知恩院からの桜紀行(京都桜紀行part1・後編) (ノ゚ο゚)ノ ホオオオォォォォォォ-
それもそのはず「二人連れの若い女性」と見えたのは、確かに「若い女性」には違いないが、どうみても10歳そこそこの小学生なのだ。
しかも擦れ違いざまに
「なかなか品のいい、素敵なお庭よねー」
「本当ね ネー(*'゚д゚)(゚д゚`*)ネー」
という落ち着いた口調の会話と、こうした庭園観賞にはかなり年季の入っていそうな物腰が、そこはかとなく漂っており
(こりゃ、参った・・・)
と、すっかり愚かな優越感は萎んでしまった。
周囲の迷惑などは顧みず、グループで狼藉の公害を巻き散らかながら歩き回っている、そこいらのオバタリアンどもに
《正しい観賞の仕方》
として、是非とも見せてやりたいものである。
どれもこれもが期待以上の知恩院での締めくくりは三門で、とても筆舌には尽くしがたい迫力であった。
ようやく知恩院を出ると、駐車場を挟んだ向かい側が円山公園である。
ここだけは学生時代から何度も足を運んだが、この日も相変わらずの人でごった返し、花見客目当ての屋台が軒を連ねていた。
しかも幸運な事には、この暖冬のおかげかソメイヨシノと一緒に、半月遅れで満開となるはずの枝垂桜までがほぼ満開になっていた事で、滅多に見ることの出来ない僥倖といわれる
《枝垂れとソメイヨシノの競演》
を奇跡的に楽しむ事が出来たのである ヾ(▽⌒*)ヮ?ィヮ?ィ(*⌒▽)/
そのあまりの息を飲むような美しさにすっかり目を奪われ、座敷を陣取って缶ビールを買い求めて飲んでいると、前の座敷に金髪の外人サンがやはり缶ビールを片手に、ノンビリと寝転がって寛いでいた。
(本来、花見とはああしてまったりと楽しむものなんだよな・・・)
と、予定していたギチギチのスケジュールを見直し、改めて座敷に腰を落ち着け直してビールのお替わりを頼む、Mr.にゃべっちであった (。 ̄Д ̄)d□~~
知恩院からの桜紀行(京都桜紀行part1・前編) (ノ゚ο゚)ノ ホオオオォォォォォォ-
事実上初の京都旅行となった前年春は、4月中旬過ぎという時期で満開の枝垂桜に出くわし
(よし、来年こそは満開のソメイさんを拝みに行くぞー)
と4月1日から、新たに出向先に決まった某お役所を
「残務整理があり・・・」
とダマクラかして出向開始時期を1週間ずらして貰い、3泊4日のギチギチのスケジュールを立てたのが、98年の事である。
暖冬となったこの年は、桜の開花が一週間近く早まり、3月31日の出発となった。
初日は東山廻りで、まずは知恩院へ。
現存する日本の木造建築の門の中では、最大の規模といわれる三門に大いに期待し胸躍らせながら向かったが、「知恩院前」のバス停で降りてテクテクと歩いて行くと、何故か裏門の方に出てしまった。
何しろこの知恩院には、見所が沢山あるのだ。
先に触れた山門を筆頭に、大晦日の「行く年来る年」にも出て来た鐘楼は三井寺、平等院と並ぶ「日本三名鐘」にも数え上げられるし、以下に掲げた有名な「知恩院七不思議」も見逃せない。
- 鴬張りの廊下
- 白木の棺
- 左甚五郎の忘れ傘
- 狩野信政の抜け雀
- 三方正面真向の猫
- 三好清海入道の大杓子
- 牛頭天王が降臨した瓜生山
勿論、重文クラスがズラズラと並ぶ、伽藍群も見応え充分である。
雲ひとつない春の麗らかな陽気の中、日本庭園へ入ると観光客の姿がグッと少なくなり、さらに奥へ奥へと進むに連れて人影はパッタリと途絶えた。
(ここまで来て庭園を観て行かないとは、みんなド素人はんやなー)
と、一人無意味な優越感に浸っていると、ずっと奥の方から若そうな女性の二人連れが歩いてくるのが見えた。
(ほほぉー、若い女二人で庭園観賞とは感心感心・・・)
と鷹揚に構えていると、次第に距離が近付いてくるにつれ
(え・・・?)
と一瞬、我が目を疑う事に・・・
ホテル編Ⅱ
最初に、タウンページを見ている時に目にした「某ホテル予約センター」というところへ電話をすると
「つい最近オープンしたばかりの、新しいホテルをご案内できます!」
一泊7500円という手頃な料金だったので早速頼むと、先方で面倒な予約を代行してくれるというシステムである。
予約の方は任せておいて、昼間の観光を終えて夜にホテルへ向かったものの、サッパリ地理がわからない。
仕方ないので、タクシーを捕まえて
「ホテル×××ってところへ、行って欲しいんだけど・・・」
と告げると
「ホテル×××?
そんなん、訊いたことおまへんな・・・」
「タクシーの運転手がホテルを知らないって・・・困ったなー。
こっちは土地鑑ないし・・・地下鉄谷町9丁目駅の近くだと言ってたんだけどねー」
「なんや・・・タニタニキューでっか!
ほな、この辺りでっせ」
この地元の人の「またはタニキュー」(谷町9丁目)とか「タニヨン」(谷町4丁目)という独特の言い廻しは、イントネーションも含めて、慣れるまでは何の事を言ってるのかがわからず、大いに戸惑ったものである。
そうこうしているうちに、目指すホテルのネオン看板が見えてきた。
「あ、あれだね」
と見てみると、今までに泊まった事のないような立派なホテルのようだ。
なんだか外国の映画にでも出てきそうな、洒落た佇まいであった。
「こりゃ、案外な掘り出し物なのかな・・・」
と、狐につままれたような気分のままに部屋に入ると、まず64平方メートルというとてつもない広い部屋に驚かされた。
洗濯機や乾燥機、またキッチンには本格的なグリルも付いており、テレビも30型は優にありそうな大画面パノラマ。
さらに当時としては、まだ珍しかった衛星放送も無料で観る事が出来たので、ちょうど上手い具合に全試合を放送していた、W杯サッカーを観戦する事も出来た。
洗濯機や乾燥機、グリルなどにはまったく縁がないワタクシにとって、最も有り難かったのは客室に備えてあるジャグジーバスである。
一般的なちゃちなユニットバスとは違い、タイル張りの本格的な湯船でありシャワーも先の方が取替えの出来る、マッサージ機能付きとなっている。
さらに、食事のルームサービスもレストランから運んでくる本格的なものと、まさに何から何まで至れり尽せりであった。
(オープン記念料金で通常1万3000円が7500円とか言っていたが、1万3000円にしても随分と安いもんだ・・・まさか1万7500円の、聞き違えではないよな・・・?)
と、不吉な胸騒ぎが頭を掠めた  ̄_ ̄;) うーん
岡崎から嵐山へ(京都紅葉狩りpart3) ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)ノ
本来なら場所にそぐわないようなあの赤レンガのアーチ状になった水路閣だが、不思議と境内の古めかしい伽藍とは良くマッチして見えた。
たきび(?)に煙る水路閣の前に学生とオボシキ若い女性のグループがいて、紅葉をバックにセーターの胸をはちきれんばかりに膨らませて大きな伸びをしている光景がなんとなく秋深しを思わせる。
水路閣を潜った後で入った「南禅院庭園」は正直期待外れだったが、水路閣上を歩くと、さすがにここでは行き交う観光客の姿は殆んどない。
ほぼ午前中一杯を費やして「南禅寺」をじっくりと観賞して、午後からは金戒光明寺、真如堂へと廻った。
黒谷さんの名で親しまれる金戒光明寺では、思いも拠らぬ背の高い立派な山門に驚き、真如堂では優美なシルエットの三重塔に溜息を吐く。
境内でおでんを食べ紅葉を撮影した。
岡崎の名所を半周して最後は永観堂(禅林寺)へ行くと、東福寺と並ぶ紅葉の名所として知られるだけにさすがにここでは観光客が列を成していた。
この年は天候不順の影響で全体的に葉の色付きが悪かったが、条件さえ良ければ山の上にある多宝塔に登る臥龍廊(回廊)から一望できる紅葉はさぞかし素晴らしいものであろうと思わせる庭園であった。
お目当てのライトアップ紅葉を堪能して、この日は岡崎にある公共施設に泊まった。
翌3日目は、宿の近くにあったバス停からちょうど嵐山方面行きのバスが出ていたのでそれに乗る。
レンタサイクルで自転車を借りて嵐山を気侭にサイクリングしたのまでは覚えているが、さすがにこの辺りからの記憶は曖昧である(編集したビデオも数が多くなり過ぎて探すのが面倒だw)
大覚寺、広沢池辺りをグルリと廻り、観光コースからは外れた離れたところに孟宗竹に囲まれてひっそりと佇む直指庵という尼寺に辿り着いた。
タクシーの運転手に訊いた話では
「ここは京都でも最も遅い紅葉ですわ」
と言う名も知らなかったこの小さな寺に辿り着いて、ようやくこの年一番の美しい紅葉を堪能する事が出来たのであった。
#4日目はまったく記憶に残っていないため割愛します
糸冬 了..._〆(゚▽゚*)
東福寺から岡崎へ(京都紅葉狩りpart2) εεε-(* ̄∇ ̄)-○
通天橋は臥雲橋と偃月橋という橋と繋がっていて「東福寺三名橋」と言われる。
下流の方へグルリと廻り、今度は本物の通天橋の上に立って見ると、さすがに視界の限り素晴らしい眺望が望めた。
初の本格的な紅葉狩りとなったこの年は、高温が続いたり直前に強い雨と風に見舞われたせいで葉の色付きが悪いのは残念だったが、歩廊を歩いて庭園に出る。
「洗玉澗」という渓谷を模した一帯には、ここでしか観る事の出来ない「通天紅葉」が、秋の陽を浴びて美しく光っていた。
通天紅葉は三葉紅葉の一種で、三つに分かれた葉が秋になると黄金色に染まる。
ビデオカメラを撮影していると、何故か見知らぬオバサンが落ち葉を手にして
「ホラ! これが通天紅葉やねー。
普通のとは、ちゃいますやろ。
こんなん、ここでしか観られまへんで」
と耳打ちしていった。
こうして時間を掛けて充分に堪能した後は「泉涌(せんにゅう)寺」へ廻る予定だったが、地図を見ると近くにあるはずなのに坂道を登れど登れど、それらしい格式の高い寺院は見えてくることがないままに、方向転換して清水寺へ移動することにする。
前回の清水さんは桜が満開であったが、この日は舞台から暮れなずむ秋の夕日に映える紅葉を眺めて、初日の日程が終わった。
2日目は岡崎コース。
こちらも学生時代から馴染みが深いが、東山に負けじと錚々たる有名寺社が幾つも並ぶ。
その中で、最初に訪ねたのは「南禅寺」であった。
足利幕府時代の「五山文化」では、唯一五山の上を行く「別格総本山」として祭り上げられた有名寺院である。
歌舞伎で有名な石川五右衛門が
《絶景かな!》
と大見得を切ったとされる(実際は伝承らしいが)三門(別名「天下竜門」)に上がると、素晴らしい眺望が眼前に広がった。
清水の舞台、東大寺二月堂も素晴らしかったが、こちらは正面だけでなく360度のパノラマが楽しめるのが最大の魅力であろう。
ビデオを廻しながらグルリと三周ばかり廻って堪能した後は、琵琶湖疎水の流れる水路閣の方へ移動した εεεー(* ̄∇ ̄)-○
東福寺もみじへの道(京都紅葉狩りpart1) ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)ノ
グウタラ学生だった頃から春の花見だけは欠かさなかったワタクシも、紅葉狩りには一向に興味を示す事はなかった。
理由は簡単で、花見では桜の美しさよりは寧ろ昼間から、大手を振って酒を呑みながらバカ騒ぎが出来るからで、酒とは無縁でありまた薄ら寒いばかりの紅葉狩りは、風流解さない身には興味の対象とは成りえないのである。
紅葉で思い出す事と言えば、精々京都御苑や岡崎公園一帯の銀杏の枯葉を踏みしだいて友とクダらぬ事をダベりながら、足元に纏わりついてくる鳩を脅かしてみたり、或いは美しい女学生と比叡・八瀬遊園辺りへドライブへ行きながら
「この辺りは、ロクな喰いもの屋がないべ・・・」
などと、ハンドル片手にブツクサと小言の百曼陀羅を並べ立てているだけの、なんとも罰当たりで無粋な回想ばかである。
その後、ようやく花の美しさだけではなく
(花は咲かなくとも、葉っぱだけでも花よりも美しい変身の仕方があるもんだ・・・)
という一つの日本の美の形に目覚めるまでには、10年程の月日の経過を待たねばならなかった。
思い立ったら直ぐに行動に移すのがワタクシの主義で11月、つまり前回夏の奈良・京都旅行から僅か3ヵ月後に、三たび京都へ向かう事になる。
そもそもの切っ掛けは、当時愛読していた雑誌に掲載されていた、JRの
《そうだ、京都へ行こう》
のキャンペーン広告で見た『東福寺』の、あの境内が一面真紅に染まった写真を見たところからであった。
(うーむ・・・これは是非とも、実物をこの目で見なければ・・・)
と唸った末に、早速お目当ての『東福寺』へと向かう事になる。
どこへ行っても、紅葉などは珍しくもなんともない京都の町や寺社でも、この『東福寺』は特に紅葉の有名な事ではよく知られ、勤労感謝の日の祝日が土日と重なる3連休となる年などは、この3日間だけで実に10万人もの観光客が訪れる、とも言われるほどであった。
勿論、当時はそんな事は知らないワタクシだったが、どういう僥倖からか偶々この時はすんなりと中に入る事が出来
(これが、あの写真で見た『通天橋』ってやつか・・・)
と古びた木の橋の上から犇く観光客の頭越しにビデオカメラを構えると、向こう側の正面に見える一段と立派な感じの橋が本物の『通天橋』であり、今立っているのは『臥雲橋』という別の橋であった・・・
ホテル編part1
学生時代の甘酸っぱい感傷から遠ざかるためにしばらくは関西に向かう事のなかったワタクシですが、そういった過去の感傷を超えて純粋な心の発露から、再び関西へと足を向けようという気持ちになったのは20代後半くらいからだった。
旅先では酒が大きな楽しみであるワタクシにとっては、多くの場合が交通機関を利用しての旅となる。
定期的に関西旅行を始めた当初は予算などの関係もあり、近鉄特急(アーバンライナー)を使っていた。
始発の名古屋から終点のなんばまで当時は片道3250円だったが、ディスカウントショップへ行くと2800円くらいで売っていたから、往復でも僅か5600円で済むのである。
新幹線とは違い全席指定席なので、当初は2時間という時間もさほど長く感じる事はなかった。
ところが何度目かの旅行が、ちょうど割引チケットの回数券が使用出来ないお盆期間に当たったために、出発間際にチケットを買うつもりで行ってみると、切符が完売となっていた。
この特急は毎時00分と30分の二本しかない上、30分の方は特急とはいえゴチャゴチャと沢山の駅に停まるから2時間半もかかってしまうため、実質的には毎時一本ずつしかないのと同じであり、空席のある数本先の特急を待っていては午後からの出発となってしまうため、仕方なく新幹線で行く事にする。
久しぶりに乗る新幹線は、当然の事ながらやはり速い。
「のぞみ」には手が出ないものの「ひかり」でも1時間を切るくらいだから、アーバンライナーに慣れた身には一段と速く感じる上に、本数が多くいつでも来たのに乗れる気安さも予約やら時間やらに縛られるのが、なによりも嫌いなワタクシには向いていた。
混雑さえなんとか我慢すれば、立ちんぼ自体は苦にもならない所要時間である。
それにしても、関西三都の足回りの良さは特筆に価する。
JRの新快速なら
大阪(梅田)⇔京都が約30分
大阪(梅田)⇔神戸
に至っては、僅か20分である。
JRの不便な奈良だけは近鉄なんばから近鉄奈良となるが、それでも40分はかからないから近郊の市外からでは名古屋へ出るだけでも、直ぐに1時間近くはかかってしまう地元から見れば比較にならない便利さで、これもワタクシの足がなにかと関西方面に向きやすい所以である。
新幹線の料金自体も、名古屋からは競争のない東京方面とは違い、近鉄線のある関西方面は名古屋⇔大阪の正規料金5670円が、ディスカウントショップでは4300円程度と東京の半額以下であり、往復でも1万円とかからないのは大いに助かる。
ところで旅行の度に頭を悩ませるのが、宿泊するホテルである。
今以上にズボラだった若い頃はガイドブックで探すのすら億劫に感じ、現地に着いてからタウンページを開いて探し始めるというテイタラクだった (* ̄m ̄)ブッ
初めての奈良旅行(番外編) 奈良の鹿 ( ゚ー゚)/゚*゙:¨*;.・';゙:..・☆
奈良の名物といえば、鹿である。
小学生時代に親に連れて行かれたのと、修学旅行を併せると三度くらいは奈良に行ったはずだったが、奈良で記憶に残っているのは鹿くらいのものである。
興福寺辺りから奈良公園、春日大社、東大寺に至る一帯で観光客らしき人々が鹿に追いかけられながら、せんべいを手に悲鳴をあげている光景は、懐かしい記憶にオーバーラップする。
鹿は人間に良く似ているといわれるが、確かに頭が良いのか同じようにせんべいを持っていても、子供や若い女性相手にはストーカーのように徹底的に付き纏いながら追いかけていくが、ワタクシのようなスポーツ仕込みの青年やムクツケキ壮年タイプのオジサンは、最も警戒の対象なのか諦めが早い。
さらに不思議なのは、まだ客の手に渡る前のせんべいには、クビを伸ばせば充分届くところに置いてあるにもかかわらず絶対に手を出さず、金を払って客の手に渡った途端にお辞儀をしながら寄って来るところなどは、いかにも躾が行き届いているなと感じた。
それでも少しは野性が残っているから、油断していると子供や老人などには時折、凶暴な姿を見せる事もある。
かつてこの鹿は神の遣いとされ、鹿を殺した罰で死罪や生き埋めにされた例も珍しくなかったくらい、非常に大切にされてきた。
家の前で鹿が死んでいるだけで厳罰に処されるため、朝早く起きて死んでいる鹿をよその家の前まで引きずっていったなどというエピソードもあり
「早起きは三文の得(徳)」
という諺は、ここから始まったとも言われている。
この諺は、元々が
「朝早く起きたからといって、三文程度の得にしかならない」
という逆の意味である事から考えると、ホンマかいなとも思いますが (*'m`)
そうして大事にされてきた奈良の鹿だが、あまり大事にされすぎてきたせいか或いは天敵だった狼が開発とともに山の奥深くへとテリトリーを変えたいったためか、年々頭数が増えて来ているらしい。
最近では、世界遺産に登録された春日山原始林にある貴重な植物を好物として食べまくった結果、特定の植物が絶滅の危機に瀕する結果となり、遂には「間引き」も本格的に検討されるなど色々と問題を抱えているとも言われる。
天然記念物の奈良鹿も、国宝や世界遺産には代えられないという事だろうか。
また京都・嵐山の「法輪寺」という寺院でも、かつての漆の産地を復活させようと100本ほどの漆の木を植えたところ、たちまち野生の鹿が現れては次々と新芽をたべてしまい、関係者が頭を抱えているという話も訊いたが、増えすぎた鹿の害が各所で生態系に影響を及ぼしているようでもある。
それはともかくとして、当時はそんな事は知らない暢気な観光客たるワタクシとしては、同じせんべいをあげるなら毛並みの艶々とした、可愛いバンビちゃんを選んでやりたいところだったものの、案に相違して傍に寄って来るのは図体がデカク、毛並みの色褪せた年寄り鹿ばかりであった。
若くて綺麗なのは、放っておいても相手の方で寄って来るからどれもおっとり構えているが、容姿の劣ったご老体はボンヤリ待っていてはいつエサにありつけるかわからない、という危機意識が強い分だけ厚かましくなるところなどは、我が人類も同じようですが・・・・( '∀`)タハ
初めての奈良旅行part4 奈良のボロ宿(後編) Ψ(ーωー)Ψ
それにしても、誰が入ってくるかわからぬ脱衣所に、部屋のキーを置きっ放しにしている2人連れにも驚かされたが、ライトアップから戻った夜10時くらいのフロントが早々に無人になっていて、外出客のものらしきキーが幾つか並べて置いてあったのも併せ
(やっぱ奈良ってところは、万事が大らかなのか?)
と、変な具合に感心せざるを得なかった。
さて、ようやくの事でありついた風呂は、どこにでもありそうな家庭風呂に多少毛の生えた程度のショボイ代物で、人一倍デリケートなワタクシは
(こんな、誰が入ったかわからんような湯舟なんて・・・)
と普段ならまず入る事はありえなかったが、なにせこの時ばかりは例外的に疲れた体が、欲求に負けた。
病気を移されてもいいという、決死の覚悟(?)で風呂に入ったお蔭で、一遍に疲れが吹き飛んでサッパリした感じになり
(さあ、後は寝るだけや)
とベッドに入ると、長風呂で火照った体からジワジワと汗が滲み出して来る。
なんとも信じ難い事に、いつの間にやら冷房が切られているらしいのである。
クレームをつけるべきか迷ったが、見知らぬ旅先で夜中に無人のフロントを叩き起こして揉めるのも気が進まず
(郷に入っては郷に従えか・・・)
とばかり開き直って窓を開け放ってはみたものの、風のない盆地の蒸し暑い夜だけに暑さで、どうにも寝られないのだった。
暑くて喉が渇くから、階段下に備え付けてあった冷たい麦茶が、これまで飲んだ事がないくらいに旨く感じられ何杯も飲んでしまい、余計に汗が出て寝られない。
こうした悪循環を繰り返し眠れぬ夜を悶々と過ごした挙句、開け放っていた窓辺にハトとスズメが群れをなしてコーラスを始めた早暁に、叩き起こされるハメとなってしまった Ψ(ーωー)Ψ
初めての奈良旅行part3 奈良のボロ宿(前編) Ψ(ーωー)Ψ
浴場はこれ一つで、男女兼用になっているらしい。
(へー、こんなシケタ宿に若い女が二人とは珍しいな・・・)
辺りを見回すと、順番待ちの椅子とマンガや雑誌などが置かれてある。
マンガや雑誌には興味のないワタクシは、椅子に腰掛けてボンヤリと待つ事に決めかけたが、考えてみれば中に入っているのはあの声からして、女子大生くらいの若い女性が2人である。
そして当たり前の事だが、こうしてこの椅子にボンヤリ腰掛けているからには、やがて風呂上がりの2人の女性とバッタリと顔を合わせる・・・という理屈になる。
そう考えて
(どんなのが出てくるかいな・・・?)
という好奇心は否定しないものの、やはりその時のバツの悪さを考え、部屋に引き上げる事にした。
あのハシャギップリでは、まだしばらくは出てきそうにないだろうから、なにもやる事のない部屋で野球中継など観ながら、しばらくゴロゴロした後に
(いくらなんでも、もう出てるだろう・・・)
と、チト惜しい事をした気がしながらも頃合を見計らって浴室へ行くと、タイミング悪く(良く?)ちょうど風呂から上がって来た女子高生くらいの、見るからに地方からやって来たような素朴な雰囲気の幼さの残る娘2人が、頭にタオルを巻きつけたバスローブ姿の火照った顔で出てきたところに出くわしてしまったのだった ( *^艸^)ムププ
(こりゃ、最悪・・・)
と思ったが今更引っ込みがつかずボンヤリと座っていると、あれほどハシャイでいた2人は、予想外の色男(怪し気な男?)の出現に戸惑ったか、急にピタリと口を閉ざしたまま俯き加減に、そそくさと脇を通り抜けて行く。
それでも、後の方にいたコが
「お先でーす!
あ・・・お湯、全部入れ替えておきましたので・・・」
と、声を掛けてくれたのは気が利いていた。
「そりゃ、どうも。
ありがとー」
と声を返すと、今度はもう一人の娘も一緒に
「ごゆっくりー」
と声を掛けてくれた。
見知らぬ地での旅ならではの、ちょっとした触れ合いが楽しい。
初めての奈良旅行part4 万燈篭~ライトアップ・プロムナードなら 。('-'。)(。'-')。ワクワク
歩数だけでなく、若草山に登ったり寺社の傾斜のキツイ石段ばかりだから、実際にはこれの倍以上の疲れがあるのに加え、旅もこの日で4日目。
観光に欲張って、普段は起きないような早朝から起きて行動して来ていた寝不足も重なっていただけに、さすがに体力自慢のワタクシもこの時ばかりは少々疲れ気味だった。
そこへ持ってきて、あの人だかりの多さがダメを押した形になったが、後にTVで釣燈篭に一斉に灯の入った幻想的な画像を目にした時は
(やっぱりあの時、死んでもいいから観ておくんだった・・・)
と、悔いを千載に残す事になるのである。
ともあれ、その日はしつこく勧誘してくる人力車の兄ちゃんをあしらうと、疲れた身体に鞭打ちながらどうにか宿に戻る。
当時はまだ、インターネットなどは一般に普及していないご時世だから、見知らぬ旅先の宿はホテルガイドブックか旅行雑誌の広告辺りから見つけるしか手はなく、この日の宿泊先も雑誌の広告で見ていい加減に決めた、旅館ともホテルとも付かぬ中途半端な宿だった。
宿に付くと気が緩んだせいか、改めて真夏の炎天下の山中を4万歩以上歩いて来た疲れが、ドッと押し寄せてくる。
ワタクシの人一倍長い足では(?)一歩が1mb近くはあろうと思われるから、距離に換算すれば凡そ40km。
つまり半日掛かりで、難コースのフルマラソンを走って来たようなものである。
お茶を持ってきた仲居から
(お部屋にもバスが付いておりますがちょっと狭いと思いますので、よろしければ「大浴場」をご利用ください)
と訊いたので
「ほほぉ・・・(こんなしけた宿でも)「大浴場」なんてものがあるんだ・・・?」
「まあ「大浴場」と言うほどに、大きくはありませんが・・・」
何はともあれ早速「大浴場」へ行くと、どうやら「大浴場」とは名ばかりの湯船の方からは、先客の若い女性のものらしき2人の明るい嬌声が聞こえてきたのだった ジー(;¬_¬)
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最終更新:2008年01月22日 01:37