城主
高橋玄蕃
別名
流山城 酒津城
遺構
歴史
天文、永禄年中高橋玄蕃とその弟高橋右馬行友が居城し、はじめ大内氏に属し後に毛利氏に属した。
元亀2年(1571年)高橋玄蕃は毛利軍の九州進軍に従った。その留守を機会に尼子勝久は尼子式部と刑部大賀駿河守の約6000騎で八幡山城を取り囲む。養子の高橋右馬亮庄九郎と家臣石井等は奮戦するも敗れ、
幸山城に逃れた。
概要
縄張り図
所在地
倉敷市酒津
交通
自家用車
駐車場は無いが、参道入口付近に駐車できるスペースがある。
公共交通機関
登城口
注意
写真
遠景写真
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西側から |
東側の酒津公園から |
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八幡神社の背後にみえるのが八幡山城 |
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城内写真
登城記録・感想等
こた 09/12/25
八幡山に城跡があるということで行ってみました。八幡神社の参道を登ること10分程度で境内に着きました。特に八幡山城の説明板も見当たりません。山頂へはさらに登るようになりますが登山道は無く、境内でお会いした方に聞いてみると、現在山頂への登山道は無く、直登するしかないということです。
居館推定地
近くの観光名所
参考文献
「日本城郭大系 13」「中洲町史」
更新日
2010年04月08日
最終更新:2010年04月08日 00:54