「何、これ……? ―――ッ! ロウラン準陸尉、これを!」
アルト・クラエッタが叫びと共に何かを中央ディスプレイに映す。
そこに映っていたのは人。ここに居る誰もが見たことの無い、しかし何処か見覚えのある人物。
漆黒のボディスーツを纏い右手には歪な曲刀を持った、少女と言っていい年齢の人物。
その少女は宙に浮きつつ呪文を唱える。もともと異常な値を示していた魔力値は規格外の領域へ
と到達し、更に更に更に上昇する。そして少女が全身を震わせ、血が噴出した。
無様に大地へと叩きつけられ、這い蹲り、血反吐を吐き、全身から血を流し、それでも尚立ち上がり
懸命に詠唱を続ける。
少女を中心として展開される魔法陣。それはミッド式でも、ベルカ式でもない非常に奇妙なものだ。
その魔法陣は二次元から三次元へとシフトし、更に構造は複雑なものへと変異。有り得ない事が起こった。
少女の後ろに顕れたのは巨大な人影。否、影ではない。漆黒の輝きと確かな厚み、質量を持った隻
腕の巨人、永劫。
一体、誰がこんな夢想を信じられようか? しかし、これは現実であるのだ。
少女は光へと分解され、巨人へと吸い込まれてゆく。そして巨人の眸に光が点る。少女の瞳と同色、
鮮血のような赤だった。
重々しい駆動音と金属音を響かせながら、ゆっくりと立ち上がる。
誰かが息を飲んだ。
計器にはデタラメ極まる数値が示され、既に用を為していない。
司令室にいる誰もが、巨人が飛び去るまでの間ただ見るだけしか出来なかった。
第五話 スーパーティベリウスタイム(仮)
飛び出したアイオーンは瞬時に音速を突破。ティアナの移動の意思に呼応、衝撃波を引き千切り更
に更に更に加速する。赤熱化する罅割れた装甲、だがそれだけだ。それ以上は何も起こらない。壊れ
る事は無い。溶けることも無い。
鬼械神は模造品とは言え、分類上は神と言うカテゴリーに属する。人が神と言う形而上の存在を物
理的に破壊することが出来ないのと同じに、鬼械神もまた物理的に破壊は不可能―――尤も、極々僅
かながら例外と言うものが存在するのも確かなのだが―――なのである。
しかし術者は別だ。現にティアナの肉体はその殺人的加速に耐えるのが精一杯だった。そんな状態
で制御など出来よう筈も無い。
「あぐっ! このっ、言うこと、聞きなさい、よっ!」
アイオーンはティアナの意思に反し、超高速で滅茶苦茶な機動を繰り返す。上へ下へ右へ左へ前へ
後ろへ。
自身が招喚したにも拘らず、このような状況に陥っているのには理由がある。ピーキーなのだ、ど
うしようもないほどに。
例えば、免許取り立てでそれまで車に触ったことすらも無い人物が、いきなりフォーミュラーマシ
ンに乗ったようなものなのだ。しかも加速Gや減速Gにより押し潰される寸前の状態で操縦しなけれ
ばならない。いきなり操縦できるほうが異常なのだ。
だが、何事にも僅かながらの例外と言うものが存在する。ティアナ・ランスターは、その極々僅か
な例外だった。
滅茶苦茶な機動を繰り返していく内に、何と無くではあるがティアナには操縦のコツのような物が
わかって来た。だがその間も肉体にはどんどんダメージが蓄積されてゆく。
全身の毛細血管が次々と断裂してゆく音が聞こえる。眼球が圧迫される。骨が軋む。操縦桿を握る手
は既に感覚が無い。術衣を纏っているにも拘らず、内臓が押し潰され吐血を繰り返す。
それもその筈、鬼械神は本来人が乗るようには出来ていない。故に術者にかかる負担は想像を絶する。
また、アイオーンは数ある鬼械神の中でもかなりの高位にある。
窮極にして至高、慄然たる魔導書アル・アジフ。その写本であるギリシア語版―――現在ではミッド
チルダ言語に翻訳されている―――ネクロノミコンも相応の位を備えている。たとえ焼け落ちようとも、だ。
だが、人間が人間のまま高位の鬼械神、アイオーンを使役するためには相応の対価を支払わなければならない。
その対価とは―――術者の生命そのものである。
アイオーンを招喚した当初からティアナはそれを感じていた。最初こそただの違和感だったが、今な
らばその正体がはっきりと解る。
アイオーンによって命が削り取られているのだ。より正確に言うならば、その心臓部『アルハザード
のランプ』に。
僅かずつではあるが、確実に逃れ得ぬ死へと近づいている。
だが今はそんな事にかかずらっていられない。更に命を削りアルハザードのランプにくべ、機体を加
速させた。
十秒程度の飛翔だったろうか? アイオーンの紅い眸を通してそれが視えた。
遥か下方にある建物、ホテル・アグスタ。そして張られている結界。
結界内部を視る。その中にいたのはスバル達と道化師。
しかし距離が近すぎる。道化師をここから対霊狙撃砲(アンチ・スピリチュアル・ライフル)で撃てば、
スバル達を確実に巻き込んでしまう。それだけは絶対に避けねばならない。
しかしスバルたちには逃げる術がない。背後より何かが絡み付いているからだ。
―――考えろティアナ・ランスター! 何か手はあるはずだ。スバルたちを助ける手段が!
記憶の検索と魔導書の記述検索を並行して行う。その間およそ二秒。
“―――お守り、あとで絶対返しなさいよ!―――”
“―――うん! 絶対、絶対返すね!―――”
有った。
それをやり遂げられるだけの自信などない。しかも他者の脳髄、それも思考野に進入するという、人の
尊厳を踏みにじる最低の行為。だが、今の彼女に出来る最良の選択であった。
きっとスバルには嫌われるだろうな、そんな詮の無い考えが頭を過ぎる。
苦笑を浮かべつつ、ティアナは己を術式を動かす部品とする。
構築されてゆく術式。それは、喪いたくない、亡くしたくない、そんな祈りで綴られていた。
※~~・~~◎~~・~~※
―――術式介入―――
灼熱色の流星が見えてから少し経った頃、理解を超えた何かがスバルの中に侵入してきた。
それはスバルを壊すようなものではなく、何故か懐かしくて、とても大切で、とても暖かい。まるで誰
かに抱擁されているような安心感があった。
―――術式展開―――
スバルの頭の中で強制的に展開される術式。
ソレはとても高度な、質量をも持つような情報とでも言うべきだろうか。
やがて術式は複雑に絡み合い、見た事も聞いたこともない呪文へと変換された。
その呪文とは―――
スバルは首を締め付けられながらも、その呪文を唱えた。
藁にも縋る様な思いと共に、僅かな希望と祈りを込めて。
「第……印……ダーサイン。あ……る……脅……を……ものなり」
言葉にすらならないような弱弱しい声。それでも尚唱える。何かを信じて。
そして奇跡が起こった。
それは燃える五芒の星。それは光り輝く破邪の印。それは最も新しく旧き神を示す紋章。それは……。
「エ、エ、エ、エルダーサイン!? なんで、なんでアンタ達が使えるの!?
なんでぇ、なんでよぉぉぉ!!」
道化師の慌てた声が耳朶を打った。
スバル達を拘束していた『死体』が、その清浄な光に触れた途端塵へと還る。汚穢なる触手から解放さ
れたスバルとエリオは、ごほごほと咳き込んだ後、肺一杯に空気を詰め込む。キャロは未だ気絶中。僅か
に胸が上下している事から、生きているようだ。
燃える五芒の魔法陣は未だに輝きを失わず、スバル達を護り続けている。
懐から光が溢れている。
取り出して驚いた。
その正体は、出撃前にティアナから渡されたお守りだった。よく見れば、金属板に刻まれた模様と宙に
浮かぶ印は同じものだ。
常に余裕を持っていた道化師だが、この印を見た途端の慌てようは異様と言うよりむしろ、恐れている
ようにも感じられた。
今スバルたちに出来ることは少ない。ガジェットの中に押し込められてる人を助けられないのが歯痒い。
だが、今この時だけは生き残ることを考えなければならない。
「エリオ、キャロに気付けして! それから後退するよ!」
スバルのその声に、エリオはすぐさまキャロに気付けを施して強制的に目を覚まさせ、後退。
スバルも後退しつつ旧き印を掲げ、プロテクションの応用でそれに魔力を注ぎ続けていた。
今は三人で生き残ってこの場を脱出する。
「んのぉ、舐めてんじゃないわよ!」
道化師が両手に巨大な鉄の鉤爪を作り出し、大声と共に襲い掛かってきた。
障壁を砕かんと振り下ろされる鉤爪。スバルは思わず目を瞑ってしまったが、しかしそれはきんっ、と
いう甲高い音と共に、堅固な障壁により弾かれていた。
※~~・~~◎~~・~~※
熱圏。そこにじっと佇む大きな黒い影、アイオーン。
その眸はさながら獲物を狙う狙撃手(スナイパー)のよう。いや、この時は正にスナイパーそのもの
なのだ。虎視眈々と獲物の僅かな隙を狙い続ける。
そして好機が到来した。道化師が鉤爪で旧き印を砕こうとして、弾かれたのだ。
爪を弾かれた瞬間、道化師に生まれた僅かな硬直。ティアナはそれを見逃さなかった。
すぐさまアイオーンの右手にバルザイの偃月刀を鍛造。まだ赤熱しているそれを、スバル達と道化師
の間に存在するごく僅かな隙間へと投げつけた。
投げつけた偃月刀を追う様にアイオーンも落下してゆく。
落下しつつ、アイオーンの右手にクロスミラージュを顕現させ、カートリッジをロード。銃剣とする。
するとクロスミラージュはティアナの意思を汲み、銃口に圧縮魔力で構成された刀身を作り出す。
オレンジ色の刀身に揺らめく魔術文字が意味するところは、焼滅。
叩き付けるべき相手は、道化師!
※~~・~~◎~~・~~※
スバルの目の前に何かが突き刺さる。それはまるで壁。自分達と道化師を隔てる巨大な防壁、見たこと
の無い文字が刀身に浮かぶ、バルザイの偃月刀。
偃月刀が大地に突き刺さってから半瞬の後、それは来た。
驚いた拍子に見上げた空にあったのは、黒い大きな影。背中には魔力を噴射する翼、シャンタク。右手
にはクロスミラージュ。左腕は根元から無い。
そして影は落着した。
兇暴な閃光。何もかもを飲み込み、焼き尽くす白い闇。大地は溶解する暇も無く蒸発してゆく。
それから更に遅れる事半瞬、衝撃が襲い掛かる。
熱、衝撃、瓦礫、その全てを偃月刀と旧き印は防ぎきっていた。
スバルが瞑っていた瞳を開けたとき、周りには前方を除き何も無くなっていた。
大地は自分達が立っている所以外、無残に溶けて抉れ、木々は焼失していた。
目の前に刺さっていた偃月刀は防壁としての役目を終えたように頁へと戻り、黒い巨人へと吸い込まれてゆく。
全く時間が経っていないにも拘らず大地は冷え、歩ける程度には固まっていた。
黒い巨人がスバル達を見る。意思の感じられない無機質で真っ赤な眸。だが、その視線は暖かさを感じさせる。
唐突に巨人の存在が薄れ、解けて舞い踊る紙片となった。その中心には人影。
紙片は人影のもとへと集まり、吸い込まれてゆく。巨人の眸と同じ真っ赤な瞳を持った少女。
見覚えのある顔立ちだった。瞳の色も髪の色も違う。でもその人物をスバルは特定できた。
「ティア?」
その名にエリオとキャロの顔が驚愕に染まる。彼らの知るティアナとは容姿が違いすぎていたのだ。
本の頁を束ねたような翼を広げ、ゆっくりとスバル達の目の前へと着陸する。遠目では解らなかったが、
ティアナは全身が血に濡れていた。髪に至っては乾いた血で固まっている。
がくんとティアナの膝が崩れる。慌てて三人で支えた。
「助けに来たのに、助けられちゃったみたいね。これじゃ」
その時、四人の顔には確かな笑顔があった。
※~~・~~◎~~・~~※
突然のことだった。
ずどんっ、という腹に響く重い衝撃。
「え……? あっ……ぐ……!」
ティアナの腹に何かが刺さっていた。いや違う、濁った紫色のとても長い何かが術衣を貫き背中に突
き刺さって、肋骨を砕き内臓を蹂躙し貫通したのだ。
最初それが何か、当のティアナ自身にも理解できなかった。でも今なら解る。腸だ。鋼鉄以上の硬度
と強度を誇る汚穢な腸。それが爆心地から真っ直ぐにティアナへと伸びているのだ。
そしてその爆心地にいるモノは、焼滅呪法により焼滅した筈の道化師、その残骸。
それは確かに、残骸も残さずに焼滅したはずの道化師だった。
「う、嘘!?」
スバルが驚愕の声を上げる。無理も無い。
何故ならば、道化師の上半身は完全に焼失しており、とてもではないが生きていられるような状態で
は無い。しかし現実に道化師は生きている。腸をワイヤーに、腹をウインチに見立てずるずると体を引
き摺って行く。止め具はティアナ自身だ。
ティアナの肉を引き裂く、決して上げてはいけない音。めりめり、めりめりと。
「あぐぁぁぁあぁあっ!!」
文字通り体を引き裂く激痛にティアナが苦悶の声を上げた。
「あーあ、やってくれちゃったわねぇ……ほんっとどうしてくれようかしら、この小娘」
顔は無く、肺も喉も無いのに確かな発音をもって道化師が喋っている。
ずるずるずるずる。道化師は喋りながら己の体を引き摺り、ついにはティアナの真後ろにまで到達していた。
そして異変。
下半身から背骨が生えた。まるで枝が伸びるように骨が次々と再生してゆく。肋骨、肩甲骨、頭蓋骨。
今度は骨から肉が『生えた』。
肉が肉を構成し、段々人間の形に近づいてゆく。神経、血管、筋肉、脂肪、眼球。
全身が筋肉と脂肪で覆われ、そして腐り落ちた。同時に漂う、吐き気を催す腐敗臭。全身に湧いた蛆
が腐肉を食らい、ぶくぶくと肥え太ってゆく。
ゆったりとしたローブで全身を包み、懐から仮面を取り出し装着する。下卑た笑みを浮かべる緑色の
仮面だった。
「はぁい、復活よぉん☆」
そこにあったのは、先程と寸分違わぬ道化師の姿だった。
「ほんと痛かったのよ……」
「あがっ……ぁぁっ!」
突き刺さっている腸が蠢き、内臓を骨を更に蹂躙する。ぐちゃり、ぐちゃり。
ティアナもスバルたちも必死になって腸を切ろうとするが、それは途轍もない硬度と弾性を持ち、更
に傷をつけたとしてもたちどころに再生してしまう。
時間を追う毎にティアナの顔色が悪くなってゆく。傷口からは既に失血死寸前の血液が流れ出し、彼
女の足元に血溜まりを作り出している。その上、アイオーンの招喚、及び操縦でかなりの血が流出している。
「このまま縦に引き裂いちゃっても良いんだけどぉ、それじゃアタシの腹の虫が収まらないのよ……。
こーんなにコケにされちゃってさぁ。
……殺してなんてあげないわ、生きたまま地獄を味あわせてやるわよ!!」
怒りの声。その声に連動し、くるりと道化師の仮面が裏返る。それまでの笑みを浮かべるものから、
現在のティベリウスの精神状態、つまり激怒を表す真っ赤なものへと変化した。
放たれる強い殺気。ソレは胸をむかつかせ、吐き気を催す饐えた臭いのする殺気だった。
「そらぁっ!」
ティアナの体が腸に持ち上げられ、硝子状に固まった地面へと叩きつけられる。クレーター内部にク
レーターが生まれる。
「ティアッ! うおおおおおっ!」「ストラーダ!」「フリード!」
魔力を纏ったスバルの拳が道化師を撃つ。その一撃で胴体が抉れ蛆の湧いた内臓が露出する。間髪を
入れずにストラーダによる連続斬撃が道化師の肉体を削り、最後にフリードリヒの吐いた炎が焼き尽く
す筈だった。
だが道化師は、苦悶の声どころか恍惚の声を上げるばかり。
「ああん、いいわぁっ! アンタたち最高よ、もっとやって! キル・ミー! プリィィィィィィズ!!
ファック・ミー! プィィィィィィィィィィズ!!」
つづく。
最終更新:2007年09月19日 19:40