【名前】 時任常隆(ときとう つねたか)
【容姿】 黒髪の短髪。すらりとした長身
【生年月日】 1973年9月10日
【所属】 熊本二軍投手コーチ
【利き腕】 右投げ右打ち
【守備位置】 投手
【能力】
【背番号】 85
【球歴】 鹿児島実業→九州産業大学→熊本(96-04)→京都(05-08)→京都二軍コーチ(09-11)→新潟二軍コーチ(12-13)→新潟一軍コーチ(14-16)→熊本一軍コーチ(17-18)→熊本二軍コーチ(19-)
【性格】 ストイックで怖い印象を受けるが、根は悪い人ではない。今はだいぶ穏やかになってる
【その他】
プロ入り前
高校時代は甲子園出場経験があるが、目立った活躍はなかった
関東関西の大学への進学を希望していたのだが、関東関西の大学からはオファーがなく、九州の大学へ進学。大学時代は大学3年から頭角を現してきた。後に「大学時代沖水のエースと対戦できたのはいい思い出」と語ってる(その沖水のエースは大学時代に野手に転向しているのだが)
ドラフト4位で熊本に指名された
現役時代
熊本に入団後、創立したての京都へ移籍、京都の設立のメンバーの1人となった。現役時代は高速シュートが持ち味の先発選手だった
京都コーチ時代
引退後京都で二軍コーチに就任した。2年ほどやっていた
新潟コーチ時代
新潟では二軍コーチをした後一軍コーチをしていた。新潟に来る前は京都で二軍コーチ経験があったりして実績はあったが当時は厳しい指導が多く、そのへんが一部の人達に疑問視されていたが、当時の新潟のフロントは全く気にしていなかった
ちなみに京都から新潟に来た理由は当時の新潟のフロントによる引き抜き
とある選手を壊してしまったことにより今の新潟のオーナーにより新潟を追い出された
熊本コーチ時代
前任時代に熊本の一軍コーチになる。新しい一軍コーチの就任により今は二軍コーチ
今はとある選手を壊したことにより選手を大事にするようになっている
一軍コーチ時代は熊本が投手王国になる基礎を作り上げた
熊本にくるきっかけは熊本のOBであることと今までの実績を熊本側が評価したため
とある選手のことについて
とある選手が壊れてしまうことになったのは過剰に厳しくしすぎたせいだと本人は言っている。過剰に厳しく接し過ぎたのは期待の現れだったらしい
とある選手が壊れてしまったことに関してはひどく後悔してる
本人いわく「どうして早く自分で気づかなかったんだろうって思った」
今の新潟のオーナーについて
今の新潟のオーナーに追い出されたことは今は根に持っておらず、むしろ自分の過ちに気付かされて感謝してるくらい
でも、自分の顔は2度と見たくないと思われているんだなと思っており追い出されてからは1度もあったことは無い
交友関係
園部監督は熊本時代ひとつ上の先輩であり、京都に移籍してからも連絡を取り合っていた
京都時代伏見さんは年下にも関わらず「トキツネくん」って呼ばれていた。その当時はお互い満更でもなさそうな関係だったが…
その他
「トキツネ」というあだ名がついており今もトキツネコーチと呼ばれることもある
現役時代はとても怖かったらしく、とある京都OBからは「現役時代は怖くて近寄りづらかった」と言われるほど
先代の京都フロントのやり方に対しては疑問に感じていた部分もあったが、直接不満を言うようなことはなかった
最終更新:2019年07月30日 19:22