良いマスロックとは
良いマスロックの要素として、筆者が思うものをいくつか挙げてみる
- 繋ぎの上手さ(コラージュ感の少なさ)
- モチーフのユニークさ
- 変拍子を多用していながらも無理がなく自然である
※ドンキャバレロみたいなループで構築されてる通作歌曲的なものは除外する
一つ一つ解説していこう
繋ぎの上手さ(コラージュ感の少なさ)
実はマスロックというジャンルを作ること自体は割と簡単である(演奏できるかは置いておいて)
複雑でユニークなモチーフさえ使えばマスロックというジャンルの枠内には入れるからだ
複雑でユニークなモチーフさえ使えばマスロックというジャンルの枠内には入れるからだ
しかしマスロックの難しいところは、それらをどう上手く自然に繋げるかであり、
上手くできなければフレーズを無理やり繋げたコラージュになる
それを悪いとは言わない。むしろそのコラージュ感を前面に出している場合もあるが、やはり自然に美しくしたいもの
上手くできなければフレーズを無理やり繋げたコラージュになる
それを悪いとは言わない。むしろそのコラージュ感を前面に出している場合もあるが、やはり自然に美しくしたいもの
これが本当に難しく、大体の場合はブレイク/休符を取ってから、次のセクションに移るなど、無難である
Good Game - Rat City
↑これとか
↑これとか
Good Game - Level Up
↑これはブレイク感を解消するためにドラムフィルから入っている
↑これはブレイク感を解消するためにドラムフィルから入っている
どうしても複雑なモチーフを使うということに重きを置くと次に繋げる発想が蔑ろになる
ブレイクを取らずに上手くやるにはブリッジやトランジションの高度な作成技術が必要
ブレイクを取らずに上手くやるにはブリッジやトランジションの高度な作成技術が必要
モチーフのユニークさ
マスロックというジャンルの強みとして、ユニークな、ひいては奇形なモチーフを使えるということだろう
特に、ユニークなモチーフをイントロに持ってくることでリスナーを十分に惹きつけることができる
特に、ユニークなモチーフをイントロに持ってくることでリスナーを十分に惹きつけることができる
例は、構成・構造/特殊フレーズを参考にすると良いだろう
あくまで、モチーフの"ユニークさ"であり、"複雑さ"と書かなかったのは、ユニークを求めた結果として複雑になるという持論
特にフィギュア(フレーズを構成する単位)単位で突き詰めると手数が多くなる
特にフィギュア(フレーズを構成する単位)単位で突き詰めると手数が多くなる
変拍子を多用していながらも無理がなく自然である
音楽において変拍子を扱うことは難しく、どうしても、"無理がある"感じになることは多々ある
その上マスロックというジャンルでは、曲中で拍子が何度も変わることがある
その上マスロックというジャンルでは、曲中で拍子が何度も変わることがある
上手くやるためには、例えば、
拍を食って詰めることで変拍子にする
これは自然になりやすいが、ベースにある拍子は単純拍子でしかない
拍を増やすことで変拍子にする
これはやや難しく、フレーズの字余り感を引き起こしやすい
拍子を組み合わせる/割ることで変拍子にする
一番スタンダードなやり方じゃないだろうか。混合拍子の考え方
変拍子の考え方
- 四拍子と変拍子を区別しない
四拍子も変拍子の一種であると捉える考え方
四拍子に対する固定観念を無くし、拍子の扱いをフラットにすることで楽曲制作における変拍子の扱いにも偏りや詰まりが無くなることが期待できる
もちろん身体に刻み込まれた4拍子のマッスルメモリーはそう簡単に払拭できないだろうが、頭の中だけでも捉われなくなるのは効果的だろう
四拍子に対する固定観念を無くし、拍子の扱いをフラットにすることで楽曲制作における変拍子の扱いにも偏りや詰まりが無くなることが期待できる
もちろん身体に刻み込まれた4拍子のマッスルメモリーはそう簡単に払拭できないだろうが、頭の中だけでも捉われなくなるのは効果的だろう
- 変拍子を作ろうという心持ちで臨まない
勝手に変拍子になっていた。くらいが自然である
変拍子を作りたいがために余計な拍を増やす、あるいは減らすというやり方だと不自然になりがち
(その不自然さが良いのかもしれないが)
変拍子を作りたいがために余計な拍を増やす、あるいは減らすというやり方だと不自然になりがち
(その不自然さが良いのかもしれないが)
良いマスロックとコラージュマスロック
良いマスロックの要素の一つ、繋ぎが上手い(コラージュ感が少ない)ことの説明の内に、
あえてコラージュを前面に出したものもあるという事を書いたが、それについても解説しておくことにする
あえてコラージュを前面に出したものもあるという事を書いたが、それについても解説しておくことにする
ここでいう"良い"とは、
曲として美しく綺麗に、上手く仕上がっているという意味での"良い"を指す
コラージュマスロックの場合は、前衛音楽としての芸術的な良さがあり、曲として劣っているとか、悪いわけでは全くない
むしろその"曲としての正しさ"を破壊せんとするような挑戦を感じる
曲として美しく綺麗に、上手く仕上がっているという意味での"良い"を指す
コラージュマスロックの場合は、前衛音楽としての芸術的な良さがあり、曲として劣っているとか、悪いわけでは全くない
むしろその"曲としての正しさ"を破壊せんとするような挑戦を感じる
良いマスロック
マスロックの大半の曲は、先に挙げた3つの点のどれか一つでも評価できれば良いというレベルだが
the cabsはこれら全てが上手い
the cabsはこれら全てが上手い
特にセクションやフレーズの繋ぎが他のバンドと比べても上手く、無理がなく自然で一貫している
the cabsの楽曲の中でも珠玉のものは、その"繋ぎ"ですらユニークであるため、非の打ち所がない
the cabsの楽曲の中でも珠玉のものは、その"繋ぎ"ですらユニークであるため、非の打ち所がない
the cabs - キェルツェの螺旋
↑全編を通してユニーク。1:20~のドロップは稀有な発想
↑全編を通してユニーク。1:20~のドロップは稀有な発想
the cabs - haiku about kdyla
↑初手の高速なフレーズから繋げるブリッジの奇抜さが際立つ。0:52~の部分は"高速なセクションからのスロー"を上手くこなすためのブレーキだったりする
↑初手の高速なフレーズから繋げるブリッジの奇抜さが際立つ。0:52~の部分は"高速なセクションからのスロー"を上手くこなすためのブレーキだったりする
the cabs - 二月の兵隊
↑マスロックであることを最大限に活かしながら曲として綺麗に完結していて、まさに完璧
↑マスロックであることを最大限に活かしながら曲として綺麗に完結していて、まさに完璧
評価軸には加えなかったが、手数の多さ、難解さも極まっている
このバンドは一般の音楽リスナーから変態的としばしば揶揄されるが、マスロックファンからすると全然そんなことはなく、むしろ王道といった感じ
このバンドは一般の音楽リスナーから変態的としばしば揶揄されるが、マスロックファンからすると全然そんなことはなく、むしろ王道といった感じ
コラージュマスロック
楽曲がマスロックというジャンルである必要性、マスロックでしかできないこと、マスロックの本質はなんだろう?
そう考えた時に、色々な要素が削ぎ落とされて残るのは
"構成構造の過多を受け入れられるロック"ではないだろうか
そう考えた時に、色々な要素が削ぎ落とされて残るのは
"構成構造の過多を受け入れられるロック"ではないだろうか
先に挙げたthe cabsが良いマスロックのお手本だとすれば、
これから紹介する楽曲は
"音楽における構成構造の最大の無茶苦茶"
が、マスロックという広い器に受け入れられて形になったようなものだ
これから紹介する楽曲は
"音楽における構成構造の最大の無茶苦茶"
が、マスロックという広い器に受け入れられて形になったようなものだ
フレーズやセクションのコラージュを前面に出し、
マスロックのポテンシャルを別のアプローチで活かしている
マスロックのポテンシャルを別のアプローチで活かしている
Nuito - NeKoMaJiN vs
↑荒唐無稽。起承転結も無茶苦茶だが、フレーズが持つ期待感を裏切る形で意図的に別の属性のフレーズをコラージュすることで、その意外性にハッとさせられる
フレーズのバリエーションも豊富ながら属性が離れすぎないため、楽曲全体を通して同じ色合いに感じられる
↑荒唐無稽。起承転結も無茶苦茶だが、フレーズが持つ期待感を裏切る形で意図的に別の属性のフレーズをコラージュすることで、その意外性にハッとさせられる
フレーズのバリエーションも豊富ながら属性が離れすぎないため、楽曲全体を通して同じ色合いに感じられる
sajjanu - Super Precise Factory
↑後半は特にコラージュ色が強くなるが、期待と解消を意図的に操作されている感は少ない。属性も統一的
↑後半は特にコラージュ色が強くなるが、期待と解消を意図的に操作されている感は少ない。属性も統一的