城主
真壁小六是久
遺構
曲輪・池跡・門跡・石塁・土塁・井戸
所在地
総社市西郡
歴史
概要
城跡は、国指定史跡になっている。福山山頂に位置する、山城である。元々は福山の山岳寺院を利用した城跡であるため、中世の初期の段階の城跡である。中世になると福山城の北尾根に位置する
幸山城が築かれることになる。
遺構は連郭式山城で主郭の一の壇を北に置きそこから、直線的に二の壇、三の壇、四の壇、五の壇をおく。不規則な五角形型の一の壇北には土塁が配されており、二の壇との間は門で仕切られていたとされる。直二の壇がもっとも高い位置に位置しており、二の壇内には井戸跡や石塁を配した切岸がある。南は三の壇が存在するが非常に小さい曲輪である。四の壇は三の壇より非常に下に位置するがこの城の中ではもっとも広い曲輪である。その南に五の壇があるが五の檀との間は石組みで仕切られているだけである。
縄張り図
交通
遠景
西側から。
城内写真
二の壇
石碑
土塁
出典
「日本城郭大系 13」
2009年07月15日
最終更新:2009年07月15日 00:04