■高原夫妻と少年・少女の場合 (後編)
「おもしろいねー」
――半ば行儀悪げに、食事を取りながら、火焔は嬉しそうに笑っている。
「まあ、こういった娯楽施設はあまりないからな」
「喜んでもらえて何よりですー」
つられたように嬉しそうな青狸。
「僕も遊園地は初めて来ましたよー」
青狸の視線の先の火焔はコガを見つめていた。
その顔はとても満足げだが、一方はその対極であった。
めそめそと泣く巨獣。
その尻尾には三つ連なったペナント――
「(お土産が…メモリアルな記念品予定がー)」
大層微妙な表情の青狸。
とっておきの贈り物は、罰ゲーム用品と化した。
「あ、で、遊園地ってなに。としまえん?」
「なんでマイナーな名前は知ってるんですか!」
「あたし、中野区だし」
「なるほど」
突っ込む青狸。一流の男、高原はこんなときにも慌てず騒がず。
アララ:
「ん、まああれだ。いろいろ遊ぶ施設を集めたとこ」
頷く火焔。
「俺は都下の生まれだからなあ…多摩テックとかか」
「と、としまえんはとしまくじゃなかった…って僕も知ってるからいいのか」
急に地元の話で盛り上がる。
が。
「としまえんって何よ」
一方でつまらなそうな表情の女。
仲間はずれにされたのが不満か、子供のように唇を尖らせている。
面白くなさそう。
「ああ、東京にある遊園地の名前です」
フォローする旦那。
このままでは、たいていろくなことにならないと経験済み。
「俺も名前しか知りませんが」
「水着でアトラクションに乗れる稀有な存在です」
「え。ここじゃなくて」
口元に手を当てて、びっくりという風情のアララ。
その服装は、白いワンピース。
一見地味だが、その背は大きく開いている。
「そうですね」
その誘惑をかろうじてかわす高原。
あるいは、もはや慣れたというあきらめ。
残念そうにいそいそ服を着るアララ。
「一応ビーチもあるみたいだし、水着は着てても大丈夫みたいですけどね」
「(慣れてるなあ)」
少年の嘆息。
感心から漏れるもの。
その様子を眺めていたが、ふとアララのセクシーさに気づいたか、慌てて視線を引き剥がす。
「さて、次はどこ行きましょうかー」
話題変換のための提案。
それに飛びつく少女。
「あたし、でっかい早いのがいいな」
きらきらと光る瞳。
同意者を求めて、くるりと振り返る。
「ね、コガ」
コガ、無言。
視線をそらして、ノーコメント。
その代わりに追随、同意する者がいた。
「同感です。たっかいところに上るのとかも好きです」
火焔の眼差しの先を追う青狸。
少女の瞳には二つの構造物。
“でっかい”観覧車と“早い”ジェットコースター。
「なるほど。高いのねえ」
「どっちにしますか?」
待ってましたとばかりの弾んだ声で高らかに火焔が宣言する。
「両・方」
「ですよねー☆」
それを予期していた青狸は満面の笑顔で頷く。
彼女のため、というだけでなく、本人も乗りたかったのだろう。
その会話の横でつまらなさそうな美女。
「あの列車の何が面白いのかしら」
「スリルを感じる人は感じるらしいですよ」
「普通にしてても空を飛べる人にはわからんのですよー」
「ばう」
ふぅん、と頷く。
視線が自分の体を舐める。
ぽつり、と一言。
「きわどい水着のほうが……」
高原、転倒。
顔面を真っ赤にして盛大に壁で頭を打つ。
“ジェットコースター”な生活を思いだす。
「こら、そこ、立ち話するなら並んでからにしようよ」
抑えきれない様子で急かす火焔。
心此処に在らず。先ほどまでとは違う意味で。
年相応にはしゃいでいる。
「まあ、人それぞれってことです…とりあえず並びましょう」
「ではいくぞーとつげきーぱぱらぱー」
駆けだす青狸と火焔。
ゆっくりと歩いて追いかけるアララと高原。
その後ろには老獣・コガ。
まるで仲のよい親子のイメージ。
/*/
待ち時間3分ほどで、お目当てのジェットコースターへ乗り込む。
スリルへの切符、スピードの世界への招待状。
くるくると宙を踊るように飛び回る夢の列車。
「わーいわーいはやそうだぞー」
ゴウゴウと音を立てて走るコースター。
ウキウキと待ちきれない様子ではしゃぐ青狸。
その横で保護者・高原鋼一郎は絶望的な一文を見つける。
それはまるで嘆きの門の文句のようで――
『 10歳未満禁止 』
青狸、沈黙。
『 身長150cm以下禁止 』
青狸、絶句。
「あらら」
別に自分の名前を口にしたわけではない。
頬に手を当てて、つい口にだすアララ。
「ま、見てても楽しいよ。きっと」
満面の笑顔の火焔。
嬉しそうにコースターに飛び乗る。
この時点で、青狸のことは半ば忘れている。
「なあにこの青狸、心は180cmですたい」
なけなしの強がり。
(当然ながら)お留守番のコガの横でひくついている。
「まああれだ。観覧車で一緒に乗れ…な?」
高原、精一杯の励まし。
しかし、その手は自分の伴侶をエスコートしている。
幸せそうな二人。
哀れみは、時として鋭利な刃物になる。
青狸、ズタズタ。
「コガさん…大人って汚いですよね…ううう」
「バウ」
そういうこともある、と雷電は一声、鳴いた。
/*/
きゃーという声が頭上から降り注ぐ。
愛らしい、誰もがつい、釣られて微笑んでしまうような、そんな類のもの。
まさに美少女そのものの声を上げる火焔。
理不尽そのものでもあるが。
「ああ、輝いてますね火焔さん…。」
微笑んで見上げる青狸。
その目から頬にかけて、光るものが一筋。
「出口の下で待ってよっと…」
一方、機上では“一流の男”高原鋼一郎が一流ではない事態に陥っていた。
風圧をモロに受け頬肉が引きつっている。
なんとも、締まらない表情。
「ごわごわごわ」
だが、その顔は風圧だけの仕業ではない。
隣に座る女、アララが高原の下半身を握ったり離したりしている。
いろんな意味で緊張する高原。
悲鳴にも似た叫びが口から飛び出る。
「ちょ、この状況であんまし触られるとごわわわわ」
困った様子で――アララがぽつりと一言。
「怖くて縮んだら困るし」
それきり黙る高原。
心なしか顔が赤い。
アララは無言で高原を必死に握り締めている。
まあ、しょうがないかな、と諦めた。
その様子を知ってか知らずか地上ではコガが尻尾を振っていた。
/*/
「ぜー…ぜー…」
いろんな意味で惨事だった高原が、よろりと機上から降りる。
それを無邪気に迎える青狸。
「おかえりなさいー。楽しそうでしたね!」
「最高」
いい笑顔の火焔。
指を立てて、ニコリと笑う。
「次来る時までには…大きくなってるといいなあ・・・」
「大人な発言ね」
意地悪そうに笑うアララ。
きょとんとした様子で二人を見る火焔。
「なにが?」
「なにがってそりゃあいろいろなものがですよー」
“いろんなもの”がよくわからなかったか火焔、歯を見せて笑う。
「ま、いいか」
それで良いことにした。
懐の広い少女。
あるいはあまり悩まないという長所。
「さ!観覧車行きましょ観覧車!」
「次に行こう、次」
絶妙の意気投合。
二人して駆け足気味で観覧車へと向かう。
そのなんでもない事が嬉しいか、幸せそうな青狸。
ああ、ハレルヤ!
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「でかいな…」
それが端的に観覧車の全てをあらわしていた。
直径100mの巨大な輪が静かに、ゆっくりと回っていた。
「うひょー…これは凄い」
嘆息する青狸。
高原は一瞬、どうやってこの巨大な物体が直立しているか考えようとして、やめた。
「さて、とりあえず並んでみましょうか」
かわりに皆を先導する。
先ほどに引き続き、待ち人は少ない。
数分も待てば、直ぐに乗り込める。
「これだけ大きいと回るのにも一苦労ですねえ」
青狸、感心したようにつぶやく。
ハッとして保護者・高原、注意書きをさがす。
発見。
年齢制限、特に無し。
安堵のため息が漏れる。
これで乗れなければ、青狸は最早泣くしかあるまいと、そう思っていた。
「一周で何分かかるんだろうな」
気になって注意書きを見れば、約20分とある。
ずいぶんとゆっくりとした回転。
高空を満喫という気遣いか。
その気遣いを知ってか知らずか、よっしゃーという叫びと共に駆け込む火焔。
四人乗りのゴンドラを占拠し、振り返り、手をのばす。
いつにない引き締まったとした顔
半ば命令調の叫び。
「はやく!」
「うおおおおとつげきーーー!」
その声に鬨の声を上げ駆け込む青狸。
似合いの二人。
そう思ったか、あるいは自分の若いころを思い出したか。
しみじみとした様子でつぶやく三十路の男。
「青春ですねえ」
「年の差ありすぎて無理無理」
希望を打ち砕く一撃。
16-6。10歳の年齢差。
むしろ高校生と小学生という、学年差が容易に超えがたい隔たりを生む。
「ま、どうなるかは二人に任せるしかありませんし」
実際、この二人の年齢差も相当であるが、学校を卒業すれば、あまり目立たないもので。
暦単位での年齢差も、愛の深さには叶わない。
「まあ、また忙しくなるでしょうし今くらいは楽しませてやらないと」
青狸たちの後のゴンドラに乗り込み、二人の道行きに幸いがあらんことを高原は祈った。
/*/
「わー動き出しましたよー」
ゴンゴン、と音を立てて動く観覧車。
壮大な眺め。
壮大すぎて、恐怖が襲い掛かる。
100mを舐めていた、としか言いようがない。
楽しいゴンドラは一転して、恐怖の監獄と化した。
「…すごい高さですねー。火焔さんは高いところ平気ですか?」
その心配はまったくの無駄になった。
キラキラと、いやギラギラと目を光らせて暴れる結城火焔。
美少女らしかぬ感想を口走りながら、興奮に心を浸している。
「うおー。すげー!」
「…聞くまでもなかったー!」
グラグラと激しくゴンドラが揺れる。
「でも暴れちゃだめですよー!止まっちゃいますよー!」
「揺れたほうが面白くない?」
「ええたしかに…ってちがーう!揺れたら故障しちゃいますよー!」
二人分の悲鳴を放ちながらゴンドラは揺れに揺れる。
その動きと、叫びを聞いて、つぶやく女が一人。
「揺れてるわね。いくところまでいったかしら」
ねえ? と同意を求めるように視線を旦那に向けるアララ。
悪戯な輝きが瞳に宿っている。
「…いや、姿が見えますからちょっと違うみたいですけど」
赤面しつつも真面目に答える。
あくまでも、良識的。真逆の二人。
「Hなこと、嫌い?」
覗き込むようにアララ。
男なら思わず、ドキリとなるような表情と言葉。
それほどまでに魅力的。
通常とは異なるシュチュエーションもまた、それを手伝っている。
「や、嫌いというか流石に他の人から見えるとこではちょっと…」
どぎまぎと答える高原。
歯切れが悪い。
「あと、そういうときの貴方が他の人に見られるのは、嫌ですし」
どうにか切りだす本音。
一度吐いてしまえば、一気に楽になった。
するする、と“自分の言葉”が出てくる。
「結構欲深いんです。俺は」
それを聞いて満足げなアララ。
引だすべき言葉、独占される――独占する言葉を聞いて、目を閉じて高原の腕を取る。
「そうね」
猫のように頬ずり。
思い通りにならない、それがチャーミングな女の全力の甘え。
薔薇色の幸せが、ゴンドラの中に咲いた。
優しく、愛撫するように肩に手を回し抱き寄せる男。
幸福な時間――
/*/
「観覧車はこう、ゆっくりとした落ち着いた雰囲気と高いところのドキドキ感を楽しむものですよー」
青狸の観覧車論は続く。
しかし、それを完璧に無視して火焔、眼下を見下ろし続ける。
瞳は、輝いていた。
「こがー!」
手を振る火焔。
ぶんぶんと、力いっぱい。
それは心のそこから喜んでいるように見えた。
「(楽しそうだなあ…いやまあこれはこれで楽しいんだけど)」
地上では一匹の雷電が地面を転がっている。
自分の尻尾にじゃれついて、不名誉な尻尾飾りと格闘している。
「ああ、メモリアルお土産がどんどん黒くなってゆくー」
少しばかり寂しい気分が胸を締め付ける。
だが、コガを不憫と思う気持ちも、同時に沸いている。
「後で取ったげましょうね、あれ」
再度、無視。
というよりは、完全に没頭している。
無邪気な表情で窓に張りつく美少女。
「遠くまで見えるなー」
それを見て、文句を言う気分は失せていく。
「楽しんでもらえたみたいで、よかったですー。」
彼女が心底幸せそうに見えたから、だから、笑う。
言葉に偽りはない。
彼女が幸せなことは、少年にとっては確かに良いことだった。
/*/
「よかったー」
感嘆の声を上げて、コガに抱きつく火焔。
ぎゅうと締め付けるようにして、コガの体毛の中に顔をうずめる。
「楽しかったみたいだな」
大人の顔で高原。
「ああー楽しかったー!もう一周したいくらいですよー」
「まだ他のところも見てないだろうに」
大人の苦笑。父親のような表情。
だとすれば、アララは母親のようなものだろうか。
「…火焔さん?」
無言で顔を埋め続ける火焔。
その肩が小さく震えていた。
コガが優しく、獣らしかぬ動作で宥める様に背中を撫でている。
「高いところ、やっぱり苦手だったんじゃないですか…?」
ふと心配になる。
あのはしゃぎ方は、もしかしたら恐いのを紛らわせるためのものだったのではないか。
ぐるぐると頭の中で考えがめぐる。
「面白かったー」
だが、それを一撃で吹き飛ばす火焔の笑顔。
はしゃぎながら青狸に向けて催促。
「もう一回いこう」
がくり、と肩が落ちる青狸。
それを、やはり父親のような顔で高原が見守る。
「そうか、良かったな」
「…むむむ。やりおるわこの娘ご…」
気を取り直し、首を振ると、一転して青狸も笑顔。
喜んで、観覧車のほうへと向かう。
「じゃ、いきますかー!」
その途中で、ぴた、と立ち止まりコガへと駆け寄る。
老雷電の耳元に手を当てるとボソボソと話し始める。
「(本当に大丈夫ですよね?)」
「ばう」
一鳴き。
あたりまえのように詳細は不明。
がくりと肩を落とす青狸。
「早く身ぶり以外で言葉がわかるようになりたい…」
「大丈夫だって言ってるわよ」
予想外の助け舟。
アララの通訳。聴きたかった言葉を代わりに口にしてくれた。
「なるほど」
妻の多才さに関心。
「安心しました。ありがとうございますー」
礼を言いながら青狸、汚れた三連旗をたたんで鞄にしまう。
なおも色あせない、かけがえのない思い出の一品。
「じゃ、れつごーれつごー!」
走る青狸。
ため息混じりにソレを見る“父親”高原。
「元気だのう、お子様は」
傍らで微笑む女。
「私たちは見ていましょうか」
まるで本当の父母のよう。
家族的なやり取り。
「そうしましょう」
ベンチに腰掛け、大きな子供たちの乗る観覧車を二人して見守った。
/*/
「2週目は1週目とはまた違った趣がありますねえ・・・」
感動。
既知だからこそ感じる新鮮な衝撃。
息を止めてじっくりと、時を惜しむように大地を見つめる火焔。
「何が見えますか?」
質問。
回答が来るより先に、とんでもない問題を発見。
椅子の上に立つ火焔。
そのスカートの下が、ばっちりと見える。
普段から見えていることは黙っていたが、ここまで露骨に見えると動揺は隠せない。
「火焔さん!立つと危ないですよ!色々と!」
若干悲鳴気味。
しかし、それも聞こえていない。
叫ぶ、叫ぶ。
「うおー。コガー!」
/*/
激しく揺れる籠。
地上からでもその揺れは確認できた。
「…何かまたあそこのゴンドラだけ揺れてるような…」
「ほんとね」
ふと心配になる高原。事故でも起きたらどうしよう。
「大分上のほうで止まるとえらい事になるような気がしてなりません」
その横でアララ、違う意味で事故でも起きて“えらい事”にならないかな、と思った。
/*/
「ちょ、ちょっと少年の純情を踏みにじ…もうこっちのことも見てくださいよー!」
少年の自己主張。
火焔に詰め寄る。
「観覧車に乗ったらこう、おしゃべりとかもしましょうよー」
気を引くために、控えめに袖を引く。
だが、それも通用しない。
逆に捕まれる。
「しゃべってどうすんのよ。ほら、アンタも見る!」
窓の外を指さす火焔。
表情は、いきいきとまぶしい。
「むむむ強引なー。しょうがないですねー何が見えるんですかー?」
根負けしたか、横に並ぶ。
その視界にいっぱいの青が広がった。
「わー…。すごい…。」
そこには紺碧の海が広がっていた。
少女と少年は、言葉もなく、ただ見つめ続けた。
「ここからだとどこまででも見えそうな気がしますー…」
素直な感想。
空と海の間には何があるのかと、想像を沸き立てられる。
「冒険の大地って行ってみたいなぁ」
少女のつぶやき。
遥か彼方。
伝え聞く、幻の大陸。さまよえる大地。
「…行くならこのマブダチ1号をおいては行かないでくださいね。絶対ついていきますから!」
彼女なら、どこへでもいけるだろう。
いや、どこへでも言ってやるのだという意気込み。
無視できない自己主張。
「勝手にいなくなったら怒りますよー!ええもうそりゃあもう」
少女への思慕。離れがたい想い。
まだ想いは届かなくても、距離は埋まりつつあると、そう感じさせる一瞬。
少年と少女の、今はまだ友情――
/*/
「空がいい色になってきたなあ」
独り言のようなつぶやき。
黄昏に染まる空を見つめ、寄りかかる女へ視線をうつす。
幸せそうに体重を預け、その頭を男の方に寄せる。
影がひとつになる。
真紅の太陽に照らされる二人。
その瞳には、巨大な華のような観覧車――
くるくると、いつまでも回り続けていた。
いつまでも、いつまでも。
いつまでも、この幸せが続くかのように――
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最終更新:2007年10月18日 10:19