角は傷つき、透明な強化プラスチックもどこか色あせて見えるそれを私は見下ろしていた。一時期夫であった人の写真はとっくになくしてしまっていたのに、ノアで地下活動をしていた時もいつも捨てきれずに鞄にしまいこんで逃げた。アジトからアジトへ点々とその写真を私は持ち歩いた。娘の大切な写真と共に、デスクの片隅に置き続けたのだ。
今、大きく時代が変わろうとしている。SD時代と言う600年も続いた歴史が終わり、人は新しい歴史を歩いていく。いえ、これは前に戻ったのかもしれない。SD大戦以前の、自分達が歩む道を決める、そんな苦悩の時代に。
どうしたらいいのか、マザーは答えてくれない。
ミュウという新しい人類を前に、私たちはただ考えるしかない。
それを世界に向けて告げた彼、国家元首キース・アニアンが写真にいた。
最年少の元老、マザーの申し子、騎士団総司令。彼を飾る言葉はいくつもあれど、今となっては色あせてしまった。世界を混乱に陥れ、勝手に死んだ独裁者。
「よく見れば、可笑しな写真ね」
写っているのは3人。学生時代の私と同級生の男の子が二人。それなら、私を真ん中にして二人が両脇にいるべきじゃないかしら。それなのに、中心にいるのはキースで困ったように無表情でたっていて、サムだけが笑っている。私はといえば、笑っているのに泣きそうな顔。
命の恩人だった。ステーション始まって以来の天才で、カッコよくで幼馴染のサムがどれだけ田舎っぽく見えたことか。憧れて、隣にいたいと思った、同じものを見たいと思った。美男美女のカップルだなんて噂されて、私は貴方に夢中だった。
けれど、そんな有頂天に登る気持ちも最初のうちだけで、私は、貴方に振り向いて欲しくて結婚を選んだ。
止めてもらえないかも知れない。望む言葉などないかも知れない、でも彼の心に小さな傷を残すことができれば。そんな事を考えていたいやな、女。
けれど、それも昔の話になってしまった。
この写真に写っているキースもサムも、もうこの世にいない。
サムは宇宙航行事故時の精神的病が元で衰弱死、キースはミュウとの会談中にグランドマザーに合いに行って死亡、享年32歳。私だけが一つ年を取った。自由アルテメシアのキャスターで、国家元首のメッセージを発信してからはちょっとした有名人。
彼はいつから考えていたのだろう。
サムがあんなことになってから? 元老となって、色々な情報に接したからだろうか
? それともずっと最初から、この世界に隠された何かを知っていた? それすらも私には分からない。あんなにも彼を追いかけていたのに、私の目は節穴だったのか。
いいえ。誰も、それを知らなかった。
私はジャーナリストだから、知りたいと、知るべきだと思ったから、彼を知る人を探したけれど、不思議なほど見つからない。ノア暫定政府の役人も、メンバーズの部下達も、誰も。キースがあんなことを考えていたなんて、口を揃えて驚いたと言う。
暴挙だと非難し、世界に対するテロだと、新しい世界は彼を評価するのに忙しいけれど、キース・アニアンその人を知る人はどこにもいなかった。
それは私も同じ。
この写真からは誰がこのようなキースの最期を予想できただろう。
彼も変わり、私も変わった。
だから、私はこの写真を捨てていく。
ねえ、私にメッセージを託したってことは、少しは貴方の心にスウェナ・ダールトンの場所があったと思っていいのかしら。これから私、その小さな場所を頼りに進んでいくから。
明日から私は、ノアに設置される暫定政府の議員。貴方と親密だったとばれると少々ミュウよりの改革派として都合が悪いのよ。
キース、少し貴方に近づいたわ。
ポートレイトの写真を抜くと、一度、指でなぞる。目の奥が熱くなり慌ててライターを取り出して火をつけた。オレンジの炎が広がって、瞬く間に黒い灰となって床に落ちる。
「おい、スウェナ! 準備はできたのか」
「ええ、今行くわ」
空のポートレイトをデスクに伏せて私は部屋を出る。
明日の第一回会議に向けてノア議事場近くへ移動することになっている。本格的な全面戦争をしていたとは思えない程、無傷て残った首都ノア。惑星アルテメシアで始まったミュウとの共存を、ここから宇宙に広げなければならない。
貴方が見ていたその先を歩いていくの。
さよなら、私の大切な人。