北カフカス
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北カフカス連邦(きたカフカスれんぽう、ロシア語: Северо-Кавказская Федерация、ロシア語ラテン翻字: Severo-Kavkazskaya Federatsiya、英語: North Caucasian Federation)、通称北カフカスは、北コーカサスにある連邦共和制国家。首都はクラスノダール。東ヨーロッパ、もしくは西アジアに区分される。北にロシア連邦、西にケルチ海峡を挟んでウクライナ、南にジョージアとアゼルバイジャンと国境を接する。北コーカサス(きたコーカサス)とも呼ばれる。
北カフカス連邦
Северо-Кавказская Федерация
国の標語 |
Кавказ, мы клянемся тебе в верности.(カフカスよ、我ら汝に忠誠を誓う。) |
国歌 |
Молодой казак идет в бой(ロシア語) 若きコサックは戦場に赴く |
公用語 |
ロシア語 |
首都 |
クラスノダール |
最大の都市 |
クラスノダール |
政府 |
大統領:メロー・バルニコフ 首相:ジャムブラート・ハトゥオフ 連邦最高議会議長:キリル・ミシュコ |
面積 |
統計:253,785km²(第77位) 水面積率:3% |
人口 |
統計:14,790,084人(第73位) 人口密度:58.3人/km² |
GDP(自国通貨表示) |
合計(2020年):3兆5277億6400万ナハール |
GDP(MER) |
合計(2020年):1484億ドル(59位) 1人あたり:10,033.75ドル |
GDP(PPP) |
合計(2020年):5950億800万ドル(42位) 1人あたり:4万230.19ドル |
独立 - 日付 |
ロシア連邦より 1992年1月11日 |
通貨 |
ナハール(NCN) |
時間帯 |
UTC +3(DST: なし) |
ISO 3166-1 |
NC / NCF |
ccTLD |
.nc |
国際電話番号 |
7 |
概要
歴史上、数々の国に支配されてきた国家の一つである。かつてはソビエト連邦の構成国家、ロシア共和国を構成する地域として機能していたが、ソビエト連邦の崩壊によって独立を果たした。但し、ロシア共和国時代に現在の北カフカスの領域に相当する地域がまとまりを持って統治されていたということではなく、それぞれの地域が州もしくは自治共和国(ASSR)として個別に運営されていた。
歴史的、地政学的な事情より北に位置するロシア連邦の政治的影響が強く、親ロシア派と反ロシア派の政治闘争が非常に激しいとされている。また、それに加えてロシア人・ウクライナ人・チェチェン人・アディゲ人・オセット人等多数の民族を内包する多民族国家であり、民族間の対立も激しいため、「ヨーロッパでも有数の政情不安を持つ国」とされている。
国名
正式名称はロシア語で、Северо-Кавказская Федерация(ラテン語表記はSevero-Kavkazskaya Federatsiya)。
公式の英語表記は、North Caucasian Federation。通称、North Caucasus。
日本語の表記は、北カフカス連邦。通称、北カフカス。なお日本では90年代から2000年代初頭にかけて、英語表記(North Caucasus ノース コーカサス)に従った北コーカサスとの名称が一般的であったが、在日北カフカス大使館が北カフカス表記を主張したため、現在では北カフカスの名称が一般的である。
漢字表記は北高加索。略称は北高もしくは高。
歴史
詳細は「北カフカスの歴史」を参照
人類到達と諸民族の形成
この地域には人類が古くから住みついていたことが分かる証拠として、紀元前9500年ごろの金属器が発見されている。また、紀元前4000年ごろからのマイコープ文化やクラ・アラクセス文化(英語版)(紀元前3500-2200年)の遺跡が発見され、大変多くの金属器が出土し、銅石器や青銅器文化であったことが分かった。 古代には北コーカサスはアゾフ海東岸・カスピ海西岸の草原地帯で興亡したキンメリア、スキタイ、フン、アヴァール、ハザールなどイラン系・テュルク系遊牧民の国家の支配下にあった。山岳地帯では先住のコーカサス諸語の話し手たちが居住しており、イラン系やテュルク系の人々と交じり合って文化的・人種的影響を受けつつ独自で多様な言語と文化を保った。
ハザール・ペチェネグの支配
6世紀末、東方で成立したテュルク系部族によるハザール・カガン国がカスピ海沿岸およびカフカスからアゾフ海のステップに進出した。以降、北カフカスの大部分はハザールの支配下に置かれることとなる。一方、南部ではアラン人の集団が勢力を保った。ハザールは10世紀になると衰退し始め、965年、キエフ・ルーシの大公スヴャトスラフ1世の遠征で、ハザール・カガン国は事実上崩壊した。代わって同地の支配権を握ったのは黒海北の草原(キプチャク草原)で形成された遊牧民の部族同盟、ペチェネグであった。彼等はその後約2世紀半に渡って、この地で勢力を保った。12世紀に入ると、ペチェネグは民族としての解体を始め、現北カフカスの大部分には再び諸民族が割拠し始めた。
ペチェネグとその周辺国
モンゴルの侵攻とオスマン帝国の進出
13世紀にモンゴル帝国軍が到来すると、北カフカスの大部分はジョチ・ウルスに、南東部の山岳地帯はイル・ハン国に分割された。この時、長らく勢力を保っていたアラン人の勢力もこの中に組み込まれた。14世紀以降はイスラム化が進んだ中央アジアのテュルク系遊牧民に代わるマムルークの供給源として、イスラム勢力との絶え間ない接触を続けた。ジョチ・ウルスはアゼルバイジャンをめぐってイル・ハン国と度々戦争を行ったため、カフカス山脈は両国の争いの前線となった。1502年にジョチ・ウルスが崩壊すると、北部ステップ地域はジョチ・ウルスの系統を受け継ぐクリミア・ハン国と、南部から進出したオスマン帝国が分轄した。1478年にクリミア・ハン国はオスマン帝国への従属を表明していたため、この地は事実上オスマン帝国が支配することとなった。南部山岳地域では再び諸民族が勢力を盛り返し始めた。
14世紀の北カフカス。紫色がジョチ・ウルスの領域で、橙色がイル・ハン国の領域
ロシアの進出
16世紀以降、オスマン帝国とクリミア・ハン国による支配が続いていたが、同地は多数の民族が入り組んでいた。これらの民族の間に、17世紀以降コサックを先頭にしてロシア帝国が南下を始めた。ロシアは同時期の露土戦争において、オスマン帝国の勢力に対して対抗し始めた。1783年4月、エカチェリーナ2世の命令により、右岸クバンとタマン半島はロシア帝国に併合された。1792年から93年にかけて、それまで黒海北岸に居住していたザポロージャ・コサックがクラスノダールのステップに移住し、同地のアディゲ人の勢力を南へと追いやった。これにより、ロシアの勢力は沿クバン川にまで拡大した。1763~1864年のコーカサス戦争の過程で、ロシアは1829年までにオスマン帝国を南へ押し戻し、1830年代から黒海沿岸に橋頭保を築き始めた。
南部山岳地帯の征服とコサックの発展
18世紀後半に、ロシアはクラスノダール周辺のステップ地域を「黒海コサック軍の土地」とし、移住してきたコサックは徐々にこの地域独自のクバン・コサックを形成し始めた。クバン・コサックは「黒海コサック軍」としてロシアに忠誠を誓った。1860年、コサックを中心にロシア帝国の構成体として、クバン州(英語版)が設置された。
19世紀には黒海コサック軍によりオスマン帝国の影響は排除され、南部山岳地帯もロシア帝国に併合されたが、ロシア化に抵抗する諸民族との戦争(コーカサス戦争)はロシア帝国を大いに苦しめた。チェルケス人など北コーカサスの民族の中にはロシアの支配を逃れてオスマン帝国へ移住したものも多く、現在も旧オスマン領であるシリアやヨルダンなどには北コーカサス系民族の末裔が多く住む。
クバン州の紋章
クバーニ人民共和国と山岳共和国
1917年の10月革命により帝政が崩壊し、赤軍と白軍によるロシア内戦が始まると、翌年1月28日にクラスノダールのコサックたちはクバーニ人民共和国を樹立し、ボリシェビキと戦うことを宣言した。同じころ、南部山岳地帯では北カフカース山岳共和国が成立、この国家もまた、ボリシェビキと戦うことを宣言した。当初、クバーニ軍は諸外国からの援助でクラスノダールの支配を維持できた。しかし同年後半よりアントン・デニーキン率いる白軍派の南ロシア軍が同地に進駐すると、クバーニと山岳共和国はこれと敵対した。1919年11月7日、デニーキンが敵対するクバンのコサックの逮捕を実施すると、コサックたちは次第に赤軍側に亡命するようになっていき、残ったコサックたちは南ロシア軍に恭順したものの人心は離れる一方であった。1920年初頭に、赤軍はクバン - ノヴォロシースク作戦を開始し、南ロシア軍は敗北、クバーニ人民共和国と山岳共和国は滅亡し、赤軍の支配下に入った。
北カフカース山岳共和国の国旗
ソ連時代
1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立すると、北カフカス地域は全土がソ連構成国のロシア共和国の支配下となった。ロシア共和国においては、クラスノダールなどのステップ地域は州が、南部の山岳地帯はチェチェン、北オセチアなど多数の自治州が設置された。これら自治州の約半数は20世紀前半から中盤にかけて自治共和国(ASSR)へと昇格した。1941年に開始された独ソ戦において、北カフカスはかなりの地域がドイツ国防軍の占領下に置かれた。ドイツ占領下ではユダヤ人の組織的な虐殺(ホロコースト)が行われた。1944年に、赤軍は同地域を全土解放した。
北カフカス連邦成立
1991年になると、ソビエト連邦は崩壊がほぼ確実となっていた。北カフカスの支配はロシア共和国を受け継ぐロシア連邦が担う予定であったが、これに反発するチェチェン・イングーシASSRのジョハル・ドゥダエフは11月1日にチェチェン・イチケリア共和国の独立を一方的に宣言した。首都はジョハル(現在のグロズヌイ)に置かれた。この動きに触発されて、翌月3日にはチェチェンの隣国、ダゲスタンSSRもアヴァーリスタン共和国として独立を宣言、更にその一週間後には北オセチア共和国とカバルダ・バルカル共和国もそれぞれ独立した。12月25日にソ連が正式に崩壊すると諸民族の独立の機運はさらに高まり、アディゲ共和国、カラチャイ・チェルケス共和国も独立し、クラスノダール市議会も独立宣言を発出した。
ドゥダエフはこれら一斉に独立を表明した国家たちと連邦形成の交渉を開始した。この交渉は翌年に纏まり、1992年1月11日、マハチカラ条約にて北カフカス連邦成立が宣言された。先述の国家群は連邦を構成する共和国として、連邦に編入された。ドゥダエフは初代連邦大統領に就任した。同時に、北カフカス連邦憲法も制定された。
1992年 - 1998年までの北カフカス連邦の国旗
ロシアとの紛争
しかし、このような動きを無視できなかった存在がいた。ロシアである。1992年12月、ロシア政府は本格的な武力行使を開始。ロシア連邦軍は北カフカスに軍事行動を実施する(北カフカス紛争)。しかし、ロシア軍はその圧倒的な軍事力にも関わらず、ソ連崩壊後の混乱と軍事予算の削減によりソ連時代と比較して大幅に弱体化しており、その脆弱ぶりを露呈することとなった。さらにジョハルへの空襲は多数の民間人死傷者を出して国際社会から非難が集中し、イスラーム諸国から多数のムジャーヒディーンと呼ばれる兵が参集する結果となった。ドゥダエフも反ロシアを掲げ、徹底抗戦を行った。しかし1995年になり、戦争が2年を超えると、もともと安定していると言いがたかった北カフカスの経済はひどく悪化し始めた。このような状況に対し、国内のロシア人たちや、チェチェン人と対立していたイングーシ人たちは親ロシアを望み、不満を募らせた。
1992年のジョハル・ドゥダエフ大統領
親ロシア派のクーデター
1997年、ドゥダエフがロシアの特殊部隊に暗殺されると、後を継いだチェチェン人のゼリムハン・ヤンダルビエフは反ロシア路線を継続した。しかしこれに対し、ロシア人やイングーシ人ら親ロシア派は猛反発、ロシア人居住者の多いクラスノダールではロシアへの編入を求めるデモが巻き起こった。
1998年2月10日未明、ロシア人将軍ミハイル・ランキンの率いるイングーシ人部隊がジョハルの大統領邸を襲撃し、ヤンダルビエフ大統領は殺害された。ランキン将軍の部隊はその後速やかに政府庁舎を占領し、チェチェン人高官を全員逮捕した。翌日、ランキンはクーデターを宣言した。ランキンは全権を掌握すると、北カフカスの大統領に就任し、首都をジョハルからクラスノダールへと移した。そしてロシアのボリス・エリツィン大統領に対して、停戦交渉を要請した。
同年5月8日にモスクワ条約が結ばれ、北カフカスは平和と独立の引き換えにロシアの軍事同盟「独立国家共同体(CIS)」への加盟と、ロシア側に有利な条件での農産物輸入、占領下に置いていたスタヴロポリ地方の割譲、国内へのロシア軍駐留を受け入れた。
ランキン政権
ランキン大統領は1998年7月の憲法改正、国旗の現在の物への変更、キリル文字の使用推進とロシア語の唯一の公用語化を通じて、国内のロシア化と、政治の中心をチェチェンなど南部から北部のクラスノダールに移行することを推進した。チェチェン人からは権力を遠ざける政策をとり、1999年12月7日には連邦構成国のチェチェン・イチケリア共和国からチェチェン人と敵対するイングーシ人を分離させ、イングーシ自治州を創設した。2001年10月、旧首都ジョハルはグロズヌイというロシア風の名前に改称された。2004年6月19日に連邦を構成するアヴァーリスタン共和国の都市カスピスクで駐留していたロシア兵がアヴァール人の少女を強姦したことに反発して、大規模な暴動が起こったが、ランキンは政府軍を出動させ鎮圧、多数の死者が発生した。アメリカ合衆国、オーストラリアなどはこれを非難し、北カフカスに経済制裁を科した。
2007年2月11日にランキンは退任した(3期9年の長期政権となった)。
2007年のミハイル・ランキン大統領
第一次クヴァーリン政権
ランキン政権終了後、短命なキリル・ポノマレフ(英語版)政権ののち、5月10日に元クラスノダール市町でロシア人のデニス・クヴァーリンが大統領に就任した。クヴァーリン大統領もランキン大統領から親ロシア的政治を引き継いだ。2008年の世界金融危機で北カフカス経済は落ち込み、IMFの支援を受けるほどになったが後に回復した。2010年、クヴァーリンはウクライナのヤヌコーヴィチ大統領とキエフで会談し、クリミア大橋建設で合意した(キエフ条約)。翌年にはロシアとロストフ条約を結び、モスクワ条約を再確認した。一方で、クヴァーリンは経済の安定化のため西側諸国との関係改善も行った。
2014年に隣国ウクライナでマイダン革命が発生し、親露派のヤヌコーヴィチ政権が崩壊すると、ロシアはクリミア進駐のために北カフカス経由でクリミアに軍隊を派遣した。
クヴァーリン大統領はロシア人支配に反抗する南部の諸民族を抑圧し続けていたが、マイダン革命が引き金となって政権内でも諸民族抑圧と親ロシア一辺倒の政策に疑問を抱くものが出始めた。2015年1月8日、クヴァーリンは国内からの圧力を受けて憲法を大幅に改正し、メディアの統制や反ロシア政党、民族主義政党の解禁など民主化を行った。結果、この改革は国内の政治的対立を大幅に悪化させた。
マフメドフ政権
2016年の選挙で反ロシアを掲げる「カフカス地方の平和のため」党が与党となり、大統領にチェチェン人のルスラン・マフメドフが就任した。マフメドフは反ロシア政策を実行し、政治もロシア人中心から再びチェチェン人らカフカスの多民族中心としたが、このような姿勢はロシアの反発を招いた。
2018年、マフメドフ大統領が南部地域からのロシア軍撤退を要求すると、ロシアのプーチン大統領は懲罰を口実にロシア連邦軍を出動させ北カフカス北部のエイスク一帯を占領した。この一帯が北カフカスの経済の中心地であったことと、ランキン時代からロシアとの貿易に頼り切っており、ロシアが禁輸を発表したことによって北カフカスの経済は破滅的に崩壊した。
このような状況に国民、主に親ロシア派たちは怒り狂い、ロシアとの和解を求め各地で暴動が多発した。
2019年に行われた大統領選挙で親露派政党「北カフカス人民党」から出馬したクヴァーリンは再選を果たし、マフメドフ政権は1期で崩壊した。
北部の町、チホレツクでの親ロシア派の集会
第二次クヴァーリン政権から現在
復職したクヴァーリンはロシアとの和解を進め、同年9月10日にヴォルゴグラード条約で禁輸とエイスク占領は解除された。これにより経済は回復したが、北カフカスはロシアへの更なる従属を余儀なくされた。野党議員はこれを非難した。
復職後も、クヴァーリンの支持率は安定しなかった。2020年の最高議会選挙では北カフカス人民党は過半数を獲得できず、ねじれが生じた。これにより親露的法案は可決が非常に困難になり、国の政治が機能不全をきたし始めた。2021年にはアヴァーリスタン共和国首相のアフマド・オブロフスキーが一方的に連邦脱退の国民投票を行おうとしていたことが発覚するなど、民族対立も深刻になり始めていた。
2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻を開始した。これにより、北カフカス国内に駐留していたロシア軍の多くがウクライナへと移動した。クヴァーリンはこのとき、議会の承認を得ずにロシアに戦車20両をはじめとする重火器の提供を発表した。これに野党勢力と国内の反ロシア派は猛反発した。
同年5月7日、クヴァーリンはクラスノダールのバヴシュキナ通り(ロシア語版)で公用車の後部座席に乗り信号待ちの最中、忍び寄ってきたチェルケス人青年に発砲され暗殺された。暗殺は選挙の直前の出来事だった。暗殺後、選挙は一月延期となった。
同年6月10日、反ロシア派政党「国民の友」党より出馬したアディゲ人のメロー・バルニコフが大統領に選出された。バルニコフはロシアへの重火器提供を中止した。
同年11月2日、ロシアとの国境検問所にて、ロシア連邦軍への動員を逃れるために入国しようとしたロシア人男性ら4人がチェチェン人の国境警備兵に射殺され(モテリ・ポリャナの銃撃事件)、ロシアとの緊張が高まっている。2023年1月5日、政権に抗議する親露派の暴徒が議会を包囲し、連邦最高議会議員3人が死傷する事件が起こった。
政治
北カフカスの国会である、連邦最高議会
メロー・バルニコフ第7代大統領、2022年6月10日就任
ジャムブラート・ハトゥオフ首相
北カフカスの政体は、司法・立法・行政の三権が分立する議会制民主主義(共和制)であり、大統領制と議院内閣制を並立した形の半大統領制を採用している。国家元首である大統領は、3年任期で国民投票によって選出され、首相や政府の閣僚を任命する権限を持つが、それには議会の承認を得なければならない。
国際指標である「腐敗認識指数」の国別ランキングでは、2022年度の時点において126位の状況であり、政治、軍事組織による長年の汚職と腐敗問題が続いている(腐敗認識指数は順位が低いほど腐敗認識される)。
詳細は「北カフカスの政治」を参照
議会
北カフカスの国会は、連邦最高議会であり、一院制で110議席である。全議席は北カフカス連邦を構成する11の連邦構成主体、すなわち、7共和国、2連邦市、2自治州からおのおの10名の連邦最高議会議員が構成主体内でより細分化された選挙区より選出されるが、政党もしくは選挙ブロックは全投票の3%以上を獲得しなければ議席を得ることができない。議員の任期は6年。3年に一度の選挙で半数がそれぞれ改選される。議会は立法、国際協定の批准、予算の裁可および首相の承認・罷免、閣僚の承認・罷免を行う。
緑:国民の友党、ピンク:北カフカス人民党、赤:北カフカス共産党、黄色:輝く祖国党、紫色:カフカス改革連合、オリーブ色:灯火党、灰色:無所属
2021年の連邦最高議会選挙で議席を獲得した政党は5党。それは、反ロシア派で南部を広く地盤とする国民の友党、ならびに親ロシア派で、北部のステップ地帯を地盤とする北カフカス人民党、共産主義政党である北カフカス共産党、中道右派政党で北オセチア・アラニヤ共和国を地盤とする輝く祖国党、さらに、南東部のアヴァーリスタン共和国を地盤とする民族主義派の灯火党である。2023年に北カフカス人民党から除名された議員たちが親ロシア派の極右政党であるカフカス改革連合(KSR)を結成し、連邦最高議会に議席を得ている。
1995年大統領選挙
詳細は「1995年北カフカス大統領選挙」を参照
1995年、ジョハル・ドゥダエフが1期目を満了したことに伴い、大統領選挙が開かれた。
選挙は1月から2月にかけて行われ、北カフカス民族戦線より出馬し、再選を狙うドゥダエフと、無所属で親ロシア派のロシア人のニコライ・エゴロフの一騎打ちの形となった。1月25日の第一回投票ではドゥダエフが首位に立ったが、わずか10万票差であった。
2月5日の最終投票での結果はドゥダエフが15万票の差で勝利し、薄氷を踏む勝利となった。
2006年のニコライ・エゴロフ
2001年大統領選挙
詳細は「2001年北カフカス大統領選挙」を参照
2001年1月から2月にかけて、大統領選挙が開かれた。
1998年の憲法改正により民族主義政党や反ロシア派政党は選挙に参加できず、参加した政党はミハイル・ランキンの北カフカス人民党と、その参政党のカフカス自由民主党、共産主義政党の北カフカス共産党のみだった。
北カフカス人民党のロゴ
2007年大統領選挙(2月)
詳細は「2007年北カフカス大統領選挙」を参照
2007年1月から2月にかけて行われた。
ミハイル・ランキンの政界引退により、ランキンの後継者であるキリル・ポノマレフが北カフカス人民党より立候補していた。ポノマレフはランキン政権下で経済改革を担当しており、その功績が高く評価されていた。
2007年のキリル・ポノマレフ
2007年大統領選挙(5月)
詳細は「2007年臨時北カフカス大統領選挙」を参照
キリル・ポノマレフが4月2日にイングーシ自治州を視察中、交通事故で死亡したため、急遽4月後半から5月にかけて行われた。こののち、大統領選挙は4月から5月に行われることとなる。
北カフカス人民党の参政党であるカフカス自由民主党の元党首だったデニス・クヴァーリンが北カフカス人民党より立候補した。他方では、キリル・ポノマレフの弟で外務大臣であったオレグ・ポノマレフが対抗馬として立候補した。
結果は12万票差の僅差でクヴァーリンの勝利となった。
2015年のデニス・クヴァーリン
2016年大統領選挙
詳細は「2016年北カフカス大統領選挙」を参照
2016年は4月から5月にかけて行われた。
昨年の民主化によりこの選挙には大量の反ロシア政党や民族主義政党、小政党が乱立し、立候補者は46名にまで上った。クヴァーリンは再選を目指す方向であったが、それに対してルスラン・マフメドフのカフカス地方の平和のため党、ムスタファ・シュトーケンの輝く祖国党が有力な対抗馬となった。元々カフカス地方の平和のため党はチェチェンを中心に、輝く祖国党は北オセチアを中心に根強い支持があったが、反ロシア派によって全国的な支持を得るようになっていた。4月29日の第一回投票ではクヴァーリンが得票数最多であったものの、その差は10万票を切っていた。
最終投票の結果、マフメドフが大統領に選出され、クヴァーリンは落選した。マフメドフ陣営はこれを「革命」と表現した。
カフカス地方の平和のため党のロゴ
2019年大統領選挙
詳細は「2019年北カフカス大統領選挙」を参照
2019年大統領選挙は、ロシア軍のエイスク占領と経済の崩壊の中で行われた。
マフメドフ政権はもはや国民からの支持を失っており、代わってこの選挙の有力候補と目されたのはクヴァーリン(北カフカス人民党)、シュトーケン(輝く祖国党)、アレクセイ・ニコラエヴィチ(ロシアと共に党)、そしてヴィタリー・コルニエンコ(北カフカス共産党)の四名だった。選挙直前になって、一番の親露派と目されていたニコラエヴィチ候補がマネーロンダリング容疑で逮捕される事件が発生した。この事件は、親露派の票をクヴァーリンに集中させることに繋がった。
選挙結果はクヴァーリンが当選、シュトーケンは前回から大幅に得票数を減らした。生活苦を背景に共産党候補のコルニエンコは躍進を果たし、クヴァーリンと19万票差につけた。一昨年の連邦最高議会選挙で共産党は野党第一党に躍進していたため、左派の力が強まった。
北カフカス共産党のロゴ
2022年大統領選挙
詳細は「2022年北カフカス大統領選挙」を参照
2022年大統領選挙は、クヴァーリンの暗殺によりひと月延期され、5月から6月にかけて行われた。
クヴァーリンの後継者ボリス・イーギンは当初いい位置につけていたが、選挙期間中に「(クヴァーリンを暗殺したチェルケス人について)奴の民族は銃の打ち方を学校で教えられているのか?」と発言し、これが失言とされ大きく失速した。代わって有力候補となったのは国民の友党のメロー・バルニコフであった。同党は先年の連邦最高議会選挙で過半数の議席を獲得する快挙を成し遂げており、勢いそのままにバルニコフは多くの支持を得た。
投票の結果、バルニコフが68%の得票率で当選した。コルニエンコ、イリヤ・メリコフ(輝く祖国党)、イーギンがそのあとにつけた。
国際関係・外交
詳細は「北カフカスの国際関係(英語版)」を参照
北カフカスの外務省
北カフカスの国際関係
エヴフィミヤ・ティマコワ外務大臣
ロシア
ランキンとプーチン
詳細は「北カフカスとロシアの関係」を参照
北カフカスとロシアは歴史上複雑な関係を持つが、ソ連崩壊後から現在に至るまで緊張が続いている。
ドゥダエフ政権、ヤンダルビエフ政権時代、紛争を抱えていたこともあってロシアとは断交状態であった。但し、エゴロフのような親ロシア派の一部は、北カフカス国内に設置された『在北カフカスロシア人協会 (ロシア語版) 』を通じてロシア政府とつながりを持っていた。
1998年のクーデターにより親露派のミハイル・ランキンが連邦大統領に就任すると、北カフカスのロシアへの外交姿勢は百八十度変化し、世界的に最も親ロシア的な国の一つと目されるようになった。CISへの加盟や、穀物の大規模な輸入協定によってロシアとの関係は急速に強化されていった。また、同様の立場を取るベラルーシ、アルメニアとともに『主権と民族のためのエレバン連携機構 (EPSP) 』と言われる連合を結成し、現在においても民族紛争の解決などに向けて働きかけている(2020年)。
一方で、北カフカス経済はロシアへの過剰な依存によりその不安定さが指摘されていた。2007年に大統領に就任したデニス・クヴァーリンは、2013年ロシアとの関係に対する見解の相違などからアンドレンコ首相を解任。その後は頻繁にドイツ、フランス等を訪問し、西側諸国との政治的・経済的関係を強化させようとするなど、西側諸国との関係修復も模索してきた。2016年の大統領選挙で当選したルスラン・マフメドフ大統領の誕生により、西側との関係改善がより一層進展するものと見られていた。
しかし、2018年初頭から生じたロシアの制裁による経済の崩壊に続き、2019年のクヴァーリン再選、そしてヴォルゴグラード条約締結を通じて、西側との関係は再度悪化した。新政権は、一方でロシアや中国を中心とした旧東側諸国や、第三世界との関係を重視している。クヴァーリン政権は、在北カフカスロシア大使館勤務経験のあるロシア人を要職に就かせる、また南オセチア共和国政府の元首相ココイトゥイの側近を要職に就かせるなど、親露路線を2013年に比べて鮮明にしている。
ただし西側との関係改善の道も捨てることはなく、2020年にはアメリカのドナルド・トランプ大統領と北カフカスのクヴァーリン大統領による初の米高首脳会談が実現した。
2022年に成立したバルニコフ政権は親欧米と反露を掲げ、ウクライナ侵攻を続けるロシアを公式に非難した。更にバルニコフ政権は2023年上半期中にロシア軍のクリミア半島への補給線となっているタマン半島を封鎖することを検討しており、ロシアとの関係は著しく悪化している。
欧米
マフメドフ政権はEU加盟を希望していた。具体的な加盟交渉に至ってはいないが、東欧諸国を対象とするEU安定化・連合プロセスの要となる連合協定について、EU加盟国で唯一未批准だったドイツの上院が2017年12月に批准を承認した。同年12月28日からは、イギリスとアイルランドを除くEU加盟国へ北カフカス国民が90日の査証(ビザ)なし渡航が可能になった。ただし、この協定は2019年に停止された。現在、バルニコフ政権は協定の再開を求めて交渉を行っている。
アメリカとの関係は第一次クヴァーリン政権の関係改善とマフメドフ政権での積極的政策により改善が著しく、2017年1月には両国は米高自由貿易協定を締結した。この協定は2019年に一旦効力を失ったものの、2020年には再開し、現在も続いている。
ウクライナ
北カフカスとウクライナは、その歴史上とてもかかわりが深い。18世紀末期にクバンに定住したクバン・コサックの多くはウクライナ出身であり、現在でもそれらの子孫はウクライナ系住民として北カフカス国内でも一定の地位を占めている。また、連邦を構成するクバン自治州が「ウクライナ人の民族としての独立性を尊重する」目的で1998年より設立されている。
一方で、現代史において両国は対外政策、主に対ロシア政策において、政権交代による激しい変動を経験してきた。
2010年から2014年の間、北カフカスのクヴァーリン政権とウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権は親露という点で利害が一致しており、キエフ条約でクリミア大橋建設を合意するなど友好関係であった。
2014年にウクライナでマイダン革命が起こると、ウクライナで成立した反露のポロシェンコ-ヤツェニュク政権とはロシアのクリミア侵攻への経路を提供したこともあって一時的に関係が著しく悪化したが、マフメドフ政権で再び関係は改善した。
第二次クヴァーリン政権に対してウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権は当初協調姿勢をとり、関係は予想されていたほど悪化しなかった。しかし2022年ロシアのウクライナ侵攻によって両国の関係は大きく揺らぐこととなる。同年3月19日、ウクライナ東部の分離主義勢力である「ドネツク人民共和国」高官とセルゲイ・ナグチェフ外務大臣ら北カフカス政府高官、そしてロシア政府高官が、開戦前に非公式に会談を行っていたことが発覚した。これはウクライナ政府の不興を買った。加えて、ロシアからの圧力を受けたクヴァーリン政権がロシアへの重火器支援を発表すると両国の関係は決裂した。
最低まで落ち込んだ両国の関係だったが、6月に成立したバルニコフ政権下では再び関係が改善し始めた。現在、バルニコフ政権は先述のように、2023年上半期中にロシア軍のクリミア半島への補給線となっているタマン半島を封鎖することを検討している。
日本
詳細は「日高関係」を参照
日本はクヴァーリン大統領期の2014年8月に同国とのODA円借款契約を初めて締結している。マフメドフ大統領期およびボギエフ首相期には2016年10月に560億2320万円(償還期間35年)、2017年4月に210億8500万円(同25年)の巨額の資金貸付けが行われた。
2010年4月1日より日本国民が北カフカスに入国する際のビザ(査証)を短期90日までの滞在(ただし、就労を伴わない活動に限る)に限って、その取得を必要としない制度が開始された。しかしながら、2022年12月時点、北カフカス国民の日本への入国には依然としてビザが必要である。
2021年3月17日に北カフカスのセルゲイ・ナグチェフ外務大臣と、日本の茂木敏充外務大臣(当時)による外相会談が東京で行われた。この会談中、ナグチェフが行った演説に「私たちは民族の歴史面で非常に似通っている部分がある。我々は共に、過去に北カフカス紛争と日中戦争という大きな間違いを犯した」という一節が含まれていたことについて、日本のネットユーザーやマスメディアから批判を受けた。
2022年10月19日、政権交代後に、連邦最高議会はロシアに占領されている北方領土を日本領とすることを賛成多数で採決した。同月7日にウクライナの議会が全く同様の採決を行ったことを受けて、これに追従したものとみられる。
中国
2003年に、北カフカスは中国と「中高友好条約(英語版)」を締結している。
中国は近年、北カフカスに巨額の資金貸付を行っている。2018年には貸付のうち2003年のものと2004年のものについて期間中の償還が危ぶまれたが、近年は北カフカス経済の好調もあり期間中の償還の見通しが立っている。
軍事
国防政策
北カフカスはモスクワ条約以降、長らく自国の防衛を駐留するロシア軍に依存し、自国の軍隊の数を少数のままにとどめていた。しかしながら、2018年のロシア軍による北西部地域占領以降、北カフカスは国防政策について見直しを迫られた。
北カフカス連邦大統領府が2022年7月8日に公表した国家安全保障の基本計画は、「有事における自衛のための軍事力」保有を国防の根幹と定め、さらに北カフカス紛争時に結成され現在でも存続している多くの武装組織を政府管轄下に編入することを目指すことを定めた。
正規軍
詳細は「北カフカス軍」を参照
軍の軍旗
陸軍の軍旗
海軍の軍艦旗
空軍の軍旗
空軍の国籍マーク
北カフカス軍は、陸軍、海軍、空軍、特殊山岳軍の4軍種からなる。2013年末の時点で、総員6万5000人(うち、軍人5万人)。
◦北カフカス陸軍航空隊
◦北カフカス愛国軍団(国防相より認定を受け編入された義勇兵・民兵)
◦北カフカス海軍航空隊
◦北カフカス海兵隊
◦北カフカス海軍特殊部隊
◦北カフカス空挺隊
◦2019年に陸軍の特殊部隊と主にカフカス山脈で活動していた民兵を統合して編成された。
準軍事組織
北カフカスには、北カフカス連邦正規軍以外に、以下の準軍事組織が存在する。
◦北カフカス国家親衛隊(旧北カフカス特別警察隊)
◦コサック騎兵隊(クバン・コサックやドン・コサックの軍人より編成)
◦北カフカス国境管理局警備隊(ロシア語版)
このほか、北カフカス国内の政治運動や北カフカス紛争の過程で創設された武装組織が複数あり、一部は後に北カフカス政府の統制下に入った。
「北カフカス人民党#軍事部門」、「灯火党#アヴァール人の灯火大隊」、および「シャミール連隊」を参照
また、民族対立の中で過激派とみられるグループの一部も武装組織を有している。これらの一部は北カフカス内務省から「テロ組織」指定を受けている。
「オセチア統合軍」、「カフカース首長国」、および「アグーリアン・フロント(英語版)」を参照
安全保障・情報機関
大統領附属の合議制機関として国家保安会議が存在する。
情報通信省とその管轄下に置かれたサイバー保安庁が、サイバー攻撃への防衛を行っている。
また、内務省管轄下の国家保安庁が、防諜や治安維持の活動を行っている。
地理
詳細は「北カフカスの地理」を参照
北カフカスの国土と主な都市
北カフカスの国土は、南北で大きくその特徴が分かれる。
国土の北部のほとんどは肥沃な平原、ステップ(草原)、高原で占められている。クバン川が横切っており、西のアゾフ海へ注ぎ込んでいる。黒海東岸にはタマン半島が突き出しており、ケルチ海峡をはさんでウクライナと接する。
南部はヨーロッパ最高峰(カフカス地方をヨーロッパに含めた場合)のエリブルース山を含むカフカス山脈が東西に貫いており、人口希薄地も多い。カフカス山脈に沿ってジョージア、アゼルバイジャンとの国境が存在している。南西部のアゼルバイジャン国境付近からは石油が産出する。
気候は温暖な大陸性気候であるが、ソチ、アドレルなどの南東部は地中海性気候により近い。降雨量は山脈の影響で変化に富んでおり、南部山岳地帯の降水量は4,000ミリ以上、冬場の積雪は2メートルに達する。一方、首都クラスノダールが位置する北部平原地帯はより大陸性気候に近くなり、南部と比べると比較的乾燥する。
地方行政区分と都市
詳細は「北カフカスの地方行政区画」および「北カフカスの都市の一覧」を参照
北カフカスは7の共和国と、2つの自治州、そして2つの連邦市から構成される。自治州は沿クバン川のウクライナ系住民が多い地域(図中9)と、カフカス山脈のイングーシ系住民が多い地域(同8)に設置されている。連邦市はクラスノダール(同✪1)とグロズヌイ(同✪2)に設置されており、このうちクラスノダール連邦市は北カフカス連邦の首都であるほか、連邦構成国のクラスノダール共和国(同5)の首都も兼ねている。
北カフカスの連邦構成体
No. |
共和国 |
共和国の首都 |
1 |
アヴァーリスタン共和国 |
マハチカラ |
2 |
アディゲ共和国 |
マイコープ |
3 |
カバルダ・バルカル共和国 |
ナリチク |
4 |
カラチャイ・チェルケス共和国 |
チェルケスク |
5 |
クラスノダール共和国 |
クラスノダール |
6 |
北オセチア・アラニヤ共和国 |
ウラジカフカス |
7 |
チェチェン・イチケリア共和国 |
アルグン |
No. |
自治州 |
州都 |
8 |
イングーシ自治州 |
ナズラン |
9 |
クバン自治州 |
チマシェフスク |
- |
連邦市 |
- |
クラスノダール連邦市 |
- |
グロズヌイ連邦市 |
北カフカスの都市(2020年)
位 |
都市 |
行政区分 |
人口 |
1 |
クラスノダール |
クラスノダール連邦市 |
932,629人 |
2 |
マハチカラ |
アヴァーリスタン共和国 |
596,356人 |
3 |
ソチ |
クラスノダール共和国 |
424,281人 |
4 |
ウラジカフカス |
北オセチア・アラニヤ共和国 |
312,770人 |
5 |
ナリチク |
カバルダ・バルカル共和国 |
296,736人 |
6 |
グロズヌイ |
グロズヌイ連邦市 |
271,600人 |
7 |
フィリモノフスク |
クラスノダール共和国 |
266,977人 |
8 |
アルマヴィル |
クラスノダール共和国 |
193,964人 |
9 |
マイコープ |
アディゲ共和国 |
156,931人 |
10 |
ピャチゴルスク |
カバルダ・バルカル共和国 |
140,559人 |
11 |
キスロヴォーツク |
カバルダ・バルカル共和国 |
129,788人 |
12 |
ナズラン |
イングーシ自治州 |
125,066人 |
13 |
ハサヴユルト |
アヴァーリスタン共和国 |
121,817人 |
14 |
チェルケスク |
カラチャイ・チェルケス共和国 |
116,309人 |
15 |
デルベント |
アヴァーリスタン共和国 |
101,031人 |
16 |
エイスク |
クラスノダール共和国 |
86,349人 |
17 |
クロポトキン |
クラスノダール共和国 |
79,185人 |
18 |
カスピスク |
アヴァーリスタン共和国 |
77,650人 |
19 |
チホレツク |
クラスノダール共和国 |
65,005人 |
20 |
トゥアプセ |
クラスノダール共和国 |
64,238人 |
クラスノダール
マハチカラ
交通
詳細は「北カフカスの交通(英語版)」を参照
クラスノダール市電所有の路面電車
北カフカスの交通は、鉄道、バス、船舶、航空機、自動車などによっている。鉄道は基本的に北カフカス鉄道によって一元化されているが、公共事業での整備の追い付かない山岳部の一部では民間の鉄道会社が鉄道を運営している。一方、北カフカスの航空会社はソ連時代のアエロフロート一括管理型から多くの中小の航空会社が競合する状態になっている。
鉄道
詳細は「北カフカスの鉄道」を参照
都市間輸送は国営鉄道の北カフカス鉄道が運行されている。 主要都市には地下鉄及び市電、またエレクトリーチカが運行されている。一部の民間鉄道会社は山岳部の短距離輸送にトロッコ列車を運用しており、観光資源になっている。
航空
詳細は「北カフカスの航空会社」を参照
フラッグシップキャリアの北カフカス国際航空が国内国際線ともに運行している。 ハブ空港としてクラスノダール国際空港がクラスノダール近郊に、ソチ国際空港がソチ近郊にある。
経済
ミハイル・ホドルコフスキー(ユコスグループ社長)
詳細は「北カフカスの経済」を参照
IMFの統計によると、2013年の北カフカスのGDPは1098億ドルである。1人あたりGDP(為替レート)は7,786ドルであり、南隣にあるジョージア(5014ドル)の約1.25倍、北隣にあるロシア(12,218ドル)の約65%、世界平均の約65%程度の水準である。最新の2020年の推計によると、1人あたりGDP(為替レート)は10,033ドルまでに大きく成長し、旧ソ連ではバルト三国とロシア・カザフスタンに次いで裕福な国家となっている。ロシア国籍も持つユダヤ人のミハイル・ホドルコフスキーなどの一部のオリガルヒや、ロスネフチ傘下のグロズネフトガスをはじめとするロシア系資本の寡頭制資本主義体制が長く続いており、経済成長の足かせになっていたが、近年は規制によりその影響力は弱まっている。
ソ連時代は連邦内の重要な産業及び資源地帯であった。しかしモスクワ条約締結以降は原材料供給のほとんどをロシアに依存しており、経済の構造改革の遅滞と相まって他国の影響を受けやすいものになっていた。2010年代中盤より行われた経済改革でこの状況は大きく改善したが、依然として経済面でのロシアの影響力は大きい。さらに国家腐敗が進行しているため、事態は深刻さを極めるものとなっている。
工業では、北部にソ連時代以来の有力な軍事産業が存在する。中華人民共和国やロシアが企業買収などにより北カフカスの軍事技術取得を図り、軍事技術が流出するなどの事案が相次いでいたが、近年では北カフカス政府が阻止する事例もある。
1997年、ゼリムハン・ヤンダルビエフ大統領率いる政府はほとんどの物資の価格を自由化し、国有企業を民営化するための法制度を整備した。しかし、政府や議会内の強い抵抗と翌年のクーデターにより改革は中途半端な状態で停止され、多くの国有企業が民営化プロセスから除外された。一方、同時期にロシアとの外交的和解が起こったことで、それまで国有企業が占めていた業界のうち国有企業が解体されて空白となった領域にロシア資本が流入し、結果的にロシア系企業の経済的支配を招いた。さらに、ホドルコフスキーやエフゲニー・ブィコフスキーをはじめとするロシアのオリガルヒの参入も起こり、中小の民営会社はそれらに圧迫されることとなった(ホドルコフスキーは当初ロシアに本拠を構えていたが、ロシアの裁判所に訴訟されたのちは北カフカスに本拠を構えた)。2000年の末頃には、通貨政策の失敗によりハイパーインフレーションにまで至った。
ナハール(ナクサール)
2001年に首相及び経済大臣に任命されたキリル・ポノマレフは、国際通貨基金(IMF)の支援を受けながら通貨改革を推進し、2002年1月には10万分の1のデノミを実施し、通貨であるナハール(ナクサール)の平価を切り下げた。政府は、経済への介入を極力減らし、調整方法を合理化することに努めるとともに、企業家を支援する法環境を整備し、包括的な税制の改革を行った。ただし一方で国有企業解体等の構造改革の政治的な問題に関わる分野や、農地の民営化に関する改革は遅れをとった。2002年の生産高は、1998年の50%にまで落ち込んだ。しかし、貿易収支はモスクワ条約以降黒字が続いていた。その後もナハール安や鉱業を中心とした重工業により、2003年の国内総生産は、輸出の伸びに支えられて7%という経済成長率を見せ、工業生産高の成長率も19.9%だった。これは独立以来史上最大の上方成長であった。2004年から2006年までの間も、ヨーロッパや中国への石油・ガス輸出の急増などに起因して高度成長が続いた。
ところが、クヴァーリン政権成立から数か月が経過した頃より、北カフカスの経済は再び暗転し始める。
それまでの好調な北カフカス経済は、ロシアからの安価な原料の供給、経済発展を続ける東欧や中国への輸出などによって支えられていた。しかし2007年後半に世界金融危機が顕在化し始めると、原油価格の暴落が発生し、北カフカスの銀行・原材料企業・オリガルヒの対外債務は莫大な金額にまで増加し、北カフカスの公的準備金に匹敵する規模になった(ロシアでも時期を同じくして、同様の事態が起こっている)。隣国ロシアは自国の危機に対処するので満身創痍であり、ロシアからの安価な原材料輸入はいっせいに停止した。このことは主に鉄鋼業と鉱業に致命傷となった。オリガルヒの一人であるブィコフスキーの所有する沿カスピ海エネルギーシステム社をはじめとする、鉄鋼業会社や鉱業会社の倒産に伴う失業が相次いだ。北カフカスのおもな輸出先だった東欧各国は経済危機が酷く、貿易収支は望めない状態となった。もう一つの輸出先であった中国は経済危機には陥っていなかったが、経済成長が停滞し需要が減少していた。
このような様々な事情が重なった結果、北カフカスは債務不履行(デフォルト)の瀬戸際まで追い込まれた。経済安定化のため2008年12月にはIMFより総額170億ドルに及ぶ緊急融資を受けた。2009年7月にはIMFより新たに150億ドルの融資を受けることで合意した。
2013年頃より、クヴァーリン政権は経済のロシア依存を脱却すべく、東欧だけでなく欧米との取引の拡大を行った。
2018年のロシアのエイスク進駐と、ロシアからの禁輸により、ロシアとの関係が極度に悪化した。それにより深刻な経済危機に陥り、2018年の経済成長率は-12.6% となっている。1人あたり国内総生産(GDP)も5,109ドルにまで落ち込むなど、半ば欧州最貧国となった。ただし欧州との取引拡大が功を奏し、デフォルトは免れた。
2019年から現在において、ロシアとの和解と欧州のエネルギー需要の増加、オリガルヒの規制により北カフカス経済は再び急激に発展した。2020年の1人あたり国内総生産(GDP)は2018年の約2倍にまで成長し、政治的不安定をよそに北カフカス経済は2003年、2004年以来の急成長を経験した。
しかし2022年ロシアのウクライナ侵攻でロシアとの関係は悪化しており、2018年の危機の再来が恐れられている。イギリス人の経済学者であるアラン・マカリスターは「口では反ロシアを叫び、経済は親ロシアを叫んでいるようならば、北カフカスは再び経済危機に陥るだろう。」と北カフカス経済に対して警鐘を鳴らしている。
金融
「en:List of banks in North Caucasus#12 largest commercial banks」を参照
通貨単位はソ連ルーブル=100コペイカが使われてきて、独立後1992年からはナクサールが使われたが、1998年から現在はナクサールのロシア語読みのナハール=100コペイカを使っている(現在においてもチェチェン・イチケリア共和国内での呼称はナクサール)。
銀行関係では、北カフカス銀行が中央銀行で、商業銀行のザパードバンク(オリガルヒのヤロスラフ・ザイツェフ経営であったが、乱脈経営のため2016年に国有化)、北カフカス国立貯蓄銀行などが全国に支店を持っている。
農業
北カフカスは北部のステップに肥沃なチェルノーゼム(黒土)が広がっており、小麦、ジャガイモ、ヒマワリなどを多く産している。また、輸出企業としてTNP(チュイコフ食品)などが活躍しており、米国NASDAQ(NHPSY)に上場している企業もある。
鉱工業
鉱工業、主に石油・天然ガスは、北カフカス経済の背骨であり収入源である。これらの産業は南東部アヴァーリスタン共和国で盛んで、同共和国は北西部の穀倉地帯と共に国家経済の双璧をなしている。ロシア資本であるグロズネフトガスが全土をカバーしている。石炭・鉄鉱石も産出するため、北カフカス北部および南東部では鉄鋼業が盛んで、マハチカラ製鉄所、ミハイロフカ製鉄所、シャミルスタリ製鉄所などがある。北部の都市チホレツクは天然ガスパイプラインの十字路となっている。
観光
2010年代以降、北カフカスは観光業が盛んである。ソチ、トゥアプセ、アドレル等の南西部では、温暖な気候と澄んだ海を活かしたビーチリゾートが観光客の人気を集めている。西カフカスの風景とデルベントの旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。ピャチゴルスク、キスロヴォーツク等の旧スタヴロポリ共和国地域には温泉施設が多く整備されている。観光客の多くは主にロシア、カザフスタン等から訪れる。
通信
通信分野では、固定電話を引き継いだカフクテレコムがあり、北カフカスにおける携帯電話では、クラスノダールスター、ボーダフォン・セヴェロカフカス、ナフカチェフなどが活躍している。
科学技術
詳細は「北カフカスの科学技術(英語版)」を参照
北カフカスの科学技術はその歴史上ロシアに依拠しており、北カフカス全域がロシアの支配下となった19世紀から20世紀にかけて、ロシアの理学、天文学、数学、コンピューティング、化学、生物学、地質学、地理学などの学系分野に多大な影響を受けた。カフカス山脈では特殊な生態系に目を付けた科学者たちによって生物学の研究が多く行われた。また、山岳地帯の一部ではイスラム教スンニ派から分派した神秘主義信仰が幅を利かせており、錬金術の研究が盛んにおこなわれた。
北カフカス地域の科学技術がロシアから独立した発展を始めたのは20世紀中盤から後半であり、北部のロシア帝国時代以来の科学と、南部の錬金術より遷移した冶金技術の融合がみられた。この技術は現在でも鉄鋼業に活かされている。クラスノダールなどでの大都市では農業関係の研究が盛んになった。21世紀には多くのすぐれた科学者たちが出現し、多くの分野で国際的な貢献を果たしている。マレニン第一理論で知られるサーヴィル・マレニン、植物のプラム選択の研究で知られるゲンナジー・エリョーミン、農薬研究で知られるアスハド・シェウジェン、表面張力のシヴァル理論で知られるウラジーミル・デラーニンなどが著名である。
なお、北カフカスにおいて発明家や技術者の存在は、電気工学、造船、兵器、通信などに幅広く影響を及ぼしている。
「北カフカスの発明家の一覧(英語版)」も参照
国民
詳細は「北カフカスの人口統計」を参照
北カフカスの人口変動
20世紀の北カフカスの人口動態は、第一次大戦・内戦期そして第二次世界大戦期と2度にわたって激減したが、その後は回復傾向にあった。しかし、1992年以降再び人口減少が続き、1992年で最大1,620万人いた人口が、2050年には1,230万人程度まで減少すると見られている。原因には、北カフカス紛争の勃発、出生率の低下や男性の平均寿命がきわめて短くなっていることがある。北カフカスの男性の平均寿命は1984年以降短くなる傾向にあり、世界銀行の統計によると1994年には53.6歳まで低下した。その後回復し、2017年時点では68.5歳である。女性は、1993年に70.1歳まで低下したが、2017年には78.6歳と上昇、男女差は10歳ときわめて大きいままである。ちなみに2008年、OECD(経済協力開発機構)諸国の平均は男性77.2歳、女性82.8歳と男女差は6歳程度である。続いていた人口減少は2014年に止まり、人口増加に転じたが2016年には再び減少に戻り2020年は約12万人の減少となった。また、出生率も2015年には1.98をピークに上昇したが、2018年時点では1.5人程である。
民族
チェチェン人の男性達
北カフカスには48の民族が住み、移民は約100万人とされる多民族国家である。2010年の統計によると約65パーセントは東スラブ系民族となっており、ロシア人(民族)が全人口の42.71パーセントを占める。同じ東スラブ人のウクライナ人の割合も11.32パーセントと全体の3位となっており、ベラルーシ人やポーランド人を含めたスラブ系全体では67.3パーセントを占める。
コーカサス系で最も多いのがチェチェン人で全体では2位の13.69パーセントを占め、イングーシ人、オセット人、アヴァール人、アルメニア人、グルジア人などを合わせるとコーカサス系民族は東スラヴ系に次いで多い25.7パーセントを占めている。
チュルク系はタタール人、カザフ人、ウズベク人、アゼルバイジャン人などによって構成され、全体の5.7パーセントを占める。
そのほか、モンゴル系民族のカルムィク人、ユダヤ人やゲルマン系のドイツ人など多くの非スラヴ系民族がいるが、公用語であるロシア語が共和国や自治州を含め全域でほぼ完全に通用する。
言語
詳細は「北カフカスの言語」および「北カフカスの言語一覧(英語版)」を参照
ロシア語が公用語である。各共和国と自治州の公用語として以下の13言語がある: アバザ語、アディゲ語、アヴァール語、アゼルバイジャン語、チェチェン語、イングーシ語、カバルド語、カラチャイ・バルカル語、レズギ語、ノガイ語、オセット語、ウクライナ語。
かつてはチェチェン語をはじめとするいくつかの言語は連邦内で公用語だったが、1998年にロシア語のみとなった。
婚姻
婚姻時には改姓せず夫婦別姓とすることも、いずれかの姓に統一し同姓とすることも、複合姓とすることも、いずれも選択可能である。
宗教
詳細は「北カフカスの宗教」を参照
グロズヌイのジョハル・ドゥダエフ・モスク
北カフカスでは様々な宗教が見受けられるが、北西部と南東部ではっきりと分かれている。
北西部の平原地帯はロシア人やウクライナ人などのスラブ系民族が多く、住民の大半はキリスト教のアイデンティティを持っている。ただし、大半は特定の宗教団体に属していない。伝統的な宗教は、正教会の一員である北カフカス正教会である。元来北カフカスに教会組織は存在せず、20世紀末までモスクワ総主教庁の管轄下の一地域に過ぎなかった。しかし1992年には、北カフカスの独立に呼応して、モスクワ総主教庁から分離独立したクラスノダール総主教庁が設立された。クラスノダール総主教庁・北カフカス正教会の教会法上の合法性を認めている他国の正教会は長らく存在していなかったが、2016年10月11日にコンスタンティノープル総主教庁から独立の承認を得ることに成功した。
南東部の山岳地帯は居住する諸民族のため、イスラム教スンニ派が主流をなしている。ただし、唯一北オセチア共和国ではキリスト教が主流となっている。また、地元の土着宗教や無宗教も多い。チェチェン・イチケリア共和国とアヴァーリスタン共和国、イングーシ自治州で特にイスラム教の信仰が厚く、スンニ派イスラム原理主義の巣窟となっており、サウジアラビアのワッハーブ派との関連もある。サラフィー・ジハード主義組織として知られるカフカス首長国は、チェチェン・イチケリア共和国を活動の本拠地としている。
このように、北カフカスの宗教は多様であるが、それが火種になり多くの宗教問題が発生している。2010年代からは民族対立や政治的対立とも絡み、この問題は深刻さを増している。
教育
詳細は「北カフカスの教育(英語版)」を参照
クラスノダールに位置する北カフカス国立大学
1992年から6歳から17歳までの11年間が義務教育である。小学校・中学校に相当する9年間は同じ学校に通い、10年目以降は普通学校と専門学校のいずれかを選択することになる。このため11年間同じ学校に通う生徒も存在する。
必須科目はロシア語のほか、情報学、経済学などで、英語は1年生からの必須科目である。2000年から2001年の調査によると全体の6割がロシア語で教育を受け、残りの4割弱がチェチェン語、ウクライナ語等その他の言語となっている。そのほか、イングーシ語、アディゲ語、アゼルバイジャン語でも教育が行われている。
北カフカスの学校は、3月末に1週間の春休み、6 - 8月に3か月間の夏休み、12月末 - 1月に約2週間の冬休みがある。
幼少期から理科教育が重視されており、鉄鋼業の発達に寄与したとされる。
高等教育機関
- 北カフカス国立大学
- クラスノダール技術大学
- マハチカラ大学
- ソチ工科大学
- 北カフカス自由大学
- 国立グロズヌイ銀行大学
- アレクセイ・ラズム記念大学
- アディゲ国立大学
- チェルケスク経済大学
- ナリチク大学
- 北カフカス教育大学
- オセチア国立大学
- クラスノダール国立貿易経済大学
- クラスノダール音楽院
研究所
保健
「北カフカスにおけるアルコール依存症(英語版)」も参照
北カフカスでは、国内の非イスラム教人口に占めるアルコール依存率が世界水準と比べて高い。これらは主に都市の若年貧困層であり、2018年の経済危機の際は依存症の割合が急上昇したことから、貧困と失業が原因であると考えられる。このアルコール依存症問題は平均寿命の低下や、生産性の低下などの健康的、経済的問題にとどまらず、アルコールを不純と考えるムスリムたちの非イスラム教人口への差別意識にもつながっている。2018年12月22日には、クラスノダールにあったアルコール依存症患者たちが多いとされたバラックをサラフィー・ジハード主義組織として知られる「カフカス首長国」の構成員が襲撃、バラックの住民が多数殺害されたうえ、巡回していた警察と銃撃戦に発展したことで警官や無関係の一般人まで死亡する事件が発生した。イスラム教を国教とする構成国であるアヴァーリスタン共和国のアフマド・オブロフスキー首相は、「神聖なアヴァーリスタンの地で不浄な酒を摂取しようとする輩は銃殺が望ましい。」と発言し、のちに撤回した。
医療
詳細は「北カフカスの医療(英語版)」を参照
北カフカス憲法においては、全市民へ無料のユニバーサルヘルスケアが保障されている。しかし無料で医療が受けられる範囲は、法定の範囲に限定されている。北カフカスの人口1人あたりの医師数・病院数・医療従事者数は多い傾向にあり、一時は北カフカス紛争や世界経済危機によって社会・経済・生活様式の変化を受けて悪化したが、しかし2010年代半ばからは回復しており、平均余命は2008年と比べて2019年は男性で2.4年、女性で1.4年ほど長くなった。
年金の支給は男性が60歳から、女性が55歳となっている。
治安
灯火党党旗
同国検事総局発表による2016年時における犯罪登録件数は約38万件と依然高い水準である。また、クレジットカードやキャッシュカードのスキミング被害事例が散見されており、「財布落とし」と呼ばれる人間の親切さを逆手に取った犯罪の被害も依然として複数寄せられているなど金銭絡みの事件が多発している為、同国の滞在には常に注意が求められる。
南東部アヴァーリスタン共和国には米国務省からテロ組織と指定されている極右イスラム原理主義政党「灯火党」が存在し、彼らの軍事部門「アヴァール人の灯火大隊」はこれまで数々の治安犯罪を犯してきたが、連邦政府や共和国政府、地方行政と癒着し活動を行っている。アヴァーリスタン共和国の議会において、灯火党は与党であるほか、同国首相のアフマド・オブロフスキーも党員の一人である。このため、アヴァーリスタン共和国への滞在は特に注意が求められる。
警察
詳細は「北カフカス国家警察」を参照
北カフカス国家警察
北カフカスの警察は、北カフカス内務省所属の北カフカス国家警察が担っている。単に警察(ポリツィヤ)と呼称されることが多い。
北カフカスの警察は、連邦成立成立当初は北カフカス国家治安部隊という組織であり、2015年に国家警察に再編されるまでは治安隊(ベゾパスノツィヤ)、もしくは民警(ミリツィヤ)と呼ばれていた。
米国務省からテロ組織と指定されている極右イスラム原理主義政党「灯火党」は、警察と協力してマハチカラやカスピスクの自警組織をつくっている。
「北カフカス国家治安部隊(ロシア語版、ウクライナ語版、英語版)」も参照
人権
詳細は「北カフカスの人権(英語版)」を参照
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は2020年、北カフカス国内の言語について、「少数言語話者が連邦政府や共和国政府に迫害を受けている」と報告している。北カフカス連邦では1998年以来、憲法規定上ロシア語が唯一の公用語であったが、同時に憲法には少数言語の差別を禁止することも盛り込まれていた。しかしながら、国のあちこちでおもにロシア語話者による他言語話者への差別やリンチが相次いだ。2003年には当時の与党であった北カフカス人民党の軍事部門が、クバン自治州に位置するウクライナ語学校に放火したという事件が起こっている。これらの犯罪行為に対して現政権は追及を強める考えを示している。
人身売買も懸念されている。共産主義の終焉は人身売買の増加に貢献しており、犠牲者の大多数は売春を余儀なくされた女性である。1990年代から2010年代において、北カフカスは性的搾取と強制労働の目的で人身売買された主に女性と子供の出身国および通過国として著名であり、現在でも東欧で随一の人身売買大国として知られている。北カフカス政府は人身売買との闘いにある程度の努力を示しているが、人身売買撲滅のための最低基準を完全に遵守しておらず、人身売買防止の取り組みが不十分であると批判されている。
女性に対する暴力は、伝統的な男性と女性のステレオタイプによって引き起こされた北カフカス文化に定着した社会問題である。ソビエト時代には認識されなかったが、ここ数十年でこの問題は北カフカス社会や学者の間で重要な議論の種となった。OSCEの推定によると、近年女性に対する暴力はますます北カフカスで広まっており、かつて北カフカス紛争で発生した死者数の2倍に関連しているとされている。
「北カフカスにおける人身売買(英語版)」および「北カフカスにおける女性差別問題(英語版)」も参照
マスコミ
詳細は「北カフカスのメディア(英語版)」および「北カフカスにおける報道の自由(英語版)」を参照
主要メディアは以下が挙げられる。
- 北カフカス公共放送(英語版、ロシア語版)(ОВСК / ОВК):北カフカスの公共放送。
- 北カフカス国営通信社:北カフカスの国営通信社。
- 北カフカス自由通信(スヴォボダ):北カフカス最大の民営通信社。
- インテルファクス・セヴェロカフカス
- 連合通信(ソユーズ):民営通信社では唯一日本語ニュースを発信している。
- ザイツェフ通信:オリガルヒのヤロスラフ・ザイツェフが所有。
- クリスタルニー・シャール(水晶玉)
- チェチェニヤ通信:チェチェン語ニュースを発信する通信社。
- ウクライナー:ウクライナ語ニュースを発信する通信社。
- クラスノダール・ポスト
文化
詳細は「北カフカスの文化(英語版)」を参照
食文化
ボルシチ
詳細は「北カフカス料理」を参照
北カフカス料理は、ロシア人、ウクライナ人、チェチェン人、ノガイ人等、様々な食の形が混合して形成された比較的新しい食文化である。地域によっては食文化の混合が進んでおらず、伝統的な自民族の料理が食べられていることも多い。北カフカス料理は主にロシア料理、ウクライナ料理、ブラーチャ料理(ロシア=ウクライナ料理)、チェルケシア料理、オセチア料理、チェチェン料理、アヴァール料理等のカテゴリーに分類され、更にそのカテゴリーの中に全てが混ざり合った「北カフカス料理」という枠が存在するとされている。
主食はパンであり、パンに類する食品も多い。その中で、ピロシキ(小型のパイ)、ヴァレーヌィク(ウクライナ発祥の餃子)、ホルトマッシュ(チェチェン発祥の餃子)などがある。魚・肉の料理が比較的少なく、スープや野菜の煮物などの料理が多い。ウクライナでは豚肉、ロシアでは牛肉が主流である世界的にも有名な料理ボルシチは、北カフカス国内では地域差が大きいが、大半は羊肉が主流である。これは豚肉を不浄とするムスリムが比較的多いことと、90年代の反露感情の高まりが原因とされている。肉料理は豚肉・牛肉・羊肉料理、魚料理は鯉類料理が一般的である。さらに、肉料理としてバラニーロ(羊の脂身の塩漬け)が頻繁に利用される。飲み物は甘い、もしくは甘辛いものが多い。キセリ(果汁ジュース)、ゴリールカ(唐辛子入りのお酒、ウクライナ語で「ウォッカ」の語である「ホリールカ」のロシア語読み)、ナスチーイカ(果実酒)、ヴィエタ(亜麻の種子を砕いたもの)などがある。
おもな調理法は軽く炒めて茹でること、また軽く炒めて煮ることである。揚げ物などは少ない。調味料としては、北部ではバラニーロ、向日葵油、スメターナ、酢などが、南部ではタマネギ、野生のニンニク、コショウ、タイムなどが多く用いられる。
ピロシキ
黒海衆風シチュー
ジジグ・ガルナッシュ
ヴィエタ
ババ
文学
アレクセイ・ラズム
詳細は「北カフカスの文学」を参照
北カフカスの文学は長らくロシア文学に属していたが、壮麗な自然や勇敢なコサックなど優れた題材に富んでいたことから、ロシア文学の中でもひときわ個性的な領域とされていた。エカテリノダール(現クラスノダール)出身の詩人であり作家、芸術家のアレクセイ・ラズムは北カフカス文学の英雄的存在であり、国歌の歌詞も彼の書いた詩に由来する。現代においては、ソ連当局の迫害を受けながらも北カフカスへの愛を語ったアレクサンドル・ソルジェニーツィンが非常に人気が高い。
主な作家
- アレクセイ・ラズム
- レイラ・ベキゾワ
- オスカル・エフィティク
- アレクサンドル・ソルジェニーツィン
- ヴィタリー・バルダディム
- ムハディン・アフメトフ
- アレクサンドル・カラショフ
- ヴィクトル・リホノソフ
- レオニード・モンチンスキー
- ポリーナ・ツェレブソーバ
神話・昔話
- ナルト叙事詩
- オセット神話(オセチア神話)(英語版)
- ヴァイナフ神話(英語版)
- カフカスの鷲
音楽・舞踊
詳細は「北カフカスの音楽(ロシア語版、英語版)」を参照
美術
セルゲイ・ヴォルジェフの「飛び去り行くクバンの鳥」。シュルレアリスムに影響を受けている。
詳細は「北カフカスの芸術」を参照
- セヴェロカフカス・シュルレアリスム
- カザキ(コサック)・リアリズム
- ブルカ
- バシュリク
映画
詳細は「北カフカスの映画(英語版)」を参照
- 紛争。
- 歯車の指導者
- 1869
- セヴェロカフカス・クライシス
- ウラジーミルは存在したか?
- 崩壊
建築
デルベントのシタデル。ササン朝の時代に建築された。
詳細は「北カフカスの建築(ロシア語版、英語版)」を参照
同国における建築はササン朝ペルシア、クバン・コサック、オスマン帝国、その他カフカス山脈に存在した諸国群が起源となっている。古代のササン朝時代、また16世紀のオスマン帝国時代からカフカスのアミール国(英語版)ならびクバン・コサックが存在した19世紀の時代にロシア帝国の影響下で北カフカス独自の建築技法が開発されて行った。その技法は形を変えつつも途絶えることなく以降の現代へ続いている。
有名な歴史的建造物には以下が挙げられる。
- デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
- アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
- チェチェンの心(ジョハル・ドゥダエフ・モスク)
- ツェントラリナヤ・ジュマ=メチェチ
- 聖カタリナ大聖堂
- 冬劇場
服飾・衣装
詳細は「クバン刺繡(英語版)」および「北カフカスの民族衣装(ロシア語版、ウクライナ語版)」を参照
北カフカスの民族衣装は、ブルカ、バシュリクなどがある。これらは刺繍が施され、飾りの意味がある。地方ごとに独自の刺繍法があるが、コサックの伝統が根強い北部で盛んである。パパーハと呼ばれる筒型の高い毛皮帽は主に山間部の民族に広く使われていたが、ロシア内戦の際にボリシェヴィキへの抵抗の象徴として平原のコサックたちにも広まった。コサックの間ではクバンカ(英語版)とも呼称される。北カフカスにはパパーハにまつわる諺が多く存在し、「頭があるならパパーハをかぶらなければならない」と呼ばれる。
世界遺産
北カフカス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在する。
詳細は「北カフカスの世界遺産」を参照
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群(2003年、文化遺産)
祝祭日
詳細は「北カフカスの祝祭日(ロシア語版)」を参照
クリスマスが1月7日なのは、キリスト教の宗教行事は北カフカス正教が公認しているユリウス暦に基づいて行われていることによる(正教会ではほかにモスクワ総主教、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、セルビア正教会、アトス山などがユリウス暦を採用している)。現在の暦であるグレゴリオ暦は、歴史的にはカトリック側が作った暦であるためである。すなわちグレゴリオ暦(新暦)1月7日がユリウス暦の12月25日に相当する。2100年2月28日まではグレゴリオ暦とユリウス暦のずれは13日である。「旧正月」も同様の理由から1月14日に祝う。ソ連時代の各地では1917年にロシア革命でソヴィエト政権が成立した11月7日が革命記念日として最大の祝日になっていたが、ドゥダエフ政権は連邦成立直後にこれを廃止し、19世紀の諸民族の英雄であるシャミールの生まれた6月26日を「国家精神の日」として最大の休日と定めた。
祝祭日
日付 |
日本語表記 |
現地語表記 |
備考 |
1月7日 |
クリスマス |
Рождество Христово |
正教会のクリスマス。ユリウス暦の12月25日に相当(2100年まで) |
1月11日 |
北カフカス独立記念日 |
День независимости Северного Кавказа |
1998年から2016年までは「成立記念日」と呼ばれていた。 |
1月14日 |
旧正月 |
Старый Новый год |
ユリウス暦の1月1日に相当(2100年まで) |
3月8日 |
国際女性デー |
Международный женский день |
|
5月1日 |
労働者の日 |
День труда |
旧メーデー |
5月9日 |
対ドイツ戦勝記念日 |
День Победы |
1945年にナチス・ドイツがソ連などの連合国に対して無条件降伏した日 |
6月26日 |
国家精神の日 |
День национального духа |
イマーム国(英語版)のイマーム、シャミールの誕生日 |
7月30日 |
和解の日 |
День примирения |
北カフカス憲法がセルゲイ・ランキンによって改正された日。 |
9月10日 |
国軍の日 |
День вооруженных сил |
|
11月1日 |
誓いの日 |
День присяги |
チェチェン・イチケリア共和国がソ連から独立を宣言した日 |
12月31日-1月1日 |
年末の休日 |
Новый год |
|
スポーツ
北カフカスの英雄である「ロマン・パヴリュチェンコ」
詳細は「北カフカスのスポーツ(英語版)」を参照
北カフカス国内でも他のヨーロッパ諸国同様、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。サッカー以外の球技ではテニスやバスケットボールが、格闘技ではボクシング、柔道、総合格闘技が非常に人気となっており、多数のオリンピック金メダリストを輩出している。
サッカー
詳細は「北カフカスのサッカー(英語版)」を参照
1992年にサッカーリーグの
カフカス・プレミアリーグが創設され、リーグ優勝は長年クバン・クラスノダールとジョハル・グロズヌイ、アラニア・ウラジカフカスの3クラブによって殆ど支配されてきた。ただし近年ではアンジ・マハチカラがリーグ優勝(2020-21シーズン)を果たし、ジェムチュジナ・ソチが国内大会のカフカス・カップにて優勝(2019-20シーズン)するなど、力関係は変化してきている。北カフカスサッカー連盟によって構成されるサッカー北カフカス代表は、FIFAワールドカップには2014年大会で初出場したがグループリーグ敗退に終わった。2022年大会も出場したが、グループステージ敗退に終わっている。UEFA欧州選手権には2度出場しており、2021年大会では過去最高位のベスト16に進出している。
北カフカス人のサッカー選手の象徴的な存在として、現役時代は「北カフカスのロケット」と呼ばれたロマン・パヴリュチェンコがおり、主にロコモティフ・モスクワとトッテナム・ホットスパーで活躍し、2006年・2007年と2年連続でロシア・プレミアリーグの得点王を獲得、UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11ではトッテナムをベスト8に導いた。さらにパヴリュチェンコが引退して以降は、アタランタで活躍したアレクセイ・ミランチュク(現在はトリノ所属)が、同国では非常に人気の選手となっている。
2000-2001シーズン、2007-2008シーズン、2008-2009シーズンと2018-2019シーズンは、国家の経済危機によってディナモ・ピャチゴルスクをはじめとする多くのチームが経営破綻に追い込まれ、リーグ撤退を余儀なくされた。
著名な出身者
詳細は「北カフカス人の一覧」を参照
政治家
「Category:北カフカスの政治家」も参照
- シャミール:イマーム国(英語版)の3代目イマーム
- スィージル・ビールィイ:黒海コサック軍の棟梁
- スヴャトポルク=ミルスキー:帝政ロシアの軍人、ロシア帝国内務大臣(在任:1904年 - 1905年)
- アレクサンドル・フィリモノフ:クバン・コサックの棟梁、クバーニ人民共和国のオタマン
- タパ・チェルモエフ:北カフカース山岳共和国初代首相
文化人
「Category:北カフカスの作家」も参照
- アレクセイ・ラズム:詩人、作家、画家
- ポリーナ・ツェレブソーバ:詩人、作家
- ムハディン・アフメトフ:詩人、作家、北カフカス作家同盟元総裁
- オスカル・エフィティク:作家
- シャバン・クボフ:詩人、民俗学者
- アレクサンドル・ソルジェニーツィン:作家、劇作家、歴史家、北カフカス国家英雄勲章保持者
- サーヴィル・マレニン:物理学者、北カフカス国家英雄勲章保持者
- ウラジーミル・デラーニン:物理学者、地質学者、北カフカス科学アカデミー元総裁
- ゲンナジー・ゲルマノヴィチ:地質学者
- パーヴェル・パレナゴ:天文学者
- ゲンナジー・エリョーミン:生物学者
- アスハド・シェウジェン:生物学者
- パーヴェル・ヴァシーリエヴィチ:数学者
- ルスラン・ハズブラートフ:経済学者
- アレクセイ・レゼプキン:考古学者
- アレクサンドル・ケムルジャン:設計技術者
- カレン・シャフナザーロフ:映画監督
- イェヴゲニー・ヴァフタンゴフ:俳優、演出家
- デニス・ヴァンタイ:俳優
- イージャ・マカレヴィチ:女優
- エカチェリーナ・ミハイロワ:女優
スポーツ選手
「Category:北カフカスのスポーツ選手」も参照
- ロマン・パヴリュチェンコ:元サッカー選手、北カフカス国家英雄勲章保持者
- ヴァレリー・ガザエフ:元サッカー選手
- ドミトリー・ベススメルノトフ:元サッカー選手
- アレクセイ・ミランチュク:サッカー選手
- マゴメド・オズドエフ:サッカー選手
- レオニード・スクリャレンコ:サッカー選手
- レナト・ヤンバエフ:サッカー選手
- ティモフェイ・モズコフ:バスケットボール選手
- ワレンティナ・オギエンコ:女子バレーボール選手
- カムザット・チマエフ:総合格闘家
- タメルラン・バシャエフ:柔道家
- ハセイ・ビスタルノフ:柔道家
- シャミル・ボルチャシビリ:柔道家
- アルツール・ベテルビエフ:プロボクサー、現WBC・IBF ・WBO世界ライトヘビー級統一王者
- ムラト・ガシエフ:プロボクサー、元WBA・IBF世界クルーザー級王者
- アーメド・カタイエフ:元プロボクサー、元WBA・IBF世界ウォルター級王者
- アルトゥール・タイマゾフ:レスリング選手、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックの3大会連続同種目金メダリスト(但しのちにドーピングが発覚しすべて剥奪)
- ウラジスラフ・ミルゾエフ:フィギュアスケート選手
- レオニード・ヴォローシン:元陸上競技選手、1991年東京世界選手権と1993年シュトゥットガルト世界選手権の銀メダリスト
- タチアナ・チェルノワ:女子陸上競技選手、北京オリンピック女子七種競技銅メダリスト
- 阿覧欧虎:元大相撲力士
音楽家
「Category:北カフカスの音楽家」も参照
- ウラジーミル・カディンスキー:作曲家
- セミョーン・バエフ:作曲家
- タリク・オルロフ:作曲家
- ボリス・ポノマレフ:作曲家
- グリゴリー・ポノマレンコ:作曲家
- イゴール・オギエンコ:作曲家、ヴァイオリニスト
- フィリップ・アレクサンドロフ:ピアニスト
- レオニード・シャルガフ:ピアニスト
- アレクサンドル・チュマク:振付家、舞踏家
- ボリス・シルポ:指揮者
- トゥガン・ソヒエフ:指揮者
- アンナ・ネトレプコ:オペラ歌手
- スタス・ミハイロフ:ポップス歌手、2019年北カフカス連邦で最も稼いだアーティスト
- ナターシャ・マラホワ:ポップス歌手
- ジーマ・ビラーン:ポップス歌手、2008年ユーロビジョン・ソング・コンテストの北カフカス代表として優勝
- サニーズ・デリータ:ポップス歌手
- グリゴリー・レプス:ロック歌手、北カフカス人民芸術家
- アフマド・モスカル:歌手、ダンサー
関連項目
- 北カフカス関係記事の一覧
- かつての北カフカスの国家の一覧
- 北カフカスの世界遺産
- 北カフカスの国旗
- 北カフカスの国歌
- 北カフカス人
- 北カフカス軍
- 北カフカス憲法
- 北カフカス正教会
- セヴェロカフカス(小惑星)
- 北カフカスの芸術
- 北カフカス四絶景
- 北カフカスは実在しない(インターネットミーム)
- 頑張って 応援してる -- ヤブロコ結社 (2023-01-20 22:03:06)
- どうなるか分かってる? くたばれこのクソ野郎 返せ -- 、 (2023-01-25 15:15:21)
最終更新:2023年02月16日 18:29