雹@神聖巫連盟様からのご依頼品

 ラケットの中心でボールを打つ時の、軽やかな音が静かなテニスコートに響く。
試合を始める前に感じていた肌寒さは既になく、動きにくそうな長いスカートをはいていたヴァンシスカは頬を少し紅くしてボールを追っていた。

「やりますね。」

 楽しそうに微笑んでヴァンシスカがボールを返す。
ボールが打たれるよりも少し早く走り出していた雹は息を切らせて地面を蹴った。
腕を伸ばしてラケットの先端で無理矢理に返した緩やかな曲線の着地地点には、既にヴァンシスカが立っている。
苦笑して立ち上がる雹。再び走り始める。

「貴方こそ。」
「ふふっ、ありがとう。」

 たおやかに微笑むヴァンシスカの片目は、本気だ。
この対戦相手は、走らせるボールを打つな。とテニスコートを端から端まで走らされながら雹は考えていた。
体力も奪われるし、何より上手く中心に当てられないボールはどうしても緩やかなものになる。

「……っと!」
「イン、ですね。」
「えぇ。」

 ギリギリで届かなかったボールがコートの外に転がっていくのを見ながら雹が苦笑する。
鋭く正確なコースだった。ラインすれすれの場所で芝生が抉れているのを地面に俯せたまま確認して、寝返りをうつ。
 仰向けになって見える空は、白かった。
日差しも強すぎず、地面も安定して、気温も湿度もスポーツをするのにちょうどいい。
胸を上下させて呼吸しながら、雹は笑った。

「コンディションは完璧……、実力の差かぁー。」

 審判こそいないものの、正式に得点をつけていればとっくに2セットを取られて負けていると確信出来るほどボールを打ち込まれて、いっそ清々しいと、寝転がったままの雹は思った。
悪魔の力だとか、評価値の差分だとかは関係なく、純粋に技術と経験の違いで打ち負かされている。
 何よりも、彼女のスタイルを実際に見てそのボールを返すことは、ただ話すより更に深くヴァンシスカを理解出来る気がして、それが雹には嬉しかった。

「……大丈夫ですか?」

 いつまでも転がっている雹を心配するようにヴァンシスカが問いかける。
肘に体重をかけながら上体を起こして手を振る雹。

「えぇ、少し疲れただけです。」

 額ににじむ汗が目に入りそうになって、雹は慌てて頭を振る。
降参だ、と言うように両手を上げて芝生の上で止まっていたボールを拾い、ベンチに置いたタオルを取ろうと歩きだした。

「少し休みましょう。」
「えぇ。私も少し、疲れました。」

 ふぅ、と息を吐いてヴァンシスカも同じように歩きだす。
疲れたというのは本音だったようで、沈むようにベンチに腰をおろすと柔らかそうなタオルに汗を吸わせ、水筒を取り出していた。
タオルを首にかけた雹が、少し離れてヴァンシスカの隣に腰をおとす。二人分の重さに、ベンチが僅かに軋んだ。

「実は運動なんて久しぶりで。……と、ありがとうございますー。」

 照れくさそうに眉を垂らす雹にヴァンシスカがカップに注いだ飴色の液体を差し出す。
紅茶の香りに交ざって蜂蜜の匂いのするそれは、僅かに甘かった。
少し温くなった温度が舌に心地よい。
初めから多少温度が下がることを考えて茶葉を選んだであろう紅茶は、温いというより適温であると感じられた。

「ヴァンシスカさんの動き、いいですねー。」
「駄目ね。もう歳をとったわ。18だもの。動きが硬くて。」

 ヴァンシスカの発言に紅茶を噴き出しかけた雹が盛大にむせる。世代の差というのは大きいと、心底思った。

「……充分にお強いと、オモイマス。」
「貴族のたしなみです。やることがなかったので。」
「これは私の腕を磨いてこないとダメみたいです。」

 雹の背中を撫でていたヴァンシスカの片目が意外そうに丸くなり、クスクスと楽しそうな笑い声が続く。
ベンチに置かれたカップから、細く湯気がのぼる。

「貴方も、面白いところに打ちます。貴方らしい、コース。」

 微笑んだまま僅かに紅くなった頬で呟かれて、背中を丸めてヴァンシスカの顔を見上げていた雹の顔が紅くなる。

「……あー。もう1勝負受けていただけませんか。」
「はい。」

 立ち上がるヴァンシスカを目で追いながら、雹はカップに残った紅茶を飲み干す。
底に残った分は少し蜂蜜が濃くて、甘かった。

 再び軽い音をさせながら、ラリーが始まる。
休む前より鋭さを増したような打球を、雹は必死で拾って返す。
打球は鋭かったが、ヴァンシスカが何を考えているかを予想すれば、自ずとコースも見えた。
時々は盛大に間違えるが、予想が当たってラケットの中心にボールを当てられた時にはヴァンシスカが笑っているように見えて、雹も笑う。
肩で息をして、常に足を動かしながら口を開いた。

「さっきの、話ですけどっ、」
「えぇ。」
「やっぱり、頑張ります。……いつか貴方の球を全て受けるために。」

 顔を紅くして呟いた雹の言葉は、後半になるにつれて声が小さくなっていく。
一瞬驚いたような顔をして、たおやかに微笑むヴァンシスカ。こちらもほんの僅かに顔が紅い。

「……楽しみに、しています。」

 照れたせいか動いたせいか、血流がよくなった紅い顔でヴァンシスカがラケットを振る。
刺さるような打球は、雹のラケットの中心に当たった。


作品への一言コメント

感想などをお寄せ下さい。(名前の入力は無しでも可能です)

  • ありがとうございます。自分で思い描いていたよりずっと美しい描写になっててびっくりです -- 雹@神聖巫連盟 (2008-02-29 21:46:52)
  • ありがとうございます。 あまりヴァンシスカさんのオリジナルな台詞を入れられなくて申し訳ありません。楽しんでいただけたなら光栄です。 書かせていただきありがとうございました! -- 高神喜一郎@紅葉国 (2008-03-13 17:09:55)
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最終更新:2008年03月13日 17:09