○ 永遠の相の下に
○ 決定論
「永遠の相の下に」とは、万物をその本質によって、つまり、実体の本質の必然的結果として、見るということである。
全てのものは実体の必然的法則の下にあり、したがって、一切は必然的に存在し、世界は現在あるよりも外にありえず、
つまり可能性はないというのが、彼の根本主義であり、「永遠の相のしたに見る」ということは、必然性を通して
物を見るということである。もちろん、人間もその例外ではない
→徹底した決定論=自由意志の否定
○ 神観
人間のみではなく、神もまた必然の中にある。
神を人格的に考えたり、意思や知識の付与は、必然の法則以外の目的を認めることであり、無知の結果である。
神に、この世界以外の世界を作る可能性を求めることは、神への冒涜である。
○ 自由
万物を永遠の相の下に認識することはやがて、真の自由を知ることであり、これに合一することによって得られる。
○ 徳・力・知
スピノザによれば、人間の本性は自己保存の努力と言う点にある。
この努力を充たすこと、それが道徳であって、それゆえ、一つの力であるといえる。
ところで、人間の持つ最も純粋な力は精神力である。
そして、精神力の真髄は知力である
いたがって、徳と力と知とは、スピノザによって、同一人物である。
知識の増大→自由の増大→徳が完全に
人間の至上の善は、神の知識である!
○ 神に対する知的愛
力の増大を感じることは歓喜である。
情はわれわれの知識が完全に近づくか否かいよって、あるいは喜びとなって現われる。
そして、喜びを生ずる原因に対して抱く感情が愛だである。
だから神の認識により、我らの力と知の増大の極に達すれば、
我々の喜びの原因たる神に対する愛も至大であるということになる。
○ 神人合一
神の愛と神とは同一である。
天地自然の立法に没入し、実体の必然の下に神を知ることがただちに神への愛であった。
われわれの知と愛とによって、神はただちにわれわれのものとなり、われわれの精神は神につながることができる。
(上野 修)
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最終更新:2007年08月06日 03:28