花が散る。
 両脇より、二階のテラスより踊り場より。
 前が見えなくなるほどに後から後から降り注いで、
 こんなに撒いては直ぐに残り尽きるのではないかと、ふと要らぬ心を配るミルキィユである。
 祝いの席に相応しくないと、頭を振って打ち消した。
 せいぜい派手にやればいい。
 そうも思う。
 元来、祭りは大好きだ。意味が無くとも心が浮き立つ。
 皇宮の尖った屋根の向こうには、おそらく大広場で行われているのだろう、
 昼間から豪勢に花火が上がるのが見える。
 昼の花火はどこか間が抜けている。
 光よりも音が目立って、それもどこか微笑ましい。
 小さな笑いを浮かべながら、中庭を渡り、第一回廊を早足で過ぎ、第二回廊を闊歩して、
 外の喧騒とはやや隔別された、第三回廊に足を踏み入れる。
 今日は皇都上げての祝いの日である。
 建国記念日。
 であると共に、この一年戦場で政治で或いは文化で、それぞれに功績のあった者が、
 皇帝より直に祝される日でもある。
 体が弱いのも相まって、日ごろ皇居よりそうそう外出しないエスタッド皇帝を、
 招待客自身の目で万遍無く鑑賞できる、数少ない機会の日でもあった。
 特に、招待された来賓の女性は、ミルキィユが垣間見て驚くほどに美々しく麗々しく、
 これ人生一番の晴れ舞台と言わんばかりの、飾り付けの気合の入り方である。
 寝る間も惜しんで着こなしたに違いない。
 あの服飾は、半日やそこらで着込めるものではない。
 ――あんなに着飾って重くないものか。
 妙なところに気の行ったミルキィユであった。
 祝いの席でも彼女自身、普段と大して変わることはない。
 軍職と言う肩書きもあって、質素なものである。
 公式の場にて陰口を叩かれない程度の、こざっぱりとした上下。
 高立ち襟の黒の長袖に、同じく黒の長パンツ。色気とは程遠い軍靴を履いて、朱のサッシュで腰を包んだ。
 腰に細工物の細剣を差す。
 サッシュの下には、未だ解かれないきつく巻かれた包帯もあるにはあったが、
 それも塞がりかけて、今では痛みも感じない。
 その他の擦過傷は、かさぶたと共に剥がれて先日。
 唯一普段と異なる飾りは、白の髪に挿されたガラス細工の髪飾りだ。
 エンゼルランプ。
 花の名前は聞いていたものの、先日まで意味は知らなかった。
 トルエ国領より皇都に戻り、治療と称してミルキィユは皇居に謹慎処分に科せられた。
 暇つぶしに何気に訪れた温室で、改めて園丁に意味を尋ね、一人思わず赤面したミルキィユだ。
 ――顔に似合わず。
 ちりちりと微かな音が耳に届く。悪態をつきかけた口唇が綻ぶ。
 白い髪は嫌いだった。
 母と暮らした小さな村で炎の洗礼を受ける以前は、瞳と同じ栗色であったから。
 生き延びてより色が変わり、それが彼女は悲しかった。
 気に入る気に入らないの問題ではない。
 ますます自身が異形に思えたからだ。
 けれど。
 贈られた透明色のそれは、白によく映える。
 透明の中にうっすらと朱。
 小さな鐘の形を成した花だ。
 寄り添う花弁を見ても、もう淋しそうだとは、ミルキィユ思わない。
 きっと、一人でいるより、誰かが側にいたほうがずっと素晴らしいから、
 だから彼の花は、寄り添いあっているのだろう。
 そう思った。
 無意識に腹部の傷の上を撫でながら、第三回廊の行き止まりの部屋の前に辿り着くと、
 呼吸を整えて、それからノックもせずに無造作に、扉を開け放った。
 「……よォ……」
 不意に開いた木扉に驚きもせず、
 心底疲れ果てた顔をして、ミルキィユを見止めたのは勿論、守銭奴傭兵ダインである。
 「なんだ。辛気臭い」
 十日ぶりに会った割に、覇気の余りに無い声に、彼女の喉から呆れた声が漏れた。
 「……辛気臭くもなるだろうがよ……」
 がりがりと頭を掻いてダインはげんなり背を丸めた。
 彼の纏う鎧は今日は白銀。
 未だどこにも傷の無いそれは、今日初めて身につけたもの。
 数多の功績者に混じって彼もまた、本日皇帝より祝される一人になる証である。
 第五特殊部隊、通称鬼将軍ミルキィユの配下の騎士。
 片腕と言い換えても良い。
 「よく似合っている」
 薄く笑って眺め回すと、そうか、と蚊の鳴くような声。
 ふてぶてしいいつもの様子とは余りにかけ離れている。
 「なんだ。……騎士の叙勲がそんなに嫌だったか」
 気勢のなさに不安になって、ミルキィユまで声が萎むと、
 「ああ……違ェよ。騎士になるのが不満とか、そういう問題じゃ無ェんだ」
 手を振る動作も切れが無い。
 「では、どうした。元気が無い」
 「……。……元気も何もかも失せるだろうがッ」
 唐突に頭を抱えて、ダインは喚いた。
 「アンタの兄貴は一体何なんだ。皇都にアンタと戻ってからこっち、延々延々延々延々、
 アンタをケガさせた事に対して、俺ァ毎日ひたすらに厭味垂れられたんだぜ。
 それも、遠回しに突っ突いて来るのが、また始末に負えねぇ。
 どうせくるなら真正面、直球勝負ならいいものを、遠くから針を投げるように、チクチクチクチク!
 聞き様によっちゃァ厭味に取れないから、タチが悪ィよ。
 こっちが悪ィと謝ったって、素知らぬ顔して”何がだね?”だ!
 背後に国一番の大剣使い従えて、こっちゃァいつ何時、無礼者扱いで首がコロリかと冷や汗モノだったんだぜ。
 それもついでに何なんだ?騎士の叙任に際して、皇帝自らその志に付いて指導するとか何とか、
 勝手のいい理由コジつけて、朝から晩まで、一対一でどうでもいい話根掘り葉掘り聞きやがるしよ。
 それも一週間!毎日!飯の時間まで!俺ァ最後にゃ皇帝と添い寝かと、恐怖したんだぜ?!」
 言い募るうちに腹が立ったのか、地団駄踏み始めたダインと、その内容に思わず呑まれ
 「それは……大変だった……な」
 呆気に取られながらようよう呟いたミルキィユである。
 「大変なんてモノじゃ無ェよ……」
 守銭奴傭兵は肩を落とす。
 よほど鬱屈していたのだろう、目尻に涙まで浮かばせていた。
 「しかし……、陛下は気に入った人間をいびるのがご趣味であるからな。
 可愛い相手は苛めて苛めて苛め倒すご性格だ。貴様が慣れるよりない」
 「無理です。絶対無理です。慣れません」
 「側近のディクスは耐えているが」
 「じゃ、神なんだろきっと」
 大袈裟に溜息をついて、そうして鬱憤が少しは晴れたのか、顔を上げたダインだった。
 「なんだァ」
 そこでようやくミルキィユの頭に目が行ったようだった。
 「よく似合ってんじゃねェか」
 嬉しそうだ。
 見つめられて羞恥らい、ミルキィユは躊躇いがちに微笑んだ。
 「……しかし、良いのか」
 改めて回廊に並び歩きながら尋ねる。
 「何が」
 「貴様は本来規律の少ない傭兵であったろう。騎士を務めるには少し、」
 「窮屈だってかァ?」
 そんなことは無ェよ。
 いつもの調子を取り戻し、肩を竦めて見せるダインだった。
 皇帝の雅なお楽しみを除いて、と付け加えることも忘れない。
 白銀の鎧を纏っても、そんなところは全く変わりが無いのだ。
 何故か少し、ミルキィユは安心した。
 「そうか?」
 「窮屈そうに見えるか?」
 「さあ。どうだろう」
 本心から悩んで首を傾げるミルキィユの手を、おもむろに取る。
 祝賀の席の最後の準備に奔走し、皇居内には殆ど人の無いのを良い事に、その手に口付けるダインだった。
 「な、な、何を」
 「死さえも二人を分かつことなく」
 慌てたミルキィユに、そこは余裕の三十路の笑顔を見せ付けて、
 「我が主。一生アンタの側にいよう」
 元守銭奴傭兵は言い切った。


 仰々しく静まり返った祝賀の席にて、華々しくも荘厳に皇帝が出来すると、来賓より感嘆の息が漏れ出でた。
 呼ばれの掛かった女性と並べて、大した装飾は身に着けていないと言うのに、
 エスタッド皇帝はあまりに華厳で果敢なげで、それはもう全くもって近づき難かったからだ。
 艶姿。
 これほど似合う言葉は無い。
 整えられた玉座に着くと、肩に羽織った青磁色の絹が、さりさりと音を立てて滑り落ちる。
 高雅に顎を高く上げ、伏せた睫が震えながら満座を眺めた時など、
 ダインにとっては豪く驚いたことに、隣の女性客は有難がって涙ぐんでいた。
 ――騙されている。
 暴露の誘惑に、打ち負かされかけたダインであった。
 右後ろに設けられた楽団が、邪魔をしない程度に演奏し始め、
 それを合図にゆるゆると、滞りなく式辞は進んでゆく。
 やがてダインの名が呼ばれると、ミルキィユがダインを見上げて唾を飲んだ。
 呼ばれた名前の本人よりも、嬉しそうで、緊張の顔をしていた。
 安心させるように目配せを一つ送って、ダインは御前に進み出る。
 この一週間と言うもの、耳にタコが出来るほど言い聞かされ続けた立ち居振る舞いを、
 若干の皮肉と共に、頭の中で反芻しながら、ではあった。
 皇帝の前に進み、膝を付き頭を垂れる。
 ダイン肩に抜き身の長剣を軽く当て、型通りの文句を詠唱した後に、
 「……それはそうと」
 片眉を聳やかせて、皇帝はふと、思いついたように
 「盾と槍を渡すは良いが、困ったことに叙任に際して足りないものが一つ」
 ――またこんな時になんだよ。
 胡乱な思いで顔を上げたが、流石に満座の前で思いをそのまま口にするほど、
 ダインは常識を欠いていない。
 貴賓席が、型から外れた皇帝の口上にさざめいた。
 「……それは」
 であったから、鹿爪らしい言葉でダインは皇帝の先を促した。
 「うむ」
 見下ろす薄茶の瞳が、心底楽しそうだった。
 いびる気が満々である。
 「騎士である君に、授与する領地が無くてね。今あるエスタッド国内は殆どが分割されているし、
 旧アルカナ王国領土も、今回の叙勲でそれぞれに割り振ってしまった。
 私とした事が、ついうっかりしていて、君の分を残すこと失念したようだ」
 ――絶対に、絶対に、嘘だ。
 ダインは喚いてやりたかったが、拳を握り締めてその衝動を堪えた。
 皇帝の後ろに控える黒鎧が、無表情の仮面の下、たいそう気の毒そうな視線で、ダインを見遣るのが判る。
 「……それで」
 不穏な色が含まれるのはこの際勘弁して欲しい。
 「……そこで考えたのだが。トルエ国の名は覚えているか?」
 忘れるはずが無い。
 弾かれたように顔を上げたダインは、鋭利な視線にぶち当たる。
 酷薄な瞳が煌いていた。背筋の凍る思いがする。主と構えた鬼よりも、よほど凶つ鬼が一人。
 「彼の国を征した暁には、君にその一部を分け与えよう。腕が鳴るだろう?
 ……ああ、感謝の言葉は良い。口に出さずとも君は今とても嬉しい。そうだね」
 畳み掛けて一人皇帝は納得し、それから長剣を下ろすと、刃を持ち替えダインに差し出した。
 「……有難き、幸せ」
 明日にでも、出陣の書簡がミルキィユを通して届くかもしれない。
 ――それでも、この兄貴のいる皇居よりマシだ……。
 ぎりと奥歯を噛み締めながら、なけなしの平静心を総動員して、ダインはもう一度首を垂れて剣を受け取る。
 下げた頭に皇帝がすうと近づいて、
 何事か、囁いた。
 目を見開いて硬直したダインであった。
 その彼に、皇帝は実に艶然と微笑んで見せたのだった。


 「流石に今日は疲れた」
 礼服から普段着に戻り、伸びをする皇帝の顔色が口調ほどには冴えない。
 述べている以上に主の体に、負担は重く伸し掛かっていると見て取れたので、
 無言でディクスは、扉近くに控えた従僕に目配せる。
 心得たもので、従僕は意味を瞬時に理解し、深く腰を折りすぐに廊下に歩み去った。
 薬湯を取りに行かせたのである。
 「ディクス」
 「……は、」
 「何事か聞きたそうな顔をしている」
 直立した背筋がいっそうに伸びた。
 読まれていた。
 内心舌を巻くディクスに背を向け、ベッド脇に腰掛けた皇帝はくすくすと笑いながら、本を開いた。
 かなり厚くなった感のあるディクスの無感動の仮面であったが、それでも皇帝相手には、未だ足りないらしい。
 未熟を恥じる。
 からかう事が生き甲斐と、豪語して憚らない皇帝は、表面人の良い笑顔を浮かべる。
 ――ロクなもんじゃねェ。
 あの守銭奴ならそう言ったろう。
 「……しかし君は大してからかい甲斐が無いね。
 あの虎は楽しかったが、明日には出陣命令を出さねばならない。また退屈する」
 臙脂を乗せたように紅色の唇が、笑いを模った。
 この一週間、新しい玩具を弄んだ皇帝が、かなり上機嫌であることをディクスは知っている。
 相手が嫌がれば嫌がるほどに心地良くなる趣味は、凡人の彼には到底理解が及ばない。
 食事の匙の上げ下ろしまで、難癖つけては楽しんでいたのだから相当に性質が悪い。
 付き合わされていた傭兵の、目の下の隈を思い出して、同情したディクスだった。
 「昼間、あの者に何を仰られました」
 であるから、代わりにディクスは正直に疑問を口にする。
 「ふむ、」
 頁を繰りながら思案気味の皇帝である。
 「何と言ったのだったか」
 薄茶の瞳が物憂げに伏せられ、片頬突いて皇帝は書に耽る振りをする。
 覚えていても素直に応えた試しが無い。天邪鬼であった。


 「で。なんと言われた」
 時を同じくして。
 見咎め、疑問を抱いたらしいミルキィユがダインに尋ねていた。
 卓に突っ伏し、自棄酒を煽っているのはダインである。
 向かいで付き合うミルキィユは、既に相当口にしているにも拘らず、やはり今夜も乱れが無い。
 「……思い出したくもねェ……」
 傭兵から騎士となり、実際に格上がったのか下がったのか、ダインは今ひとつ理解できないが、
 こうして、ミルキィユと皇居で酒を酌み交わすことが出来るのだから、それなりに上がったのかもしれない。
 にしても、あの皇帝と顔を突き合わせる機会が格段に増える今後、
 自棄酒の量が、妙に増えそうな予感を覚えるダインだった。
 「何が」
 興味心身に身を乗り出すミルキィユに、頭を掻き毟りながらダインは喚き散らした。
 「”兄と呼んでも構わない”だァッ?!」
 当然、二人の仲を見透かした上での発言だったのだろう。
 聞いたミルキィユは丁度酒を呑みかけていたので、軽く噎せた。
 「……あんの皇帝は絶対腹黒いぞ。腹黒い上に心臓に毛が生えてるぞ!
 監視してる。四六時中監視してるに決まってる。皇都で俺ァ息が詰まりそうだ!」
 早く戦場に戻りたい。
 いつに無く里心のついたダインだった。
 膝を抱えて鼻を啜る彼を、呆れ半分眺めるミルキィユが、
 「だから……あの時。しておかないと、後悔するぞと言ったのに」
 悟った口調で宥めるのを、聞こえない振りをしてダインはもう一献、呷ったのであった。
 今宵も恐らく地獄に落ちる。


 以下、後談。
 旧アルカナ王国領を呑み込み、その後もトルエ国及びに、近隣同盟諸国を、
 堅実ながらも獰猛に吸収合併を繰り返したエスタッド皇国は、
 やがて大陸全土一の巨大国家としてその名を轟かせることになった。
 政治的手腕を、余すことなく発揮したのは、切れ者と噂されるエスタッド皇帝その人。
 皇帝随一の信頼を寄せた、「鬼将軍」との異名を持つ、皇妹ミルキィユもまた、
 右腕として傍らに控えた白銀の騎士と、縦横無尽に戦場を駆け巡り、敵には豪く畏れられたようだ。
 出する際にはその白髪に、必ず朱の髪飾りが挿されていたと云う。
 透明質の飾りは、風を纏った花にも似ている。
 繋ぎとめる術は無くとも風自身が、花の辺りを漂うことを望んでいたようだ。
 花の名はエンゼルランプ。
 彼女の好んだ花だった。



最終更新:2010年10月21日 23:00