む。
 ならば、と接近して拳打を浴びせようとしてもガジェットは身を挺して庇うのだ。忌まわしき道化師を。
 最早、スバル達に打つ手は無かった。

「ああん、でも残念よねぇ。アタシが直接手を出すのはご法度なの。だぁかぁらぁ……」

 そう言って道化師は懐から何かを取り出す。
 鉄で作られた表紙に踊る、蚯蚓がのたくった様な字。墓地めいた屍臭――魔導書、妖蛆の秘密(De Vermis Mysteriis)だった。
 ひとりでに表紙が開かれ、ぱらぱらとページが捲れる。

「んん~、これね☆
 ――蛆(ワムス)
 ――蟲(マゴット)
 ――妖虫(ワーム)
 ――妖蛆(ウェルミス)!」

 力ある言葉が唱えられ、現実が書き換えられた。異変が起こる。
 先ず、思念通話が使えなくなった。道化師が結界らしき物を張ったのだ。
 そして。
 スバル達の眼前にある『死体』が蘇った。臓物と神経と血管、脳しかない状態で。
 つい先程まで新鮮だった『死体』にはびっしりと蛆がわき、既に道化師にも劣らぬ腐臭を発している。

 彼らのクライアントは道化師自身には手を出すな、と言ったが彼が使役するモノに対しては何も言っていない。
 つまり……ティベリウス自身が手を出しさえしなければ、彼女たちを陵辱できる。
 直接手段ではないため肉体的快楽を感じることは無いが、精神的に嬲る事でティベリウスは非常な快感を得ることが出来るのだった。

 その『死体』は、緩慢きわまる動作で起き上がる。はらわたを足に見立てて。
 腕の代わりであろう血管と神経が、突如唸りを上げて三人の首、腕、足に絡み付いてきた。先程の緩慢な動きが嘘に思えるほどの速さだった。
 弾力と有り得ぬ強靭さを併せ持った触腕は、スバルの怪力を以ってしても容易に切れるものではない。
 動きを完全に止められた。思念通話も断たれた。三人の目の前には四体のガジェット。そして最大の脅威である、道化師。
 悔しかった。打つ手が無い事もそうだし、ガジェットの中に押し込められてる人を、助ける事が出来ない。それが何よりも悔しかった。
 隣を見れば、キャロは未だに気絶したまま。エリオは悔し涙を流しながら、それでも尚憎悪を以って仇敵を睨みつける。
 触腕を振りほどこうと力を込めるが、どれ程力を込めても、どれだけ魔力を込めても、この触腕は千切れるどころか緩む気配すらない。打つ手は、無かった。悔しい。その感情だけが募り涙が流れる。
 首を絞める触腕に更なる力がこもる。ぐえっ、という蛙が潰れるような声と共に顎が上がった。その時、確かにスバルは見た。
 視界は涙に、空は結界にぼやけていたが、確かに見えたのだ。灼熱色に輝く流れ星が。


 ※~~・~~◎~~・~~※


 時は少し遡る。
 ティアナはグリフィス・ロウランの許可を得て自主訓練に励んでいた。
 腐っていても仕方が無い、ならばせめて少しでも、ほんの少しでもあの子達に追いつこう、そう考えての事だった。
 時刻は間もなく正午。そろそろ切り上げるかな? そう思った時、何かを感じた。それは所謂、虫の知らせ、もしくは胸騒ぎと呼ばれる人間の持つ第六感。
 彼女は走った。状況を知るために。司令室へと。

 司令室は混乱の極みにあった。
 前線指揮を執っているはずのシャマルとも、そして部隊長であるはやてとも連絡が途絶えたのだ。
 グリフィスが周りの混乱を収めようとしているが上手くいっていない。
 そのため、ティアナが入ってきた事にすら誰も気付くことは無かった。

 大きくディスプレイに映る広域図を見てみる。
 するとこの混乱の原因が解った。
 ヴィータ、シグナム、ザフィーラを除く反応が全て消失(ロスト)していたからだ。

 愕然とした。
 スバルたちの反応も消えている。
 ――嘘だ、嘘だ……嘘だっ!!
 余りの現実に倒れそうになった時、何かが聞こえた。物理的な音ではない。思念だ。
 それは聞こえる筈の無い、スバルの思念。
 悔しい、と言う感情。それは思念通話を介しティアナに情報を送る。
 それは、まだスバルたちは健在であること。そして絶望的な状況にあるという事。
 しかし自分は無力だ。
 先ず、助けに行くにも手段が無い。ヴァイス陸曹のバイクを無断で拝借し、交通法規を無視して走ったとしても1時間半以上確実に掛かる。
 それでは遅すぎる。もっと早く察知できていれば……ティアナは臍を噛んだ。

 その時だった。別の聲が聞こえてきた。
 何を言っているか全く解らない、理解不能の言語。
 それは次第に、不明瞭ながらも理解可能な言語へと変わってゆく。そして……。
 その言葉を聞いたと同時に、司令室を飛び出していた。
 その聲はこう言っていた――力を与えよう。と。

 ――我を求――

 ひたすらに廊下を走る。向かう先は自室。
 途切れ途切れに聞こえてくる、雑音が入る筈の無い雑音混じりの思念通話から、ティベリウスと戦う
スバルたちの劣勢が聞き取れる。それが更にティアナを焦らせていた。

 ――我を求めよ! さすれば――

 部屋に近づけば近づくほど頭の中に響く声無き聲がどんどん大きくなり、はっきりと聞こえるようになる。

 ――我を求めよ! さすれば汝に力を与えよう!――

 到着した。目の前には扉。
 あとはこの扉を開けるだけだ。
 指が震える、足が竦む、口の中がからからに乾く、心臓が早鐘のように鳴る。
 この扉を開けてしまえば、きっともう後戻りは出来なくなる。自分が自分でなくなってしまう恐怖。それは確かに恐怖だった。あの本に触れただけで気が狂ってしまった自分。破壊された自己。犯され侵され冒された精神。あんな思いは二度としたくないと言うのが彼女の本音だ。
 しかし、それでも、彼女はもう亡くしたくなかった。
 友を、戦友を、親友を喪う恐怖に較べたらそんなもの、屁でもない!
 彼女は勢いよく扉を開けた。


 部屋の中は完全な異界と化していた。
 四角形の内角は明らかに360度を越えて存在し、直線は真っ直ぐに捩れ、平行線は垂直に交わっている。そんな異常な部屋の中で唯一、それだけが正常な姿を保っていた。
 魔導書ネクロノミコン。
 異常しかない部屋の中で正常であると言うことは、何よりも異常であるという事なのだ。
 つまり、この異界を生み出したのは紛れも無くネクロノミコン。

 ティアナは異界と化した部屋へ躊躇無く飛び込んだ。
 僅か数メートルの距離が果てしなく遠い。走っているのに全く距離が縮まらない。既に彼女の感覚にも異常を来たしていた。
 それでも尚、彼女は走る。魔導書に向かって。一直線に。
 どれ程の時間が経ったかも彼女には解らない。解る必要など無い、と狂った感覚が告げる。
 やがて永劫にも思える数秒の後、彼女は机の前にたどり着いた。肩を激しく上下させながら呼吸を整える。
 そして、魔導書を手に取る。
 瞬間、以前のように膨大な知識が彼女の中に流れ込んできた。
 忌まわしい、この上なく忌まわしい知識だった。
 しかし、今はその忌まわしい知識と力こそが必要なのだ。故に必死に抗う。
 激痛に苛まれる全身。軋みを上げる精神、折れそうになる意思。
 折れて堪るものかと、祈りにも似た気合を込めて唱える。

「我が名はティアナ・ランスター! 汝、ネクロノミコンの主なり!!
 接続(アクセス)、I am Providence! ネクロノミコン――起動せよ!」

 瞬間、魔導書の頁が解け、光と共にティアナの全身に纏わりついてゆく。あたかも彼女の存在を、別の何かに書き換えるように……。
 それは以前のような埋め尽くすものではなく、バリアジャケットのように全身を覆ってゆくのだ。
 光の中心から顕れたのは漆黒のスーツを纏ったティアナ。術衣形態(マギウススタイル)――それがその形態の名称。
 殆ど無くなっていた筈の魔力が戻っている。いや、それどころかつての最大値よりも爆発的に増加している。
 体の奥底から湧き上がる力と、溢れんばかりの魔力に思わず言葉が漏れた。

「す、凄い……これが魔導書の力……」

 本の頁を束ねたような翼を羽ばたかせてみる。すると体が浮くではないか。
 翔べる! そう確信した時、既に窓を突き破り外へと飛び出していた。
 しかし、遅い。確かに飛べるし、そこそこのスピードも出る。ヘリよりは速いだろう。それでもスバルたちを助けるには遅すぎるのだ。
 何か手段は無いものか? クロスミラージュにも手伝ってもらって術式を検索する。


 ――転移術式――
 ――該当あり。記述の7割以上消失(ロスト)。使用不能――
 ――その他の高速移動手段検索。該当あり――
 ――機神招喚――
 ――永劫(アイオーン)招喚による高速移動。使用可能。非推奨――


 他にも条件を変えて検索をかけるが、記述が消失しているなどで使用不能なものばかりだった。
 ならばこれを使うしかないという事か。
 ――やってやるとも。成功させて見せる。
 決意と覚悟を胸に彼女は唱える。神を喚び出す言葉を。そして術式を紡ぐ。

 ――思考疾走――
 一秒が千秒にも万秒にも引き伸ばされる。
 光すら捉えられそうになる錯覚。
 ――術式構築――
 幾億、幾京、幾垓にも及ぶ魔術文字と呪紋が意味を持つように並べ、それを複雑に組み合わせながら術式と成す。
 更に術式と呪紋を掛け合わせより複雑に、より強靭にしてゆく。最早、人には認識することすら出来ない領域にまで昇華させる。

 左手で印を結ぶ。薬指、中指、親指の順に折り曲げ、人差し指と小指は伸ばす。そして力ある言葉を唱える。

「無敵のヴーアの印に於いて、力を与えよ、力を与えよ。――力を、与えよ!」

 やがてティアナの右手に鍛造されたのは一本の剣。歪な形をした曲刀、バルザイの偃月刀だ。
 偃月刀を握り精神を研ぎ澄ませ、魔力と昂ぶる魂を融合させ精錬精製する。

 ティアナが纏うネクロノミコンの一部が解け、無数の紙片となって空中で舞い踊る。
 それぞれの頁は、複雑な呪文や魔術文字を明滅させて二次元的魔法陣を作り上げてゆく。
 これから展開される術式は高位の魔導書のみが持つ最大の奥義、もしくは奇跡。機神招喚だった。

「げふっ……あ、あっ……がぁぁっ!!」

 吐血。体を、脳髄を駆け巡る術式に彼女の肉体が耐えられないのだ。
 それもその筈、今のティアナは駆け出しの即席もいい所。そんな低い位階の魔術師が鬼械神の招喚など、無謀でしかない。
 でも、それでも彼女は術式を紡ぐ。
 体はとっくに限界を超えている。膝はがくがくと笑い、偃月刀を持つ手にも力が入らない。
 ついには目、耳、汗腺からも血が噴き出す。既に全身は血塗れとなっていた。体中に焼鏝を突き刺されたような激痛が襲う。
 それでも何かに取り付かれたかのように、只管に術式を紡ぐ。喪いたくない、その一心で。祈りにも似た切実さを以って。

 そして完成しない筈の術式が――完成する。


「永劫(アイオーン)!
 時の歯車
 断罪(さばき)の刃
 久遠の果てより来たる虚無――
 永劫(アイオーン)!
 汝(なれ)より逃れ得るものは無く
 汝(な)が触れしものは死すらも死せん!」


 言霊と共に、今まで二次元的構成だった魔法陣が三次元的魔法陣となる。それは空間と次元と世界の有り方を変化、変容、変異させた。
 空間が爆ぜる。次元が砕ける。世界が弾ける。
 それは現実を侵食するマボロシ。マボロシでありながらも、圧倒的質量と確かな厚みを持った全長五十メートルに及ぶ神の模造品。
 それは罅割れた神像。
 それは片腕の欠けた刃金。
 それは不完全な闇色の機神。
 最強にして至高の魔導書と謳われたアル・アジフ。その写本、ネクロノミコンが鬼械神(デウスマキナ)アイオーンだった。

「凍てつく河より飛び立て、シャンタク!」

 鱗を幾重にも重ねたような翼がアイオーンの背中に顕れる。それは魔力のフレアを爆裂させ、重量五千トンを超える巨体を宙へと浮かべる。
 闇色の機神=ティアナは機体が赤熱化するほどの超高速で、青空へと飛翔した。その姿はまるで灼熱色の流れ星。
 流れ星が目指す先は、ホテル・アグスタ。


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最終更新:2008年04月15日 00:20