松岡健一

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*松岡健一(まつおか けんいち) -背番号21 -1982年6月7日生まれ -熊本県玉名市出身 -右投右打 -東海大二高時代から、140km/hのストレートで注目を集め、九州東海大に進学後才能が開花。 -大学4年時には自己最速148km/hをマークし、ドラフトの目玉候補に。広島東洋との争奪戦の末、2004年ドラフト自由枠で東京ヤクルトに入団した。 -ルーキーイヤーは一軍キャンプスタート。しかし投球練習中、[[古田>古田敦也]]にフォークボールを投げるよう指示したが拒否。その後一喝されてしまった。 -結局キャンプ中にケガを負ってしまいこの年は二軍スタート。ファームでも目立った成績を残すことは出来なかったが、シーズン終盤に一軍昇格すると4試合に先発、プロ初勝利を挙げた。 -翌2006年は制球が定まらず1試合登板にとどまる。2007年は自己最多4勝を挙げるものの一軍定着には至らなかった。 -オフシーズン、ケガで帰京した[[マルタカ>丸山貴史]]に代わってハワイのウィンターリーグに派遣される。これが翌年以降の覚醒のきっかけに。 -2008年は当初二軍スタートだったが、[[ミッキー>加藤幹典]]に代わって一軍昇格。当初は先発として起用される予定だったが、日程の都合で中継ぎに回る。そこで好投を見せて一気にセットアッパーに定着。 -ロングリリーフから中継ぎエースまでを一手にこなし、ブルペン陣の強化に大きく貢献。途中からは[[押本>押本健彦]]、[[イム・チャンヨン>林昌勇]]とともに[[勝利の方程式>MOL]]の一角を担う。 -最終的に自己最多65試合に登板、防御率は1.39と抜群の安定感を見せ、29ホールドを挙げた。 -2009年は自身初の開幕一軍入り。セットアッパーとしてチームを支えたが前年の疲労からか9月ごろになると調子を落とす。 -この時[[林昌勇]]の離脱で抑えを任されるが、&bold(){抑えとして登板した6試合すべてで失点}。二軍降格を命じられ、防御率が4.72と前年より一気に跳ね上がってしまった。 -結婚して気持ちを新たにした2010年は前年と打って変わって盤石のセットアッパーとして活躍を見せ、[[メークミルミル]]に大きく貢献。73試合登板で自己最多記録を更新し、34ホールドポイントを挙げる。 -2011年は5連投するなど酷使される場面もあったがそれでも63試合で防御率2.86を記録。 -しかし2012年は前年の影響からか[[ケガで長期離脱>ヤ戦病院]]。7試合登板にとどまる。 -2013年は開幕一軍入りも[[出るたび打たれるような投球>俺達]]が続き4月13日に登録抹消される。 -その後4月28日に一軍復帰すると、翌29日になんと&bold(){6年ぶりの先発投手}として登板。この時は[[神ンティン>ウラディミール・バレンティン]]などの大量援護で見事勝利投手となる。 -しかしリリーフに戻ると再びボヤ騒ぎを連発してしまった。

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