1467年【応仁大乱】
嘉吉元年。六代将軍・足利義教は有力守護・赤松満祐により暗殺。後を継いだ七代・義勝は早世し、弟・義政が将軍職に就いた。
義政は積極的に畠山家,斯波家らの家督争いに介入するも細川,山名ら有力守護により頓挫。
義政の心はしだいに政務から離れ、風流へ流れる。さらに、将軍職を実弟・義視へ譲ろうとするが、直後に実子・義尚が誕生。
正妻・日野富子は山名宗全を後見とし、義視は伊勢へ逃れ・細川勝元と結んだ。幕府の体制が再び揺らぎ始めた……
有力大名
細川京兆家
赤松家,畠山尾州家と同盟
山名家
大内家
京極家
畠山尾州家
細川京兆家と同盟
畠山総州家
最終更新:2009年10月16日 06:22