久珂あゆみ@FEG様からのご依頼品


距離2㎝




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 あゆみの晋太郎が目覚めたときにまず知覚したのは、自分の手を握っている暖かい感触だった。
 うっすらと目を開く。光に白く漂白された視野が少しずつ像を結んで、やがて自分が無機質に白い天井を見上げていることを知った。
 顔を横向けるとそこには予感していたとおり彼の一番大事な人が泣きそうな顔で彼を見ていた。
 晋太郎が目を覚ましたのを知って椅子から立ち上がって口を開いた。
「おはよう」
 それが長いこと居た夢の中で見詰めていた顔にそっくりだったのがおかしくて、晋太郎は微かに笑って口を開いた。思っていたよりちゃんと発音できた。
「そばにいてくれるのは嬉しいな」
 晋太郎は微笑みを浮かべたまま深く安堵して再び目を閉じた。
 晋太郎のあゆみが今、傍にいると思うだけで安らぎが満ちてくる。
 その頬をあゆみの指先がそっと撫でた。こけ落ちたその線が彼に儚げな印象を加えている。
 それが世界を越えようとした儀式の代償。命を削ってでも彼は行かなくてはいけなかった。
 あゆみに会うために。
「元気になるまで側にいるから…。
 はやくよくなってね」
「うん」
 それが今はこうしてあゆみと言葉を交わせる。その体温を感じていられる。晋太郎はこれ以上ないほど幸せそうに笑ってから薄く目を開けた。
 あゆみの指先は頬から髪へ。汗で額に張り付いた一房を解きほぐすように優しく梳く。
「中々眠れないな。おきます」
 晋太郎はそう言いながら起き上がろうとして、適わずに倒れ込みかけた。その背中をあゆみが支え、枕をあてがってベッドに戻す。
「どれくらい寝てたのかな」
「3日くらい」
「足りない睡眠時間分くらいだね」
 萎えた腕を顔の前に持ってきて眺めながら晋太郎は冗談めかしてそう言って微笑んだ。それは全く眠らずに世界を越える儀式を執り行っていた時間だ。
 あゆみはその言葉を聞くと指先を引っ込めて胸元でぎゅっと握りしめた。
 彼の行動が全て自分に端を発し、自分のために行われたことを知っていたから。
「すごく心配した…もう無理しないで…」
「ごめんね」
 爽やかに笑って言った晋太郎にあゆみは顔をうつむかせて首を横に振った。目元を拭って努めて明るい声を出す。
「お、おなかすいてない?」
「少し」
「林檎とか食べれそう?」
「うん。
 肉まんでも食べれそうだよ」
「いきなりそれはハードです」
「器用だね」
 心配をかけまいとしているのか今日の晋太郎は冗談めかした言葉が多い。
 その気遣いが嬉しくて、笑って見舞いの林檎を剥き始めたあゆみを眺めて晋太郎は意外そうにそう言った。
「そうですか?」
 晋太郎は笑っている。どうもあゆみを不器用な方だと思っていたらしかった。
「これくらいはできます」
「ありがとう。おいしいね」
 あゆみが楊枝を刺して差し出した林檎を二きれ食べて晋太郎は満腹になったようだ。
 やはり肉まんは冗談らしい。
「うん。
 眠れなくても横になってたほうがいいですよ」
「ううん。座って、傍にいたいな。顔が見たい」
「う…うん。でも無理はだめですよ」
 ベッドに腰掛けて赤面したあゆみを見て晋太郎は嬉しくなった。もっとその言葉をその仕草をその温もりを。間近で感じていたいと思う。
 だから、言葉を重ねた。
「好きだよ。
 だから、傍にいて?」
「うん…うん…」
 幸せが透明な滴になって、後から後から溢れ出してはあゆみの頬を濡らした。そっと抱き寄せる晋太郎の腕に身を任せて瞳を閉じる。
 そのままじっと晋太郎の体温を感じている。温もりを分け合うように温かくなっていく身体。
 同調して早まっていく鼓動。人の血液は1秒に20㎝から50㎝移動する。その流れにはきっとたくさんの想いが溶けていて、この胸を高鳴らせているのだろう。
 そう夢想してうっとりと身を任せていたあゆみに晋太郎は額をすりよせた。ちょっとくすぐったそうに、嬉しそうに微笑むあゆみ。
 瞳を開いて、間近で見た晋太郎は目覚めたときよりも心なしか血色が良くなっていた。
 この人もきっとどきどきしている。そう思うと更に鼓動が早まるのが解った。
 そのままの姿勢で囁いてくる優しい声。暖かい吐息。
「なにがあったの?」
「すごく声聞きたかったの、だからお願いして電話借りて…でも声聞いたらなんにもいえなくなっちゃって。
 …心配させてごめんなさい」
「……そっか」
 事の顛末を手短に説明すると晋太郎はなあんだ、という風に笑った。
「僕の勘違いだね。なぜかね…どうしてもそばにいかないとって思ったんだ」
「…勘違いじゃないかも」
 晋太郎は額をくっつけたまま、微笑んであゆみを見ている。お互いの瞳に映り込む自分の姿を見て取れるほどに。
 相対距離2cm、時速180㎞。
 それが二人のベクトル。
 加速する愛しさを抑えきれずに抱き締め合う二人。
「ずっと一緒にいましょうね」
 晋太郎は微笑んでうなずいた。照れたように微笑むあゆみ。
 ふと視線を落として見付けた3日分の無精髭。ちょっと見てはいけなかった気がして視線を彼の瞳に戻してあゆみは後で剃らせよう、と思った。
 いや、むしろ自分で剃ってあげようか。
 そんなことを考えていたものだから次に発する言葉はちょっと慌てたものになってしまう。
「わーあー、えっと。
 …キスしてもいい?」
「うん」
 短く答えて晋太郎は目を閉じる。両の手の平をその頬に添えて、あゆみはそっとキスをした。
 唇を離すとさっきまで触れていた晋太郎の唇が優しい笑みを刻んでいた。それを見て急に照れ臭くなり晋太郎の胸にぎゅっとしがみついて顔を隠すあゆみ。
「照れてる?」
「うん」
「初めてみるかな。キスが好きなのは飛び掛ってきてたから知ってるけど」
 古い話を持ち出してきた晋太郎に思わず顔を上げて赤面するあゆみ。
「た、たんじょうびのときがはじめてですよ…うううあのときもすごく恥ずかしかったし晋太郎さん台所にいたから」
 赤面したまま当時の状況をあたふたぐるぐると説明するあゆみを晋太郎は楽しそうに観察している。
 あゆみの新しい一面を垣間見る度に愛しさが増していく気がする。目を閉じて止まっていた時間の分だけもっとたくさんのあゆみを感じていたかった。
「そ、それでですね…キスのことはええと…わーん」
 一方のあゆみは遂にギブアップ。恥ずかしさも頂点に達して再び晋太郎の胸に顔を隠してしまった。
 その頬にそっと指を添えて晋太郎が囁く。
「キスしてもいい?」
「…う、うん」
 繊細な指先があゆみの髪をさらさらと撫でる。視線が絡み合ったのを感じてあゆみはそっと目を閉じた。
 一呼吸置いて唇に感じる晋太郎の優しいキス。
 唇が離れて瞳を開くと晋太郎もやっぱり照れながら笑っていた。
「キスっていいよね?」
「うん…好き?」
「今、初めてそう思った」
「う、はじめてですか」
「ううん」
 あゆみ、ちょっとショック。じゃあ今までは…とあれやそれに思いを巡らせていると晋太郎は敏感にそれを察知して言葉を探した。
「キスが好きで、君とキスしてるわけじゃないんだよ。わかるかな」
「うん。
 私もですよ。晋太郎さんだから キスしたいと思う」
「うん」
 晋太郎は我が意を得たり、僕もそうなんだ、というとびきりの笑顔で頷いた。
「ぎゅーも 髪なでられるのも 全部そう。
 晋太郎さんだから嬉しいの」
「うん」
 先程のうん、とは微妙に違うその響き。
 晋太郎は何かをねだっている。
 あゆみはこうかな、と再びキスした。晋太郎はそうだよ、と嬉しそうにキスを受けた。
 想いを込めてあゆみを抱き締め晋太郎は微笑む。
「どうしよう。凄い好きだ」
「うん…晋太郎さん 大好き」
 もう一度キスと抱擁。繰り返される幸せの循環。
 相対距離2cm、時速180㎞。
 それが二人のベクトル。

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拙文:久遠寺 那由他 ナニワアームズ商藩国




作品への一言コメント

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  • ありがとうございます…!な、なまろぐより3倍あまい =□○_ バタリ -- 久珂あゆみ@FEG (2008-07-18 22:43:37)
  • こちらこそご指名ありがとうございました。生ログも十二分に甘うございました=□_…●ころころ -- 久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国 (2008-07-18 23:42:46)
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製作:久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/ssc-board38/c-board.cgi?cmd=one;no=1303;id=UP_ita


引渡し日:2008/07/18


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最終更新:2008年07月18日 23:42