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矢上ミサ@鍋の国様からのご依頼品


/*風の前後*/

 結婚式の話が出たのが、十日前。
 結婚式をしようと告げられたのは、それから数日後。

 そして今日は、結婚式の当日である。

/*/

 もしかしたらそうなるかな、と思っていたが、本当にそうなるとやっぱり少し驚くものだった。
「つまり、ドレスは間に合いそうということか」
 きっと、間に合わなくても間に合わせるだろう。それくらいはしても驚かない。
 宿の一室。フィーブル藩国の空港から幹線道路を南に進み、ぐるりと移動したところにある小さな宿に総一郎はいる。部屋は大きくない。大きなベッドが一つに、テーブルが一つ。奥の方の小さな窓の外には農地の平野が広がり、青空との境界線が彼方に見える。そんな、人里離れたところにある木造の小さな宿だった。
 ただ、このときの総一郎なら、たとえこの場所が高級ホテルの一室であっても、そのきらびやかな装飾や広い空間にいささかの感心も抱かなかったに違いない。彼の意識が向いている先は片手の指の数ほどもない。壁のハンガにつり下げられた一張羅のタキシードに、テーブルにある小さな箱。そして右手に握った銀の懐中時計……そして……。
 総一郎は右手に握っていた銀の時計を持ち上げた。円形の懐中時計は、外から入ってきた陽光を浴びて、眩しくちかちかと輝いた。針はなめらかに回転し、刻一刻とその時がやってくることを、気が利かないくらいゆっくりじれったく告げている。
 それを裏返す。そこには、ミサが手ずから刻んだ短い言葉がある。
「これを墓に入れてもらおうかと考えたが」
 そう言った直後、「あれ? 私は入れてくれないの?」と言われた事を思い出す。総一郎は小さく吹き出した。
 なんだ。俺は案外物持ちじゃないか。
 ふと、かちりと小さな音がした。静かな部屋の中で音を立てるものは今手に握っている時計くらいだ。もう一度表を見れば、そろそろ外に出る時刻である。
 きっと彼女の事だから、俺がつく頃にはもうそこにいるんだろう。総一郎はゆっくりと立ち上がると服を着替え、時計を上着の胸ポケットにしまい、空いた手で机の上の箱を手に取った。
 手のひらよりも小さな箱を手に、しばし逡巡する。
 総一郎は二秒ほど箱を見つめた後、結局、箱を置き直した。その代わり、その中身を手に取った。ぱかりと口を開くように蓋を開けると、中には指輪が一つだけ入っている。まるで風を編み上げて輪にしたようなそれは、ひどく鮮やかに輝いている。それを手に取り、右のポケットにしまった。
 部屋から出て、狭い廊下を抜ける。一歩踏み出すごとに木製の床が小さな音を立てた。出入り口に向かうと、カウンタの奥で、この小さな宿の主である老婆がゆっくりと面を上げた。
「外出かい?」
「ええ」
「まためかし込んで。この辺りにはそんないい場所はないよ」
「待ち合わせをしているので」
「ああ」老婆がにやりと笑った。「彼女かい?」
「ええ」
 総一郎は雑談を切り上げると、さっさと宿から出て行った。青空の端が、赤みを帯びている。畑沿いにのんびりと道路を歩いた。
 夕暮はまもなく訪れる。
 そのときはきっと、風が吹くように訪れて、瞬きの間に抜けていくことだろう。
 それが嫌だったときもあった。そう思って、総一郎は苦笑した。
 思えばずっとそうだったのだ。争いの最中にしか出会えない人。争いは嫌いだったが、嫌いだからと見過ごせるほどに後ろ向きでもなかった。そしてその間だけは、ミサに会うことも出来た。
 そして争いが終われば、吹き抜けた風と同じ。そこには風の残したわずかな香りが漂うだけ。
 それで充分だと思った。

 思おうとした、が。
 総一郎はふと笑った。
 結局の所、無理は出来ないという事だろうか。
 いろいろとこらえて優月夜曲を渡そうとしたときもあった。それでミサが幸せになるのならそれでいいと思ったし、実際、その方が役に立てると思っていた。本当のところ、彼女の幸せを願う事こそが正しいと思って、本音の方はおさえてきた。
 気持ちの面ではつらいものがあった。そしてそれは、彼女もそうだったのだろう。
 だからこそ、あのコインはまだ手元に残っている。彼女の選んだ結末が別のものだったそのために。
 総一郎は歩みを止めた。右手には緩やかな平地が広がり、微風にうねる草の上をオレンジ色の空が覆っている。しかし空の赤さはまだ半分。全てが赤く染まるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
 その景色だけで今が何時かすぐにわかったが、総一郎はあえて時計を取り出した。夕日を受けて赤色に輝く時計は、静かに針を進めている。
「しかし。俺もずいぶん感化されたな」
 道を外れて平地を進む。ずっと先の方にはゆるやかな坂をつくる丘があり、平地の至る所を放牧された羊が歩いている。それを眺めながら歩を進めた。
「悪くない」
 総一郎は自分でも気づかぬうちに微笑んだ。
 そう。今自分がしていることが果たして本当に最善かどうか、それに自信はない。だがそんなことは関係なかった。何とか心を縛ろうとしていたあの頃とは違う、今ならわかることもある。少なくとも、気持ちだけは、空のように晴れやかで、草原のように広々としている。
 もっとも。その中心にいるのは決まっている。これだけは変わることなく、変える事もない。
 気持ちは穏やかだった。思えば、これまでこれほど穏やかな気分になった日々があっただろうか。きっと、無かっただろう。世情を考えればとんでもないことだ。これからまた戦争が起こるだろう。きっとミサはまた無理をするか暗い顔をするに違いない。
 それなのに穏やかな気持ちだというのは、自分は案外最低なのではないか?
 きっとそうなのだろう。それどころではないはずなのだ。もっと周りを、現実を見て、取り組むべき事があるはずだ。
 そう、前なら言っていただろう。
 今は?
「俺は少し自分勝手になった」
 一つ、どうしても譲れない事ができた。そのために自分勝手になりもしたが、そのために穏やかな気持ちになれるというのは、本当に、自分はそれでもいいのだろうか、と、思ってしまう。
 だが、それでも
「今日この日が嬉しいことには変わりない、か」
 何年何十年先、あるいは死ぬそのときでもこの日を忘れることは無いだろう。そんなことは考えるまでもない。
 ならば後悔しないだけだ。もう踏み出した。ならば走りきるだけだ。今の自分が生まれた、それ故に。
 まばらに広がる羊の群れの向こう、丘の上には小さな教会がある。夕日に照らされて建物全体が燃えるように赤い。
 そして、その手前。
 丘の斜面の途中に、白いドレス姿の女性が立っている。たっぷりとした金髪を後ろでまとめ、それでもこぼれてきたものはふわりと波打っている。幾重にも広がったスカートは波紋のよう。今日は眼鏡をしていない。そのぶん、いつもより大きな瞳がよく見えた。
 彼女は何度も手を握ったり閉じたりしてそこに立っていた。鼓動の音までここに聞こえてきそうなほどそわそわしている。
 総一郎は静かに歩いた。ミサがこちらを向く。じっとこちらを見ている。総一郎はゆっくりとミサの前に立った。
 短い会話。触れるように伸ばした手が、そのまま互いを抱きしめあう。
 そして離れた。微風が吹く。ミサのドレスをわずかに揺らした。総一郎は笑って顔を近づけた。
「指をだしてくれ」
 ミサは笑って指を出す。総一郎はポケットから指輪を取り出した。
「死ぬまで愛している」
 そうして、彼はミサの指に指輪を通した。夕日を浴びて、鮮やかに輝いている。
「死んでも、私は大好きよ」
「死んだら終わりだ。そう言う意味でいえば、そうだな」
 言いながら:総一郎はミサに指を見せた。ミサは微笑んで、しかし照れながら銀色の指輪を出す。青い石のラインが斜めに入ったものだ。ミサはそれを総一郎の指に通す。

 何の話もなく、まるでそれが当然のことであるように、互いの指に指輪をはめた。

 総一郎は指輪からミサに視線を移した。
「これでお前のものだ」
 ミサは真っ赤になりながら微笑む。
「ずっとずっと、大好きだからね」
「ああ」
 ミサが目を瞑る。総一郎は優しく口付けした。

 風が吹いて、草が飛ぶ。
 彼女はが現れるのはいつも突然で、去っていった後にはわずかな残り香が漂うばかり。

 ……風が止んだ頃。総一郎は口を開いた。
「俺は妻を愛している」
「いちばん?」
「当たり前だ。もっとも他に比較対照がいないが」
「私も、世界で一番、あんたが、総一郎が大好きよ」

 総一郎はミサを抱き上げた。くるくるとまわり、「わ、わ」というミサと共に尻餅をついた。
 大笑いする。どこまでも響く、大きな笑い声。

 その声は、まだ消えていない。



作品への一言コメント

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  • のびたの結婚前夜ありがとうございます!な、なんかいろんなログから色々持ってきてくださってありがとうございます…!これまでを思い出せて、一粒でたくさん味わえる作品でした。ありがとうございましたv -- 矢上ミサ@鍋の国 (2008-11-25 02:16:02)
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引渡し日:2008/11/23


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最終更新:2008年11月25日 02:16