あれほど土砂降りだった雨は、今はもうほとんど止んでいた。それでも名残を惜しむように深々と静かな雨音が響く。
それはその場の誰もが沈黙しているからに他ならなかった。
翠屋のカウンター、そこには千晶となのはの他には誰もいない。
「ねえ……あなたは何でここまでしてくれるの?」
千晶がそっとなのはに訊ねた。両手で包み込むコーヒーは冷えきった身体に優しい温もりを与えてくれる。
「私は……原口さんを助けたいんです」
なのははそう言って千晶に微笑みかけた。穏やかな笑顔にほんの少し、千晶は救われた気がした。だが、
「だからって……」
それでも千晶には納得できなかった。巻き込まれただけの彼女が何故そこまでする必要がある?
「いいんです。私が自分で選んだことですから」
なのははまた笑った。ただ、今度の笑顔はどこか自分に言い聞かせているような陰りがある――千晶にはそんな様に見えた。


「知ってる?この空に星が流れるのは、あいつらの命が消えた時……。今、この世界のどこかで契約者が死んだんだ……」
空を過ぎる流星を追う千晶は、彼女を負ぶう李、傍に寄り添うなのはに静かに語り出した。
雨の止まない街を、濡れることも厭わずに三人は歩く。取り敢えずは李と千晶のアパートに戻ってみることにしたのだ。
追手は回っているかもしれない。それでも着の身着のままではどこに逃げることもままならない。
「10年前、本当の空が消えて偽物の空にすり替わった一週間後、契約者と呼ばれる能力者、ドールと呼ばれる魂の無い受動霊媒が現れた……」
聞いた訳でもないのに千晶は淡々と話し続ける。多分、聞いて欲しかったのだ、一人で背負うには重い真実を。それが更に2人を泥沼に引き込むことになるとも知らずに。
「彼らの情報が広まることを恐れた各国政府は、ゲート由来の新技術『ME(MemoryEater)技術』を使って、契約者と接触した者の記憶を消去してきた……どの国も彼らを利用している癖に」
「詳しいんですね……」
「ずっと研究所で働いてたせいかな……。知らなくてもいいことまで知るはめになっちゃった」
そんなことすらなのはは知らなかった。ただ、がむしゃらに彼女を襲う危機さえ払えば救うことができると思っていた。
「私は魅入られているんだ……。高校生の頃だったか……両親を殺した契約者はまだ子供で……私はドアの隙間からそれを見てた。私は青白い燐光、契約者の身体を包むランセルノプト放射光を恐ろしいと思いつつも、綺麗だと見惚れてしまったの」
ほんの一瞬だが、なのはも見た。あの美しい幻想的な光を。
闇の中に煌く光は今も記憶に焼きついている。それならば――。
「私も……魅入られたのかな……」


LYRICAL THAN BLACK 黒の契約者
第二話
彼女の空を星は流れ……(後編)


李のアパート、202号室に辿り着いた三人はそれに唖然とした。
「酷い……」
なのはの言葉通り、空き巣にでもあったかのように、部屋中が荒らされていた。押入れ、箪笥、台所の棚。服も食器も、あらゆるものが無造作に投げ出され、散らばっている。
「早く着替えた方がいいです。僕は隣の部屋に帰ってますから……」
「そうです、原口さん。早く荷物を用意した方が……」
しかし、肩を震わす千晶の耳にはそんな言葉は届いていない。
もしかしたら起こった全てが夢か何かで、いつもの部屋に帰って明日もいつもの様に店へ出るんじゃないか。そしていつか――。
扉を開けるまでは、そんな下らない妄想も信じられた。
「本当なんだね、今日、起こったこと……。ルイは契約者で……死んだって……」
「原口さん……」
千晶に掛ける言葉をなのはは持たなかった。
「ありがとう、二人とももういいわ……。巻き込んじゃってごめんなさい。今ならまだ戻れるから……もう構わないで……」
振り向いた彼女は笑っていた。眦が小刻みに震え、無理に笑顔を作っているのだとすぐに分かる。
千晶の言葉に構わず、なのはは彼女に歩み寄った。或いはこの時点ではまだ軽く考えていたのかもしれない。契約者のことを、この世界の闇を。
「原口さん……私の家に来ませんか?」
それは彼女の微笑む様が痛々しくて見ていられなかったから。
彼女を救ってあげたい――今は強くそう思う。
夜に踏み込むことが何を意味するのか、踏み入れれば後戻りなどできないことにすら気付かずに、なのはは千晶を抱き締めた。


「でも李君にはびっくりしましたよね~。服が引っ掛かって電車は避けれたけど、そのまま高架の下で気絶してた、なんて」
「ええ……でも無事で良かった」
千晶を何とか元気付けようと話題を振ってみるが、どうにも芳しくない。ただ李の話題には僅かに反応を示した。
思えば彼も不思議な人だ。どこか抜けていて温和そうな青年なのに、妙に修羅場慣れしているというか――。彼には迷いが無いのだ。公園でのことはまだしも、千晶を助けた時なんて戸惑って当然なのに。
そして今も、李は何でも協力する気でいる。どうにか警察やジャン達を誤魔化してみると言っていたが、どうするつもりなのやら。全く動じていないように見えたのが少し気に掛かった。


「この街に越して来てたった2週間……本当に生きてるって実感があったんだ。ホステスなんて絶対無理だと思ってたけど、やってみたら案外はまっちゃって。研究所で呪われたように研究に明け暮れてたのが嘘みたいに……」
カップに揺れる波紋をぼんやりと見ながら、千晶はぽつりと呟く。合間には自嘲気味に笑ったり、安らかに目を細めたりもする。なのはは千晶の顔を見つめながら、空虚な笑顔の全てが悲しみに満ちていることを感じた。
「何よりも……もうすぐルイが迎えに来てくれるって思えたから……。でも……もう戻れないんだね」
「原口さん……」
こんな時、何と言えばいいのだろう。
――悲しかったですね。
――元気出して下さい。
どんな言葉も陳腐な慰めでしかなく、ただただ沈黙するしかない。


「当てはあるんですか……?」
数分後、なのはの方から聞いてみた。
「アハハッ、あるわけないじゃない。ルイだけが頼りだったんだから……」
「ごめんなさい……」
乾いた笑いを浮かべる千晶に、申し訳無さそうにうな垂れる。無神経な発言で彼女の傷を広げてしまった。
「私が……私が何とかします」
「何とかって……どうやって?」
「それは……」
結局出てきたのは、根拠の無い薄っぺらな励まし。でも、それでもこの時、どうしようもなく彼女を救いたいと思った。そのために身に付けたのが魔法なのだから。
「もう……何もかもが疲れちゃった……」
泣き腫らした目に浮かぶのは諦観の念。今はせめてゆっくりと眠らなければ、彼女は壊れてしまいそうに憔悴している。
「そうですね……。明日は李君も交えてこれからのことを相談するとして、今日はゆっくり休んでください、原口さん」
幸い父や母には訳ありの友人ということで許可を貰った。
「原口ってのは偽名。本名は千晶……。篠田千晶って言うんだ」
「千晶……さん。いい名前ですね。私はなのは、高町なのはです」
「なのはちゃん……。いい名前ね……」
「はい、よろしくお願いします」
そしてようやく、彼女は微笑ってくれた。


次の日、なのはは大学を休んだ。これまで無欠席、中高時代も休む時は必ず連絡をくれたというのに――。これにはアリサやすずかも心配している。
フェイトとはやては夕方、翠屋を訪ねることにした。何かあったのかもしれないし、何も無ければ勿論それが一番いい。
そろそろ混みだす時間だろうか。翠屋は士郎と桃子だけで少々大変そうだ。
「こんにちはー」
「えらい忙しそうですね」
フェイトとはやては手近な士郎を捕まえてみる。
「ああ、こんにちは。なのはは今日は気分が悪いらしくてね。上で寝てるけど……」
「なのはが……?」
彼女は絵に描いたような健康優良児である。これまでも風邪を引くことなどほとんどなかった。
お見舞いを申し出て、なのはの部屋を訪ねると案の定、
「あ……フェイトちゃん、はやてちゃん……」
彼女は元気そうだ。二人を見た瞬間、すぐに罰が悪そうに語尾を萎ませたが。
「なのは……」
「元気そうやね。なのはちゃん」
ほっと一息吐いた二人は、ベッドに腰掛けている見知らぬ女性に視線をやる。二十そこそこの茶髪の女性だが、知る限りのなのはの交友関係には無かった。
「あ、こちらは原口千晶さん。今ちょっと家に泊まってるの」
「どうも……」
フェイトとはやての、彼女の第一印象はイマイチだった。目の下に隈を作った陰鬱な表情は化粧でも隠せていない。彼女の置かれている状況を鑑みれば当然ではあるが、そんなことは知る由もない。
「あ……こちらこそどうも」
「こんにちは……」
挨拶を済ませても会話が続かない。千晶も一言だけ発して黙ってしまったし、取り持つべきなのはは、あたふたと忙しなく視線を巡らせる。
紹介しようにも、彼女のことをこれ以上話していいものだろうか。追われる身の彼女に雑談をする元気も無さそうだし――。
どうしようか迷っているなのはを察して、
「いいわよ……私のことは気にしないで話してくれれば」
千晶はそう言うものの、なかなかそうもいかない。そこに助け舟を出してくれたのは、はやてだった。
「それじゃ私から質問させてもらってもええですか?」
「いいけど……」
はやては真剣な顔で言葉を溜め、千晶となのはは身を固くする。身の上に関わるような話なら上手くはぐらかさなければ。
心なしか場に緊張が走る。はやてが何を言い出すのか――誰もが固唾を呑んで見守る中、彼女は口を開いた。


「いや……原口さんて美人やしスタイルもええから、何か美容と健康にコツでもあるんかな~、と。胸も大きくて羨ましいなぁ」
「はやてちゃん……」
どんな危険な質問が飛んでくるかと構えた身体が一気に解れていく。フェイトも同様に脱力している。そして千晶はというと、
「ぷっ……ふふふふ、あはははははは!!」
誰よりも緊張したであろう彼女は、あまりに拍子抜けした質問に吹き出した。かなりツボにはまったのか、身を捩って爆笑している。
「千晶さん……」
こんなに楽しそうな千晶をなのはは始めてみた――と言っても昨日出会ったばかりだが。初対面の人間にする質問ではないが、この際それは問題ではない。
「あははは。はやてちゃん、いきなりそんなこと聞いたら失礼だよ~」
千晶はまだ腹を抱えて笑っている。緊張が大きかったから落差も激しいのかもしれない。一時でもいい、千晶が楽しい気持ちになってくれたことが、なのはには嬉しかった。
頑なだった千晶をこんなに笑わせている。これもはやての凄いところだ。フェイトも口を押さえてクスクス笑う。
「あははははは――…………」
直後、苦しそうに上を向いて笑っている千晶の目から、すぅ――と光が消え失せた。


「……!!」
フェイトは声を出すこともできず戦慄した。光の消えた目――死人のように虚ろで輝きの無い瞳。位置的に、それを確認したのはフェイトだけだった。
「千晶さん?」
なのはの呼びかけに、暫くして千晶は反応した。軽く頭を振って額を押さえる。
「ごめんなさい……。昨日も寝られなかったから疲れてるのかも……」
「私からも質問していいですか……」
唐突にフェイトが質問をぶつけた。彼女の千晶を見る視線は不審げな――睨んでいるといっても遜色ない。声色も刺々しい。
「ご職業は?お住まいはどちらに?あなたは……誰なんですか?」
矢継ぎ早に質問を繰り出して千晶から情報を得ようと試みるフェイト。なのはは慌ててそれを止めた。
「ちょ……ちょっとフェイトちゃん、どうしたの?そんな急に――」
「なのはは黙ってて」
「フェイトちゃん……」
なのはの言葉を遮って、フェイトは冷たく言い放つ。はやては状況が飲み込めずにきょろきょろと三人を見渡した。
「ん?どないしたん?」
「どうなんですか?答えてください!」
次第に声を荒げるフェイト。最後の方はほとんど恫喝に近い。千晶は戸惑いながらもそれに答える。
「職業はホステス。家はここから電車で二駅のアパート。最後の質問はよくわからないけど……」
答えを聞いてもフェイトは何も答えない。むしろ顔が更に険しくなった。
「もう!フェイトちゃん、失礼だよ!私のお客さんなんだよ!?」
彼女は明らかに冷静さを欠いている。フェイトはなのはの声にも耳を貸さず、ただ千晶の一挙一動を観察している。


「私、夜まで時間を潰してくるわ……」
千晶が立ち上がった。どうやら自分は歓迎されていないようだ。フェイトは変わらず千晶を睨んでいる。
それに、今は異分子扱いされるのが耐えられなかった。
「駄目ですよ!千晶さんは夜まで隠れてなきゃ――あ……」
最大のミスはその言葉でなく、明らかに「しまった」とでも言いそうな絶句と表情だ。当然ながらフェイトとはやては食いついた。
「なのはちゃん……隠れるってなんやの?」
「なのは、嘘吐いてまで休んで……何かあったの?」
「あの……それは……」
どこまで話そう、千晶を危険に晒すだけでなく、フェイト達を巻き込むことになり兼ねない。そうこうする内に千晶は部屋を出て行こうとする。
「千晶さん!」
「ちょっと喉が渇いただけ……すぐ戻るわ。台所借りるわね……」


「なのは教えて。あの人とはどんな関係なの?バッグを取り違えた人なんでしょう?」
「フェイトちゃんこそおかしいよ。何で千晶さんにあんな態度取るの?」
「まぁまぁ……二人ともそう熱くならんと」
千晶の去った部屋は、なのはとフェイトによって険悪な雰囲気に満ちていた。二人の間ではやてがそれを収めようと宥める。
「取り敢えず、フェイトちゃんは少し落ち着いて深呼吸、な?それでなのはちゃんは何で原口さんを泊めてるんか話してくれへんかな?」
まだ何か言いたげなフェイトをはやてが手で制す。それを見てなのはも心を決めた。
しかし二人を巻き込みたくないのは変わらない。だから掻い摘んで事情を説明することにした。
「千晶さんはある事情で追われてて……今はアパートにも帰れないの。だから一時的にここで匿ってるの」
大分端折ったが、嘘は吐いていない。
「何でそんな人を匿ったの?」
「恋人を亡くしたばかりで……放っておけなかったから……」
フェイトの攻撃的な口調は、今はなのはにも向けられていた。珍しく本気で怒っているフェイトに、つい萎縮してしまうなのは。
「はぁ……なのはは考えなさ過ぎだよ。すぐにそうやって突っ走って、危険に首突っ込むんだから……」
呆れたようなフェイトの言葉に、かぁっと顔が熱くなる。千晶の悲しむ様を見ていないフェイトにそんな風に言われるのは我慢ならない。
「何でそんなこと言うの!?フェイトちゃんは千晶さんのことを何も知らないじゃない!」
「それなら、なのはは知ってるの!?昨日会ったばかりの人をそんなに信用するのは危険だよ!周りの人を巻き込むことになるって解ってる!?」
「それでも放っておけなかった!私は自分の身くらい守れるよ!それに巻き込みたくなかったから話さなかったの!」
なのはもフェイトも立ち上がり、顔を真赤にして睨み合っている。互いに互いを想ってのことであることを二人は知らない。
そして一人座っているはやてが、お茶を啜って二人を見上げ一息――。


「二人とも落ち着き!!」
部屋中に響いた声は外にも漏れるのではないかと思うほどに大きい。思いもしなかった制止に、両者ともぴたりと動きを止めた。そしてはやては、再度お茶を啜ってなのはに向き直った。
「なのはちゃん、どんな事情か知らへんけど……私もなのはちゃんは先走り過ぎやと思う」
「そんなこと――」
「原口さんをここに泊めたことで、もうなのはちゃんはおじさんやおばさんを巻き込んでること――ちゃんと解ってる?」
「それは……」
正直、考えていなかった。あの時はただ無意識に誘っただけだ。自分にできることはそれくらいしかなかったから。
「それに……原口さんがなのはちゃんの言うように優しい人やったら、無関係のなのはちゃんが自分のために傷ついたら悲しむんとちゃうかな……」
優しく諭すような、それでいて真っ向からの厳しい正論に、何も言えなくなった。現に千晶は何度も忠告していたのに。
彼女はとても深い悲しみの中にいて――それを救ってあげたい。ただそれだけなのに。
「なのは……魔法使ったんでしょう……?」
黙っていたフェイトが再び口を開いた。悲しげな瞳は、彼女が心底なのはを心配している証拠だが、今のなのははそれに気付くことはない。
「うん……」
「ここはミッドチルダじゃなくて……私達はもう管理局の魔導士じゃない。ミッドとも連絡は取れない……魔法じゃ何も解決しないんだよ?」
「私も……なのはちゃんは誰かを助けることに拘り過ぎてるように思える。皆を皆助けることなんて出来へんのに、無茶し過ぎや」
なのはは愕然とした。否、本当は解っていた。この世界では魔法は異物でしかなく、それを存分に生かすことなどできないことなど。
「フェイトちゃんもはやてちゃんもそんなこと言うの……?」
それでも、その真実が共に戦った親友二人の口から出たことがショックだった。
「なのは……」
「なのはちゃん……」
魔法と出会う前の自分は、アリサやすずか、親兄弟に囲まれて幸せでも――それ故にどこか孤独感や物足りなさを感じていたように思う。或いは自分に自信が持てないコンプレックスだったのかもしれない。
そこに現れたのがユーノ・スクライアと魔法だった。戦いも訓練も厳しかったけど、こんな自分でも誰かを救えると思えたから辛くなんかなかった。
フェイトとはやて、クロノやリンディとエイミィ、ヴォルケンリッターと出会わせてくれて、自分の知らない新しい世界を開かせてくれたのも、自信を持たせてくれたのも魔法だ。
だが、ゲートの出現によってそれは変わってしまった。皆がいつしかゲートと偽りの空に順応して、自分だけが時が止まっているような気さえした。二人だけが自分を置いて大人になってしまった。
あの頃と同じ、満たされているのに満たされないまま――。
李に興味が湧いたのも、彼だけが昔の星空を懐かしんでいたから。

「私から魔法を取ったら何が残るって言うの!?」

無意識に口をついたそれが、なのはの偽らざる本音だった。
熱くなる自分を俯瞰的に見下ろし、「まるで子供だ」と呆れる自分がいる。それでも熱くなっていくのを止められない。見開いた目を閉じれば涙が溢れそうで瞬きができなかった。
「でも……それじゃあ"また"怪我するだけだよ!なのはが無茶したら皆が心配するんだよ!?」
フェイトの目には既に涙が溢れていた。初めてなのはは自分のことしか見えていなかったことを思い知らされた。
もしかすると千晶のことも、本当は彼女の事情などどうでもよかったのかもしれない。ただ魔法で誰かを助けることだけしか頭に無かったのかも――。
そんな考えまでが脳裏を過ぎって押し黙るしかなかった。


「なのはー、入るぞ?」
三人の誰もが口を閉ざす中、ノックと共にドアが開かれ、士郎が顔を出す。
「なのは、ちょっとうるさいぞ。静かにしなさい」
「あ、うん……ごめんなさい」
見られないように涙を拭いながら答える。
「それと……たった今、お客さん――原口さんが出て行ったけど、いいのか?」
「え……千晶さんが!?」
きっと居たたまれなくなって出て行ったに違いない。考えるよりも先に身体は動き出そうとしていた。
「なのは!」
背後からフェイトが呼び止める。涙声に一瞬動きを止めるが、なのはは振り向かずに答えた。
「それでも……千晶さんを助けたい気持ちは嘘じゃないと思うから……。少なくとも私に出来ることがある内はやるって決めたから……行くね」
言い残して駆け出す。気持ちはもう千晶へと向いていた。
千晶に行くところなんてないはず、そう遠くへは行っていないだろう。
靴を履くことすらもどかしい。ひたすら急いで玄関を飛び出し、辺りを見回すが、
「いない……」
誰もいない。ただ黒猫だけが欠伸をしていた。


「なのは……」
残されたフェイトは彼女の名前を呟く。
「なのはちゃんも私らに心配かけとうない気持ちと、助けたい気持ちに挟まれてるんやと思う……せやから解ってあげよ?」
「うん……」
はやての言葉にフェイトは力無く頷いた。それでも――心配な気持ちはどうしようもなかった。
「なぁ、フェイトちゃん。あの"また"ってどういう意味なん……?」
「あっ……」
「この数年、なのはちゃんが大きな怪我したのは4年前に交通事故に巻き込まれて大怪我した時だけやろ?それやのに……」
はやてはフェイトの表情を窺って、そして溜息を吐いた。はやての目を直視できずに、申し訳無さそうに顔を伏せている。
「そうか……。私にも話せへんのやね……」
「ごめん……」
それもきっと心配をかけないためなのだろう。皆心配かけまいと自分一人で背負い込んで。
「それは……私も同じや……」


当ても無く千晶は街を彷徨い歩く。そろそろ日も暮れて帰路に就く人も多い中、彼女だけが帰る家も無い。
夜になったら李と一緒に作戦会議をしようと言っていたが、それももういい。泣いてくれる家族も友達もいる彼女が、持たざる自分のために命を懸ける必要は無い。
「あれ……原口さん?」
自分を呼ぶ声に振り返ると、そこにはもう一人の協力者――李舜生が立っていた。

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最終更新:2007年10月23日 21:02