初めての奈良旅行part3 万燈篭~ライトアップ・プロムナードなら 。('-'。)(。'-')。ワクワク
こうした寺社というのは建築が幾つもあるから、訪れる度にどこかの修復中をしているケースによく出くわすが、この時は講堂が改修中であった。
この薬師寺講堂は、完成すれば東大寺大仏殿を上回る国内最大の木造建築になるらしい。
ちなみにこれより数年前に訪ねたある知人は、ちょうど西搭の改修期間に当たってしまうという貧乏くじを引いてしまったらしいが・・・
鏡池越しに望む、あの塔が二つ並んだロケーションを探して歩き回っているうちに思わぬ時間を食ってしまい、一緒に予定していた唐招提寺は泣く泣く諦めて、ライトアップの中心部へ再びUターンして行った。
陽が落ちる頃合を見計らって近鉄奈良駅に戻り、昼間のコースをなぞっていく。
ライトアップによって、昼間とは趣を異にした興福寺、東大寺と廻り、お目当ての春日大社へ。
江戸時代を中心に、信者から無数に寄進されたと言われる境内の燈篭と、堂内の釣燈篭に一斉に燈が灯る「中元万燈篭」は8月14日、15日の2日しかない(万燈篭自体は、節分にもあるらしい)ので、近所に住んでいない限りはいつ観に来られるチャンスに恵まれるかわからないのである。
長く続く参道。
無数の燈篭が、闇の中で光を放つ光景は夢幻的であった。
ところが、参道をようやく歩き切り本殿拝観受付の前まで来たところで、そこに並ぶ長蛇の列を見てウンザリとしたがために、遂に本殿の釣燈篭を拝むことなく引き返すことにしてしまった。
盆地・奈良の蒸し暑い真夏の炎天下を延々と歩き続けたこの日の万歩計のカウンターは、既に4万歩を楽に超えていた。
初めての奈良旅行part2 ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)ノ
薬師寺へ向かう切っ掛けは、TVの某CMで金堂を挟んで東塔・西(さい)搭の二つの搭が並ぶ、美しい芸術的な姿に魅入られて以来
(何としても、これを肉眼で拝まなくては)
という欲求に突き上げられたのであった。
といっても、当初はどこの何という寺院かまったく何の手掛かりもなく、押っ取り刀で県図書館に調べに行く。
二つの三重搭が並び立つような寺院は、京都・奈良とはいえそうはあるまいと見当を付けて手当たり次第に探し始めると、京都の方はどうもそれに該当するような寺院はなさそうに見えた。
次いで奈良に手を付けたところで、お目当ての薬師寺が見つかったと、いう次第である。
言うまでもなく、こここそは全国にある「薬師寺」の総本山であり、それだけの由緒ある寺院なのに粗末な拝観受付は、何故か不在になっている。
呼んでも誰も出てこないので、不本意ながらタダで入ってしまう事になった。
この古びた佇まいの東塔と、修復されてまだ間のなかった朱塗りの派手な西搭が二つ並ぶ光景は、やはり肉眼にも眩しいくらいに美しい眺めだ。
国宝は勿論、古びた東塔の方である。
薬師寺の塔の美しさは、屋根と屋根の間に裳階(もこし)という小さい屋根のような飾りが付いているために、一見したところ六重塔に見えるあの独特の創りで、アメリカの哲学者で日本の文化に造詣の深かったフェノロサが、このリズミカルな建築美を「凍れる音楽」と評したセンスには、本当に脱帽する。
さらに、この塔が凝っているのは、そればかりではない。
塔の屋根から上に突き出している相輪という部分には「楽奏天人」という、雲の上に乗った天女が横笛を吹いている図案の彫刻が透かし彫りにされているのである。
勿論、そうしたところは肉眼では見えない高さだ。
この時はビデオを撮影していながらまったく気が付かなかったくらいで、ボンヤリ見ていては到底目にも留らないようなところで、これだけ凝った仕事をする職人気質こそは日本文化の奥深さ、また奥床しさを感じさせる素晴らしさであろう (´-ω-`)うーん
初めての奈良旅行part1 ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)ノ
今回の旅は日程が5日も取れたので大阪、神戸にも回ってブラブラとしてきた後は、いよいよ14日に奈良へ。
初めての奈良だけに定番コースの奈良公園から、ノンビリと回っていく事にする。
歩き始めると、直ぐに興福寺が見えてきた。
東寺に次いで日本で二番目に高い(約48m)と言われる五重塔を中心に三重搭、南円堂、北円堂、東金堂と国宝クラスの大建築がズラリと並ぶ偉容に、いきなり圧倒される。
これらの鄙びた木造建築群と、対比をなす芝生をのどかに歩いている名物の鹿が、奈良らしいアクセントをつけている(「奈良の鹿」については回を改めてup予定)
しばらく鹿と戯れた後に、春日大社へ向かった。
この日(14日)と翌日(15日)に行われる「中元万燈篭」のための下見に、春日大社を拝観しておいてからお目当ての東大寺へ。
猿沢池から浮見堂の浮かぶ鷺池をグルリと回りながら、奈良の空気を肌一杯に吸い込みつつ、東大寺大仏殿の前に立つ。
子供の頃に見たおぼろげな記憶では、かなり大きい印象が残っていただけに
(あれっ?
こんな程度の大きさだったっけ?)
と、改めて見直してみる。
この奈良大仏よりは3mは高い18.8mある愛知県・東海市にある「聚楽園大仏」を何度も見ていたせいであろうか。
片や聚楽園大仏の方は、近所の工場の煙突から出る煙を長年に渡りモロに浴び続けているため、煤ですっかり汚されてしまっているのに対し、こちらの盧遮那仏サマの方は大仏殿のような世にも立派な建物の中に安置されているのだから、幸せである。
ありがたい大仏サマをとっくりと観賞し、南大門までの参道を再び鹿と戯れながら歩き、西の京へと移動して行った。
近鉄奈良駅前の「ひがしむき商店街」辺りの中心部は、奈良と言えど若者が溢れていて幾らか都会らしい雰囲気は感じられたが、少し離れた西の京まで来るとすっかり鄙びた古都・奈良の相しかない。
再び三都へpart4 「きぬかけの道」を歩く(後編) εεε-(* ̄∇ ̄)-○
これをきっかけに、今度は庭園ばかりではなく建築美にも興味の対象が広がっていく事になる。
こうして充分に堪能した後は、きぬかけの道を歩く。
「きぬかけの道」の由来は
《衣笠山が雪を被って白くなっているところが、遠目には絹の衣を掛けたかのように見えるため》
というところからで、こうした情緒ある喩えはいかにも京の雅であろう。
衣笠方面では、金閣寺に次ぐ有名な龍安寺は作者不詳の石庭が名高く、ちょうど金髪碧眼の外人さんが正座をして石庭を観賞しているという、まさに絵に描いたような場面に出くわしたが、まずは総門を入った境内に広い庭園がある。
衣笠山を借景とし、鏡容池という大きな池を中心に設計されており、その広々とした周囲をグルリと回ると、石庭の緊張感とは違い心の落ち着く感じがして、観光客こそは少ないが寧ろこちらの方が、ワタクシの好むところである。
茶席には「吾唯足知(吾れ唯足ることを知る)」という、禅の心を図案化した水戸光圀公の寄進による蹲がある。
さて、京都に1200もあると言われる寺社の中でも、間違いなく最も有名と言える鹿苑寺(金閣寺)を訪ねると、さすがにこちらの方は修学旅行らしき学生や外国人の団体などで賑わっており、金閣の前で記念撮影をする姿が引きも切らない。
真夏の陽光を浴びて燦然と輝く鹿苑寺金閣が鏡湖池に映える姿は、やはり息を飲むほどに美しいものだった。
ツアーの団体などは、この金閣だけを正面から眺めるとそそくさとUターンして帰っていってしまう傾向があるようだが、なんとも勿体ない事である。
そんないそいそとした人々を尻目に、衣笠山を借景とした池泉回遊式庭園をノンビリ散策する、一人の風流人の姿がそこあった εεε(* ̄∇ ̄)-○
再び三都へpart3 「きぬかけの道」を歩く(前編) εεε-(* ̄∇ ̄)-○
次に関西を訪れたのは、四ヵ月後の8月。
4泊5日の長旅だ。
大阪、神戸と来て前回はようやく京都まで辿り着いたが、今度は一気に奈良へと足を延ばす事にした。
三都に関しては、学生時代から随分と遊び歩いたものだが、考えてみれば奈良にはこれまで子供の時に両親に何度か連れて行かれたのと、小学校の修学旅行以来だから自分の足で行くのは初めてである。
学生時代に、ある女学生と吉野山までドライブがてら花見に行くプランを立てたところまではあったが、結局
「奈良なんかへ行っても、つまらんか・・・」
という、愚かな結論でお流れになったのだった。
どうせ新幹線で京都まで行く事にはなるからと京都で一旦下車し、まずは京都見物から始める事にする。
今回は、観光シーズンを大きく外れた真夏だからそれほどの混雑はないだろうと、まずは前回行く事の出来なかった衣笠・御室方面へと向かう。
「御室のおたふくさん」として名高い遅咲きの「御室桜」で有名な「仁和寺」は、かつては皇室に所縁の深い「御室御所」として知られた、非常に格式の高い寺院である。
道路に面した、古びた風格ある大きな山門を潜り広い参道を歩いて行くと五重塔、金堂、御影堂といった巨大な伽藍群がズラリと並ぶ偉容に、早くも圧倒される オオー!!w(*゚o゚*)
かつて良く見ていた八坂の搭の優美な姿とは対照的に、こちらの塔はどことなくドッシリとした感じの、武骨な力強さを感じる佇まいであり
(同じ五重塔といっても、それぞれに全然異なる特徴があるのだなー)
と感じたものだった。
こうした建築を見て回るうちに、花のシーズンからは外れた今回の京都は見どころに欠けるか・・・などと危惧していたのが、まったくの杞憂である事を知った。
再び三都へpart2(京都編)
五条坂辺りで混雑するバスから滑り降り、清水坂、茶碗坂、二年坂、産寧坂(三年坂)などをブラブラしていると、忽ち
(ああ・・・京都に来たんだなぁ・・・)
という懐かしい気持ちが溢れてきた。
坂を登りきったところに、変わらぬ姿を見せる山門・舞台・朱塗りの三重搭の清水寺三点セットの前で、舞妓はんと一緒に記念撮影に収まる修学旅行とオボシキ学生の団体や観光客があちこちに見られるのが、いかにも京都らしい情緒溢れる趣である。
八坂神社や祇園辺りにも舞妓はん、或いは芸妓はんと見られる派手な着物の艶やかな姿が珍しくないのは、改めて観光客として見る目には新鮮に映った。
清水寺の舞台に上がり展望を楽しんだ後は、境内をグルリと散策する。
円山公園の有名な枝垂桜は、ちょうど満開の見頃であった。
その日は、ライトアップされた枝垂桜を堪能して京都に一泊し、翌日は一路嵐山へと向かう。
桜に染まった嵐山をバックに、懐かしい渡月橋から大堰川を望むとユリカモメがズラズラと並んで、羽を休めていた。
名古屋城のお濠にも、毎年越冬してくるユリカモメは2月には帰って行ってしまうから
(なんでこの時期に、まだいるんだろう・・・?)
という感じがしたが、どうやら居心地の良いここには一年中棲みついているらしい。
嵐山では竹林を通り、まず目的の天龍寺を訪ねる。
かつてはあれだけ何度も嵐山に足を運びながら、天龍寺といえばあの広い参道で武道の稽古をしたくらいしか記憶になく、改まっての拝観は初めてである。
この天龍寺は、足利幕府によって定められた「京都五山」の筆頭に位置付けられた格式の高い寺院であり、夢窓国師の代表的傑作としても名高い嵐山を借景とした「曹源池庭園」は、さすが息を飲むほどに立派の一語である。
最初に見てそれなりに感心していた相楽園などは、これに比べればほんの箱庭程度のものか。
この時は4月の半ば過ぎという、桜の花見と特別拝観で混雑するGWに挟まれた中途半端な時期だっただけに、観光客も危惧していたほどはど多くはなく、春の陽光を浴びて広い庭内をノンビリ散策する事が出来た。
庭内を一巡りすると、ここでもちょうど満開の枝垂桜が嵐山を背景に青空に映えている。
これを境に、すっかり日本庭園や建築の美に魅了されていく事になっていく (o ̄∀ ̄)ノ
再び三都へpart1(京都編)
学生時代の甘酸っぱい郷愁がトラウマとなり、なんとなく足が遠のいていた関西方面にようやく旅をする気になったのは、名古屋へ戻ってから6年ほど経った、20代後半になってからの事であった。
久々に当てもないままに道頓堀や心斎橋、梅田、中之島公園辺りをブラブラと歩き、ジャンジャン横丁で安い鮨を摘んだりした。
2度目は観光客に紛れて通天閣、海遊館といった有名どころを廻り、3度目には神戸へと足を延ばす。
北野異人館街、ミナト、モザイク、メリケンパーク、六甲山牧場等を見て周り、最後に相楽園という庭園に足を伸ばしたの、がその後の庭園巡りの嚆矢となった。
大阪に戻ったついでに天王寺公園にも足を運び、慶沢園という庭園に入る。
庭園とは名ばかりでた単にだだっ広い敷地だったが、まだ京都の日本庭園を知らぬ身には充分に落ち着ける感じがしたものであった。
(そういや庭園といえば、京都の有名な寺には必ずあったっけ・・・)
こうしてようやくハタと膝を打ったのは、30を目前にしての事である。
次に纏まった休みを取って京都へ向かったのは、実に8年ぶりの事。
京都に関しては勝手知ったるつもりではあったが、なにせターボ搭載のスカGを乗り回していた学生時代には、電車やバスに乗った事は殆んど数えるほどしかなかったから、京都駅のバスターミナルでそれぞれ名前だけは聞いたことのある有名寺社が、行き先として表記された乗り場の前に行列をなしている観光客の群れを目の当たりにした時には、大いに戸惑った。
(ありゃりゃ・・・ 京都って、こんなに観光客が多かったっけ?)
実は4月の半ば過ぎと花見のシーズンはもう終わっているはずだったから、これほど多くの観光客でごった返しているとは思ってもいず、また観光の基点となる京都駅にもあまり縁がなかっただけに
(こりゃ、どこへどう行けばよいものやら・・・)
と途方に暮れてしまう。
実は、この旅行に備え雑誌「るるぶ」で下調べをしておいたが、最初の目的地を「嵐山」にするか「東山」にするかで散々迷った挙句、夢窓国師作庭の「曹源池庭園」で有名な「天龍寺」のある嵯峨嵐山に決めたものの、金閣寺、竜安寺、御室仁和寺といった有名寺社が犇いている嵐山から衣笠方面行きのバスがどれも長蛇の列をなしているのを見て尻込みし、急遽「東山」に変更する事にした。
最も東山の方は通っていた大学にも近く、K女子大に彼女がいた関係もあって勝手知ったる土地である。
学生時代の京都遍歴part4 εεε-(* ̄∇ ̄)-○
また同じM嬢とは、桜のトンネルで有名な約2kmの散策路「哲学の道」(西田幾太郎など、多くの哲学者・思想家などがこの道を歩きながら思索に耽った事から、この名が付いたと言われる)をたっぷり1時間以上も費やしながらマッタリと歩きましたが、その時も
「ああ、綺麗やったなー。
この道はもう直ぐそこの、南禅寺っていうお寺さんまで行ったら終わりやわ」
「ほほー。
南禅寺といえば、なんか訊いた事があるぞ・・・
確か松本清張の話に、良く出て来たな・・・
近くに、湯豆腐の旨い店があるとかなんとか書いてあった記憶が・・・」
「キャハハハハ!
アンタ、そういうのばっかし、ホンマ詳しいなー」
とすっかり呆れさせながらも、抜け目なくワガハイら貧乏学生の仕送りに匹敵するような大枚の小遣いを貰っていた、この金持ちのお嬢に名物湯豆腐をご馳走になったりもしたものです (*Φ皿Φ*)ニシシシシ
と言っても、決して食べる事ばかりを考えていたわけでもありませんが、相変わらず寺社の観光にはまったく興味が向く事はなく、キャンパスとは目と鼻の先に位置していながら専ら、境内を通り抜けるだけだった相国寺。
下宿からは、歩いて1分に鎮座ましましていた大徳寺には27もの搭頭があり、常時公開している4寺の他に特別公開の時は遠方から大勢の観光客で賑わっていたものですが、その喧騒を嫌ってやはり四条辺りにしけこんでいたのは、なんとも惜しい限りです。
思えば、ここで唯一観たものといえば
《千利休が自分の銅像を作ったかどで秀吉の怒りをかい、切腹を命じられた場所》
というエピソードの残る「金毛閣」くらいのものでしょう。
そして数年もの時を経て、今ではそれの埋め合わせのように高い足代を払って、昼食は予算と時間の関係でコンビニのおにぎりなどで済ませながらにしてまでも足繁く、かつては視野にも入らなかった寺社をせっせと訪ね歩いているのは、なんとも皮肉なものです (*´ー`) フッ
学生時代の京都遍歴part3 εεε-(* ̄∇ ̄)-○
他の有名どころとしては平安神宮、金閣寺(鹿苑寺)、西本願寺、東本願寺、延暦寺、建仁寺といった程度でしょうか。
とはいっても実態は、それぞれ鹿苑寺(金閣寺)では金閣を眺めて「ほぉー」と溜息をついただけで終わりでしたし、本願寺では枯れ紅葉を踏みしだきながら、馴れ馴れしく寄って来る厚かましい鳩の群れを脅かしていたり、建仁寺では建仁寺垣に寄り添って境内で駄弁っていただけ、延暦寺は奥比叡ドライブウェイのついでに寄ったのみと、いずれも「拝観」というには程遠く、唯一の拝観らしきものといえば平安神宮での初詣と紅八重枝垂桜の美しさを堪能した「神苑」での花見くらいのものでしょう。
花見に何度か訪ねた円山公園では、特に思い出があります。
当時は松本清張を片っ端から読み漁っていた時代で、有名な『顔』という短編や『球形の荒野』という長編などに何度か出て来た「いもぼう料理」の老舗に是非とも行ってみたく、呉服問屋の道楽娘M嬢を
「なぁ・・・松本清張の小説に出てくる『いもぼう』に行こうや」
と誘うと
「松本清張なんて、読んだことないわ・・・けど『平野屋』やったら、何度か行った事あるけんな・・・」
と案内され、学生には敷居の高そうなこの有名な店で、名物を食する恩恵に浴しました。
《芋の形がエビのように反り返り縞模様がエビの甲羅を連想させる所から、いつしか海老芋と称されるようになったという。これを、海から遠く離れた京洛でタンパク源として珍重されていた棒鱈と共に、長時間煮詰めて作り上げたのが「いもぼう」なのである。
当初は、献上品として食されていた高貴な食べ物であったが、次第に庶民へと広がっていったという》(「いもぼう」の解説より)
学生時代の京都遍歴part2 εεε-(* ̄∇ ̄)-○
今でこそ寺社の庭園や建築仏閣といった、日本の伝統美を見て廻るのがこの上なく好きなワタクシも、多くの若者がそうであるように当時はまったくそれらに対しては興味を示す事などなく、三年間で幾つの寺を観て廻ったのかと問われれば実にお寒い限りです。
それでも東山界隈はまだよく歩いた方で、彼女の居たK女子大にスカGを飛ばして様子見に行った時は、あの日吉神社の坂からン百人という京女生がゾロゾロと降りて来る壮観にすっかり見惚れながら、その直ぐ傍に鎮座まします有名な「三十三間堂」へは終ぞ訪れた記憶がありません。
紅葉狩りなどという洒落た事にはまったく関心のなかった当時も、花見だけはあちこちで楽しんだ記憶があります(勿論、桜さんの美しさに惹かれてというよりは、酒を呑んでドンチャン騒ぎをする方が目的だった事は、言うまでもないですが・・・)
枝垂桜で有名な「円山公園」や隣接する八坂神社へは何度も足を運びましたし、直ぐ近くの清水寺の舞台にも上がりました。
また東の「円山の枝垂桜」と並び称される西の「平野の夜桜」も、お嬢に案内して貰ったおかげで堪能出来ましたし、嵐山の渡月橋から中ノ島公園にはシーズンを問わず、何度も足を運びました。
最も良く行ったのが京都御苑で、こちらには毎日のように日参しては空手と少林寺の修業、また昼寝などを決め込んでいましたが、あれほど足繁く通っていながら春秋の特別公開は見たためしがなかった。
普段は、近所の子連れ主婦や学生などがノンビリと寛いでいる長閑な御苑も、この時ばかりは各地から上洛してきた観光客の団体で押すな押すなの人だかりで、それを避けるために四条辺りに避難していたという、今考えればなんとも惜しい真似をしていたものです。
雨の日の夕方の人影の途絶えた京都御苑といえば、武道の修行中に勢い余って御所(当時は御所は別の場所にあり、あの高い塀で囲われた向こうに御所があるという認識はなかった)の塀に触れてしまったために、警報が鳴って警備員らしい姿がバラバラと駆け寄って来るような(或いは錯覚だったか?)のを見た時には、心底肝を冷しました。
また在学中に、英国のダイアナ妃とチャールズ皇太子が京都御所を訪れ「ダイアナ・フィーバー」が起きた時も、残念ながら件のお嬢と四条に更け込んでいて見逃してしまいました。
他の有名どころとしては平安神宮、金閣寺(鹿苑寺)、西本願寺、東本願寺、延暦寺、建仁寺といった程度でしょうか。
とはいっても、その実態は・・・
学生時代の京都遍歴part1 εεε-(* ̄∇ ̄)-○
学生時代の三年間を過ごした京都に対するワタクシのイメージは、大まかに言って以下のようなものでした。
×のイメージ
- ロクな食べ物がなく、どれも不味い
- 何もかもが古臭い
- 偉そうなヤツや本音を言わない腹黒いヤツが多い
- 人(観光客)がやたらと多い
- 道路が狭い
- 都会の割りには娯楽施設が少ない
○のイメージ
- 学生には、非常に寛大である
- 公園や川べり、神社など町に(タダで)憩える場所が多い
- 大阪や神戸といった、娯楽の多い都会に近く交通の便も良い
- 伝統や歴史を大切にする
- 人々に徳がある
といったものでした。
外人さんに言わせると
「日本人は思った事をハッキリと口に出して言わないから、何を考えてるのかがわかり難い」
という事のようですが、彼の地においてヨソ者たるワタクシの見たところでは、まさに京都の人々こそは日本人の縮図であると言えます。
大阪から通っていた、友人D君によれば
「京都のヤツらは本音を言わん腹黒いのが多いさかい、ホンマに付き合い難いうてアカンで。
有名な話やが、人の家に訪問した時にあんまり長居すると
『お茶漬けでもいかがおすか?』
と言われるんやが・・・」
「ほほぉー、そりゃ親切やんか・・・?」
「アホか! これはやな・・・
つまり『もう、早よ帰れ!』ちゅう意味なんやて・・・
これを真に受けた他所モンがホンマに喜んで喰うてったら、翌日からは誰からも口訊かれへんくなったとかな・・・」
「そんなん、ヨソモンにゃわからへんやろが・・・」
「そこが京都ちゅうとこよ・・・そんな事がわからんヤツは出てけちゅうな・・・」
これは大阪人D君の偏見が多分に入っていたようですが、ワタクシ的にとりわけ一番印象強かったのが、やはり寺や神社がやたらと多い事です。
なにせ、あの狭い市内だけでも大小あわせて1000以上もの寺社があるのですから、町中お寺さんだらけという印象になります。
そしてまた春の花見やGW期間の秘宝・秘仏の特別公開期間、秋の紅葉に合わせた特別公開のシーズンともなると、有名寺社を中心にどこもが観光客でごった返す事のも恒例です。
京都学生生活での旅行体験(後編) εεε-(* ̄∇ ̄)-○
またお相手が阪神圏在住者の場合は、先に触れた大阪のコースの他に神戸なら異人館街、ミナト、南京町、元町、三宮センター街などが定番コースです。
彼女らとの関係が進展していくのに比例し、当然デートコースもちょっと気の利いたところとなっていきます。
京都なら比叡山・八瀬、大原の里、滋賀では琵琶湖を望む浜大津、神戸でいえば六甲山、摩耶山、有馬温泉といった奥座敷にまで足を伸ばし、当然の事ながらこれらの幾つかは泊りがけの旅行となります。
ワタクシの女性の好みは、当時から一貫して気立ての優しいタイプなのですが、何故か意に反して実際に付き合いのあった相手はいずれ劣らぬような気の強いタイプが多く、当然の事ながらデート中にケンカに発展した例も少なくありません。
以前にも紹介したように、西宮の女子大生とは六甲山牧場へ向かう六甲ドライブウェイの七、八合目辺りまで登りながら、つまらない事から大喧嘩となり、怒った彼女が走行中の車から飛び降りてしまいましたし、また別の女学生とは大阪へ行く道中で行き先を巡って車中での大口論に発展し、尼崎辺りまで行きながらスゴスゴと京都へUターンしたりと、こうした例を挙げていけばキリがないので辞めておきましょうか (-ω-#)y-~~~~
今になって考えてみれば、どれもこれもがほんの些細なつまらない事が原因でしたが、まあケンカなんてものは所詮はつまらない誤解の行き着く果てでしょう。
そんなこんなで「三都」に限っては、学生時代にすっかり堪能したせいか愛知へ返ってからはしばらくは足が向かず、また行けば行ったでどうしてもあの、懐かしくも甘酸っぱい感傷が待っていると思えば益々足が遠のいてしまったものでしたが、その後数年の社会人経験を積み
(今更行ったとて、往時を意識する事もあまりないだろう・・・)
と割り切る事が出来たのは、ようやく20代後半くらいになってからの事でした (*´ー`) フッ
京都学生生活での旅行体験(前編) εεε-(* ̄∇ ̄)-○
生まれも育ちも愛知のワタクシには、大学入学と同時に京都に住み始めた時は見るもの触れるものが総て、珍しくて仕方のないものばかりでした。
今でこそ往復だけで1万円以上も費やしてまでも、せっせと足繁く通っている程に京都ビイキのワタクシですが、18歳で初めて京の地に居を構えた(下宿ですが)時は、あの古ぼけたような町並みと博物館級とも思える自社仏閣の、お化けめいた木造大建築が当たり前のようにしてあちこちに犇いている独特の雰囲気にどうにも馴染む事が出来ず、何かといえば大阪にばかり繰り出していたものでした εεεー(* ̄∇ ̄)-○
なにせ京都の町中にある大学とあって、大阪から来ている学生が圧倒的に多かった。
幸いにして、地方から出てきた学生に良くみられるような引き篭もりになる事もなく、早々に大阪人の友人も出来もしましたし、また気の良い彼に大阪の名所をあちこちと案内して貰えた事は運が良かった。
ミナミの道頓堀、心斎橋辺りへ繰り出しては目的もないままにブラブラ彷徨ったかと思えば、今度はキタの中之島公園で昼寝をしたり梅田の繁華街をブラブラと冷やかしたり、また新世界でづぼらやのフグに舌鼓を打った後に通天閣からの展望を楽しんだり、天王寺公園や夕陽丘の愛染坂を散歩したりしたものです。
実を言えば、大阪をぶらつく時の目的は恐らくは皆さんご想像の通りナンパが主でしたが、これはワタクシ自身の趣味というよりは案内人を務めてくれたD君が稀代の色男かつ、プレイボーイであったためという事情もあります。
大阪人なら直ぐに想像が付こうというものでしょうが、ご多分に漏れずミナミの戎橋(通称ナンパ橋)へは、一時はほぼ毎日といったペースで通い詰めた事もありました。
そうした荒れたキャンパス(外)ライフも数ヶ月も経つと、幸いにして沢山のガールフレンドに恵まれる事となり、今度はナンパで徘徊した大阪の名所を、デートの舞台としてフルに利用する事になります(= ̄∇ ̄=)ニィ
デートコースで良く行ったのは、京都では四条河原町をメインに嵐山の渡月橋や中ノ島公園、三条、東山五条、岡崎周辺、円山公園等等で京都御苑には武道の稽古を含めれば、2日と空けずに通っていました。
京都市横断サイクリングの最終日(京都・有馬の旅part6) (  ̄∇ ̄)ノ
「メーカー(コカコーラ)に保証させまっさかい、面倒やけど住所と名前を書いていただけまへんやろか?」
「はぁ? 一々、そんなもんが必要なんだ・・・」
「えろうスンマへんが、一応うちの方でも手続きがおましてな・・・」
「まあ、いいけどね。
だけどワタクシは地元じゃないよ!」
「そら、そうでっしゃろ。
ご旅行でっか?」
「うん・・ まあそんなようなもんですね・・・」
と住所を書くと
「ほう。愛知県からどすか・・・ほう」
と、なにやら感心していたが。
そのまま北へ上がり岡崎方面へ。
『国立近代美術館』、『府立図書館』、『市美術館』、法勝寺の『市動物園』そして『岡崎公園』の杜辺りのお馴染みのコースを適当に冷やかしながら、丸太町から『京都御所』沿いに走るうちにちょうど小腹が空いてきたな、と思えばもう昼時だった。
今出川辺りの店はどこも学生やら観光客やらで満員なので、近くのコンビニで冷し中華とおにぎりを買い『京都御苑』の芝生に入り込んでパクツいた。
当たり前の事だが、ここだけは昔とまったく変わってないのが、なんとも懐かしくも嬉しくもある。
しばらく『御苑』でのんびり日光浴を楽しんだ後、再出発。
『京都御苑』前に、変わらぬ偉容で聳え立つ(?)『同志社』赤レンガ群の壮観をわき目に、これまた懐かしい百万遍の街並みを通り過ぎ、出町柳を通り抜け更に北へと行き『北大路』、『府立植物園』の界隈に出た。
あの時と同じように、昼間から『鴨川公園』の川べりでのんびりと寛ぐ人々の姿が、京都らしい風情を醸す。
我ながら趣味が悪いとは思いながら、も少し足を延ばしかつて3年近く住んだ事のある、紫野『大徳寺』前をフラフラしてみた。
まこと思い出は尽きないものの、そんな感傷とは無縁の赤の他人の目に痴漢かなにかと間違われては事なので、適当なところで見切りをつけ今度は南へと進路を変える。
『北野』・『室町』・『西陣』・『円町』・『西院』。
いやはや、どこへ行っても想い出深い場所ばかりだ。
そして『先斗町』、『四条大宮』から、京都一の繁華街『四条河原町』へ出ると、そこにはやはりあの時の日々と同じく若者や外人でごった返す賑わいがあった(随分と、ビルが増えたけど)
相変わらず、修学旅行の小・中学生で賑わいを見せる四条通を通って『八坂神社』へ。
昔から食べるものだけは碌な物がない京都だが、それでも『円山公園』脇に新しく出来たらしい店で牛丼を食べ腹ごしらえ。
そのまま京都駅へ向かい、清水さんへ行く『五条坂』の入り口にあるレンタサイクルの店へ自転車を返し、そのまま京都駅までブラブラと郷愁に浸りながら、そぞろ歩いて行ったのであった εεεー(* ̄∇ ̄)-○
京都市横断サイクリングの最終日(京都・有馬の旅part5) (  ̄∇ ̄)ノ
3日目は、再び京都へ。
なにせ花が中途半端な時期だけに、寺社巡りは諦めレンタサイクルで京都市内一巡りを思いついた。
電話1本で自転車を京都駅まで運んでもらい、東山からスタートする。
『京都タワー』、『東本願寺』山門を横目に『三十三間堂』を通りスイスイ。
3日目にしてようやく五月晴れのカラッとした、気持ちの良いサイクリング日和になった。
京都に住んでいた学生時代の3年間は、講義にも出る事なく遊んでばかりの日々。
ヨソ者のワタクシにとって初めての京は、見るもの訊くもの珍しい物ばかりだったし、小都市から来た身からすれば100万を超える京都市は大都会でもある。
最初こそは大いに戸惑ったものの、次第にこの古都の魅力に惹かれていく事になる。
といっても当時はまだ、寺社や庭園といった「ワビ・サビ」の世界にはまったく興味がないから、足を運んでいたのは専ら三条・四条辺りの繁華街であった。
前回触れた兵庫の2人の彼女とは別に、京都にも遊び友達まで加えたガールフレンドらしき相手はざっと6人いたが、それぞれ『京都女子』(東山)に1人、『同志社』(今出川京都御所前)に2人、『立命館』(衣笠)に3人という立地に加え、ワタクシ自身が紫野(北大路)に住んでいた関係もあり、八条(京都駅付近)から東は東山、西は嵐山までと、市内中心部は殆んどカヴァーしていた。
殊に、京都御苑を根城に四条河原町辺りにかけては、一時は連日のように徘徊したものである。
さて、この日も相変わらず、どこへ行っても修学旅行とオボシキ制服姿の団体が、やたらと目に付く。
『智積院』の池泉観賞式庭園でサツキ観賞を思いつくが、まさかと思ったここにも修学旅行生の姿が。
おまけに、京都駅には
《『智積院』のサツキ満開見頃》
と書いてあったのに、まだ全然花が開いてなかったのにはガッカリ (`Д´)y-~~ちっ
さて、再び自転車に跨ると『六波羅蜜寺』を通る。
『建仁寺』では、職人さんが黙々と建仁寺垣の塀を塗り替えているところで
(オレもあんな仕事師になりたかったなぁ・・・)
と羨ましく眺めた後は『祇園』廻りのコースを走る。
『花見小路』を通り『弥栄会館』近くの酒屋店頭にあった自販機でジュースを出すと、おつりの500円玉が還ってこずに憤慨した ヽ(`Д´)ノ
酒屋に入ると、惚けた顔して新聞を読んでいたオッちゃんに
「向かいの自販機だけど、1000円入れたのに380円しか還ってこーへんで」
と関西弁で抗議すると
「そりゃ、えろうスンマヘンな! ほな、これ!」
と、500円玉を返して寄越したオッちゃん
兵庫タイムスリップと有馬金泉で綺麗サッパリの2日目(京都・有馬の旅part4)
さて、有馬温泉に着いた途端に雲行きがグッと怪しくなったと思ったら、突如として真夏でも滅多にお目にかかれないような、信じ難いほどの横殴りの豪雨と雷。
ちょうど目の前にあった土産物屋に飛び込み、みやげを物色するふりをしながら雨宿りを決め込むが、雨は台風並みの信じられないような激しさとなり、土産物屋のオバちゃんも
「なんなのー、これ?! こんなの初めてよ・・・」
と驚いていたほどであった。
ともあれ集中豪雨は30分ほどで収まり、台風一過のようにカラリと晴れ上がってきた頃を見計らって<金の湯>へと直行。
さすがに有馬でも有名どころとあって、昼間にもかかわらず盛況である(<銀の湯>の方は、この日は残念な事に休業日だった)
<金の湯>を充分堪能した後は「かんぽの湯」へ向かう山をテクテクと歩く。
ちょうど山の頂上近く、新緑が鮮やかなお誂え向きのロケーションのところにベンチが置いてあったのでそこで一服していると、またしても携帯に電話が。
昨日とは別の友だったが
「なんか電話聞こえ難いなー!
それは、どこ?」
「有馬温泉!」
「なにっ、有馬って・・・神戸の?
オイオイ、選りによってそんなトコへ行くなんてー! 今、関西はアカンのに・・・」
と、またしても昨日の友と同じ事を言われてしまった。
前にも記したように、学生の時のデートは相手との(最後の)記念旅行だっただけに、奮発して贅沢にも身分不相応な有名な老舗の「有馬御苑」に泊まったのだったが、有馬の宿はどこも高いのでこの日の宿泊先は西宮のホテルである。
図らずも甲子園球場の直ぐ傍で、当日はちょうど「阪神vs広島」戦があり、阪神甲子園駅を降りた途端にあの大歓声がこだまして来た。
阪神もトラキチの応援も好きではないけど、やっぱりテレビとは段違いのナマの迫力には圧倒されるものがある。
ホテルは和室にしてもらい、ようやく畳の懐かしい匂いに包まれてゆったりと寛ぐ事が出来た(浴衣はどうしても着られないけどね (;^。^
兵庫タイムスリップと有馬金泉で綺麗サッパリの2日目(京都・有馬の旅part3) (*^0^*)ノ
2日目は、朝から西宮へ。
といっても阪神タイガースの応援では勿論なく、懐かしい街並みをブラブラと歩くのを気まぐれに思いついての目的だった。
以前歩いた時(十ン年も前w)は影もなかった、ゲートボールのジイ様バア様が著しく情緒を殺ぐものの、武庫川の川べりは懐かしい記憶がそのままである。
鳴尾から浜甲子園に貫ける辺りは、ご多分に漏れずコンビニが随分と出来ていたが(そのため、手洗いを拝借できたが)、神戸の奥座敷らしい風光明媚な趣がしっかり保たれていたのは嬉しくもあり、また楽しい気分になってきた。
そうして気分の良いまま、芦屋へと足を向ける。
今回は車ではなく歩いての旅だけに、さすがに芦屋山手まで足を延ばすのは無理であったし、またそちらへ足を延ばすのはさすがに些か気がひけるところも否定できず、そのまま芦屋を素通りして甲南方面へと向かう。
もう15年程も昔の事どもが、こうして町を歩いていると案外生々しい記憶として蘇ってくるのは、不思議なものである。
そんな楽しいような、或いはくすぐったいような、なんとも言えぬ複雑な気分で後ろ髪を曳かれるような思いを振り切り、このコースは午前中で打ち切った。
かつて某大の女子寮の窓から手を振る、女子大生の美しい笑顔を見上げた小(公)園もそのままの形で残っている。
思わず回想にふけるところだったが、この歳になってヘタに女子大寮の周りをウロウロしながら煙草なんぞをふかしていたら「ヘンなオジサン」に見られかねない 柱| ̄m ̄) ウププッ
結局そのまま神戸まで歩き回転寿司で腹ごしらえをしてから、適当なところで目に付いた駅で電車に乗り、天下の名泉「有馬温泉」へ。
《空気に触れると、褐色に変化する金泉(鉄および塩化土類含有強食塩泉)と無色透明の銀泉(純弱食塩泉)、さらにラジウム泉の3種類の湯が湧く》
と言われる、この日本最古の有名な温泉にのんびりと浸かり、このところの激務の身体を安らげようというのが目的なのだったが、いざ着いてみると悪い事にやはりここも「思い出深い懐かしの地」である事を思い出さずにはいられなかった。
学生時代に、西宮の別々の女子大生2人と交際していた(他に京都の大学生も数人w)ワタクシは、神戸港やサンチカ・三宮センター街、北野異人館、元町・南京町といったところは、デートの定番のようなコースだった。
そして有馬といえば、約300km離れた地で運命の再会を果たした、高校時代の同級生との印象深い思い出がある。
六甲山牧場に向かう、山中ドライブの途中につまらない事から大喧嘩となり、頂上近くまで来たところで気の強い彼女が強引にドアを抉じ開け、車から降りていってしまったという派手な修羅場があっただけに、それを思い出すと思わず笑ってしまう。
その一年後に、オペラの修業でドイツとイタリアに留学していった彼女(現在は、オペラ歌手としてドイツで活躍)と、長い旅立ちの前に思い出(結果的にはお別れ)の旅行をしたのも、この有馬温泉であった ...( = =) トオイメ
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最終更新:2007年10月01日 01:04