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通訳残留　１１-② - (2008/11/11 (火) 15:38:43) の１つ前との変更点

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<div style="margin:0mm 0mm 0pt 24.75pt;text-indent:-18pt;" align="left">
<span style="font-size:10pt;">◇</span><span style="font-size:10pt;">　</span><span style="font-size:10pt;">◇　◇</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">指先が冷たい。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">心臓は早鐘のよう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">全身が、強張る感覚がする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">時折、自分は何をやっているのか、何故自分がこんな所にいるのか判らなくなることがあった。先程昼食を終えた後に陥ったのと同じ現象だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">まるで丸机の向かいに座る人物に感じる、あまりの緊張から、意識だけが勝手に逃げ出そうとしているみたいだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それで、話ってなんだよ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　ジャケットを脱いでセーター姿になった同僚君は、左肘を机に乗せ身を乗り出す格好で、開口一番、本題へと入ってきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">前置きも何もない。一瞬前に私の向かいの席に着席したばかりなのに、これである。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『心の準備』をする暇を全く与えてくれないあたり、相変わらずぞんざいな接し方をする人だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私は彼の胸のあたりに目をやりながら、沈黙する。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　やがてマグカップがニスで艶やかな机に触れる音が聞こえる。同僚君は、質問と同時にブラックコーヒーを口にしていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　相手の聞く体勢が整うのを待っていた私は、視線をあげる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　相変わらずの近寄りがたい雰囲気と鋭い目つきが、私を捉えた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あの・・・解っているとは思いますが・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私はそこでほんのちょっと躊躇った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　ここから先を切り出せば、本当に後戻りは出来ない。後は彼を説得するか失敗するかの二つに一つである。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君の心は依然変わらず読めないが、意識を集中させると、私が言葉を止めた事を彼がいぶかしんでいるのが、少しだけど読み取れた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　裏返しの試験の問題用紙を、開始の合図と同時にめくる気持ちで、その先を続けることにする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「２月１４日の事。男さんから・・・・・・・・・話は聞きました。全部・・・昔の、その、中学生のころの話も・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君の目が、ほんのちょっと大きくなった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　やはり意外だったのかも知れない。彼は静かにこちらを見やっている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　ガヤガヤという店内の音が、はっきりとした存在感を持ち始める。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　沈黙を覆い隠す周囲の人々の話声に晒されていると、嘘をついたのは間違いだった様な気がしてきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私は別に男さんから同僚君の話を聞いたわけではない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　それどころか男さんとの間では彼の事を話題にしたことさえないし、今回の行動だって完全に私の独断だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　けれど、男さんは私が心を読める事を知っている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">フェンスと校舎の間のあの冷たいアスファルトの道で、私がおおよその事情を知ってしまった事にも気付いている筈。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　勝手に話を聞いた事にしてしまうのは気が咎めたけど、私の読心能力を知らない同僚君に対しては、これが一番好ましい説明のように思えたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　・・・・・・思えたのだけれど、どうもその判断は間違いだったらしい。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「男が話したのか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼は怖い顔をして聞いてきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　本当に、低い声色も重苦しく投げかけられた視線も、息ができなくなるのではないかと思うほど圧迫的だっだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私は、即座に言葉を選び間違えた事に気が付いた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">サッと血の気が引くなんて、今までは文章上の比喩的な表現技法だと思っていたけど、考えを改めないといけない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">実際に血の気が引いて私の全身が冷たくなっていくのが実感できたのだから。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「もしもさ・・・・・あいつがペラペラと勝手にしゃべったっていうなｒ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あのっ、、、すみませんっ、違います！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　穏当でない雰囲気を隠しもせずに続ける同僚君を、私は慌てて遮った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　違う？と彼は、もともと皺の寄っている眉間を、さらに深い谷間にしていく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「えっと、、そのっ、あの、、、、聞いた、というのは別に男さんから話してもらったというのはその間違いで、、、</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">あの、その、、、えと・・・・・・・・・ともかく男さんは違います・・・別に、彼が話してくれたわけでは・・・ない・・です」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　言葉が尻切れトンボになっていくのを自覚しながら、想定外の事態への自身の対応能力の低さを、今更だけど残念に思った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">なんというか、支離滅裂もいい所である。もっとスッキリした言い訳ができたはずなのに。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">ただそれ以上に、自分の軽率さが恥ずかしかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君にとっては、仲互いをするあの現場を見られたのは、驚いた以上に気まずかったはずである。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そこからさらに、中学生時代にイジメを受けて喧嘩をした、という荒んだ過去まで知られたと解れば、穏やかでいられないのは当然だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　
しかも知らせたのが仲互いをした当の男さんだと言うのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　腹いせとして触れられたくない過去を言いふらされた、と取ってしまう可能性持も無くはない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　それに同僚君の事である。単純に関係が切れただけだったのが、これで完全に敵視してしまっても何ら不思議はないのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そうなれば仲直りどころではなくなってしまう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　『男さんから聞いた』なんて台詞は、嘘か真かに関わらず口にしてはいけなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">なのに、私は平然とそれを使ってしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　人生で初めての説得という行為は、そんな軽率な思いつきで、出だしから躓いてしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「なんだよ。じゃあ話聞いたってのは嘘なのか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　府に落ちないと言った表情で、同僚君が少し声を大きくして尋ねてくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「いえ・・・・・その・・・はい・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「どっちなんだよ？『中学のころの話』って、知ってんのか？やっぱり男から聞いたのか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「い、いえっ！男さんからは聞いてませんっ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「ってことはあれか？だれか他の奴から聞いたって事か？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あ・・・・・い、いえ、その、、、」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「どっちだよ？聞いたの？聞いてないの？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「その・・・あの・・・――――――――はい。聞きました・・・でも、誰かは言えません」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「言えないのかよ・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「すみません・・・追及しないで頂けると・・・・・・・・その・・・ありがたい、です」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「―――ったく・・・わかったよ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そう言うと同僚君は、長めのため息を一つ。額の左半分に手を当てて、うな垂れながら吐き出した。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　強く目を瞑ったその姿から、先程までの要領を得ない私の返答に呆れているのが見て取れた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　肘をついた左手で頭を支える彼の向こうで、エターナルフォースブリザードの人がまたもや妙な寸劇を繰り広げている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　今度は目を押えて苦悶の表情を浮かべる彼氏に、彼女の方は真剣に話を聞いてあげている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君のため息を境に、再び会話の空白が生じていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私がカノッサ機関のカップルから視線を戻すと、同僚君は先ほどと同じ姿勢のまま止まっている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そこに声をかけるべきなのだとは判っていても、何と言って会話を再開したらいいのかが判らなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そう。今のやり取りで私は、はっきりと気付いてしまったのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> <span style="font-size:10pt;">自分に説得は向かないのだ、と。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">相手と摩擦を起こすのを極端に恐れるくせに、心が読める故に自分で考えて相手に接することをしない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">心の起伏を感じた所で半ば機械的に対処してきた私には、相手の気持ちを自分で考えて言葉を発する能力が欠如してしまっていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それは相手の気持ちを推し量った上で、意見を変えてもらう『説得』という行動においては致命的であったかもしれない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">なにより心の読めない同僚君が相手なのだから、難易度は格段に上がってしまっている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">強いて言えば、野球をやったことのない人間が、いきなり甲子園の決勝に駆り出されてしまったようなものなのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">今更になって私は、自分が無謀な事をしているのだと気付き始めていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">けれど、だからと言って退くことはしたくなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私は同僚君を説得すると決めたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">たとえ失敗するにしても、私の方から終わりを告げる事はやってはいけない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">多分それは、とても失礼なことなんだと思う。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">誰に対して『失礼』なのかは判然としないけど、少なくとも退くことで気が晴れるなんて有り得ない、というくらいは私にもはっきりしていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君は相も変わらず額に手を当てた姿勢のままなので、私の方から動くことにする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「率直に言います」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あ、いえ。言っても良いでしょうか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「ああ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「その・・・率直に言います。――――男さんと・・・仲直りはできないでしょうか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「嗚呼。―――はぁ・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼は、二度目のため息をついたかと思うと、頭を動かさず視線だけをこちらに向けてきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;"> </span><span style="font-size:10pt;">怒っているのか、戸惑っているのか、悲しんでいるのか。彼の眼差しは、ただ鋭さばかりが際立っていて、肝心の内面をうかがい知ることがほとんどできない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それにじっと見据えられていると、不意に私の喉がゴクリと鳴る。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そのうち緊張で口の中が乾いてくると、生唾を飲み込まない方が良かったのではないかという後悔を感じた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼はやがて顔をあげ、はっきりとこちらを見た。左ひじから先が再び机の上に横たわって、陽光を浴びている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あのさ・・・なんで通訳がそんなこと言うんだ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「え・・・？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「だから。なんで通訳は俺と男に仲直りしてほしいんだよ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それは、その、、、、」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　投げかけられた質問は、予想の範囲外の物で、私は答えに詰まってしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　いや、予想の範囲外という言い方は間違いなのかもしれない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そもそも私は、彼がどんな反応をしてどんな質問をしてくるかなんて、事前に予想していたわけではなかったからだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　普通なら多少はシュミレーションを行うのだろうけど、ずっと緊張し通しだった私では思いつくこともなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　こんな所でも自分の浅はかさが露見してしまい、気持ちが深く落ち込んでいく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私は項垂れて、どもりがちに言葉を返す。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「男さんは、私の友人ですし・・・同僚君も同じ飼育委員で・・・・・・その二人の喧嘩別れを目撃して・・・・・・なにもしないのはおかしいです・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　両手を揃えて膝の上に、視線をあらぬ方向に向けて自信無く語る私の姿が、彼を刺激してしまったのかもしれない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君は再びカップを手に取りコーヒーに口をつけたかと思うと、唐突に立ち上がった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　先ほどから予想の範囲外の事ばかりが起こっていたけど、さすがに今回は訳が分からなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　半ば目を白黒させて視線を向ける私に、彼は椅子の背のジャケットを掴みながら、つまらなそうな貌をして一言。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「帰る」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　カエル・・・？帰る・・・？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　短い単語を理解するのに、数瞬を要した。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　やがて非常に緩やかな驚愕が私の中で広がり、臓腑が落ち込む感覚を催し始める。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　自分は失敗したのかだろうか？床にこぼれた液体が広がるような勢いで、そんな短文が頭の中を埋め尽くしていった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「どうして？・・・ですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　ほとんどパニック状態でモノが考えられない中、やっとそれだけのことを、咽ぶように吐き出した。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼はジャケットを着込む作業の途中で手を止めて、こちらを向く。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　まだ片腕だけをジャケットに通しただけの状態だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼は、通していないほうの手で首の裏を包むようにして触っていたかと思うと、何度目かのため息をつく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そしてジャケットを着るのから脱ぐほうに切り替え、椅子にかけ、その椅子を引くと、そこに座った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私の言葉を折り返し地点として、順序が真逆の同じ動作が目の前で行われる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　机から出来る限り遠くへ引かれた椅子に、浅く腰かけ片腕を背に掛けたおざなりな姿勢で彼は・・・</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「だってさ。これは俺達の問題であって、通訳に口を挟まれる筋合いなんてないから。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「そんな・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　冷たい、口調だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　本当に暖房に効いている店内でさえ、寒さを感じてしまうような。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　側の窓からヒタヒタと冷気が忍び寄ってきて、体の奥に入り込んできているような気さえする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　これ以上ない程の拒絶の意を含んだ言葉だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">思わず、総身が震えた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">外の景色が見たいからと言って、冷たい窓ガラスが側にある席にした自分が恨めしかったけど、それ以上に同僚君の事がこわかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　体が震えたのも、物理的な寒さというよりは、これほどキッパリと相手を拒絶した態度をとれる彼が信じられなかったからだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私ならこれほど相手を傷つけて、自分さえも傷つける言葉はどう頑張っても出てこない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それを、軽々とした口調で言える同僚君が理解できなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">理解できなくて、怖かった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「そうだろ？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">まあ、確かにあんな所を見せられて何とも思わない奴はいないと思うけどさ、丁度いい機会だから言っておく。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――通訳とは一応この先もしばらくは一緒に仕事する仲だしな</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そう付け加え、同僚君はこちらを見据えて、続けた。　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「俺は、良い。男と仲直りするつもりもないし、あいつだって仲直りするつもりはもう無いんだよ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「そんなこと・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「ん？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「彼はそんな事思ってませんよ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼の決め付けたような言い方に、先程までの恐れはどこへ行ったのか、急に私の中で反発心が顔を出した。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　実際男さんは、関係を終えるつもりでいるかもしれないけど、心の中は同僚君に対する未練でいっぱいなのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　あの日A棟とフェンスの間のアスファルトの上で決裂した時も。その後に教室で顔を合わせた時も。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君を目にした男さんの心からは、やるせない、不安定で未練がましい感情が、確かに伝わってきたのだから。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">つまり、本人達が切れたと思っていても、男さんの性格や人柄を考えると、今ならいくらでも修復がきくのが実際だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君の方には未練はないかもしれないけど、それを呼び起こすのが今の私のやるべきことなのだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">いずれにせよ、彼の言い方にはカチンと来るものがあった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「思ってるさ。お前だって見てたじゃないか。教室で、あいつが旅行に参加する奴らの中から俺を外すところ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それは・・・・・・喧嘩別れをした相手に、今までと変わらない調子で接することの方がおかしいです。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「けどさ、それでもあいつは俺を外したろ？それは、もう切れた。切れたいって思ってるからなんじゃないのか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「確かに・・・それはそうです。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">でも、男さんの事はお互い良く知ってるはずです。私も、同僚君も。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">今なら、いくらでも彼は思いなおしてくれますよ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;"> </span><span style="font-size:10pt;">言いながら、男さんの事を思い出していた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　人当たりがよく、万人に付き合いやすい印象を与える男さん。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　温和な性格で皆から好かれていて、通訳するくらいしか他人と関わろうとしない私にも友人として接してくれる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　思えば彼の周囲には、いつも誰かがいるような気がする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　その半分くらいは女の子達とのいざこざによる、というのには苦笑してしまうけど、結局はそれほどに人として魅力的ということなのだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">考えているうちに、教室で同僚君を旅行のメンバーから除外していた男さんの姿が脳裏に蘇ってくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それまでは積極的に引き入れようとしていた同僚君を、はっきりと『もう参加しない』と男友さんに告げていた。それも、同僚君に聞こえる位置で。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">今思えばその時の彼の口調は、先ほど同僚君が席に着いた後の言葉とよく似たモノを孕んでいた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">何かを断ち切ろうとする意思が透いて見えるような、拒絶の意思を前面に押し出した、冷徹で鋭利にして強烈な『言葉』。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">普段の男さんで有れば、絶対に口にしないような攻撃性の高い物の言い方だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それほどまでに、彼は大きく心を揺さぶられていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君と仲互いしてしまったショックから、半ば自棄になっている心境が、男さんの言葉の裏側にあった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それは、見ていてあまりにも痛々しい光景だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">説得を決意した本当の理由は他にあるけれど、その場面を目撃したからこそ踏み出した、というのも間違いではない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私は男さんが、こんな理由で悲しんでいるのを見たくなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼にはあんな気持は似合わない。何となく、そう思ったのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「だからなんだよ？俺は仲直りするつもりはないっていったろ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　けど、そんな私の想いも彼には通じないみたいだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君は冷たい視線を投げかけながら、そう返してくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私は少し焦って会話を続けた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「寂しくないんですか？それで？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「別に」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「男さんがいなくなったら、友達が一人もいなくなるんですよ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「構わない。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「男さん・・・・・・可哀そうだとは思わないんですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「言いたい事はそれだけか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　とうとう私は、次に何を言って良いか分からなくなってしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君はにべもなく、機械的に言葉を返すだけで、何か心境に変化をきたした様にはまるで見えない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　頑なな彼の意思も、心の読めないという状況も、私の言葉では何一つ変わらなかったのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">負け戦に臨み、そして奇跡は起こらず城壁は依然として傷一つない。そんな中世ヨーロッパの戦争のイメージが頭の中で浮かんで消える。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">打ち負かされた絶望感だけが心を占めていた。城壁の理不尽な堅固さ強大さに、笑いさえこみあげてきそうな絶望だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それだけなら、帰らせてもらうから。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「じゃあな。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　そう言って彼は席を立とうとする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　何か言わなければいけない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　折れかかった心の中でそんな声ばかりが響いて、具体的な方法がまるで浮かばない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">けれど、逼迫した状況と感覚が私の口を押しあけたみたいだった。半ば無意識に、俯きながら私は言った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「同僚君は・・・・・仲直りしたくないんですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・別に。なんども言ってるだろ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「嘘・・・です」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「嘘じゃねえよ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あなたは嘘をついています。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「しつこいな。もう切れたって言ったろ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　淡々と。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私達は淡々と中身のない会話を繰返す。お互いの言葉に深い意味はない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼は先程までと同じ内容の事を告げるばかりだし、私は私で、ほとんど意識の外側で口が動いていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　自分でも何を言っているか分からない中で、ふと、ある事を思い出す。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　以前、バスで同僚君と出会った時のこと。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　不思議な夢を夢を見た、あのバスでの会話。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;color:#000000;">――――――あの・・・同僚君はなんで、このバスに・・・？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;color:#000000;">――――――ん、ああ。ちょっと旅行関係の本を見に駅前まで。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　偶然同じ車両に乗り合わせ、沈黙が繰り返される中、何故ここにいるのかを問うた私の言葉。それに対する彼の返答。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　それは、思いだしたというよりも、どこか遠くから聞こえてきたような追憶だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;"> </span><span style="font-size:10pt;">不意に思い出されたその記憶に、私は俯かせていた顔をあげた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">中腰で席から立とうとした格好のまま止まっている同僚君が見える。その向こう側ではラ・ヨダソウ・スティアーナのカップルが二人で、見えない敵と戦っていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">目の前の風景と頭の中の光景が混ざり合い、絡みあい、相剋しあっている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:60pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">――――旅行。　　　　　――――旅行関係の本。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:105pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:190pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――――男さんに誘われていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:190pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:190pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:30pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">――――旅行に。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:40pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:60pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――――私達も一緒に行くかもしれない旅行。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:60pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:60pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">脳内で文章の形をなさない思考が、知覚出来ない速度で諸要素を取捨選択し答えを導き出していった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そう。男さんは同僚君を旅行に誘いたがっていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">旅行先で、何故同僚君が中学時代の一件以来、男さんや親しい人間を避けるようになったのかを、真正面から問いただそうと思っていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">イジメを咎め止めさせる事をしなかった負い目からか、気を遣って追及できなかった問題も、旅行と言う特殊な場でなら覚悟を決めて問う事が出来る。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そう、男さんは考えていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">今まで同僚君は、その誘いに対して表面上はそっけなく断っている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">けれど彼は旅行の本を探していていると、あの時確かに言っていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それはつまり、同僚君は男さんの誘いに応じる事を考えている、と捉えても良いのではないのだろうか？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">どこまでそう思っているかはわからないけど、少なくとも、</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">どこかで男さんとの旅行に加わりたいと。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">どこかで彼自身、男さんと昔の関係に戻りたがっているのではないのだろうか？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">あくまで推測でしかないけど、そこに賭けてみる、縋って拠り所とする価値はある筈だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　気がつくと、私の心を占めていた絶望が和らぎ溶けはじめていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「覚えてますか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「以前バスで乗りあわせた時のこと・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「ああ。覚えてる。それがなｎ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あなたは『ちょっと旅行関係の本を見に駅前まで。』と言っていました。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　割り込むように言い放たれた言葉に、同僚君の眉がピクリと動く。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">と、今までの席から腰を浮かせていた中途半端な状態から、急にシャンと立ち上がった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼は無言で踵を返そうとしている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「待って下さい。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　早口で押しとどめた。彼はこちらに背を向けたまま止まる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「男さんと仲直りするつもりがないのに、なんで旅行の本を探していたんですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それは・・・・・あれは、違う。男達のとは関係ない。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「嘘です。あなたは・・・嘘をついています。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「本当はやぱっぱり、仲直りしたいと思っているのではないのですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君がこちらを振り返った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　一瞬。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">身の危険を感じた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　振り向いた彼の表情にはそれほどに、何か、尋常ならざるモノの影が落ちていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　それは恐らくは激情に近い感情なのかもしれない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">貌を見たその瞬間に、自分が絞め殺される想像をしてしまうほど、同僚君は今までのどんな時よりも瞋恚に駆られているように見えた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">ゆっくりと。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼はゆっくりとした動作で、一つ一つ手順を確認しているみたいに、椅子に近寄り、腰を下ろし、机の方に体を寄せた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">その向こうから『月に廚誠を近いし者』とか『我が固有結界を――』なんて大声が聞こえたかと思うと、（´・ω・｀）←こんな顔をした店員さんが私達の側を通り過ぎていく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">と、女の子が謝っている声が切れ切れに聞こえてきて、さっきから時折こちらに届いていた、漫画の設定を並べたような会話が店内の喧騒から消え去った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">目の前では、こちらに詰め寄った姿勢で同僚君が口を開こうとしている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「お前は、俺の何なんだ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――――――――――・・・・</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゾル。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　背筋からそんな音がした。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">忘れかけていた、心臓から全身の末端に至るまで針金が入っているような感覚が、その音で呼び覚まされた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">手足が凍りついてしまったのだ。目の前でこちらへ睨むように顔を向けているナニカが、私を凍らせてしまったのだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">眉間の皺は、骨に彫りこまれその形に沿っているかのようで、元からある凹凸なのではないかと錯覚する。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">真一文字に結ばれた口も、鋭く歪みながらも見開かれた眼差しも。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">明らかに、私を威圧するためだけに機能していた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「友達か？恋人か？家族か？親戚か？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　違うだろ？何でもない、ほとんど他人みたいなお前がさ、俺の何を知っててそんな事が言えるんだ？</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">言ったはずだよな？俺は男に謝るつもりも仲直りするつもりもない、って。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">声は、あくまで静かだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それどころか先程までの押し殺したような低い声から一転して、僅かだけど高音でさえあった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私は何も言えない。彼の瞳は、白熱しているみたいで怖かったから。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">怒っているとか、不快に感じているとか。そういう一般的な感情じゃなくて、もっと根源的な『感情の原液』。どちらかと言うと本能に近い『熱』が彼の中で渦巻いている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　恐怖からか、激しく動悸がする。同僚君が来てからずっと心臓は高鳴っていたけど、それよりも一段階上の次元に昇って行ってしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「俺が良いって言ってるのに、なんで通訳は良くないとか言ってんだ？それさ。おかしいだろ？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――――　　っ、、う、、、、</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――いたい。痛いです。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君の突き刺してくるような言葉も。私の心臓が気が狂ったように跳ねまわっているのも。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">痛いです。泣いてしまいます。痛い。やめてください。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「俺の言葉を否定するなんてさ、俺の事、知らなきゃできないよな？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　こんなに、痛くて、怖くて、泣いてしまうそうなのに、やめてください。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私はあなたを傷つけるつもりなんてないのに。やめてください。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　心が―――体も―――全部、痛いです。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　このままだとわたし、泣いてしまいます。泣きたくないけれど、泣いてしまいます。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　やめてください。いたいです。傷ついてしまいます。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　やめてください。我慢、できません・・・・</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">・・・・・・・・・・・・・・お父さん。私、彼を傷つけても、、、いいですか？いたい、です。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">自分も傷つくかもしれないけど――――私、彼を傷つけます。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「お前は俺の事知らないだろ？他人みたいなモンだｒ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「知って―――ますよ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　目を見開いた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　頭が痛い。手足が痛い。体も心も何かも。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　でも何より目が痛かった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　じんわりと、目の中で痛みが溢れだす。やがて、一筋、頬を伝って流れおちた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君はたじろいでいる。私が口応えしたからかも知れないし、私が涙を流したからかも知れない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「私はあなたの事を知っています。何もかも知っている訳ではないけれど、知っています。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　今や私は、全神経を彼の心を読むことに割いていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　同僚君の姿を視界の中に捕らえる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　意識を集中し、余分な情報をカットする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　彼の背後の景色が、午後の白い陽ざしと混ざり合い、やがて一枚の白地となっていく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　周りから聞こえる声が耳鳴りにかき消され始める。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">プツ、プツ、。一つ、また一つ、。会話が消える。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『なんだ。この店ガキばっかじゃねえか。死ね。』『お前が死ね。コーヒー飲みすぎて中毒で死ね。』というやりとりを最後に、全てが聴覚検査に用いられる、あの高音の中に没した。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「それに、私は他人じゃありません。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「他人だろうがっ。彼女でも友達でもなんでもないだろ。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「違います。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「は？なにがｄ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あなたは、私の同僚です。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">飼育委員の同じ曜日、同じ時間にペアを組まされた、私の同僚です。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「！</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">・・・・・・・――――っ、、、」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　唐突に聴覚検査の耳鳴りが『ダン！』という音で、かき消された。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　見ると、彼の拳が机の上にある。同僚君が丸テーブルに自らの拳を叩きつけたようだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　その叩きつける音が、私には幾重にも残響を伴っているかのように感じられた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　白い何も無い空間を消去したその音が、何度も何度も私の中で繰り返されているのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　実際には拳を叩きつけた最初の音は、聴覚的な痕跡など何一つ残してはいない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">けれどもその、最初の音に、私の心は完全に絡めとられてしまったらしく、脳内で存在するはずのない響きが間をおかずに連続していた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">今や集中は途切れ、意識は普段の散漫な状態にもどってしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">白い世界に没したはずの周囲の景色も、網膜に帰還する。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:5pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君の背後に広がる店内の様子が、こちらの注意を反らそうと誘惑してくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　私達の近くに座っている人たちがこちらに視線をやっていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">ヒソヒソとした会話があちらこちらから聞こえてきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　『痴話喧嘩かな？』『男の方が怒ってるみたいだな。』『えー？女の子だって怒ってるよー。』『そう？』『だよー』『そうかー』『えへへー』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『と、止め、、止めた方がい、いいいいいいでありましゅかかっか』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『存在不適合者め。計画に支障を及ぼすつもりか？』『存在不適合者ってなに？』『ふんっ、持たぬ者にはわかるまい。』『意地悪しないで教えてよ～』『い、いわゆる超能力者のことだっ。俗な言葉で言うとなっ。』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『おい、見てないで早くしろ。』『あなたみたいな無関心なのが非常識な人を増殖させているんですね。わかります。』『はいはい。人の情事に首突っ込むのはいいことですね。鬱陶しいから死ね。』『お前が死ね。マンションの組合から村八分にされて孤独に死ね。あとさりげに【情事】とかキショイんですけど。万年発情男さん』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">『喧ダメ』『いや、でもさ、喧嘩するほど仲が良いって言うし、それに他人の色恋沙汰に勝手に首突っ込むものじゃないって、ばっちゃが言ってたし』『婆言？』『うん。俺もそう思う。』『わかっ』『ひょおおおおおおおおおおおお！！』『五月蠅』『かっかっかっかかかかっかかかかかっかっかっかっかっかっかっかっかっか！？―――止めた方が良いでありますかっ！』『ってまだ言ってたの！？』『は、はい！イエッサー！自分は報告義務をはああああ、、、はたはた、果たさなければならぬのでありましゅしゅ・・・しゅあっ！』『いや、もういいから（＾＾；）』『あれれ～？あれれ、あれれ～～？ふぇ～、、、ここどこー？佐藤さ～ん（泣）』ブォンｐ・・・チンポキッキ！</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">何だか、悲しくなってきた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">ほとんど何も知らない人たちが、私達に関して勝手な推測を立てている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">誰も彼もが好き勝手なことを言っていた。結局彼等にとって、私達の事は他人事に過ぎないのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">他人事に過ぎないから、なんとでも言える。仮に推測が間違っていたとしても、他人事なのだから傷はつかない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">何も知らないのに推測する、という行為自体が、安全地帯にいるからこそ可能なのだ。安全地帯から飛び出して心身を削っている私達とは違う。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼らとは認識が違うのだという事実を、はっきりと突きつけられたような気がして、酷い疎外感を感じてしまう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同じ店の中にいる筈なのに、はっきりと境界線で隔てられているような疎外感だった。彼等の和気あいあいとした雰囲気も隔たりに一層拍車を加えている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">もともと赤の他人なのだから、それはそれでしょうがないとは思うのだけど、平気なのはあくまで曖昧にされていればこそだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">これほどはっきり目の前に差し出されてしまえば、やはり悲しくなるのは避けられない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">なんとなく、今の同僚君の私に対する怒りが分かったような気がした。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">偶然自分の目に留まったモノに対して、当事者でもないのに勝手に結論を下し、勝手に何事であるかであるかを決めつける。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">恐らく私は、こうやって自分自身を危険に晒さなければ、そんな事にだって気付くことはなかったのだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">けど、それでも私は、そうやってこちらを遠巻きに環視している人々よりも知っているのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君の過去も、彼が心の中に私と同じ寂しさを抱えている事も。邪推や憶測ではなく、事実として知っている事が確かにあるのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">だから、それに賭けている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">やっぱり、知り合いと友人が喧嘩別れはしてほしくないから。それに、彼の寂しさを、自分のものとして、知っているから。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼が拳で机を叩いて、それが怖くて集中が途切れてしまっても、迷うような事はなかった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">自分が彼を傷つけているのだと知って、彼が自分の所為でどうしようもないくらいに取り乱しているんだと知って、その事実が辛くて酷く私自身泣いているのが分かっても、退こうという気が起こらない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「黙れよ、頼むから黙れよ・・・・・俺のことなんかどうだって良いだろ！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">同僚君が吠える。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">さっきまでは自分の正当性を主張する形の拒絶だったけど、今はまるで駄々をこねるような言い方をしていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「くそっ、、、そうだっ。俺達は同僚だよ・・・・・・だけどそれがどうした！俺達そんな仲良くないだろ！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「あなたに仲の良い人がいるの？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「――――っ！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「もう、友達なんていない筈なのに？男さんを突き放したのは、貴方の方でしょう」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「だから・・・・・どうしたっ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「友人がいなくなったのだから、説得している私が仲の良い人でないのは当たり前の話なのに。」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「知るかよっ！ただ委員会が同じってだけのお前にっ、何が解るんだって俺は言いたいんだよ！！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「――――――解らないからこうやってお話をしてるんですっ！！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「放っとけよ・・・・・・・・ほっといてくれ・・・・・・・・」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「だけど―――」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">「畜生―――」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:110pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">あなたの、寂しさだけは知っているから！！</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:110pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">俺はもう、独りになるって決めたんだよ！！</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">　</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私達は、ほぼ同時に叫んでいた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">もう、周囲の視線は気にならない。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">ただじっと同僚君の心を読むためだけに、全身を目にして意識を集中していた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">再び返ってきた静かで白い世界の中、机の向かいの人だけが有った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">頭の中で鈍痛が走りまわっている。瞳からは、涙が静かに頬へと伝っていく。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――彼は、『気分が・・・悪い』と言っています。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――彼は、『くそ・・・訳・・・わかんねえよ・・・』と言っています。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――彼は、『その目で見るな。俺を見るな・・・見ないでくれ』と言っています。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">―――彼は・・・・</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">脳細胞が焼き切れるのではないのかと思う程に、強く強く、半ば無理矢理に自らの意識を同僚君へと集中させていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">頭の鈍痛がますますひどくなり、終にはガンガンと、頭骨を内側から破ろうとしているかのような激しいモノへと変わる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">それでも尚、無視をして心を読もうとしていたけれど、不意に耐えがたい吐き気が混み上がり集中は途切れてしまった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">一瞬前まで確かに聞こえていた同僚君の心の声が、サッと消え去る。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">そこで私は、今更ながら、自分が荒く息をしているのに気がついた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">静かな世界の中で、私と、彼のゼエゼエハアハアという押し殺された激しい呼吸が、嗚咽みたいに鳴っている。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">やがて同僚君は、崩れるように椅子に座った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">いつの間にかお互いに席から立ち上がっていたのだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私も、それを受けて、静かに腰を下す。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">彼は・・・・・１００ｋｍマラソンを終えた後みたいに疲れきった様子で、深く腰掛け項垂れていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">まるで、眠っているのではないかと疑うわれる程に、深く深く項垂れて。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">私はハンカチを取り出して、頬や目頭や目じりを拭う。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">こんなに泣いたのはいつ以来だろうか。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">鼻をすすることで、熱を持った鼻腔を空気がスッと冷やしていくのを感じながら、そう、思った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;text-indent:10pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">気分を落ち着かせようと、マグカップを手にとって口をつける。ラテは、その一口で最後だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;" align="left"><span style="font-size:10pt;">・・・・・沈澱していたザラメの甘さが、カラカラとした口の中へ、ジワリと広がっていくのがわかっった。</span></div>