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アルゴニアン報告
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アルゴニアン報告 第1巻
ウォーヒン・ジャース 著
帝都の小さいが立派な広場の一角に置かれている、または、ぐったりとしているのがヴァネック卿の建設会社である。その想像力に欠けた質素な建物は、芸術性や建設設計に関してはあまり有名ではなく、むしろその並外れた長さによって知られている。もし批判的なものが、なぜヴァネック卿はあのような飾り気のない、伸びきった突起物を好むのかを疑問に思ったとしても、彼らはそれを口にしなかった。
第三紀398年、デクマス・スコッティは建設会社の先任書記であった。
内気な中年の男がヴァネック卿の下へ、五年戦争によって破壊されたヴァレンウッドの街道を修復する独占権をこの建設会社に与えるという、今までの契約の中でも最高の利益を得られる契約をもたらしてから数ヶ月が経過していた。これによって彼は、管理職や書記に間で人気者になり、彼の冒険を物語る日々を過ごしていた、大体に関しては忠実に…… 彼らの多くはシレンストリーによって催された、祝賀のアンスラッパローストに参加していたので、結末は除いてあった。聞き手に彼らは人肉をむさぼり食ったと伝えるのは、どのような気の利いた話であっても、その質を高めるものではないからである。
スコッティは特に野心家でもなければ勤勉者でもないので、ヴァネック卿が彼に何もすることを与えなかったことは気にしていなかった。
いつでもあの、小太りで小さなふざけた男が職場でデクマス・スコッティに出くわすと、ヴァネック卿は必ず、「君はこの建設会社の名誉である、頑張りたまえ」と言う。
最初の頃は、何かしていなければいけないのかと心配したが、数ヶ月がすぎて行くにつれ、彼はただ「ありがとうございます、がんばります」と答えるだけになっていった。
一方、将来のことも考えなければならなかった。彼は若くもなく、何もしない人にしてはかなりの給料も貰ってはいたが、近いうちに引退する破目になり、何もしない、何も貰えない人になってしまうのではないかなどと考えた。もしヴァネック卿が、ヴァレンウッドの契約が生み出す何百万もの金への感謝から、快くスコッティをパートナーにしてくれれば、それは素晴らしいことだと考えていた。最低でも、彼にお宝の歩合をほんの少しでも与えてくれればと考えていた。
デクマス・スコッティはそのような事柄を請求するのは苦手であった。それが、ヴァレンウッドでの先任書記としての目覚しい成功の前は、アトリウス卿にとって彼が手際の悪い代理人であった1つの理由である。彼がヴァネック卿に何か言おうと決断しかけた時、閣下が突然話を進めた。
「君はこの建設会社の名誉である」と、よぼよぼした背の低いものは言い、そして一瞬止まった。「予定に少々、時間の空きはないかね?」
スコッティは躍起になってうなずき、閣下の後を、あの悪趣味な装飾を施された、誰もがうらやむ巨大な部屋へとついていった。
「君がこの建設会社に居てくれることを、ゼニタールの神に感謝します」小男が甲高い声で雄大に言った。「知っているかは知らないが、我々は君が来る前はひどい苦境に立たされていた。確かに大きな計画はあったのだが、成功はしなかった。例えばブラック・マーシュ。我々は、何年間も商業用の街道や他の通行用の路線の改善を試みてきた。私はその件に最適の男、フレサス・ティッジョを送り込んだが、膨大な資金と時間の投資をよそに、毎年それらの路線上の貿易は遅くなる一方であった。今は、君の良くまとまった、建設会社の利益を押し上げてくれるヴァレンウッドの契約がある。君が報われるべき時期が来たと思う」
スコッティは謙虚さと、かすかな欲をまとった笑顔を見せた。
「フレサス・ティッジョからブラック・マーシュの仕事を引き継いでもらいたい」
スコッティは心地よい夢から恐ろしい現実へと引き戻されたかのように震え、「閣下… わ、私には……」
「大丈夫だ」ヴァネック卿は甲高い声で、「ティッジョのことは心配しなくてもよい。手渡す金で彼は喜んで引退するであろう、特に、この魂をも痛めつけるほどに難しい、ブラック・マーシュ事業の後ではな。君にこそ相応しい挑戦である、敬愛なるデクマスよ」
スコッティは、ヴァネック卿がブラック・マーシュに関する資料を取り出している最中、声は出せなかったが口は弱々しく「嫌」の形をしていた。
「君は、読むのは早いほうであろう」ヴァネック卿は推測でものを言った。「道中で読んでくれたまえ」
「どこへの道中ですか……?」
「ブラック・マーシュに決まっておるではないか」小男がクスクス笑った。「君は面白い男だ。行われている仕事や改善の方法を他のどこへ行って学ぶというのだ?」
次の朝、ほとんど触れられていない書類の山とともに、デクマス・スコッティはブラック・マーシュへと南東に向かって旅立った。ヴァネック卿が、彼の最高の代理人を保護するために、壮健な衛兵を雇っていた。少々無口なメイリックという名のレッドガードである。彼らはニベンに沿って南へと馬を進め、それから彼らはシルバーフィッシュに平行して、川の支流には名前もなく、草木は北帝都地方の上品な庭園からではなくまるで違う世界から来たような、シロディールの荒野へと進んだ。
スコッティの馬はメイリックのそれにつながれていたので、書記は移動しながら書類を読むことができた。進んでいた道に注意を払うことは困難ではあったが、建設会社のブラック・マーシュにおける商取引に関して、最低でも大雑把な知識が必要であることをスコッティは分かっていた。
それはギデオンからシロディールへの街道の状態を改善するために、裕福な貿易商ゼリクレス・ピノス・レヴィーナ卿から初めて数百万の金を受け取った、40年前にさかのぼる書類が詰まった巨大な箱であった。当時、彼が輸入していた米や木の根が帝都に到着するまでには、半分腐って3週間という、途方もないような時間がかかるものだった、ピノス・レヴィーナはすでに亡くなっているが、数十年にわたってペラギウス四世を含む多くの投資家たちが、建設会社を雇っては道を作り、沼の水を抜き、橋を作り、密輸防止策を考案し、傭兵を雇い、簡単に言えば歴史上最大の帝都の思いつく、ブラック・マーシュとの貿易を援助するためのすべての方策を行わせてきた。最新の統計によると、この行為の結果、今は荷物が到着するまでに2ヶ月半かかり、完全に腐っているとのことである。
読みふけった後に周りを見回すと、地形は常に変化していたことにスコッティは気付いた。常に劇的に。常により悪く。
「これがブラックウッドです」と、メイリックはスコッティの無言の問いに答えた。そこは暗く、木が生い茂っていた。デクマス・スコッティは適切な地名であると思った。
本当に聞きたかった質問は、「このひどい臭いは何?」だった。そして、後に聞くことができるのだった。
「沼沢地点です」メイリックは、木と蔓が絡み合い、影の多い通路が空き地へと開ける角を曲がりながら答えた。そこにはヴァネック卿の建設会社、そしてタイバー以降のすべての皇帝が好む、型にはまったインペリアル様式の建物がまとまって建てられており、目もくらみ、腸がねじれるような強烈な汚臭と相まって、突然すべてが劇薬にさえ思えた。至るところを飛び回り、視界をさえぎる深紅色で、砂の粒ほどの虫たちの大群も、その光景を見やすいものにはできなかった。
スコッティとメイリックは、元気いっぱいに飛び回る大群に向かって瞬きを繰り返しながら、近づくにつれ真っ黒な川のふちに建てられていることが判明した一番大きな建物に向けて馬を進めた。その大きさと厳粛な外観から、対岸の茂みへと続く大きな気泡を発する黒い川に架けられた、幅広の白い橋の通行人管理と税徴収の事務所であるとスコッティは推測した。それは光り輝く頑丈そうな橋で、彼の建設会社が架けたものであるとスコッティは知っていた。
スコッティが一度扉を叩いたとき、いらいらした汚らしい役人が扉を開いた。「早く入れ! ニクバエを入れるな!」
「ニクバエ?」デクマス・スコッティは身震いした。「人間の肉を食べると言うことですか?」
「馬鹿みたいに突っ立てれば食われるさ」と、兵士は呆れたように言った。彼には耳が半分しかなく、スコッティは他の兵士たちも見たが、全員いたるところをかまれており、1人は鼻が完全になかった。「それで、何の用だ?」
スコッティは用事を伝え、要塞の中ではなく外に立っていたほうが、より多くの密輸者を捕らえられるであろうと付け足した。
「そんなことより、あの橋を渡ることを気にしたほうがいいぞ」と、あざけるように兵士が言った。「潮が満ちてきている。もし急がなかったら、4日間はブラック・マーシュへ行けないぞ」
そんな馬鹿な。橋が上げ潮に呑まれる、それも川で? 兵士の目が、冗談ではスコッティに伝えていた。
砦から外に出た。ニクバエから拷問されることに嫌気がさした馬は、どうやら止め具を引きちぎり、森の中へと消えたらしい。川の油質の水は既に橋の厚板に達しており、その隙間から滲み出ていた。ブラック・マーシュへ行く前に、4日間の滞在に耐えるのは構わないとスコッティは考え始めていたが、メイリックは既に渡り始めていた。
スコッティは彼の後をあえぎながら追った。彼は昔から壮健ではない。建設会社の資料が入った箱は重かった。途中まで渡ったとき、彼は息をつくために立ち止まった、そして、動けないことに気がついた。足が固定されていたのである。
川を覆う黒い泥には粘着性があり、スコッティが行く厚板の上に泥が打ち寄せたとき、彼の足をしっかりと固定してしまった。彼はうろたえてしまった。スコッティはそのわなから顔を上げ、メイリックが板から板へ飛び移りながら、対岸のアシの草むらへの距離を急速に縮めていくのを見た。
「助けてくれ!」と、スコッティは叫んだ。「動けない!」
メイリックは跳ね続け、振り返りもしなかった。「はい、残念ながら、もはや、お痩せになられるしか、なすすべはありません」
デクマス・スコッティは、自分の体重が数マイル多いことも分かっていたし、食事を減らして運動を増やすつもりでもいたが、減量が現在の苦境から速やかに彼を救ってくれるとは到底思えなかった。ニルンに存在するいかなる減量も、その場では助けにならない。そこで、よく考えてみるとあのレッドガードは、資料の詰まった箱を捨てろと言っていたのだと気がついた。メイリックは既に、それまで持っていた重要な物質を何ひとつ持ってはいなかった。
ため息をつきながら、スコッティは建設会社の記録書類が入っている箱をネバネバした川の中に捨て、厚板が数ミリ、辛うじて自身を泥の束縛から解放するに足るだけ浮き上がるのを感じた。恐怖から湧き上がる敏捷性で、スコッティは板を3枚ずつ飛ばしながら走り、川が彼を捉える前に跳ね上がりながらメイリックの後を追った。
四十六回跳んだところで、デクマス・スコッティはアシの茂みを抜けて、メイリックの後ろの硬い地面に着地し、ブラック・マーシュに到着した。彼のすぐ後ろで、橋と、もう二度と目にすることがない建設会社の重要で、公式な記録書類の詰まった箱が、上昇する汚物の洪水に飲み込まれていく嫌な音が聞こえた。
アルゴニアン報告 第2巻
ワーリン・ジャース 著
泥と葦原の中から現れたデクマス・スコッティは走り疲れていた。その顔と腕は赤いニクバエにびっしりと覆われていた。シロディールを振り返ると、厚くどんよりした黒い河の中へと橋が消えていくのが見えた。潮が引くまでの数日間はあそこへ戻れないことを悟った。そのネバつく河の底にはブラック・マーシュに関する報告書が沈んだままであった。こうなった今、ギデオンに連絡を取るにはもはや記憶に頼るしかなかった。
メイリックは葦原の中を強い意志をもって突き進んで行った。無駄と知りつつ、スコッティもニクバエをはたき落としながらあとを追いかけていった。
「私たちはツイてますよ、スコッティ卿」と、レッドガードが言った。スコッティはその言葉に首をかしげながら、男の指す方向へと目を向けた。「キャラバンがおります」
ガタガタの木造車輪をつけ、泥にまみれ錆びついた荷馬車が21台、ぬかるんだ地面に半分車輪を沈ませながらそこにいた。アルゴニアンの一群が他の馬車から離れたところにある1台をひいていた。彼らは灰色の鱗と灰色の目をしており、シロディールではよく見られる寡黙な肉体労働者である。スコッティとメイリックがその馬車へ近づくと、果物というより腐ったゼリーのようになってなんだか分からないほどに傷んだブラックベリーで荷台があふれかえっていた。
彼らはまさにギデオンへと向かう途中だったので、彼らの承諾を得て、スコッティはランベリーを積みおろした後に馬車に乗せてもらえることになった。
「この果物はどれくらい前に摘み取られたのですか?」とスコッティは腐りかけの荷物を見ながら尋ねた。
「収穫の月に獲れたものだよ」とこの荷馬車の長と見られるアルゴニアンが答えた。今が11月だから、畑から運ばれてかれこれ2ヶ月ちょっと経っている。
スコッティは、この輸送は明らかに問題だと思った。その問題点をなくすことこそが、ヴァネック建設会社の代理人を務める自分の仕事だと思った。
日光にあたって余計に傷みつつあるベリーを載せた馬車を脇道へ追いやるのに小一時間かかった。荷馬車同士は前後に連結されていた。キャラバンの先頭を行く荷馬車をひく8頭の馬のうちの1頭が連れてこられ、離れた荷馬車につながれた。労働者たちには覇気がなく、倦怠感が漂っていた。スコッティはこの時間にほかのキャラバンを調べたり、自分と道連れになる旅人と話したりしていた。
荷馬車の内、4台には中に備え付けのシートがあるが、乗り心地はあまりよいものではなかった。他の荷馬車には穀物や食肉、そして野菜などが積み込まれており、程度の差こそあれ、それぞれみな傷んでいた。
旅人はアルゴニアンの労働者が6人、虫にたくさん食われて皮膚がアルゴニアンの鱗のようになってしまった帝都の商人が3人、そしてマントに身をつつんだ3人。マントの3人はフードの影から覗く赤く光る目からすると、明らかにダンマーだった。皆が帝都通商街道に沿って荷を運んでいた。
顎の高さまで伸びる葦が広がる草原を見渡し「これが道なのか?」とスコッティは叫んだ。
「固い地面みたいなもんだ」とフードをかぶったダンマーの1人が答えた。「馬は葦を食べ、我々も時に葦で火をおこすが、抜いたそばからすぐに新しい葦が生えてくる」
ようやく荷馬車長がキャラバンの出発の準備が整ったことを知らせ、スコッティもほかの帝都の人間たちと3番目の荷馬車に乗り込んだ。席を見渡すとメイリックが乗っていないことに気づいた。
「私はブラック・マーシュまでの行き来しか承諾してませんよ」とレッドガードは葦原の中へ石を投げ込み、ひげだらけのニンジンにかぶりつきながら答えた。「ここであなたのお帰りをお待ちしておりますよ」
スコッティは顔をしかめた。メイリックがスコッティを呼びかける際、名前の後に「卿」を付けなかったからだけではない。いまや彼にはブラック・マーシュには誰も知り合いがないことになるのだが、荷馬車はギシギシと音をたてながらゆっくりと前へ進みだしていたので、もはや議論する時間はなかった。
毒をはらんだような風が通商街道を吹き抜け、葦原に奇妙な模様を描いていった。遠くには山のようなものが見えるが、わずかながらに動いているため、それは濃い霧の壁であることがわかった。たくさんの影が風景を横切っていき、スコッティが空を見上げると巨大な鳥が数羽飛んでいた。その剣のようなくちばしは、身体と同じくらいの長さだった。
「ハックウィングだよ」スコッティの左側に座る帝都のケアロ・ジェムラスがぶつぶつ言った。彼はまだ若いようだったが、疲れきって老人のように見えた。「ここはまったくあきれた場所だよ。ぐずぐずしてたらパクッとひと飲みされちまうよ。あの物乞いたちは急降下してきて、あんたに一撃を食らわし、飛び立った頃にはあんたは失血死でおだぶつさ」
スコッティは震え上がった。夜が更けるまでになんとかギデオンに到着できることを祈った。その時彼は、太陽の向きがおかしいことに気づいた。
「失礼だが……」と、スコッティは荷馬車長に聞いた。「ギデオンに向かっているのですよね?」
荷馬車長はうなずいた。
「それならばなぜ北へ向かっているのですか? 我々が向かう方角は南なのでは?」
返事の代わりにため息が返ってきた。
スコッティはほかの旅人もギデオンに向かっていることを確認したが、誰一人としてこのおかしなルートを取ることに疑問を抱いてなかった。荷馬車の固い椅子は、中年の背中や腰には正直こたえたが、キャラバンの動くリズムや葦の揺れに誘われ、スコッティはいつのまにか眠ってしまった。
数時間後、スコッティは暗闇の中目を覚ました。今、自分がどこにいるのかがわからなかった。キャラバンは停車しており、気づけばシートの下の床に横たわっていた。横には小箱がいくつかあった。シーシーカツカツという声が聞こえてきた。彼には何語なのかまったくわからなかったが、誰かの脚の間から何が起こっているのか見えた。
双月の光はキャラバンを囲むこの厚い霧の中ではわずかに差し込む程度であり、声の主が一体誰なのか、今いる位置からはっきりとはわからなかった。どうも荷馬車長がぶつぶつと独り言をいってるかのように見えたが、暗闇の中で動くものはしっとりとした、光り輝く皮膚をしているようだった。一体その生物がどれだけいるのかは検討がつかないが、とにかく大きくて、黒くて、目を凝らすとより細かな部分が見えてきた。
ぬらぬらと光る針のように尖った牙でいっぱいの巨大な口が見え、スコッティは急いでシートの下へとまた滑り込んだ。彼らの黒い眼はスコッティをまだとらえてはいなかった。
スコッティの目の前にあった脚はパタパタと動き出し、そのまま何者かに荷馬車の外へと引きずりだされた。スコッティはさらに奥へと縮こまり、小箱の間で体を小さくした。スコッティはきちんとした身の隠し方というものを心得てはいなかったが、盾を使った経験はあった。なんでもいいから相手との間に障害物があることは感謝すべきことであった。
瞬く間に、目の前にあった脚はすべて消え去り、絶叫が1つ、2つと聞こえてきた。その叫び声は声質も、アクセントも違っていたがその叫びが伝えてくるものは…… 恐怖、苦痛、それも恐ろしい苦痛であった。スコッティは長い間ステンダール神へ祈祷していなかったのを思い出し、この場で祈りをささげた。
静寂が訪れた…… それは不気味なほどの静けさで、数分が数時間、数年にさえも感じられた。
そして荷馬車は再び動き出した。
スコッティは周りに注意を払いながらシートから這い出した。ケアロ・ジェムラスが困惑した表情を向けた。
「やあ、お前さん…… てっきりナガスに食べられちまったかと」
「ナガス?」
「たちの悪いやつらさ」とジェムラスは顔をしかめて言った。「腕と脚のついた大毒蛇さ。怒り狂って立ち上がったときは78フィートほどの高さになる。内陸の沼地から出てくるんだが、ここいらの物はさして好みじゃなさそうだ。だからお前さんのようなお上品な人間は奴らの大好物なんだよ」
スコッティは今のいままで自分が上品だと思ったことは一度もない。泥にまみれ、ニクバエに喰われた彼の服はせいぜい中流階級あたりの格好だ。「なぜ私を狙うのだ?」
「そりゃもちろん奪うためさ」と帝都の男は笑顔で答えた。「あと殺すためだな。お前さん、ほかの者たちがどんな目に遭ったか分からないのか?」男は先ほどの光景を思い出したように、顔をしかめた。「シートの下にある小箱の中身を試してないのか? 砂糖みたいなもんさ。どうだい?」
「いいや」とスコッティは顔をしかめた。
男は安心してうなずいた。「お前さんはちょいとのんびり屋みたいだな。ブラック・マーシュは初めてか? ああ、クソッ! ヒストの小便だ」
スコッティがジェムラスが発したその下品な言葉の意味を聞こうとすると雨が降ってきた。地獄の果てのような悪臭を放つ褐色の雨がキャラバンに降り注いだ。遠くで雷がゴロゴロと鳴っていた。ジェムラスは馬車に屋根をかぶせようとし、スコッティの方へじっと視線を送るので、しかたなくスコッティも手伝いをするはめになった。
この冷たい湿気のせいだけではなく、屋根で覆われていない荷台の作物にさきほどの雨が降りこんでいる光景を見て、スコッティはぞっとした。
「すぐに乾くさ」とジェムラスは笑顔で言い、霧の中を指した。
スコッティはギデオンを訪れたのはこれが初めてだが、どんなところかの大体の予想はしていた。帝都と似たり寄ったりの大きな建物、建築様式、過ごしやすさ、伝統を持っている土地であると。
しかし泥の中に居並ぶあばら家の寄せ集めはまったく違っていた。
「ここは一体どこだ?」とスコッティは当惑して聞いた。
「ヒクシノーグだ」ジェムラスは奇妙なその名前を力強く発音した。「お前さんが正しかったよ。南へ行くべきところを北へ向かっていた」
アルゴニアン報告 第3巻
ウォーヒン・ジャース 著
デクマス・スコッティはブラック・マーシュ南部にある徹底的に帝政化された街、ギデオンで、ヴァネック卿の建築委員会およびその顧客を代理して、地域の交易を活性化させる商取引の手はずをあれこれと整えているはずだった。ところが実際には、半分水没した腐りかけのヒクシノーグなる小村にいた。知り合いなどひとりもいなかった。シャエロ・ゲムルスという名の麻薬密売人をのぞけば。
隊商が南ではなく北に向かってしまったのにも、ゲムルスはこれっぽちも動じていなかった。しかも、村人から買い求めたバケツ一杯分のトロードなる歯ざわりのいい小魚をスコッティにも分け与えた。スコッティとしては、火を通してある状態で食したがったが。せめて死んでいたほうが。が、ゲムルスは、トロードという魚は死んでも火を通しても猛毒になるのだとのんきに説明した。
「本当なら今頃は」スコッティは口をとがらせると、のたうちまわっている小さな生物を口の中に放り込んだ。「ローストを食べているだろうに。それからチーズとグラスワインも」
「おれなんか北方でムーンシュガーを売りさばいて、南方で仕入れるけどね」と、ゲムルスは肩をすくめた。「あんたももうちょっと柔軟に考えたほうがいいぜ」
「私の仕事はギデオンにしかない」スコッティは顔をしかめた。
「まあ、いくつかの選択肢はあるぜ」密売人は答えた。「この村に残ってもいいだろうな。アルゴニアの村はたいてい、ひとところにとどまらない。だから、ヒクシノーグがギデオンの門の目の前に流れ着く可能性は大いにある。1、2ヶ月かかるだろうけど、もっとも楽ちんな方法だろうな」
「予定が大幅に遅れてしまうよ」
「なら次の方法だ。もう一度、隊商に乗っけてもらえばいい」と、ゲムルスは言った。「今度こそ正しい方角に向かうだろうし。底なし沼にはまることも、ナーガの追いはぎに皆殺しにされることも、ひょっとしたらないかもしれない」
「気乗りがしないな」スコッティは顔をしかめた。「他の方法は?」
「根っこに乗ればいい。地下超特急さ」ゲムルスはにかっと笑った。「ついてきな」
スコッティはゲムルスについて村を出ると、ひょろ長い苔のベールに覆われた雑木林に入った。ゲムルスは地面から目を離そうとせず、ねばつく泥をつついたりつつかなかったりしていた。ようやく正しい地点をつつくと、てらてらと光る大きな気泡の塊が地表に浮き上がってきた。
「完ぺきっす」と、ゲムルスは言った。「さてと、肝心なのはパニックにならないことだ。超特急は一直線に南へ向かう。冬を越すための移住だな。赤粘土があちこちに見えるようになったら、ギデオンに近いってことだ。とにかくパニックだけは起こすなよ。で、泡の塊が見えたらそれが通気孔だから、そこから外に出るといい」
スコッティはぽかんとしていた。ゲムルスの説明はまるでちんぷんかんぷんだった。「は?」
ゲムルスはスコッティの肩をつかむと、泡の塊のてっぺんに彼を押しやった。「ここに立つんだ」
スコッティはたちまちぬかるみに沈んでいった。恐怖におびえた顔でゲムルスを見つめていた。
「赤粘土が見えるまで待つんだぞ。で、その次に泡が見えたら体を押し上げろ」
脱出しようともがけばもがくほど、スコッティは勢いをつけて沈んでいった。首のあたりまで泥に埋まっていた。あいかわらずゲムルスを見つめたまま、「うぐ」という声にならない不明瞭な音だけを口から発していた。
「それと、消化されちまうんじゃないかってパニックになるなよ。根ミミズの腰の中なら数ヶ月は生きられる」
スコッティは慌てふためいて最後の空気をひと飲みすると、目を閉じ、泥の中に消えていった。
スコッティは予想外の温もりに包まれているのを感じた。目を開けると、半透明のねばねばした物質にすっぽり覆われていた。南に向かって猛スピードで移動しているのがわかった。空を飛ぶように汚泥を突っ切り、複雑に絡み合う根っこの道を軽快に跳びはねながら進んでいった。スコッティは戸惑ってはいたが、恍惚感にもひたっていた。わき目も振らずに見知らぬ暗黒世界を爆走していき、肉厚な触手のような樹木の根をかわしては飛び越えた。闇夜を舞っているような気分だった。沼地の奥深くで地下超特急に乗っているとは思えなかった。
圧倒的な根っこの集合体のほうを少しだけ見上げてみると、何かが身をよじりながら通りすぎた。長さは8フィートほど、腕がなく、足もなく、色もなく、骨もなく、目もなく、ほとんど輪郭もない生物が根っこに乗っていた。その中に、黒っぽい何かがいた。と、ぐっと近づいてきて、スコッティはそれがアルゴニアンの男だとわかった。スコッティは手を振った。すると、体内にアルゴニアンを乗せたそのおぞましいモンスターはいささか速度を落としてから、あらためて前方に猛進していった。
その光景を見るや、ゲムラスの言葉がスコッティの脳内に蘇ってきた。「冬を越すための移住」「通気孔」「消化される」などなど、それらのフレーズが舞を踊っていた。入ろうとしてもはねつけられてしまう脳みその内部にみずからの居場所を見つけようとするように。が、この状況ではそれも仕方のないことだった。生きた魚を食べることに始まって、輸送手段として生きたまま食べられるに至った。スコッティは今、根ミミズの体内にいるのだ。
スコッティは執行の決断を下し、気を失った。
スコッティはだんだんと目覚めていった。女性の温かい腕に抱かれるという美しい夢を見ながら。にやけた顔で目を開けると、一気に現実の居場所に引き戻された。
根ミミズはあいかわらずの猪突猛進ぶりだった。愚直なほど前へ前へと、根っこをなぞるように進んでいたが、もはや闇夜の飛翔という感じはしなかった。そう、早暁の空のようだった。ピンクと赤。スコッティは、赤粘土を見落とすなというゲムラスの言葉を思い出した。ギデオンに近いのだ。手順に従えば、今度は泡を見つけなくてはならない。
泡などどこにも見あたらなかった。根ミミズの体内は今でも温かく快適だったが、スコッティは土の重さを感じるようになっていた。「パニックになるんじゃないぞ」と、ゲムラスは言ったが、アドバイスを聞くことと理解することではまるで次元が異なるのだ。スコッティが身もだえしだすと、内なる圧力が高まるのを感じたのか、モンスターは速度を上げはじめた。
そのときだった。スコッティが頭上を見やると、か細い泡状の螺旋が渦巻いていたのだ。どこかの地下水流からわいてきた気泡が、泥の中をまっすぐに、根っこをくぐって表面まで連なっていた。根ミミズがそこを通過する瞬間に、スコッティは渾身の力で体を押し上げ、モンスターの薄い皮膚を突き破った。気泡が彼の体を勢いよく押し飛ばし、一度もまばたきすることなく、スコッティはぬかるんだ赤い泥から飛び出した。
二人の青白いアルゴニアンが、網を手に、近くの木陰に立っていた。控えめな好奇心でもってスコッティのほうを見ていた。網の中では、ふさふさの毛が生えたネズミに似た生物が数匹、もぞもぞと動いていた。スコッティがこの生物に気をとられていると、もう一匹が木から落っこちた。スコッティはこうした風習に詳しいわけではなかったが、どうやら釣りをしているらしかった。
「あの、ちょっといいですか」と、スコッティはつとめて陽気に言った。「ギデオンのある方角を教えていただけません?」
アルゴニアンはそれぞれ「焚きつけしもの」および「丸めた若葉」と自己紹介すると、質問に戸惑いを浮かべて顔を見合わせていた。
「だれに会う?」丸めた若葉は訊いた。
「たしか名前は……」と、スコッティは言った。とうの昔に紛失したギデオンの連絡先ファイルのページを頭の中でめくりながら。「『右足岩の支配者』?」
焚きつけしものがうなずいた。「5ゴールド、道教える。ずっと東。ギデオン東の大農園。とっても素敵」
この2日間で最高の取引だと考えたスコッティは、焚きつけしものに5ゴールドを手渡した。
アルゴニアンの先導でぬかるんだ一本道を進んでいき、アシの草むらを抜けると、はるか西方に広がるトパル湾の鮮やかなブルーが見えてきた。スコッティは、明るい真紅の花が咲き乱れている外壁に囲まれた壮麗な屋敷を見渡すと、なんてきれいなんだろう、と考えている自分に驚いた。
その街道は、トパル湾から東に向かって勢いよく流れる小川に沿って続いていた。オンコブラ川だとアルゴニアンが教えてくれた。ブラック・マーシュの中心の薄暗い奥地まで流れているという。
ギデオン東部に広がる大農園を柵越しにのぞきながら、スコッティはほとんどの畑地が手入れされていないことに気づいた。収穫期を過ぎた腐った作物がしおれた蔓にいまだにぶらさがっていた。荒れ放題の果樹園に葉の枯れ落ちた樹木。畑地で働くアルゴニアンの農奴は痩せていて、弱っていて、半分死人のようだった。理性的な生命体というよりもさまよう亡霊のようだった。
二時間後、3人はとぼとぼと東へ向かう旅を続けていた。屋敷は少なくとも遠めには立派に見えたし、街道は雑草だらけながらもがっしりとした造りだったが、それでもスコッティは畑地の農奴と農作物の状態にいらいらし、おののいていた。この地域に尽くそうという気持ちは失せていた。「あとどのくらいなんですか?」
丸めた若葉と焚きつけしものはお互いの顔を見合わせた。そんな質問など思いつきもしなかったと言わんばかりに。
「右足岩の支配者、東?」丸めた若葉は考え込んだ。「近い、遠い?」
焚きつけしものは煮え切らない態度で肩をすくめると、スコッティに言った。「あと5ゴールド、道教える。ずっと東。大農園ある。とっても素敵」
「当てずっぽうなんだろう?」スコッティは叫んだ。「どうして最初にそう言わなかったんだ。べつの誰かに訊くこともできたのに!」
前方の曲がり道のあたりからひづめの音が響いてきた。馬が近づいているのだ。
スコッティは音のするほうへ歩いていき、乗り手を止めようとした。焚きつけしものの鉤爪がきらめき、そこから呪文が放たれたことには気づかなかった。か、体ではそれを感じた。氷のキスが背筋をなぞると、腕と脚の筋肉がいきなり硬直して動かなくなった。頑丈な鋼に包まれたようだった。スコッティの体は麻痺していた。
麻痺状態で何よりも悲惨なのは── 不幸にも読者の方はここで知ることになるのだが── 体がまるで反応しなくても目は見えるし、頭もしっかりしているということだ。スコッティの頭を突き抜けた思考は、「ちくしょう」だった。
もちろん、焚きつけしものと丸めた若葉は、ブラック・マーシュのたいていの素朴な日雇い労働者がそうであるように、卓越した幻惑師だった。それに、帝都の友人であるはずもない。
アルゴニアンたちはスコッティを道端に突き飛ばした。馬にまたがった乗り手が角を曲がってきたのだ。
やってきたのは堂々たる貴族だった。その鱗のついた肌とそっくりな色をした、きらびやかな深緑色の外套をまとい、体の一部とつながったようなフリルのついた頭巾をかぶっていた。角のついた冠といった趣だった。
「こんにちは、兄弟!」と、その貴族が二人に向かって言った。
「こんにちは、右足岩の支配者」と、二人は返事をした。それから、丸めた若葉が付け加えた。「今日はいい天気、どんな感じですか?」
「忙しい、忙しいよ」右足岩の支配者は威厳に満ちたため息をついた。「女の農奴のひとりが双子を出産したのだ。双子たぞ! 幸いにも、双子でもかまわんという商人が街におったし、女もさほど面倒をかけることはなかった。それがすんだと思ったら、今度は帝都のまぬけの相手だ。ヴァネック卿の建築委員会の代理人とギデオンで会う約束なのだ。財布の金をばら撒かせるには、仰々しい視察に連れていかなければならんだろうな。まったく面倒をかけてくれるわい」
焚きつけしものと丸めた若葉はさも気の毒そうな顔をしてから、右足岩の支配者が馬で走り去ると、獲物のようすを見にいった。
彼らにとって不運だったのだ、ブラック・マーシュでもタムリエルのその他の地域と変わらないほど重力が働いているということだった。二人の獲物、デクマス・スコッティは、置き捨てられた地点から転がり落ちて、そのときにはもう、オンコブラ川でおぼれかけていた。
アルゴニアン報告 第4巻
ウォーヒン・ジャース 著
デクマス・スコッティは溺れていて、それ以上何も考えられなかった。アルゴニアンの農夫に受けた麻痺の呪文のせいで手足を動かすことができなかったが、すっかり沈んでしまうこともなかった。白濁したオンコブラ川は大きな岩さえもやすやすと流し去ってしまう勢いで流れていた。スコッティは上下逆さになりながら、あちこちにぶつかり、転がりながらひたすらに流されていった。
彼は自分がもうすぐ死ぬだろうと思ったが、それでもブラック・マーシュへ逆戻りするよりはましだと思った。肺に水が入り込んできたのを感じても、彼はもはやさほど慌てふためくこともなかった。そして冷たい闇が彼を包みこんだ。
。
しばらくして、スコッティは初めて穏やかな気持ちに包まれた。それは聖なる闇であった。しかしすぐに痛みに襲われ、彼は自分が激しく咳こみ、胃や肺に流れ込んだ水を吐き出したのを感じた。
「なんとまあ、生きてるじゃないか!」という声が聞こえた。
スコッティは目を開け、自分を見下ろす顔を見ても、まさかこれが現実とは思えなかった。今だかつて見たことのないアルゴニアンがそこにいた。槍のように細長い顔立ちをしていて、その鱗は太陽のごとくルビーレッド色に光り輝いていた。アルゴニアンは眼をぱちぱちさせながら彼を見たが、そのまばたきは縦に入った切れ目を開け閉めするかのようだった。
「俺たち、別にあんたを取って食いやしないよ」とその生き物は笑ってみせたが、その歯並びからして嘘でもなさそうだとスコッティは思った。
「どうも」とスコッティは弱々しく答えた。スコッティは「俺たち」がだれなのか確認しようと首をゆっくりと動かした。そして自分が今穏やかな川のぬかるんだ浅瀬に横になっていて、さきほどの彼と同じような細長い顔立ちのアルゴニアンに囲まれることを理解した。彼らの鱗は明るい緑色や宝石のような紫、青、そして橙色などまるで虹のようだった。
「教えてくれないか…… ここはどこだ? どこかの近くなのか?」
ルビーレッド色のアルゴニアンが笑った。「どこでもない。お前さんがいるのはあらゆる場所の中心で、同時にどこの近くでもないのだ」
「ああ……」とスコッティは言った。ブラック・マーシュでは「場所」という概念はさほど意味をなさないものであることなのだとわかった。「それであなた方は一体?」
「俺たちはアガセフだ」ルビー色のしたアルゴニアンがこう答えた。「俺の名前はノム」スコッティも自己紹介をした。「私は帝都にあるヴァネック建設会社の事務主任をやっているものだ。通商上の問題を解決するためにここへ来た。しかし、大事なメモはなくすし、会う約束をしていたギデオンのアーチェンとも会えずじまいで……」
「こいつは思いあがった奴隷商の泥棒役員だ」と小柄でレモン色をしたアガセフはとげとげしくつぶやいた。
「でも今は、ただ家に帰りたい」とスコッティは言った。
ノムはいやな客がパーティをあとにするのを喜ぶ主催者のように、長い口をにんまりさせて、「シェフスに案内させよう」と言った。
シェフスと呼ばれた者は、やや小柄で黄色い生き物だったが、この任務にいやそうな顔をした。彼はスコッティを驚くべき力で持ち上げたが、この時スコッティはジェムラスに地下の急流へと続く泥沼の中に放り込まれた時のことを思い出した。しかし今回は、水面に浮かぶ剃刀のように薄いいかだの上へと放り投げられたのだった。
「これが君たちの旅のやりかたかい?」
「俺らは外の仲間が持っているような壊れかけの荷馬車や死にかけの馬は持っていないんだ」シェフスは目をくるくると回しながら答えた。「これよりもいい方法を知らないだけだよ」
そう言ってこのアルゴニアンはいかだの後ろの方に座り、鞭にも似た尻尾をプロペラのように回し、いかだの舵を取った。いかだは何世紀にも渡って腐敗した堆積物がヘドロの塊となって渦巻くなか、ちょっとしたぐらつきで一気に静かな水面で崩れ落ちそうな先の尖った山々や、錆びついてもはや金属で作られたのかどうなのかもわからない橋の下をくぐって進んでいった。
「タムリエルのものがすべてここブラック・マーシュへと流れつくのさ」とシェフスは言った。
いかだが水上を進む間、シェフスはスコッティに、アルゴニアンの種族のうち、アガセフはこの属州の内陸のヒストの近くに住んでおり、外の世界にはまったく興味をしめさないのだと話した。彼らに見つけられたのは運が良かったという。ヒキガエルに似たパートルや翼を持つサルパなどのナガスに捕まれば即座に殺されていただろう。
他にも遭遇を避けるべき生き物はいた。ブラック・マーシュのもっと内陸の方に住む自然の肉食動物たちだ。ゴミ箱に住むこの掃除屋は、生きた獲物に一度喰らいついたらもう二度と離さない。頭上では西の方で見かけたのと同じようなハックウィングが旋回しているのが見えた。
シェフスは静かになっていかだを完全に停止させ、何かを待っていた。
スコッティはシェフスの視線の先を追ったが、特に変わった物陰は見られなかった。しかし、目の前にある緑色のヘドロの塊が、確かに河岸から反対側の河岸へと素早く動いているのに気づいた。それは後ろに小骨を吐き出しながら葦の中に消えていった。
「ボリプラムスだよ」とシェフスは説明し、再びイカダを動かし始めた。「つまるところ、あんたなんか一瞬にして骨にされちまうってことだ」
スコッティはこの光景と悪臭から早く逃げ出したい衝動にかられたが、この語彙の豊富なシェフスと過ごすのは悪くないと思った。お互いの文明の差を考えると実に興味深いことであった。東に住むアルゴニアンは実際、しゃべりが達者だった。
「20年前、彼らはウンホロにマーラ神殿を建てようとしたんだ」シェフスが説明した。スコッティは前になくしてしまったファイルで読んだことがあったのを思い出して、それにうなずいた。「最初のひと月で、沼の腐り病のせいで跡形もなく消えてしまったけど、非常に面白い書物を残してくれた」
スコッティがそれについて詳しく聞こうとしたその時、巨大で、恐ろしいものを見つけ、身体が凍り付いてしまった。
前方に見えたのは、その姿を水に半分沈めた針の山で、9フィートもある長い鉤爪がついていた。もはや何も見えない白目で前方を見つめていたが、その怪物は突如グラグラと揺れ出し、突き出した顎からは血の塊のついた牙が見えた。
「沼の巨獣だ」とシェフスは感心したように口笛を吹いた。「とーっても危険な奴だ」
スコッティはぐっと息を飲みこみ、アガセフはなぜこうも落ち着いていられるのか、なぜ危険な怪物に向かっていかだを漕ぐのか不思議に思った。
「世界中のあらゆる生き物の中で、特にネズミは最高に悪いやつだよ」とシェフスが言ったのを聞いて、スコッティはこの巨大な怪物がただの抜け殻であることにようやく気づいた。動いてるように見えたのは何百匹ものネズミがその抜け殻に入り込み、内側から中身を食べつくし、皮膚に穴をあけて這い出ていたからだ。
「本当にそうだな……」とスコッティは言い、泥沼の深くへと沈んでいったブラック・マーシュに関するファイルへのことを考え、過去40年に渡るブラック・マーシュでの帝都が成し得た業績に思いを馳せた。
2人はブラック・マーシュの中心地を抜けて西の方へと進み続けた。
シェフスは広大で複雑なコスリンギーの遺跡、シダや花の咲きほこる野原、青苔の天蓋に覆われた小川などを見せてくれた。ヒストの木々で生い茂る大きな森はスコッティのこれまでの人生の中でもっとも驚くべき光景であった。彼らは道中まったく生き物に出会わなかったが、スラフ・ポイントのちょうど東に当たる帝都通商街道の端に到着すると、スコッティのレッドガードガイド、マリックが辛抱強く待っていた。
スコッティが「あと2分待とうか」と言うと、レッドガードは彼をキッとにらみつけ、手にしていた食べ物の残りを足元の残飯の山に捨て、「結構です」と言った。
デクマス・スコッティが帝都に着いた時には太陽は光かがやき、朝露に反射して、建物を光らせていた。それはまるで彼の到着に合わせて磨き上げられたかのようであった。スコッティはこの街の美しさ、また物乞いがほとんどいないことに驚いた。
ヴァネック建設会社の長大な建物はこれまで通りであったが、どこかエキゾチックというか奇妙なものに見えた。建物は泥に覆われていなかった。中の人々は本当に、普通に働いていた。
ヴァネック卿はややずんぐりとした体型で斜視であったが、清潔感が漂う男であり、泥にまみれ皮膚病に冒されるなどとは程遠く、また堕落した人間にも見えなかった。スコッティは初めて彼を見た時、じっと見つめずにはいれらなかった。ヴァネックもスコッティを真っ直ぐに見返した。
「なんてひどい姿だ」と小柄な卿は顔をしかめた。「ブラック・マーシュから馬に引きずられながら来たのか? 今すぐ家に帰って着替えてくるように…… と言いたいところだが、君に会うため大勢の人が待っている。まずはそっちを片付けてくれないか」
彼の言葉は誇張ではなかった。シロディールに住む20人ほどの時の権力者たちが彼の帰りを待ちわびていたのだ。スコッティはヴァネック卿の部屋よりもさらに大きな事務室をあてがわれ、それぞれの客人たちに会った。
最初の客は、騒ぎ立てながら金を積み上げた5人の貿易商たちであった。彼らはスコッティが通商路をいかに改善するつもりなのか教えろと要求した。スコッティは主要道路やキャラバンの状況、沈みゆく橋、そして辺境の地と市場間に横たわるあらゆる問題点をざっと報告した。すべてを取り換え、修理する必要があることを説明すると彼らはその費用の全額を置いていった。
それから3ヶ月のうちにスラフ・ポイントにかけた橋は泥沼の中へと沈み落ち、キャラバンは衰退し崩壊した。ギデオンからのびる主要道路は完全に汚水に飲みこまれてしまった。アルゴニアンは再び昔のやり方、つまり一人乗りのいかだと、時々は地下急流を使って穀物を少量ずつ運搬するようになった。シロディールまでの時間は以前の三分の一、二週間に短縮され、荷物は痛まなくなった。
次の客はマーラの大司教であった。心の優しい大司教は、アルゴニアの母親たちが自分の子供を奴隷商に売り飛ばす噂を恐ろしく思っており、それが事実かどうかを聞いた。
「残念ながら事実です」と、スコッティは答えた。大司教はセプティム貨を渡し、そこで暮らす人々の苦痛を和らげるようこのお金で食料を買い与え、子供たちが自分の身を助ける術を学べるように学校を建ててほしいと言った。
それから5ヶ月のうちに、ウンホロの荒廃したマーラ神殿から最後の本が盗み去られた。アルケインが破産したので、奴隷だった子供たちは親元へと帰り、小さな農園の手伝いをするようになった。僻地に住むアルゴニアンは自分たち民族が熱心に働けば家族を養うことなど簡単であるとわかり、やがて奴隷の買い手市場の勢いも急速に衰えていった。
ブラック・マーシュの北方で高まる犯罪率を懸念しているツスリーキス大使は、彼のような多くのアルゴニアン亡命者が行った貢献について説明した。そしてスラフ・ポイントの国境に配置させる帝都衛兵の増員、主要道路沿いに一定間隔に取り付ける魔法光源のランタンの増設や詰め所、学校の増設など、若きアルゴニアンを犯罪の道へ走らせない設備への投資を要求した。
それから6ヵ月後には、ナガスが道を漂うこともなく、キャラバンが物盗りに出くわすこともなくなった。盗賊たちはより内陸へと移動し、愛すべき腐敗と悪疫に囲まれたそこでの暮らしを思いのほか気に入った。大使は犯罪率の低下を非常に喜び、スコッティにこれからもいい仕事を続けてほしいとさらに金も渡していった。
ブラック・マーシュでは今も昔も、大規模で利益を生むような農場経営を維持することはできなかった。しかしアルゴニアンやタムリエルに住む人々は、ブラック・マーシュのこの地で必要な分だけを作る自給自足の生活を営むことができた。それは決して悪いことではない。望みがあるな、とスコッティは思った。
スコッティはさまざまな問題を同じように解決した。報酬の1割は会社に渡り、要求したわけではないが残りはスコッティの懐へと入っていった。
一年のうちにスコッティは多額の金を手にし、優雅な隠居生活を送れるほどになった。同様に、ブラック・マーシュは過去40年のうちで最も栄えた。