世界がどのように成り立っているか、あるいはこの世界の住人達が「世界はこのように成り立っている」と考えているかの解説です。
世界観
最初に作ると失敗するやつですが、この世界の住人達が世界をどのように捉えているかを分かりやすくするため、大まかな「世界観」について最初に解説しておきます。
「この世界は実は……」みたいなシナリオを遊ぶ時、ひっくり返される「常識」として踏まえておけばより楽しめるかも、みたいな効能も期待しています。
創世神話から現代
※これは主に真教における解釈ですが、太古教群においても大体似たような解釈がなされています。
疑り深い賢者たちすら、大枠では「そんな事があったようだ」と認めています(情報がなさすぎるから、というだけかもですが)。
一方で、赫教においては一番最初の流れが異なります。
(デザイナー的には、この世界の創世はコズミックホラー的な「人間には理解できない/受け入れられない」どろぐちゃしたエピソードがあったイメージです。創世神話は一部真実を含むのですが、人間が理解/受容できるよう「解釈」した結果のものである、だから「間違いではないが真理でもない」という。実際の真相がどうかは決めていません。各GMが考えればいいと思います)
原初の女神と天地創造
この世界は最初、虚無であったと言われています。
虚無の中にはただ一人、母なる女神がいました。
(この女神の固有名を、後の世では「マナ」と呼びます。これは世界の全てが女神から生じており、世界はマナで出来ているからです。あるいは女神の名が「マナ」なので、女神から生じた世界を構成するものを「マナ」と呼ぶ、という順番で理解している賢者もいます)
女神は永劫の時を過ごし、暇になったんで男神を作りました。
男神は女神の息子であると同時に夫となり、一緒に世界を創造しました。そうして生まれたのがこの世界、後の世で「サームプリア」と呼ばれるものです。
女神の乱心と神々の誕生
でもある時女神は、この世界をなんか気に食わないと思い滅ぼそうとしました。
ですが、息子にして夫である男神はこの世界を気に入っていたので、世界を庇います。
(男神は自らが生み出した世界自体を愛していたというのが通説ですが、「いや男はそういうんちゃうやろ」と言う事で、創世の「事業」を気に入っていたと主張する賢者もいます)
怒り狂った女神は男神を引き裂いて殺してしまいます。
そうすると、男神の死骸から神々が生まれ、世界を守って戦い、女神を滅ぼして世界を守ったとされます。
後にはただ女神の死体と作りかけの世界が残ったので、神々は女神の死体からあらゆる生命を作って役目を言いつけ、世界に秩序をもたらしと言われています。
神々の戦い
神々は、初めに生まれ出でて初めに武器を取った偉大なるアレーリアを王と仰いだとされています。
アレーリアはこの世界を「サームプリア」と名付け、遍く生命と協力してこれを完成させようとしました。
ですが、このアレーリアを中心とする体制に不満を抱いた神シフリーアは不和と憎しみを創造し、神々の間に争いを引き起こしました。
神々の全力に加え、被造物全てを巻き込んでの戦いは熾烈を極め、せっかく作りかけた世界は再度滅亡の危機を迎えてしまいます。
神々はなんだかんだ言ってこの世界を愛していたので、「それは流石に勿体ないよね」という事で神々は和平を結び、代理人を残して“神々の庭”へと去りました。
魔法帝国の隆盛と崩壊
神々の代理人として指名されたのはヒューマンでした(現代のヒューマンとはちょっと違う種族だったと考える賢者もいます)。
彼らは色濃く残る神々の力を研究して魔法を生み出し、世界中を支配します。
その支配があんまりにも圧政的で酷かったので、主神アレーリアは一人の若者に啓示と戦う力を与えたとされます。
若者は長く苦しい戦いの果てに魔法帝国を滅ぼし、その都エウローマにアレーリアへの感謝と祈りをささげる教会を築いたと言います。
これが真教の始まりです。
……というのが真教の言い分ですが、実際のところエウローマは、(要地ではあったものの)一地方の総督府に過ぎなかったというのが
賢者たちの通説です。
若者は実在の人物と目されており、実際に魔法帝国と戦ったようではあるものの、彼が中心となって帝国を滅ぼした、というのは盛りすぎであると言う賢者もいます。
帝国は永い統治の果てに疲弊したか何らかの要因で力を失いつつあり、同時多発的に発生した被支配民達の逆襲を受けた滅んだ、というのが彼らの見解です。
いま西方世界で用いられる暦「真暦」は、この「エウローマ教会」設立を元年とし、現在は真暦500年ほどになります。
(この数字はフォーセリアからまんま借りてきた数字です。 西ローマ崩壊(AC470頃)から「中世」のシンボリックな出来事である十字軍の開始(AC1100頃)がざっくり5-600年なのでそうしたのかなーと思うんですが、大した意味はないです。変更可)
この500年の間に何が起こったかに関しては、細かく決めないつもりです。
ボロが出そうだからというのもありますが、大掛かりなキャンペーンを組んだり、魅力的な対立構造を作ったりするのにあたり、歴史的経緯を自由に作れた方が良いだろうという考えからです。
神と宗教
神は実在する
この世界において、神は間違いなく実在する存在である、というのが一般的な認識です。
「俺には関係ない」という意味で否定的に考える者はいますが、「神など実在しない」という者がいれば「頭がおかしい人」「何かの例え話」と認識されるでしょう。
一方で、「じゃあ神ってどんな存在なの?」てとこは様々な解釈があります。
それがこの世界における「宗教」で、西方世界では大きく分けて三つ、「真教」「太古教」「赫教」があります。
個々の神格に関しては後述します。
真教
西方世界で一般的な宗派です。
真教は多神教ですが、明確にアレーリアを主神と定め、他の神々はアレーリアとの関係性を基準に格や位置づけを行っています。
神格ごとに分かれてはいるものの、この宗教観を反映した巨大な教団組織を形成しており、教義などが明確に定められています。
昔ながらの太古教を信じる人々からすれば高圧的で窮屈かもしれませんが、粗野で乱暴な西方世界の人々が血みどろの戦争を時々やめる事が出来ているのは、この真教のおかげです。
実は東方の帝国でも、真教に当たる宗教が一般的です(神々の名前や立ち位置は違いますが)。
こちらはお国柄を反映してか、神々は官位や職権を受け持つ役所のような解釈がなされ、堅そうな反面、地方の太古教を信じる人々に対して「これに合わせろ」と要求するような事はありません。
ただ一点、皇帝が「神々により天命を受けた魔法帝国の正当な後継である」というところさえ認めるならば。
太古教
「太古教」という一つの宗派があるわけではなく、地方地方に根付く土着信仰を真教側がまとめて「太古教」と呼んでいる形です。
太古教はいわゆる「原始宗教」で、種々の自然現象を「おらがとこの神様」に関連付けて、ご先祖様と一緒くたに崇めているのがほとんどです。
そして「おらがとこの神様」がいれば、「よそんちの神様」がいるのも当然で、(日本人的にはむしろこちらの方が自然かもですが)よほど対立する理由がなければ互いにリスペクトして共存しています。
真教もそうした太古教の一宗派が元になり発展した、というのが賢者たちの一般的な見解です。
場所によっては(真教における)邪神を「おらがとこの神様」として崇めていたり、精霊や故人を区別なく神と祀っていたりする宗派もあったりします。
が、概ねにおいて真教と太古教の神格は同じであり、真教の組織が重視するのは「信仰」ではなく「政治」的なアドバンテージであるため、真教が「立て」られている現状においては、太古諸宗教と真教は共存出来ています。
赫教
南方で生じた宗派で、真教の世界観が過激化したような教義と世界観を持っています。
彼らの解釈では、原初にいたのは「父神」であり、女神を作って世界を創造させたものの、それが失敗作だったか、女神が乱心したかで、女神を滅ぼしたとされています。
そういう経緯ですから「沢山の神格」などというものは存在せず、神々と認識されているのは原初の父神の「側面」にすぎません。
あるいは滅んだ女神の死骸から生じた魔物による欺きであると。(デビルやデーモンこそ、そうした「魔物」であると解釈しています)
とは言えどう見ても神々は沢山いるように感じられるため、神々の内特定の「側面」を「神霊」と呼び、これを崇める事は許されています。
赫教の信徒たちは素朴な民が多いのですが、真教と対立しており、また熱心なあまり、時折衝突を起こします。
赫教の勢力圏は主に南方であり、今のところ表立っての衝突が起きているのはごく一部ではありますが、史実で言う十字軍や労働者目当ての移民政策なんかが起これば深刻な対立を招くでしょう。
邪教と異端
損得で考えたら明らかに損であっても、非道な悪事を悪意を持って行う、物語の悪役として非常に便利な「邪教」ですが、そうした集団も確かに存在します。
「邪教」と呼ばれるものの多くは、真教や赫教の熱心過ぎる指導者が、他教をそう呼ばわっているに過ぎません。
(そんな場合には、その真教・赫教の指導者が悪役になる事でしょう)
一方で、本物の邪教もあります。これを奉じる人々は、邪神やデビル、デーモン等を崇め、明らかに「悪」とされる行為を積極的に行って、社会を脅かします。
彼らは基本的に真教や赫教の世界観の内にいて、その中で「善」に逆らい「悪」に従う、独自の宗教観というものを持たない連中です。
邪教の存在は真教・赫教からは認められないものですが、恵まれず社会に不満を抱いていたり、反対に恵まれすぎて欲を拗らせたりした人々の心を惹きつけるものがあるようで、自然発生的に、あるいは預言者を名乗る詐欺師に先導されたりして邪教集団が形成されます。
彼らは人里離れた僻地に隠れ住んで山賊を働いたり、都市や宮廷に潜んで秘密結社的に暗躍したりしながら、その邪悪な信仰を育みます。
一方で「異端」と呼ばれるものも存在します。
これは真教・赫教の一部で、権力闘争に敗れた派閥や、風変わりな独自の「真理」を掲げた事で周囲から奇異の目で見られたりした集団がそう見做されます。
(中には邪教そのものというような異端もなくはないのですが)
太古教には邪教も異端も基本的にほとんど発生しません。
その地の風習に逆らって村八分にされる事はあるかもしれませんが、別の教えを守るならそれはもう単なる「別の宗教」だからです。
それが自分達の生活を脅かしたりしないなら、「よその神様も神様」で尊重します。
死生観
それをどう言葉にして言い表すかに違いこそあれ、サームプリアにおける生命のサイクル、死生観は概ねにおいて統一見解があります。
この世界における生命は、「生命/死の精霊力」の作用によって生じた肉体に、「魂」が結びついて成り立つと考えられています。
そして死ねば肉体は精霊力として自然に回帰し、魂もまた散り散りになって、そしてまた新たな生命が生じた時に寄り集まって魂となる。
そんなある種の生まれ変わりが、多くの人々の信じる生命のサイクルになります。
生死の精霊と魂
ここからは賢者達による、より突っ込んだ解釈(というか、凝った設定を作りたい人向けの詳しい解説)になります。
精霊力の「生命」「死」は表裏一体であり、「生命」は変化、「死」はその固定化を司っているとされます。
生き物のあらゆる活動・成長・傷病の治癒は「生命」の消費により為され、消費された「生命」は「死」に変化します。
「死」は固定化を司るので、生き物の活動・成長・治癒の結果が残るのです。
そして生き物が生まれついて持っている「生命」には総量があり、全てが「死」になった時、生き物は活動を停め、死に至ります。
(補足をすると、「精霊力が肉体を形作る」というのは語弊があります。「肉体」を持たない、霊体のような生き物であっても、その体を形作るのは「生命/死」の精霊力です。
また、生物が生まれ持つ「生命」の総量は個体差こそあれ決まっているというのが一般的な解釈ですが、
それは「人間がそうだからそう見えるだけでしょ」という説もあります。ドラゴン等、寿命を持たない生物は生涯通して増え続けるのだとも)
一方で「魂」は、自然に満ちる「気」、「魂の欠片」のようなものが寄り集まって生じると考えられています。
「魂」は生物の心、意志、思考、性根、記憶と言った精神的な部分を司り、「魂」があるから生物は生物たりえるのだと。
魂は生命である「体」と不可分であり、体が死んだり、体から離れたりした魂は霧散し、「気」「魂の欠片」になってしまいます。
そしてまた巡り巡って寄り集まり、新しい「体」を得て新しい生を得るのです。
魂はその生を通して得た知識や記憶、あるいは「徳」「業」が少しずつ刻まれると考えられています。
様々な信仰と風習
そんな世界観を受けて、この世界の住人達は様々な「信仰」や「風習」が存在します。
多くは迷信かもしれませんが、信じさせるだけの根拠や「雰囲気」がこの世界にはあり、一部は真実かもしれません。
- 前世の記憶
- 「魂」が霧散する時、そこに刻まれた記憶や想い、「徳」や「業」もまた、その霧散した「欠片」に残るはずです。
- もしまた「欠片」が寄り集まって魂になる時、特定の誰かのそうした要素を色濃く受け継ぐ事が出来たなら、「前世」の記憶や人格を持って生まれる事が出来る。
- 実証はされていませんが、そんな風に考える人は大勢います。
- その中の多くは「そんな事もあるのかも」程度ですが、最愛の人を失ったり、反対に憎む相手を殺したりした時、
- 「思い余って」その死骸に対して奇行に走る、というのは珍しい話ではありません。
- 天国と地獄
- 「魂」に徳や業が刻まれているのですから、その重さに応じて新しい「魂」も生まれ持って徳や業を持っている、という考え方です。
- 今の境遇は(今の自分を形作る大勢の)前世の行いに由来し、そうしていつか、沢山の徳を積んだ魂は命の循環から外れて高次の存在に引き上げてもらえる。
- 反対に沢山の業にまみれた魂は、命の循環から排除され、永遠の責め苦を受ける。
- 主に真教・赫教ではそんな来世的世界観が信じられています。我々の世界で言う「天国」「地獄」に当たるものです。
- この世界には神様が大勢いるので、天国も地獄も一つではなく、それぞれの神の「膝元」があります。
- 霊樹の守り人
- この世界のエルフは、自然の寿命こそないものの、「役目を終えた」と判断したら故郷の森で即身成仏的な自裁を行う風習があります。
- これも「魂」に残る情報や徳業という考え方に由来したものです。
- 故郷の森で死ぬ事で森の自然に回帰し、そこでまた新しい生命になる。その時祖先の魂を受け継ぐし、子孫にも自分の魂が受け継がれる、という考え方です。
- 混血により失われるもの
- この世界にも「遺伝」はあります(その仕組みまで同じとは限りません)が、その理由は分かっておらず、「魂に刻まれた情報」に由来すると考える者は少なくありません。
- なので、派生のようになってしまうのですが、自分達の「血統」をとても大事にする考え方が多くの人間種族の間に根強く、それ故に安易な「混ぜ物」をする事を嫌います。
- 他種族の血を混ぜる事で父祖の時代から脈々と受け継がれてきた「徳」「祝福」が失われる、というのを多くの人は恐れているのです。
- 食べるな危険
- 魂に刻まれた「何か」を取り込む事で祝福を受けたり、反対に呪いを引き継いだりする事がある、という考え方もあります。
- ドラゴンのような強大な存在の肉を食べる事でその力を取り込む事が出来るとか、反対に魔物の肉を食べる事で自らも魔物と化すとか、その方向は様々です。
- 地域ごとに「この魔物はご利益があるがこの魔物は呪われる」みたいな細かい区分けがあるのも珍しくありません。
マナと精霊と魔法と呪い
この世はマナで出来ている
創世神話で出てきた通り、この世界の全ては原初の女神から出来ています。
神々ですら、男神の死骸から生まれ、男神は女神が生み出した存在ですので、原初の女神から出来ていると言って良いでしょう。
だからと言うべきか、世界がそうだからあのような創世神話が生まれたのかは分かりませんが、世界の全ては「マナ」と呼ばれるもので構成されています。
マナ自体は魔法に関する文脈でよく出てくる言葉ですので、魔法的な元素と考えている人もいるのですが、魔法に限った話ではありません。
精霊力は色のついたマナ、精霊は人格を持った精霊力、妖精は生物化した精霊の末裔
マナは無秩序で方向を持たない存在でした。
火も水も風もマナの作用によるものですが、燃え上がったと思えば水になり、飲もうとすれば風になって飛び去る、そんな存在です。
この無秩序なマナを整理・組織し、世界が回る「システム」を作り上げたのは神々である、と言われています。
「言われている」というのは、「自然に生じるようなものではないので何らかの意図が介在したはずだが、その偉大な事業を神々が遂行するところを誰も見ていない」からです。
その事業は原初の男女神の創世の際になされたのかもしれませんし、女神が滅んだ後、神々によって進められたのかもしれませんし、創世から神々の戦いまで開発され続けたのかもしれません。
もっとも、短命な人間たちの視点では「自然に出来たはずがない」と見えるだけで、大いなる偶然の果て自然に構築されたものなのかもしれませんが。
ともかく、そのようにして整えられたシステムが、「精霊力」です。
「火」ならばそれは何かの弾みで突然発生するのではなく、マナが「火の精霊力」になる事で生じます。
何らかの原因となる事象(燃えさしの上で火打石を打ち付ける等)により「火の精霊力」が生じ、これが高まる事で、その結果として「着火」という現象に繋がる、といった具合です。
この世の森羅万象全ては、この「精霊力」によって運行されています。
原理自体は異なりますが、この「精霊力」システムによって、サームプリア世界には、現実とほぼ同様の「物理」があります。
余談になりますが、太古教や、旧い習慣から「精霊が精霊力を司り、世界を管理している」という世界観は根強く、そう考えている者は少なくありません。
が、賢者たちの見解でそれは「順番が逆」です。賢者達は、精霊を「精霊力」が結集し人格を持ったものであると定義しています。
精霊は生命体のように振る舞いますが、その発生は生物と異なり、死ぬ事はありませんがすぐに霧散して消滅してしまう存在です。
これはかなり不自然な話で、「何故そのようなものが存在するのか?」というのは賢者たちの間でも論争があります。
ですが、概ねにおいて定説となっているのは、精霊は「精霊力に介入するためのインターフェイスである」というものです。
精霊自体は「生物」と言い難い存在なのですが、肉体を持ち、生物化する事があります。
そうした存在を「妖精」と呼びます。
精霊が「妖精化」した経緯は大きく二つあります。
一つは、精霊力システムの一環として特定の役割を与えられ、肉体を持った妖精となるケース。
もう一つは、永く精霊であり続ける事で次第に世界に馴染んで(同時に精霊としての役割が薄れて)生物化するケースです。
人間種族でも、エルフやドワーフはこうした「妖精」であると考えられています(精霊の頃の力はほとんど失っていますが)。
魔法の定義と種類
この世界における「魔法」とは、マナに直接干渉する事で、精霊力により厳格に守られる「物理」から外れた方法で、何らかの現象を引き起こす事です。
(マナもまたこの世界の物理ですので、厳密に言えば魔法もまた物理の一部なのですが)
人類が知る魔法には大きく分けて三つの原理があります。
即ち、「真語魔法」、「精霊魔法」、「祈願魔法」です。
説明する都合、この世界をパソコンのオペレーティングシステムに例えてみましょう
(ホントに詳しい人からすれば色々「それは違う」てとこがあると思いますが、まぁ説明の都合なので大目に見て下さい)。
世界は「マナ」により構成され、それに森羅万象を恙なく運行するための「精霊力」システムが乗っかっています。
これを、パソコンが統合され動作するための、オペレーティングシステムであると考えて下さい。
真語魔法
「真語」魔法は、このOS上で直接動作するプログラムを、自前で作成して動かす魔法系統です。
この系統の魔法使いは、この世を形作る真理を(ごく一部でも)理解し、マナに直接働きかけます。
その多くは優れた科学者・哲学者であり、非常にアカデミックな人種です。
この系統が「真語」魔法と言われるのは、この系統の魔法使いは世界を形作る「真理」を「言語」として捉えている事に由来します。
精霊魔法
さて、OSはそれだけでは基本「あるだけ」です。
文書作成でも動画視聴でもゲームでも、何らかの用途に用いるには「アプリケーション」が必要になります。
この「アプリケーション」に相当するのが「精霊」です。
「精霊」魔法は、こうしたアプリケーションへの知識や使い方に熟練する事で、発現します。
この系統の魔法使いは、自然との対話を大事にしており、僻地や辺境に身を置く事を好みます。
彼らは精霊を「友」とし、あるいは「神」として崇めます。
そうする事で「精霊」を生み出して従わせる技術を高め、世界に干渉するのです。
祈願魔法
最後の「祈願魔法」ですが、これは使いこなせれば最強の魔法系統です。
祈願魔法というのは、「OSやアプリケーションを開発者した(あるいはその管理を担当する)技術者に頼んでやってもらう」魔法系統だからです。
その「技術者」とはすなわち神々であり、祈願魔法の使い手は往々にして巫女や神職、聖職者になります。
彼らは祈りと修行を通じて「OS開発者と仲良く」なり、的確な祈りで要望を正しく伝え、より確実に実現してもらえる事を目指します。
あるいは特定の「OS開発者」に帰依するのではなく、神学として幅広い知識を身に着ける事で、様々な「開発者」に依頼する技術を持つ事を目指す者もいます。
発生方法による分類
上記は「動作原理」を基準とした魔法の分類になります。
魔法にはそれ以外に、「生得」魔法と、「民俗」魔法、「自然」魔法と呼ばれる補助的な系統が存在します。
生得魔法と言うのは、文字通り生得した「才能」により行使する魔法です。
通常は知識や技術の蓄積により、魔法を行使するのですが、生得魔法の使い手は、生まれながらにしてある種の「魔法的資質」を有しており、人間が手足を使うのと同じように魔法を行使します。
その才能の多くは上記の三系統のいずれかに属し、「才能」がある範囲に関してはより自在で強力な魔法を使います。
一方で「才能」に頼る分、扱える魔法の種類は少なく、難しい魔法を軽々使う癖に、一般には初級と言われるような魔法は学んでも習得できない、というような事が往々にして起こります。
また、後天的に「才能」を得る事は出来ません(見つかる事はあるかもしれませんが)。
民俗魔法と言うのは、賢者が作った分類です。
この系統は、薬学や音楽、刻印術などと言った、各地に伝わる文化風習と関連付けられ、多くは迷信であるものの、多くの無駄な儀式や手続きを含んでいるものの、確かに魔法的な効果を有したものを指します。
そして極まれに、まだどんな賢者も到達できていない魔法的真理を含んでいる場合があります。
「錬金術」は真語魔法を追究する賢者たちにより研究される分野ですが、これも「民俗魔法」に分類されています。
自然魔法というのはぶっちゃけ、生得魔法の事です。
これは主に魔法的な能力を有し自然な生活にこれを活用するクリーチャーの操る魔法を分類するため作られたものであり、効果等は生得魔法よりさらに限定的です。
例えばドラゴンはその質量に対して翼が小さく、この世界における「物理法則」においても通常ならば飛ぶ事は出来ないと考えられます。
ですがドラゴン達は生まれついて持っている魔法的な作用により、その重すぎる巨体を浮かせて飛ぶ事が出来ます。
人間種族でも、エルフの寿命、ティーフリングの持つ耐性などはこの「生得魔法」の一種だと言えるでしょう。
生得魔法は名前に「魔法」とありますし、確かに魔法的な作用を持つのですが、その効果の多くは後述の「祝福/呪い」の一種であり、他の「マナを用いたインチキ」と同じ方法で解除する事は出来ません。
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→D&Dにおける各クラスと魔法系統の対応 |
- 精霊魔法
- アーチフェイと契約したウォーロックや、ドルイド、レンジャーで表現されます。
- 祈願魔法
- 基本的にクレリックやドルイド、パラディンで表現されます。
- 生得魔法
- 典型的なのはソーサラー、あるいはバードです。
- が、他のどのクラスで表現しても良いでしょう。モンクの技なども才能魔法が独特の発現をしたものなのかもしれません。
- 民俗魔法
- 単独で「このクラス」というような魔法ではありません。
- バーバリアンの特殊な能力や、バードの「声援」や「歌」など、クラスに付随する能力の一部として表現できます。
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呪い
項目自体余談の類なのですが、「呪い」についてもざっくり解説しておきます。
「呪い」というのは非常に恣意的な言葉で、「祝福」と本質的には同じものです。
一般的な理解では、神や悪魔等の高位の存在に愛されたり憎まれたりする事で、呪い/祝福を受ける、と考えられています。
一方で、賢者達は、呪い/祝福を、「精霊と契約する事により、因果に例外処理を追加する事」だと考えています。
森羅万象を司る精霊と契約する事が出来たなら、それは物理法則と約束して特別扱いしてもらうようなものです。
瞬時に炎が飛び出して敵を焼き尽くすとか、そういう効果はないものの、ちょっとした不運や、ちょっとした体調不良、のようにじわじわと影響を及ぼします。
「呪い」を掛ける手続きは多くの場合魔法を用いますが、成立してしまった呪いは物理法則の一種であり、「マナの作用でインチキをしている」訳ではありませんので、通常の方法で解除する事も出来ません。
精霊は知性を持つものの、人間や動物のような欲求を持っている訳ではなく、人間同士の要領で契約を結ぶ事は出来ません。
そこで多くの場合、より高度な知性を有する存在、すなわち「神」や「悪魔」に仲介してもらって、契約する事になります。
そして極まれに、偶然運よく/悪く条件を満たしてしまい、呪い/祝福の契約を結んでしまうといったケースもあります。
(「才能」魔法などはある種、生まれついての呪い/祝福を受けていると言う事も出来るでしょう)
最終更新:2023年12月27日 16:25