「ちょっとそこのネクラ男!」
  罵声が耳に届くか届かないか微妙なラインで、不意の殺気を受けて、はっとカークは我に返る。
  上げた視界、眼前直前に、けだものの最大限にばっくりと開いた口内が飛び込んだ。
  ――喰われる。
  次に襲ってくるであろう痛みを覚悟して、固く目を閉じかけた彼の膝上に、どさり。けだものは血泡を吹いて落下した。
 「危機一髪」
  白煙を上げる銃口を左手に、陽気な声を上げたのはヒューである。
  見回すと、辺りはとっぷりと夜だった。
  改変型ピックアップの、プログラム内部に潜り込んで、そのままカークは、我を忘れるほどに没頭してしまったらしい。
  おかげでこうして、闇に乗じて荒野の原生生物が、いつの間にやら車を丸く囲んでぐるぐると回りながら、威嚇の声を発していることにすら気付かなかった。
  けだものの数は、およそ50。大きさは2メートル前後。大型種の原生生物の群れだ。
  喧嘩が三度の飯より好きな、マルゥが半分を相手にするとしても、それでもいっぺんの相手は無理だろう。
  狭い通路に一列ならばまだしも。
 「鬱々と暗い顔して、ところで修理は済んだの?済んでないの?」
 「……ネクラと言うのは酷すぎませんか……」
  ささやかな抵抗を口にしても、マルゥはまるで聞こえない様子だった。と言うよりも聞く気が無い。
  聞く余裕も無い。
  隙を窺うけだものの群れに、鋭い威嚇の視線を送りながら、身構えている。
 「――完全ではありませんが、ひとまずの補修は完了しました」
 「動くの?」
 「プログラム自体に問題はありません。このまま私と直結させたまま、駆らせれば大きなバグは出ないと思います……ただ、」
 「ただ?」
 「エンジンが」
 「……うっ」
  先程彼女が、突いたお陰で何本かネジが飛んでいたはずだった。確実にまずい。このまま素直に始動させてよいものかどうか、一瞬カークは行動に悩む。
  しかし、エンジンを修理している猶予はなさそうだ。
 「D-LLを食べても……あまり美味しいとは思えませんが……」
  一人ごちながらけだものたちを眺めるところへ、
 「安心しろ!」
  覆いの上がったままの車のエンジン部を眺めて、無言になりかけたマルゥとカークに、高らかに宣言したのは、ヒューである。
 「マスタ」
 「ヒュー」
  同タイミングで声の被った二人は、顔を見合わせ互いの表情を探りあった。
  嫌な予感、と言うやつだ。
  その二人を差し置いて、割と上機嫌な男は、意気揚々とエンジン部分に進み出た。
 「一発だ」
 「――まさか……」
  嫌な予感に襲われて、カークが口を開きかけた瞬間、
  ゴン、と。
  覆いに隠れて見えないが、確かに、拳銃の台尻で、今は冷えたエンジンを、引っ叩いた音がした。
  眩暈を覚えるカークである。
  だのに、信じられないことに、途端にエンジンが歌い出す。
 「そんな、馬鹿な」
  突拍子の無さに、砂上に本気で倒れこみたくなったカークだったが、己の立場を思い出し、顔を引き締め、運転席へと乗り込んだ。
 「残り一時間、駆らせれば、中継基地へ辿りつく筈です。少し無茶な運転をしますが、車酔いにはご注意を」
  告げてギアへ手を伸ばす。
  飛び乗る二人を確認すると、乱暴にアクセルを踏み込んだ。
  反動で引っくり返りそうになりながら、オンボロ車がけたたましいエンジン音を立て、滅茶苦茶な疾走を開始する。
 「ちょ、ちょ、ちょっとお!乱暴すぎでしょこれぇええ!」
 「舌噛むぞ舌!」
 「大人なんですから我慢してください!」
  自暴自棄気味に喚き返して、カークは無理矢理ハンドルを切った。
  けだものたちが、大慌てで散り広がる姿をみるみる後方に流して、月夜の下。改変型ピックアップが荒野を突っ走る。

  中継基地に、ピックアップと同乗者が、ほうほうの態で滑り込んだのは、言葉通りにきっかり一時間後のことだった。

  鉄筋コンクリートに覆われた敷地内部に入り込んだ瞬間、ぶすん、と不吉な音がして今度こそ完全に車が沈黙する。
  唐突に、尽きたかのように、無言でカークがハンドルに突っ伏した。
 「……おい」
  見咎めたヒューが、腕を伸ばすと、
 「おい?」
  彼の体はひどく熱かった。
 「カーク?」
  助手席のマルゥも身を乗り出して、青年の顔を覗き込む。
 「ちょっと、しっかりしなさいよ。水ぶっかけるわよ」
 「――……こんな時まで、その、優しい心遣いに、涙が出そうですよ」
  喘ぎながらも毒づく声には、けれどもいつもの力が無い。
  ゴムが焼け焦げたような臭いが、車内に充満しつつあること気付いて、弾かれたようにマルゥが顔を上げた。
 「……プラグ……!」
  首筋に刺さるそれを、勢い任せに引き抜く。痛みがあるのか、意識朦朧としかけているカークが、僅かに呻いた。
 「無茶」
  したのね。
  咎める声でプラグを見やると、その先端は溶けて既に形が無い。
  中途な修理で駆らせ始め、無理に加速し続けた、ピックアップの崩壊しかけたプログラムを、彼自身の体内で無理矢理置換していたに違いない。
  演算の苦手なマルゥは、あまり己で試そうとは思わないが、苦痛を伴う行為であることは知っていた。
  曰く、人間で言うなれば、血管にトゲの付いた細い針を差し込んで三回転半捻りこむ痛み、だそうである。
  歯を喰いしばりながら、全身の激痛を堪えていたのに違いない。
  痛みを堪えて計算し続けるとどうなるか。
  過剰に負荷がかかって、こうして、今現在のマルゥの目の前にあるような、状況に陥るわけである。
  この、普段は余りに無表情な青年が、感情を表に出すときはよほどの時だということを、マルゥは判っている。
  我慢強いというか、腹の立つほどに遠慮する性格なのである。
  で、あったから。
 「カーク」
  脇に手を差し込み、背に負おうとした少女を遮って、ヒューが彼を抱え上げた。
 「お前は荷物を頼む」
 「う、うん」
  普段ならば、衆目の前で抱え上げられる醜態を晒すなど、どれだけ主の行動とは言え、本気でカークは抵抗しただろう。
  今は、ぐったりと折れそうに細い首筋を晒して、既に意識が無い。
  妙に重量感のある、預かり荷物を左腕に抱いて、マルゥは急いで後を追う。
  右腕で、ピックアップを繋いだロープを引き摺りながら。


  ――耳の奥深くで、ビープ音が鳴り響いている。
 「××××!」
  声が、聞こえた。
  懐かしいような、いとわしいようなその声が、何を発音しているのか、詳しくは判らない。
  見慣れた実験室の中にカークはいた。アクアリウム越しに見える室内はそう、いつも暗かったのだ。
  天井上から降り注ぐ、青紫の殺菌灯の光に照らし出される部屋の景色は、全てが無機質で無職で、どこもかしこも草臥れて見える。
  規則正しいビープ音が、彼の体温や血圧や、脳波や感情レベルまで、些細な変化も見逃さないように音を立てて表していた。
  その中で、いつもとは違う耳障りなアラームを、カークは感じ取っていた。
  アラームは、彼が、通常の睡眠レベルではないしるし。言い換えれば目覚める時間ではない時間に、目覚めてしまった事を告げる警報。
  室内に生きたものは何もいなかった。
  透明な鉄壁の向こうに、何かが転がっている。
  それがどうやら人間の身体であること、しかも大量の出血を伴った、人間の身体であることに気付く。
  現実離れしているこの部屋で、ますます現実離れしている。
  しばらく後に、その人間がピクリとも動かないことにようやく思い当たって、そこで初めて倒れ伏した人間が死んでいるのかもしれない、と緩慢な判断力が現況にたどりついた。
  見覚えのある顔だった。
  途端にカークは我に返る。
  名前がもどかしいほど喉から零れない。けれど自分は確かにその顔を知っている。知っている。知っているような気がする。
  けれど、一体誰だったろう。
  己の全身に生えた接続端末を、ぶちぶちと引き抜いて、カークは束縛から逃れようとした。逃れようと試みた。
  一気に引きちぎられるそれはの痛みは、末端神経まで張り巡らされた端末が、抜けてゆく痛み。
  僅かに唇を開いて喘ぎ、と共に痛みを吐き出す。
  たちまち、異常を告げる警告音が室内に甲高く共鳴し始めた。青紫の静かな世界は、赤黒い光の乱反射で満たされる。
  その光の中で、カークは透明の壁に阻まれ、立ち往生していた。爪で引っ掻いてみるが、無駄だと頭の端で判っていた。
  こんな程度で壊れるはずが無い。
  目の前に倒れる、おそらく見知っていたはずの人間に向かって、何かを叫んだ。叫ぼうとした。
  ……けれど、かけてよい言葉が見当たらない。
  ずるずると壁を伝って膝を付き、それでも飽かずに壁の向こうに向かって、声無き声で絶叫する。
  人間は、動かない。
  当たり前だ。カークの脳髄に誰かが囁く。あんなに出血して。ほら。脳漿まで零して。生きているはずが無い。
  囁いているのは、誰だ。
  耳を塞ぎ、膝を抱えて丸くなる。
  規則正しいビープ音が、これだけ異常を告げる警告が鳴り響く中で、ぴくりとも変動しないビープ音が、無感動に生命レベルが通常通りであることを告げた。もう何も、聞きたくない。
  ――判りたくも、ないか。
  また誰かの声がした。


  目が覚めた瞬間に、直ぐ目の前に見慣れた、けれどいつまで経っても慣れることの無い、とても綺麗な顔が飛び込んできたら、一体どんな反応をしたらよいのか。
  一瞬硬直した。
  マルゥだ。
  いくらD-LLとD-LLでも、この距離はちょっとね。と思う。と言うより、恋人で無い限り基本近づかない距離だ。
  少しだけ身を起こせば、同僚D-LLの向こう側に、主の寝姿も確認できる。
  川の字。この年と言うほど長生きしている訳じゃないが、製造されてはや七年になって、川の字。
  自画自賛するけれど、細身の自分がいるとは言え、なにも三人でダブルのベッドに、ケチ臭く寝なくてもいいのじゃないかと、妙に物悲しい気分になった。
  物悲しくなったついでに、マルゥはこの際とばかり、まじまじと目の前の顔を注視した。
  睡眠が趣味と言い切るヒューの、始終寝顔を見るのに比べて、思えばカークは余り寝ない。と言うよりも寝姿を晒さない。
  普段眠るときは、個々の部屋に分かれていたし、そうでなくてもリビングのソファで、うたた寝くらいしても良さそうなものだが、生憎マルゥはカークのそんな姿にお目にかかったことは、そう言えば無い。
 「鉄壁……なのかな」
  起こさない程度にこっそり呟いてみた。
  機械なのだから、眠らなくても動けるだろう、とは、D-LLをよく知らない者の証拠。
  人間を限りなく模して作られたD-LL機種は、睡眠を必要とする。
  時には夢を見るほどだ。
  そう言うと、D-LLに……と言うよりは、意思を持つ機械全てに対する偏見を持つ人間は、大抵嫌な顔をするのだけれど。
  ロボットの癖に。
  言うことは同じだ。
  よく見ると、存外に眠った顔は幼い。半開きになった口から、舌が僅かにこぼれて見える。赤ん坊が乳を吸ったまま眠ってしまった姿を思い出す。
 「いやいやいやいや。まて。待つのよアタシ。そんな冷静な判断を下してどうしようって言うの」
  ひっそりと頭を抱えて悶絶した。
  それでもついつい視線は、目の前の整った顔に流れる。
  二枚目と言うなら主のヒューの方がよほど二枚目だろう。目の前のこの顔は、余りにも整然と、左右対称すぎて、まさしく”人間離れ”している。鑑賞するには適しているが、並んで歩くには困る系統だ。
  文字通り、作り物に過ぎるのだ。
  それでも、憎めない顔をしている。
  きっと、困ったように目尻を下げる、そんな風体でいるからなのだろう。
  閉じた瞳は睫が長い。
  ……さみしそうなんだ。
  ふと、マルゥは気が付いた。
  そうだ。この青年は、いつもどこかしら、さみしそうにしているのだ。
  自分がどうしてさみしいのか判らないのに、さみしい。そんな顔をしている。
  出会った頃のカークを、マルゥは思い出していた。
  ゴミ捨て場に捨てられていた。
  傍らに、同じように動かなくなったD-LL機種の山を大量に従えて、その中で一人膝を抱えて、途方に暮れているように見えた。
  ヒューと並んで仕事の帰り、何気なく覗き込んだ路地裏で見つけたような記憶がある。
  ――ねえ。何してるの。
  自分はそんな言葉を口にしたはずだ。
  不思議な視線が戻ってきた。声をかけられて、驚いたような視線だった。動きの鈍った彼にまだ声をかけるものがいるのかと、そんな純粋な驚きの入り混じった視線であった。
  ――拾ってやろう。
  ヒューが、青年へに手を差し出した。
  その手をこれまた、たいそう不思議なものを見つめる視線で、ぽかんと青年は眺めて、
 「穴が」
 「え?」
 「穴があきます」
  呆れた声が突如降って来て、マルゥはがばと跳ね起きた。
  彼女が、記憶の海に沈みこんでいる間に、カークは覚醒したらしい。彼女の姿を、一対の黒いガラス玉がじっと捉えていた。
 「な!なななななななによ!いつの間に起きてたのよ!起きてるなら、起きてるって言えばイイじゃないのよ馬鹿!」
 「しっ。ヒューが目を覚ましますよ」
  焦ってついつい声の大きくなったマルゥへ、唇に人差し指を立て、制止したカークである。
 「……いつから起きてたのよ」
  制されて、マルゥは慌てて口を塞ぎ、そっと背後を顧みる。相変わらず規則正しい寝息が、ヒューから漏れているのを確認すると、ほうっと安堵の息を漏らした。
 「さあ。いつでしたでしたか。あなたが一人問答を始めた辺りでしょうか」
 「……この悪趣味!」
  舌打ちする。騒いでもよい状況なら、思い切り脛でも蹴ってやりたい。
 「そもそも、あんなプログラム程度で、ぶっ倒れるなんてヒ弱過ぎるわよ。マスタがわざわざ、ここまで運んだんだからね」
 「それについてはなんとも答えの返しようがありません。ですが」
 「……”ですが”?……なによ」
 「あれは、プログラムの強制処理と言うよりは、無茶なエンジンを一時間耐久させたことによる、熱暴走で」
 「……なによ!アタシがエンジン突っついたのがいけないって言うの」
 「――事実を述べているまでのことです。責めている訳では」
  小首を傾げて表現に悩むカークと、その首筋に巻かれた包帯の白さが、やけに小憎たらしくなって、
 「判ったわよ。アタシのせいで、華奢でひ弱いなカークは、倒れちゃったって言うのよね」
  何を言われても清かな顔に、舌を出して見せて、それからマルゥはベッドから跳ね起きた。
 「マルゥ」
 「何よ。気安く呼ばないでよ。そもそもアタシはまだアンタのこと、正式には認めてないんだからね」
  スプリングが小さく軋み、その音が途絶える頃には、マルゥは戸口に立っている。
  ぴんぴんと、あちらこちらに寝癖が残る癖っ毛のまま、もう一度いいぃーとあかんべをカークに見せると、顔も赤いまま、マルゥは部屋を飛び出していった。
  全力で。
  背後で、ドアの蝶番が弾け飛んだ音がした。

  なによ。なによなによなによなによ……!
  ずんずんと、音が鳴りそうなほどに力を込めて歩きながら、マルゥは悔し涙の滲みかけた目元を、力任せにぐいと拭う。
  一人で泣くのは嫌だった。
  勝ち負けで言うなら、負けて泣くのはもっと嫌だった。
  どう頑張ってもマルゥはカークに勝てない。
  自分自身でそう思い込んでいる。
  マルゥはD-LLだ。D-LLは歳を取らない。
  無論、月日が経てば経つほどに経験を積んで、判断基準や一般常識は身に付くのだけれども、それはただそれだけのことで、基本的に彼女はいつまでも15歳のままである。
  思考パターンも感情も、上手に制御できない思春期のままの。
  羨ましい、と知らないものは言う。
  けれど、彼女を羨ましがるのはいつも、その時代を通り抜けて老成した境地に立った者なのだ。
  思春期真っ只中の心地ではそれは判らない。
  半年前。ゴミと一緒に転がり込んできたカークは、直ぐにその生活に馴染んだ。全くそれは、見事なほどに馴染んだのだ。
  生活感覚を覚えた、と言うのとは少しニュアンスが違う。覚えたというよりは、思い出した、に近い。
  ゴミにまみれた、小汚い格好をしていたカークには、以前の記憶が朧だった。忘れたのか、思い出すことを拒絶しているのか、或いは第三の理由があるのかは、マルゥには判らない。
  とにかく、連れてこられて直ぐに生活に溶け込んだ。
  それまでマルゥとヒューの二人の住人しか存在しなかった、空間に。
  カークの首筋のバーコードは、実は曖昧模糊としており、誰かが一度削り消そうと意図した痕があった。
  正確なD-LL年齢は、カーク自身にも判らないのだと言う。
  マルゥの見たところ、ヒューと殆ど同じに見える。であるから、26、7だろうか。25より下と言うことは無いだろう。
  転がり込んだその闖入者は、破天荒なヒューの性格と程よく絡んで、実に見事に対を成した。
  マルゥは女だ。少なくとも女型である。
  同じ世代の男同士の、奇妙な連帯感に入り込める隙は無い。

 「……違う」

  足を止めて口に出してみた。
  違う。羨ましかっただけだ。
  どんな事態にも冷静に対処できる、あの性格が羨ましいのだ。
  そうして始終穏やかで、人付き合いのよい雰囲気を醸し出している、あの彼が羨ましいのだ。
  自分には決して出来ない芸当であったから。
  歳の離れた兄のような存在の彼は、けれどもマルゥとは実に対称な性格で、
 「……ふーんだ」
  きっと彼は自分を扱い兼ねているに違いない。
  どこかさみしげな立ち姿を思い出して、また何故か苛苛した。
  悪循環だ。
  ――やめよう。
  頭をぶるんとひとつ振って、
 「お嬢ちゃん」
 「え?」
  ぴしり、と。
  気分転換でもしようかと思った彼女の背後から、不意の衝撃が走る。とても小さな音だった。それ自体は僅かな動きだったにも拘らず、反動でマルゥは路地の壁に叩きつけられていた。
 「……っ!……あつ、ぅ……」
  ぱらと舞う排気埃と共に、マルゥは膝から崩れ落ちる。
  痛みに顔が歪んだ。
  叩きつけられたときに噛んだのか、口内からじんわりと鉄錆の――擬似血液の味がする。
  瞬時に振り返って、マルゥは声の主を睨みつけようとした。のだが、
 「あ……れ?」
  身体に全く力が入らない。指一本、動かすことも不可能だった。どころか地に伏している。頬に食い込む小石が痛い。
 「な……に。こ…れ」
 「対D-LL機種用スタンガンだぜ。しばらく痺れて何も出来ねぇよ。蹴り殺されたくなきゃあ、大人しくするんだな」
  そう男の声が響いて、マルゥの視界に革靴が入る。
 「――こんな風に」
  軽く振り込んだ男の利き足が、鈍音を伴って少女の腹部にめり込んだ。
 「かはっ……」
  呼吸困難に陥りかかって、マルゥは咳き込み、苦しみの涙を見開いた目尻に溜めて悶絶した。
  ク、ク、ク。男の笑う声がする。
 「……アン…ッタ、人間じゃないわね?!」
  ぎりぎりと歯を喰いしばりながら、それでも気丈に返すマルゥに、ふっ、と影が覆いかぶさった。
  仰け反った彼女へ、男が覗きしゃがんだのである。
  涙でぼやけた視界でもはっきりと判る、男の首筋。
 「……D-LL……!」
  見止めたマルゥが声を上げると、男はにぃぃと笑って見せた。
  感情の映えない瞳。爬虫類のようだと思った。
 「何、そんなに長い時間ご一緒していただこうってんじゃねぇんだ。アンタらが持ってきたあの人間の首をチョイと、こちらに引き渡して貰えりゃあ」
 「……そんなコト…できるわけ無いでしょ!」
  馬鹿じゃないのとマルゥは喚いた。任務失敗と職業案内所の男が見たら、ヒューと半径100メートルが吹き飛ぶ。
 「アンタと交換に、って言ってもご主人様はアンタを見捨てるかね」
  返されてマルゥは言葉に窮した。ヒューは確かに薄情ではあるが、非情な性格だとは思わない。
  と言うよりもまるで無頓着に、ひょいと荷物を渡してしまいかねない。
  妹へ送る視線で、時折ヒューは彼女を眺める。
 「大事にされているらしいな?」
  返事に詰まったマルゥを見下ろして、男が静かにそう言った。
  憎しみが篭っている。はっとした。

 『完全管理社会都市機構(以下P-C-C)は、中央管理局の手により管理されているこの惑星全ての都市の総称です。』
  常識システムにプログラムされた、教科書どおりの言葉が脳裏を走る。
 『およそ一千年前に、人間が疲弊と荒廃しきった地球を捨てて、この新しい衛星に住み着いてから、人間とD-LLは、手に手を取り合って、この新しい一世紀を築き上げてきたのです。』
 『わたし達は、この歴史を共に歩んできた、かけがえのない共同生命であり、共にこの惑星に生きる住人でもあります。お互いの自由と権利を尊重しながら、次の時代を造り求めてゆきましょう。』
  唾棄するほどに、嘘だ。
  マルゥは唇を噛み締めた。
  確かに最初はそうだったのかもしれない。共に互いを尊重しあいながら、この惑星に移住ってきたのかもしれない。
  一千年の間で、事態が180度転換していなければ。
  それでも950年間は平穏に暮らしていたのだ。狂ったのは、残りの50年の間だった。
  増えすぎたD-LLを、疎ましく思う人間が増えてきたのが原因だった。
  工程さえ確約できれば、大量生産可能な身体だったのも、悲劇だった。
  D-LL狩り。そんな言葉が巷間の口に上るほど、P-C-Cのあちらこちらで、ハントと名の付いた非情な闇ゲームが開始された。
  非力なD-LLがまず狙われた。主には戦闘手段を持たない、初期タイプのD-LL機種だ。
  初期型には特に、人間への絶対服従プログラムが繰り返し繰り返し刻み込んであったから、反撃は出来なかった。
  というより、反撃をする、という意志すら持てなかったと言ってもいい。思いつきもしない考えは、実行も出来ない。
  見る見るうちにD-LLは数を減らした。であったのに、裁判で取り上げられることすらなかった。
  機械を守る法律は存在しなかったからだ。
  ようやくロボット愛護団体だか愛護協会なるものが結束され、動き始めたのは、ここ数年のことで、
  それまでに庇護を持たないD-LLはすでに、駆逐されていた。生き残ったのは一握りであったはずだ。
  彼らをして生きていると言うのならば。
  マルゥはそれを実際に目にはしてきたものの、我が身に置き換えて実感することは無かった。
  ヒューが存在したからである。
  狙われたのは往々にして、主を持たない野良機種――言ってみれば独り立ちしたD-LLたち――であったから。
  能力のあればあるほど、自活が出来ればできるほど、彼らは孤立していったのだった。
  現在、極端に生産量の落とされたD-LL機種は、マルゥやカークのように、主と決めた人間に使えてその日常仕事を手伝うに過ぎない。
  独立体のD-LLは絶滅した。
  ことになっている。
  これも建前上の話だ。
  闇に紛れて僅かに存在している彼らは、P-C-Cとは切り離された単独のネットワークを構築し、D-LLによる社会機構を設立しようとしている……ようだ。
  はっきり断定できないのは、決して表舞台に彼らは出てこないからである。
  ネットワーク新聞の記事にもならない。
  マルゥも実は、詳しいところはあまり知らない。と言うより新聞自体に目を通す習慣が無いので、読んでいたヒューやカークに説明された程度の知識だった。

 「”ソドムとゴモラ”……だったっけ」
  D-LLによる社会機構を設立しようとしているD-LLたちをそう呼ぶのだと、マルゥが尋ねたついでにカークが言っていた気がする。
  その行動は表に出なくても、彼らの目的や意志だけは、はっきりしているのだと、
  今P-C-Cにいる人間を排除し、”D-LLのD-LLによるD-LLのための”世界を築き上げたいのだと、
  特に表情を変えることなく淡々と彼は語っていた。
  その淡々とした表情が、何故かいつもの彼と異う雰囲気に感じて、逆に覚えていた。
  マルゥが呟くと男の顔が滑稽なほどに強張る。
 「――何故その名前を」
  知っている。
  低く押し殺した声が急に殺気立つ。
  間違いない。マルゥは確信した。
  そのD-LLたちの一番の特徴は、人間を憎んでいる。これに尽きる。
  信じ続けてきた対象から、はっきりと犯意を感じ取った時、きっとD-LLたちは壊れてしまったのだ。
  さきほどの言葉尻からも感じられたとおり、このD-LLの男は人間社会を憎んでいる。
  それは少しだけ悲しい。
  始まりはこの男も憎んでいた訳ではなかったのだろうから。
  搭載された感情プログラムで、怒りと悲しみに狂ってしまった今は、人間とともに暮らすマルゥが、単純に許せないほどに憎いのだろう。
 「あの荷物の首……と言うよりは頭の中身の記憶が、アンタたちは欲しいのね」
  何に使うかまでは想像が及ばなかったが。
 「荷物の中身まで知っているのか」
  苦々しげに男が呟いて、暗い瞳をマルゥに向けた。
  はっとする。
  先よりよほど明確な殺意が、その瞳に示されていたからだ。
 「――同種を手にかけるのは忍びねぇが……どうしたもんかね?」
  後者は、マルゥに向けたものでも、男が独り言を呟いたものでもなく、その背後に佇む男に向けられたものだ。
  いつの間にかもう一人増えている。
  転がって動けないマルゥを見下ろしているようだった。動けないために確認は出来ないが、首筋にちりちりと痛いほどに視線を感じる。
  ぞっとした。


Act:04にススム
人間と機械にモドル
最終更新:2011年07月28日 08:05