阿良々木×黒羽川

  羽川翼、いや
 ブラック羽川との3度目の遭遇は、やはり突然のものだった。
 8月4日金曜日、戦場ヶ原の家に勉強を教えてもらいに行っていた僕が、
 普段どおり10時に彼女の家を出て帰路につく途中の事。
 街頭の下、征服姿で一人の、いや一匹の猫が僕を待ち構えていた。
「またお前か、もう驚きもしねえよ……」
「まあそう言うにゃ人間。
 というか、それはこっちの台詞だにゃん」
 それはそうなのかも知れない。
 既に2度、ブラック羽川とは対峙している訳だし、
 今更この怪異がどういう存在なのかは、思い出すまでも無く判っている。
 品行方正な羽川翼の裏の人格、ブラック羽川。
 イメチェンして髪を切ってから、多少雰囲気が変わったとはいえ、
 そんな今の羽川でも決して浮かべる事の無いであろう顔で猫は笑った。
「全く毎度毎度人のご主人を弄んで、
 俺達にゃんかよりよっぼどお前の方がたちが悪いにゃ」
「酷い言い草だな。
 それで今回も僕が原因だっていうのか、その……羽川のストレスは」
「当たり前にゃ」
 当たり前、なのか。
 羽川が僕の事を想ってくれていたのは知っているし、
 それは彼女が髪を切った今となっても、まだ過去形では無いのかもしれないけれど。
 しかしそれについて羽川は、自分なりにけじめをつけたものだとばかり思っていた。
 ブラック羽川が歩きだしたので、僕もその横に並んで歩く。
 そのまま会話が続いた。

「もっとも人間、今回の件についても、もちろん元をただせばお前が原因にゃんだが、
 別にお前のせいという訳では無いにゃ」
「? どういう意味だ」
「はっきり言ってしまえば、今回ご主人がこんなにストレスを溜め込んじまってるのは自業自得、
 ご主人自身のせいにゃん。
 さっさとお前にゃんかきっぱり諦めて、別の男を好きになればいいのににゃ」
「いや、人の気持ちはそんな単純な物じゃ――」
「そうでにゃくとも、さっさとお前の目の前から姿を消せばいいにゃ、
 普通に考えれば髪なんか切る前に、お前との縁を切る方が先だにゃん」
「それは」
 一瞬言葉につまる。
「それこそ真面目な羽川にそんな事が出来るわけが無いだろ?
 どうしたって学校には行かなくちゃ行けない訳だし、
 僕は一応副委員長っていう役職で、羽川は委員長ってう役職な訳だから、
 自然と顔をよく合わせるさ。
 お前のご主人は、そうならない為に学校を休むような事が出来るような奴じゃないし、
 そもそも僕を意図的に避けたりなんかしたら、それこそストレスなんじゃないか?」
「それはそうかもしれにゃいけどにゃ、でも例えばこの間ご主人がお前の身内達に協力した時とか、
 ご主人は意図的にお前との接触を増やしているにゃん」
 そういえば羽川が妹達、ファイヤーシスターズの手伝いを始めたのは、
 夏休みに入ってから、と本人が言っていた気がする。
「直接本人ではにゃいとはいえ、お前の身内と関わりを持とうとしたのは、
 やっぱりお前と関わりを持っていたかったからに他ならないにゃ。
 それ以外にもお前、ここのところ頻繁にご主人と長い時間一緒にいる日がにゃかったか?」
 家庭教師ならぬ図書館教師の事か。
 確かに僕は今、日曜以外の奇数日は羽川に図書館で勉強を教わっている。
 明日も、その予定だ。
「それはこう言っちゃにゃんだが、お前の付き合っている女の役目なんじゃにゃいのか?
 確かお前の女だって、十分に頭は冴えてるはずだったにゃん」
「だから半分は戦場ヶ原に――」

「半分じゃないにゃ」
 じりっ、と一歩猫は僕との距離を詰めた。
「いくら頭が良いといっても、そもそもがご主人の出る幕じゃにゃい。
 1から10まで、全てその女の仕事だにゃ。
 半分にゃんて、分ける必要すらにゃい。
 それとも、一人に負担が集中しないように、にゃんて言い訳するつもりかにゃん?
 それは一体誰の負担を軽減しているつもりなのかにゃ?」
「……」
 本当に、本当に悔しい事だったが、
 この頭の悪い猫相手に反論どころかぐうの音すら出なかった。
「片や真面目にご主人はお前に勉強を教えて、
 片やそうじゃにゃい時、お前はあの女といちゃいちゃにゃんにゃんにゃにゃにゃん」
「は?」
「間違えたにゃ、
 片やお前とあの女はにゃんにゃんにゃにゃん……にゃんにゃにゃ……」
「さっきまでの割と理知的なお前は何処に行ったんだ!
 いちゃいちゃで十分意味は通じてたよ!」
 自分の語尾が原因で噛む奴なんて始めてみた。
 にゃんにゃんなんて、どんだけ古くてニッチな表現がボキャブラリーに入ってるんだ羽川……。
 それともこの化け猫自身、今の自分が普段のキャラクターとずれ過ぎてきていたのを修正したのだろうか。
 八九寺といい、怪異は存在そのものが人々のイメージみたいなものらしいから、
 色々と苦労しているのかもしれない。
「てゆうかお前、羽川と完全に記憶を共有している訳じゃあなかったよな。
 なのに何でそんなに色んなことを知ってるんだ?
 前回だって、そこまで羽川の周辺事情に詳しいわけじゃあなかっただろ。
 だっていうのに、僕の妹の事なんてよく知ってたな……」
「アレ、そういえばそうだにゃ」
 にゃんでだろー、と宙を見上げて呆けるブラック羽川。
 分かんねえのかよ、自分の怪異としての特性に関する事なのに。
 前言撤回、コイツは色々と苦労なんかしていない。
「お前は何にも知らないな」
「何にも知らにゃいよ、しらにゃい事だらけにゃん」
 相変わらず愉快な奴だった。

「まあそれでも適当半分言わせてもらえば、
 ご主人の存在が俺に近づいてきたってことだろうにゃ、
 俺とご主人の存在が近くなれば、自ずとこうして俺が出てくる事も多くなるにゃん」
「え?」
「今回の事も今まで程ストレスが溜まったわけでは無いにゃ、
 それでもこうして俺が現れたって事は、そういう事だと思うにゃん」
 なんだって? 羽川が怪異に?
 神原の腕なんかとは違って、目に見える形では特に怪異の弊害が残っていなかったから、
 正直油断、いやそもそもそんな後遺症が出るなんて考えもしていなかった。
「それは本当に適当なのか? っていうかそれで羽川は大丈夫なのか?」
「大丈夫なんじゃないかにゃ」
「それは適当じゃないだろうな」
「だって、お前らの世界じゃあ俺は二重人格って奴にゃんだろ?
 その二つに分かれちまった人格が、一つになろうとしてるっていうのは、
 寧ろお前らにとって歓迎すべき事なんじゃないのかにゃ?」
「……成る程」
 確かに、二つある人格が一つになるっていうのは、自然な形に近づいているという事なのかもしれない。
 そういう事なら、さっきからブラック羽川が以前より賢そうに喋っているのも納得できる。
 羽川と共有している記憶や、知能の割合が増えているのか。
「まあ、良くも悪くもご主人が俺という存在に慣れてきてるって事だろうにゃん、
 前回も言ったとおり、俺たちは人間に慣れられちまうと、今まで通りの形では存在出来なくなるんにゃ」
 ああ、確かそんな事も言っていたような気がする。
 怪異とは、怪しくて異なるもの、人間とは違う物。
 信じられ、怖がられ、疎まれ、奉られ、敬われ、嫌われ、忌まれ、願われる物。
 それ故怪異であり、そうでなければ存在し得ない物なのだ。
 という事はつまり、この化け猫は今、怪異としての存在が危うい、
 消えかかっている状態だというのだろうか。
 確かにそれは願ってもない事なのだけれど、
 少し、本当に少しだけ、寂しいと感じてしまう僕がいるのも事実だった。
 ああでも、こういう風に周りが思えば思うほど、
 ブラック羽川の怪異性が失われてしまうのかもしれない。

「んにゃっ」
 隣を歩いていたブラック羽川が急に頭を抱えて蹲った。
「どうした、いきなりしゃがみ込んだりして?」
「触るにゃっ!」
 僕が慌てて駆け寄ろうとすると、激しい叱責が帰ってきた。
「お前、俺の怪異としての特性を忘れたかにゃん?」
 いや、そういう訳じゃあ無いけれど。
「大丈夫にゃ、ちょっと眩暈がしただけにゃん。
 今日はさっきから少し調子が悪いのにゃ」
 そう目の周りを手で覆ったまま続けるブラック羽川。
「大丈夫なのか、それならいい」
「にゃん」
「ただな化け猫、後学の為に教えといてやるが、そういう時には決まった言い方、
 定型文って言うものがあるんだ」
「にゃ、そうにゃのか?」
「ああ、そういう時はさっきのお前みたいに言うんじゃなく、こう蹲ったまま、
 が・・・あ・・・離れろ・・・死にたくなかったら早く俺から離れろ!!
 って叫んだ方がいいな」
「ふむ、成る程わかったにゃ」
「じゃあちょっとやってみろ」
「が……あ……離れるにゃ……死にたくにゃかったら早く俺から離れるにゃ!!」
 こんな僕の馬鹿なフリに、ノリノリでブラック羽川は応じてくれた。
 ただまあ自分で面白がってやらせておいてなんだけど、春休みの時の自分を思い出して、ちょっとブルー。
 あの時は僕と羽川の立場が逆だったなあ。
 でも、僕の場合も、この化け猫の場合も、割と冗談や妄想では済まされないんだよな。

「ともかく話を戻すにゃ……
 ええっと何処まで話したか忘れちまったにゃん」
 確かに脇道にそれすぎたかもしれないな。
 もう原因はなんとなく想像がついていたけれど、
 まだはっきりとは、今回黒羽川が現れたストレスの原因を聞いた訳では無い。
 しかし今回、ブラック羽川が割と馬鹿成分を押さえて喋ってくれているので、
 大変有難い事に、話は前回より速く進みそうではある。
 というか僕の方が邪魔しすぎだった。
「確かご主人がこの間店で水着を選んでいた時、
 気に入ったやつが胸が大きすぎるせいで買えにゃかった事で、
 ストレスが溜まった話をしていたんだったかにゃ?」
「お前はどんな記憶力をしてるんだ、絶対にそんな話では無かったぞ。
 しかしどんな些細な事が原因になって、またそれが解決の糸口になるとも分からないからな。
 可能な限り詳しく話せ」
「いや、違ったにゃん。お前とお前の彼女が、
 ご主人に仲良く見せ付けてくれちゃってるけど、
 今回はお前らのせいじゃなくて、ご主人の自業自得だっていう話だったにゃん」
 ガッテム!
 誰だコイツの知能が上がって有難いなんて思った奴は!
 今ものすごく大切な、本来なら手に入る筈だったかけがえの無い物を無くした気さえする。
 ……なんかこんな事ばっかり考えてると、
 本当に僕の方がこいつより断然馬鹿なんじゃないかと思えてくる。
 インテリジェンスドレイン、会話した相手の知能を吸い取る能力だろうか。
 ――どう考えても僕が一人で馬鹿なだけだった。
 半年後には大学受験すら控えているというのに。

「まあそういう訳で、今回の事について俺はお前を責める気は無いんだにゃ」
 そう言ってまた一歩分、ブラック羽川は僕との間合いを詰めた。
「それじゃあ一体、何の用だって言うんだよ。
 あそこに立っていたのは明らかに僕を待っていたんだろう?」
「協力、して欲しいにゃ」
「協力だって? 前回もそうだったと思うけれど、
 ストレッサーの僕自身が羽川の為に出来る事なんて何も無いと思うぞ。
 それとも、また前回みたいに死んでくれ、とか言わないだろうな」
「言わないにゃ。今回はお前だけが出来る、お前にしか出来ない仕事があるんにゃん。
 だから協力して欲しいにゃ」
「だから、何に協力しろって言うんだ。
 話が中々進まない理由の一端は、今回は僕にも少しはあるんだろうけど
 それにしたってさっきからお前はもったいぶり過ぎだぞ。
 もうズバッとここらで確信に迫ってくれ ――!!」
 ブラック羽川はそんな僕の言葉を無視するように、突然自らスカートの裾を持ち上げた。
「な、な、なっ」
 しかも羽川の体は、その下に何も身に付けてはいなかった。
 何にも遮られる事無く、むき出しの下腹部があらわになる。
「何をしているんだお前はっ! 早く隠せ!」
「まあ聞け人間。
 ご主人はにゃ、この間生まれて初めて自慰をしたにゃ」
「は?」
「最近お前と、お前の女の惚気っぷりに当てられて、嫉妬心もそうにゃが、性欲の方が我慢の限界だったにゃ」
「僕は断じて羽川の前でそこまで惚気てなんかいない」
 いくら僕でも、それくらいの事は心得ている。
 ていうか、性欲を煽る惚気ってどんなレベルのものなんだよ。
「にゃ、確かにお前やあの女が意図して惚気ていたわけでは無いかもしれないにゃ、
 でも察しの良い、いや良すぎるご主人は、
 ただそばに居るだけでお前ら二人が前日、何をしていたかにゃんて判ってしまうにゃ」
「そんな」
「今日だって、ただ勉強をしていたわけじゃあにゃいだろう人間?
 そう俺が自信を持っていえる位、お前からあの女の匂いがするにゃん」

 ――図星、だった。
 朝10時に戦場ヶ原の家に着いたあと、確かに最初は勉強をしていた。
 が、最近ではほぼ毎回振舞ってくれるようになった夕食を7時ごろに食べ、
 食休みをしている時にちょっと魔が差して……。

「だからそんにゃ顔をするにゃ人間、俺はお前を、お前らを責めるつもりはにゃいと、
 さっきから言ってるにゃ。
 今回の事はご主人が悪い、それは他ならぬご主人が一番よくわかってるにゃん。
 ただにゃ、それでもお前に少しでもご主人に対して申し訳ない気持ちがあるなら、
 協力してくれにゃいかにゃ?」
 そう言ってブラック羽川は思わせぶりに、
 まるでこちらに何かを期待しているかのような媚びた素振りを見せた。
「だから、一体何を……」
「ご主人はにゃあ、お前を思って自慰をしているにゃ」
 言いながら猫は、自らの秘裂を人差し指で浅くなぞって見せた。
 羽川の中から出てきた指先は僅かに糸を引き、そのまま僕に向けられる。
 結果僕の目の前に、羽川の少し濡れた人差し指の指先が突きつけられる形になった。
「でもその後に、ご主人は凄く後悔するにゃん。
 罪悪感、と言ってもいいかもしれないにゃ」
 いや、しかしさっきからこの色ボケ猫はエロ過ぎるだろう。
 こちらに指を向ける際に、スカートの裾は元の位置に戻ってはいたが、
 僕の網膜には、先ほどまで無防備にさらされていた羽川の下半身の映像が、
 ソコに這わされた羽川自身の指の情景が、完全に焼きついたまま離れない。
 大変申し訳ないんだけれど、今僕は会話どころではなかった。
「今回のストレスはその罪悪感によるものでもあるにゃ、
 ご主人はついさっき、3日連続でお前を使って自分を慰めた罪悪感に襲われて。
 それでもその行為を止める事が出来ないくらいの、強い性欲にも悩まされていたにゃ。
 まあ後者は俺と同化しかけているせいと、いえにゃくも無いんにゃけど」
「どういう事だ?」
「発情期にゃん。
 お前等が俺のことをさんざん色ボケ猫と呼んでくれていたけど、俺自身、それは否定しないにゃ。
 確かに猫である俺に、そういう特性が無いとは言えないにゃん」
「発情期」
 羽川の発情期。羽川さんが発情期。今、羽川さんは発情期!!
「発情期は辛いんにゃ、体が常にうずうずして。
 たまらなくなったご主人は、勉強中にも関わらず自分の勉強机の角にココを押し付けて体を……、
 どうしたにゃ? いきなりしゃがみ込んだりして」
「いや、大丈夫。
 今日は少し頭の調子が悪いんだ。気にしないで続けてくれ」

 さっき戦場ヶ原とそういう事をしてきた直後だというのに、
 羽川の体やエピソードに興奮してしまって、僕も少し罪悪感みたいな物を感じてはいた。
 が、しかしこれはそういったレベルの問題ではない。
 だってあの羽川が!
 最近多少軟化したとはいえ、未だ委員長の鏡と言って過言ではない羽川さんが!!
「そうにゃのか……?
 まあ、それら心身の欲求の板ばさみにあって、結果今俺がここにいるにゃ。
 しかも今もまだ、生まれて初めてした自慰の感覚が強烈過ぎて、全然収まらにゃい。
 覚えたてだからかにゃ、でもそれを抑えるのもまたストレスにゃん、
 そこで、お前を使ったという明確な記憶を持たないまま、
 お前の身体で性欲を解消させて欲しいにゃ」
「いや、それは ――」
「もちろん、最後までセックスしろだなんて言わないにゃ、
 お前には彼女がいるのはもう判っているし、人の気持ちは変わらない、それはもう判ったにゃん。
 それにご主人も、知らないうちに純潔を散らしたくはにゃいだろうしにゃ」
「それで、その羽川のストレスは本当に収まるのか?
 その……僕はよく猫の発情期ってのは判らないんだけど、
 一時的に性欲を解消しても、それはやっぱり一時的な対処法、
 その場しのぎに過ぎないんじゃないか?」
「それでいいんにゃ、俺達の発情期なんてほっといても一週間くらいで収まるものなのにゃん。
 ただご主人は俺ら猫と違って、真面目過ぎるが故にストレスを貯めちまってるだけで、
 一度きちんと解消してしまえば収まるはずだにゃ。
 だから人間、お願いにゃん」
「いや、でも……」
 やっぱりそれは、色んな人を裏切る事に変わりは無いから。
 最後までするとかしないとか、そういう事じゃない。
 少しくらいなら、一回くらいなら、なんてフレーズを。
 僕は羽川に許してはいけないんだ。

「すまないにゃ人間」
「え?」
「もう、俺が我慢の限界なんだにゃ」
 そう言うとブラック羽川は、もう既に極僅かになっていた距離を詰めるように。
 僕に覆いかぶさってきた。
「っ!!」
 咄嗟に飛びのく。
 ブラック羽川は何かに躓いたかのようにたたらを踏んで、再びこちらに顔を向けた。
「欲しいんにゃ」
 ぼそり、と彼女は呟いた。
「お前が欲しいにゃ、人間。
 欲しくて欲しくて堪らないにゃ。
 お前の事を、舐めて、吸って、しゃぶって、齧って、啜って、飲んで、食んで、
 俺をお前で満たしてしまいたいにゃ」
 彼女は鬼気迫るものを感じさせながら、どこか弱弱しくそう続けると。
 にゃあああああああぁぁぁぁぁん。
 と、一つ。
 喉を大きくさらして鳴いた。
 その姿はただの発情したメス猫そのもので。
 とても淫らで、とても卑猥で、とても浅ましく。
 そして、とても美しかった。
 ゆらり。
 両手を、いや前足を地面に付けて、
 ブラック羽川はこっちをにらみ付けた。

「不味い、おい忍起きてるか」
「なんじゃ、起きておるよ主様」
 影の中から声が返ってくる。
「なんじゃって、助けてくれないか」
「何をじゃ?」
「何をって……」
「いや、こう言っちゃなんじゃがな、主様。
 儂は正直今回はあ奴の言い分が正しいと思うぞ」
「そんな……!」
 一体何を言い出すんだ忍は!?
 そんなこっちの会話をお構い無しに、ブラック羽川が突進してくる。
「くっ……」
 右へ左へ、下がりながらその被い被さるような突進をかわす。
 最後に忍に血を吸ってもらったのは……、5日位前か。
 フルパワーにはほど遠い、が何とかかわせてはいる。
 さっきからブラック羽川は何度も飛びかかってはくるが、その跳躍は僕まで届かず、
 その都度つんのめるように僕の目の前に着地していた。
 正気を失っているからだろうか、
 あるいは欲望ばかりが前に先行して、体がそれについていっていないのか。
 それともさっき頭を抑えていたのが何か関係しているのかも知れない。
「いや、お前様よ、少し冷静になってみないか?
 ここは奴の言う事を聞いておいた方がいいのではないかと思うがの。
 お前様がいったい何を嫌がっているのか、儂にはさっぱりわからんのじゃが」
 再び影の中から声が響いた。
「僕は戦場ヶ原を裏切れないっつってんだ。それくらいわかれっ!」
「そんなもの、お前様が言わなければばれないじゃろ?」
 何を言っているんだこの馬鹿は、という口調の忍。
「そういう問題じゃない」
「そういう問題じゃろうて、まあお前さんだけは辛いかもしれないが、それだけじゃ」

「いやそんな――」
「お前様ひとりが抱え込めば済む問題ではないか、今まで散々あの二人には甘えさせて貰ったんじゃろう?
 それに今更この程度の行為を浮気だ何だ等と言える程、お前様のあの女以外に対する態度は、頑なじゃったか?」
「忍……」
「お前様がそんな秘密を一人で抱え込むのは嫌だと思うなら、あの女に打ち明けてもいいのではないかの。
 最近あのツンデレ娘は何だかんだで丸くなりおったし、
 しかもその猫の入れ物の人間を苦手としておったじゃろう?
 案外怒ったりはしないと思うがの」
 そうなのか?
 今僕が悩んでいるのは、僕自身の我侭なのか?
「それでもお前様がどうしても辛いというのなら、儂が出て終わらせてやってもいいがな。
 しかしそれでは前回と同じ、それこそその場しのぎ、またこうして直ぐにこの色ボケ猫が現れる事になるじゃろうな。
 儂が吸い出せるのは怪異であって、ストレスの原因ではないからの。
 まあどちらにした所で、儂は主様の意思に従うまでよ」
「……」
「大義名分が無ければ女一人抱けんか、主様」
「ぐっ……」
 ここは羽川の為にやるしかないのか?
 ……、いや違う。
 そうやって人の為と偽って、他人を理由にして責任をなすりつけるのは駄目だ。
 人の為なんて、そのフレーズこそが偽物そのものじゃないか。
 ――他人に理由を押し付けて、それでどうやって責任を取るというんだ。
 まったく、火憐ちゃんの事をとやかく言えないじゃないか阿良々木暦。
 僕は覚悟を決めて近場の公園に駆け込む。
 なるべく人通りの少なそうなところが他に思いつかなかったのだ。
 ド田舎だからな、夜中に公園でたむろしているような若者も居ない。
 いや、小学生の女の子が、もしかしたら居るかもしれないが。
 あいつは何だかんだで心得ている奴だから、
 事情を察してみて見ぬふりをしてくれるだろう。



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最終更新:2010年01月02日 08:30
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