<<鬼を憐れむ謳>>
AO-KAN
月夜である。
青い、月夜である。
見上げれば満天から、星が滴るほどに飽和する――そんな月夜である。
「……なあ、ダイン」
静かな高めのアルトの声がする。
久しぶりの休暇に、第五特殊部隊将軍――通称鬼将軍ミルキィユ――、に誘われて、断る理由もなくつらつらと付いてきたダインだ。
傍らには、空き瓶が数本、転がっている。
酒が入っていたものだ。
つい先ほどまで。
「なんだァ?」
新しく、口でコルクをこじ開けた酒瓶に口をつけて豪快にあおりながら、
人も来ない高台から眺める町の夜景――とは言っても、人の寝静まるこんな夜半には既に無駄な灯りの付いているべくもない――
正確に記すなれば、町の形をしたシルエット、を眺めていた目を真横に戻した。
夜風に透明質。
白銀の髪を弄らせて、ミルキィユがこちらを見つめている。
月光で確かめるべくもないが、目元が僅かに赤く染まっているような気もして、
「どうした」
この程度の酒量で酔う彼女でもあるまいに、と内心ダインはひとり語散た。
樽ひとつ開けて平然としている、鉄の臓腑の持ち主なのである。
無謀にも数度、ダインはミルキィユに戦いを挑み、すべてが返り討ちに終わっている。
その後に訪れる地獄を、表現する言葉をダインは持たない。
二度とやるまい、と出来もしない誓いを、毎度毎度立てたりする。
が、しかし。
喉もと過ぎればなんとやら。
数ヵ月後には再び戦いを挑み――胃の腑がひっくり返るのではないか。本気で思ったことも一度ではない。
莫迦であった。
頭に「大」のつく大莫迦者であった。
「……どうした?」
数度ためらう素振りを見せ、口を開閉させていたミルキィユが、
「訊ねるが」
ようよう口を開く。
「おう、なんだ」
「『あおかん』とはなんだ」
「ぶッ……はッ」
聞いた直後に、
守銭奴傭兵、盛大に鼻から酒を吹いた。
「鼻が!鼻が引き攣ったァッ!!」
そのまま己の鼻筋を、貫いた鋭角な痛みに、ダインはごろごろと地を転がる。
まったくそんな言葉を想像していなかった。
奇襲もいいところである。
「そんなに驚くことか」
頭上から呆れたような声がして、ダインは顔を上げた。
「おおおおおおおおおおお嬢」
「なんだ。上官と呼べ」
片眉をそびやかし、鼻水やら涎やら涙やら動揺やらにまみれたダインを、
見返すミルキィユは、相変わらず清々としている。
片手でぐい、と顔を拭い、ダインは不意に起き上がった。
誘っているのかと邪推したが、どうもそうではないらしい。
「アンタ。本気で知らないから聞いてるのか」
「貴様は莫迦か。知っていることを訊ねてどうするのだ」
返す言葉はにべもない。
「どこで耳にした」
「さあ。いつだったか。つい先だっての出撃のときであったろうか。部隊の部下たちが話の途中で、数回口にしていた」
口にしたなァどいつだ。
ゆらりと一瞬、不穏な空気を漂わせてダインは思い巡らせる。
「間違っても皇帝サマに聞いたりなんかしなかったろうな?シモな――、」
「言葉だとは認識している」
何を当たり前なことを。
そびやかしていた眉を今度はしかめて、ミルキィユは前へ屈んだ。
その程度の認識はあるらしい。
「そも、兄上にそのような卑猥な言葉を聞けるか」
辺りに誰もおらず、また誰も訪れるものがいそうもないのに、
声を潜めてミルキィユがダインへ囁く。
「奴らの口ぶりから、そう褒められたことではないというのは察しが付いたが――、なんだ、聞いてはいけなかったか」
男どもの軍隊生活に昼夜まみれている、とは言え、
もともとの育ちが悪い彼女ではない。
と、言うよりは、日頃ダインは忘れがちなことではあるのだが、
ミルキィユ、これがなんとれっきとした皇妹――、自身で放棄しているとは言え、現エスタッド皇に難あったときには、おそらく真っ先に担がれるであろう旗頭なのである。
下手な市街地の耳年間の子供よりも、そう言う意味では純粋だ。
思い当たってダインは、
「卑猥、って……まあ、卑猥と言っちゃあ卑猥かねェ」
ぶつぶつとボヤいた。
「口に出せないほどなのか?」
「いや……口に出せる出せない、とかじゃあなくてな……この状況で聞かれるのはちょっとな……、」
外である。
周りに誰もいない、外である。
若い――いや、ダインが自分を若いと言える年かどうかは、正直微妙なところだが――男女の二人である。
しかも夜で、自分も相手も互いにそこそこ酔っている。
……いや、酔っているかは判らないが酔っていることにしておこう。
だが教えてもいいのか?
教えて、後日それがエスタッド皇帝にバレて、泣きを見る事態を招かないか?
さまざまな思いが一挙に襲来し、
ぼりぼりと動揺を隠すように頭を掻き毟るダインに、
「そんなにもったいぶる言葉なのか」
即答されないことに不満を覚えたのか、ミルキィユが背筋を正した。
「まあ、いい。とくに知らなくても困る言葉ではないのだ。ちょっとした好奇し、」
「お嬢」
好奇心、とミルキィユは最後まで口には出来なかった。
不意にダインが覆い被さるようにして、その半身を引き寄せたからである。
「な、なん――」
「言葉の『イミ』が知りてぇんだろ」
初めて動揺を表すミルキィユへ、引き寄せた耳元に、ダインは低く囁く。
「いや、知りたいとは言ったが、そう意味深に取られても――、」
「自制が効くかは保障できねぇけどなァ」
ずい、と迫るダインに慌てたミルキィユが、
「やめッ……、き、貴様いきなり何を――ッ」
頬骨に叩きつけようと振り上げた拳を、ダインは難なく受け止める。
読んでいた。
掴んだ拳に、そのままひとつ口付ける。
「だから。アンタの知りたがってたことは『コウイウコト』、だ」
「あ――」
驚いて目を見張ったミルキィユの、一瞬の隙を逃さず、ダインは唇で彼女の襟元をやわらかく噛み、
まるで鎧のように、喉許まで完璧に覆ったタートルネックを止める革紐をく、と引いて見せた。
月下に素肌が映える。
「ダ、ダイン、その、こんなところで、」
「『こんなところ』でやるから、言葉の『イミ』なんじゃあねぇか」
「だが、その、わ、わたしの身体は」
鬼と呼ばれた所以でもある。
汚い、おぞましい、醜い。
そう言った心無い言葉を投げつけられたこともある。
醜く火傷の引き攣りの残る身体を庇うように、膝を引き寄せ掛けたミルキィユへ、
「お嬢」
僅か焦れたダインは、吐息と共に紐のほどかれ、露わになった胸元へ顔を埋めた。
人より大きなダインの手のひらに、すっぽりと収まる彼女の双丘をやわらかく揉みしだく。
「……あ、」
まるで頼りない声がミルキィユから放たれて、彼女自身、その声に我に返りかけたようだった。
「ダイン、やめろ、やっぱりその……駄目だ」
「お嬢」
白い鎖骨へ軽く噛み付きながら、ダインは彼女を伺った。
本気で嫌がっているのならば、ここで留まる余裕はある。
がしかし、口で言うほどミルキィユは抗う素振りを見せてはおらず、
そもそも、本気で嫌がったのであれば、もっと本気の鉄拳制裁一発や二発が、己に飛ぶであろうことを承知しているダインは、
くつくつと喉で笑いながら、細やかに震える彼女の唇へ、己の唇を重ねた。
「ダ、ダイン」
「なんだ」
ふ、と口端から吐息を零して
「わ、わたしは醜い……から」
「――アンタは」
泳ぐ視線をひた、と見据えてダインは知らず、掠れた声で告げた。
「――とても、綺麗だ」
通り一遍の教育すら、満足に受けずに戦場に寝起きして育ったダインは、こんなときにうまく異性に囁く言葉は、知らない。
見たままの感想をそっと告げると、聞いたミルキィユの瞳が微かに潤んだ。
了承と見て、再びダインは、彼女の胸元に顔を埋める。
舌を這わせ、吸い、弄り、その度に小刻みに揺れる若い肢体を存分に楽しもうとする。
は、と。
ある一点から、ミルキィユの吐息が深くなる。
抗っていた両腕は、いつの間にか彼の袖を握り締めていた。
「お嬢」
じっと顔を見つめてやると、いやいやと子供のようにかぶりを振って、ミルキィユは目を閉じる。
恥ずかしいのだ。
「可愛いなァ」
思わず込み上げるニヤついた笑いと共に、素直に告げると、
意識せず、睫涙をいっぱいに湛えたミルキィユが莫迦、と呟く。
その仕草が、男を煽る効果があることを知らないのは本人だけだ。
くらくらと眩暈を覚えるほどに情欲を覚え、ダインは不意にミルキィユを地へねじ伏せた。
*
*
甲高い嬌声が迸る。
一糸も纏わぬ姿に剥かれて、ミルキィユが途切れ途切れに喘ぐ。
脱ぎ散らかした上着の上に横たわった透明質な彼女は、ひどく淫靡で美しい。
「お嬢」
その肢体に遠慮なくダインは圧し掛かり、攻め、煽り、思うままに貪る。
体のあちらこちらに、自分にしか判らない所有跡を刻み付け、低く唸り、軽く歯を立てながらミルキィユに押し進む。
熱い吐息を吐き、うわ言のように言葉にならない声を唇から零して、ミルキィユが引き攣るほどに仰け反った。
感じているのだ。
その乱れ方が、数少ない「普段」よりもいっそう激しいことに、
「お嬢」
気付いたダインは腕を伸ばして、汗に濡れた頬へ手のひらをあてがう。
「も、ッ……もぉやめ、ろ貴様……ッ。そ、外だぞここは……!」
それでも理性を失わない瞳が、気丈にも彼を見上げてくる。
まるで屈服していない。
「ああ」
知らず、ダインの喉から声が漏れている。
「それでこそ、だ」
アンタは。
きつい光を放つ瞳が、律動を始めた彼の動きに、たちまち煩悶の色を浮かべた。
口では豪く抗いながら、身体が快楽を求めている。
痙攣を起こした細い爪先が、夜空に向けて高く掲げられ、何度も何度も衝かれ。
水音が響き渡り、気付いたミルキィユが自身の腕で顔を覆った。
「だ、誰か来た、ら……ッ」
「誰もこねぇよこんな辺鄙な場所」
「だ、だが、……ふ、万が一……あッ……誰か、来たら……!」
羞恥に身を染める彼女が、とんでもなく可愛らしい。
「万に百分の一……誰か来たら?」
あいにく年の数だけ、気持ちにも身体的にも余裕のあるダインは、意地悪くミルキィユを追い詰めながら耳朶を噛んでやる。
「そ、そうだ……ッ。こんな……ッ……ああッ」
「そうだなあ」
跳ねる体を存分に楽しみ苛んで、ダインはそのまま彼女の耳元へ囁いた。
「責任取らねぇとなんねぇなあ」
「せ、責任……ッ」
ミルキィユの短くなった喘ぎに、そろそろ限界が近いことを察したダインは、自身もその行為に没頭すべく、律動を早める。
「そうだ。誰かに見られたら、責任を持ってアンタを嫁にもらおう」
囁いた声は、身も心も揺り動かされていたミルキィユに届いたかどうか。
己が熱い欲望を彼女の中心に突き立てながら、ダインもまた夜の帳に身を反らせた。
*
*
――そのまま、睦言を囁いているうちに、うまく酔いも回って眠ってしまったらしい。
薄ら寒い空気に身を縮まらせて、ダインがふと目を覚ますと、
素っ裸であった。
いや。
裸なのは何もおかしくはない。
眠る直前までしていた行為と、
触れるミルキィユの素肌があまりに心地よくて、そのまま腕の中に抱いてしまったことを思い出し、
「……いやでもちょっと待てよ」
目の前に整然と佇む少女の後姿を見つけ、ダインは何とはなしに引き攣った。
いくつもの戦場を、渡り歩いてきた傭兵の勘が、告げている。
ヤバい、と。
「あの
おはようございますミルキィユ皇妹将軍」
「おはようダイン卿」
片眉をそびやかし、とんでもなく拗ねた顔でミルキィユは振り向く。
「いい朝だな」
「すいません状況が読めないんですが」
数歩離れた場所に立つミルキィユは、ここへ訪れるときと同じ服装のまま、
酒を飲み始めるときと変わらぬ、きっちりと着こなした姿で立っている。
対するダインの周りに服は見当たらない。
「なあ、お嬢。俺の」
「服ならそこの崖の下に畳んで置いてある」
「が、け……」
復唱して、それからダインはどかんと鈍器で頭を殴られた衝撃を受ける。
「っておいちょっと待てよ!崖って、崖って、……崖と言うほど可愛いレベルの崖じゃあねぇだろうがよ?!」
峡谷、というべきだろうか。
国境に近い、高さ数百尋の、とんでもなく高いシロモノである。
試しに飛べば、確実にあの世へ行く。
「置いてきたんじゃあなくて、投げ捨てたってんだろうがよそれはッ?」
「そうだったか。判らない。よく覚えていない。昨夜野蛮な男に蛮行を強いられ、記憶が定かではないのだ」
蛮行、と言う部分で僅かに目元を染めながら、気恥ずかしそうに告げるミルキィユに、
「アンタ本当に可愛いな……――ってそうじゃなくてだな!あのすいませんが!俺!服がないと皇都に帰られないんですけど!」
うっかり見蕩れかけてダインは慌てて頭を振った。
見蕩れている場合ではない。
「そうか。それは難儀だな。せいぜい、頑張って崖下に服を取りに行って来るといい」
淡々と告げるミルキィユに、ダインにとっては絶望的なことに、憐憫の色は見えない。
怒っている。
確実に少女は怒っている。
「待てよお嬢!下に降りられる道なんてついてやしねぇだろうがよ?!」
「縄でも編まぬと降りれぬかもしれないな」
「いやそうじゃなくて!」
真っ裸で、崖を下る自身の姿を一瞬想像して、軽く立ちくらみを覚えたダインだ。
「まあ、アレだ。皇都にそのまま戻るという手もあるだろう」
「素っ裸!素っ裸でかよ?!俺は一体どんだけさらし者なんだよ!」
「なに」
うっすらと加虐的な笑いを頬に浮かべて、ミルキィユは呟く。
「貴様の裸なんぞ誰も喜んで見ない」
「いや確かにそうかも知れねェけど、喜ぶ喜ばないの話じゃあなくて」
真っ裸で、皇都の大通りを馬にまたがって帰還する自身の姿をさらに想像して、軽いどころか天地がひっくり返りそうなレベルで立ちくらみを覚えたダインだ。
「お嬢!それァ一体何つう処刑方法ですか!!」
「――わたしなりの報復、としておこうか」
ニィと笑ってミルキィユは不意に、背に負っていた大剣を鞘から抜き去ると、
「それともなんだ。ここでわたしに戦いを挑むか?勝てばマントぐらいは貸してやらんでもないぞ」
ダインの獲物である片手剣も差し出す。
マント。
裸にマント。
裸にマントのマントを獲得するために、ダインだけ全裸で真剣勝負。
……駄目だ。
世界が崩壊する音が聞こえる。
とてもいけない。
ダインの尊厳や威厳や……その他ちっぽけではあるが自尊心、がとても許さない。
いや、許せない。
ガンガンと頭痛のし始めた頭を抱えたダインを、面白そうに眺めていたミルキィユはふと、
「大変に楽しめたが、わたしはそろそろ帰還せねばならない。先に皇都に向かっているぞ」
そう言って踵を返した。
「あああ――ッ待った!チョイ待った!マント!せめてマント――ッ!」
この際、真っ裸よりマシかもしれない。
マシではないかもしれないがいろいろと言い訳は付くかもしれない。
(夜道で追剥に、服だけ取られました……とか、かァ?)
華麗なる自己突込みを思わず繰り出しながら、ダインは馬止めへと去り行くミルキィユの背に、思わず追いすがった。
「お嬢!後生だ!哀れなる俺に一片の憐れみを!」
「……では、聞くが」
鐙に足をかけ、肩越しに振り向きながら、ミルキィユが鋭い声を出した。
その鋭さに、思わずダインはどぎまぎと狼狽たえる。
「わたしが何故怒っているのか理由は付くか」
「……え?……え?そりゃ、その……イヤだというところをムリヤリ押し倒したからじゃ……ねぇの、か???」
「――相も変わらず底抜けに阿呆だな貴様は」
まったく。
ため息をひとつ吐いて、ミルキィユは容赦なく鞍に跨った。
「女心が判っていない」
「……え?な、なんだよ?違うのかよ?……っておい!おおおいッ!」
そのまま、躊躇いもせず、踵を軽く馬の腹にあて――駆けさせてしまう。
「お嬢ッ。おいお嬢ッ」
まったく間抜けな姿だとは思ったが、目の前に迫る緊急課題には比べるべくもなく、ダインは必死で馬を追いかけ、
「――誰かに見られない『限り』、嫁には貰うてくれんのか」
「――え?」
風に乗って届いた少女の呟きに気を取られ、そのまま木の根に足を引っ掛けて、盛大に転倒したのだった。
「お――お嬢?」
陸に上げられた魚のようにぱくぱくと口を開閉させて、
ダインは去り行くミルキィユの背中を、莫迦のように眺めた。
「……お嬢?」
あとにはつんと草の青いきれの匂い。
今日も底抜けに晴天な、空を見上げてひとり語散る。
「み……見られたかったのか……?」
怒涛に阿呆、だった。
後日。
新任騎士ダインが、「全裸で騎馬するのが好きらしい」と言う珍趣味の噂が皇都で持ちきりになったり、
それを聞きつけたエスタッド皇がダインを大喜びでいたぶりにかかることは、
火を見るより明らかなのではあるが、
それはまた別の機会に述べることにする。
鬼を憐れむ エロ と言うよりは
鬼も憐れむ エロ になった気がする カッとなってやった
最終更新:2011年07月21日 11:08