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「なんなんだてめえ……さっきから」

「――オカルトスレイヤー」


 言葉に合わせて京太郎は、聖ジョージの剣を肩に担ぐ。

 刃紋の変わりに回路がごとき溝が彫られた、近未来的な両刃の大剣。十字架を思わせるその外観。

 柄元に輝くのは宝石じみた集積回路。曰く人類の最高傑作と呼ばれる超高周波振動刃の制御素子。

 無論それは京太郎がかつて出演したドラマ作中での設定であり、この小道具は単に起動させれば幾ばくかの発光と振動を起こす以外の何物でもない撮影道具。

 ただ、ノースタントの動きに合わせるとあってその耐久力は折り紙付きだ。


「それとも、『M.A.R.S.ランキング第一位だった』……こう言った方が判りやすいかもな?」


 柄を握る右手に力が入る。

 剣を預けた肩とは反対側の、左手で挑発するように指を動かす京太郎。

 既に半ば彼の意識は切り替わっている。

 芝居がかった仕種は、彼とオカルトスレイヤーを近似に到らせる。プロ時代の二つ名としてのオカルトスレイヤーではなく、その元となった出演作品のそれに。

 超能力蔓延る学園都市で、超能力者が巻き起こす悲劇と絶望を防ぎ止めた最後の希望。最強の人間――、

 ――――指輪の魔法使い:オカルトスレイヤー。

 なお、魔法とは全て人類の叡知の元に行使される化学と物理と武術である。人類は伊達ではない。人間は未だ人間に到ってはいないのだ。


「……須賀、京太郎」


 男の呟きに、京太郎は御明察とばかりに片目を瞑る。だがしかしその身に漲る雰囲気に一切の気安さはない。

 決して嘲りや侮りがある訳でも、慢心や油断がある訳でもない。ただしなやかに、気負いを見せない爽快さを著すのみ。

 正に戦士の風情である。

 故に――次いで、


「場所はどこでもいい。したいならイカサマでもなんでもすればいい。何人連れて来ても構わない」


 男に向けられたのは、どこまでも獰猛な笑み。

 ただし、笑顔そのものに感情が籠められてはいない。

 怒りも憎しみも、苛立ちも腹立たしさもない。ただ、スポーツ選手がゴールを睨むようなそれに等しい。

 だけれどもそれは、猟犬が獲物を見定めるのと同義。いや、一切の害意なく悪意の闇と絶望を暴き断つ金色の日照に同じ。


「――それでも俺の方だぜ、勝つのはな」


 そこには――『やる』と言ったら『やる』、その凄味があった。



 どこまでも不敵に微笑む須賀京太郎を前に、男は考える。

 ――この勝負は受けるべきではない。

 一文の得もない。こんな場所でこの男に引き留められて一体、何の利益があるのだろうか。

 自分たちは速やかにプロを倒しその能力を手に入れなければならない。それしか生き延びる道はないのである。

 そして、男が追い詰められていると知って――今まで静観していた連中が、動き出した。今の今まで男の為す事を小馬鹿にしていたというのに……、それが有効だと知れた途端にそれだ。

 なんとも図々しい奴等だ。自分で実行する事なく、その有用性を認めてから上前を横取りにかかるとは。

 壊滅させた賭場の他に、落ち目の男からオカルト喰いを奪おうとする連中がいる――、……時間がなかった。

 そこに来てこれだ。

 一発逆転の名案を思い付いた所にこうも妨害をされるなど、タイミングが悪いにも程があろう。絞め殺して遣りたくなる。


 ……いや。


「何でもするって言ったよなぁ……」

「好きにしろ、とは言ったけどな」

「じゃあ、お前にも賭けて貰うぜ?」


 くつくつと、男は頬を歪めた。

 “タイミングが悪い?”――否、これは僥倖である。最後まで諦める事なかったから、幸運が舞い降りたのだ。

 プロのいる場に向かうなど、開いている場に向かうなど……そんなリスクを犯す必要はない。

 そう――。

 “同卓しさえすればオカルトを喰える”オカルト喰いにとっての肝要は、如何にしてその卓を成り立たせるという事に尽きたが……。

 今回は、向こうから整えてくれた。

 この時点で、勝負にさえ乗れば損はない。勝とうが負けようが、元M.A.R.S.ランキング1位の異能か特性をものに出来るのである。

 それだけで、有用性の証明は成り立つ。後はそれから考えればいい。手札を得ればどうとでも出来る。


 負けたとしてもそれは口約束であるし、支払う確約などない。

 そして――如何に凄まじい身体能力を持とうとも、所詮は人間である。彼としてもそれへの対策となるものを用意している。

 確かにこの場で不利なのは男の方であるが、勝負を持ちかけているのは須賀京太郎の方。

 なればこそ、いくらでも遣りようがある。

 それに、奴は所詮手負いで麻雀を諦めたもの。人数も集め放題、イカサマもし放題、おまけにオカルト喰いという切り札があって――負ける要素の方が少ない。

 つまり、損がない戦い。


「なら、人一人賭けようって言うんだ……同じだけは必要だよな?」

「……何が言いたいんだよ」

「お前を――お前の経歴と、人間関係と、能力を全部貰うぞ」


 男が醜悪に笑う。その瞳の先に輝くのは須賀京太郎の薬指に嵌められた結婚指輪。

 どんな女かは知らないが――とにかく、ここで水を注してくれた礼だ。京太郎を構成する全ての物を奪って、あざ笑ってやろう。

 ただでさえ、この持てる人間という態度が気に食わない。

 顔も良く、身体も優れ、日の当たる場所で生きて、称賛を浴びて、幸福を味わったこの男に――罰を与えてやるのだ。

 既に奪われて不幸を気取って、その裏返しかは知らないがこんな物語のヒーローじみた洒落た振る舞いをする須賀京太郎に。

 人間の深淵を教えてやる。そう、これは増長した須賀京太郎への天罰であると。


「……」


 考え込むように黙る須賀京太郎を尻目に男はほくそ笑んだ。

 それだけで十分に勝った気分になる。夢だの希望だのと、そんな光り輝くものをこれ見よがしに身に纏った罰だ。

 そんな事すらも想像できなかった須賀京太郎への優越感が強まる。所詮は、その程度の存在なのだと溜飲が下がる。

 どんな答えをしてもいい。

 これで断れば、所詮はその程度の覚悟で進んできたという事。尻尾を巻いて逃げ出す様を嘲笑すればいい。

 受けたのなら、そんなくだらない気負いの所為で全てを滅ぼすのだと教えてやればいい。屈辱の谷底を藻掻かせてやる。

 どちらにしても、男は精神的に優位に立つ。


 しかし――、


「はっ」


 そんな男の提案を、京太郎は噴飯ものだと鼻で笑い飛ばした。

 獰猛な笑みを崩さず。

 明らかに男に目掛けて向けられる――哄笑。どこまでも不遜な様子を崩さない、麻雀プロの落伍者。


「『俺の経歴と、人間関係と、能力を全部貰う』――か」

「あ?」

「んな事させねーよ。こっからするのは粛清だ」


 炎天下の太陽に近い、ただ漫然と降り注ぐだけでそこに一切の情は混じらぬ笑いが。

 明らかに――敵意が満ちた。否、それは敵意というよりは、絶対的な決定にして必然の意思。

 王が手ずから裁定を下すと決断したに等しい、毅然とした瞳。

 最早、それは天の理にして地の自明であると告げるような冷笑であった。

 静かに熱を強める純粋なる殺意。


「――覚悟はいいよな?」


 だらりと、腕が足らされる。

 男としてもそれが真剣でないと理解しているが……理解してても背筋に悪寒が走るほど。

 さながら断頭台。処刑台に振り下ろされる刃が如く、須賀京太郎とその手の聖ジョージの剣が輝いた。


 でも、男は嗤う。

 いくら強がろうが、関係ない。

 どちらにしても須賀京太郎の運命は決定されているのだから、むしろこんな態度はただ滑稽である。滑稽を通り越して憐憫すら抱く。

 一位と言ってもそれは過去の話。

 今の須賀京太郎は一般人で、健康を理由に麻雀プロを諦めた手負いで、口以外強がる事の出来ぬ、哀れな自己陶酔に浸るただの男にしか過ぎない。

 ならば、今は言わせておけばいい。いくらでも後で味わわせられるのだから。


「いいぜ、たった一人で出来るんなら……やってみろよ、元一位」






「ところがぎっちょん、一人やない――んやな!」







「……泉」

「あ、礼はいらへんで!」

「空気読め」

「えっ」


 肩息を吐く京太郎。先ほどまでの、息苦しいほどの神々しさにも似た雰囲気は霧消してしまっていた。

 溜め息と共に、再度剣を担ぎ直す。彼のその背中は、どことなく小さい。

 それから……露骨な半眼。若干、真に迫っている。本気で疎ましいとすら思っていそうな感情を湛えた双眸。


「……ども、一位さん」

「末原さんも……。あの、どうしてここに……?」

「店の方に行ったらしくてな」

「誰が……って、ああ、訊くまでもないよなぁ」


 確実に船久保浩子であろう。

 須賀京太郎が店に顔を出していない事から類推した――としても、余りにも凄まじすぎる判断力だ。精密機械でもこうはいかない。妖怪データ啜りは伊達じゃない。

 裏の世界での出来事の筈なのに――末原恭子の耳に“オカルト喰い”が入っており、加えて、以前の邂逅で二条泉にも“オカルト喰い”の話が行った。

 泉が浩子にうっかり話をしたのか、それとも浩子が自分で調査したのかは京太郎には知る事が出来ぬが……そのどちらか、或いは別か。

 そこから須賀京太郎が事件に首を突っ込んでいる事をどのように知ったのかというのは謎でしかないが、案外店長が零したのかも知れない。


 しかし、だ。

 何故この二人がここに居るのか――どのような手段で彼のいるこの場は判明したが、別の意味での“何故二人がここに”が解決しない。

 正直な話――だ。

 二人がこの場に居る事で出来る事なんてない。これは、表の戦いではない。麻雀プロが介在する話ではない。


「こないだのお礼にな……一緒に戦ったろうかと思って」

「せやせや、一人っきりで闘うだなんて水臭いで!」


 そう意気込む二人を前に京太郎は、


「……ありがとうございます」


 そう笑い――、


「でも、帰って下さい。気持ちだけで十分ですから」


 そのまま平然と断った。


 申し出は正直なところ、京太郎にとっても有難いものであった。

 イカサマを行われたのなら逆手に取れる。京太郎に対してイカサマを用いると言うのは即ち、自殺とさして変わらない。

 敵が纏めて襲い掛かってくる方が遣りやすい。意図が明白であるから、遡って読みやすい。

 だとしても、プロほどの強者が味方に付くのとどちらが上かと言われたら――無論、後者。

 まず、彼女たちは二人とも京太郎と同じタイプ。“特性”や“異能”ではなく、分析を主として戦う闘牌者。

 加えて、“特性”や“異能”を持たずにプロの土俵で戦えるほどの実力者である。

 正直、ある程度の算段もあって傲岸不遜に――彼の知る麻雀の強者の如く――振る舞ってみたものの、内心苦いものを覚えたのも確か。

 そこに来ての助力はまさに百人力であるが。


 それでも――


(……これは、今は一般人の俺だからいい話なんだ)


 表の人間が裏に関わると言うのは、それだけで弱点を晒すに等しい。

 後々、如何なる脅迫が迫るとも判らない。裏の戦いの場に表の人間が立つという時点で、相手に一つ優位を保証してしまうのに同じ。

 名声に関わりなく、風評を構わない。

 実力にものを言わせても払い除けられる須賀京太郎こそが、この場に立つのに相応しいのである。

 故に二人は必要ない。如何に傲慢な態度となろうと冷淡になろうと、今すぐにこの場を立ち去らせるべきであるのだが――。


「ああ、そこらへんは安心や」

「……安心?」

「シゲルってお爺さんから伝言で――『ククク、闘うんなら……前に言ったように立会人を用意してやるぜ、京ちゃん』やって」

「立会人……?」


 疑問に感じた須賀京太郎は、その背筋に電撃が走るのを感じた。

 いつの間に。それとも最初からか――彼らの程近くに、黒服スーツの男が立っていたのである。

 その身の熟しと漂う気配だけで十分。明らかに、暴力の世界に身を置き――生き残る強者。

 拳を交わし合って己が最後に立つイメージが付かないほどの、戦闘者である。


「あの爺さん、裏にもかなり顔が利くらしくて……立会人を立てた以上、『そこで付けた約束は絶対に守らせる』――そうやで」

「……漫画かよ」


 苦笑する京太郎。

 流石の彼としても、これはもう頬を引き攣らせるしかない。

 都合が良過ぎるとすら思える。何かの夢かとも。

 今までの人生でこんな風に――まるでヒーローものか何かのように、こうも折よく事が運ぶ事などなかった。

 本気で単身、それこそ麻雀で勝利したのちにも襲い掛かる並み居る邪魔者を蹴散らして逃げる算段であっただけに、予想外だった。


 ……いや。

 たとえプロになって、それを辞めてしまったとしても――繋いだ絆は無にはなっていないという事か。

 己の歩いた道程は決して無駄ではなかったという証明であった。

 というより、それぐらい周りには優しい人間が集まったという事か。誰も彼もお人好しが過ぎる。

 自分には過ぎる――と、彼は嘆息した。


「……ま、つーことだ」


 そして、改めて切っ先をスキンヘッドに。

 途中、泉が小さく悲鳴を上げて飛び退いたのを彼は努めて無視。

 先ほどまでの空気はどこへやら。緊張感が余りに解かれるのも考えもの。というかその一点だけで正直、泉帰ってくれてもいい。シリアス的に非常に邪魔。

 そんな風に決めきれない辺り、彼としてもやはり自分は三枚目なのかなと若干頭が痛くなる気分であった。


「どうする、尻尾を巻いて逃げ出してもいいんだぜ?」


 それならそれで逃がしはしないがな――と、彼は高笑いを浮かべた。



(ほええ……ホンマに須賀ってオカルトスレイヤーなんやなぁ)


 二条泉の回想する――末原恭子の語る知る限りの麻雀プロ須賀京太郎についての“噂”。


 曰く、料理の腕は正にプロ顔負け。三ツ星シェフが土下座したほど。

 曰く、須賀京太郎に足場という概念がない。何故なら全ての物体が当然足場だから区別の必要がない。海も走る。空も。

 曰く、全盛期の須賀京太郎は撮影で車に跳ねられた直後にトラックに跳ねられて鉄骨に押し潰されて戦艦に砲撃されて爆発に巻き込まれても平然としていた。

 曰く、須賀京太郎にとって粉砕骨折は常人にとっての突き指レベルの怪我。


 曰く、日本代表ゴールキーパーでも止められないシュートを放つキック力とフィジカルセンスを持つ。

 曰く、芸能人体力選手権の記録全てを塗り替えて優勝。当人は汗一つ書いていない。

 曰く、須賀京太郎は中学時代“拳願阿修羅”の異名を持っていた。キーパー時のパンチングの速度があまりにも速すぎて腕が六本に見えたから。

 曰く、彼の一族は有史以前から究極の人間を造り出そうと交配を繰り返した忍者の末裔である。壁を足場にする事も勿論、オフの日に気配を消して歩けるのもそれが理由。


 曰く、ヤマタノオロチが酒に酔い潰れたのはスサノオの子孫として未来で須賀京太郎という存在が産まれると知った自棄酒。

 曰く、あまりのハードスケジュールに立ちながら寝る事は当然、歩きながら寝る事や数秒だけ寝る事、体の一部分だけ寝る体質を備え始める。

 曰く、陸海空で最強の存在は須賀京太郎。その気になれば神様も殺せる為に運命や勝利や麻雀の女神から疎まれている。

 曰く、須賀京太郎にとっては視力を封じられるのはハンデにならない。


 曰く、彼には黒髪の美女のスタンドがいる。

 曰く、あまりの肉体美に彼自身は愚か彼の周辺の服も存在価値を自ら否定して、近付く女は皆痴女になり彼自身は半裸になる。

 曰く、須賀京太郎は巨乳好きであるがそのイケメン力はタイプ以外に発揮されるため、貧乳ほど危ない。

 曰く、須賀京太郎は麻雀のプロフェッショナルではなく人間のプロフェッショナル。人間を極めた“人間の中の人間”。


 曰く、須賀京太郎の素手の殺害率は200%。一撃で相手を殺し、その余波で迎えにきた死神を殺す。

 曰く、須賀京太郎のオカルト殺害率は200%。まずオカルトを殺し、次にオカルトに関わる絶望を殺す。

 曰く、須賀京太郎に押し倒されたら排卵する覚悟をしなければならない。本能レベルで敗北を理解する。

 曰く、彼はマジックも得意としているが、それが技術なのか力業なのかの判別が困難。


 曰く、あまりの舌の速度と精密さに空間が削り取られる。

 曰く、須賀京太郎と戦う時は手を出してはならない。その勢いを加えられて返り討ちにされるから。

 曰く、須賀京太郎と戦う時は黙っていてはならない。手を出さなければ古式ムエタイ技で即死させられるから。

 曰く、彼には悪魔の知り合いがいる。執事をしているらしい。


 曰く、須賀京太郎は妖怪に大人気。人間である事を極めつつも諦めず、立場が弱い存在には優しく常に正々堂々としているから。

 曰く、須賀京太郎の友人には超能力者・悪魔憑き・エースパイロットがおり、彼と友人が集まれば世界中の軍隊が泣いて逃げ出す。

 曰く、寒空でショーウィンドウの中のトランペットを眺める飢えている子供の為にオカルトを殺すのが須賀京太郎。

 曰く、麻雀に於いて異能や特性を持たず「全ての技術を兼ね備え」「向上させている」のが須賀京太郎。



(チャック・ノリスかい……)


 二条泉は表情を硬くした。

 流石に悪乗りが過ぎる話であり、どれも根も歯もない与太話――度が過ぎた“麻雀プロ:須賀京太郎”という都市伝説だ。

 正直、何の参考にもならない。

 実際、泉自身が――視聴者として――プロ時代の須賀京太郎を知っているから、これは面白がった単なる冗談と理解している。


 だが――、


『曰く、須賀京太郎は非公式の野良試合で初見の魔物級打ち手に勝利した』

『曰く、須賀京太郎は大会でイカサマを使用したプロをイカサマをさせたまま粛清した』

『曰く、須賀京太郎の技術は全ての麻雀プロの中でも最上位』


 これらの噂にだけは、僅かながらそれが真と思わせるものがあるのだ。全くの勘でしかないが。

 それ故に摩訶不思議な“オカルト喰い”などという超常の打ち手と相対する事に、泉はそれほど気負いはなかった。

 身体的な原因――視力――でプロを引退したと聞いていたが、こうしてまた麻雀に触れるあたり……その問題は解決したのだろうと泉は判断した。


(まぁ、うちは邪魔せんとこーか)


 というか正直、彼女は半ば末原恭子に同行する形でこの場に来ている。イマイチ事情が受け入れられていない。

 とりあえずドラマの撮影か何かかと思った。なにしろ須賀京太郎の言動が大仰で芝居がかっており、おまけにあの大剣だ。間違いあるまい。

 なんだかよく判らないが、とりあえず俳優として復帰するのかも知れない。

 ……なんて考えられるほど、殆ど肩肘を張らずにこの状況を受け入れていた。


 が、


「俺が勝ったんなら……さっきも言ったようにその子を開放して貰う。いいな?」


 芝居が廃された、真剣な表情の須賀京太郎のそれに――


(えええ……!? え、なんなん!? これ結構ヤバイ場面やないか!?)


 彼女のそんな浮ついた気持ちは、一撃で取り除かれた。



「俺が勝った時は――さっきも言った通りだ」


 そう告げるスキンヘッドの男からは、昏い愉悦の色が消えない。

 無論、心底楽しいのもあるだろうが――きっとこれは威圧や示威の為であると、泉は考える。

 何故、こんな胃が痛くなるような場に巻き込まれてしまったのか。もう少し、考えてから動けばよかったと思った。


「……で、やるのはタッグ戦か? それともこの二人は見学者にして、やっぱりそっちから残りの人間を出すか?」

「いや、そうだな……そこの二人とも参加していいぜ。ただし、そっちの二人が勝った時はノーゲームだ」

「……ノーゲーム、か」


 男が顎をしゃくるのに従い、須賀京太郎も二人の女性を見た。

 末原恭子は眉一つ動かさず、頷いた。

 一方の二条泉は――


(やっぱうち打つん!? しかもこれ相当重要なポジションやないか!?)


 内心、酷く動揺していた。彼女としては、何故末原恭子がそうも平然としていられるのかが分からない。責任重大過ぎる。

 というか、頼むから今からタッグ戦にして欲しい。タッグ戦で、末原恭子に参加してほしい。それでチーム勝利にして欲しい。

 なんといっても、須賀京太郎はかつてタッグ戦で日本一になっていた。

 実際、彼ほどの――“敵に対しても脅威の読みを行う男”ならば、相互に喰い合う戦いでなく初めから協力する念頭で進む味方の援護など容易い。

 間違いなく適性上それが向いている。頼むから考え直して、ルールを変更してほしい。

 というか確かにタッグ戦に比べたら、こちらから二人送り込めるのは有利である。有利であるので、何故あのスキンヘッドがそんな事を言いだしたのか疑うほど。

 ただ――ノーゲームでは実質二人は戦闘に参加できない。闘いを決めるのは京太郎と少女。

 その状態で、恭子と泉が京太郎の援護に向かうのと――タッグ戦で彼が仲間の援護を行うのでどちらが勝率が高いかと言われたら、後者。

 それほどまでに、須賀京太郎との間に技術的な開きがあった。

 当時十三位と言っても――その後最終的にはランキング一位、元より上位ランカーは伊達ではない。


(……って、だから一見有利な風に押しつけといて勝ち目削ったんか。このハゲ頭……!)


 泉が、キッと瞳に力を込めた。

 ――が、それが良くなかったのか。それを闘志の表れとして取ってしまったのか。


「ああ、構わないぜ」


 須賀京太郎は満面の笑みで、首肯する。どこか満足げであった。

 いや、今のは違うからそういう意味じゃないからちょっとあんた何考えとるんややっぱり目ぇ腐っとるんやないかこのボケそんなんで打てへんやろ――。

 なんて言いだそうにも、言い出せる空気ではなかった。泉以外の三人(立会人を含めたら四人)がシリアスな顔をしてるからどうしようもない。


(須賀あぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――! あんたんなんやから女心に気付かない風な奴なんやでコラァ!)


 泉の主張は口の中で反響して消えた。悲しきかな、その声を拾うものはいなかった。


「じゃあ、1位を取った人間が勝利者として……。ルールはM.A.R.S.ランキングでやるか――それともナシナシ赤ナシとかでもいい。好きに決めてくれていいぜ」


 そんな京太郎の言葉。どことなく、強者の余裕が滲み出る。

 それは心底、己が勝つと疑わない事から来るのだろうか。それとも交渉事を優位に進める為の虚勢なのか。

 後者とは思うが……思いたいが正直、泉は須賀京太郎を信じきれない。


「そっちもやりやすい方で……ああ、M.A.R.S.ランキング用で許してやるよ」

「ハッ、後悔するなよ?」


 互いに不遜。互いに傲慢。

 きっと交渉というのはこんな風に――ある種のポーカーフェイスで行うものなのだろう。

 かつて足を運んだ映画の中で行われていた、マフィア同士が互いの組への挑発を織り交ぜながら行うというのに等しい。

 つまりは、その裏では何か企んでいる。

 相手の冷静を見出し、己が精神的に優位と錯覚させ、そして“要点”を己の位置に引き込もうというのである。

 だが果たして、この戦いの肝要とはなんだろうと……泉は、表情に出ないほどに注意を払いながら頭を働かせる。

 それは既に明らかになり決定されたのか、それともこれからなのか。


 そこで、京太郎が切り出した。


「じゃあ、勝負は半荘は三回で二本――」

「――一回だ。ここまで通してやったんだから、一回こっきりに決まってるよなぁ」


 素気無く、言葉の最中で切り込んだ男。

 須賀京太郎が、対戦相手のその情報を細かく分析して戦う男――というのは公に知られている。

 それはプロ時代、彼の一日を取材した番組から容易く導かれるし、彼について語る記事にしても然りである。

 故に男は知っている。決して須賀プロに二度を打たせる愚行を侵してはならないと。それだけは避けるべきであると。

 体裁として男が須賀京太郎に譲歩して、或いは京太郎にとっての有利に事を進めていた――無論そんな事はまるでないと二人とも気付いているが――のは、全てこの為。

 逆に京太郎がこれまで異論を挟まなかったのも、この試合の規定についての交渉で「ノー」と言える空気を作らない為であろうが。

 男は構わない。そんなのには乗らず、取り付く島もない様子で否定した。


「……」


 対する、京太郎は無言。そんな、男と視線を交わす京太郎の手の内で鈍く光る“薬”――。

 とは言っても、別に怪しげなものではない。服用すればその人間の体細胞を破壊し、別の生物のものに作りかえる等という特性は持たない。

 至って一般的な医療薬品である。

 そして、回想する。この薬を受け取ったときのやり取りを――。


『何もしなくても眼圧は上昇しやすくなる。そのまま放っとけば、いずれは視神経が全部死ぬ』

『……』

『ま、とは言っても不治の病やない。いや――不治には不治なんやけど――元に戻らないだけであって、悪くなるんは防げるんよ』


 iPS細胞を使えば失った視神経を取り戻せるかもしれへんけど、未だラットでの実験の域を出ていない――と園城寺怜は続ける。

 或いはその臨床実験への協力というのもある話ではあると聞いたが、京太郎は辞退した。

 兎に角、一度弾みが付いてしまった眼球というのは異常を来たす方向へ進む。普通に生活していてもそうなる。

 ただ、服薬――点眼でもあるが、それを続けていれば眼圧を正常値には戻せるものであり、臨界さえ越えなければ速やかに全視力を失う訳ではない。

 不治ではあるが、付き合い方次第――それが彼女の言葉。


『で、この薬……どうしてもっちゅーときに使えば、強烈に眼圧を下げれる。上がり過ぎてどーしようもない時には使えばええからな』


 まだ未認可である、という話も聞いた。当然ながら眼圧を急激に低下させる薬などというのは危険極まりないからだ。

 しかしながらやはり、どこかで需要はあった。あるらしい――と彼は聞いた。

 故に試験薬として、その薬が存在している事。そしてそれをちょっとしたツテで園城寺怜は入手したのだという事。

 そして、本当に万が一の備えとして京太郎にそれが手渡されたというのは、確かな事であった。


『使わないで済むんなら、まーそのまま海の底やけどな。……ひょっとしたらひょっとしたで、お守りみたいなもんやと思っとってな』


 渡されたとき須賀京太郎は、そんなものかと思った。きっと使う事などないのだろうと。

 だけれども、それにこうして出番が来るとは。

 この薬があればその間は――須賀京太郎は須賀京太郎になれる。

 受けてしまった傷を回復させ、心が砕けぬ限りは何度でも死ぬ事なく立ち上がれる戦士となれる。


「……分かった。一回の方が、判りやすくていい」


 その薬を握りしめて、京太郎は静かに男を睨んだ。



「それでは……よろしいですね?」

「……ああ」

「へっ」


 須賀京太郎と男の間に確約されたルールを、立会人の青年は再確認する。


 一つ、『この勝負の最中に、直接間接に関わらずあらゆる暴力行為と脅迫を行わぬ事』。

 一つ、『須賀京太郎が勝利した場合、男は少女を解放し、その借金等についても不問とする事』。

 一つ、『少女が勝利した場合、須賀京太郎は男の管理下に入り、その技能・人間関係・経歴・資格あらゆるものを男の自由に投げ渡し行使させる事』。

 一つ、『どちらも一位でなかった場合は、試合の賭けについては全て無効とする事』。

 一つ、『試合は半荘一回で行われるものとする事』。

 一つ、『麻雀のルールはM.A.R.S.ランキングで行われるそれに準ずる事』。

 一つ、『参加者・観戦者はこの闘牌内容について外部には口外しない事』。

 一つ、『この勝負の結果をあらゆる方法を用いて、変更或いは破棄しない事』。


 それらを告げ終わり――二人を眺める立会人は、


(……この条件、『須賀プロが決して勝つ事はない』)


 風変わりな、一世代前の不良のような髪型の下で、百戦錬磨の頭脳を働かせて口角を釣り上げた。

 プレイヤーでこそないが、岡目八目――下手に場に立つよりもよほど場馴れしていてこその立会人。

 今まで幾多の戦闘を見た。今まで数多の賭博を見た。今まで繁多の勝敗を見た。

 であるが故に彼には分かる。そこから導き出される経験則というものがある。

 人は幾重もの仮面を被った道化師である。賭けの内容が等しくとも、その賭けに携わる人間の組み合わせは無数であり、一つとして同じ状況はない。

 それでも、通じるものがある。勝者と敗者の内に繋がる、確かな糸というものはある。

 その彼の持つ勘に従うのならば、これまでのやり取りにて須賀京太郎の勝利というのは九割方否定されているものであった。

 その直感を裏切ってくれるかは、ある意味で楽しみでもある。それもまた、立会人の静かな愉悦となる――そう彼は感じていた。

 果たして、


(ここからどう運ぶのか……)


 不謹慎ながら零れそうになる笑いを、立会人は努めて噛み殺した。


 そして、この場の誰もが気付かない。

 不敵な笑みを浮かべて、倒すべき悪を睨む須賀京太郎にも――。

 目の前に現れた、厄介だが薬としても使える青年を見るスキンヘッドにも――。

 ただただ黙して、どこまでも鎮められた表情のまま場の趨勢を睨む末原恭子にも――。

 己の内に湧き上がる不安感と焦燥感を、隠そうとしつつも額に僅かに滲ませてしまった二条泉にも――。

 公正の大原則の名のもとに従いつつも、その内で己なりの喜悦を満たそうと観戦を心待ちにする立会人にも――。


 誰一人として、気付かない。

 オカルト喰いと呼ばれる少女がまさに、深淵がごとき双眸を湛えている事に――気付けない。

 そして勝負は場を整えて、火蓋が落とされる刻限が――迫る。


(今回のルール……)


 立会人の青年は、やや肩を落とす。

 勝負内容が決されておらず、ただ『賭けによって決定する』とだけ定められているのなら――彼からゲームやルールの提案は可能であったが……。

 今回は、ルールというのは明らかになっている。然るに、彼がするのはその中でもルール違反を取り締まる事と、結果を確実に取り立てる事。

 それ以上の介入というのは不可能。それが立会人。

 その事は、正直に言うのなら残念である。残念であるが……別に楽しみもある。

 彼とて聞き及んでいる、表の麻雀に於いての最高峰――最高峰であった須賀京太郎の闘牌を直接見れる。

 表と裏のどちらが強いかと言われたら、言うまでもなく麻雀に於いては表。

 確かに裏には裏の真剣や空気、そのセンスというものがあるが――純粋に競技としての技量は、人の多い面の方が水準が高い。

 そして、水準が高い空間で日常日夜闘牌している人間と、そうでない裏を比べたのならば――言うまでもなく表の方が強い。

 特にM.A.R.S.ランキング上位ランカーともなると、“相手にイカサマを許したまま平然と叩き潰す”と言われるほどの人外の檻。既に人間の枠を超えた打ち手。

 しかしそれが真実なのか、確かめる手段はない。決して交じわらぬからこその表と裏。

 その勝敗には――勝負には、どこかしら幻想が付き纏うのは最早道理。

 子供が戯れに“スタローンとヴァンダムが殺し合ったらどちらが強いか”と語る域を出ない話。既に出揃ったそれぞれの情報を基に、ただ推測するしかない“もしも”。


 そんな火星の名を冠するランキングの、かつては一位。

 更に、本当に麻雀などと言うインナー競技者なのかと疑わしいほどの身体能力は、プレイヤーというよりはむしろ立会人に向いている。或いは掃除人か。

 そんな、無比の知と暴を兼ね備えた男の戦いとあっては、心が躍らぬ訳がない。

 その男が引退して未だに健在なのか。それとも、裏という慣れぬ場に翻弄されてしまうのか――興味は尽きない。

 ただし、あのルールを決定する際に潜まされた毒――幾多の勝負事に居合わせた立会人だから気付ける僅かな空気からの推論に従うなら、須賀京太郎の勝利はないという結論に至るが。

 それでも、だ。

 その過程をつぶさに眺めたくなるのは必然。直感から導き出された結論は、ただの直感でしかなく、結論でしかないのだ。



 麻雀ルールは以下――。


 一、『25000点配りの30000点返し』

 一、『喰いタンアリ。後付アリ』。

 一、『カンドラアリ、裏ドラアリ』。

 一、『赤ドラは四枚(五萬、⑤筒二枚、5索)』。

 一、『多家和ナシ。頭ハネ』。

 一、『役満は複合せず。数え役満あり』。

 一、『九種九牌流し。流し満貫アリ』。

 一、『全員ノーテンは場流れ。ただしオーラスを除く。形式テンパイは続行』

 一、『オーラス和了やめアリ』。

 一、『全員の持ち点が3万点に至らない場合、西入り』。

 一、『祝儀なし。ウマオカなし』。

 一、『喰い変えナシ。ツモ平和形は平和にせず』。

 一、『チョンボは罰符。多牌・少牌はアガリ放棄。見せ牌アガリ放棄。フリテンは続行』。

 一、『責任払いアリ。大明槓の嶺上開花は責任払い』。

 一、『待ちの変化する槓はフリテン扱い』。

 一、『八連荘は役満にならず』。

 一、『国士無双に限り、暗槓への槍槓が可能』。



 五人が向かったその賭場。マンションの一室。狭いワンルームで、屋上にほど近い最上階。

 インターホンをスキンヘッドの男が鳴らす事で漸く訪れる事が出来た、マンション賭場である。

 フローリングの床を鳴らし、通された先には誰も居ない。

 人払いは済んだという事であるが――同時に、何かしらが仕掛けられているとも限らない魔窟である。

 そして、卓は立った。


(……露骨さも、ここまで来るとなぁ)


 二条泉は、場を眺めながら長嘆息。

 場は今、泉が親。席順としては二条泉を基点として、半時計回りに末原恭子・少女・須賀京太郎となる。

 出親は泉、今は正に東一局の一打目。

 須賀京太郎の上家に例の少女を配置して――上家から彼への援護をさせまいとするのは、露骨すぎて最早妨害とも呼べないあからさまなもの。

 席順も、スキンヘッドが指定した。

 泉としては、ざけんなというものだが――須賀京太郎は呑んだ。但し全てをではなく“須賀京太郎の上家に少女を配置するという点”のみだが。

 故にまず京太郎が席決めを行い、その後に少女の位置が決定され、そして泉と恭子が座る。

 席順を決め、賽を振った結果が、東一局――東家:二条泉。上家が須賀京太郎。下家が末原恭子。対面が例のオカルト喰い。


 オカルト喰い――話しか聞いていないが、他人の異能を喰らうらしい。喰らい、それを使用するとか。

 オカルトなんてなんやねんという気持であるが、現実として彼女はその存在を知っている。嫌というほど身に染みて。

 つい最近、泉も個人としてM.A.R.S.ランキングの方へのエントリーを行ったが――結果は察して欲しい。

 だからこそ、想像が付く。同時にまるで想像が付かない。

 上位ランカーの凄まじさというのは理解しているが――それで、目の前の須賀京太郎がかつて一位だったという事に実感が湧かない。


(んで、配牌がこれか……うーん)


 二条泉・配牌:一一五萬 ②④⑥⑥⑦筒 3334 西 ツモ:西

 ドラ:7索(表示牌6索)


 ヤオチュウ対子、客風対子、リャンカンチャン、ドラ乗らず――マイナスはそこ。

 ただし、対子が三つに暗刻が一つ。伸ばせば伸びる手。

 それこそ四暗刻まで届くかも知れない――のだが、


(私が決めてもなぁ……意味あらへんし)


 東一局で親役満を決めてしまったら、残り全員の点数は9000点。一方の泉は73000点。

 もう、ここから逆転とか考えられないお話になってしまう。

 いきなりノーゲーム確定。ノーゲーム爆笑党。やったら須賀京太郎に多分殺される。

 というかこの場合は、須賀京太郎に任せてなるべく戦わないのが正解か。あとは、京太郎が聴牌せずに少女が聴牌した場合に流す事。

 他には――須賀京太郎に上手いところ援護を回せば、彼の上家にいる少女の手番を飛ばせる。結構それはいい。


(……ま、アシストに専念か)


 あとは、少女から直撃を受けてはならないという点。つまりは防御が重視されるのである。

 となると、この西なんかは温存。端牌である一萬なんかもいい。

 初めからベタオリ決意なんてのはプロとしてあまり嬉しくないものではあるが――それでも、逃げを見込んで打つ方がいい。

 とりあえずは順当に手を勧めつつも逃げ道を確保する。そして相手の傾向によって適時修正する。

 それが正しい打ち筋だろうか。

 二条泉は、後に適宜修正する大まかな方針だけを打ち出した。


 ――なお、この時それぞれの手牌は。


 南家・末原恭子:一二六八萬 ①①⑧⑧⑧筒 45索 北発


 西家・オカルト喰い:六七萬 ③筒 16888索 東東東 中中


 北家・須賀京太郎:三四五萬 ⑦筒 1123 99索 南白中



 そうしているうちに――。

 東一局、八順目。


(……あかん、張ってもーた)


 二条泉・手牌:一一萬 ④⑤⑥⑥⑦筒 2334索 西西西


 とりあえず行けるところまでは真っ直ぐにという考えの元進む泉の手が、意外にも臨戦態勢を整えてしまった。

 しかし、当初から望ましいと思った形ではない。リーチのみでそれで終わり。ドラも絡まない。

 なんというか、酷い捨て牌であった。要らないと思って切ったものがいくつも後から増える。そうでなければ今頃、四暗刻が成り立っていた。

 泉は、彼女自身が勝ってはならないと無論認識しておるが――それでも嘆きたくなるほど。


(おまけにアガリ牌捨てられとるし……)



 二条泉・捨て牌: 五萬、 (北)、 (北)、 ②筒、 (北)、 (【五】萬)、 3索


 末原恭子・捨て牌: 北、 (9索)、 発、 【⑤】筒、 (2索)、 (【⑤】筒)、 ②筒


 オカルト喰い・捨て牌: 1索、 (二萬)、 (西)、 (9筒)、 (2索)、 ③筒、 (②筒)


 須賀京太郎・捨て牌: 南、 中、 (①筒)、 白、 (①筒)、 (南)、 (南)

 ※(ツモ切り)、[副露]


(赤ってこんなガンガン手牌に入らんもんやっけ……?)


 流石に珍しい形の河並びである。

 東一局であるから、まあこんなもんだという話である。

 それともこれが、オカルト喰いの能力なのだろうか。詳しくは判らないが……。


(ここで攻めても……いや、あかんやろ攻めるのは。須賀の舞台な訳やし)


 沈黙する二条泉。この戦いに下手に参画しては仕方がない。

 だけれどもその、当のオカルトスレイヤー様は碌に動いていない。ツモ切りが続いている。

 というか彼も、恐ろしく切る牌が並んでいる。それはオカルトスレイヤー本人の“特性”なのか、それとも――。

 泉も同等の並びになっている。だが、末原恭子はそれほどでもない。というのは考え過ぎか。


(『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』って言っても――、……味方の“特性”も分からへんとどうしようもないやん。孔子のバカ)


 その己というのは自軍という意味であり、いわんや味方も“己”の兵の内として数えられる。

 ついでに言うなら、孔子ではなく孫子であった。馬鹿は二条泉の方である。この絶妙の残念さ、M.A.R.S.ランキング98位は伊達ではなかった。

 とは言っても実力がないが故というよりは、実業団の試合がM.A.R.S.ランキングのレーティングに副っているものではない為。

 ランキングが上がらないのは必然である。あるが……。


(……あー)


 とりあえず形式テンパイとして、二条泉は場を収めた。

 だからこそ、彼女は次に驚愕する。


「――リーチ」


 彼女の下家、末原恭子からそんな宣言が入ったのだから。

 末原恭子――打ち筋としてはやはり二条泉と同系統。相手の能力が“あるもの”として対策を立てて戦うアナログプレイヤー。

 彼女自身に何かの“特性”があるかは知れない。しかし、強烈なオカルトを受けた際にそれを理解する程度の感受性はあるらしい。

 そんな彼女が……おそらくは泉よりも場を理解している末原恭子が、リーチを掛けた。

 泉としても、その意図を察せぬほど愚鈍ではない。


(これは……そうか、色んな状況を試して須賀に分析の機会を与える! って事か)


 須賀京太郎、M.A.R.S.ランキング一位――。

 彼が如何なる“特性”の持ち主であるか、やはり泉は知らぬが……。

 彼の打ち筋から判明している戦法というのはいくつか。


 一つ、『特定相手を狙い撃ちにする』。

 一つ、『誰かを自分の代わりに走らせる』。

 一つ、『不利な体勢からでも副露で加速して和了する。手数が多い』。

 一つ、『徹底的に回避する。回避しながら可能な限り攻撃を行い続ける』。

 一つ、『心理戦に長けている』。

 一つ、『事故以外でのラス率が低い』。

 一つ、『オーラスでの逆転が多い』。

 加えて――それらを総合して行う心理戦に長けているという話だ。

 恭子へのアドバイスなど、或いは船久保浩子の寸評に従うのなら彼もまた分析して戦う人間。

 ならば、ああ……確かに、半荘という僅かな間に少しでも分析材料を整えさせるべきであった。


(引き気味で行くって……そりゃ確かにそうやけど、あんま消極的でもあかんかったんやないか……!)


 泉は僅かに後悔を滲ませた。

 確かに彼女は、直接的に賭けに関わってこそいないが――同卓者としてこの場に参戦しているのである。

 ならば、決して軽い気持ちで戦って良い筈がなかった。


 そして結局――。



「聴牌や」

「テンパイ」

「……テンパイ」

「ノーテン」


 須賀京太郎を除くすべての人間が、手牌を晒す。

 その形は――


 二条泉: 一一萬 ④⑤⑥⑥⑦筒 234索 西西西

 末原恭子: 一二三六七八萬 ①①⑧⑧⑧筒 45索

 オカルト喰い: 五六七萬 66888索 東東東 中中


(……)


 一人だけ手牌を晒さず、3000点の罰符を払った須賀京太郎は静かに河を眺める。

 末原恭子がリーチ宣言の次巡目に切った『中』。

 少女が空切りをした『8索』。

 そして、並べられた牌を崩して中央の奈落に落とすその一瞬に――猛禽類が如き瞳で睨んだ、王牌。

 並びは――上が「一萬」「③筒」「6索」「7索」「白」「白」「白」。

 一方の下側が、「二萬」「発」「八萬」「八萬」「中」「八萬」「発」。


(……最低三つか、オカルト)


 あくまで現時点の推論でしかない――と、彼は瞳を閉じた。


 そして――オカルト喰いの少女、石見伊吹も同じく場を眺める。

 彼女がこれまで簒奪して積み上げた能力は『十』。

 その全てを組み合わせる事も、任意のいくつかのみを引き出す事も十二分に可能。

 今回用いたのはその内の『四つ』。仕様準備まで整えこそすれ、実際に行使しなかったものはまた別にある。

 彼女の能力の本質は『簒奪』と『分析』――。

 奪い取るべき相手の能力を理解したうえで、それを鹵獲し己のものとして自在に振り回す――それが彼女の“異能”。


 であるが故に、この局にて須賀京太郎の“特性”を彼女が分析するのは必然。

 そして、彼の持つ特性とは――“一割の確率で不要牌”を掴む事。

 最早こんなただの不運を、簒奪する必要はあるまい。行使の切欠は不必要。奪い、有利とするのも戦略の観点からはまるで無意味。

 しかしそれ以上に……。

 こんな能力を分析して、彼女が思った事は一つ。


(――嘘を、吐いてたんだ)


 須賀京太郎が告げたM.A.R.S.ランキング一位という言葉――かつては麻雀界の頂点に立ったという言葉。

 こんな、不運と呼ぶには特徴なく、幸運と呼ぶには差しさわりのある“特性”を抱えて頂きに至ったという事実。

 其処に存在しているのは、彼がよほどの努力を要したという事。或いは幸運に恵まれたか。

 どちらにしても彼は……最低、それらを手に入れるだけの――巡り合えるだけの、内なる情熱を持って麻雀に臨んでいたのだ。

 そう、彼は麻雀を愛していた。愛していたのだろう。

 だから違う。だから違う。だから違う。

 だから彼は自分とは違う。だから彼が自分に告げた言葉は違う。だから彼の人生は自分と違う。

 そう、だから――あの顔も。今までのも、自分が“知った”と思っていた彼は違うかも知れない。


 ――判らない。

 ――判らない。

 ――判らない。

 何もかも、判らない。


 故に彼女は躊躇った。

 東一局から能力の使用は可能であったし、実際使用していたが――攻撃するのを躊躇った。

 彼女の内では混乱が勝っていたのである。

 須賀京太郎が、あの禿げ頭に――天目譲司に突きつけた言葉、すなわち彼女を解放しろというその主張。

 そんな言葉が何故飛び出したのかも不明であるし、同じく、何故彼が己に手を差し伸べてくれようというのかも心当たりがない。

 そしてそんな挑発的な発言を天目譲司にしても許されるのも――恐ろしすぎて、考えたくない。

 一連の遣り取り、何もかもが少女の理解を超えてしまっていた。

 おとなしく救いの手を取るには、少女は虐げられ過ぎてしまっていたのだ。


 故に彼女は、須賀京太郎と戦う。

 この戦いが始まる前に、天目譲司に告げられた。“負けたらどうなるのか判ってンよな”――という言葉。

 知りもしない。どうなろうと構わない。ただ、あの耳障りな声でそう言われた瞬間に、心は従う事を選んでいた。

 それでも何とか一局。彼女は、力を使い切らなかった。

 それが後々何を呼ぶかを知りつつも――彼女は己の内の戸惑いに従って、力を振るい京太郎へと叩きつける事を躊躇した。

 だけれども、一局を打つうちに――打ち終わるうちに、今起きているこれが決して夢や幻ではないと、頭のどこかで理解する。

 並んで生まれたのは、諦観。

 何もかもが、己の手の及ばぬ処で始まっている。いつだってそうであるが、やはり彼女の運命はどこかの誰かの都合で齎される。

 今までそれは無力感であったのかも知れない。或いは、反骨心であったり、不幸を恨む心であったりしたのかも知れない。

 しかし最早、それすらもなかった。

 ただ実感したのだ。自分の人生の決定権は自分にはないと。自分が信じた事は、自分の理解を超えて押し寄せるのだと。結局は無意味なのだと。


(ああ……)


 そして、彼女の内に――彼女自身も気付かぬ内に芽生えた感情があった。

 それは、鷹揚に笑う須賀京太郎に対するものであった。

 それは、彼の元に駆けつけた彼の仲間に対するものであった。

 それは、彼女に理不尽と痛苦を与える天目譲司に対するものであった。

 それは、彼女自身についてであった。

 それは、運命についてであった。


(……)


 少女の――伊吹の目が、沈む。

 瞳に湛えられたのは泥。光の届かぬ、遥か海底の汚泥。

 心の内にへばり付き、こびり付き、決して拭い切る事の出来ない――深淵の沼。


===============
   東一局
===============

二条泉: 25000 +1000          =26000

末原恭子: 25000 -1000 +1000  =25000

石見伊吹: 25000 +1000        =26000

須賀京太郎: 25000 -3000      =22000


※供託:1000点




 東一局――一本場。ドラ:8索(表示牌:7索)。

 さっそく起こした兵牌を眺める二条泉は、


(……なんなんコレェ)


 肩を落とした。

 決め打ちをする訳ではないが、牌が配られた時点で「その手牌から目指せるベストは何か」――それを考えるのは無論する。

 それが、一局目と同じくあまり嬉しいものではない。

 いや、あまりなどという話ではなかった。


 東家・二条泉: 一一一七八萬 ③⑤⑦筒 499索 西中  ツモ:九萬


 やはり手成りで進めたら、リーチのみ手。刻子があるため裏ドラが乗ってさえくれたら大きくなるが……。

 それ以外は何の特徴もない手。ドラは乗らない。絡む対子があるのはまだ救いだろうか。

 そのまま、上目遣いで他の闘牌者を眺めるが――言うまでもなく皆、ポーカーフェイス。判別が付く筈がない。


(これがオカルト喰いのオカルト……言うなれば、『真っ直ぐ行ったらリーチのみ手にする』ってとこか……)


 勘弁してくれと、内心眉を寄せる二条泉。

 そんな彼女を一瞥、さらには他の卓に並ぶものを一瞥しただけの須賀京太郎は――


(『相手の役を「リーチのみ」にする』……そんな能力だな、これ)


 二条泉と同じ結論に至っていた。

 ただし彼はそれよりも、深い。より深度の上の部分までの把握をする。


(言うまでもなく、俺たち三人にそれが掛かってて――――オカルト喰いは他に『自分の手牌を決定する能力』も持ってるっぽいな)


 僅かな視線の移動から察する。相手は刻子・対子などの並んだ牌を所持しているという事実。

 更にそれは必然、役牌であるという事。


(衣さんも最初から役牌を持ってる事が多かったけど……同じだな)


 ただし、少女の場合は『牌の支配の一環』ではなく――それ自体が鹵獲した能力の一つかも知れないが。

 どちらにしても須賀京太郎は、二つの能力を看破していた。


 一つ目――。

 『同卓した他家の手をリーチのみ手にさせる事』。

 ドラも赤ドラも使用できない。タンヤオもチャンタも平和も役牌も三色も一気通貫も成立しない。

 おそらくは未確認であるが――ツモも不可能。相手からの出和了のみに絞られてしまう筈。

 無論、裏ドラも乗らない。乗る筈がない。

 京太郎の推測が正しければ、張り替えてタンヤオに寄せるなどという事も不可能――。

 副露すれば他の手に進める可能性は残されているが、今回の須賀京太郎に於いては殆ど可能性が低い。上家を抑えられているのだから。


 そして第二の能力――。

 これは実に単純。配牌時点で、役牌を既に刻子として己の手の内に所持している事である。

 その種類までは、現時点の彼を以ってしても推測は不可能であるが……。


(……で、俺の手牌がこれか)


 須賀京太郎・手牌:一二萬 ①①②⑧⑧筒 56索 南南西白


 やはりどう眺めたところで、ここから目指せる手というのは限られる。

 7索を引けば、ドラ側への張り替えも不可能ではないが……。

 それはある理由から否定された。


 石見伊吹・手牌: 三六九萬 ③⑤筒 777索 東東発発発


 そう、第三者から見れば一目瞭然である。7索は、ドラ表示牌と合わせて既に四枚――枯れていた。


(んで……能力候補が、あと2つか。ただの偶然かもしんねーけど)


 しかし――偶然などはない。

 地球に神はいるかも知れない。だが、“火星(M.A.R.S.)”に神はいない。

 そこに異能という必然があるのならば、偶然などというものの介在の余地は消え去るものであり――。

 勝負である以上、偶然というものの方向性というものは限られる。

 故に、祈らない。祈る事は思考を停止させる事と同義であった。


(……末原さんは)


 末原恭子・手牌: 四六八萬 ①②④⑨⑨⑨筒 112索 北  ツモ:⑥筒


 やはり同じく、ドラも他の役も絡まぬ手。

 直後に行われた打:北。その淀みない動作に託された意図を、京太郎は受け継いだ。

 即ち――毒見役としての末原恭子。相手の異能に逆らわぬ事で、それがどこまで及ぶのかを判別させるというもの。

 須賀京太郎に託す事を前提とした戦法。


(……)


 次、オカルト喰いの少女の手から切り出されたのは九萬――。手牌の内に何かが加わり、そして打ち出された。

 彼女の目線を読む京太郎は、「かなり向聴数が少ないもの」――と当たりを付けた。

 兵牌を眺める少女の目線、その内でまるで無頓着に受け流される部分が多い――「テンパイに近い」「完成した刻子が多い」の裏返し。どちらか、或いは両方。

 他には、と――。

 他人に“京太郎が観察している事”が判らぬように全体を視界に収めつつ、視野の個別事象それぞれを同時に掌握する周辺視。

 カメラ眼である人間の瞳を、敢えてピントを合わせず使う事で「複数対象」の「ただ何かが動いた事」だけを認知し認識する――そんな複眼的使用法。

 しかし……


(……痛ッ)


 彼の肉体から上がる警鐘。

 そんな技術を使う事は決して許さないという警告。

 須賀京太郎がプロの道を捨てる事になった直接原因。


 手元にある薬は二つ。

 須賀京太郎が、プロ時代に使用した技を使える回数は二回。

 火星に於ける戦いに参戦するに相応しいように肉体を整えられる回数はたったの二回である。

 切り時を間違えたのならば間違いなく――彼は敗北する。そんな二回だけのジョーカーカード。

 いや、ジョーカーカードというよりは……。

 平常なる人間であれば、それは使って漸く土俵に立てるだけというか細い武器であった。


(……んで、ツモはこっちか。ペンチャンが埋まったな)


 ツモ牌は三萬。

 打:西と進めて――手番が再び親である二条泉に戻る。

 その様を眺めつつ京太郎は、この場にいない存在を思った。

 言うまでもなく、こちら側の戦力として最も上とされているのは須賀京太郎。この戦いの要訣であるのは須賀京太郎。

 思えば今までそんな事は、なかった。

 あるとしたら――彼の直接の引退に繋がった、宮永咲・大星淡・小鍛治健夜との蜂王タイトル戦のみ。

 それも、初めから京太郎を頼りに戦った訳ではない。京太郎はあの時点では第一位ではない。

 全員が全員己の為に戦って、そして小鍛治健夜を倒さなければならない最大の敵として認識して、それを行うに足る適性を持ったのが須賀京太郎であったという話。

 彼だけが、あの“麻雀界を統べる群の王”を切り裂く武器を持っていたというだけの話。

 故にこうして、初めから最大戦力として戦う事はなかった。

 彼はいつも見上げて、それに追いつこうとしていたから。追いつこうと必死になっているだけだったから。

 決して負けられぬと誓うのはいつもの事であるが、それに第一位という栄冠が付くのなら――


(……照さん、あなたはずっとこんな気持ちだったのか?)


 どうしても考えるのは、彼が打ち勝つまで頂点で在り続けた女性の事。

 国内無敗。M.A.R.S.ランキングトップランカー。若手最強。破り得ぬ鉄壁。闇を裂く雷神。

 彼女が背負っていたものが、同じ立場を経る事でやっと実感として彼の内に芽生えていた。

 ……とはいっても彼はもう、元麻雀プロだが。

 どちらにしても負けられない――いや、人一人の人生以上のものが掛かっている以上、プロのその時よりも尚負けられない戦いだ。



 七順目まで経過――。


 二条泉・捨て牌: 西、 (白)、 中、 (北)、 (北)、 (1索)、 (北)

 末原恭子・捨て牌: 北、 (白)、 (9索)、 ①筒、 2索、 (【5】索)、 ⑥筒

 石見伊吹・捨て牌: 九萬、 (9索)、 (3索)、 (中)、 ⑤筒、 (④筒)、 ③筒

 須賀京太郎・捨て牌: 西、 (八萬)、 白、 (中)、 (1索)、 ⑧筒、 (九萬)


 ――そして迎えた八順目。


(何なんやこれ……ってとこに、このツモって)


 碌に手の内に牌が入らない状況からの、掴んだ赤ドラ【五】萬。

 うんざりする気持ちが強かった。場に萬子が高い。誰かしらの手牌の内で育って居ると考えていいが――。


(“オカルト喰い”の、結果から見たら一面子落とし――そうじゃなくてもあの⑤筒から切った嵌張落としが不安ってレベルやない)


 嵌張搭子を落とすという事は言うまでもなく、それよりも上位の――言うまでもなく優先度が高い搭子が存在するという事。

 それはリャンメン。或いはドラ絡み。或いは手役絡み。或いは繋がりやすい複合系。

 しかも、⑤筒からの打牌――つまり搭子は十分、面子の確定もほぼ行える。③筒と⑤筒は邪魔。

 邪魔なものを処分するなら、⑤筒という他家にとって活かしやすい(待ちにしやすい)ところからでなくて……という事。

 そうなると、碌に切られていない萬子は怖すぎる。


 二条泉・手牌: 一一一七八九萬 ③⑤⑥⑦筒 499索  ツモ:【五】萬


(――こんなんで勝負できるわけないやんかボケェ!)


 泉は憮然として、4索を叩きつけた。少女が手牌に3索を入れず、また逡巡なく切った事からそう判断したのだ。

 少なくとも、3索の周辺は安全であると――。

 果たして、


 石見伊吹・手牌: 三四五六七萬 777索 東東発発発


 ――実際のところそれは正解していた。


 二条泉も腐っても麻雀プロ。それも、典型的なアナログタイプ。他の仕草からの判断を行うのはそう難しい。

 問題はそこにオカルトが付き纏って来る事。

 であるからこそ、単純な読みが出来る程度で相手を上回る事は難しくなるのである。

 そしてその下家、末原恭子が山から牌を摘み取る。中指人差し指と、親指に掴まれた牌。

 泉と同じ4索が――河に叩きつけられた。


「リーチ」


(――って、ツモ切り!? 今度はもうさっき張っとったんか……!?)


 驚愕の表情で恭子を見る泉であるが――当の恭子は至って涼しい顔。

 流石現役時代、あの激戦区の南大阪の――代表校となる姫松高校の大将を張っていただけある。

 プロとなってもその分析能力、またオールラウンダーな力は――言うなればポスト・オカルトスレイヤー。

 ……とは言っても正確には、恭子の方がその打ち方は長い。後発なのは須賀京太郎の方。

 尤も、単純に“豪運”や“異能”を持たない人間に至れて生きていける道はそれしかないのだが。


 そんな末原恭子の手牌は――


 末原恭子・手牌: 三四五六七八萬 ②④⑨⑨⑨筒 11索


 というもの。


 だがしかし、泉の驚愕はこれで収まらない。


「――カン」


 少女の発声。

 手の内に納まるとともに翻ったのは『発』。役牌の四枚目が、少女の手の内で輝きを放った。

 だが、それならばまだ泉は耐えられた。きっと耐えられた。

 これが平常な場なら、「リーチしとる奴がいるのにカンするとか何考えとるんや」と言っただろう。

 四枚目の役牌なら、それは相手が国士無双でも行っていない限りは完全なる安牌である。更に、場に北が枯れている。

 故に国士無双は不可能であり、発は完全安牌。

 リーチ者に対してのこのカンは何ら正当性も必然性もない打ち方。そう、常識で考えたのなら――余程の素人でない限りは行わない打ち方。

 だから――。

 そう、だから――。


 それが明確に異常だからこそ、泉は驚愕した。

 半ば予感は存在していた。明らかなる直感が、彼女の背筋を電撃の如く駆け巡った。

 そんな悪寒には覚えがある。これは――


 ドラ表示牌――白。

 ドラ――発。


(か、カンドラもろ乗りッ!?)


 そして、直後の少女の手によって彼女が憶えた虫の知らせは、確定する。

 誰がどう見ても明らかである。明らかであった。


「――リーチ」


 こちらも末原恭子と同じくツモ切りでリーチしたとあっては――。

 つまりは、『その前巡でテンパイして置きながら“敢えて”リーチを温存した』というのなら――。

 それは――、


(……これがコイツのオカルト!?)


 最低、リーチ役牌ドラ4にて跳満が確定。

 裏ドラ次第では、それ以上に跳ね上がる。

 これがオカルト喰い。

 『同卓した他家の手をリーチのみ手に』、一方の自分は『役牌を初めから囲い込み』、『カンドラをモロ乗せする』事で高打点を確保。

 正に、異能を持たぬ身からしたらイカサマでしかない。イカサマと言いたくなる。イカサマ以外の何なのだろう。

 これが人間と怪物の差。

 どこまでも埋められない――あまりにも大きすぎる差。

 常に実感していた。いつだって知っていた。心のどこかに根付いていた。

 だけど、こうも――誰かの命に等しいものが懸かっている状態で襲い来る異能は、なんと絶望的なのだろう。

 少女がその手で叩きつけた6索は宛ら、檻であった。柵であった。網であった。


(い、12000点でもデカイのに……もしこれが16000とかなったら……)


 さながら押し寄せる群。

 オカルト一つでさえも、異能を持たぬ身からしたら押し寄せる万の大群に等しいというのに――。

 それを複数持ち、さらには自在に組み合わせて、自由に振りかざせるというのは――。


(そんなん、リーチのみ手やと……リーチのみ手しか作れん状況で……逆転なんて――)


 ――まさに億に等しい。それほどまでの戦力差。


「……ふぃー」


 だが、忘れてはならない。

 その大群が常に戦い続ける、“軍神(マーズ)”の名を冠する戦場があった事を。

 そして、その中には――順列があったという事を。


「――俺が居るって事、忘れてないか?」


 そう――――その百に至る、幾多の軍勢が争う中の頂点が居たという事を。


「……ま、仕方ないよな」


 須賀京太郎・手牌: 一二三萬 ①②③【⑤】⑧筒 56索 南南南  ツモ:【⑤】筒


 奥歯を噛み締めている――その時には、須賀京太郎の眼球が小刻みに動き出していた。

 彼の内、作り変えられていた意識。

 己の肉体へと与えられる過負荷。特にその眼球への限度までの負担。神経が警告を鳴らし続ける/高らかに鳴らし上げる。

 合わせて自然と心拍数が跳ね上がり、鼓動の回数が調整される。鼓動に合わせて京太郎の思考が加速――――。

 眼球の筋肉が酷使される。コンマ数秒にも至らぬ間に全体視と注視を切り替えが繰り返され、相手の手元を睨む眼が絶え間なく動く。

 瞬きすらも惜しいと開かれた瞳。それは忙しなく小刻みに振動していた。超高速震動。

 全員――――そう、彼自身の手牌も含めて全員の兵牌とその仕種を寸断し/分解し/切断する思考の“大剣”。

 さながらサイエンス・フィクションに登場するタキオンの如く――血流が/電流が/思考が、加速する――――“擬似神経加速”。


 可能性――①:末原恭子が掴んでしまう牌。

 対策――副露による手番の変更/或いは一つ。

 現状――対処不能。

 回答――、


「……って事は、これか」


 ――切り出された③筒。

 一瞥したのち、末原恭子は静かに牌を倒す。彼女としても、リーチ。それは和了しなければならない牌。

 途中、槓を挟んでしまった為に一発が消えたその点数はリーチのみ――50符1役は1600点。一本場で1900点。

 削られたのは、須賀京太郎=オカルトスレイヤー。



===============
 東一局一本場
===============

二条泉: 26000 ±0             =26000

末原恭子: 25000 +1900 +2000  =28900

石見伊吹: 26000 -1000         =25000

須賀京太郎: 22000 -1900       =20100




(これで……残り一発か)


 局が終わり、牌が奈落に呑まれるその間に――京太郎は薬を使用した。

 こんな事なら、冷却ジェルのあるシートの類いでも持って来ればよかったなと嘆息。

 二回しか使えない切り札を、東一局で使用。

 結果は失点。

 リーチのみしか使えない場に於いての1600点はそれなりの傷――少なくとも一度は和了してもマイナスを取り戻す以上の意味がないのだから。

 ただし、


(今のでいくつか分かった……って思えば、あんま悪くはないよな)


 彼の表情はそう、昏くはない。少なくとも敗北を確信してはおらず、勝利を断念してはいない。

 乱暴に倒された兵牌が中央の奈落に呑まれた。一瞬交わされた視線。末原恭子と、二条泉。

 特に泉は――彼女は、まさに絶望の淵のような表情をしている。

 末原恭子は読めない。少なくとも彼女は、このオカルトの攻勢を前には諦めてはいないのだ。ならばまだ、京太郎にもやりようはある。


 なお――スポーツをするものが、例えば一瞬のボールの動きや相手の拳を見切るような極限の集中に至った京太郎は、抜け目なく王牌を見た。

 京太郎、彼自身が便宜上“擬似神経加速”などという大層な名を付けているが――(なお命名は彼の大学時代からの先輩でありチームメイト。12位)――。

 行っている事は、スポーツ選手や将棋の棋士、或いは事故に遭って走馬灯が巡るという――それとさして違いはない。

 故に、彼は一瞬を見逃さない。


 並びは――上が「6索」「6索」「7索」「白」「2索」「西」「南」。

 同じくその下は、「8索」「九萬」「2索」「中」「西」「2索」「⑧筒」。


(……ああ、大丈夫だよな。負けるかよ、オカルトに)


 待ってろ、憧――そう、小さく彼は微笑んだ。




 続く、東二局。

 そこで――二条泉の瞳に再び、翳りが挿した。


「――ポン」


 泉が捨てた、中。それを少女が副露した。


(――な、鳴けるんか!?)


 少女の持つ能力への対抗策として思いついたのは、無論副露。

 どうしたってリーチのみ手にしか至れない――それが三者全員というのならば、或いは副露してそれの順番を逸らしてみたのならば――。

 そう考えて、泉としても狙おうとしていた。機会があるなら、試してみるべきだと思っていた。

 だが、それを――能力の使用者から行うという事は、


(……鳴いてズラしても、どーしようもないっちゅう事か?)


 即ち、対策は不可能という事ではないだろうか。もしそれが弱点足り得るならば、己から実行する筈がない。

 だが、それもブラフではないのか。本当は弱点であるのに、敢えて己から切り込む事で『弱点ではない』と思わせる作戦ではないのか。

 しかし、そんな必要はあるのか。相手はオカルト喰い――強力なオカルト使いである。そこまで行うのか。

 だが、強力でないのなら。強力でないならそれを試す可能性も……。


(……って、こんな風に捕えられるのがアカン。アカン奴や)


 心の内で、頭を振って頭を冷やす。

 余計に悩んでも、そもそもからして情報を得られていないのだから判別が付かないのである。

 ならば結果を見定めてから結論を出すべき――それが最も正しい道筋。そう、改めて気持ちを切り替えに掛かる。

 そこでまた、入った。少女――オカルト喰いからの副露。


「――カン」


 大明槓――翻ったのは②筒。

 少女の手の内から、躍り出た②筒の刻子。泉の河を掬い上げる――。

 短くなった手牌。七枚。右側に寄せられた副露牌は、それぞれ真ん中だけが横倒しにされている。

 嶺上開花はならず。それも完備されてしまったら、何物も寄せ付けないほどの強度を手に入れてしまうだろう。

 泉にはその一瞬だけ、末原恭子の眉が細まった風に感じられた。


 そしてその二巡後――七巡目。


「――ツモ。東中ドラ4。3000・6000」


 南家・石見伊吹:七八萬 ④④筒 東東東  副露:中[中]中 ②②[②]②筒  ツモ:九萬

 石見息吹の和了。12000点の高火力。



===========
  東二局
===========

二条泉: 26000 -3000          =23000

末原恭子: 28900 -6000         =22900

石見伊吹: 25000 +12000        =37000

須賀京太郎: 20100 -3000       =17100




「どうしたぁ~~~、追い詰められてきたなぁ……?」


 醜悪な笑みを浮かべる、天目譲司。

 喜色満面。先ほどまで少女の背後で憮然としていた様からは想像できないほどの破顔。三日月形に口端を釣り上げて、歯を覗かせる。

 須賀京太郎と少女の点差、二万点。直撃だけを続けても、最低あと十回。それほどの攻撃を叩き込まなければならない。

 残りは六局。須賀京太郎の親番を二回残しているとしても、常識では考えられない数の和了を積み重ねる必要がある。

 麻雀の和了はおおよそ四回に一度できれば良い方と言われているのにも関わらず――だ。

 あの能力の本質はそこ。

 いわば匹夫の勇。たった一人で、大群に挑みかかるほどに途方もない闘い。果てが見えぬ、膨大過ぎる数との戦い。


「どうした、なぁ?」


 誰もが無言。少女も口を噤み、須賀京太郎はただ場を眺める。末原恭子に至っては一瞥すらしない。

 泉は正直、黙れと思った。戦いにすら参加していないのに、一人だけこうも得意げに振舞うとは――虫唾が走る。

 優勢に立ったとなった瞬間これだ。

 他人の力を笠に着るゴキブリ男――あの浅黒くテカった禿頭に、原人そっくりの顔。黒目がちの瞳は、見ようによっては正にゴキブリと思えなくもない。

 相手の能力に活路が見出せぬが故、なおそんな気に障る言動に対し彼女としても必要以上に苛立ってしまっていた。

 頼りの須賀京太郎は、沈黙を保つ。


 ――――夜が、来る。


(さて……このまま行けば予想が的中する形)


 先ほどのあの電光石火の振り込み――正確に言うなら差し込みであるが……。

 あれを見ても尚、立会人は彼の予想を覆さない。むしろより一層、己の予感への確信を高めていた。

 須賀京太郎しか、あれほど他人の手牌まで把握できる男しかいない。明らかにプレイヤーとしての格が違う。

 彼と同等の事は他に出来ない。故に勝率は大きく削られる。

 或いは彼のかつてのタッグパートナー――小走やえがこの場にさえいれば変わったかも知れないが、そんな未来はない。




 ――東三局。


 例えば、の話である。

 例えば、切り札を持っていたとして――その切り札を切る場面はどこであろうか。

 一つは、『切らなければ負けてしまう場面』。

 一つは、『切らなければ勝てない場面』。

 そして残る一つは――『そのタイミングでの使用が最も適切な場面』。


 麻雀には親番がある。

 親番に掴む事が出来る点数は、おおよそ子の時点での五割増し。打撃力は上昇する。

 対して、親番では誰かがツモ和了した場合の支払いが倍になる。そんなリスクがある。

 そして、親番なら勝利し続ける限りいくらでも続ける事が出来る。

 麻雀の半荘は八局であるというのに、その時計の針を進める事なく、終末への導火線を縮める事なく戦い続ける事が出来る。

 ならば――。

 もしも、オカルト喰いの能力が未だに控えているとしたのなら。するのならば。

 先ほどまでの場面というのは言わば小手調べや準備運動であって、本番になるのは彼女の親番を於いて他ならない。

 これまでの攻撃というのはあくまでも、威力偵察以上の意味を持たないのではないだろうか。


(……一体、今までどんだけ“奪って”きたんや、コイツ)


 二条泉は体を固くした。

 彼女の推測が的中しているのなら――ここからは闇の時間だ。

 魍魎が跋扈し、魑魅が咲き乱れる逢魔ヶ刻。夜明けまでは遥かに遠い、耐え凌ぐ事しかできない闇の帳。

 そう――絶望の闇が訪れる。


「……」


 ――――夜が、来る。



 ドラ:西(表示牌:南)


 石見伊吹・手牌: 一四七萬 ⑤⑦⑨ 西 発発白白中中   ツモ:⑧筒

 打、一萬。


「……」


 同じ頃、伊吹は考えていた。

 そもそも――ここで京太郎や泉、恭子に思い違いがあるとしたら。

 今まで少女は、全力で能力を使用した事がなかったという事。

 それは強者故の余裕――――などではなかった。

 単純に彼女が心優しく、それ以上に他者を蹂躙する事に――それに伴って己の心の内で膨れ上がる暗部を恐れていたから。

 故に少女は、その全ての異能を同時に使用した事はない。

 だから、彼女自身もそれを行うとどうなるのか、知らなかった。


 だけれども、今。


(……早く、終わらせよう)


 少女は、ある考えに取り憑かれていた。

 それはある種は優しさであったのかも知れない。

 対戦者の苦痛を長引かせぬ為に、速やかに決着を付けようとしたのかも知れない。

 それはある種の傲慢であったのかも知れない。

 彼女の気持ち一つで痛苦を和らげる事も他人の命を奪い去る事も出来る全能感は、ただの傲慢であったのかも知れない。

 それはある種の自己保身だったのかも知れない。

 これ以上この戦いを続けて会話が行われて、天目の機嫌を損なう事があったのならその後どうなるのか判らない。

 彼女に出来るのはただ静かに、出来る限り男の顔色を窺いつつも付けいれられる隙を持たぬ事。


 しかしそれ以上には――やはり諦観。

 もう何もかもから目を背けたいというそんな気持ち。

 これ以上、こんな風に戦いを続ける事自体に少女が耐えられなかったから。


 少女は――複数の能力を発動させた。

 今までかつて、使用した事がない規模の軍勢。全力を以って、獲物を殺害に至る幾重もの戦陣。


「おいおい、いつまで優しくやってんだ? なあ」


 ――煩い。

 伊吹は、唇を噛んだ。ゴキブリの羽音のように耳障りなその声に、心の中で眦を吊り上げた。

 言われなくて、やっている。


「さっさと踏みにじってやれよ。そいつの武器を使ってよぉ」


 ――煩い。

 伊吹は歯を噛み締めた。何も知らない癖にいい気になって指令を下す男に虫唾が走る。

 須賀京太郎に武器なんてない。ただの人間で、そして、奪ったところでどうにもならないだけの“特性”がある。

 寧ろそれを奪ったなら、須賀京太郎を有利にしてしまうだけの枷。


「魔法喰い、だったよな。……確か別の名前」


 そんな中、須賀京太郎が呟くように漏らした。

 世間話をするように実に気軽に、清涼とした声を響かせた。

 彼には何の重荷も障害も無いように――ただ只管に、緊張のない声色。

 顔にも自然とした笑顔が浮かんでいる。それは、あの公園で伊吹に向けていたものと遜色ないもの。


 ――――だからこそ。


「どういう原理で食べてるのか解らないけど……もう一個、喰って貰うぜ」


 ――――だからこそ、それは。


「俺の魔法もな」


 本当に、タコスでも差し出すみたいに実に自然に笑う。何の衒いもなく、普通の笑顔で。

 それは余りにも不釣り合いで。この場には合ってなくて。

 そこには――少女が彼から与えられていた“人間で居られる時間”と、こんな風に人扱いされずに一つの道具として見做される時間の区切りも無くて。


「魔法?」

「ああ」


 天目譲司の問いかけに、やはり彼は快濶とした笑みで応じる。

 その姿には、何の翳りもない。与えられている危機など、ものともしないように。

 その後、彼は口を開いた。


「――笑顔の魔法だ」


 ――――そう。

 ――――だからこそ、不快だった。


 ギリ、と歯を食い縛る。

 少女の内の照準が、須賀京太郎に向けられる。


「はは、確かにな。俺をこうして笑顔にしてくれたもんな」

「てめーじゃねえよ。……息が臭いんだよ。喋るな、ゴキブリ野郎」


 冷酷な侮蔑を孕んだ京太郎の目に、天目は眉を上げた。

 唇が、無意識に震えるそれは天目が癇癪を起す兆候である。

 知ってか知らずか、彼は挑発している。天目譲司を怒らせているのだ。

 ――五月蠅い。

 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい。


(……)


 能力が切り替わった。

 分かりやすい攻撃ではない。察知されてしまう攻撃ではない。

 実に単純に――殺しにかかる一撃。


「……」


 石見伊吹・手牌: 四七萬 ⑤⑦⑧⑨筒 西 発発白白中中  ツモ:⑥筒  打:西


「……」


 石見伊吹・手牌: 四七萬 ⑤⑥⑦⑧⑨筒 発発白白中中  ツモ:⑤筒  打:⑤筒(空切り)


「……」


 石見伊吹・手牌: 四七萬 ⑤⑥⑦⑧⑨筒 発発白白中中  ツモ:発  打:七萬



 ――能力:『他家の手を役が不成立な牌の構成にする』。

 ――能力:『三元牌の対子を手中に入れる』。

 ――能力:『絶一門にする事で以後のツモを一色に絞る』。

 ――能力:『最終形を多面待ちにする』。

 ――能力:『他家の手牌と次ツモの内から不要牌を察知する』。

 ――能力:『他家に客風を三巡分押し付ける』。



 伊吹は不要牌を察知する能力と――『他家が聴牌したときに聴牌する能力』を同時に使用。

 それによって、己以外が未だにテンパイに至らぬ事を知る。

 故に狙う。須賀京太郎は、未だ勝利には程遠い。


「……」


 だが、誰かが聴牌したからどうだというのだろうか。

 彼女は知っている。

 『他家の手を役が不成立な牌の構成にする』という事は要するに、リーチを掛けなければ和了できない手にするという事である。

 つまり、どうしようもないのだ。ダマテンで彼女を殺す事は不可能。そもそもダマテンなどというものがないのだから。

 故に、リーチを掛けてないこの状況――能力などなくても、誰もが彼女を攻撃する事が不可能と識るのは必然。

 そうして、これまでの撒き餌。

 ――『槓をしたその牌がドラとなる』能力。

 逆に言うなら、少女がカンをするまでは安全である――と他家に思わせる事となる。

 そして作り出した高打点はそれ。そんなドラ爆に役牌を絡めただけで、攻撃した。

 他に役が作れないと思わせるには、あまりにも十分。


 そんな間に練りあがったのは――


 石見伊吹・手牌:⑤⑥⑦⑧⑨筒 発発発白白白中中


 ――混一色・小三元・発・白。


(これで……18000点)


 多面待ちとなる能力は途中で打ち切った。フリテンとなってしまって須賀京太郎を狙えぬ事こそが恐ろしい。

 あとは静かにこの攻撃で、ただ息の根を止めるだけ。

 そうして彼女は静かに――これまでと同じく、感情を殺した目で須賀京太郎を見る。

 ④筒は不要牌。彼としてもそれを切るというのは――分かっている。


 だが――


(④筒、切らない……!?)


 須賀京太郎はその手牌の内にて、少女の和了牌を買い殺していた。


 須賀京太郎・手牌:一一七八九萬 ④⑥⑦⑧筒 2399索  ツモ:9索 打:9索


 そのまま少女も、何の役にも立たないツモ切りを続けた。

 不敵に笑うのは須賀京太郎。どこまでも余裕に満ち溢れたその笑顔が、少女を苛立たせる。

 その笑みに安心を抱いていた。だからこそ――こんな場面で、少女が人間で居られる場面以外で、不釣り合いな場面でされると何故だか心が騒ぐ。

 しかし、気にしない。どこまでも彼はただ、平然としている。


「孫子に曰く――」


 石見伊吹・捨て牌: 一萬、 西、 ⑤筒、 四萬、 (東)、 七萬、 (7索)、 (①筒)、 (三萬)、 (8索)

 須賀京太郎・捨て牌: 北、 6索、 西、 (南)、 (中)、 (【五】萬)、 (②筒)、 (東)、 八萬、 9索

 二条泉・捨て牌: 9索、 南、 北、 (西)、 (⑧筒)、 7索、 (中)、 (東)、 (⑥筒)

 末原恭子・捨て牌: 南、 西、 三萬、 (北)、 (東)、 (【5索】)、 ②筒、 (九萬)、 ⑨筒


「――『怒らせてこれを乱せ』ってな」


 口角を吊り上げる須賀京太郎に呼応するように、少女の感覚がある危険を知らせた。

 二条泉が――テンパイしたのである。

 となれば近いうち、誰かから彼女の和了牌が零れ出る。それがルール。

 彼女自身は決してツモる事は出来ないが、誰かしらから零れ落ちる手はずになっているが……だが、


「……」


 二条泉・手牌:二二四五六九九萬 ①①①②筒 34索  ツモ:二萬


 だがしかし、彼女はテンパイしてもリーチを掛けなかった。

 そのまま、河に②筒を並べて静観する。


 少女の和了を潰すのは単純。誰かが和了すればいい。

 やられたという思いがあったが――しかし、一先ずは繋ぎ止められた。リーチをしなければ和了ができないから。

 だとしても、何故という思いが勝る。

 何故、リーチを掛けなかったのだ。


「なるほど、確かに完璧な能力って奴だな……これ」


 続く末原恭子。

 彼女も遅れながら――泉に続いて聴牌。少女の内に取り込んだ能力が、警鐘を鳴らす。

 『誰かが聴牌したのならば聴牌する』――今回はまさに不要であったが、このように危険察知としても使える。

 事実それを利用して少女は――相手の引いた牌や或いはその手の内の牌を――『不要牌を知る能力』を以って、一発攻撃を上乗せする――――。

 そんな攻撃をも、有していた。

 攻撃にも、加速にも、防御にも使える能力――であるからこそ他の能力と組み合わさり、少女からの直撃は殆ど不可能となる。

 だけれども、


「……どうした? 親の番やで?」


 末原恭子・手牌: 六七八萬 ②③④⑦⑧⑨筒 1188索


 ツモ1索からの打、2索と繋げた彼女がリーチ宣言を行わないのはまた、不可解であった。

 伊吹もツモ。③筒。舌打ちを押し殺して、⑨筒を落とした。嵌張④筒への張り替えである。

 未だに彼女は――可能な範囲に於いて――絶一門状態から同色を集める特性を有している。

 最早絶一門どころか、絶二門――というより単色と字牌しか所持しない状態ではあるが、退いてこれるのならば張り替えてツモに向かえばいい。

 そんな少女を尻目に須賀京太郎は、掴んできた2索を落とした。無論、リーチしていない泉がそれに反応する故もない。


 そして、泉のツモ――聴牌しているが為、それが彼女の手の内に入る筈がないというのは知れている。

 加えて少女の能力。『不要牌察知』によればそれは――1索。

 その牌が静かに、彼女の内に眠った。張り替えられて、4索が河に躍り出る。


 末原恭子のツモは2索。そのままツモ切り。

 無論、泉からの和了の声は上がらず。上がる筈がなかった。リーチをしなければ和了できないのだから必然。

 ――そして、十二巡目。


 石見伊吹・手牌: ⑤⑥⑦⑧⑨筒 発発発白白白中中  ツモ:北

 石見伊吹・捨て牌: 一萬、 西、 ⑤筒、 四萬、 (東)、 七萬、 (7索)、 (①筒)、 (三萬)、 (8索)、 ⑨筒


 須賀京太郎・手牌: 一一七八九萬 ④⑥⑦⑧筒 2399索

 須賀京太郎・捨て牌: 北、 6索、 西、 (南)、 (中)、 (【五】萬)、 (②筒)、 (東)、 八萬、 9索、 (2索)


 二条泉・手牌: 二二二四五六九九萬 ①①①筒 13索

 二条泉・捨て牌: 9索、 南、 北、 (西)、 (⑧筒)、 7索、 (中)、 (東)、 (⑥筒)、 ②筒、 4索


 末原恭子・手牌: 六七八萬 ②③④⑦⑧⑨筒 1188索

 末原恭子・捨て牌: 南、 西、 三萬、 (北)、 (東)、 (【5索】)、 ②筒、 (九萬)、 ⑨筒、 2索、 (2索)


(……ッ)


 舌打ちを殺しつつの打牌。ツモ切りの北。

 続く須賀京太郎は、手出しの9索。伊吹の感覚が告げる須賀京太郎の不要牌は――『④筒』と『9索』。

 9索を捨ててなければ彼は聴牌していたという意味。つまりは、④筒が明らかなる危険牌と見切っての打牌である。

 須賀京太郎からの直撃を狙うのは不可能と考えた方が、もう良いだろう。

 続く二条泉は、【⑤】筒を切り落とした。

 ドラも赤ドラも裏ドラも使用不可能となる、伊吹の持つ特性――それに由来した無駄ヅモ。

 末原恭子も、ツモ切りの⑨筒。巡目は十三巡目へと突入する。

 そう――十三巡目へと。


 伊吹のツモは③筒。

 逡巡した――――これで打⑤筒や打⑧筒として張り替えた場合、山に眠る牌はどうなるか。

 神ならぬ彼女が知るのは、④筒が一枚須賀京太郎の手牌に入っている事と、場に中が枯れている事。

 ③筒に張り替えたなら、和了牌は最大二枚。大三元にはならない、片側のシャンポン待ち。

 しかしこのままなら、嵌④筒で――最大三枚。果たして、どちらを優先すべきか。

 だが、今なら――同色を引いてくる特性があるのならば。ツモ和了でもいいならば……。

 打:⑧筒からの、シャンポン③筒待ちで……三暗刻も上乗せして、差を圧倒的にするべきではないのか。


(……なら、こっち)


 少女は――オカルトを鹵獲し、それを組み合わせ改修し、自在に使役する少女はここにきて悩んだ。

 ある意味それは、麻雀を打たされるのではなく打つ行為であったかも知れない。

 局の途中でも他人の異能を奪える分、少女は特に勝利の必要がなかった。麻雀の腕は必要なかった。己で最大限思考する必要はなかった。

 強力な異能や強力な特性を奪い、あとは混乱する相手を尻目に平然としていればいいのだから。

 であるが故に彼女は悩み……そして、判断を下した。彼女は、嵌④筒を優先した。

 彼女から知れている和了数が多い。それだけでよかった。

 それは――まだ彼女が持つ、鹵獲したオカルトに由来するのかもしれない。


 そして、驚愕した。


(――不要牌が、なくなった)


 須賀京太郎の内から、不要牌の気配が消えたのである。

 それが意味する事は、ただの一つしかない。

 並んで、繰り出された9索。刻子落としである三枚目。能力など使わなくても、彼が望む手に張り返したと判る打牌。


 それに続く、驚愕。

 彼女は知らない。人間の強さを――――。


「そやな、んならこっちかな。――んでリーチ」


 切り出されたのは1索。少女の内に浮かんだのは――『不要牌:【⑤】筒』と『不要牌:3索』。

 尚も彼女を驚かせたのは、泉がリーチ宣言をした事である。

 余りにも臭う――あまりにも強烈に少女の感覚を打つブラフ。偽のリーチ。

 リーチというのは言わば警鐘である。迂闊にそのまま進めば危険である、或いは近付きたくないと思わせる警告。

 二条泉は、手牌を倒して――――打つものが見れば一目で理解できるような、そんな臭うリーチを行ったのである。この場に於いて。

 当然、裏の麻雀にある程度腰を据えていた天目譲司は、


「お、おい!」


 そう、気色ばんだ。

 だけれども、泉はどこ吹く風と笑う。


「なんやねん。まさか、局の途中で手牌晒せってか? そらいくらなんでも無理な相談やんか」


 歯ぎしりをする天目が、立会人を見る。

 顎に手を当てる、時代遅れな不良めいた立会人はうっすらと片頬を上げているが、


「……失礼、しかしチョンボの罰則しか用意されてませんので」


 局が終われば、そこで分かるだろうと冷笑で返す。事実彼の言うとおり、『ノーテンリーチをしてはならない』『チョンボをしてはならない』という罰則はない。

 まさか、そんな事を――つい以前までプロで打っていた連中や或いはプロの人間が行うとは天目も考えていなかった。

 寧ろ、彼が同卓するとしたら……彼自身が使う事の方があり得るが故に、その部分は見逃していたのだ。

 となれば、立会人の胸三寸。ルールに記載されていない事を如何に判断するかは、そのジャッジに託されている。

 そして天目には不運な事に――


(さて……)


 この立会人は、立会人の領分を侵さぬ範囲での愉しみを探す男であった。


 そう、これで誰も和了しなければ、二条泉がチョンボを晒すだけ。

 その横たえられた1索が、彼女の待遇と同じくなる。打ち抜かれた鳥の如く、内臓をブチ撒けるだけ。

 泉は98位である。

 豪運を持たない。異能を持たない。ただの哺乳類である。

 しかし――彼女は、麻雀プロだった。

 だからこそ、だけれども彼女は決断した。ただ一つの事を決断した。それは決して勝算がない事ではなかった。


(はは……なんか、リー棒差し出す手があっつぅ)


 自然と引き攣ってしまう頬と、どこまでも熱い指先。

 その先に見えるのは――――人類の到達点、須賀京太郎。


「ああ、その鳥……倒さんでもええで。一発消しか、これ」


 その間、横合いから射し込まれた声。末原恭子が、倒れる鳥を抱き上げた。

 手牌から踊り出る二匹の鳥。代わりに河へと放たれたのは――閉じられた門がごとき、8索。

 少女が知った不要牌は――ナシ。わざわざただ、聴牌を崩しての副露。和了する見込みが消えるだけの副露。

 続く彼女のツモは、白。

 槓をしたところでドラが乗る筈がないと……理解している、無意味な白である。

 そして果たして――


「……お待たせ、ってな」


 続く須賀京太郎が、リーチ宣言。

 切られたのは7索。一房だけが赤い竹は、その下との区別を表している風である。

 そう――宛ら、突き刺さり岩に埋められた聖剣の柄の如く。



 十四巡目――。



 石見伊吹・手牌: ⑤⑥⑦⑧⑨筒 発発発白白白中中

 石見伊吹・捨て牌: 一萬、 西、 ⑤筒、 四萬、 (東)、 七萬、 (7索)、 (①筒)、 (三萬)、 (8索)、 ⑨筒、 (北)、 ③筒、 (白)


 須賀京太郎・手牌: 一一一七八九萬 ④④⑥⑦⑧筒 23索

 須賀京太郎・捨て牌: 北、 6索、 西、 (南)、 (中)、 (【五】萬)、 (②筒)、 (東)、 八萬、 9索、 (2索)、 9索、 9索、 (《7索》)


 二条泉・手牌: 二二二四五六九九萬 ①①①【⑤】筒 3索

 二条泉・捨て牌: 9索、 南、 北、 (西)、 (⑧筒)、 7索、 (中)、 (東)、 (⑥筒)、 ②筒、 4索、 (【⑤】筒)、 [《1索》]


 末原恭子・手牌: 六七八萬 ②③④⑦⑧⑨筒 8索   副露:[1]11索

 末原恭子・捨て牌: 南、 西、 三萬、 (北)、 (東)、 (【5索】)、 ②筒、 (九萬)、 ⑨筒、 2索、 (2索)、 ⑨筒、 8索


 ※(ツモ切り)、[副露]、《リーチ》



 時にオカルト使いというのは、幻視する。

 自分自身のオカルトの帰結であったり、或いは他人のオカルトの影響であったり――。

 あたかもガンマンが如く、互いの手に銃を携えて一歩一歩距離を詰める幻影であったり――。

 或いは、己の身に溜めこんだ力を爆発しようとしているその時に、導火線を切られたり――。

 そんな、イメージを抱く。

 故に、少女も見た。ある幻影を――。


 一役でしか取り返せぬ状況に対する高火力――点差は、宛ら幾多数多の大群。

 対する人間はただ一人。

 何の異能も纏わぬが故の生身。ただ、その場におもむろに立ちすくむだけの青年。

 そこへと迫る、影。

 掴み取った危険牌は、瀕死への攻撃。一撃でさえ受けたのなら、容易く人体を破断しその命を奪う――必殺の拳。

 青年は、それを掴んだ。

 その瞬間は言うなら、即死の一歩手前。抹殺せしめんと暴力滾る拳が、青年の頬に触れて――。


 ――――だがしかし、回避された。


 あまつさえそれを利用した青年が、攻め手を切り刻む。身の丈ほどの大剣が、抜き取られた聖剣が仇敵を断つ。

 そのままでは、終わらぬ。

 時に流し、時に裁き、時に躱し――襲い掛かる数多の軍勢に、その影を踏ませる事すら許さない。

 寛容な笑い。窮地を窮地とも思わぬほどの微笑で、時に攻めあぐねる――或いは攻め寄せる群の内でも、その身はしなやかに仁王立ち。

 そして、跳んだ。

 振りかざされた高周波の剣が――人類に許された、人類固有の武器が――、


「――――そのカン、必要ないぜ」


 ――一人では到底倒しきれぬほどの群れを、蹴散らした。


「リーチ一発槍槓――40符3役は5200」



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  東三局
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二条泉: 23000 -1000          =22000

末原恭子: 22900 -5200         =17700

石見伊吹: 37000 ±0            =37000

須賀京太郎: 17100 +6200       =23300




 須賀京太郎が、1索を明槓した末原恭子に一発を叩き込んだ後の東四局。

 須賀京太郎の親番。半荘一度の勝負の――言わば半分。


(……ふう、心理戦の経験は薄いか?)


 それとも或いはこの状況が、今まで少女が体験した事のない状況であるからかも知れない。

 能力の複数限界使用。或いは、明らかに激昂する取立人。或いは、手を差し伸べる人間。或いは――。

 兎に角彼としても、細かくは知りようがない。

 だとしても、少女の心の振れ幅をある程度は認識が可能となっていた。

 ひょっとしたらそれは、彼がこれまで人間関係で培ったが故なのかもしれない。

 無表情そうに見えて、内心色々考えている人間は居た。

 であるが故に京太郎は、感じ取ったそれを突いた。少女を的確に怒らせた。


 能力が強力な人間というのは、得てしてそんな兆候にある。何故なら――強いが故に、ポーカーフェイスなどという技術を磨く必要がないのだ。

 ましてやそれがプロでないなら猶更。

 プロの人間は年間何百何千と局を渡るが故に――その内で無敗の人間が極めていない故に――どうしても、己を高めようと自然とそれらを学ぶ。

 だが、少女は素人だ。

 確かに透明の瞳を持っていると京太郎が彼自身以前評したが――それだって、今までと違う色さえ入れてしまえばいい。


(おかげで“目”は温存できたけどな……さて)


 先ほどの、少女が必要とする牌を囲い殺したのはそれに由来した。

 京太郎へと向けられた殺意の瞳――――それもある程度の確信を抱いた必殺の目は、必然としてある結論を導き出した。

 須賀京太郎が、“ある牌を切ると知っていたから”――だからこそ“必殺”を決意したのである。

 翻ればそれは、普通ならば切る牌。切らぬ牌を切れば、やり過ごせる攻撃であった。

 そこから張り直したのは、偶然ではない。彼の中での計算に基づく核心であった。その後の攻撃も含めて。


(それにしたって、なんだこの数のオカルト……多過ぎだろっ)


 先ほどの一局で、その概要だけの把握となるが――繰り出された数多くの“異能”。

 どこまでが一つの能力で、どこからが別の能力なのかの想像もつかない複数の攻撃。同時多発的に襲い掛かる追撃の嵐。

 夢乃マホでさえも二つの組み合わせであった為、その恐ろしさは察して然るべき――尤も、彼女は組み合わせる一つ一つが余計に凶悪であったが。

 ……話が逸れた。


(まぁ、まだ慌てる時間じゃない。……人間、ナメんなよ)


 布石は打った、と京太郎は目を細めたが――。


 ――――直ぐには終わらぬからこそ、夜。



「……ッ」


 須賀京太郎・手牌: 二四五七萬 ①②④筒 123999索


(おいおい、マジかよ……っ)


 須賀京太郎・捨て牌: (⑨筒)、 (北)、 (西)、 (東)、 (一萬)、 (発)、 (⑧筒)、 (南)、 (【5】索)


 一切が動かぬ――ただ繰り返されるだけのツモ切り。

 圧迫感や閉塞感としては、M.A.R.S.ランキング第六位“国産戦闘鬼”天江衣の『一向聴地獄』に並ぶ。

 確実なる異常事態。尋常ではない超常現象。

 奥歯を噛み締めようとしたそこで、停止。残りの使用回数は一回。ここで使うべきではない。

 そして彼は、場を改めて流れる。瞬時瞬時に把握はしているが――それでも。


「……っ」


 二条泉・捨て牌: (8索)、 (北)、 (東)、 (西)、 (南)、 (7索)、 (発)、 (8索)


「……」


 末原恭子・捨て牌: (南)、 (北)、 (西)、 (9索)、 (発)、 (1索)、 (東)、 (1索)


 凪と呼ぶべきか。

 一切に動きがないこの状況をなんと表現すればよいのだろうか。兎も角――ただの偶然では、言い表せない。明確なほどの呪縛。

 これが、隠し持っていた“異能”。未だに尽きぬ彼女の手札の内の、“封じ札”。

 締め上げる触腕が如く、あらゆる行動を封殺する“異能”。


(……)


 ――――アキレスと亀という話がある。

 アキレスという足の速い人間が、丁度亀に追いつく事は可能かという思考実験。

 その亀は等速で動き続けるとして、アキレスが亀の後部を狙って足を踏み出すその時に、アキレスが追いつくまでに亀は僅かながらに進む。

 そうして開いた隙間を埋めようとしても、その間に亀は僅かながらに移動しており、再び――――という繰り返しで“アキレスは永遠に亀に追いつく事ができない”。

 そのような実験。

 これはあくまでもただの命題であり、現実ならば一笑に臥される問題であるが――


 石見伊吹・捨て牌: 九萬、 (二萬)、 九萬、 (8索)、 (7索)、 四萬、 8索、 (九萬)


 ――まさに現実として、この場で発現していた。



(何だこの、オカルト……衣さんや、大星でもここまで異常じゃない……ッ)


 ところで亀と言えば、ある獣が居る。

 その名が闇と等しき色を表す。その色は、老荘思想に於いては空間・時間を超越し、天地万象の根源を意味する言葉と同じ。

 そんな色を冠し、そして今の彼女が座すその位置を守護する聖獣――。

 まさしくその獣の躰に蛇が絡み付くように、或いは亀が手足を閉ざして蹲るかの如く――締め上げられて動けない。

 そこからは――、


 二条泉・手牌:一一【五】八八八萬 ②④⑥⑦筒 224索


 末原恭子・手牌:二四六八九萬 ①①【⑤】⑨⑨筒 346索


 ――副露による脱出すら、不可能であった。

 無論ながら、ドラの西が手中に納まる筈がない。


 それが動く事があるとしたら――


「――ポン」


 石見伊吹・手牌: ②②③③③③④⑥⑧筒 25索    副露:白[白]白


 ――その力の持ち主が、動いたその時だけ。


 そこから、京太郎たちは追いつけない。さながらアキレスの如く。

 少女の行う副露に翻弄される。一人だけが、進み続ける。

 その間に行われた白のカン――ドラが四つ。破壊力が倍増し、


「――ツモ。混一色、白、ドラ4。3000・6000」


 宛ら広範囲を焼き払う業火――――その被害を最も蒙ったのは、言うまでもなく親である須賀京太郎。



 ――第十の能力。


 ――能力:『自分以外の手牌の進み具合の最大を、自分と同等にする』。

 ――つまり、向聴数が同じ人間にとっては続く無駄ヅモ地獄。




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  東四局
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二条泉: 22000 -3000          =19000

末原恭子: 17700 -3000         =14700

石見伊吹: 37000 +12000        =49000

須賀京太郎: 23300 -6000       =17300





 ――これは英雄の物語ではない。


 ――何故なら彼は万能の知性も、最強の武器も持たないから。


 ――運命は彼に味方しない。彼は物語の主人公ではない。故に決して、神々は味方しない。


 ――だからこそ、己の手で勝ち取るしかない。


 ――そしてもしこの物語に必然があるとしたら。


 ――それがこの後の勝敗に帰結する。


 ――初めから、決定されていた。その結果は決定されていた。


 ――そう。


 ――須賀京太郎は敗北する。


 ――これ以上ないほどに、惨めに敗北する。


 ――それは必然であった。




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最終更新:2015年01月02日 01:39