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+ 枕として一般時空間と思想の関係性に関する提示を始める。
枕として一般時空間と思想の関係性に関する提示
 一般主体において、歴史(観)とは、世界(観)の概ねを規定するものであり、イデオロギー(思想)と鶏と卵の関係にある。或いは、「色即是空 空即是色」。

+ # イシセイからの出発
# 意志性からの出発

願望
思想 言動
認識

+ ## [意志-表現-権利]:行為
## [意志-表現-権利]:行為
 一貫した意志がある人間にとっての行動原理は思想である。意志を持つ人間であるならば、人権や民主主義のない時代に作られた古い仏教による無我、他力本願のような人の有り方や儒教による先や上の人に従う有り方のコッピーでは為らない。人間-社会は、進歩する必要があり、これまで進歩してきた。もちろん、有形無形、見える部分、見えない部分で様々な力を借りて、私達は生きているのであるが、権利の上に眠る者に権利は保障されないというのは、法の大原則である。己で行う、或いは主張を行わなければ、何一つ与えられはしない。生きる中で、人は意志を表現しなければならない。或いは、表現することが人間として生きる、活きることであるであると言える。

+ ## 一般[意思/意志]形成過程
## 一般[意思/意志]形成過程
 民主主義の共同体においては、今、述べた人の有り方は相似形として共同体の有り方と同様であると捉えられる。各個人の意思を民主主義の過程を通して、共同体の意志にすることが政治の機能であり、誰もがこの政治上の役目を担っている。尚、この過程において非差別者や少数者等の主張、権利は軽んじられ易い。そのため、場の規則を定める際には、そうした者が原則優位となる仕組みを埋め込んでおかなければ公正かつ自由な場を形成することはできない。

+ ### 民の責を降ろすための[立憲主義-法治主義]からの理の導出
### 民の責を降ろすための[立憲主義-法治主義]からの理の導出
 誤解され易いが、憲法や国際人権規約において各個人に対する権利の保障を義務づけられているのは、国・公(おおやけ)であって我々、民ではない。もちろん、民であろうと、経営・労働・自治活動等において公(民間企業活動もこれに含まれる)に携わる際には個別法に従って人権を尊重する義務があり、純粋な民(たみ)としても放置すれば重大な事態になりそうなときは他者に対しては保護責任を負う、そして何より良心を表現する自由がある。一方、良心を強要することを含めて法に定められていないことを命令し、他者に求めることはできない。契約も一つの法であり、法とは社会契約の一部である。人は、良心を持って健康に調子良く生きることを義務付ける契約に縛られている訳ではないのである。各個人に良心の種を落としそれを育むことは、社会の責任、即ち社会(共同体)を構成する各個人の責任として、執り成す必要がある。

+ # 思念及び表現の伝播に関する諸原則
# 思念及び表現の伝播に関する制原則
 意志の、或いは全ての表現は、主体だけでなく受け取り手、即ち客体が存在しなければ、成立しない。付け加えると。開かれた場においては、主体が表現を送っている客体とは別の第三者としての客体(以降、第三客体)が存在する。単独の思念、表現として存在する以前の意志は、誰にとっても主観に過ぎず、妄想に過ぎない。この湧きだす主観を虚無から救い出し、客体、第三客体と共に、有意性を証明することが表現である。更に、場に現わされた表現に対しては、好感/嫌悪、賛同/拒絶、或いは服従/抗議等のような表現が、客体或いは第三客体の意志の部分として表現され、その反応に対した反応としての表現もまた現れる。これが目に見える一般意志形成の第一段階であり、私達という共同体が共同体としてあるための初期条件の導出、又はその維持、稼働のために逐次必要となる熱量の産出である。

+ ## 各人及びに各共同体がセカイに溶けてしまわないための幕
## 各人及びに各共同体がセカイに溶けてしまわないための幕
 概ねの人は、他者に対して全てを晒け出したくなかったり、不要な表現に曝されたくなかったりする。人には人の有り方、それぞれの様相の維持、革新のための法がある。共同体に関しても同様の相がある。全てが同一に統一された世は、一つのディストピアである。一方で、仮にバラバラの有り方であろうと、人と人が接しながら生きるためには、内部の部分を開示し表現し合う必要や共通の原則やプロトコルを導入する必要がある。

+ ### 幕ノ内で独自の様相を構築するという豊かさと正統権威への近接欲求
### 幕ノ内で独自の様相を構築するという豊かさと正統権威への近接欲求

+ #### 峰及び局としての権威と同調による単調安定系
#### 峰及び局としての権威と同調による単調安定系
 人間は己より高い権威に対して、同調し迎合することにより、その場における一時的な安定と調和を得ることができる。多数派は常にその場における正統権威として機能する。抵抗する意思や力を持たぬ弱者は、その様な同調的振る舞いを連続して行う主体として存在すること以外に生存戦略を選択することができず、意志を持ち抵抗する者や変革を起こそうと企む者、或いは、彼らの予備軍を自らの安楽のために排斥したり、下位存在として同化したりする。社会運営を自らの責として負うべきことと思えない儒の行動原理はこうなり易い。儒とは異なる思考原理を持つインテリや市民のマスメディアへの好意的な露出は、メディア民主主義として、民主主義が最低限に機能しているかどうかの指標となる。
 己の感性及び思考による判断と自らが仰ぐ判断の区別は難しい。知識、知能、経験、思索時間、感性に差異がある以上は、人は情報的に不平等であり、何らかの視座を規定した際には優劣、つまり相対的な権威が発生する。人は情緒的であったり合理的であったりという面で筋が通って己にとって公正であることを好み、社会には既存の権威の峰があるために人間が社会の中で生きる中で権威の影響から完全に逃れることはできず、何らかの権威による響きに同調しつつ生きる他ない(誰も何も尊ばずには生きられはしない)。自らの内部も含めた響きの分析と広い視野からのその分析結果に対する自己批判が独自性の維持に対して有用であるが、広い視野を得るための学びの過程には常人には捉え切れない峰がごろごろしているために、多くの者は既存の型としての有り方に落ち着く。

+ #### 局とLAN
#### 局とLAN
 既存の集団とは異なる人間-社会観を得た者が、意識的な峰である局として、幕ノ内の共同体つまりLAN(LocalAreaNetwork)を形成することがある。概ねのLANは、内部の熱量の不足や熱の入出力及び循環の不具合により、短期にて機能不全となる。
 また、開かれた大きなLANは、それ自体が他の小さなLANを結節するハブとして機能する。更に、開かれたLANの峰を既存の共同体における正統権威と同程度にまで育てることができれば、そのLANはもはや、WAN(WorldAreaNetwork)における一つの機関となる。この革命及び革命予備状態は、民主的共同体が、民主主義過程においての本質的内実性を失い形式的な手続き過程となってしまった安定系から脱却するための一つの経路である。

+ ##### 原理的制約から導かれる歴史進歩順序
##### 原理的制約から導かれる歴史進歩順序
 先に述べた安定系は、力の性質による制約という原理的要件から導かれる歴史進歩順序が、実質的に民主制から君主制という櫃前の段階に戻った状態だと言える。
 この歴史進歩順序は、現実の歴史の時間順序と必ずしも一致しない概念模造である。初期より進んだ有り方としてあったり、外部の影響で一足飛びに進んだりする。この歴史進歩順序を説明する。共同体は自身を維持存続不能にする内外の者を排除する必要があるために、強制力として暴力が必要とされる。原始においては、暴力を持って治められる(野蛮国)。次に、無原則に暴力が行使されては困るので、暴力を統御する者が求められ、それを担う正統権威としての力により共同体は治められる(君主制)。正統権威が理不尽な判断をしては困るので、正統権威を理で縛ることが求められ、正当な範囲で正統な権威が治める(立憲君主制)。意思決定権の独占は、不公正を生じさせ易いために、成員にその権を降ろし、権威としての決定でなく適切な手続きにより決定される正統正当性によって治められる体制に至る(民主制)。
 共同体の歴史は、ハードパワーによる支配からソフトパワーによる支配への遷移、及び少数者の支配から多数者の支配への遷移が伴わなければ、内部の熱量の不足及び熱圧循環の不具合により機能不全となる。であるが、外部よりの熱量の流入、及び内部に熱量へ転換可能な資源の存在等があれば、別の安定経路が在り得る。

+ ##### 形骸化し易い民主制
##### 形骸化し易い民主制
 民主主義は、成員の参画への意志を保つだけの熱循環が不全となれば、各人の民主主義に資する行動が止まり機能しなくなる。この熱は、ある者が自身の熱を他者や場に送っても、それは送り先の熱にはなり難いという性質を持つ。一般に相対高温による圧は、受け取られなかった場合に、間柄における亀裂を深める。一定の域値を超える亀裂が生じた場合、以降は熱が全く伝わらず、同様の熱に対して腫物に触るように避けられるようになる。これは、場に対する危害である。熱量を直接受け渡すというより、気付きによる熱量の発生を促すような因子を埋め込むことが限界である。

+ ## 右巻き左派による社会公害
## 右巻き左派による社会公害
 人は、右巻きと左巻きという2つの傾向に分類することができる。強い者や上位、中央にある者の立場を、弱い者や下位、周縁にある者より優先する右巻きの者とその逆の左巻きの者である。政治思想にも右と左があり、右翼と左翼や右派と左派と呼ばれる。ここでの右は体制の維持強化を目指す思想であり、左は人間の解放、即ち各個人に本来ある良きあり方の実現を目指す思想である。
 歴史の進歩と社会の熱圧循環のためには、政治思想としての左が正統権威となる必要がある。それ故に、左の思想を論理的に思索することを学問の対象とする分野があり、合理の権威の上位に学問的正統権威として左の思想が座することになる。この状態になると、真面目な右巻きが、正しいとしか考えられない正統権威に従った思想を己の内に持つことになる。こうなると、思想としては左だが性根としては右である人間が量産されることとなる。このような者は、左派ファシストと呼べる。
 通常の弁論の場では区別が付かず、真面目に集団の利益を追求するために集団の内の強い権力を得ることがままある。このような者が長となった共同体は、圧の方向が上意下達的となり内部の熱圧循環に不全を起こし易い。管理者・長を選ぶ際には、単純な能力主義では駄目なのである。長でなくとも左派ファシストが市井で論を無理強いすることで、正当性ある論が徐々に疎まれ、正当性の力、正統正当性により産まれる健全な圧が作用し難くなる。

+ ## 社会の内を流れる思念の指向性に関する右廻りと左廻り
## 社会の内を流れる思念の指向性に関する右廻りと左廻り
 人間の精神は[意志-思念-言動]として表現できる。尚、心、気持ちはこの連関の具合に関する入出力部(インターフェイス)である。意志は、初期においての思念による筋の張り巡りから、方向性として形成される。その後の思念は、意志の内部において内外の言動に影響を受け、言動は内外の精神運動の影響を受ける。意志とは、思念を方向付けるものであり、一旦形成された後の意志は強い思念、及び意志を形成する思念の張り巡りに刺さる思念からのみ影響を受ける。思念は言動を中心とした表現により社会の中を伝播する。
 この際に、とりわけ未認定や非共有の好ましさや正しさの概念は、個人の傾向としての右巻き/左巻きという概念と関連がある、社会の内を流れる思念の指向性としての右廻り/左廻りの力の影響を受ける。人は相手と場の気を損ねる発言を嫌うために、そうはならないことが保証されている相互にとっての権威に従う、即ち正統性を纏う概念に準じて話しがちである。一方で、そうでない話はあまりしない。この連鎖によって発生する力が、右廻りの力である。この保守的な右廻りの力に逆らって思念が流れるには、場と概ねの成員にまつわる熱を上げるような内容を含む必要がある。この場の調和と持続性、発展性に資する類の思念が帯びている力が、左廻りの力である。
 人は、右廻りの既存権威に則した思念の流れに対してohと制限に対する納得の意を示し、左廻りの新しい思念に対しては解放に対する納得の意をahと示す。この各個人同士の境界を越えてる思念作用は、oh波及びah波と呼べる。これを逆手にとって、oh波及びah波による意思疎通を常とすることにより、その場における思念の指向性に影響を与えることができる。

――とりま、取り急ぎ、随れ々々と。
最終更新:2023年04月11日 11:43