【名前】滝口理砂 (たきぐち りさ)
【容姿】162㎝ ダークグリーンの髪(カスメではディープグリーン) Dカップ
【所属】楽天(05~09)→中日(10~12)→京都ウインズ(13~15)→新潟(16~)
【利き腕】左投げ左打ち
【守備位置】投手(中継ぎ)
【能力】フォーム:サイドスロー49 小林正
【背番号】69→58→12→21
【年齢】34(1986年7月27日生まれ)
【球歴】東海大甲府高校
【性格】情熱家・職人気質
【その他】
球界に新規参入した楽天からドラフト8位で指名を受ける
所属した5年間は登板数を増やすが、2009年シーズン終了後中日に金銭トレードされる

中日で同じ左腕サイドスローであった北代コーチから技術を教え込まれ、直球のノビが向上
ところが、調子のいい時は無失点で救援完了するのに、調子の悪い時は簡単に長打を打たれるムラのある投球が続いた
これは四球を出して歩かせた次かその次の打者によく死球を当ててしまうのが一因であり、対戦相手からはかなり嫌がられていた
その頻度は相手チームがビハインドの終盤にも関わらず4番に代打を送ったり、中軸の前の打者を歩かせて相手チームファンから悲鳴が上がったりするほどである。中日退団までの死球は8年間で50個

11年は調子のいい投球が続きキャリアハイを記録する
中日3年目は調子こそ落とさなかったが、他の女子選手の台頭や加入もあって登板が減り戦力外通告を受けた
トライアウトに参加したものの、獲得に動いたプロ球団はなく唯一誘われた京都ウインズに入団
プロ通算でのWHIPは2.8となった
15年オフにウインズを退団し引退するつもりでいたが、自分の年齢を考えまだやれるのではないかと奮起
新球団限定で売り込んだところ新潟から数日で連絡がきた
背番号は21に決まり、新潟に入団することが発表された
16年シーズンは後半戦のセットアッパーで起用されることが多く、登板機会が増えた
17年は助っ人のモニカ選手が台頭したが立場を守り45登板を記録してホールドを増やした
18年はわずかに登板を減らし防御率も4点近くとなったが調子は大きく変わらず勝敗とホールドもほぼ維持した
DEENの「哀しみの向こう側」のサビが好きで登場曲にしている

投手成績
年度 所属 試合 S H 完投 完封 先発 防御率 投球回 奪三振 与四球 与死球 暴投 ボーク
2005 楽天 21 0 2 0 5 0 0 0 6.53 43 34 14 4 0 0
2006 楽天 25 0 4 0 5 0 0 0 4.66 52 42 17 6 0 0
2007 楽天 28 3 1 0 4 0 0 0 4.45 60 48 20 4 0 0
2008 楽天 32 3 2 0 4 0 0 0 3.52 67 54 23 10 1 0
2009 楽天 23 3 5 0 3 0 0 0 4.88 48 38 16 7 2 0
2010 中日 34 3 2 0 5 0 0 0 2.32 31 25 12 10 0 0
2011 中日 38 2 1 0 6 0 0 0 1.88 34 27 11 8 0 0
2012 中日 17 0 3 0 3 0 0 0 2.40 15 12 5 3 0 0
2016 新潟 44 4 4 0 6 0 0 0 3.60 78 63 26 8 0 0
2017 新潟 45 3 2 0 9 0 0 0 3.54 76 60 24 7 0 0
2018 新潟 40 3 3 0 8 0 0 0 3.97 68 55 22 8 0 0
2019 新潟 33 1 2 0 6 0 0 0 56 32 24 5 0 0
通算:12年 380 25 31 0 64 0 0 0 628 490 214 78 3 0

登場曲:DEEN「哀しみの向こう側」(1:09~)

滝口投手に関するコメント
北代四国二軍投手コーチ「もっと教えたいと思わせてくれる几帳面な選手だった。若い時の自分に似ていて復帰は喜ばしい」
永坂投手(中日)「同い年でプロ指名も同じ年だった。彼女が中日に来て、刺激になっていた」
伊茶投手(四国)「私からすれば目標の先輩の一人。私がプロ指名を受けたときにとても喜んでくれ、復帰は私も嬉しい」
権藤新潟一軍投手コーチ(当時)「(復帰シーズン終了後に)抑えるときは抑える。後は最初から厳しく攻める姿勢は他の投手にはない良い所だった」

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最終更新:2020年07月27日 21:16