【名前】西園寺真穂
【容姿】 ほしのあき似
【生年月日】 1971/6/8
【利き腕】 右投右打(スタンダード151)
【守備位置】 三塁、二塁、外野
【能力】(2000-2001)4CADDDE パワヒ 三振 プルヒ サヨナラ 盗塁E
【背番号】53
【球歴】 区立南台小→区立南中野中→帝京→青山学院大→オリックス(94-02)→巨人(03-05)
【性格】 切れ者
【その他】東京都中野区出身(営団地下鉄の車庫の近く)
高校の時から飛距離が注目されていた大砲。
逆指名入団ではない。
オリックスでは動きのよさと打撃センスを見込まれ仰木監督に抜擢された。
97年にレギュラーを掴むも、98-99は半レギュラー。
00年に30本超え、外野手になった01年には46本塁打を記録した(現在もシーズン女子最多記録)。
02年オフ、新ストライクゾーンの影響で.290 25HR 70打点だったものの、FA行使を表明。
巨人、阪神などが手を挙げ、3年契約総額10億円で巨人に入団した。
しかし、成績が突然死してしまい、契約満了をもって自由契約にされてしまった。
原因は急激な衰えである。
引退試合は無し。引退表明は年明けの2006年の1月末の日曜日で、訪問した小学校の校庭で行った。
引退後に結婚し、小学生の女の子がいる。
その間は読売新聞への寄稿やMLBの試合の感想をブログに書いていた。
巨人のコーチ要請があったが断り、女児向けの野球教室の先生をやっている。
U-12のコーチ経験もある。
(引退後、読売新聞に寄稿していた経緯などから讀賣巨人軍に籍があるという噂だが真偽は定かでない。移籍への障壁をなくすために一度は自由契約になってる)
石橋貴明、瀧内翼と仲が良く、毎年、石橋JAPANのメンバーとして出演している。
今年で48だがアラフィフには見えないようだ。
女子プレミアでは三位入賞。
【選手としての特徴】
引っ張りメインの打撃で右中間~右翼方向の本塁打は通算7本。残りのうちの八割が左翼~左中間に集中している。
守備面は97年~00年が主に三塁手で01年からは右翼手を務めた。
とちらも範囲はそこそこ。
背番号は一貫して53

【代表監督として】
女子プレミア2019の監督として三位入賞。
好調の選手に関しては打順を弄らない方針。
その為、一番・広瀬、二番・赤月、四番・京極は最後まで一貫していた。

【私生活】
引退後に結婚。
相手は7個下の般男性(大学准教授(当時))。
2007年に第一子の女児を授かっている。

【FAの顛末】
2001年には46本塁打を記録し女子選手の新記録を樹立。しかし、2002年は新ストライクゾーンの影響で20本以上減らしてしまった。
また、石毛監督への不満、上層部への不信感もあり8月下旬にはFA権行使の噂が出てきた。
球団としては、イチロー、田口に次ぐ流出を阻止すべく事前交渉を行うも上手くいかず(この時点で退団は決定的だった)。
FA解禁後、讀賣新聞が「西園寺獲得へ」の記事をスポーツ記事に掲載。
18年ぶり優勝を狙う星野阪神も手を挙げるも、巨人との最初に交渉で既に決まっており、話を聞いただけに過ぎなかった。
12月1日の讀賣新聞の夕刊に決定記事が載り、移籍が確定した。
3年契約で総額10億円(推定)、背番号は53
因みに、晩夏の段階で巨人は「西園寺がオリックスを出たがってる」という話を掴んでおり、数日後に「在京球団希望」の確信をもっていた。

【移籍後】
キャンプから快調だったものの、シーズンが始まると、二塁を守らされたりなど守備位置が安定しなかったこと、清原軍団から疎まれたこともあり、成績が急降下。
怪我もあって2割5分10本を達成という有様だった。
翌年以降は肉体の衰えも重なり、4本、1本と減っていき、05年の契約終了をもって戦力外通告を受けた
新たな移籍先を探すべくために、一度は自由契約になっている。
この時、オリックス復帰や横浜移籍の噂もあった。
しかし、2006年1月の日曜日、中野区内の小学校の校庭で引退を発表した。
その場にいたのは讀賣新聞の親しい記者だけだった。

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最終更新:2020年03月10日 12:02