火照った身体に夜風が心地よい。
灼熱地獄からどうにかこうにか這い出してきた彼は、ふと空を見上げる。
月だ。
自分の知るものと寸分違わぬ、淡い燐光を闇夜に示す円。
安堵しかけて、
―――ちょっと待てよ
気付いた。
間違いであって欲しいという願いを込めて再度天を見上げる。
ああ、そんなに要らないのに。
――――――果たして月と言う物は二つもあったのだろうか?
リリカル.exe 第二話
それはミッドチルダのどこか。深い深い闇の底。機械の起こす、獣の唸り声にも似た重く低い音が充満するそこに、蛍火のような灯りが一つ。写し出されるのは、二つの人影。
大柄な壮年の男と、幾分か禿げ上がった白髪の老人だ。壮年の男は目を伏せたまま微動だにしない。寝ているわけではなく、瞑目といったほうが正しい。
老人は空間に浮かぶコンソールを一心に叩いている。接続先は、一つのデバイス。槍にも似たポールウェポン――――――壮年の男の持ち物である。
何も知らぬ一般人が見たとしても速いと感じられるほどの速度で、老人はその槍の調整を行っているのだ。
無音。
静寂が淀み、澱み、どこまでも積み重なっていく。
「―――――――――――」
声を発するものは居ない。
次々と空間に走るデータの羅列へと視線を送りつつ、老人がただただタイプを続けるだけ。
時間の感覚が麻痺してしまいそうな光景。何分か、何十分か、それとも何時間か経った頃か。
―――――――――――静寂を破るコール。
不愉快極まりない表情で眉を上げた老人は、しかし作業を中断する事も無くそれを無視。こんな時間に連絡を取ってくる者など分かりきっているからである。
と、瞑目していた壮年の男が目を開く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・出ないのか」
「フン、こんな夜中に連絡してくるヤツなど決まっておるじゃろう。あんな奴と話したところで一文の得にもならんわ。・・・・・・・・・それよりゼスト、調整が終わったぞ」
「そうか。・・・・・・いつもすまんな、ワイリー」
小気味いい電子音と共にデバイスとコンソールをつないでいたバイパスが外れる。ゼストと呼ばれた男はそのデバイスを手に取ると、試し振りを数回。大気を裂く鋭利な音が鳴った。
ワイリーと呼ばれた老人はわずかに眉尻を下げ、しかしそれも一瞬。尊大さと妄執を足して二で割ったような表情に戻ると、淡々と言う。
「阿呆、お前のデバイスを弄るようになって何年経ったと思っておる。そのデバイスの事ならお前や開発者よりもよく知っておるわい」
「・・・・・・・・それもそうか。月日が経つのは早いものだ・・・・・・・・・・・もっとも、俺の中の時間は既に止まってしまっているが」
「一々面倒な奴じゃな。何のためにワシがあの変態科学者とわざわざ手を組んだと思っておる。さっさとあのレリックとやらを回収して嬢の・・・・・・・・・」
―――――――――――またもコールが響く。
大きな舌打ちを一つ、ワイリーはコンソールを叩く。無数に展開されていたスクリーンが掻き消え、後に残るのはたった一つの大きめなもの。
「ゼスト、お前はそのデバイスの試運転に行ってこい。あんなのと話しておったら余計にお前の命が縮まる気がするのでな」
「・・・・・・・・・・・・・・そうか、それでは行ってこよう。何かあったならすぐに連絡をくれ」
背を向けたままワイリーは答えない。さっさと行け、といわんばかりの態度だ。が、ゼストはそれに気を害する事も無く歩を進める。相変わらず感情が読めない表情のまま、その姿は外へと消えていった。
息を吐くと、ワイリーはうんざりしたような表情で点滅しているパネルを叩く。
●
数刻後。
―――――空調の効いた部屋。机があり、ソファがあり、まともな空気のある場所だ。
腰を下ろしたロックマン.exeの対面には同じようにソファに腰掛けた、制服姿の茶のショートカットの女性―――――八神はやてがいる。
机には広げられた資料――――紙、データファイルなど様々――――が散らばっており、ここに来てからそれなりの時間が経っている事が分かる。
「・・・・・・・・ええと、とりあえず今のロック君の状況なんやけどな」
いきなり人の名前を短縮しますか、などと突っ込む人は居ない。開幕の問答で「ロック君でええ?」と聞いてきたからロックマンは二つ返事でOKしただけである。
はやては続ける。
「次元漂流者・・・・・・・・・・・・簡単に言えば世界単位の迷子、ってことなんよ」
「迷子、ですか?」
「そ。たまーにあることなんやけどな、大規模な次元震とか巨大なエネルギーの暴走とかそんな感じのに巻き込まれたときに、何らかの作用が起こって次元世界を移動してしまった人の事を言うんや。
まあ、モノとかそーゆうのもあるんやけど、全部ひっくるめてそういうのを保護するのがウチ等――――――時空管理局の仕事やから安心してな」
一息。
「・・・・・・でな、なんで迷子って言われとるかはちょっとした事情があってな。次元世界ってのはそりゃもうぎょーさんあってな、転送だけならぱぱっと済むんやけど、その中から少ない情報で一つの世界を探すのは結構
難しいんよ。あ、難しい言うても調べきれへんってわけやなくてな、絞り込むのに必要な情報が漂流者本人からしか得られへんから時間がかかる、ってことなんやけど」
「・・・・・・・・つまりすぐには帰れないってことですか?」
「御免な、こればっかりはウチが発破かけてもどーにも出来へんのよ」
そう言ってふう、とため息をつくはやて。ロックマンの目には何故かそれが連日徹夜の後ようやく家に帰ってきた多忙な父親とダブって見えた。
――――――まさかこの年でハードワーカーなのかな
時空管理局は実力主義。二十歳以下のまだ少年少女と言っても差し支えの無いような年齢のものであっても、有能であれば迷わず教官クラスに任命する事もあるという。
その点で言えばロックマンの世界のオフィシャル―――――とは言っても該当するのはあの伊集院炎山くらいなものだが―――――と似ているのかもしれない。通常警察とは一線を越した戦力を持ち、有事の際には被害を抑えるべく
惜しみなく戦力をつぎ込む。犯罪者達の取引の妨害、摘発。
その他にも、要請を受ければ警護なども行う。
使うものが魔法かネットナビか、その違いがあるだけだ。
もっともオフィシャルは非常に門戸が狭く、魔導師で無い人間でも役職に就くことの出来る管理局と違って精鋭のみが集まっているという点があるのだがそこはあえて無視をしておく。
人海戦術というのは非常に有効なものであるし、何より一人一人の負担を減らす事が出来るのは良いことだからだ。。
閑話休題。
とりあえずロックマンは出された冷たい茶を飲み、落ち着いたところで口を開く。
「あの、一つ聞きたいんですけど、帰るまでの間僕はどうすればいいんでしょうか?」
「衣食住の心配はせーへんでええよ。遠足は帰るまでが遠足、うち等は保護したものを無事に帰すまでが仕事やからな。・・・・・・・・時々ここに残りたいとか言う人もおるんやけどね」
「へ?そういう人もいるんですか?」
「うん。なんか嫌ーな事があった人とか、魔法に魅せられた人とか、そんな感じの人ばっかりやね。ま、それは本人の意思やからうち等としては止める理由もあらへんしな。逆に戦力とか人手が増えてラッキー、とまで思う人もおるで」
「色んな人がいるんですね・・・・・・・・・・・・・・・・・と、そういうことじゃなくて。その間何か僕に出来る事って無いですか?」
「・・・・・・・・・・・どういう意味や?」
「いや、その、流石にここまでしてもらって何もしないっていうのは、なんかこう良心が痛むというか・・・・・・・・・・・と、とにかく一方的に好意を受け取るってのは何か間違ってる気がするんです!」
思わず声を張り上げる。なんというか上手く表現できなかったが、これはロックマンの本心だった。本気で『いい子』である。
しばらく考え込んでたはやてだったが、顔を上げるとまっすぐにロックマンを見て、優しい笑顔を浮かべる。
「・・・・・・・・・・・ほんまにええ子やなぁ。そこまで言うならロック君、管理局に入ってみる気はあらへん?」
「え、いいんですか?」
「別に魔法が使えなくても仕事は色々あるから、そこならロック君でも働けるはずや。最低限ミッドの言葉覚えてしまえば後はどうとでもなるしな」
と、はやては思い出したようにポンと手を打ち、
「そや、なら早よ身分証明書とか作らなあかんな。健康診断とかちゃっちゃっと済ませよか」
「そ、そうですね。それじゃ、案内してもらってもいいですか?」
「ん。任せとき!」
そういって立ち上がったはやてを追って、ロックマンも歩き出す。
――――――この話し方する人って皆テンション高いのかな?
自分の世界に居たアキンドシティ出身者も基本的にテンションがアッパー入ってた事を思い出して苦笑いする。親近感を感じた理由はそれか、と思いながらも歩は緩めない。
元の世界に帰るまで、やれることをやろう。
●
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
暗闇にて、一人思考に耽る老人が居る。アルバート・W・ワイリー。その年からは考えられぬほど覇気に満ちたその視線の先にあるのは、中空にて固定された一つのモニタ。
先程『変態科学者』から送られてきた、消滅寸前のフレイムマンの記憶データ。二、三の嫌味を言った後、ワイリーはその中から抜き出した動画に集中すべく会話を打ち切り回線を閉じた。
そこに映っているのは、最後の戦闘。
最初のほうはどうでもよさそうな表情で見ていたワイリー。しかし、後半に差し掛かった頃、その目が大きく見開かれる。突如乱入してきたその青い影。的確にフレイムマンの弱点をつき、背に燃える蝋燭を破壊する。
そのブレード状だった腕は一瞬で姿を変える。バスターと呼ばれるエネルギー弾を発射する兵器。連射しながらフレイムマンの視界を塞ぎ、そこでまた右腕を変形。朧のように揺らめく不定形の刀身が出現する。
連続して四回振り抜かれたそれから放たれるのは、四色の斬閃。
画像が乱れる。だが音声は生きている。聞こえて来るのは声ではなく音だったが、それでもワイリーの耳にはそれが誰のものであるか理解できた。
あの速さ。あの強さ。――――――自らの生涯のライバルであった科学者、光正の孫が操るナビだと、ワイリーは確信した。
くつくつと、喉が鳴る。堪えきれぬ歓喜を抑えることなく、ワイリーは哄笑を上げはじめた。
「・・・・・・・・・・・・・・く、はははは、はははははははは・・・・・・・・・そうか、ようやく、ようやく来おったか!あの時プロトに飲まれてこの世界へやってきてから何年たったかのう!?
しかもこやつ、おそらくはこちらへ来たときにフルシンクロしておった影響かの、自分一人でバトルチップまで使っておる!成程、なんたる僥倖と言うべきか!
楽しくなってきたのう・・・・・・・・・・・・貴様もそう思うじゃろう、カーネル!」
暗闇へと声を投げかけるワイリー。その先にいるのは―――――――否、あるのは黒一色の外套に身を包んだ、堂々たる体躯を持つヒトガタ。カーネルと呼ばれたそれは機械仕掛けの重く低い声で答える。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は。ワイリー様が楽しいのならば、私もそうですから」
「そういう意味ではない、カーネル。お前はロックマンと戦ってみたいと思わんのか?」
「・・・・・・・・・いえ、思いません」
即答。清々しいほどの否定にしかしワイリーは気を悪くする事無く問いを重ねる。
「・・・・・・・・・ほう、何故じゃ?」
「私は将です。将とは負ける事を許されぬもの。故に、敗北などありえません」
カーネルが答える。抑揚の無い、しかし強い声だ。ふむ、と満足したような口調でワイリーは頷き、動画を終了。またも空間にコンソールを展開し、作業を始める。
モニタに映るのはデータの羅列。C、S、B、D、F、N、M、Q、と表示されたアルファベットには様々なタグが付いている。
ワイリーはFのタグに『Delete』と入力する。しばし思案し、
「・・・・・・・・・次は何を使うべきかの?」
答えるものなどいない闇の中に、その声は響いていった―――――――
最終更新:2007年09月19日 19:04