• 36

マーラー青春の金字塔(前編) ☆ヾ( ̄ー ̄ )

 マーラーさんの音楽に一貫しているテーマは「死」であり、「死に対する病的なまでの恐怖心」と、それと合わせ鏡の関係となる「生に対する憧れや執着」といった、まさに人間の根源的なところにかかわる大テーマに、生涯に渡って取り組んできた一人の大芸術家の歴史といえます。

 マーラーさんがそれほどまでに死を恐れた原因は、幼い頃に相次いで亡くした両親のうちの、特に心臓病で亡くなった母親の血を引き継いで自らも心臓の病を宿痾として抱えた事が原因していますが、長じて結婚後に初めて生まれた愛娘を幼くして同じ遺伝の心臓病で亡くした辺りからは、作品は益々死の影に色濃く縁取られていくとともに、皮肉にもその分だけ音楽にも深みが増してくるという結果となって行きます。

 元々がユダヤ人として、ボヘミアに生まれたマーラーさんですが

 《生まれながらの孤児》

 として世界中のどこへいっても疎外感を痛感させられるなど、その苛酷な運命は人一倍デリケートな若者の心に、大きな影響を齎した事は容易に見て取れます。

 元々、音楽活動のスタートは指揮者であり、その才能を認められて招かれたウィーンへ行っても、また次いで新大陸アメリカへ渡っても「ボヘミアン」として差別される上に、ドイツ人の間では「オーストリア人」として、挙句は生まれ故郷のボヘミアにおいてさえも「ユダヤ人」として差別され、世界中のどこへ行っても邪魔者扱いをされ続ける事を余儀なくされるうちに、半ばは人生に対する絶望や諦観を悟り始める一方で、逆に自身とは無縁なそうした眩しい世間に対する憧憬や執着、またはそれに相反する憤りや焦燥などといった、複雑かつ多様な要素が綯交ぜになって産み落とされたのが、あの独自の世界観といえるでしょう。

 また性格的にも、芸術家にありがちの非常に神経質な完璧主義者であったため、常に病的なまでに完璧を追求する課程において演奏家達とのトラブルが絶えず、世界の一流オーケストラを渡り歩いて指揮者としての名声を高めていく一方では、それぞれの現場においてトラブルメーカーとしてかなりの鼻摘み者であった事も、また一面の真実だったようです。

 ともあれ、そうして弱冠20代にして世間的には世界有数の大指揮者としての名声を確立しながらも、常に現状に満足をしないストイックなマーラーさんは休日を利用して作曲活動にも手を広げ始め、28歳の時に完成した交響曲第1番《巨人》を皮切りに、いよいよ、本格的な作曲家活動へとシフトしていきます。

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  • 35

最も偉大なのはヘンデルである(後編) ムフフフ ( ̄ー ̄

 しかも後継者として、なんとドイツから輸入する形で件のハノーファー選帝侯がやってきたから「裏切り者」ヘンデルさんにとっては、まさに悪夢を絵に描いたような最悪の展開になってしまいました。

 ところがここからが世渡り上手のヘンデルさんで、この新しくイギリス王となった元の主人がテムズ河で舟遊びを催すと訊き付けるや乾坤一擲の精魂を傾け、遂に生涯の代表作となる組曲『水上の音楽』を創り上げ舟遊びでこの会心の作をお披露目するや、たちまちこの曲の虜となってしまったハノーファー選帝侯に罪を許されたばかりか、前にも増して王室から手厚く迎えられた、というなんとも出来すぎのような痛快なエピソードは有名です(いくらかは、脚色されているらしいですが・・・)

 さて、そのヘンデルさんのポリシーは

 「誰にでもわかり易い、単純明快さ」

 と言われますが、確かに最初はややとっつき難い感じを受けるバッハなどに比べれば、遥かに親しみのある聴きやすい音楽が特徴と言えましょう。

 その長い生涯にわたって宮廷音楽家を務めてきた影響からか、一種独特の浮世離れのしたような曲調から

 「天上の音楽」

 とも評されるのが、ヘンデルさんの音楽です。

 学校の音楽教科書に載っている肖像画などを見ると、ヘンデルさんにしろバッハにしろバロック時代の音楽家は当時流行っていたカールをした長髪の鬘と、今日の感覚ではやたらとゴテゴテした装飾の衣裳を纏っているせいか、誰も彼もがどことはなしに厳しげな感じに見えてしまい、そのためかなんとなく敬遠されているような気がしますが、実際の音楽を聴いてみると意外に親しみのある曲が多いのがわかるでしょう。

 この『水上の音楽』は、一部から三部までを合わせてちょうど1時間くらいのボリュームがありますが、ヘンデルさんの入門編としては地味な第三部はともかくとして、第一部・第二部までは是非とも聴いておきたいところです。

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  • 34

最も偉大なのはヘンデルである(前編) ムフフフ ( ̄ー ̄

 「最も偉大なのはヘンデルである」

 と曰もうてヘンデルさんのお墓の前に額ずいたのは、誰あろう楽聖ベートーヴェンでした。

 このエピソードからだけでも、ヘンデルさんがいかに凄いお方かがわかろうというものですが、何故か日本においてはイマイチ地味な存在でもあります。

 ヘンデルさんは、あの大バッハと同じ1685年のドイツの生まれで、少し先輩に当たるヴィヴァルディやコレルリ、或いはスカルラッティといった、イタリアの作曲家の影響を受けたところからスタートし、その後徐々に独自の世界を確立していく事になります。

 大作曲家と言われるような人の多くは得てして波瀾万丈の生涯を送ったり、生まれながらに極貧だったり不遇のままに一生を終えたり、或いは先輩のヴィヴァルディのように晩年に才能が枯れてしまい、野垂れ死にしてしまったりといったケースはよく見られますが、ヘンデルさんは20代半ばの頃に早くも当時のハノーファー選帝侯から宮廷作曲家及び指揮者として招かれて以来、殆んど不遇な時代を経験せぬままに70年余の生涯を独身で通したという、非常に珍しいタイプの人でもあります。

 さて、ハノーファー選帝侯に遣えていたヘンデルさんは、根っからの旅行好きで休暇の度にイタリアやイギリスへ旅していましたが、そのうちにイギリスがすっかり気に入ってしまうと、勝手に休暇を延長してそのまま居座ってしまいます。

 そうこうするうちに滞在先のイギリスでも、幸か不幸か当時のアン女王にすっかり気に入られてしまう事になり、王室からの手厚い庇護の下でこれ幸いとばかり、ハノーファー侯からの帰国命令を無視しつづけていましたが、しばらくすると

 「アン女王の突然死」

 という、思いもよらぬ青天の霹靂が訪れます (  ゜ ▽ ゜ ;)エッ!!

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  • 33

ピアノ詩人の挑戦(後編) (=´ω`=)y─┛~~

 殊にロマン派以降、大規模かつ複雑になっていった各種の『ピアノ協奏曲』に比べると、あたかも「ピアノ・ソナタ」に無理矢理伴奏をくっ付けたような、どうにもサマになりきっていない感じを受けてしまいます。

 若い頃(といっても、僅か39年の生涯)は、かなりのハンサムで女性に騒がれたショパンさんですが案外にシャイな性格だったようで、心密かに胸に仕舞い込んでいた初恋の女性への燃えるような情熱を得意のピアノに託して表現したの、がこの2曲のピアノ協奏曲(特に『第2番』)と言われています。

 いわば、良くありがちな「音によるラブレター」ですが、そんな思春期の若者の甘い感傷が随所に窺えるのは最初に作曲した『第2番』の方で、それなりにメロディックな聴きどころはあるものの、全体として見た完成度では次に作曲した『第1番』の方が遥かに高く評価できる事は、ショパンさん自身がわざわざ作曲順序を逆にしてまでも、後から作曲した『第1番』を先に出版させた経緯からも明らかです。

 さて先にも触れましたが、なにせ2曲ともにピアノのパートが素晴らしい分だけ、逆にオーケストラの稚拙さが目立ってしまうのはなんとも惜しく、ワタクシのような素人でさえ

 (いっその事、中途半端なオーケストラは取っ払ってしまって、得意の『ピアノ・ソナタ』の形式にしてしまった方が、遥かに傑作になると思うのだが・・)

 などと、聴く度に思うくらいですからプロの指揮者が手を拱いている訳はなく、指揮者によって独自のアレンジを加えたりオーケストラを充実させてみたりと様々な試みがあるため、CDを聴き比べるというもう一つの楽しみもあります。

 もっとも某有名指揮者のような、ブラームスばりにオーケストラを重厚にし過ぎてしまったせいで、肝心のピアノがすっかり霞んでしまっているようなのは、明らかな本末転倒というものでしょうが (* - -)ノ

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  • 32

ピアノ詩人の挑戦(前編) (=´ω`=)y─┛~~

 Classic音楽には、様々なジャンルがあります。

 楽器編成から言えば、大はオーケストラものから小は器楽ソロまであり、当然の事ながら神ならぬ作曲家にとっては得意や苦手のジャンルが、それぞれにあります。

 オーケストラものが得意の作曲家として有名なのが、ムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』を煌びやかな大曲に作り変えたラヴェル、同じくムソルグスキーのピアノ曲『禿山の一夜』を色彩感溢れるオーケストラ曲にしてみせたリムスキー=コルサコフ、そして色彩的オーケストラの達人としてはリヒャルト・シュトラウスも忘れてはなりません。

 一方、以前にここで採りあげたシューベルトやシューマンなどは、オーケストラ曲にも有名なものが幾つもあるにはありますが、どちらかといえばピアノや歌曲などの小品に持ち味を発揮する人で、それをもっと極端にしたのが「ピアノの詩人」として有名な、ショパンさんです。

 ショパンさんの場合は、ピアノが大得意だったのもさることながら、オーケストレーションがまったく苦手だったらしく、そのためオーケストラで聴かせる曲といえば、2曲のピアノ協奏曲に限定されてしまいます。

 ご存じのように『ピアノ協奏曲』といえば、数ある器楽協奏曲の中では最もメジャーなジャンルだけに、作曲家の有名どころは殆んど例外なくこの分野に傑作・力作を遺していますが、それらの曲を聴き親しんだ耳にはショパンさんのはなんとも風変わりというか、物足りない思いがします。 

 『ピアノ協奏曲』と言うからには、当然の事ながらまず主役として魅力的なピアノソロがあり、それを引き立てるオーケストラとのバランスが車の両輪のように噛み合ってこそ傑作や名作が生まれるわけですが、ショパンさんのそれは主役のピアノのパートは確かに「ピアノの詩人」らしい、情緒に溢れている素晴らしい傑作であるのに対し、オーケストラの方は正直(他の一流どころの作曲家との比較においては)素人に毛の生えた程度である、と言わざるを得ません。

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  • 31

最も尊敬すべきはClassic音楽作曲家(後編) (*゚ー゚)(*。_。)ウンウン

 芸術家も画家や作家など様々ですが、ワタクシが最も尊敬してやまないのが、Classis音楽の作曲家です。

 それは何故かといえば実に単純な論理で、絵や文学はその巧拙を別にするなら、取り敢えずは小学生はおろか幼稚園児にも創作自体は出来てしまうものですが、こと作曲となると知識のないものには、まず手も足も出ません。

 作曲とはいっても、ピアノの鍵盤をデタラメに叩いているうちに偶然音楽らしきものが出来てしまう可能性もありますが、それも精々がポピュラー音楽のレベルまでであって、Classicのオーケストレーションとなっては素人には、まず無理な世界です。
 そもそも、楽器の演奏という事では何の心得もないワタクシとしては、ことオーケストレーションに対しては、畏敬の念さえ憶えるのみです。

 どんな楽器にせよその道を極めるのはおろか、楽器の特性を知るだけでも容易ではないと思われますが、ありとあらゆる楽器を自在に、頭の中で(或いは実際に)操るほどに深い知識を備えた一流作曲家の皆さんは、ワタクシの目には魔法使いのような神がかり的な存在に見えますし、やはり生まれ持った脳の構造が優れて特殊であるとしか思えないところです。

 絵画や文学、或いは彫刻などもそうですが、下手は下手なりに描いたり創ったりが出来るのはただ目に見えるものを対象にすればよいからでもあり、それに引き換え音楽というものはそもそも無から「音」という形のないものを創り上げていく世界だけに、知識のない素人にはまったく手が出ないものと考えますが、いかがなものでしょうか (=´ω`=)y─┛~~

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  • 30

最も尊敬すべきはClassic音楽作曲家(前編) (*゚ー゚)(*。_。)ウンウン

 「職に貴賎なし」

 とは昔からよく言われますが、優劣はともかくとして特定の職業に対する憧れや尊敬の念は、誰しも持つところでしょう。

 一般的に、尊敬される職業としては

  • 医師(医学者)
  • 弁護士(司法官)
  • 大学教授(研究者)
  • 大企業のトップ
  • エンジニア
  • サイエンティスト
  • 代議士
  • スポーツ選手
  • 芸術家

 などなどが挙げられる事でしょう。

 まず、これらを大まかに分類するなら「頭脳系」、「スポーツ系」、「芸術系」に分類されるでしょうが、ワタクシ的には「頭脳系」よりは「スポーツ系」や「芸術系」を評価したいところです。

 その根拠として「頭脳系」の方は、ワタクシもエンジニアの端くれとして必ずしもセンスの必要性なしとまでは言い切りませんが、一方では余程のバカではない限り努力次第で、かなりのところまでは達成可能な分野であるといえます。

 無論、一口に「頭脳系」とはいっても、医師国家試験や司法試験といったところになれば、あの物凄い競争率を見ても努力の限界はあるでしょうが、それでも努力次第である程度はどうにかなりそうな分野ではあります。

 対してスポーツを考えるなら、100mを走るのに15秒もかかる人は、いかに毎日数百本のダッシュを死に物狂いで繰り返したところで精々が14秒台に縮められるのが関の山で、世界トップレベルの10秒台となるとこれはもう限られた才能というより他はない。

 芸術もまた同様に、気合いだけではいかんともしがたい分野である事は、たかだか学生時代の小さな経験に照らしてみるだけでも、歴然としたものでしょう。


 ではスポーツと芸術の比較となるとこれは非常に難しいですが、スポーツ選手の寿命は短くゴルフなどのソフトなスポーツを例外とするなら人生80年のうちの精々20年が良いところで、これに対して順調に行けば遥かに寿命の長い芸術家の方にやはり軍配を挙げたいところです。

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  • 29

我がClassicとの邂逅part3 (=´ω`=)y─┛~~

 こうして考えてみると、一見意識なく眠っているようですが、実は意識の深層では覚醒して音楽を聴いている神経があり、つまらない(と感じる・・・実際には殆どの場合が、まだ理解できていないに過ぎない)部分の時は「寝てなさい!」という指令を出していて、いよいよ聴きどころ(と認識されたところ)に来ると「起きろ!」という指令を出す、というような不思議な多重構造が認められます。

 「Classicを聴いていると、必ず眠くなる」

 という話はよく耳にしますが、ワタクシ自身は自らの体験に照らして

 「眠くなったら無理に目を擦って聴こうなどとせず、寝てしまえばいい」

 と言います。

 そうすれば、その人の感性に訴える部分が来た時には自ずと覚醒する事でしょうし、逆にいうなら何度やってみても絶対に目が覚めないという人は、恐らくは最早Classisとは無縁の人であろうと結論付けられます(勿論、これはあくまでワタクシ流の方法なので、開眼に至るパターンは十人十色でしょうが・・・)

 ワタクシが思うに音楽の利点は、特に意識的に理解に務めようとせずとも自然な形で耳を通じて脳に働きかけてくる点で、例えば文学などは文字だけを漫然と追っていると読んだつもりでもまったく頭の中に残っていませんし、絵画なども観賞心もなくボンヤリ眺めていれば頭にも心にも残らないものですが、音楽だけはBGMが不思議と耳に付いてしまったりする日常の経験からも明らかなように、嗜好が合うと案外に心に残りやすいものです。

 目を瞑れば絵も文字も見えなくなりますが、日常において耳を塞ぐという行為は滅多にあるものではないので、意識に入り易い事もあるでしょう。

 それはClassicといえど、他の音楽同様に形のない「音」という特殊性などから鑑みても、明らかではないでしょうか。

 ともあれワタクシ的には「Classic」と聴いただけで、何故か必要以上に身構えてしまう人たちの感覚の方がどうにも理解に苦しむのですが (=´ω`=)y─┛~~

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  • 28

我がClassicとの邂逅part2 (=´ω`=)y─┛~~

 当時は、フリーランサーをしていた関係で夜間に原稿を書くような生活スタイルが定着し、その反動で日中の空いた時間に昼寝をする習慣がありました。

 この昼寝の時に、Classic音楽を流します。

 正確にいえば、Classicを聴きながら昼寝をするつもりではなく、Classicを聴くつもりが知らぬ間に昼寝時間と化してしまっていた訳ですが、確かにClassicを聴いていると眠くなるものです。

 そうして聴いているうちに、どの曲にしろその良さが自ずと理解できてくるものだと、実感する事になります。

 曲によってはそれが2、3回であったり、或いは20回~30回と1ヶ月くらい繰り返し聴き続けるうちにようやく「ピン」と来るものもありましたが、この「ピン」と来る感覚が程度の差こそあれ、どの曲も繰り返し聴いているうちに例外なく訪れるため、あとはそれが自然と感性に訴えかけてくるのを待てば良いわけです。

 すると不思議な事に、音楽が流れている間にいつも知らぬ間に寝てしまっているのですが、その曲がいつもある部分に差し掛かるやパッと目が覚めるようになるのです。

 そうして目覚めとともに耳に流れ込んでくる旋律は、決って素晴らしいものとして耳から心にジンワリと浸透してきます。

 要するにワタクシ的なレベルにおいては、その時点でその曲に「開眼」をした事になり、一旦この現象が起きると次からは必ずと言っていいほど同じ曲の同じ部分に差し掛かると目覚めが訪れ、そこからはじっくりと鑑賞を楽しむわけです。

 一方、まだ「開眼」に至っていない時は、当然の事ながら最後まで目覚めが訪れる事はなく熟睡状態が続きますが、曲が終わるとともに不思議に目が覚める事となります。

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  • 27

我がClassicとの邂逅part1 (=´ω`=)y─┛~~

 今年第一回目の4chという事で、今回はワタクシのClassicとの出逢いを語る事にしましょう。

 初めてClassic音楽に目覚めたのは高校2年時代、17歳の時でした。

 某TV番組のオープニングで効果的に使われた曲を聴いた瞬間に、その雄大なスケールの虜になります。

 曲名も誰の曲かもわからないままに貸レコード店へ行き、デタラメの見当をつけて何度も借りているうちにようやくお目当ての曲に行き当たり、それが『ニュルンベルクのマイスタージンガー』という、ワーグナーの楽劇の『第一幕への前奏曲』であると知りました。

 実家には幸いにして、母が所有する名曲アルバム全集を始めとしたレコードが山と積んであり、YAMAHAの高級ステレオにショボいカセットデッキを繋いで録音した、それらの曲を聞きかじり始めました。

 『運命』、『未完成』、『悲愴』、『新世界より』、『田園』といった交響曲の有名どころから、母の最もお気に入りだったJ.シュトラウスのウィンナ・ワルツ、そして『軽騎兵』、『詩人と農夫』、『天国と地獄』、『こうもり』などオペレッタ序曲に至るまでを、手当たり次第に聴きまくったものです。

 そうして、高3の学園祭で行われた「クラス対抗ブラスバンド大会」では、すでにイッパシのClassicマニアを気取っていたワタクシは、投票で決りかけた流行のポピュラーを強引に引っ繰り返し、エルガーの『威風堂々』第5曲を無理矢理に押し付けて、デタラメの指揮を振ってクラスを優勝に導いた事も思い出深い出来事です。

 大学生時代は下宿していて、いつもお金にはピーピーしていたので当初は殆んど聴くチャンスもなかったものの、そんな中でR.シュトラウスの『ツァラトストラはかく語りき』のオープニングに圧倒されたのが、二度目の開眼となります。

 社会人となってからは再びロックに戻り、しばらくはClassicから遠ざかったいましたが、20代の半ばくらいからClassicに戻ったり離れたりを繰り返した挙句、ようやく体系的に究めてみようではないかと一念発起したのが、20代も後半に差し掛かった頃でした。

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  • 26

楽壇のトンデモさん登場~(後編) ヾ(∇^〃)

 そうした性格から、どの音楽にも完全性を追求していくがゆえか一作毎にスケールを増していき、遂には晩年の『ニーベルングの指環』に至ってはナント、15-16時間にも及ぶという常識外れの4部作が出来上がり、上演は4夜連続で行われるという前代未聞の試みがなされました。

 全曲盤CDとなると

 「十×枚組3万円」

 とかで店頭に出ていて、興味のない人から見ると

 「こんなの3万円も出して、買う人がいるのか?」

 と思われるでしょうが、ボーナス時期などは店頭で買っている人の姿を見かける事も、決して珍しくはありません。

 そんなワーグナーさんの音楽の特徴はといえば、何といってもあの桁外れなまでに雄大なスケールに尽きるでしょう。

 一般的に、美しいメロディラインに乗せて歌を聴かせるイタリアオペラに対し、ドイツものはオペラにせよガッチリとした構成のものが多いと言われますが、殊にワーグナーさんの場合は勿論歌の美しさはさることながら、やはりあの圧倒的な音の流れを堪能出来るところろに、最大の魅力があります。

 聴き慣れないうちは、あまりに恰幅が良過ぎて一見取っ付き難い印象は否めませんが「ワーグナーの毒」とも言われるように、一度ハマってしまうと最早ワーグナーなしでは昼夜も明けぬといった禁断症状を呈するようになり、世界中にはそうした「ワグネリアン(ワーグナー中毒患者)」がゴマンとどころではなく、ワンサカと存在していると言われます。

 そのように傑作揃いのワーグナーさんの作品ですが、最も完成度の高いのは言うまでもなく先に触れた『指環』となるのでしょうが、これから初めてワーグナーを聴こうという人にいきなり、この並外れた大作はかなりキツイだろうと思われるため、まずは序曲・間奏曲などの名場面集辺りから入るのが無難でしょう。

 有名どころとしては『タンホイザー序曲』、『ワルキューレの騎行』、『さまよえるオランダ人序曲』、『ジークフリート牧歌』、『ローエングリン序曲&婚礼の合唱』辺りですが、かくいうワタクシ自身が最初にクラシックに触れたのは偶然耳にした『ニュルンベルクのマイスタージンガー・第一幕への前奏曲』のあのカッコ良さに、一発で参ってしまったのが始まりでした ゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!!!

 幸か不幸か、今のところ「ワーグナーの毒」に当てられるまでの重症には至っていませんが、今日に至るまで一番の趣味であるクラシック音楽の世界へと誘う、きっかけを与えてくださったワーグナーさんは今でも非常に好きな作曲家の一人ですし、そういったワタクシの個人的な感情は別にしても、これまでの音楽に対する世界観を変える意味合いからも、是非一度は聴いていただきたいものです ☆ヽ(▽⌒*)

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  • 25

楽壇のトンデモさん登場~(前編) ヾ(∇^〃)

 『天才と狂人は紙一重』

 などと良く言われるように、天才的な芸術家には常人のモノサシで計る常軌を遥かに飛び越えるような生き様を演じて見せてくれる方々が少なくないようです。

 Classic界も、ご多分に漏れず超の字の付くような個性派揃いですが、さしずめワーグナーさんなどは有名どころの中ではその代表格といえるでしょう。

 無名時代の若い頃から「飲む・打つ・買う」の三拍子揃った遊び人だったワーグナーさんは、借金を重ねては債権者から逃れるために夜逃げを繰り返しますが、夜逃げと言っても国外逃亡ですから普通のそれとは、遥かにスケールが違います。

 荒れた生活は既に大学生の頃から始まっていたようで、最初に創作した交響曲がまったく認められなかった事に大いに失望し
 「この曲の真価がわからないドイツ人は、レベルが低い田舎者揃いだ!」

 とウィーンへ移りながら、その後は10年以上も各地を転々とし続けた末に、パリへと流れていきます。

 パリでは、革命に巻き込まれ(参加して?)当局者から追われる身となり、今度はスイスへ亡命する事になります。

 その間、繰り返し恋愛を重ねたながらヴェネツィアへ駆け落ちなどもし、再びスイスに戻って各地を流離っているうちに当時「音楽の帝王」として楽壇に絶大な影響力を持っていたリストの力添えがあって、ようやく世間から認められる事になります。
 リストには随分な世話になりながらも、そのリストの腹心とも言うべき大物指揮者であり、またワーグナー自身も初演を成功に導いてもらった恩もあるハンス・フォン・ビューローに嫁いでいた、リストの愛娘・コジマを強奪して自らの嫁にしてしまうなどの芸当は朝飯前で、遂には狂的なまでにワーグナーに心酔していた19歳のバイエルン国王・ルードウィッヒ2世を誑し込み、国家予算を莫大に費消してまで自らの劇世界に登場する城(ノイヴァンシュタイン城)などをそっくりそのまま現実に創らせてしまうという、まことに底知れぬ破天荒ぶりでした。

 自ら、稀に見る天才を大いに自認していたワーグナーさんは、それまでの「音楽が中心のオペラ」に満足せず、ストーリーに半分くらいウェイトを置いた「楽劇」(ムジークドラマ)という、新しいジャンルを創造して行きます。

 若い頃は作家を目指していた事もあったほど、文才にも自負(実際の文才は別として)するものがあっただけに、他の作曲家のようにシェイクスピアなどの既製の物語には飽き足らず、神話に題材を採った大河を自ら創作するなど徹底した完全主義を貫きます。

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  • 24

粋人・シューマンの美学(後編) (= ̄∇ ̄=)ニィ

 「江戸っ子の羽織」(表は地味だが、裏地=見えないところに金を掛けているところが粋とされる)に通じるような、何となく聴き逃してしまうような細かいところで、実に凝った職人らしい仕事をしている点が挙げられます。

 そうしたシューマンさんの特徴が良く出ているのが『ピアノ協奏曲イ短調』で、一流のピアニストの作るピアノ協奏曲ともなれば当然のようにピアノソロが派手な技巧をアピールするような曲調になるのが普通ですが、この曲に限っては主役であるピアノがオーケストラの中に埋没したかのような、一見(聴)ピンボケのような変り種の印象があるのも

 『ピアニストが、己の技巧をひけらかすような音楽は上品でない・・・云々』

 という、洒落モノ独特の哲学に基づくものでした。

 もっとも、この曲に関しては誕生の経緯をしれば納得がいくのですが、当初は『ピアノとオーケストラのための幻想曲』として創られたものが第1楽章で、その後に先にも触れた経緯で結婚した一流ピアニストでもあった新妻クララの晴れ舞台として用意するために、後の2楽章をくっつけたものがこの『ピアノ協奏曲イ短調』となったわけです。

 確かに、ピアノとオーケストラのどちらが主役ともいえないような幻想味溢れる、それまでのピアノばかりが派手な主張を展開するものとは一味も二味も違ったユニークな作品であり、今では《四大ピアノ協奏曲》の一つに数え上げられるほど、有名になっています。

 そうしてこの曲の初演はシューマン自身の指揮、そして勿論妻クララのソロという豪華キャストで実現し

 「オーケストラを従えて、まるで女王様になったような素晴らしい最高の気分でした」

 と美しくも才能豊かな若妻も、すっかりご満悦だった事は言うまでもないでしょう (*^ー°v

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  • 23

粋人・シューマンの美学(前編) (= ̄∇ ̄=)ニィ

子供の頃からピアニストを夢見て熱心な練習に励んでいたシューマンさんは、若い頃にヴィークという人に弟子入りをしました。
 師のヴィークは、一目でその才能を見抜き

 「自分のところで修業を積めば、3年で一流のピアニストになれる」

 と太鼓判を押しましたが、功を焦ったシューマンさんはあまりに無理で激しい練習をしたために指に障害を来たしてしまい、ピアニストとしての将来を断念せざるを得なくなります(原因に関しては、他にも様々な説があります)

 その間、ピアノの師であったヴィークの元へ足繁く通ううち、娘のクララと恋仲となりプロポーズをしますが、重度の躁鬱症の齎す持病を宿痾として抱えるシューマンさんには、音楽家としての才能は認めていた父ヴィークからも娘の亭主としては失格という烙印を押され、ついに駆け落ちをする事になります。

 シューマンさんは、自ら作曲やピアノの練習をするには止まらず大変な勉強家でもあり、ピアニストとしての道を断念した後は以前に紹介した尊敬するシューベルトの大作の発掘を始め、バッハやハイドン、或いはベートーヴェンといったバロックから古典派、そしてロマン派にかけての音楽をも熱心に研究するだけでは飽き足らず、当時としては珍しい音楽雑誌を創刊して同世代の埋もれた才能の発掘にも努めていました。

 当時若干20歳で、まだまったく無名だったブラームスを始め

 『帽子を取りたまえ諸君! 天才だ!』

 という有名なフレーズとともに世に送り出したショパン、他にもメンデルゾーンやベルリオーズといった、後の大作曲家たちを世に送り出すのに果たした功績は、実に多大なるものがあります。

 さて、そんなシューマンさんの音楽の特徴といえば「沈潜」と「隠し味」といったところでしょうか。

 大男の外見に似合わず、オーケストレーションが苦手でピアノなどの小曲に持ち味を発揮したシューマンさんは元々重度の躁鬱症であり、しかも非常に慎重な性格の持ち主だけあってオペラなどの華美なものを嫌っていた事は、地味でどちらかというと暗めの曲調が多い事からも明らかでしょう。

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  • 22

交響曲の父・ハイドンの真価(前編) ☆ヾ( ̄ー ̄ )

 つまり前期6曲(第93番~第98番)及び後期6曲(第99番~第104番)の全12曲です。

 まずはどれを聴いても円熟した技巧が冴え渡る名作・傑作揃いですが、親しみやすさと言う点ではなんといってもそれぞれユニークな標題の付けられた有名な『驚愕』(第94番)、『軍隊』(第99番)、『時計』(第101番)のいわゆる「三大標題交響曲」が、真っ先に挙げられます。

 ウィーンで既に、大作曲家としての確固たる地位を築いていたハイドン先生のもとに、イギリスの有名な興行師兼ヴァイオリニストのザロモンからのお誘いが舞い込み、ドーヴァー海峡を渡る決意をします。

 18世紀の当時は今とは違い、ドーヴァー海峡を渡るには命の保証もない大冒険でもあったので

 「(60歳近い)ご老体が今更、生命の危険を冒してまで酔狂な真似をするのはお止めなさい。

 年寄りの冷や水と言うものですよ。

 第一、言葉も話せないのに・・・」

 と、親子ほども年の違う後輩・モーツァルトの諌めるも訊かず

 「大丈夫だ・・・私には《音楽》という国際語がある・・・」

 という有名な言葉を残し夢を追い求めていった第二の新天地は、結果的にはハイドン先生にとっては「第二の人生」どころか
 「これぞ、ハイドンの真骨頂!」

 と、後世皆が認めるような新境地を拓く結果となっていくのでした (= ̄∇ ̄=)ニィ

 ちなみに、ロンドンで大いに名声を上げたハイドン先生が意気揚揚としてウィーンへ凱旋帰国を果たした時には、片やあれほどまでに高齢なハイドン先生のロンドン行きを案じて猛反対をした24歳年下のモーツァルトさんは、僅か35歳の若さで既にこの世を去った後でした。

 さて先に挙げたこの三大交響曲は、いずれもテーマのわかり易い標題がついている事もあって、104の交響曲の中でも特に有名なものばかりです。

 ユーモリスト・ハイドンのウィットが効いた第2楽章が有名な『驚愕』、オーケストラに軍楽太鼓を採り入れるという当時としては画期的な発想がユニークな『軍隊』、そして親しみやすいメロディで知られる『時計』と、いずれ劣らぬ粒揃いの傑作です。

 この3つを並べて聴いてみると、個人的には『時計』がやや落ちるかな? という気はしますが (´ー`)y━~

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  • 21

交響曲の父・ハイドンの真価(前編) ☆ヾ( ̄ー ̄ )

 交響曲の始まりは、バロック時代のイタリア・オペラなどの序曲として扱われていた「シンフォニア」が原型と言われます。
 その後、シュターミッツ親子に代表される「マンハイム楽派」らによって、オペラから独立した独自のジャンルとしての進化を遂げていきます。

 ナポリ派のサンマルティーニやシュターミッツ親子、或いは大バッハの息子らに先んじられたとはいえ、あの膨大なオーダーのみにとどまらず今日的な交響曲の概念にまで昇華していった功績からしても、やはりハイドン先生こそは《交響曲の父》と呼ばれるには最も相応しい方でありましょう。

 ところで物事にはどんな事にも裏と表があるように、ハイドン先生の《交響曲の父》という評価も大きく二分されるようです。
 表の評価は言うまでもなく、天才モーツァルトの41曲を遥かにに引き離す「104曲」(協奏交響曲を除く)という気の遠くなるような膨大な交響曲を遺したというその多作な才能に注目し、一方で裏の評価は

 「数は多いが、どれも面白みに欠ける」

 「単純な曲調が多いため、飽き易い」

 といったようなものです。

 確かに初期の頃の『朝』(第6番)、『昼』(第7番)、『晩』(第8番)辺りを聴くと、素人目(耳)には交響曲と言うよりは、今日的感覚では弦楽四重奏曲に毛の生えた程度の規模で、ロマン派以降のゴテゴテとした交響曲を聴きなれた耳には、単純で物足りないような思いは否めないのも無理からぬ事かも知れません(ちなみにハイドンは、弦楽四重奏曲も80曲を超すという天文学的な数を遺していますが、このジャンルに関しては回を改めて触れていく予定です)

 さて、これらのハイドン先生の交響曲が「飽き易い」というのは勿論の事皮相な見方に過ぎず、実際には規模は小さいながらもどれもが一筋縄ではいかないような凝った構成で練りに練られ、地味ながらスルメのように聴けば聴くほどにジワジワと深い味わいが滲み出してくるのが、その特徴と言えましょう。

 例えば、モーツァルトなどには遥かに顕著に見られますが、一旦はハイドンに弟子入りしながら直ぐに

 「アナタは古臭い!」

 と老いたるハイドン先生にはさっさと見切りをつけ、後に独自の世界を確立していった楽聖ベートーーヴェンの作品群からさえも、やはりハイドンの影響は免れ得なかった事の見て取れるところからも、その偉大さは計り知れようというものです。

 では、この100を超える膨大なオーダーの中で

 「一体、どこから手を付けたら良いのか・・・?」

 と立ち往生の方にお奨めするとなれば、晩年の最も脂の乗り切った時期に作曲された『ロンドン・セット(ザロモン・セット)』でしょう。

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  • 20

ああ無情(後編) (TT▽TT)ダァー

 ロマン派以降は大作流行りの交響曲も、この当時では1時間を優に越えるベートーヴェンの『第9』を例外とすれば、50分という大作は初演でその長さだけで悪評となった『第3番(エロイカ)』くらいなものですが、この曲こそはまさにあのベートーヴェンばりの骨太でガッシリとした構築美に溢れ、それでいてまた美しいメロディラインをも兼ね備えた新境地が、あからさまに伺えます。

 思えば、楽聖・ベートーヴェンにして「傑作の森」(ロマン・ロラン)と言われた充実期は30を廻ってからであったように、モーツァルトのような神童上がりの天才は別とするなら、大作曲家と言われる人の多くも20代の習作時代に修業を積んだ後の30前後あたりから、いよいよ脂が乗って傑作を産み始める傾向が顕著にあります。

 シューベルトさんの『第9番(グレート)』が書かれたのも、やはりちょうどそんな脱皮の時期に当たったと見てよく、この曲がそれまでの作品からはちょっと想像もつかなかったような大飛躍を遂げんという雰囲気があるのは、シューベルトさん自身がそろそろベートーヴェンを意識した、大作の創作に本腰を入れ始めていた時期とも一致します。

 ところが惜しむらくは、前回も触れたようにシューベルトさんの場合は、皆が大飛躍を遂げる脱皮を始めようかという矢先に、誰よりも大きく羽ばたき始めた直後に逝ってしまった事で、これが人並みに順調に50ー60らいまで生きていれば、或いはベートーヴェンにも匹敵しうる2代目・楽聖の地位を築いていたのではないか? 

 とまで惜しまれるような大変化の兆しを秘めているのが、この『グレート』でしょう。

 最後の交響曲に至っていつもの悲哀観はすっかり影を顰め、全編に漲る確信に満ちたかのようなポジティブな力強さは芸術家として自信に満ち溢れ、その真価をいよいよ発揮し『さあこれからだ!』とでも言っているような矢先だっただけに、尚更惜しまれてなりません (TT▽TT)ダァー

 奇しくもこの大作も、前回紹介した『第8番(未完成)』同様に生前は埋もれたままシューマンにより発見され、メンデルスゾーンによって初演が行われるまでには、作曲後10年以上を待たねばなりませんでした。

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  • 19

ああ無情(前編) (TT▽TT)ダァー

 「シューベルトの交響曲」といえば、誰の口からもまず真っ先に出てくるのが『第8番(未完成)』という事になりますが、ワタクシ的には最後の『第9番(ザ・グレート)』の方が遥かに好きであり、また傑作だと思っています。

 前回も触れたように元来が歌曲王であり、また小曲の人とも言われるシューベルトさんですが、尊敬するベートーヴェンさんに肖って、交響曲にも手を伸ばしていきます。

 初期から中期にかけては、モーツァルトやベートーヴェンの亜流というような域を出ていなかったシューベルトさんの交響曲にグっと「らしさ」が出てくるのは、やはり『第5番』辺りからでしょう。

 そうして『第8番(未完成)』によって、あたかも頂点を極めたかのように言われがちですが前にも申した通り、ワタクシ的にはベートーヴェンの『第5』とカップリングされたものなどは、やはり何度聴いても見劣り(聴き劣り)がする感は否めません。

 勿論、これは比較する相手が偉大すぎる事もありますが、それよりもなによりこの『第9番(グレート)』であれば、充分ベートーヴェンにも匹敵しうる大作であり、この曲を最初に耳にした時は

 「え? これが本当に、シューベルトの交響曲なのか?」

 と、何度もクレジットを見直したものです。

 なにせ元々が「歌の人」であり「ピアノ(特に小品)の人」であるシューベルトさんだから、オーケストレーションはあまり得意とするところではありません。

 したがって、交響曲のような大作には向かない人であると一旦は結論付けられた人なのですが、この『グレート』に限っては確かに突然変異のように、まさに人が違ったような威風堂々たる貫禄が感じられ、あたかもモーツァルトの流麗なメロディラインと、ベートーヴェンの雄大なスケールをミックスしたようです。

 またシューベルトさんの音楽で、よく欠点として指摘される

 「繰り返しの冗長さ」

 はこの曲についても免れてはおらず、50分という長丁場に渡って何度も同じフレーズの繰り返しが顔を出してきますが、批評家としても超一流として認められていたシューマンに

 「天界の悠長さ(天国的な長さ)」

 と言わしめたほどに

 「心地よい冗長さ」にまで消化されてしまいました。

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最終更新:2007年11月03日 01:46