アースドーンを遊ぶ上で、この魅力的なワールドを理解しておく事は極めて有用であるはずです。
ここでは抜粋ながら、テラン建国から現在までの歴史について紹介しようと思います。
テラン帝国のなりたち
テラン建国
テラン建国のきっかけとなったのは、ホラーの脅威について記された六冊の古文書「馬鍬の書」でした。殉教学者として名高いエルフ、イリアナ・メサイアスはこれらの書物を解読しようと生涯を費やし、志半ばで変死を遂げます。
研究はエルフの学者、ケアロス・ナヴァリムに引き継がれました。
彼は研究を続ける為により安全な地を求め、バーセイブの西セレストリア海に浮かぶ故郷の島へと帰ります。その地は以後「知恵の中心」を意味するネフレシャムと呼ばれるようになり、後のテラン帝国帝都となります。
ネフレシャムはホラーの脅威から世界を救う為に結束し、力を強め、やがて「基盤」を意味するテランという国を作り出します。
テランは世界を救う為に尽力し、また同時にそれを確実なものにする為に聊か強引な方法を用います。
それが奴隷制であったり、魔法素材に満ち溢れたバーセイブの属州化だったりしたわけです。
メサイアスが古文書を発見したのはスロール建国の百年も前の話です。
この頃のバーセイブは全く原始的で、小さな部族の集落や都市国家が大半で、交易なども行っていなかったと考えられています。
しかしながらバーセイブ・ドワーフの祖であるシーサ王国は既に王国の体裁を整えていました。
また、エルフ達もまた竜の森を中心とする一大帝国を築いていました。
帝国の拡大
テランはホラーの脅威と、それから身を守る方法を世界中に知らせ、自らも防護の体勢を整えます。
魔法金属であるオリハルコンを用いた方法を取っていた為、世界中からオリハルコンを輸入し始めたのです。
この貿易はバーセイブに多大な富をもたらしましたが、騒乱の種ともなりました。
オリハルコンの略奪が各地で起こり、各地の領主や指導者達はそれから身を守るのではなく、同様に略奪を始めたのです。
この混乱がバーセイブ内で続く間はテランも静観していたのですが、こと自国に輸入されるオリハルコンまでが影響を受けるようになると、テランは賊を殲滅し、その圧倒的な軍事力を見せ付ける事でバーセイブを事実上属州化してしまいます。
テランが帝国を宣言したのはこの時です。
※「帝国」の定義に関しては、誤解が多い為補足しておきます。
帝国とは「複数のより小さな国や民族などを含めた広大な領域を統治する国家のこと(wikipedia)」であり、政治形態とは無関係です。
テランが当初の高貴な目的から幾分逸れ、傲慢で強欲な国家になったのはこの頃からのようです。
馬鍬の書翻訳に携わったナヴァリムの弟子が、時の第一執政官トム・エドロをたしなめる為にスフィンクスを建造したのはこの時期です。
また、テランが利益を独占する為にドラゴンと争ったのもこの頃です。
ケーアの建造
来る大災厄に備えて、世界中が国がケーアの建造に取り掛かります。
ケーアはテランが発明した魔法のシェルターで、土素や水素、風素によって周囲を厚く覆う事でホラーの侵入を防ぐと言うものでした。
土素の守りを得る為に地下シェルター、水素の守りを得る為に海底都市、などといった具合に、人々はその住まう土地に適したケーアを建造し、ケーアを構成する壁にはびっしりと手彫りのルーンを刻んだのです。
テランが持つ技術を買う為に国々はこぞって純元素やオリハルコン、奴隷を差し出し、テランは人々が一人でも多く救われる為に世界中で進行するこの大事業を指導し監督します。
大災厄
大災厄の始まりは、スロール暦で1008年、テラン暦で565年とされています。
これはテランの封印が完了した日であり、テランは世界中に幸運と安全を祈る言葉で自らの支配権を強調し、外部との接触を断ったと言われています。
ホラーの大襲来は、それから20年ほど後から顕著になります。
幾多のケーアがホラーにより滅ぼされます。
あるケーアは外側から押し破られ、また別のケーアは予め潜入していたホラーによって。
パーレインスは一風変わった方法で大災厄を乗り切ろうとしました。
都市そのものを異世界へと移し、世界中の人からパーレインスの記憶を消し去ったのです。
パーレインス太守はこの方法を土壇場で信用できなくなり、スロールに逃れたと言います。
結果としてパーレインスは滅ぼされてしまったので、彼の判断は(指導者としては最低ですが)正しかったのかもしれません。
ひょっとすると、太守が記憶を保ったまま逃れたのが、パーレインス滅亡の直接の原因なのかもしれませんが。
エルフ達の大帝国が崩壊したのはケーアの建造が原因でした。
竜の森の女王アラシアは、テランのやり方で作るケーアではなく、木々を編み上げて作る木のケーアを使うよう、国中に御触れを発したのです。
エルフの各都市は女王を崇めてはいたものの、木のケーアでは大災厄を乗り切れないと考えました。
その為各都市はその命令に従えない旨を伝え、より強固なテラン式ケーアに命運を託します。
これは竜の森の宮廷にとって大打撃でしたが、アラシアは黙ってそれを見過ごしました。
彼女は大災厄をただ生き延びる事を選び、そうする事が自らの主張の正しさ、支配権を確認させる方法であると考えたのです。
しかし皮肉な事に、木のケーアは大災厄を乗り切る事が出来ませんでした。
竜の森のエルフ達は生き延びる為に自分達に魔法を掛け、全身を茨の棘で覆ってそれが与える苦しみによってホラーの目を欺こうとしました。
結果として竜の森のエルフ達はどうにか生き延びます。
ですが、そのおぞましい姿はエルフ全体の高慢と不名誉の証となり、エルフという種族全体の心に影を落としています。
スロールでは大災厄を乗り切り、またその後にまた栄える為に、賢人達が集って歴史の編纂や復興の手順、教育の維持などを編纂する会議を行いました。
この会議によって「会議盟約」が生まれ、「個人の権利」と言うものがその中では語られ、大災厄後、テランからの独立を求める上での基盤となっていきます。
大災厄の後
四世紀ほどの雌伏の時を経て、人類はバーセイブへと戻ってきます。
スロール暦1409年、初めてスロールから偵察隊が派遣されますが、数時間で壊滅したと言う事です。
しかしながらそれ以後も偵察体の派遣は続き、ついに1412年、名高きトロールのヴァーレ・ロングファング率いる偵察隊が生還を果たし、バーセイブのホラーはその数を大きく減じて活動も弱まっている事を報告しました。
時のスロール国王は飛空艇アースドーン号をヴァーレに与え、大災厄後のバーセイブを調査させる為再度送り出します。
ヴァーレは広範囲を調査して新しい地図を作り、ほぼ全域がホラーから解放されたと報告しますが、1418年、ランディス王国に派遣されたのを最後にアースドーンは行方を絶ってしまいます。
スロールが開放されたのは1420年の事でした。
国王ヴァルラス三世は外に出て生産活動を行う者に土地を与える触れを出し、人々はようやく外の世界へと戻り始めます。
国王はまた、遠征隊を組織して他の国々に訴え、大災厄が過ぎ去った事を伝えて回ります。ケーアに閉じこもった人々は中々それを信じようとはしませんでしたが、それでも辛抱強い呼びかけによって徐々に地表の人口は増えていきます。
スロール国王は急いでいました。
テラン帝国が戻ってくる前に、可能な限り体勢を整えておきたかったのです。
アースドーンが消息を絶ったのは、ホラーの襲撃が原因だとされています。
消息を絶ったので真相は分からないのですが、幽霊船となり空をさ迷うアースドーン号を見たという報告が度々なされています。
帝国の帰還
バーセイブに再びテランがやってきたのは1449年。テランの封印が解かれてから実に50年も経ってからの事でした。
彼らはバーセイブの人々が生き延びた事を喜び、また今までどおりの主従関係を期待しますが、自由の味を知ったバーセイブ人は暴力を持って答えます。
使節を殺され、船を焼かれた報復にテランは軍隊を派遣し、町々を攻撃・略奪して回ります。
バーセイブ中の人間が、スロール王国に助けを求めました。
スロール王は単独でテランに勝利する事は難しいと考えていたので、各国に協力を要請します。
ともに戦って自由を勝ち取るか、圧政と隷属に服するしかない、と。
国々はテランの圧倒的な戦力に躊躇しますが、時の第一執政ニコダスの言葉が結果としてバーセイブを結束させます。
ニコダスはドワーフの会議盟約に言及し、「バーセイブの全人類はテランに生命と言う負債があるのだから、バーセイブ人はテランの、ひいては第一執政の所有物である」と述べて、そのビラをバーセイブ中にばらまいたのです。
バーセイブ人はこれを見て激しく憤り、帝国と戦う意志を固めます。
バーセイブはスロールを中心に団結し、こうして強大なテラン帝国との戦いにひとまずの勝利を得たのです。
テランは正面切っての会戦でバーセイブを屈服させる事は諦めたものの、バーセイブを諦めたわけではありません。
テランの密偵は水面下で帝国の支配権を強化させるべく暗躍を続けています。
最終更新:2013年07月30日 03:53