【名前】奥田 和美(おくだ かずみ)
【容姿】
【生年月日】昭和44年8月18日
【所属】新潟ヘッド
【利き腕】右右
【守備位置】外(得意は右翼)
【能力】強打強肩頑丈
【背番号】78
【球歴】金沢泉丘高→早稲田大学→西武(1992-2000)→阪神(2001-04)→新潟(05-06)→新潟コーチ(13-18)→熊本コーチ(19-)
【性格】喧嘩屋、普段は掴み所が無い
【その他】
人物紹介
熊本の打撃コーチ。新潟の初代四番打者。
かなり頭が良く、東大を狙えたらしい。実際は早稲田に一般入試で入学。
神主打法を駆使し、読み打ちを得意としていた。肩も強く、送球も正確だった。
コーチとしては、強攻策が好きなようである。
プロ初本塁打は村田勝喜から。
チームのCS出場を機に熊本のコーチに移籍。
引き抜きかと思われてるが、新潟は依願退職でフリーになったとこで声を掛けられた。
家族構成
四人家族。
子どもは引退後にできた女の子と養子の二人。
家は新潟市内にあるが、移籍により、引っ越す可能性も出てきた。
新潟時代の指導方針
インテリだったこともあり、細かいシフトや攻撃方針を好む。最新のデータを取り寄せ、即座に反映する。
打撃面は「工夫をしろ」とよく言う。状態が悪くても、結果を残せることが大事と考えている。
前任の新潟では「純さんの基本方針を活かすことが役割」と認識している。
13年は二軍打撃コーチ、14年は二軍監督、15年は一軍打撃コーチ、16年からヘッドコーチ
熊本時代
諸般の事情により新潟を退団した数日後に熊本のコーチに就任
移籍後は家族揃って移住した
移籍後、選手の特徴を生かして伸ばす方針に転換している
「打者のレベルが高い」と言っているようだ
最終更新:2019年09月07日 21:39