城主
赤松氏・三浦氏・宇喜多氏・毛利氏
別名
篠向城・笹向城
遺構
曲輪群・土塁・畝状竪堀群・横堀・井戸
歴史
概要
主郭を最高部に置き3方向に延びる尾根に曲輪を展開している。主郭部は二段になっており、主郭の下壇には帯曲輪が展開されている。さらに北東と南西には主郭を取り囲むように畝状竪堀群が展開している。しかし北東部は鉄塔が建てられているため現在は確認しづらくなっている。南西部の畝状竪堀群の先にある西の尾根には階段状に曲輪と堀群が展開されている。また主郭の北西部の尾根には馬場を含め副郭群が展開し、三の丸と呼ばれる場所の西にも畝状竪堀群が展開している。
縄張り図
所在地
真庭市三崎
交通
自家用車
山頂までTVの電波塔が立っているため山頂まで車で上がれるが道が悪い上、非常にわかりにくい場所から車道が通っているので素直に麓から歩いていくことを薦める。
公共交通機関
JR姫新線 駅 徒歩1時間半
登城口
大場地区から山頂に向けて道がある。
なお山麓の大場地区に五輪塔が固まって祭られている場所があるがそこの場所からまっすぐ山のほうに歩いていくと(途中の民家に案内板が掛けられている)山頂に向けて道が続いているのでそれに沿って歩いていける。
注意
非常に大きな城跡であるが、城跡には案内板などはひとつも無い。さらにところどころ電波塔のため破壊され、その上大半は未整備で二の丸三の丸は藪こぎ覚悟で行かなければいけない。遺構は秋口から冬場じゃないととてもじゃないが確認できる状況ではない。なお冬は積雪があるときもある。
写真
遠景写真
城内写真
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主郭部 |
馬場 |
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二の丸 |
主郭の切岸 |
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畝状竪堀群 |
畝状竪堀群で比較的綺麗な部分 |
登城記録・感想等
ぴっちゃん 10/10/30(曇)
台風が接近中でしたが、登ってみようと寄ってみましたが登り口が見つかりません。周囲にすんでいる人に聞いてやっと登り口を見つけるも(林道があるので藪こぎとかそういう苦労はしませんが)やはり山が高いだけありちょっと疲れました。三の丸や畝状竪堀群のある場所にはシダやイバラ類が生えててとてもじゃないですがいけそうにありません。(ただし誰かが行った踏み分け跡がありましたので城跡に来た人が行った跡かもしれません)二之丸と呼ばれる場所は電波塔が建ってましたので遺構は残ってません。そこから上に延びる道がありますがこちらも鉄塔が建ってます。そこからは藪こぎになり、やっとの事で主郭にたどり着きましたが、壇があるというのはわかりますが荒れ放題ですのでなにがなんやらです。さらにここ(元々あったらしいのですが朽ちたようで)石碑や碑などまったくありません。しかたないので主郭をしばらく散策して下に降りてみます。広い郭が真下にあるんですがこの側面は土塁がかすかに残りその下に畝状竪堀群が綺麗に残ってるではありませんか。ということでみてまわります。
しかし、一時間くらい遊んでましたが(
岩屋城で現地説明会があるので)時間が押してきましたので、今回はここまでにして下山しました。しかし、近くにある
岩屋城もそうですが、美作の城跡は非常に大きく見応えもありますね。
居館推定地
山麓?
近くの観光名所
参考
参考文献
「日本城郭大系 13」
更新日
2010年11月06日
最終更新:2010年11月06日 21:09