殺人探偵、荒河市へ行く


「3110円になります」

 荒河中央駅に止まったタクシーから、一人の男が降りてきた。
 まるで推理小説から出てきた探偵のような風貌の男は、ハンカチで手を拭いながら中心街の方へ歩を進めて行く。
 その顔には、張り付いたような笑顔が浮かんでいた。

「いや~、満たされるなぁ。満たされる満たされる」

 男の後ろでタクシーが発進する。しかしタクシーは、よろよろと蛇行運転をし、そのまま電柱に激突した。
 集まってきた野次馬が、タクシーの中を確認すると、次々と連鎖的に悲鳴が上がる。

 ……既に男の姿は無く、赤く染まったハンカチだけが宙を舞っていた。

◆◆◆◆◆

 クリームの甘い匂いが鼻につく。
 探偵のような男――常磐正吉は、荒河市の有名なケーキ屋に来ていた。彼の目の前には、巷で話題になっているイチゴのショートケーキが置かれている。特に目新しい所もない、普通のショートケーキなのだが、これがまた美味しいらしい。

「さて」

 ふんわりしたスポンジがフォークを押し返す感触。なめらかなクリームが舌の上で溶け、上品な甘みが口いっぱいに広がる。美味い。
 常磐は甘味を楽しみながら、店内を一瞥した。思っていたよりも客は少ない、若い男女の二人組に、主婦のグループ、後は店員ぐらいか。

「やっぱり、この店のイチゴタルトは最高だな!」
赤坂は本当に甘いもの好きだね」

 視界に映る男女二人組の片方、猫のような女性。彼女の笑顔がチラリと見えた時、常磐はえも言われぬゾクリとした欲求を覚えた。殺人鬼としての性か、相手のふとした仕草一つで、どうも心が渇く。

「そうそう、来週の天慰祭に赤坂も来るんでしょ?」
「ああ! 小和と約束してるんだ」

 しかし常磐は、その欲望をグッとこらえる。
 彼は本能のまま獲物を狩る獣ではない。理性と知性を併せ持った一人の人間であり、誇り高き忍者だ。

「……それにしても、なんで急にこの店に来たがったんだ? まだ見回りの途中だったろ?」
「えっと……ちょっと、ね」

 猫のような女性の視線が動く。
 常磐は欲求ごと紅茶を飲み干し、そのことに気付く事はなかった。

◆◆◆◆◆

 街道を歩く常磐の足取りは軽かった。
 思いのほか、先ほどのケーキが美味しかったからだ。やはりあの場面は我慢して正解だった。面倒を起こしては、またあのケーキが食べれなくなってしまう。
 ふと、常磐は店を出る時にすれ違った人のことを思い出した。

(いつものバナナケーキ、3個くれウホ)

 妙に毛深く、獣臭かったのは気のせいだろう。
 そんなことを考えていたら、次の目的地に到着した。
 荒河市立美術館。先週から女神の涙という宝石が展示されており、話題になっているのだ。

「いやあ、楽しみですね~」
「ええ、本当に」

 思わず出た独り言に答える声。常磐は動揺を隠しつつ、自身の背後に居る声の主へと顔を向けた。
 眼前に広がる灰色。鉄仮面を付けた顔が、異常なまでに接近している。

「本当に楽しみです。異教徒共の悲鳴、嗚咽、叫喚、血血血」

 白いマントをゆらゆらと揺らす鉄仮面が、妙に楽しげな声で言った。
 彼が動くたび、マントや仮面の隙間から蛆が落ち、蠅が飛んで行く。辺りはもう腐臭で充満していた。

「女神の涙などという邪悪な物を有難がるなんて……愚かな異教徒は我々が指導しなければいけないのです」
「邪悪な物? 女神の涙がですか?」
「ええ、ええ! そうですとも! あれは悪魔の作りだした呪物の一つなのです! 既に異教徒共はあの呪物に洗脳されている。我々が救わなければ!」
「救う、とは具体的に何を?」
「聖痕を得ることは徳の高い行為であり、血を流すことは自らを清める救済であり、死こそ乱神様のもたらす祝福! このような素晴らしきことは世に広めなくてはならない。あなたにもそれが解るはずです!」

 常磐は鉄仮面の熱弁を聞き呆れかえっていた。
 人は死んだら終わりだ。死は祝福でも呪いでもない、ただの終わり。だからこそ、自らの手で相手の命を終わらせる瞬間が満たされる。
 この男とは分かり合えない。常盤の率直な感想だった。

「そうですか。では私はこれで」
「ああ、お待ちなさい! 私の見立てではあなたには神の声が聞こえているはずだ! 私には解るのです。さあ、よく耳を立てて……。ほら、聞こえてくるでしょう? もし聞こえなくても安心してください! こちらのアンテナを脳に埋め込むだけで神の声がよく聞こえてくるようになるので! さあ、さあ、さあ!」
「ちょ、ちょっと」
「おっと、そうでしたそうでした自己紹介がまだでしたね。私は輝く丘の民で教祖……指導者をやっている者です。名前はありませんが、同志からはセ・ラーズと呼ばれています。いやいやしかし、やはりこれは神の思し召し。まさか異教徒共の根城を救済するためにこの場所を訪れたら新たな同志に出会えるとは! まさしく僥倖! 乱神様は我々を導いてくれる!」
「あの」
「そうだ、あなたもこの救済活動に参加しましょう! それがいい! 共に徳を積み乱神様の元へ逝くのです! ああ、なんと素晴らしい……なんと、なんと、なんと! ああ、そうでしたね、まずはアンテナですね。さあ、こちらへどうぞ私のそばへ来るのです。安心してくださいちょっと頭を開いて脳に突き刺すだけです。痛みはすごいですがそれこそが神の愛です。甘美なる体験ができますよ。さあ、こちらへ……早く来るのです。もしや、悪霊が憑いているのですか? おお、なんと嘆かわしい……! しかしご安心を、我々の技術をもってすれば……」

 常磐は逃げ出した。

◆◆◆◆◆

「な、なんだったんだあれは」

 ぜえぜえと息を切らし、常磐は廃墟の壁にもたれ掛かる。
 一目散に走り回ったせいで、街のはずれの方へ来てしまったようだ。

「女神の涙を見た後は話題のラーメンを食べようと思ってたのですが……早く帰ったほうが身のためですかね~」

 突如、廃墟が爆散し常盤が吹き飛んだ。
 不慮の事態だがやはり忍者、難なく受け身を取り、廃墟のあった場所へと向き直る。

「ハッやるじゃねぇか! 銃使い!」

 瓦礫の山をかき分け、金髪の男が出てきた。乱れたボロボロのスーツを直しながら大声を上げる。
 金髪の男の見据える先、そこには発射済みのロケットランチャーを投げ捨てる黒いロングコートの男、銃使いがいた。

「……どうやら、面倒事が増えたようだな」
「あ?」

 二人の男が常磐を見る。

「……折角の休暇を利用してこの街に来たのに……」

 常磐は肩を震わせ俯いていた。

「欲求を我慢して、おかしな奴に付き纏われて、忍者の戦いに巻き込まれる……」
「おかしいな~おかしいおかしい」
「休暇を満喫したその瞬間が満たされるっていうのに」

 ふらり、と倒れるように歩き出した。
 その顔は殺人鬼の顔になっている。

「殺そ」



最終更新:2018年02月17日 01:34