アンゼロット宮殿:八神はやて
アニエスを倒してからまだ二日と経っていない。
その僅かな期間ではやて達の傷はすでに完治していた。
それ故にはやて達機動六課はこの世界を去らねばならない。
「この宮殿も、もう見納めやな」
この世界に来てまだ一週間も経っていない。
この城にもそんなに長く滞在していたわけでもない。
それでも去り際に、この宮殿が名残惜しく感じるのは命がけの経験をしたせいかもしれない。
「なら出発をもう少し遅らせようか?」
宮殿を見上げるはやての前にクロノが立つ。
「ええよ。そんなこと言ったら、いつまでも延び延びになるやろ」
宮殿の庭に着陸している内火艇の周りには機動六課のみんながいる。
帰る準備ももう終わる頃だ。
「アンゼロットさんとはどんな話をしてきたんかな?」
治療と検査の間にクロノはアンゼロットと面会をしていたはずだ。
「ステラ……こっちの世界ではアニエスの瞳だったね。それの、管理についての話をしてきたのさ」
「それで、どうなったん?」
「どうもこうも、ほとんどなにも決まってないよ。管理局の提督としてはロストロギアに指定された物の引き渡しは要求せざるを得ない。けど、拒否されたけどね」
「そうやろうな」
管理局としては接触したばかりの組織に危険極まりないロストロギアの管理をまかせることはできない。
その組織が信用できるかどうか、管理する能力があるかわからないからだ。
それはアンゼロットにしても同様だろう。魔王の目を突然現れた組織に管理させるはずがない。
アニエスとの決戦を機動六課に頼んだのははやて達個人を信用したからであって時空管理局を信用したわけではない。
「なんも決まらんかったみたいやな」
「そうでもないさ。使節団の受け入れと交渉の継続は了承してもらった。現場の一提督が一日で取り付けた約束としては上出来じゃないかな」
「やるなぁ。クロノ君」
「ここまでが限度だけどね。あとは国家間の交渉みたいなものになる。使節団と上にまかせよう」
「それじゃあ、いよいよこの世界でのあたしらの仕事は終わりやな。帰ったときがちょっと怖いな」
おそらく山のように報告書を書かなければならない。
本来の任務もおろそかにするわけにはいかないのでかなりの苦労になりそうだが、それもファー・ジ・アースと次元世界を共に守れた結果であると諦めることにした。
「もうすぐ出発やな。ほな、あたしはアンゼロットさんに挨拶してくるわ」
「ああ」
クロノに手を振り、はやては宮殿の奥へつづく廊下を歩いていった。
アンゼロット宮殿:ティアナ・ランスター
宮殿の庭で、ティアナはスバル、なのはと一緒に灯を待っていた。
「おそいわね」
出発の時間も迫っている。
少しくらいならはやて隊長も待ってくれるだろうが、それにしても遅い。
「もうちょっとくらいなら大丈夫だよ」
「そうだけど」
ティアナは横に立つスバルに目を移し、視線をおろしていく。
「スバル、もう右手は平気なの?」
ステラを破壊した後のスバルの右手は酷いことになっていた。
皮が全部剥がれ、骨格が剥き出しになり、しかもその骨格は数カ所が完全に吹き飛んでいた上に残った物は潰れていた。
「うん、ほら平気」
スバルが挙げた手を握ったり開いたりする。
見た感じでは元のままである。
「この世界にそれを治せる技術者がいるとは思わなかったわ」
「魔法を使ったんだって」
「そこまで効くとは思わなかったわ」
この世界の回復魔法はミッドチルダの常識でとらえない方がいいかもしれない。
「それでね、この世界にも私と同じような人がいるんだって。で、そういう人が使うパーツもつけて良いって言ってくれたんだよ」
「つけてもらったの?」
「ううん。だって、手がびよーんって伸びたりするんだよ。ちょっと迷ったけど、止めちゃった」
「それがいいわ」
メンテナンスの問題もある。
何より手が伸びるスバルというのはいろんな意味で怖い。
「あ、灯さんだ」
振り返ると、重そうな紙袋を幾つも持った灯が走ってきていた。
ちょっと手伝った方がいいだろうと思い、灯の方に走ろうとしたがスバルに止められた。
「あたしが行くよ。ティアナは待ってて」
そういうことなら腕力のあるスバルにまかせた方がいいだろう。
前に向き直ったティアナの横をスバルが通り過ぎる。
もうちょっと走っていくかと思ったが、すぐにスバルが荷物を持って戻ってくる。
「あれ?」
もう一回振り向くと手ぶらの灯が10メートル向こうで走っていた。
あの距離まで走って行って荷物を持って帰ってきたにしては速すぎる。
再びスバルを見る。持っているのは確かに灯が持っていた紙袋だ。
「どうやって灯の荷物を持ってきたの?」
「あれ?あれれ?」
何か非常に気になったがティアナはこれ以上の追求を止めることにした。
第六感が何かやばいと告げていたからだ。
アンゼロット宮殿:高町なのは
ちょっとした距離を走ってきたのに灯は息1つ乱していない。
その灯がスバルが持っている紙袋を指さす。
「……お土産」
「灯って、意外とマメなのね」
「こら」
ティアナが失礼なことを言ったので、少したしなめておく。
「え?なになに?」
顔をぱっと輝かせたスバルが紙袋の中を覗き込む。
こんなところで開くのも失礼かと思ったが、なのはも興味がないわけではないので止めないでいた。
「……カルテ」
「カルテ?」
なるほど、その紙袋の中には紙束が詰まっている。
「……主治医に提出すること」
お土産とはちょっと違うがこれはこれでありがたい。
ミッドチルダにない治療方法による経過がわかれば後々の役にたつ。
後になのははこのカルテを見て自分の体になにが起こっていたかということを再認識し、顔を真っ青にしてしまうのだがそれはまた別の話。
「こっちは?」
またスバルが率先して別の紙袋の中を開ける。
その中には積み重ねた箱が8つ入っている。
「……お弁当」
割り箸も添えられている。
「灯さんが作ったの?」
「……うん」
「灯さんって、料理も得意なのね」
「……かなり」
声は小さいが、灯はその立ち姿で自信のほどを示している。
「ありがとう。帰るときにみんなで食べることにするね」
こっくり、大きく灯がうなずく。
後のこの弁当は、クラウディアに大惨事を引き起こしたあげく「AB(灯の弁当)物件」と名付けられることになるのだが、それはまた別の話。
「で、これは?」
最後の袋を開いたとき、今度はなのはが顔をほころばせる。
「……カタログ」
袋の中には綺麗なカラー刷りのパンフレットが幾つも。
全て空飛ぶ箒、ウィッチブルームのカタログだ。
なのははカタログを開いてぱらぱらめくる。
いろんなデザインに、性能諸元、オプションパーツ。
どれもこれもなのはの興味を引く物だ。
「あ、これもいいな。これも」
目がカタログに釘付けになっている。
「あのー、なのはさーん」
どうやら半分聞こえていないようだ。
後にこれらのカタログは……何も起こさない。これはただの普通のカタログだ。いや、本当だって。
アンゼロット宮殿:フェイト・T・ハラオウン
「柊さん。今度のことはありがとうございました」
フェイトはいくらお礼を言っても言い足りない気がした。
部屋に飛び込んでむちゃくちゃにしてしまったり、みんなを探してもらったり、それに最後まで一緒に戦ってもらったり。
フェイトはそのことを1つ1つ丁寧に話していく。
そして最後にお礼ではないもう一つの言いたいことが残った。
言いたいけれど、言い出せない。
そんなことだ。
言い出せないフェイトの口は止まってしまう。
「そうだ、柊さん。僕たちと時空管理局で働きませんか?」
「あ、それ良いと思いますよ」
キャロとエリオが突然声を出す。
それがフェイトの言いたいことだった。
いくつかの言葉は用意していたつもりだ。
柊蓮司の実力があれば時空管理局でも十分にやっていけれる。
福利厚生もしっかりしている。
有給休暇もあるし、働きながら学校にもいけれる。
そうやって柊蓮司を誘うつもりだった。
でも、言えなかった。
柊蓮司の答えがわかるような気がしたから。
案の定、柊蓮司はキャロとエリオにどこか困ったような笑顔を返しているだけだ。
「ほら、2人とも。柊さんを困らせたら駄目だよ」
この世界にはいろんな危機がまだたくさんある。
柊蓮司はそれと戦える。
なのに「はい」と答えるはずがない。
そんな人だったらフェイトも誘う気にはなれないはずだ。
しゅんとしてしまうキャロとエリオの肩を抱いて、フェイトは柊蓮司を見上げた。
「でもミッドチルダに来ることがあったら連絡してください。その時には案内します」
「その時にはたのむぜ」
管理局とファー・ジ・アース。この二つの世界がこの後どんなふうに関わっていくかはわからない。
それでも、観光ができるくらいになったらいい。
そんなふうにフェイトは考えていた。
「おーい、フェイトちゃーん、そろそろ出発するよー」
はやてが呼んでいる。
もう時間だ。
「じゃあ、柊さん。さようなら」
「ああ、さようならだ」
フェイトはキャロとエリオをつれて内火艇に向かう。
内火艇が浮かび上がったのは、それからすぐのことだった。
???:???
こうして世界の危機は救われた。
二つの世界で育った者達の道は交わり、そしてまた分かれていく。
それぞれがそれぞれの道を進み、また大きな困難に立ち向かっていく。
例えば、こんなふうに。
アンゼロット宮殿:???
ここは衛星軌道に浮かぶアンゼロット宮殿。
青い地球をバックに、アンゼロットは紅茶を一口飲み、顔を上げる。
「これらかする私のお願いに「はい」か「イエス」でお返事してください」
「おい」
そこにいるのは柊蓮司。
鞄を抱いてアンゼロットを睨みつける。
「はいかイエスってお前、俺には拒否権無いって事だよな」
アンゼロットはそんなことは意に介さない。
「いってくれますね?柊さん」
すでに返事は聞いたも同じ。
傍らにあるハンドベルを小さくならした。
「のわあっ」
それを合図に柊蓮司の足下の床が開く。
開いた穴に柊蓮司は真っ逆さま。
だが、それもいつものこと。
アンゼロットは薫り高い紅茶をもう一口
「おわぁああああああああああああああああああああああ」
柊蓮司の悲鳴をBGMに飲んでいた。
そして、柊蓮司は大気圏で赤熱しながら叫ぶ。
「アンゼロットぉ!てめぇ、出席日数がやべえっていってんだろう!俺を学校へ行かせろーーー」
その先に待つのは7つの宝玉にまつわる運命を持つ1人の少女。
少女を助けるために柊蓮司は下がっていった。
最終更新:2008年01月10日 19:53