ひとつ前の日記 → 【日記-24

0222 にゃんにゃんにゃーーん
 このあいだJ君がドラクエ10やるとかでツタヤにゲーム買いに行くと言うので、久しぶりに本屋でものぞくかと同行したのですけれども、最近図書館か購入するにしてもネットを使ってしまうことが多くて、とんとズラっと目の前に並んだ新刊というものにお目にかかる機会がなく、久しぶりに、こう、無節操というか無秩序にとにかく平積みにされている本を眺めてまいりました。
 ブラブラしているわたしの目に、コミックのあたりの平積みで一冊の表紙が飛び込んでまいりまして、

 こんなんだったわけですけれども、とくに手に取ることもなく、ああ、そういう系の本なのかしら、へえーと横数冊先に目を進め、すると似たような感じの表紙がもう一冊あったのですけれども、

 思わずこっちを手に取ってひっくり返した(ビニールかかっていたので中身は判りませんでしたが)のですが、実に、ああわたしってふつくしいほうじゃなくてムサいほうが好きなんだなと自分で思いました。業が深いです。
0221 一日君のことだけ僕はただ考え続けてる
 木という字を一つ書きました
 一本じゃかわいそうだから
 と思ってもう一本ならべると
 林という字になりました
 淋しいという字をじっと見ていると
 二本の木が
 なぜ涙ぐんでいるのか
 よくわかる
 ほんとに愛しはじめたときにだけ
 淋しさが訪れるのです
 (寺山修二 / ダイヤモンド)

 先生と司教の話で、司教がはじめてさびしいと言う気持ちを自覚するくだりを今書いておるのですけれども、わたしはこの詩が好きでしかたがないです。こうした切ないようななんとも表現に苦しむモヤモヤ感を文で表せたらいいのになあと思いつつワードに向かってうんうん唸っている。
0219 わんわんわわーーん
 せんせいわんわんお!
 書いちゃあ消し消しちゃあ消し、すすんでいるんだかすすんでいないんだか、あした明後日にはアップできるんじゃないかとか、そういう縛りを自分に入れつつ、司教視点の書きやすさに逃げたいです。あの野郎。
0214 けしてーーーーーりらいとしてーーーー
 なんとなく日記の更新日時を見ていただければわかるかもしれませんが、前より確実に更新速度落ちております。申し訳ない。萌えが半減ですか?と聞かれるかもしれませんが、そんなことはないと言うかもうこれだけ燃焼しつづけるとかわたしは病気じゃあないかと思う。
 病気じゃあないかというか確実に病気です。おもに脳の。
 朝から晩まで先生と司教だけでどんぶり五杯は行ける。いけたはずなのですが、年明けからなんと言いましょうか、人体錬金術が開始されてしまい、これがあーくるかねーとか思っていたらわりと最近本気をお出しになられて、なんといいますか、飲み屋数軒はしごしたオッサンがネクタイを頭に巻いたままよれよれで家に帰ってきた次の日の、朝の目覚めの状態といいましょうか、書きたいものはたくさんあってもう想像しているだけでニヨニヨできるというのに、腹が。腹というか喉から下~臍から上辺りが。もういっそがこんとお腹あけて、ちょっと胃のあたり取り外して洗浄したい気持ちでいっぱいです。すいません。近況です。もっとひどいひともたくさんおられるので、こんな程度で創作意欲をなくすなよと言われてしまいそうですけれども、ご覧のありさまだよ!萌えだけはあるのでなんとかしたい。
 先生と司教のちゅっちゅしたはずなのに司教デレてない話とかね、先生の過去話とかね、しかし先生視点での話の書きにくさは異常ですね!司教はなんか自分の中で日常どんな出来事でも、三回転半ひねりくわえて物事をとらえているひと、みたいな解釈があるのですけれども、先生って割と直情型なんだと思います。むずかしく考えない。目の前で見たままのことを見たままに理解する。りんごが落ちたら、あありんごが落ちた、とだけ思う。でも司教には意地悪。意識的に意地悪をしたいわけじゃあないけど、どちらかといえば笑っていてほしいと思っているのだけれど、でも、なんか負け惜しみを言っている司教がぴゃーぴゃー騒いでいる小動物っぽくて見ている分には面白い、的な。でもずっと見ているとうるさくなってくるので黙れとかいっちゃう。ちいさい子供がはじめてザリガニを捕まえてずっといじくっていじくり倒して殺しちゃう的な、そんな乱暴さが先生にはあってもいいんじゃあないかとか。べつに殺すつもりはまるでなかったのに、でも死んじゃった、意味が判らない。自分の力の強さと、相手のちっささが判っていないと言うか。加減を知らないと言うか。何匹も何匹も殺して、ようやく、ああザリガニはあんまりいじくると弱って死ぬんだなって判る。子供特有の邪気のない残酷さです。なにが言いたかったんでしたか。先生の話でした。
0212 ちょこチョコ
 ローマ法王が退位を表明しておりましたが、在任中に退位ってできたのですね。私はてっきりどこかの日本じゃあないが、一度なってしまったら死ぬまでがんばれ、の使い捨て精神的な役柄なのだとずっと思っていました。しかし報道を見ると確かにもうよいよいのおじいちゃんで、あのひとに一日十何時間もの激務をこなせというのは非常に気の毒な気がする。でもついでに、日本のエンペラーも休ませてあげてください。あんなに全身手術しまくって、何日か後には仕事している老人、日本にいるだろうか。報道で出てくるたびにおいたわしくて、これで息子がまだ未成年とかならともかくもう立派な大人なのだから、長男なり次男なりでなんとかしてあげなさいよ、とそのあたりの規律のさっぱり知らない素人のわたしは思うのです。
 老齢といえば、わたしの祖母に八十八のバァさんがおるのですが、これがいまだに元気で一人暮らしをしており、たまに電車とバスを乗り継いで遊びに来たりします。三十何年生きてきたわたしの実に三倍近くをバァさんは生きており、しかも昭和を生き抜いてきたというのはもうものすごいメンタリティだと思います。
 おかしなたとえですが、四年ほど前でしたか、わたしの住んでいたアパートの付近で二度不審火があり、向かいのアパートの壁が焦げたり、車二台が完燃したりし、気味が悪いなと思っていたらある晩、人間の腹の底からの絶叫とともに飛び起き、驚いて窓を開けると向かいのアパートがまるで火の柱になっており、住人が火事だ、逃げろと喚いているのです。魂消るってこういうときにつかうんだと思いましたけれども、とりあえずわたしがしたことは、着替えと貴重品をバッグに詰めて、権三郎さんもついでに鞄に入れて、こちらに燃え移ったらいつでも逃げられるようにスタンばることでした。
しかし問題は、向かいのアパートがガスだかなんだか知らないがボンボン爆発音がし、こちらには辺が吹っ飛んで窓ガラスが割れたりする中、いったいいつ外に退避する判断をしたらよいのかということでした。ひとり暮らしって本当にこういうとき困る。誰かがいたら、「どうする」「様子見るか」だとか相談のしようもあるが、自己判断しかしようが無く、しかし季節は二月の真っただ中で、できればクソ寒い外になんて出たくないのです。
 そうして、あのときほど、近付いてくる消防車のサイレンの音がありがたいと思ったことはないです。
 数時間後に火は消し止められ、あの燃えっぷりだったというのに逃げ遅れ火にまかれた住人もなく、残ったのは黒々とした燃えカスの廃墟のようなアパートの残骸、なのですけれども、問題はその後も四度、不審火が続出したってことです。しかも二百メートル範囲くらいで。もう確実になにか狙っているよね、としか言いようがない。警察なんとかしろと憤っても、あの組織、言っちゃあ悪いが死人がでないと本腰入れて捜査してくれないので、せいぜい夜八時ごろにパトカーでぐるぐるする程度なのです。放火が起こっているのは夜八時じゃあない。毎度夜中二時から明け方なんだから、その時間張りこめとか思うのですが、そんなことしない。何人か死んだら張り込みするんだと思います。
 いつ自分のアパートも燃えるか判らない状況の中、とてもじゃあないがわたしは眠る気にもなれず、半月後に荷物まとめて別のアパートに引っ越しましたけれども、そのときわたしが思ったのは、空襲警報とか、あんなけたたましく不安なものが24時間体制でなる中、精神状態くずしもせず、東京大空襲を生き抜いたバァさんはすげえってことでした。もうそれだけで金メダルあげていい。本気で思います。
 ちなみにわたしが引っ越したあとも二度、放火はあったそうで、結局犯人捕まらなかったそうですが、わたしは割に他人に暴力的なことを言いたくないし、口汚くののしりたい願望もありませんが、あの放火の野郎に関しては文字通り自分に油かけて火つけてひとりで死ね、と思います。
 放火とか言うが、きみ、もう完全に愉快犯の域超えて殺人未遂やで。
0210 ちゅっちゅちゅっちゅ
 ちゅっちゅさせようとしたらお決まりのデレにならないよモードが発動して、なにがなんだか判らなくなりました。ええと、一応進展させているつもりなのですが、どうなんでしょうか。どうなの。もうわたしがいちばん着地点を見失っています。
 地雷になってしまったら大変申し訳ないのですが、なんとなくわたしの中で先生は女性との経験があったんじゃあないかな、とかそんな過去設定があります。ていうか一度は家庭を持ったんじゃないかとか。家庭を持ち、子を成したんじゃないかとか。ここに書いてないでワードうてって感じですよね。まったくです。
0208 暴風雪
 雪が降っています。
 のみならず風速三十五メートルだとか言うご親切にもものすごい家を横に揺らす風が吹いておりまして、昨日の午後から我がへっぽこアパートは微振動2という感じです。
 ふきなぐる雪と風を窓越しに眺めながらわたしが考えたことはといえば、今日洗濯物外に出したらみんなさようならするなということと、北へおかえりになる白鳥だか鴨だか雁だかの一隊は今日の離発着は無理だなということと、あとこの豪猛雪を文章であらわすとしたらいったいどんな言い回しをしてわたしは書くかしらということでした。
 チャンスがあれば常に考えているオタク根性です。
 わたしは、文章にしろ絵にしろ音楽そのほかのものにしろ、表現というものは結局、その表現する人間の今まで蓄積してきた経験や体験、得た知識をぐっと掴んでかたちにし、ぽんとおもてに出すことだと思っています。
 むかし、油絵を描いていて背景の緑の植物を塗っていたら、ひょいとのぞきこんだ先生に、
「ここに赤が入るよね」
 って言われてさっぱり意味が判らず、はあ?てなりました。え、だって緑でしょう?葉っぱは緑で、わたしの目には緑の濃いうすいの違いは判るが、そこへどうして赤が入るのか判らない。
 首をひねりながら赤を入れてみたもののやっぱりどうしても腑に落ちず、上から別の色を塗りたくり消してしまいました。学生のころの話です。
 のちのち、五年も六年もしてから、北海道の酪農で住みこんで乳しぼっていたとき、朝三時半から乳しぼるんですが、ちょうど終わるのが六時過ぎぐらいなのです。で、乳をしぼり終えた牛が、のっそりのっそり反芻しながら牛舎へもどってゆくのをホーイホーイといいながら追ってゆく、そのとき朝日が昇って牛の一群を照らしたのですけれども、白と黒のまだら模様の黒い部分、たしかに黒でしかないのに日が当たってわたしはそこに赤が入っているのが見えました。わたしははじめてそこで、牛のことを「あかべこ」と呼ぶ意味が判った気がしました。まあ、あかべこは正式に言うと真っ黒黒の牛なのでしょうけれど、でもそこに赤はあったんだ。
 牛のあとにちょこっと住み込んだ輓馬の農場のところでも、真っ黒な馬が雪の中を駆けているとたしかに青く見える。千キロ超える馬体が、どっど、どっどと重低音をひびかせながら駆けるさまは見事です。馬の黒いのって「あお」って言うもんなあ、とまたそこでおかしな感心をしました。あれはきっと、風景画の絵と一緒で、誰かに説明されても意味が判らない、自分が実際にそういう場面に遭遇して納得できるものだったのだろうと思います。
 雪の中でほうれん草を日がな一日収穫していたら、全身から湯気が立ち上り、なんだかサイヤ人みたいになったり、裸足でさつま芋堀りを半日やったら芯から冷え、土というのはじかに接すると体温をうばうものなのだと知ったり、子宮に手突っ込んだり、生まれたばかりの仔を淘汰したり、いろいろしましたけれども、あの独特の感触、におい、色、わたしはたとえば文章を書くことが楽しくてしようがないのですが、その文章を書くときに自分が見聞きし、触ったあれを、交えながらどうしたらかたちにできるかなあとそればかり考えているような気がします。
 なんでこんなこと書いているのかというと、最近同じ文章友達の方が、どうにももがき苦しんでいるように見えて、だいじょうぶかなあと心配になったからなのです。すげぇむかし鷹の目さんが緑のあたまのひとに生き急ぐなと言っておりましたが、彼女が生き急いでいるように見えるわたしは年を食ったということなのでしょうか。
 だいじょうぶかなあと心配し、でも、わたしもあの年齢のころ、いろいろ手につかみたくてばたばたしていたような気もして懐かしく思う。いまのわたしの年齢もまた通過点でしかないのだろうなと思うと、十年たったらわたしはどんな思考になっているのかしら、十年のあいだにどんな経験ができるのかしらと楽しみでもありちょっと不安でもあるのです。
0204 どうして わたしのほほ は
第二弾。
ここ一週間ほどエンドレスっている曲の方々。
●いつのまに ドリカム
https://www.youtube.com/watch?v=VLV_YEeDbpc
●うたかた。 Cocco
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8738523?zeromypage_nicorepo
●大事なものは目蓋の裏 KOKIA 迷子のわたしは出口を探してがむしゃらに荊を歩く
https://www.youtube.com/watch?v=LQrWe5_q6-A
●告白 平井賢  曲はちょっと単調なんですが歌詞がね、もう司教なんですよ
https://www.youtube.com/watch?v=p_C-bdrlGhE

気持ちよく鬱になれる^^^^^
0203 虎の巻
 二月三日に恵方巻きを食べると言う習慣が、いつの間にか全国各地に広がっているような気がします。これはあれかね、コンビニかスーパーの企業戦略かね。わたしが学生のころはまだ一般化しておらず、なにかマンガのネタに使われていて、太巻き丸ごと食べるんだってネエーだとかできゃっきゃ言っていた気がするのですが、十何年かけて世間に浸透させるメディアだかコンビニだかなんか判りませんが、商売ってそういうもんなのでしょうか。
 ところで、恵方巻きについてちょっと思ったのですが、これ、たぶん、一部の外人さんは食べられないんじゃあないかとか、先生はいけそうですけれども司教無理だろうなあとかいろいろ考えました。むかし、知り合いの外人さんが、おにぎりが苦手で、よく言われているようにおにぎりの海苔がだめなんかと思い聞いてみましたが、海苔は平気でご飯がだめなんだとその人は言っておりました。まずもちもちしているごはんが嫌なんだって。ぱらぱらのほうがいいんだって。外米がいつまでも外国で食べられている理由が判りました。あと、ごはんのかたまりが嫌なんだそうで、肉汁ソースとかかかってるごはんならいくらでも食べられるけれど、なにも味のないご飯のかたまりを食べる、というのがいかんのだそうです。米で育ってきたわたしは、もちろんふりかけや納豆も好きだが、そのまま食べてもおいしい米と言うのが普通で、ほんとうに世界には色々価値観があるのだなあと思いました。
 司教だめそうです。米のかたまり。
 そもそもイタリアのパンって、どいつもこいつもぱっさぱっさで、前に行ったときにあまりのぱっさぱっさぶりに、どうしてこの国はパスタもピザもうまいのにパンは足もとに鳩がたくさん来るレヴェルでぱっさぱっさなんだろうと思いましたけれども、去年行ったときに、お米のもちもち、という話を思い出し、ああ、向こうのひとはぱっさぱっさが好きなんだなと思いました。グリッシーニとか好きよね。グリッシーニと言うと、なんかとてもおしゃれな気がしますが、要はよく酒のつまみに最初にでてくる長―いクラッカーです。パン屋やっていたときに、年に三度くらい、仕込みの段階でぼんやりしてると塩を入れ忘れることがあって、そうすると夕方仕込んで、次の日の朝に店いくと、まるでしまりのない、だれっだれの種がクリーム色の番重のなかにいらっしゃるわけで、個人ならまだしも、店単位だと10キロ単位で粉が無駄になるので、そういうときどうするかというと、細長―く整形して、カリカリに焼いて、岩塩まぶして、グリッシーニにするのです。
 あと生地すこし貰って行って肉まんの皮とか。
 粉ものやに勤めたおかげプラススタッフに中国人がいたおかげで、パンのみならず、餃子も春巻きも肉まんも皮から教えてもらう機会があり、しかもそんなに手間じゃあない。全部手作り、とか聞くとものすごいたいへんなことのように思えますが、餃子の皮を買いにスーパーにゆくくらいだったら、粉と水と塩でちゃっちゃとこねて、包んでしまった方が楽だったりするのです。あとその勢いでうどんとパスタうちもやりました。友達からは、「あんた、【粉や】とかいう店でも開いてその日の気分で餃子だしたりパスタだしたりすれば」なぞと言われましたが、わたしはつくるほうはともかく、店をやるとなると経営がどうの商店街との付き合い、業者との付き合いがどうの、とかなんでかしらんがパン屋で店長にいつのまにかなっていろいろ面倒だったので、店の考えは断念いたしました。あとどうせやるなら豚飼いやるね。
 独身時代牛いったり豚いったりいろいろしたりしましたけれども、やりたかったことでひとつ心残りは、ヨーロッパの畜産業で働いてみたかったことです。あっち、日本よりもずっと基準と言うものが厳しくて、たとえば一頭の豚にたいしてこれこれの広さの敷地がないと買ってはいけない、という決まりがあり、なのでわりと昔ながらの自然農法で飼っている農家が多いのです。行こうかどうしようか悩んで結局行く機会を逃してしまったのですが、いけるものならいっておけばよかったかな、とか思います。機会って本当に「機」なので、機を逃すとなかなかむずかしくなったりする。機を見て、機が熟すのを待ち、機をねらって、機運を掴む。その日そのときにしかできないことが必ずある。むかしのひとは本当にいいことを言うなあと思います。
 わたしはそのいくつかでも機を掴むことができているだろうか。
0202 恵方巻き
 色塗りは力尽きた
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0201 そのひとことですくわれた
 タラのおいしそうな子(たまご)があったので、ふたパック買ってきてあまからく煮つけようと火を入れていたら、外側の皮がめくれはっちゃけて、あまからのダシの中にこまかーくなったたまごがたくさんばらけているわけの判らないものが出来上がりました。わたし涙目。しようがないので車麩投入。お麩と一緒にたまご……たまごも明日も見えないの……とか言いながらお夕飯に食べようと思います。
 このところ、新潟がやたら晴れており、雪が降って積もっても次の日お日さまが出て溶けてしまうのです。なにこれこわい。単純にあったかくなったねーなぞと喜べず、このあとにビッグウェーブくるんじゃないかと恐れおののくわたしがいます。だいたいひと月にお日さまが見えるのが二日ほどが冬のおコメどころなので、こんなにお日さまが出ているとあとで絶対反動くるんじゃないかと疑ってしまう。
 なんかいろいろ身辺で忙しくなりそうな予感?があったりなかったりで、N氏との神戸デートも立ち消えになったんよ……というか、消したのはわたしなわけですけれども、快くしようがないよと言ってくださって本当にありがとうございますすいません。落ち着いたら顔出すから!春には東京遊びに行くから!
0130 深読みと妄想がわたしの信条
 トゥイッタでちょっと話題にのぼったので思ったのですけれども、わりと時流についていけているような、置いてけぼりのような、よく判らないオタク道です。流行りのアニメや漫画の話です。
 たとえばこないだまで、「まぎ!」というアニメを名前しか知らなくて、わたしはまぎ!というのは、「まどかマギカ」(これも名前しか知りませんけれども)のなにか親戚かなにかだと思っていました。そうしたらJ君が録画して見始めたので、先生と司教の絵をかきながら一緒に眺めておったのですが、アラビアっぽい話のようでした。まどかマギカの親類じゃあなかったみたいです。で、好きなひとがおりましたらたいへんに申し訳ないのですがとりあえずさらっと見たわたしの感想は、
「かわいい絵のわりに話がシビア」
 ということでした。シンドバッドとか、アラジンとか、アリババとか、うっかりビックリマン思い出したのはないしょです。なんかいたよね。ヘッドロココにしたがう七人くらいの神帝。ヤマト神帝と一本釣り神帝しか出てきませんでしたが、あ、ロビンフットもいた気がします。古ぇ。
 あと、「黒子のバスケ」とかいうのが世の中で流行っているようです。わたしはその作品を、冬コミックマーケットのスペース中止のニュースではじめて知ったのですが、硫化水素がどうのとか、警察出動がどうのとかより、
「ほくろと読むのかくろこと読むのか」
 ですごい悩みました。普通に読んだら「くろこ」かもしれないけど、でも、でもなあ、心太と書いてところてんだぜ?泣きぼくろとか、そういう顔に特徴的なほくろのある主人公がいて、その主人公がバスケをやって成長していく話かもしれないじゃあないか?
なぞと小人さんとわたしの葛藤があり、結局N氏にそれとなくたずねてみると、「くろこ」で合っているとのことでしたけれども、重ねて、
「ほくろとか読んだらファンに殺されんで」
 とか言われました。ファンのひとごめんなさい。でも殺す前にできたら話し合いがしたいです。
 フェイトと言う作品も、題名だけ知っていて、こないだピクシブでちょっと丹野忍似の絵をかく人がいて、おお、きれいだなって眺めておったのですが、わたしのフェイトの知識はそれしかありません。で、その人がえがくフェイトのキャラクター図から、フェイトという作品を深読みしてみたのですが、
「Kariyaという白い髪のジャージを着た青年がいて、カリヤは物語の主人公のライバルの位置にいる。カリヤはベルセルクというやつと主従の関係を結んでいる。ベルセルクと言うのは、黒髪長髪で、黒い鎧を着た美丈夫。で、主従の間で若干一線越えている。でもわりと切ない系のツン主従。カリヤはたぶん、顔のかんじから言うと、顔及び体に契約の印か、なんか、力を得るために無茶な施術をしており、いのち削って頑張っちゃってる。ベルセルクはカリヤをいたましく思うのだけれど、結局口をはさめずぐったりしたカリヤをお姫さま抱っこしながら今日も町をさまよう」
 みたいな作品なのかなあと思っているのですが、すいません、ファンのひとすいません、絵を眺めただけで、本気で作品を知らないので、アホがすごい予想したくらいにとらえていただけると幸いです。
 そんなかんじで、テレビと言うものをあまり見ないのですが、現在見ているテレビと言えば、ニュース、天気予報、NHK大河、ジョジョ、あらいぐまラスカル(録画)、ハンターハンター(J君が見てる)、まぎ!(J君が見てる)、ハイジ(J君が見てる)、それくらいであとはもっぱら動画見てることが多いです。バラエティほとんど見ないので本気で時流についてゆけていない、
0129 だがワインだったらまだ十二分さ
 これをデレとよんでいいものかどうか。
 辞書と半日ほどにらめっこしてみたのですが、まあ、わたしの脳内辞書は Youこれはデレに入ると思うYO!と言ってきたので、そういうことにし……いやデレじゃないな。デレっていうかキレだな。日頃ツンだった人間を窮鼠猫を噛む的においつめるとどうなるかって言うと、デレずにキレたっていう……司教の愛情表現のつたなさと不器用さ。あと若干先生がヘタレ。逃げちゃだめだ!逃げちゃだめだ!
 司教もあれで立派に成人男子なので、なんというかやられっぱなしは面白くないかなって思って、もうどっちがマウントポジションとるかで三日ほど悩んだのですが、どっちがどっちに転んでもおいしいよネーって小人さんが色々ささやくんで、書いちゃあ消し、消しちゃあ書き、書いてるうちに10ページほど消し飛び、涙目にもなりましたが便座ブロックのおかげで無事に司教winになりました。ブロックはもう思い出すだけで笑ってしまう。笑わせてくださってありがとうございます。
 あと、もとのネタは司教さま舐めしゃぶる→かーらーのー→ハインケル目視、だったはずなのですが、改変してたらまったく別物になったって言うもう通常営業ですね。寄り道たのしいね。寄り道過ぎてまったく別方向ベクトルいくけどね!
本気になったらわたしのほうが【酒に】強いことを忘れないでください、がサブタイトルかなあとか思いながら、誤字脱字あったらお知らせください。わりと消えた部分をあらためて勢いで書いたので、自信がないのもいつものことです。

拍手お返事>>
 いつもパチパチありがとうございます!
 ●龍さま> 椿ってそんな意味があったんですね。もう司教ぴったりすぎてコメントだけでにやにやしました。おめでたい頭です。天野月子姐さんの、「カメリア」きいてたらあんな感じになりました。
0126 スノーダンスブレイク祭り(俺一名参陣
 私小説と言うものが好きなようです。好き、というのかどうか判りませんが、たとえば設定や全体の構成、トリックが絶妙に配置されたものよりも、人間一人がわりとちみちみと悩んだり、悩まなくても深刻な場面で別のことを考えたりする。それをうまくあらわしている文章と言うものが好きなようです。
 たとえばどういうわけかしらないが、わたしは小学生のとき、決まって親に怒られていると脳内にトトロの音楽が流れて困りました。尻っぺたたたかれて、玄関の外に出されてしばらく立ってなさい、と言われ、びーびー喚き、ごめんなさいもうしないからごめんなさいと泣きながら、脳内にトトロの音楽が最初から最後までエンドレスで流れてくる。泣いていて悲しかったり反省している気持ちはほんとうなのに、どこか冷めてトトロ流れてるのに大泣きするとかおかしくね、とか突っ込むわたしもいる。ふざけているわけではないのです。
 身内がの呼吸が徐々にゆっくりになり引き攣れて、そのうち止まってしまったのでナースコールをし、看護婦や先生がばたばたと駆けつけ酸素吸入なぞされるなか、その身内の名を呼びぼろぼろ泣きながら、テレビでこういう場面よく見るな、とか頭の片隅で思っていたりする。そうして誰も気にしちゃあいないだろうにみっともなく取りすがるのだけはやめようとか、先生はどのあたりで死亡判定するのかなだとか、判定されたら親族にとりあえず電話しないとななんて次の算段を考えていたりします。二面性というのか多面性と言うのか判りませんが、人間の感情なんてひとくくりになんかできないような気がわたしはしていて、だからそうしたどろどろと言うのとはすこし違うかもしれないが、心のゆらぎ、思考がAになってBになり一旦Aに戻ったかと思ったらいつのまにかCしている、そうしたうまく説明できないあいまいさ、そうしたあたりを書いている文章と言うものに憧れているし、実現可否はべつとしてそうしたものを書いてみたいと思う。
 学生のときに友人が有栖川アリスの館シリーズを何冊か貸してくれたのですが、ひと通り読んでみて、どうも火村せんせいが超然としているというか、ミステリーのトリックは功名でも、でてくる人間は希薄なような気がして、おもしろかったけれど接着剤がはがれるまで繰り返し読むほど好きではありませんでした。で、つづけて友人が貸してくれた御手洗シリーズのほうにわりと傾きました。友人は最初の一冊しか持っていなかったので、その後の単行本ずらずら集め、それなりに読み返していたのですが、そのうち御手洗でも満足できなくなり、最終的に京極とか夢枕獏とか太宰治とか中島敦にたどりついた。
うんちくや雑学が読んでいて増えるのも楽しいが、なにが秀逸かって、このひとたち、心の機微を書くのが上手ってレヴェルじゃあない。もちろん作家と言うお仕事なので上手じゃなけりゃお金がもらえず困るのでしょうけれど、読むたびにやられたって思う。ストーリーだのトリックだのはどうでもよくて、言葉で言い表せない人間と言うものを、言葉で言い表しているところがどうしようもないです。
 とかいう話をN氏に滔々と語っていたら、どうもわたしは私小説が好きなんじゃね、て気がつきました。作者の感性がむき出しになっているような話が好きなのかもしれません。
 なぞと思いながら図書館に行って本を借りてきたのですが、ストーリものを読む気力はなく、マタギの食生活だの、山禍の由来だの、日本各地の妖怪、幽霊の伝承だの、民話に隠された村社会だの、一緒に図書館に行った人に、え、そんなんなんで読むのってわりと素でドン引かれた。ぱらぱらと読んで実生活にまるきり関係のない知識を増やすのが好きなのかもしれません。

 追記:ひいじいさんはヒゲだった。
0125 ぐぬぬぬ
 先生わんわんお、アップしました。なんじゃこりゃー。自分で書いててそれしか言えなくなりましたが今までで一番時間かかってるとか何かの冗談でしょうか。もうやんない。むかーしむかしに書いたトトロネタをおぼえていらっしゃる方がいてわたしが恐怖におののきましたが、そのトトロネタをひねくり回すとこうした具合になりました。まさにどうしてこうなったし。
 たぶん今がどん底じゃないかなとか思うわけですけれども、これから上昇してくんだよ……きっと……きっとね!いちゃいちゃに発展する気はあります。気概だけは!
とりあえず
●ドリカム snow dance 
http://www.youtube.com/watch?v=bcKq1nU0Wro
●書上奈朋子 愛されない恋人
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm10452907#!sm9488783
●Zelda water lovers
 https://www.youtube.com/watch?v=Yv3KGa-n5cQ
●椎名林檎 ギャンブル
 http://www.dailymotion.com/video/x3q98h_pv-yyyy-yyyyy_music
●谷山浩子 わたしを殺さないで
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6886189#!sm5209167

こう見るとわたし欝系ソング大好きだなってことにきがついた。


 平沢師匠の書く詞は、日本語がきれいすぎてなんでこんなのが書けるのか判らない
0124 ええいあああ
 男泣き、という言葉があります。
 わたしが知っているものが男泣きかどうか判らないが、身近で男のひとが泣いているのに何度か遭遇したことがあります。ついひと呼吸前までなごやかに談笑していて、涙の前兆なぞ微塵も見せなかったというのに、次の瞬間いきなりばっと顔を伏せ、おさえた両のてのひらからぐふっ、ぐふっ、と呻きを漏らして泣くのです。大声を上げるわけでもなく、しくしくと鼻をすすり泣くわけでもなく、しかし泣いている以外のなにものでもない。男のひとが泣いているのを見てわたしは哭く、と言う言葉を理解したように思いました。おかげでこっちが泣いていたはずなのに、びっくりして涙がひっこみました。もらい泣きと言う言葉があるが、相手が心底、本気の本気で泣いているとき、そのあまりの衝撃にこちらはもらって泣くことなんてできないのです。すくなくともわたしはそう思った。
 女は泣いて感情を調節する生き物なのだそうです。たいして悲しいことがなくとも、月々の排卵だの生理だののホルモンバランスの調整で、かならず泣きたい日がある。泣かずともしんみりするというか、妙に落ち込んでなにをしても楽しくなかったりする日があります。若い頃は毎度そうして落ち込むたびに、泣けるビデオなんぞ借りてきながら、わたしはどうしてこんなに落ち込みやすいのか、一般社会とかいうものと折り合いがついていないのじゃあないか、だとか思い、それこそくよくよしたこともありましたが、次第にそれがべつになにかいやなことがあった訳ではなくて単純にからだの具合なのだと気が付いたらえらく楽になりました。いまじゃあそうしてダウンの日がくると、とりあえずこのしんみりした気分のときにしか書けないしんみりした話を書こう、だとか思っている。オタク根性って怖いですね。年の功と言うのか判りませんが、だとしたら、年をとるというのも悪くないことだと思います。
 女がじんわりと徐々に感情が高まり涙がにじむのと対照的に、男のひとは一気に決壊すると言いますか、ワインを飲んで急上昇して急降下、みたいな、子供が一瞬前まで遊んでいたのにいきなりゼンマイが切れてぱたんと倒れ込んで寝てしまう、みたいな、まったくたとえになっておりませんが、そんな感じなのカナーと思っています。残念ながらわたしは女であるので、男を観察することはできても男そのものの生きものにはなれません。想像することしかできないのが口惜しい。最近、男のひとが泣く状況とかを考えることが多いので、一瞬でいいから男の脳味噌とドッキングしたいなあしたいなあとそればっかり考えている。きっとものすごく別世界が広がっているのじゃあないかと思うのですが、どうなのでしょうか。
0123 いろんな意味で
 涙が出ました。
【千手観音に往復ビンタをさせてみた】
https://www.youtube.com/watch?v=cRBoto9OMkI>
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0121 雪に遊ぶ
 今年初めての雪あそびしてまいりました。
 もうすごかったです。雪が。というか靄が。霧で前が見えない。
 霧というか靄というか雲の中ですべっていたような感じだったのですが、前方の視界どころか空と地面の区別も白一色で、足元の段差も一色で本気で何も見えないのです。どうして今日こんなところに来た。思わないでもないですが、同行者がぶうぶう言っていると逆にこちらは何も言えなくなるというもので、まあ行ったところはさほど急な傾斜もなかったし新雪だったので、今日は練習と思って割り切ろうと思ってストックに頼らない滑りを目指してみました。
 しかし本気で、この雪の中司教が路頭に迷っていて、先生が雪だるまになりながら助けに行くといいなとかそんなことを思っていました。わたしの中で聖書ワープは限定された状況下でのみ使用可能(一日一回とか)で、相手の座標判ってないとワープできないので結局先生徒歩移動が多いです。
0119 全国子供電話相談室リアル
 Q. あんたいったい、デレに発展する気があるのかね?
 A. ヒャッハー

 先生は犬、うpしました。とかいってぜんぜん先生視点じゃない。むしろオリジナル乙。通常運転ですね。あと「私にはあなたしかいない」のは先生じゃなくて、司教の方じゃないの?とかいう突っ込みはエビフライです。
 前に書いた、赤い冠と白い冠、銀貨三十、のあたりとちょっとつながっているというか、つながっていないというか、そんな感じです。
 楽園の果実病はやくなおりますように!

●追記●
 下書きさらしというものをやっておられたので、こっそり便乗しました。
 ぱらぱら漫画みたいで面白いですね。
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0118 柳田國男を本腰入れて読もうかという気になってきた
 月が出ていて星も見えているのに雪が降っている天気があります。お日様が出ていて雨が降っていたならそれはお天気雨か、狐の嫁入りとでもいうのでしょうが、雪の場合は何というのでしょうか。見たことがないひとに言うと、それは山のほうから雪が風で運ばれてきているから、月が見えているのに雪が舞っているんでしょうと言われます。そうじゃあないと言っても笑顔でいやいやいや、と言われる。一度見てほしい光景です。
 見てほしいと言えば、以前、友人数人と、東尋坊と言うところに行きました。行ったそのときはそこがアイキャンフライの名所だということはつゆ知らず、まあ落ちたらわりとミンチになっちゃうなあと思いましたが、言いたかったのは高さや岩のけわしさのことではなくて、ふと顔を上げたときに沖のほうからこちらに向かってまっすぐにやってくるしろいものです。
 海面が、あるところから綺麗に左右ふたつに分かれていて、右側は黒、左のほうは白いのです。で、潮の流れにしてもあまりにはっきりと分かれちゃあいないか、そもそもさっきまであんな二分化はなかったよなあと見ているうちに、あれよあれよと沖の白い色が黒を席巻して近付いてきて、で、なにかと思ったらにわか雨でした。一歩こちら側は降っていないのに、一歩右側にゆくと土砂降りなのです。冗談かと思いました。
 県境の、こっちが宮城県、こっちが山形県、みたいな気分で友人と土砂降り側と晴れている側に分かれて手をつないで立ってみた。雨側に立ったわたしはご多分に漏れずパンツまでびしょ濡れになったのですが、その雨も、三分ほどしたらまたどこかへ走り去ってゆきました。いるかいないかしらないが、あれが妖怪のしわざと言われてもわたしは納得すると思います。体験したのは別にわたしたち数人ではなくて、周りにいた人たちも同じだったので、夢や想像でなかったことはたしかです。

 先生と司教をダブルで書いているとどういうわけか先生が司教にやさしくなくて困る。デレない原因はこれかと思いました。これかと思いましたが、先生がやさしくなくて傷つく司教もわたしは大変に好物なのでまあいいかと開き直った。
0116 笑い笑え 泣き 笑え
 こないだトゥイッターでひとり祭りを開催しておったわけですが、「犬との十の約束」をこねくりまわすとおいしくね?とかいう腐ィルターのもとに、とりあえず一度泣かせてみたかった先生をヒーヒー言わせました。
 ごめんなさい。嘘です。
 わたしの中で常に先生はゼロか、百かの両極端で、性癖で言うならドSかドM、めちゃくちゃ器用か破壊的に不器用か、うわばみか果てしない下戸か、みたいな感じで、感情爆発にしても、もうすべて諦め受け入れきってしまっていて虚感情か、いちいち子供のしぐさに目を潤ませてしまうか、そんなどちらかのイメェジだったのですが、いざ挑んでみたら単にメソメソになったっていう ^q^ あれれれ。
0115 常に気を抜かない
 ひとを殺しそうな眼をしているレルヒさんですが、どれくらい日常生活で殺気をはなっているのかというと、

 こんな感じで何をしていても目が笑っていません。
 でもって、このひと、公式認定で身長が、250㎝超えです。もはやアンデルセン先生ですら見上げるレヴェル。
 その身長の着ぐるみが、たまに湯沢あたりのゲレンデで滑っているそうです。ちなみに、
「子供が本気でおびえて泣き叫ぶ」
「身長250㎝のレルヒさんが斜面で転ぶと大参事」
 のあたりの問題点は、なかったことにしたみたいです。
 こわい。
0114 ひとを殺す目をしている
 ひとを殺しそうな目、というものがあります。
 ほんとうに人を殺したかどうかはともかく、その目の奥に隠した狂兇とした色と言いますか、こいつを怒らせたらちょっとまずい、なるべく関わることをやめておこうと思わせるような、そうしたうちに隠した獰猛をこめた眼のことだと思います。
 で、わたしが、新潟に来て恐れおののいたキャラクターがいるのですけれども、まあ、百聞は一見にしかずと言いますか、

 レルヒさんです。
 新潟のキャラクター、スキーを日本に広めたというひとらしいのですがもうそんなことどうでもいいほどにこの人の目は笑っていません。
 本気で司教に怒ったアンデルセン先生の六巻のときの目より、狂気に満ち溢れています。
 こわい。
0112 だから人間はおもしろい
 自分が想像していたものと相手の想像していたものが、突き詰めて話し込むとまったく異なったものを想像していて話していることがあり、目の前にいて話をしている人間ですら、相手の脳みそをじかに電極だかなんだかでつながないと相手が本当のところどう思っているか、どう感じているかなんて判らないっていうのに、(つないだところでどうなのか、やったことないのでわかりませんが)ましてや文字で追う世界なんて相手の想像力というか判断力に頼る部分がじつに多いわけで、なにを言いたいのかというと、言葉の使い方には気をつけねばなあと思った次第です。
 小説の文章で、自分が意図しない解釈を読んだ相手がしてくださるぶんには、あまり害はないですが、チャットだとかトゥイッターで自分が大幅に言葉を省き、例えば相手がその情報を知っている前提とする、相手が今ノリでいうとハイになっている状態とする、だとかほとんどの部分を相手に頼っているわけで、それで相手をむっとさせたり傷つけてしまったりすることがわたしは一番に怖いのです。
 文字だけで意図を読み取るだとかいうのはもしかすると日本人独特の感性なのかもしれません。平安時代にお姫さまが、恋人相手に和歌読んで、「今日はいい天気ですね」とあいさつしただけのつもりの歌が、うけとった相手が「あなたの好きにしてください」ととってしまいヒャッハーになるとかいうのはわりとよくあったみたいで、そこまで大きなことじゃあなくたって、たとえばチャットしていて、
「ほうほう」
 と書くとなにかきちんと相手の話を親身になって聞いているように見えるけれど、
「ほう」
 だと、偉そうだとか、
「ほー」
 だと肩の力抜いてて深刻ではないけれど一応聞いているよ、みたいな、相槌ひとつとっても印象が違うような気がする。目の前にいたら自分がどんな顔でいるか、相手に文字以外の五感で感じとってもらえるので苦労はないが、百聞は一見にしかずとは昔の人はよく言ったもので、いまや百聞どころか相手から伝え聞いてもいない、ネットの文字で判断するコミュニケーションというものを、わたしはちょっと勉強すべきかもしれません。

 ところで鬼のことをN氏が日記に書いておりましたが、わたしの鬼のイメージは、ひょうきんというよりはだいぶんかなしいイメージで、一番説明しやすいのはあれだ、夢枕獏の陰陽士にでてくる鬼のイメージだ、あの、思いが凝り固まって人ではない別の生きものになるかなしさ、それでも人でありたいせめぎ合い、そんなあたりの切なさがわたしの鬼のイメージです。

 わかっております。みんな、わかっております。わかっていても、ああ、わかっていても、ひとは、鬼になるのでございますよ。
 憎しみや悲しみを癒す法がどのようにしてもこの世にないとき、ひとは鬼になるしか道が無いのでございます。

 中途ちょっとウロ覚えですが、そんなことを鉄輪の鬼が死ぬ間際に言っており、わたしゃもうズガンときたね。二十歳くらいに読んだ記憶があるので、もう十年以上前ですか、職場の人間にシリーズ全部貸したまま引っ越し繰り返してかえってこなくなりました。また揃えようか。
0111 にやける、がニヤニヤすることじゃないのをこないだはじめて知った
 ざかざかと書いた文章のたぐいを、オリジナルやら二次やらで書くフォルダに分けていますが、たとえば「皇帝と猫」とか、「おっさんと幼女」といった具合です。でもって、二次のフォルダはひらがなで「てんしきょう」とか付けられていて、自分で見るたびああこのひと頭おかしいんだな……ってなまあたたかい気持ちに陥ります。自分で自分をあわれむとか、高等テクニックをおぼえたようです。やったねポエ☆ちゃん!おいばかやめろ。
 このあいだ、どこかで、「来年の話をすると鬼が笑う」というようなことにふと疑問を抱き、ためしに同居人が目の前にいたので、いったいいつまで来年の話をすると笑われる期間に入るね?とたずねてみたところ、同居人はまずその言い回しを知らず二人で互いにえっえってなりました。
 そんで、だめだ話にならないかとわたしがあきらめたのですが、しばらく考えてたっぽい同居人がふと、
「鬼が笑うといけないのか」
 とかわたしに聞くのです。聞かれて今度こそわたしはうわあってなって、なぜならそう相手に言われるまで、わたしは「鬼に笑われる」ということがえらく不吉なもののことだと頭から信じて疑わなかったからです。暗闇で般若のお面が宙に浮いていてニタアアアと笑うイメエジだとずっとおもっとった。
 しかし、言われてみれば、笑うという行為自体に何ら不吉なものはなく、そもそもどちらかというとめでたい行為のはずで、わたしはずっとどうにも不吉なことなのだと信じ込んでおり、だからあんまりはやくから来年の話をすると、よくないことが起きるよ、みたいな、夜中に笛を吹くと蛇がくるよ、みたいなかんじでそれ以上考えたこともありませんでしたけれども、鬼が笑うって言うのは、わたしが想像していたほくそ笑むほうの笑いではなくて、げらげらおかしくて笑うんじゃあなかろうか、おいおいお前さん今から来年のはなしするのかい、ちょっと気が早すぎじゃあないかね?的な笑いだったんじゃあなかろうかと思うと、なんというか目からうろこと言いましょうか、自分のせせこましい思い込みがぽろりと剥がれた気がいたしました。
 そういう素朴な疑問を持つのに、言い回しを知っていようとなかろうとあまり関係のないことなのだとあらためて思い知った次第です。本を読まないひとのほうが、本を読まないぶん、頭がやわらかいのじゃあなかろうか。
 謙虚にならねばなあ、と思います。
0110 われ思うゆえに
 わたし十月半ばから、三十前のオッサンと、五十手前のオッサンしか書いてなくない?

 ということに唐突に気付いて、まぁべつにそれで世界が崩壊するわけでもないのですが、試しに書けるかどうか的なテストでこまったときのレイディさん早書き五分勝負。このひとらも夏あたりからお話し進んでないですね。
 雪の野郎がわりと本気を出してきて、寒いなあと思っていたのですが、どういうわけかわたしの頭の中はまだ真冬じゃあないという認識があり、昨日ふともうお正月もすぎたし真冬と認定してもいいんじゃあないか、そんなわけで真冬用のお布団出しました。
 二枚重ねであたたかいのですが、寝返りがうてなくて困ります。
最終更新:2013年02月22日 05:38