日韓間の領土問題に関してまとめるページです。
竹島問題
<竹島の領有権に関連する日本側の略年表(編集中)>
1905年 日本政府が竹島は島根県隠岐島司の所管と閣議決定。
1951年 「ラスク書簡」により、竹島は韓国領ではないことが国際的にも確認される。
1952年 韓国が「李承晩ライン」を一方的に宣言。
1953年 公海上で操業中の福岡の漁船が韓国軍による銃撃を受け、
被弾した漁撈長が-死亡(第一大邦丸事件)。
韓国により、日本の漁船328隻が拿捕され、44人が死傷、3929人が拿捕・抑留された。
1965年 日韓漁業協定が成立し、李承晩ラインが廃止。
この交渉の過程で、日本人抑留者を人質としていた韓国政府は、彼らの返還と引き換えに、
収監されていた在日韓国・朝鮮人犯罪者472人を放免させ、在留特別許可を与えさせた。
また、摘発された
韓国人密入国者の強制送還を拒否すると共に、日本国内に解放するよう要求した。
そして 現在でも不法占拠を続け、数々のロビー活動や国民洗脳活動を続けている
韓国という国・・。
ラスク書簡に関して
ラスク書簡とは、サンフランシスコ講和条約を起草中だった米国政府に対し、当時の韓国政府が「「独島(竹島の韓国名)を韓国領に加えてほしい」と要求したことに対し、米国政府が1951年8月10日、断固拒否を通知した文書のこと。
ここでは、竹島について「ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、われわれの情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある」と明確に書かれている。日本外務省のHPでも、書簡の写真と一部和訳が公開されている。
米国政府が1978年4月、過去の外交文書を公開して初めて公になり、韓国政府による「歴史的、地理的、国際法的にみて、明らかなわが国の固有の領土」という主張が事実と異なることが明らかになった。
ラスク書簡に対する反論
韓国側は行っている反論の展開の一つを紹介します
- 「ラスク書簡」とは韓国政府にのみ秘密裡に送付された非公開文書と書かれています。
- 大韓民国だけに秘密裡に送付された「ラスク書簡」は、連合国には公開されなかった文書であるということです。
- 実際に、在韓米大使館も知らなかった。
- また、1953年7月22日付の米国務省秘密文書「韓日間のリアンコール・ロックス(=独島)論争に対する望ましい解決策」という文書では、「ラスク書簡」は日本政府にも秘密になっている文書」であると記録されています。
- サンフランシスコ平和条約は、連合国の合意で作成された条約です。連合国の合意を経なかった「ラスク書簡」は、サンフランシスコ条約の見解と見ることはできず、基本的には無効になります。
サンフランシスコ条約
第2章 領土
第2条
(a) 日本国は韓国の独立を承認して、「済州島」、「巨文島」、及ぴ「鬱陵島」を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する。
サンフランシスコ条約 第2章 第2条(a)において「竹島」が含まれていないこと。
最終更新:2012年10月20日 13:37