北カフカスに関する「神話」はいかにして生まれたか?


ロシア連邦・北カフカス連邦管区。この地にまつわるあやしげな「神話」の数々は、実は政治的な影響を大きく受けたものであった。その興味深い起源をご紹介しよう。

1.ナルコマン伝説


ナルコマン-ロシア語で「中毒男」を指すこの伝説は、チェチェン共和国の広い地域とダゲスタン共和国の一部で語られる。その内容は「あるイスラームを信仰する平和な村に奇妙な男(ナルコマン)がやってきて、その村を酒・強欲・姦淫などで堕落させてしまう」というものだ。

この伝説は主にムスリム住民の間で語られ、それが始まったのは30年程前の事だという。ロシアの民俗学者であるアスラン・ナレンディエフ氏はこの神話の発生源について、「1991年に始まった第一次チェチェン紛争において、自称『チェチェン・イチケリア共和国』が流したプロパガンダが発祥である」ということを突き止めた。彼曰く、「ナルコマン」とはロシア人のステレオタイプであり、「村」はチェチェンを現しているという。

2.『新年の復活』神話


誰もが新年を愛している。だが、ダゲスタン共和国のギムラ村に住む人々の「新年」への愛情はあらゆるロシア人よりも深い。彼らによれば、グレゴリオ暦における新年(1月14日)に伝説的な民族英雄であるシャミールが復活するとのことだ。そしてその年は何と2024年である。

無論、この神話の正体はチェチェン紛争中のプロパガンダである。シャミールはロシア帝国(当時)との戦いで1871年に死亡したが、自称『チェチェン・イチケリア共和国』政府は彼を民族的・宗教的英雄として祀り上げた。そうした流れが、「復活説」のような迷信をたきつけたのである。シャミールはイスラームの英雄だが、皮肉なことにこの神話はロシア正教(キリスト教)の「イエスの復活」の教義と酷似している。

3.ノヴォ・ナルト


現カバルダ・バルカル共和国及びカラチャイ・チェルケス共和国に存在する、欧州随一の標高を誇る高山、エルブルス山は、長らくソ連の誇りであった。しかし1942年、同地を侵略に来たドイツ軍のA軍集団指揮下の山岳部隊は山を登頂、頂に旗を立てた。ソ連政府は、誇りを傷つけられたと感じたに違いない。そうしてその屈辱を矮小化すべく、プロパガンダが作られた。

その内容は、エルブルス山でドイツ軍と戦ったグルジア人赤軍将校、デメトレ・アブラゼの英雄化である。彼が戦闘でかなり大きな戦果を挙げたことを利用し、ソ連政府は南ロシア全土でアブラゼを過剰に賞賛した。時が過ぎてもその賞賛は残り、いつしか地元の神話「ナルト叙事詩」の登場する神の一人にアブラゼは加わるようになった。「エルブルス山を守る神」としてである。従来の叙事詩にアブラゼをくわえたものは「ノヴォ・ナルト」と呼ばれ、未だに両共和国の一部で信じられ、また崇められている。


 *もし、本物の神話がみれると思ったのに偽物ばかりで憤っているのなら、ご心配なく!以下の記事をご覧ください!


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昔の友を思い返すと、胃が痛む。

僕はたったの17歳だった。なのに、全てを見てしまった。エルブルスの西斜面で。老人が死の間際に見て、自我を統合し、この世のすべてを悟るような光景を、成人もしないうちに見てしまったんだ。だから僕は傷心した。

人が生きたまま肌を剥がれ、首を切られる映像を幼児が見たとて、彼等は本能的な恐怖は感じても、理性に基づく恐怖は感じないだろう。しかし、もし彼らに理解する力があったならば、彼等は受け入れがたい現実に直面し、そしてその人格は壊れてしまう。僕の経験はそれと同じだ。中途半端に脳は発達していたが、心は受け入れられる状態ではなかった。

だから、僕は支離滅裂なことを書いているかもしれない。だから、「ロシア連邦北カフカス連邦管区」は存在するのかもしれない。僕がエルブルスでの一件に触れ、その一部始終を目の当たりにしたから、世界は変わったんだ。クサヴェリー・ポノマレンコが人肉を食べたから、世界は変わったんだ。コンスタンティンが首を吊ったから、世界は変わったんだ。イカれてる。

だけど、僕の仲間を失ったトラウマは、世界が変わったことで和らいでいく。もしかしたら、エルブルスで見たことも、仲間の存在も、北カフカス連邦も、すべて忘れてしまえば幸せになれるかもしれない。それに抗う自分がいないことはないし、部屋の隅か、もしくは鼻先では蹄鉄の音が鳴る。でも、立ち向かって心をズタズタにして、廃人になるよりはマシだろ?

1月27日に神を信じた。2月8日に神を恨んだ。最近、神に感謝した。そして今、知るべきではなかったことに蓋をする。「知らぬが仏」だから。


ジェミヤン・ムラデノフ、2023年7月13日
最終更新:2023年07月14日 23:59