「ピールソイン、この前のあれは、もう届いているか」 我が主、アルス・ソロモニアが服の袖に腕を通しながら言った。 もちろんで御座います。既に、こちらに。 小生が緩やかに一礼すれば、強固な魔術封印が施された一つのワードローブが煙と共に現れる。 余所行きの戦闘装束に着替え終えた主は、鷹揚に振り向き、ワードローブを見やった。 主はやはりその中身が気になる様子で、扉の封印を解いて小さく中を覗き込んだ。 「……それなりに、探し回った甲斐があるな。 ついでだが、この洋箪笥のセンスも中々悪くない」 小さな感嘆混じりの溜息が上がった。 主の言う「悪くない」というのは、かなりの上々だという語に等しく置き換えられる。 珍しく上機嫌な主の言葉に、小生は少しだけ誇らしくなり、六つの瞳を同時に伏せながら恭しく頭を垂れた。 暫時、どこか感慨に浸るように、主はその中身を眺めていた。 やがてゆっくりと扉を閉め、主が再びの魔術封印を施す。 軽く指を鳴らすと、ワードローブが煙と共に消え去った。 「……あいつには、まだ内緒にしておけよ。 それなりに驚かせないとつまらないからな」 綻んでいた頬を引き締め、主が言った。 「あいつ」とは、主の奥方を指すことを、小生は知っている。 この館において、互いを呼び合える存在は主たち二人しかいない。 ──あの傾城たる奥方に、一使用人の分際で隠し事をするのは畏れ多くもあるが、 しかし長年仕えてきた冷酷無慈悲にして傍若無人であった主が、 人を喜びを願った企みごとをするのは、小生の知る限りでは全く初めてのこと。 ゆえに、人に非ざる小生に出来ることと言えば、 主の不器用な意を精一杯汲み、決して口外しないと堅く心に誓うのみ。 あのワードローブの存在、及びその中身は、その日が来るまで闇に潜めるのだ。 ──そう。いつかその日が来ることを信じるしか、小生には出来なかった。 * * * 主はそして静かに出て行った。 「あいつには、家具市に行ったと伝えておけ」とだけ伝言を託された。 そんな苦しすぎる言い訳を奥方に伝えなければならないこの身を思うと、胃が痛む。 〝……死んだら死んだで、俺は所詮その程度の馬鹿で、 どのみちあいつを護り通せる器じゃなかったということだ〟 「それだけは、死んでも嫌だ」 一度引き止めようとした小生に向かって、主はそのように言っていた。 小生は、その言葉に主の奥底を垣間見た気がして、ついに引き止めることは出来なかった。 夕刻が過ぎ、館は静かだった。 小生は、持て余す視線の先を、何とは無しに窓の外へと向けた。 ──あの月が堕ちるとき、我々は、何を見ているのだろうか。 ふと想ったそれに、答えをくれるものは無かった。 [了] 【第三世界暦2011年5月4日・或る決戦前のこと】